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葦津先生は「神社本庁イデオローグ」ではない!? ──葦津珍彦vs上田賢治の大嘗祭「国事」論争 2 [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2019年1月30日)からの転載です

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葦津先生は「神社本庁イデオローグ」ではない!?
──葦津珍彦vs上田賢治の大嘗祭「国事」論争 2
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 昭和天皇の晩年、次の御代替わりが間近に予感されるなか、宗教専門紙の中外日報(昭和59年2月10日付)に、「皇室の祭儀礼典論──国事、私事両説解釈論の間で」と題する葦津珍彦先生の論考が掲載されました。

 一部ではいまも、これが「大嘗祭公事論」と認識され、葦津先生は大嘗祭を「国事」ではなく、「公事」とする法解釈を、掛け値なしに主張されていたと理解されているようです。

 しかし私はこの理解は間違いだろうと考えています。たしかに一読するとそのように読めるのですが、葦津先生は直球派の投手というより、むしろレトリックを多用される技巧派の文章家でした。前回、書きましたように、書斎の研究者でもありません。字面だけで、「大嘗祭公事論」と読むべきではないと私は思います。

 それならどう読むべきなのでしょうか。

 結論からいえば、論争相手とされる上田賢治國學院大学教授とあらかじめ示し合わせたうえで、内閣法制局が反対し、斎行さえ危ぶまれていた御代替わりの最重要祭儀である大嘗祭に関して、「国事」とするのか否か、議論を強く喚起しようとはじめから計画されたのだろうと私は推理しています。


▽1 神社新報ではなく中外日報に書いた理由

 理由の1つは、前回も触れたように、発表の媒体が、先生のホームグランドである、神社新報ではなかったということです。

 もし先生がもっぱら私的な見解ではなく、ある程度、公的見解の色彩をもって、「公事論」を主張したいのなら、先生が生涯、事実上の主幹を務められた同紙に書くべきでしょう。そうすれば、神社界唯一の専門紙である同紙の媒体力と相俟って、神社関係者による見識ある定説として、内外に読まれることになったでしょう。

 しかしそうはなさらなかった。そのように読まれることを嫌い、後述するように、あくまで一私見だと、くどいほど断られたのは、自身をあえて部外者的な立場に置いて、迫りつつある御代替わりのあり方について、関係者の問題関心を呼び起こそうとされたのではないでしょうか。

 神社関係者のなかには、「国事」論が根強いことを十分に承知されたうえで、関係者相互の無用な対立を避けつつ、大嘗祭が法的にどのような地位にあるべきか、理性的な議論を、外部から、一定の距離を置きつつ、巻き起こそうとされたのではないかと私は考えます。

 さらには、大嘗祭の斎行を阻んでいるような、政府関係者を含む、反神道的勢力に対して、理論的に挑戦しようとされたのでしょう。単に神社関係者の意見ではないという姿勢を示すには、仏教関係者に深く浸透している中外日報に発表することは、大きな意味があったはずです。

 理由の2つ目は、文章の書き方です。

 中外日報の論考はじつに不思議な構成で書かれています。タブロイド新聞の3ページにまたがる長文の記事のうち、最初の1ページは、神社本庁が創設された昭和21年2月以来の38年間の懐旧談に費やされ、本論とはおよそ無関係なテーマが取り上げられています。

 どういうわけか、葦津論文および大嘗祭論争をきわめて詳しく伝える岩井利夫・元毎日新聞記者の『大嘗祭の今日的意義』(昭和63年)には、この前振りについて何ら言及がありません。もしかしたら、よく知っているからこそ、書かなかったということでしょうか。


▽2 神社本庁の公的見解と葦津先生の思想との違い

 導入部分を箇条書き風に列記すると、以下の17項目になろうかと思います。

1、神社本庁の創立には、いまは亡き先人たちの非常な苦労があった。本庁は大同を求めて創立したもので、一定のプランで創立されたのではないので、当然、未解決の問題を残したままの発足だった。

