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御代替わり諸儀礼は皇室の伝統と憲法の理念を大切に ──朝日新聞の社説「憲法の理念に忠実に」を批判する [天皇・皇室]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2018年2月19日)からの転載です


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御代替わり諸儀礼は皇室の伝統と憲法の理念を大切に
──朝日新聞の社説「憲法の理念に忠実に」を批判する
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 朝日新聞は今月16日、「天皇即位儀式、憲法の理念に忠実に」と題する社説を掲げ、「危うい空気が漂うなかで進む代替わりに対し、憲法の原則や理念からの逸脱がないよう、目をこらし続ける必要がある」と訴えました。

 しかし、じつのところ、危ういのは、古来、125代続いてきた天皇の価値を理解できない、もしくは理解しようとしないジャーナリズムの方ではないのでしょうか。ジャーナリズムが歩むべき道を踏み外さないよう、私たちは監視し続ける必要がありそうです。


▽1 なぜ憲法重視なのか

 朝日新聞の社説が問題にしているのは、政府が検討を進めている御代替わりの儀式と憲法との関係です。「最も重視すべきは憲法との関係である。改めて言うまでもない」と述べ、政教分離問題に言及しています。

 しかし、なぜ憲法重視なのでしょうか。なぜ皇室の伝統ではなくて、憲法の理念なのか。なぜ皇室の伝統と憲法の理念を対立化させ、一方を選択するのではなく、同時に追求することを求めようとしないのでしょうか。

 少なくとも今上陛下は、皇位継承後の朝見の儀で仰せになったように、「大行天皇の御威徳に深く思いを致し」「憲法を守り」と両方の価値を求めておられます。皇室の伝統と憲法の規定の重視は、その後もことあるごとに明言されています。当然のことです。

 社説を書いた論説委員は、歴史的天皇の存在にもともと関心がないのか、もしくは価値を認めないのか、考えようという意思がさらさらないのでしょうか。千数百年以上続いてきた天皇の伝統的価値とはそれほどに低いものなのでしょうか。

 おそらくや政治部出身であろう論説委員には、思いもおよばぬことなのかも知れません。縦割りジャーナリズムの限界でしょうか。

 社説は、大嘗祭訴訟の合憲判断に言及しつつも、「安易に踏襲することなく、一つ一つ点検する姿勢が肝要だ」と訴えるのですが、憲法は宗教の価値を否定しているわけではまったくありません。むしろその逆です。

 論説委員は大嘗祭を単なる宗教儀礼だとお考えなのでしょうか。「国はいかなる宗教的活動もしてはならない」と定める憲法に抵触する特定の宗教であるとお思いなのでしょうか。そのような儀礼が千年を超えて引き継がれると信じておられるのでしょうか。


▽2 30年間、進歩がみられない

 聞くところによると、カトリックの信仰篤き女性が何十年も前から天皇の祭祀に携わっていると聞きます。「あなたには私をおいてほかに神があってはならない」という絶対神の戒律を固く守るカトリック信徒が宮中祭祀を奉仕している事実があるとすれば、天皇の祭祀は信教の自由を侵さないことの何よりの証明ではないでしょうか。

 それどころか、バチカンは300年以上も前から、たとえ異教的儀礼であっても、信仰心や道徳に反しないかぎり、変更を求めてはならないという指針を示しています。

 むろん、宗教性が否定されない儀式などに国はいっさい関われないとするほど、日本国憲法は完全中立主義、非宗教主義を採用してはいません。

 朝日の社説は御代替わり諸儀礼を、無慈悲にもバラバラに分解して点検せよと要求していますが、むしろ逆に、全体として国の行事とされるべきでしょう。ごく当たり前のことです。

 そして本来なら、皇室の歴史と伝統、同時に憲法の理念に照らし合わせて、どのような儀礼が相応しいのか、英知を集め、時間をかけて、整備し直すべきなのではありませんか。日本国憲法施行以来、政府が宮務法の整備を怠ってきたことこそ、批判されるべきでしょう。

 朝日新聞は昭和天皇崩御の3日後、やがて国の儀式として行われる大喪の礼が政教分離原則に反しないないようにするよう政府に要求する社説を載せましたが、あれから30年、ジャーナリズムとしての進歩がまったく見られません。


▽3 なぜ宗教性否定なのか

 今回の社説は、践祚後の剣璽渡御(剣璽等承継の儀)についても噛みついています。

 三種の神器に含まれる剣璽の継承儀式は、神話に由来し、宗教的色彩が濃いのだから、国事行為には相応しくないという主張ですが、なぜ宗教性を否定しなければならないのでしょうか。

 宮中の祭祀は、教義もなく、宣教師も信者もいません。憲法の政教分離原則に抵触する特定宗教ではありません。

 憲法が定める国事行為は天皇の政治的権能を否定しているのであり、他方、政教分離規定は国民の信教の自由確保が最大の目的でしょう。

 今上陛下の御成婚のとき、賢所大前での結婚の儀は「国の行事」(天皇の国事行為)と閣議決定されましたが、朝日新聞は反対運動を展開したのでしょうか。

 社説はまた、剣璽等承継の儀に女性皇族が立ち会わなかったことを「排除」と表現し、問題視していますが、皇位継承資格者が参列すれば足りるのではないのでしょうか。

 それとも論説委員は、皇位継承権を男系男子に限定する現行憲法を改めよと主張されるのでしょうか。もしそうなら、この社説のタイトルに「憲法の理念に忠実に」は相応しくありません。

 社説は、時代に相応しい御代替わりのあり方を再検討し、国民に説明すべきだと政府に求めていますが、ジャーナリズムこそ天皇の歴史と伝統の価値を学び直すべきではありませんか。


▽4 皇室の歴史と伝統の意味

 社説はまた、自民党内に旧憲法を懐かしみ、天皇を神格化する空気が根強いことに懸念を示していますが、思想・良心の自由は現行憲法で認められています。

 もっとも後者についていえば、戦後唯一の神道思想家と言われた葦津珍彦が書いているように、天皇は古来、祀られる神ではなくて、みずから神々を祀るお立場なのです。古代の律令には「およそ天皇、即位したまはむときはすべて天神地祇祭れ」と明記されています。昭和天皇は現人神とされることに否定的でした。

 懸念されるのは、天皇の神格化ではなくて、天皇が多神教的祭祀を行われることの歴史的意義が十分に理解されず、価値多元主義的意味が見失われていることではないでしょうか。朝日新聞の社説はまさにその典型です。

 今日、天皇・皇室のあり方をめぐって議論が混乱する理由のひとつは、そうした皇室の歴史と伝統が理解されず、その一方で、憲法の国民主権主義との衝突が過度に強調されるからです。この社説はその一例に過ぎません。

 社説は明治憲法にノスタルジアを感じる保守派を牽制しますが、日本国憲法とてけっして「不磨の大典」ではあり得ません。

 明治人は国務法と宮務法を別体系としましたが、現行憲法では両者が一元化され、皇室典範は下位法と位置づけられています。それでいて、日本国憲法施行とともに全廃された皇室令に代わる明文法は、70年経ったいまなお整備されていません。これでは混乱した議論が収束するはずはありません。

 国のあるべき姿を、先入観ぬきで、歴史的に、多角的に、謙虚に検討し直していただくことはできないでしょうか。
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