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粟が捧げられる意味を考えてほしい ──平成最後の新嘗祭に思う祭祀の「宗教性」 [宮中祭祀]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2018年11月25日)からの転載です

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粟が捧げられる意味を考えてほしい
──平成最後の新嘗祭に思う祭祀の「宗教性」
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 陛下はおととい、最後の新嘗祭を親祭になられた。感慨もひとしおだったに違いないと拝察される。それは「最後」だからではない。「簡略」新嘗祭だったからだ。

 報道によると、陛下は夕(よい)の儀の後半にお出ましになり、暁の儀にはお出ましにはならなかった。「健康上のリスク」への配慮とされる。

 日本書紀の仏教公伝のくだりや養老律令の神祇令、あるいは順徳天皇の「禁秘抄」に書かれてあるように、祭祀は天皇第一のお務めであり、歴代天皇はそのように信じて祭祀をみずからお務めになった。とりわけ新嘗祭は皇室第一の重儀とされたのだった。

 明治の改革で、天皇の祭祀は近代法的に整備された。敗戦後、掌典職は天皇の私的機関となり、昭和22年5月の日本国憲法施行に際して、皇室祭祀令はほかの皇室令とともに廃止されたが、宮内府長官官房文書課長の依命通牒により、祭祀令附式に定められる祭式は存続してきた。占領下も、社会党政権下でさえも、である。祭祀は天皇の聖域である。


▽1 側近によって曲げられた皇室の伝統

 天皇の祭祀が不当かつ無法な簡略化に甘んじることとなったのは、昭和40年代、入江相政侍従長の時代である。万年ヒラの侍従だった入江が、瞬く間に侍従次長から侍従長に駆け上がり、真っ先に取り組んだのが祭祀の「簡素化」(入江日記)である。

 香淳皇后や女官が抵抗したことが入江自身の日記に記録されているが、入江は皇室の伝統に忠実な女官を「魔女」呼ばわりし、追放している。このころ祭祀簡略化の名目は昭和天皇の高齢化だったが、半月にもおよぶ外遊をなさる天皇が高齢とはいえまい。真因は入江の祭祀嫌いと入江自身の加齢ではなかったか。

 祭祀の簡略化と改変は、無神論者を自称する富田朝彦の登場で促進された。次長時代の昭和50年8月15日の長官室会議で、平安時代以来の石灰壇御拝の歴史を引き継ぐ毎朝御代拝の祭式が変更された。依命通牒の解釈運用が側近によって、密室で、天皇・皇族への相談もなく、にわかに一方的に変更されたのである。

 同年9月1日以後、当直の侍従は装束ではなくてモーニングで、宮中三殿外陣ではなくて前庭の隅から、拝礼することとなったことが、『昭和天皇実録』にも説明されている。憲法の政教分離原則への配慮であったという。

 やがて昭和天皇の高齢化によって、文字通り祭祀は簡略化されていった。卜部日記には、それでも親祭にこだわる昭和天皇の痛々しいまでのお姿が記録されている。

 皇室祭祀令の附式には、幼帝の場合の対応が注意書きされているが、天皇の高齢化は想定されていない。

 祭祀簡略化の経緯を間近で御覧になっていたのが今上天皇である。30年前、皇位を継承されたのち、今上陛下は皇后陛下とともに、祭祀の正常化に取り組まれたらしい。即位以来、陛下は、皇室の伝統と憲法の理念の両方を追求されると繰り返し述べられている。

 平成の祭祀簡略化はご公務ご負担軽減策として始まった。渡邉侍従長らが昭和の先例を引き合いに陛下に打診したが、陛下はなかなか同意なさらなかった。ようやく在位20年を過ぎて、軽減策は実行に移されたが、いわゆるご公務の件数は減らず、祭祀のお出ましだけが半減した。

 そして新嘗祭が、昭和の先例に従い、簡略化された。陛下はさぞご無念だったことだろう。祭祀大権という言葉があるが、もはや実権は陛下の手中にはない。

 今回の譲位は陛下ご自身の御意思によって始まった。高齢となった場合の象徴天皇の務めについてのご懸念が背景にあるように説明されているが、祭祀のお務めへのご懸念だったのではないかと私は考えている。ビデオ・メッセージには「祈り」と説明されている。憲法への配慮から「祭祀」とは表現できなかったのであろう。