2、その後の歩みについて、私(葦津。以下、同じ)は多少の運営もし、密接な言論機関としての神社新報の一記者もした。記者はすでに退社したが、本庁の教学委員の1人として昨年9月まで関係し続けてきた。

3、将来の本庁のことは、新時代の人々の努力に待つべきで、老骨の私などが駑馬の弁を振るうときは過ぎたと思い、「過去のことは書いても、将来のことは論ずまい」と言って、教学委員も辞した。

4、中外日報の編集者が、しきりに「過去のことでもいいから」と勧めるので、一文を書く。

 以上のような書き出しのあと、大嘗祭について書き始めるのかと思いきや、そうではありません。先生はやおら、「私は本庁のイデオローグではない」と説明し出すのでした。

5、世間で、神社本庁を批判する人々のなかに、「本庁の代表的イデオロギー」として私の過去の論文を引用する人がいる。私は熱心な本庁支持者の1人ではあったが、私の理論が本庁の代表的なものだったわけではない。

6、その間の事情を明らかにしておくのは、有意義だと思うので、本庁の公的理論と私の思想との異同について書いておく。

 こうして、本論はあくまで私見だとする主張の伏線が敷かれるのです。

 私見の発表だとすると、神社新報ではなく、中外日報の編集者の誘いは絶好の機会を与えるものとなりました。しかしその原稿依頼もまた、アウンの呼吸があったと想像するのはうがち過ぎでしょうか。


▽3 長ったらしい弁明の意味

7、本庁の創立について、私は神社連盟案を提案した。民法上の社団または財団の法人格を有すべきで、宗教法人になるのは好ましくないと提案した。また、勅祭社とくに伊勢の神宮は皇室の所管として維持されるべきで、神社連盟の圏内に入るべきものではないと提案したが、2つとも否定された。

8、本庁創立に際して、私の進言で採択されたのは、「固定教義を持つべきではない。開放的な性格の組織構造を立てるべきだ」ということだけだった。

9、神道指令は全神社に対して国家との分離を命令したが、すべて宗教教団になれと命じたわけではない。これは米軍当局が「すべての神社は宗教である」と断定する理論を憚ったからだ。

10、私は、神社が公法人としての存続を否定されても、民法上の「祭祀目的」の財団法人となる方がよほど条理が立つと思った。米国務省は神社問題を研究し、少なくとも明治維新後に創立された神社は、宗教信仰の場として認めがたいものが多いと結論しているが、私も同感だ。

11、しかし神社本庁参加の神宮神社はすべて宗教法人となった。占領時代の政治状況に敏感な指導者が「宗教法人への道を選ぶのが存続上円滑である」と判断したからだと思う。これは時務対策としては賢明だったかと思うが、その後の混乱の1条件となったのではないかと思う。

12、伊勢の神宮も宗教法人の道を選んだ。私の理論では、皇室が親しく祀られた神宮と、国民が自然成長的に祀りをしてきた神社とは異質だと信じたが、そのころ皇室経済の解体を進めていた当局との関係などから、政治的配慮で決断されたものらしかった。

13、しかし一般の神社と同じには扱いがたいので、「本宗」とした。「本宗」は別格との庁規の定めができたが、概念は示されなかった。ムードは諒解できたが、確たる理論は私には分からなかった。

 中外日報にこれから書くことは個人的見解に過ぎない、とひと言、触れれば足りるはずなのに、葦津先生はくどくどと書き連ねています。引用するのもイヤになるほどですが、先生はむしろ長ったらしい弁明に意味があるとお考えなのでしょう。そこまで論証しなければ、とくに部外者には、私見だとみなされず、誤認されるということなのでしょう。


▽4 過去の事実を語ると断ったのに

14、ともかく「全国の神社」をお守りしようとの大同的心情に同感して、多数の諮問委員の1人として、多少のおつとめをした。進言の多くは顧みられなかったことも多々あり、近年はさほど意味ある進言もしていない。これがありのままの本庁と私の間の真相である。

