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「貞観儀式」の「譲国儀」を訓読する ──第2回式典準備委員会資料を読む 6 [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2018年4月30日)からの転載です

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「貞観儀式」の「譲国儀」を訓読する
──第2回式典準備委員会資料を読む 6
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 宮内庁が第2回式典準備委員会に提出したリポート「歴史上の実例」の批判を続けます。

 リポートは、(1)光格天皇譲位の実例、(2)今回の「退位」との比較に続いて、(3)「『貞観儀式』による譲位の儀式次第」の3つについて説明しています。これから(3)の妥当性を公正に吟味したいのですが、今回は手始めに、譲位の儀式について説明する「譲国儀」の訓読を試みることにします。

『貞観儀式』は、宮内庁のリポートに説明されているように、譲位の次第を既述した最古の儀式書です。赤堀又次郎の『御即位及大嘗祭』(御即位記念協会、大正4年)に「御即位及大嘗祭の儀式を記したる古書の中、其詳なることは、貞観儀式に超えたるものなく」と解説されていることはすでにお話ししました。それだけ重要な史料です。

 いまでは国立公文書館のデジタルアーカイブで、インターネットによって誰でもいつでも、オリジナルの資料に触れることができます。同館に所蔵されている『貞観儀式』は紅葉山文庫旧蔵本、内務省旧蔵本など何種類かあるようですが、ここではネットで公開され、10巻がそろった荷田在満校訂、内務省旧蔵のものを読むことにします。

「譲国儀」は巻5にあり、6ページにわたっています。宮内庁のリポートは、この記述に基づいて、「譲位の儀式次第の大綱」を説明しているのですが、原文は漢字だらけで、私のような素人には歯が立ちそうにありません。

 幸い、内田順子「『譲国儀』の検討」(岡田精司編『古代祭祀の歴史と文学』所収。1997年)や藤森健太郎『古代天皇の即位儀礼』(2000年)、佐野真人「『譲国儀』儀式文の成立と変遷──新帝の上表を中心に」(「神道史研究」平成29年10月)など優れた研究業績がありますので、参考にさせていただくことにします。

 概観すると、一条兼良「代始和抄」に「毎度のこと」として書かれている「警固、固関、節会、宣制、剣璽渡御、新主の御所の儀」のうち、宣制を中心に記述されていることが、すぐに理解されます。

 もう1点、気づかされるのは、藤森先生が指摘しているように、「『儀式』では、譲位の宣命が読み上げられる時点を境にして、それまで皇太子として扱われていた新君主の表記が天皇としての表記に変わる」ことです。それだけ宣制が重要だということでしょう。

 宣制ののち皇太子は「今帝」「皇帝」「今上」となられ、そして剣璽が渡御するのです。

 しかし今回は、「宣命および宣命使による宣読は行われない」(宮内庁リポート)とされています。これが「皇室の伝統の尊重」を基本方針の柱とする御代替わりの実態なのです。そのことを最初に指摘しておきます。

 さて、以下が訓読です。[ ]はオリジナルの割り注、( )内は私の註釈です。


「譲国の儀」

 天皇、予め本宮(内裏)を去りたまふ。百官、従ひて、御在所に遷る(行幸)。
 先立つこと3日、諸関(鈴鹿関、逢坂関、不破関)を固める使ひを遣はす[勅符、官符、木契(ぼくけい)を造る。および緘(糸篇に咸。かん)封等別にその儀あり](警固・固関)。
 当日平旦(夜明けごろ)、太政官、式部省を召し、刀禰(とね。六位以上を指す)を集会(会集)せしむべきの状を仰す。大臣、内記(書記官)を召し、譲位の宣命を作らしむ。
 訖(お)はりて、まづ草案をもって内侍(ないし)に就け、奏覧し[もし損益すべきものあらば、勅の処分によって筆す]、返したまふ。大臣、本の所に復(かへ)りて、黄紙(おうし)に書かしめ、書杖(文ばさみ)に挿して、祗候(伺候)す。
(節会については言及がない)
 式部、親王以下、行立の版を置く。中務、宣命の版を尋常の版の北に置く。諸衛、中儀を服す。主殿寮、御輿、便所(びんしょ)に候す。式部、百官の人を南門の外に計列(列立)す[参議以上、門内に候す]。
 皇帝(天皇)、南殿(紫宸殿)に御す(国立公文書館のサイトに公開されている内務省旧蔵の「貞観儀式」巻4「譲国儀」では、紅葉山文庫旧蔵本と異なり、「皇帝、南面に御す」と記されている)。
 内侍、檻に臨み、大臣を喚(め)す。大臣、称唯(いしょう)して、宣命の文を執る。および、宣命に堪ふる参議已上(以上)を定む。内侍に付けて、これを執り、奏覧す。大臣、立ちて、階下に候す。
 皇太子、坊を出で、入りて、殿上の座に就く。次に大臣、また升(昇)りて、座に就く。左右の近衛の将曹各一人、近衛各二人を率ゐて、南門を開く。大臣、舎人(とねり)を喚す。および親王已下、参入等の儀、常の如し[親王已下五位以上、門内に列す。六位以下は門外に列す]。
 立ちて定む。大臣、宣命の大夫を喚し、宣命の文を授く。これを受けて(宣命の大夫は)殿を下り、暫く便所に立つ[大臣、殿を下りて、庭中の列に就くを侍つ]。大臣、同じく階を下りて、庭中の列に就く。ここに宣命の大夫、進みて版に就く。
 皇太子、座を起ち、而立したまふ。宣命の大夫、宣制して、いはく、明神(あらみかみ)と大八洲(おおやしま)の国知らす天皇が御命らまと詔(の)たまふ。大命を親王ら王ら臣ら百官の人ら天下の公民衆聞食と宣(の)る。親王已下、称唯して再拝す(ときに臨みて宣命定詞あることなし)。大臣已下、称唯・拝舞す。訖はりて宣命の大夫、還りて本列に就く(以上、宣制について詳述されている)。
 次に親王已下、退出す。次に中務の丞、参入して版を取りて退出す。近衛、門を閉づ。
 訖はりて今帝(新帝)、南階より下りて、階を去ること一許丈(約3メートル)、拝舞したまふ。訖はりて歩行す。列に帰りたまふ。内侍、節剣(宝剣)を持ち、追従す。所司、御輿を供奉す。皇帝(新帝)、辞して駕したまはず。
 衛の陣、警蹕す。少納言一人、大舎人らを率ゐて、(神璽が納められた)伝国璽の櫃を持ちて、追従す。次に少納言一人、大舎人・闈(門がまえに韋)司(いし)らを率ゐて、鈴印鎰(金偏に益。れいいんやく。駅鈴、内印、関鎰の総称)を持ちて、今上(新帝)の御所に進づる。次に近衛の少将、近衛らを率ゐて、供御の雑器を持ちて、同所に進づる(剣璽渡御)。
 訖はりて今上、春宮坊に御す。諸衛、警蹕・侍衛は常の如し(新主の御所の儀については詳しくない)。

 以上ですが、宮内庁のリポートは読み方の上で重大な相違があることが分かります。そのことが今回の御代替わり儀式のあり方にも大きな影響を与えているものと思われますが、詳しくは次回、お話しします。
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