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30年前と状況は変わっていない ──「周回遅れ」神社関係者の御代替わり論議 4 [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2018年12月16日)からの転載です

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30年前と状況は変わっていない
──「周回遅れ」神社関係者の御代替わり論議 4
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 この夏、御代替わりをテーマに、國學院大学で開かれた、神社本庁の研究大会の批判を続けます。今回は最終回です。

 その前に、前回のメルマガ(ブログ)のタイトルが誤っていました。正しくは「朝儀を復興させた近世と何でもありの現代の違い」です。失礼しました。

 さて、9月3日付神社新報の報道によると、浅山雅司神社本庁総合研究部長心得の報告、齊藤智朗國學院大学教授および松本丘皇學館大学教授の発題にひき続いて、共同討議が行われました。司会は茂木貞純国大教授で、まずコメンテーターとして武田秀章国大教授が発言しました。


▽1 「日本の伝統」とは何か

 武田教授は、前回の御代替わりを神社本庁職員として体験したこと、そのとき日本の伝統を評価する海外の声が多く聞かれたことを回想しました。

 そのうえで、御代替わりの諸儀式には「祈りの心、日本の国柄そのものがうかがえる」、「近代日本の建国神話の再現が近代の御代替わり」であるなどと解説しました。

 3点、指摘します、

 1つは、30年前の御代替わりは、けっしてよき先例ではないということです。

 前回の皇位継承は、昭和天皇の闘病と崩御に始まりました。武田教授もご存じのように、神社本庁では、陛下の平癒祈願のためタバコやコーヒーを断つ、尊皇意識に燃える職員が何人もいました。けれどももっとも肝心なときに、人には言えないような、純真な職員の努力を無にするような不祥事が起きました。しかし処分が行われたとは聞きません。

 もともと連盟方式で設立したのが神社本庁であり、人の和を尊ぶのは神社界のよき伝統ですが、よりにもよって重要な日に事件は起きたのです。臭いものにフタをする体質が、今日、世間的に指弾される醜態の原因となってはいないでしょうか。

 話はズレましたが、武田教授は何を「日本の伝統」とお考えなのでしょうか。宮内庁職員OBが証言しているように、当初は装束を着ることさえ高級官僚たちから強く批判されるありさまでした。平安期以来の践祚と即位の区別が失われるなど、多くの不都合も生じました。

 皇室の伝統を尊重して御代替わりの諸儀式を行うことができなかったのが前回の御代替わりであり、その悪しき先例を踏襲するのが今回の御代替わりです。そのことをなぜ指摘なさらないのですか。臭いものにフタせず、客観的、公正に歴史を評価すべきではありませんか。

 2点目は、御代替わりに現れている「日本の国柄」とは何を指すのでしょうか。

 釈迦に説法でしょうが、即位礼は唐風儀礼です。古代中国との交流のあと、いわばグローバル・スタンダードとして採用されたものです。世界基準の即位礼と国風儀式の大嘗祭がともに伝えられているということが「日本の国柄」だと仰せなのか、それとも別の意味なのでしょうか。

 唐風の即位礼が国の行事とされ、国風の大嘗祭が皇室行事とされるのは明らかに矛盾であって、「日本の国柄」とはほど遠いでしょう。

 3点目は、「建国神話の再現」という意味がよく分かりません。

 建国に際して、神勅にもとづいて、命の糧の稲がもたらされたという記紀神話を再現するのが、御代替わりの、とりわけ中心的な大嘗祭の意義だとお考えなのでしょうか。

 しかし、大嘗祭は稲の祭りではありません。大嘗宮の儀で、新帝が神前に供され、直会なさるのは、米と粟の新穀です。米だけではありません。

 神話だ、信仰だといえば、祭祀は宗教儀礼だということになり、憲法の規定に抵触する、国の行事にはふさわしくないという反対派の法論理を後押しすることにもなるでしょう。


▽2 「日本文化」とは何か

 武田教授はコメントのあと、さらに、次の御代替わりに際して、「神道に携わるものとして、どのような役割を果たしていけばいいか」と浅山、齊藤、松本三教授に質問しました。

 これに対して、浅山氏は、御代替わりという節目に際会した体験をしっかりと後世に語り継ぐこと、齊藤氏は、明治期に対外的なことを意識していたのを踏まえて、日本文化を対外発信すること、松本氏は、天皇の祭祀とそれを支える神社の公共性が重要であることなど、それぞれ回答がありました。