15、にもかかわらず「本庁のイデオローグ」といわれるのはおかしい。その理由として、やや思いついた。本庁の代表者は慎重を期して個人的な見解でも表明しない。一方、私はあれこれと論じたことが少なくなかった。しかも神道嫌いの人たちを刺激した。それで葦津の個人的私見を本庁イデオロギーと即断されたのかも知れない。この誤認だけは解消しておきたい。

16、ここでは中外日報の編集者からとくに質された「皇室祭儀の問題」についての私見を述べてみたいが、これはけっして本庁イデオロギーではない。

17、本庁関係者には、この問題についての関心は非常に深いが、葦津理論とは反対の理論者も少なくない。私は、過去において、本庁関係者の間に、2つも3つも、異なる理論があったという事実と私見を述べる。

 以上のような長い長い前置きがあり、ようやく葦津先生は皇室の祭儀、とくに大嘗祭について書き始めるのでした。将来のあり方について、ではないと何度も否定されているものの、目前に迫ってきた御代替わりを見据えた議論でないはずはありません。まさに葦津先生特有のレトリックです。

 そして当然のごとく、そして先生が意図していたとおり、論争は始まりました。

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賢所の儀は何時に行われるのか? ──いつまでも決まらない最重要儀礼 [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2019年1月20日)からの転載です

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賢所の儀は何時に行われるのか?
──いつまでも決まらない最重要儀礼
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 先週17日に官邸で式典委員会が開かれ、翌18日には宮内庁で大礼委員会が開かれました。政府は御代替わり関連の諸儀式の次第などを決めました。

 これによると、退位礼正殿の儀は4月30日の夕刻午後5時に開始され、践祚後の剣璽等承継の儀は翌5月1日の午前10時30分から、即位後朝見の儀は同11時10分から執り行われることに決まりました。


▽1 悪しき前例となる「退位の礼」

 退位礼正殿の儀は、以下のように行われます。

天皇陛下が午後5時、皇后陛下を伴われ、正殿松の間にお出ましになります。
このとき、侍従が剣璽等を捧持し、皇太子殿下ほか成年皇族方が供奉されます。
侍従が剣璽等を案上に奉安します。
モーニングコート、紋付羽織袴などで正装した三権の代表者、地方公共団体の代表などが、ロングドレスや白襟紋付などで正装した配偶者とともに参列するなかで、
総理大臣が国民代表の辞を述べ、
陛下がお言葉を述べられます。
このあと皇后陛下を伴われて退出され、
このとき侍従が剣璽等を捧持し、皇太子殿下ほか成年皇族が供奉します。

 以上の次第が決まった退位の礼ですが、もともと退位の礼などというものは歴史的にあり得ません。政府が、皇室の伝統にない、前代未聞の退位の礼なるものを、即位の礼があるなら退位の礼あるべしとして創作し、その結果、譲位(退位)と践祚(即位)を分離してしまったのは痛恨のミスといえます。

 たとえば御代替わり儀礼についてもっとも詳しいとされる貞観儀式は「譲国儀」を定めていますが、譲位の儀式がすなわち践祚(皇位継承)の儀式なのです。なぜ譲位と践祚を一体の儀式として行おうとしないのか。以前書いたように、政府・宮内庁は「譲国儀」の古典解釈を誤り、歴史に禍根を残す、悪しき前例を作ってしまいました。

 問題点の1つは、皇位とともにあるべき剣璽の所在です。5月1日午前0時の践祚の前後に剣璽はどこにあるのでしょうか。


▽2 退位の礼後、剣璽はどこへ?