 悠久なる皇室の伝統より、最高法規とされる憲法が、明らかに優先されている。陛下は象徴天皇とは何か、ご公務とは何かを考えてほしいと、主権者とされる国民に、ビデオで訴えられたが、私たちは十分に応えているだろうか。


▽2 失われてしまった粟の文化

 天皇の祭りは、国民統合の祭りである。天皇の祭祀は宗教ではない。少なくとも、憲法が禁じる国による宗教的活動ではない。したがって国民の信教の自由を侵すはずはない。カトリック信徒が祭祀に携わっているとも聞くが、その何よりの証明ではないか。

 神嘉殿の宮中新嘗祭、大嘗祭の大嘗宮の儀では、米と粟の新穀が神前に手ずから供され、御告文ののち天皇は直会なさる。今上天皇の即位大嘗祭に携わった鎌田純一は『平成大礼要話』に、悠紀殿・主基殿の儀の「米と粟」を正確に記録している。

 一方、政府は30年前も、そして今回も、大嘗祭は「稲の祭り」だと解釈している。メディアも同様である。粟はどこへ消えたのだろうか。

 宮中三殿の祭祀は稲の祭りであるが、神嘉殿の新嘗祭は米と粟である。皇室第一の重儀は稲の祭りではない。稲だけではない。

 よく聞くように、斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅に基づき、稲作の神に五穀豊穣を祈るなら、稲の新穀で十分であろう。粟を捧げる必要はない。稲とともに、粟が捧げられるのは、粟の神、粟の信仰、粟の民の存在が、前提とされていると考えざるを得ない。

 柳田国男が書き残しているように、日本列島は必ずしも米作適地ではないし、日本民族は稲作民族ではない。柳田は稲作願望民族と表現している。水田稲作農耕民が神前に稲を捧げるように、畑作民は粟を捧げて祈る。文化人類学の知見によれば、台湾の先住民は粟をとりわけ神聖視し、粟の祭祀を行ったらしい。

 常陸国風土記には粟の新嘗のことが書かれてある。縄文人の直接の子孫といわれるアイヌは稗と粟を食し、酒には稗を用いるという。大正のころの日本人は稗や粟の酒をふつうに飲んでいたと聞くが、いつの間にか失われてしまっている。

 およそ天皇、即位したまわんときは、すべて天神地祇祭れ、と神祇令にある。それぞれの神祭りにはそれぞれの作法がある。民が信じるすべて神々に祈り、国と民を統合するには、天皇の祭りは複合祭祀にならざるを得ない。


▽3 御代替わりの祭祀について政府は検討していない

 来年は大嘗祭が行われる。

 わが国では、御代替わりごとに、大規模な国民統合の多神教的、多宗教的な国家的儀礼を行うことが古来、続いてきた。それは価値のないことだろうか。宗教的な対立が世界的に繰り広げられている今日、意味がないことだろうか。

 アメリカでは9・11同時テロの直後、「全国民の教会」といわれるワシントン・ナショナル・カテドラルで、各宗教の代表者も参加する多宗教的な追悼式が行われた。多宗教化は現代の潮流といえるが、皇室の伝統ははるかなる時代の先駆けではないのか。

 なぜ天皇は神々に粟を捧げ、神人共食されるのか、学問的な深まりが求められている。祭祀学、神道学、文化人類学など、米と粟の祭祀についての研究を、残念ながら私は読んだことがない。学問研究が時代のニーズに追いついていない。

 御代替わりは本来、全体として国事のはずだが、今回も大嘗祭は、その宗教性を理由に、皇室行事とされる。御代替わりの儀礼はかつては登極令附式に定められていたが、賢所の儀など関連する践祚の式について、今回、政府が検討した形跡はない。宗教性ゆえにである。

 陛下はどのような思いで、最後の新嘗祭に臨まれたのだろうか。何を思われ、来年の御代替わりをお迎えになるのであろうか。
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