 2点指摘します。

 1つは、齊藤教授がいう、発信すべき「日本文化」とは何かです。御代替わりの諸儀礼は古代から続いていますが、歴史的変化も断絶もあります。とくに明治には近代法的に整備された一方で、大嘗宮の巨大化など国家主義的な変更が加えられています。

 前回は、アメリカを元祖とする日本国憲法の政教分離原則を優先する改変が行われ、今回はその悪しき前例が踏襲されることはすでに書きました。歴史的変遷を踏まえたとき、何をもって「日本文化」と理解されるのでしょうか。

 もうひとつは、松本教授のいう、天皇の祭祀と神社の祭祀との関係です。

 神社が天皇の祭祀を支えているというのは、具体的にどのような意味なのか、この記事では正確には読み取れません。全国の神社関係者が皇室をことのほか大切に思っていることは十分に理解されますが、尊皇意識はけっして神社関係者だけではありません。仏教徒もキリスト者も同様です。

 天皇の祭祀と神社の祭祀が直結していると仰せなら、違うでしょう。国全体を統合する天皇の祭りと地域や血縁の共同体、職能集団を前提とする各地の神社の祭りとは、基本的に異なるのではありませんか。


▽3 佐藤雉鳴氏の遺言に答えてほしい

 記事によると、フロアからも多くの質問等があり、最後にオブザーバーとして阪本是丸國學院大學教授が、「これまでの御代替わりは先帝の崩御が前提だった。平成の御代替わりは反天皇制との戦いだった」と回想したうえで、次のように語りました。

「『国家神道』云々を抜きにして、国民奉賛や神社奉幣などが天皇祭祀と直結していることを、堂々と話せる基盤が出来上がってきている。学問の深化や神社界の国民運動などによって、状況が変化している」

 たしかに、この30年で環境は変わりました。しかし手放しで喜ぶべき状況ではまったくないと私は思います。そして、問われているのは、30年前と同様、間違いなく「国家神道」です。その点では状況は変わっていないと私は思います。

 ある民族運動家の証言によれば、30年前、左翼陣営は、御代替わりを天皇制打倒の最大のチャンスとみて、あらゆるネットワークを動員し、あらゆる手をつくして取り組んだのでした。しかし「反天皇制」の目論見は成功しませんでした。

「天皇なんて、要らない」という彼らの主張はたしかに潰えましたが、天皇はいかにあるべきかという異なる次元の根本的問いかけが、天皇制の非伝統化、形骸化をもたらそうとしているのが現状ではないでしょうか。女系継承容認=「女性宮家」創設論議がまさにそれです。「戦い」はまだまだ終わっていません。

 今回の御代替わりは、象徴天皇のお務めとは何か、という今上天皇の問いかけに始まりました。ビデオ・メッセージには「祈り」はありますが、「祭祀」はありません。日本国憲法は、天皇は国事行為のみを行うと規定し、祭祀は国事行為とはされていません。天皇第一のお務めである祭祀は法的には天皇の私事とされています。

 それは結局、アメリカが戦前・戦中から軍国主義・超国家主義の源流と考えたらしい国家神道論を克服できていないからでしょう。アメリカは何を「国家神道」と考え、天皇の祭祀を私事に貶めたのか、満足のいく研究成果を、残念ながら私は読んだことがありません。

 研究者たちはいつまで経っても明治の歴史ばかりを追いかけ、本格的なアメリカ研究に取り組もうとはしません。阪本教授もその一人なのではありませんか。葦津珍彦はアメリカを研究目標と見定め、渡米し、調査を行いましたが、遺志を引き継ぐ人を私は知りません。

 以前、当メルマガ(ブログ)は、在野の研究者・佐藤雉鳴氏の「国家神道とは何だったのか」「神道指令とは何だったのか」「人間宣言とは何だったのか」を掲載しましたが、阪本教授は佐藤氏の遺言ともいうべき問いかけに応えることを拒否しています。

 いまからでも遅くはありません。お考えを改めていただくようお願いします。そうでなければ、御代替わり諸儀礼のみならず、宮中祭祀の正常化は当分、望めないでしょう。
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