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大嘗祭は稲の祭りではなく、国民統合の儀礼である ──第2回式典準備委員会資料を読む 9 [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2018年6月5日)からの転載です

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大嘗祭は稲の祭りではなく、国民統合の儀礼である
──第2回式典準備委員会資料を読む 9
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 平成の御代替わりには様々な不都合が指摘されましたが、これを基本的に前例踏襲する次の御代替わりも当然にして、同様の不都合が指摘されます。次もそうなら、次のまた次も同様でしょう。不都合なる事態が固定化しないよう一縷の望みをかけて、あえて批判を続けます。

 なぜ不都合なる事態が起きるのか、その原因を、2月に開かれた第2回式典準備委員会に提出された資料のなかから探り出す作業をこれまで行ってきました。前回までは、退位(譲位)から即位(践祚)に到る御代替わりについて検討し、宮内庁資料の誤りなどを指摘してきました。

 今回からは大嘗祭について、考えます。


▽1 30年間、進歩しない知的怠慢

 わずか40分という短時間の第2回式典準備委員会では、「御退位に伴う式典」の検討のあと、「御在位30年記念式典」「文仁親王殿下が皇嗣となられることに伴う式典」について、急ぎ足で検討されたあと、「大嘗祭」がテーマとなりました。

 2つの資料が提出され、事務局が説明しました。1つは「平成の御代替わりにおける大嘗祭の整理」で、もうひとつは「平成の御代替わりに伴う儀式に関する最高裁判決」です。

 まず、「平成の大嘗祭の整理」です。即位礼・大嘗祭の挙行に関する「平成元年12月21日閣議口頭了解」と宮内庁資料で、「下記のように整理」されているとして、前例踏襲の方針が宣言されているのと同時に、この30年間における学問的な進展が顧慮されていない知的怠慢が読み取れます。
H300220平成の大嘗祭の整理.jpg

 当メルマガの読者ならすでにご存じのように、30年前、この大嘗祭の挙行こそ最大の問題でした。石原信雄元内閣官房副長官は自著で「きわめて宗教色が強いので、大嘗祭をそもそも行うか行わないかが大問題になりました」と回想しているほどです。

 で、当時の政府がどう考えたのか、3点にまとめられています。

 1点は「大嘗祭の意義」、2点目は「儀式の位置づけおよび費用」、3点目は「大嘗宮の儀及び大饗の儀」についてです。

 要約すれば、大嘗祭は稲の祭りであり、伝統的皇位継承儀式としての性格を持つ。したがって宗教儀式だから国事行為としての挙行は困難である。しかし公的性格に鑑みて、費用を宮廷費から支出することが相当であると閣議で決定されたのです。

 そして、国事行為たる「即位の礼」のあと、平成2年秋に1000名の参列者が予定され、皇居内に大嘗宮が設営されることとなり、皇室行事として斎行されました。


▽2 新嘗祭と大嘗祭の神饌は米と粟

 歴史的には中断した時代もありますが、古来、続いてきた皇位継承の中心的儀礼が現代において滞りなく挙行されたことは、間違いなく大きな成果でした。けれども誤った理解に基づいていることもまた事実であり、30年後のいまになっての「前例踏襲」には異議を申し立てざるを得ません。

 すでにご承知の通り、大嘗祭を稲の祭りとすることには大きな疑念があります。

 誤解の主因は情報不足です。天皇がみずからお務めになる宮中祭祀は、ローマ教皇の典礼とは異なり、公開を前提としない秘事とされてきました。

 室町期の才人・一条兼良による「代始和抄」は、「大嘗会は、一代一度の大神事なり」とした上で、もっとも中心的な大嘗宮の儀について、「秘事口伝さまざまなれば、容易く書き載すること能はず。主上の知しめす外は、時の関白、宮主などの外は、かつて知る人無し」と書いています。

 しかし誤解に誤解を呼んでいる現状では、事実を公開することがむしろ必要だろうと思います。「秘事」とされてきたのは、新帝が皇祖神ほか天神地祇と相対峙する神聖さの保持が目的であり、その目的のためには逆に正確な事実が示されるべきではないでしょうか。

 大嘗祭は、政府が理解しているような稲の祭りではありません。稲の祭りならば、宗教儀式→憲法の政教分離原則に抵触→国の行事にはできない、という論理が成立しますが、前提が違えば、当然、結論も変わります。

