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登極令に準じた即位大嘗祭の挙行をなぜ訴えないのか ──「周回遅れ」神社関係者の御代替わり論議 1 [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2018年9月17日)からの転載です

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登極令に準じた即位大嘗祭の挙行をなぜ訴えないのか
──「周回遅れ」神社関係者の御代替わり論議 1
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 全国約8万社の神社を包括する神社本庁の研究大会が8月下旬、國學院大學で開かれました。テーマは御代替わりです。

 尊皇意識が人一倍高いだろう関係者たちが真剣に研究し、意見交換しようとする姿勢には、心から敬意を表しますが、皇位継承を来春に控え、すでに政府の基本方針も定まり、概算要求の時期を迎えたときに、いまさら研究会ではないだろうと正直、思いました。

 対応があまりにも遅すぎるのです。まるで周回遅れのトラック競技を見ているようで、切なささえ感じます。リーダーシップをとれる人材がいないのでしょうか。もしいないのなら、育てるべきだし、それでも足りないなら、外部から招聘すべきです。

 神社本庁長老の上杉先生が最晩年、病室で私の手をかたく握り、「神社人を批判せよ」と遺言されたのを昨日のことのように思い出しつつ、以下、蛮勇をふるって、率直な感想を書かせていただきたいと思います。

 なお、これは神社界の「広報紙」(機関紙ではない)とされる「神社新報」9月3日号の一面トップに掲載された記事、つまり記者の目を通した二次情報に対するものであることをあらかじめお断りしておきます。もちろん、批判のための批判ではありません。


▽1 現状に関する報告

 一面の大半を占める記事によると、研究会は、「御代替わりに関する現状について」と題する浅山・神社本庁総合研究部長心得の報告で始まりました。

 報告のポイントは以下の通りです。

1、退位特例法の成立・公布のあと、神社本庁および関連機関が「基本姿勢」などをそれぞれ発表した。

2、宮務法について、歴史を踏まえて皇室の伝統を明文化したものであることに鑑み、失効しているとしても、現在も基本にするべきことを解説した。

3、特例法の「退位」は「譲位」とするのが適切である。宮務法に「譲位」はないが、光格天皇の例を参照すべきだ。

4、大嘗祭は、「一世に一度のきわめて重要な伝統的皇位継承儀式」などとする平成の御代替わりでの閣議口頭了解を、今回も政府が踏襲すると明記していることを確認した。

5、政府が大嘗祭を「公的性格・公的色彩を有するその他の行為」とし、新嘗祭など宮中祭祀が「それ以外のその他の行為」とされていると指摘し、「大嘗祭と新嘗祭の違いは何か。新嘗祭をどう考えるか」と指摘し、宮中祭祀の扱いについて声を上げていく必要を訴えた。


▽2 依命通牒をもしご存じなら

 よく分からないのは、突然、記事に現れる2の「宮務法」です。

 おそらく明治憲法下の登極令など皇室令を指すものと思いますが、そうなると「失効しているとしても……」が意味が通じません。

 たしかに日本国憲法の施行とともに、旧皇室典範以下皇室令は全廃され、宮務法の体系は失われましたが、当メルマガの読者ならご承知の通り、同日に宮内府長官官房文書課長名による依命通牒が発せられ、第三項「新しい規定ができていないものは、従前の例に準じて」によって、祭祀の形式などは守られてきました。

 平成3年に宮内庁高官がこの依命通牒について、「廃止の手続きを取っていない」と国会で答弁していますから、「失効しても、基本にすべき」ではなくて、当然、基本にされなければなりません。それが法治主義というものです。

 ただ、宮内庁は依命通牒の解釈運用を昭和50年に変更しています。平成の御代替わりが登極令そのままに御代替わりが進められなかったのはそのためでしょう。国会答弁では「三項と四項をあわせ読めば」と説明されています。

 浅山氏はそのことを指摘すべきだったと思います。もしご存じならば、です。

 3の「譲位」とすべしという主張はもっともですが、近代以降、譲位が認められてこなかったことについては、少なくとも記事には、指摘がありません。

 光格天皇の事例が参照されるなら、政府が進める退位と即位の分離などあり得ません。退位の礼などあり得ません。

 政府は、光格天皇の事例について検討しています。「貞観儀式」も参照していますが、きわめて不十分です。なぜか一条兼良の「代始和抄」は検討の対象にされませんでした。浅山氏はそこを指摘すべきだったでしょう。


▽3 大嘗祭とは何か

 4および5の大嘗祭についてですが、そもそも政府は天皇の祭祀を宗教的活動だと認識しており、ここに最大の問題点があると思われます。

 御代替わり全体が国事とはされず、大嘗祭は宗教的活動だけど、公的性格があるから公金(内廷費ではなく宮廷費)を支出するといっているに過ぎません。

 神社人は、御代替わりの諸行事すべてが国事であり、大嘗祭はもっとも伝統的な中心行事であることを訴えるべきでしょう。

 依命通牒が廃止されていないなら、登極令に準じて、附式に則って、即位大嘗祭は挙行されなければなりません。浅山氏はそこを指摘すべきではないでしょうか。

 また、浅山氏は、大嘗祭と新嘗祭など宮中祭祀の違いを指摘されましたが、宮中祭祀でも宮中三殿での祭祀と神嘉殿での新嘗祭では、祭神や神饌が異なります。三殿での新嘗祭と神嘉殿の新嘗祭でも神饌は異なります。

 とくに大嘗祭および宮中新嘗祭は、皇祖神ほか天神地祇に稲作民の米と畑作民の粟をともに捧げて祈る国民統合の国家的儀礼であって、宗教的活動の範疇を超えたものであることを主張されるべきではないでしょうか。

 宮中祭祀の扱いについて、「斯界が声を上げる」のは立派なことですが、祭祀の内容と意義についていっそう深く探求すべきでしょう。(つづく)
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