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御代替わりを前に考える皇室の歴史と伝統 ──関根正直『即位礼大嘗祭大典講話』を読む 1 [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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御代替わりを前に考える皇室の歴史と伝統
──関根正直『即位礼大嘗祭大典講話』を読む 1
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 御代替わりが刻々と迫りつつあります。いまのままでは前回の悪しき先例が繰り返され、国の行事と皇室行事の二分化、諸儀礼の非宗教化で押し切られることでしょう。

 そのことは、昭和40年代以降の宮中祭祀簡略化、さまざまな不都合が重なった前回の御代替わり、ここ20年におよぶ女性天皇・女系継承容認=「女性宮家」創設への一連の経緯を振り返れば、火を見るよりも明らかです。

 いまの政府は、125代続いてきた皇室の歴史と伝統、すなわち祭り主天皇論ではなくて、憲法の規定を第一と考え、ご公務をなさる、天皇=名目的国家機関論の立場で、現行憲法下で2度目となる御代替わりを迎えようとしています。

「皇室の伝統」と「憲法の趣旨」とは相反し、皇室の伝統行事を伝統のままに行うことは憲法の規定に抵触するというのが、政府の考え方です。

「国および国民統合の象徴」である天皇の御代替わりが、それゆえ国家的、公的性格が明々白々なのにもかかわらず、全体的に「国の行事」として、当たり前に挙行できないのはそのためです。

 御代替わりの正常化のためには、誤った天皇観、憲法論を克服しなければなりません。私たち日本人にとって、天皇とは歴史的にいかなる存在だったのか、何をなさるのが天皇のお立場なのか、が本質的に問われています。

 何をどうすればいいのか、具体的に考えるヒントを得るために、しばらくのあいだ、明治の国文学者で、学習院の教壇にも立ち、のちに宮内省御用掛ともなった関根正直(1860-1932)の『即位礼大嘗祭大典講話』を読んで見ようと思います。


▽1 順徳天皇『禁秘抄』の解説

 関根正直といえば、忘れもしません、30年ほど前、渋谷にある神道系大学の図書館に毎日のように通いつめ、夕方から閉館となる夜遅くまで、薄暗く、カビ臭い書庫に入り浸り、手当たり次第に古今の書物を読みあさっていたことがありました。

 空調がないため、夏は蒸し暑く、冬は底冷えのする最悪の環境で、おそらくここにしかないだろう古書をじかに手にする興奮に、私は身も心も震えました。

 20代の編集記者時代には予想だにしなかった奥深い世界が、そこには広がっていました。足下のぐらつく踏み台に上って、手に取った1冊が、ほかならぬ関根正直の『禁秘抄釈義』(明治34年)でした。

 関根の『禁秘抄釈義』は順徳天皇が著した『禁秘抄』(1221年)の解説です。『禁秘抄』の冒頭には、

「およそ禁中の作法は、神事を先にし、他事を後にす。旦暮(あさゆう)敬神の叡慮、懈怠なし、白地(あからさまにも)神宮ならびに内侍所の方をもって御跡となしたまはず」(原文は漢文)

 とあり、関根はこれに

「万機の中に神事を重くせらるること、わが国の規模にして」

 などと説明を加えていました。

 天皇は古来、祭り主であるという天皇観は、今日、まともに教えてくれる人などいるはずもなく、じつに新鮮ですが、戦後の教育を受けて育ってきたものには、簡単に受け入れられるわけもありませんでした。

 ともあれ、こうして私の天皇研究はゆっくりと始まったのでした。


▽2 いまはデジタルコレクションで

 ところで、即位大嘗祭をテーマとする関根正直の著書には、『即位礼大嘗祭大典講話』(大正4年)と『御即位大嘗祭大礼要話』(昭和3年)の2冊があります。

 いずれもいまは国会図書館のデジタルコレクションに収められています。30年前ならマイクロフィッシュを覗き込むしか術がありませんでしたが、いつでもどこでも誰でもネット上で読むことが可能になりました。便利な世の中です。

 これから拾い読みする『即位礼大嘗祭大典講話』は、奥付によると、大正4年4月に発行され、何度か版を重ねています。「緒言」によると、関根が、大礼の起源、沿革などをテーマに各地で講演したものを「倉卒」にとりまとめたということです。

 発行を急いだのは、いうまでもなく同年秋に御大典が予定されていたからでしょう。

 蛇足ながら、大正天皇の即位の礼および大嘗祭は当初、前年の3年11月に京都で行われるはずでした(3年1月17日官報号外)。けれども、昭憲皇太后が同年4月に薨去されたことから、皇室服喪令(明治42年)に従い、1年の喪が明けるのを待って、翌4年秋に執り行われることとなりました(4年4月19日官報号外)。

 明治45年7月の践祚から3年後に御大典が行われたのはそのためです。


☆ひきつづき「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンへのご協力をお願いいたします。
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