 大嘗祭が稲の祭りとされる根拠は神前に新穀の稲が奉られるからでしょうが、稲だけが供されるわけではありません。天皇の祭祀は、宮中三殿では稲だけですが、神嘉殿で行われる宮中新嘗祭、大嘗宮で行われる大嘗祭では、米と粟なのです。

 これらのことは実際、祭祀に携わっている人たちには常識というべきことですが、「秘事」ゆえに文献には現れません。

 赤堀又次郎が「その詳らかなることは貞観儀式に超えたるものなく」(『御即位及大嘗祭』大正4年)と解説する『貞観儀式』は、大嘗宮の儀の神饌御親供について、「亥の一刻(午後9時ごろ)、御膳(みけ)を供(たてまつ)り、四刻(10時半ごろ)これを撤(さ)げよ」と書いているだけです。

 明治42年の登極令附式も、「次に神饌御親供。次に御拝礼御告文を奏す。次に御直会」とのみ規定し、詳細な定めは省略されています。

 このため祭儀に携わる掌典職の人たちは、実際の祭式や作法について、先輩から口伝えに教わり、備忘録を独自に作成し、「秘事」の継承に務めてきたのでした。むろんこれらは公開されません。


▽3 なぜ米だけではないのか

 けれども、こうした備忘録は古くからあり、研究者たちによって広く知られるようになっています。そのひとつが京都・鈴鹿家の「大嘗祭神饌供進仮名記」です。

「次、陪膳(はいぜん)、兩の手をもて、ひらて(枚手)一まいをとりて、主上(新帝)にまいらす。主上、御笏を右の御ひさの下におかれて、左の御手にとらせたまひて、右の御手にて御はんのうへの御はしをとりて、御はん、いね、あわ(ママ)を三はしつゝ、ひらてにもらせたまひて、左の御手にてはいせんに返し給ふ……」(宮地治邦「大嘗祭に於ける神饌に就いて」昭和33年)

 毎年秋に行われる宮中新嘗祭も同様ですが、米と粟の新穀を神前に供せられ、みずから御直会をなさるのです。稲の祭りではありません。稲による宗教儀礼ではないのです。

 問題は米と粟による儀礼の意味です。現代人にとって、天皇による米と粟の祭りがいかなる意味を持つのか、です。なぜ米と粟なのか、なぜ米だけではないのか、粟とは何か、です。

 新嘗祭、大嘗祭が天孫降臨神話に基づく稲の祭りならば、賢所で皇祖天照大神に稲を捧げれば十分です。米だけではなく、粟が捧げられるのは、皇祖神だけが祀られるのではないからです。粟を神饌とする、稲作以前の神々が祭られるからではありませんか。

 稲作以前の神々とは、畑作の神であり、縄文以来の神々なのでしょう。天皇が「国中平らかに、安らけく」と祈るのは、水田農耕民だけを想定しているのではなく、焼畑農耕民の存在を意識し、前提としているはずです。

 もっとも古い新嘗祭の記録は『常陸国風土記』で、そこには「新粟新嘗」「新粟嘗」と記されています。古代の日本には粟の新嘗祭がたしかにあったのです。正月に米の餅を食べない「芋正月」が全国的に分布することも知られていますから、日本人を一様に稲作民族と呼ぶことはできません。日本列島には水田農耕民もいれば、焼畑農耕民もいたのです。

 粟を主要作物とし、粟の神霊を神聖視し、神々に粟の餅と酒を捧げて祈る焼畑民の平安をも天皇が祈るのなら、国と民を統合するお役目の天皇には、米だけではなく、米と粟の神事こそが相応しいでしょう。


▽4 統合の儀礼は国の行事に相応しい

 新嘗祭・大嘗祭は、天皇だけがなさる米と粟の儀礼であり、国と民をひとつの統合する国民統合の儀礼です。人々の信仰を平等に認め、国民の信教の自由を保証するものであり、これを年ごとに、そして御代替わりごとに行うことは、むしろ国の行事に相応しいといえませんか。

 宗教の違いが世界的な対立を誘発、激化させる現代において、天皇による米と粟の祭りの意義はますます大きく感じられます。

 政府は大嘗祭=稲の祭りとする解釈を改めるべきでしょう。宗教儀礼だから国の行事にできないという考えも改めるべきです。

 1日に一粒の米さえ口にしない日本人さえいるらしい現代ですが、だからこそ多様性のなかの統合を中心的に担ってきた天皇の祭祀について再検討する必要がありませんか。
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