 前日午後5時に退位礼正殿の儀が設定されたのは、退位の時限である午後12時になるべく近い時間という理由でしょうが、天皇とともに動座される剣璽は、儀式の後、翌日の剣璽等承継の儀が開始される時刻まで、どこへ遷るのでしょうか。

 陛下とともに御所に戻るのか、それとも東宮に遷るのか、それともいったん賢所に遷るのか。

 いずれにしても、剣璽は皇位とともにあるという皇室の伝統にそぐわない状況が約17時間、発生することになりませんか。

 問題点の2は、祭祀上、もっとも重要な、神鏡が祀られる賢所の儀は、何時に行われるのでしょうか。

 退位礼の当日に退位礼を行うことについて大前に奉告する賢所大前の儀、践祚当日から3日間にわたって、新帝が皇位の継承を奉告する賢所の儀のいずれも、政府・宮内庁の資料にはいまだ言及がありません。政教分離の厳格主義に固執する政府は、賢所の儀ほか祭祀に関して、検討すらしていません。

 今回の御代替わりは、陛下が参与会議で「私は譲位すべきだと思っている」と御意思を示されたことから始まったとされます。以後、退位の認否に議論は集中し、そのため践祚のあるべきかたちについての議論は二の次になり、政府の非宗教的姿勢と相俟って、真っ先に検討されるべき祭祀に関する検討は逆に後回しになっています。

 本来なら、践祚を奉告する賢所の儀は剣璽渡御の儀と同時に行われるべきでしょう。

 200年前の光格天皇の譲位では、「今日より三箇日、内侍所神饌供進」と記録されています。登極令に基づく昭和の御代替わりでは、大正天皇崩御の1時間50分後に賢所の儀と剣璽渡御の儀が同時に行われました。登極令附式を準用した前回の場合は、昭和天皇崩御の1時間半後に賢所の儀、さらに1時間半後に剣璽等承継の儀が行われました。

 登極令附式を準用するなら、朝見の儀は3日間の賢所の儀が済んでから行われるべきです。昭和の御代替わりでは大正天皇崩御の4日後、前回は昭和天皇崩御の3日後、いずれも賢所への奉告が終了の後、国民の代表にまみえる朝見の儀は行われました。「神事を先にし」(禁秘抄)が皇室の伝統だからです。

 政府は、憲法の趣旨に沿い、かつ皇室の伝統を尊重し、さらに平成の前例を踏襲することを基本方針として掲げていますが、今回はどうなるのでしょうか。


▽3 御親拝か御代拝か

 問題点の3は、賢所の儀は御親拝か御代拝か、です。

 昭和の御代替わりも、平成の御代替わりも、諒闇践祚でしたので、践祚後の賢所の儀は御代拝でした。しかし、今回は受禅践祚なので、服喪の縛りはありません。

 とすれば、5月1日午前10時半からの剣璽等承継の儀の前に先立って、新帝の御親拝があってしかるべきですが、宮内庁の資料では御代拝とされています。

 今回、新例となる、4月30日に退位を奉告する賢所大前の儀は、宮内庁の資料には御代拝とはされていませんが、逆に、今上陛下みずから拝礼なさるのでしょうか。

 御親拝がはるかにふさわしいとは思いますが、それならそれで今度は、践祚後の新帝による賢所の儀の御代拝とバランスが取れなくなってしまいます。

 退位の礼などという新例を開いたことがつくづく恨めしく思われます。

 なぜこんなことが起きるのでしょう。

 以前、「昭和天皇の忠臣」と呼ばれた宮内庁OBのインタビュー記事で明らかにしたように、昭和40年代以降、宮内庁は藩屏どころか、すっかりふつうの役所になり、皇室の歴史や祭祀の伝統を知る人は姿を消してしまったのでしょう。政界、官界、アカデミズム、ジャーナリズムの世界にも、政府に意見できるような識者がいなくなってしまったということなのでしょう。天皇=祭り主とする天皇観は事実上、崩壊してしまったのです。

 尊皇意識に優るはずの保守派人士が、陛下のビデオ・メッセージのあと直ちに、あるべき御代替わりを求めて、研究を深め、発信してこなかった不作為の責任がいまさらながらに問われます。きびしく問われなければなりません。
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靖国訴訟原告団が作成したパンフレット序文の「偽善」 ──御代替わり儀礼違憲訴訟はどこまで正当か 2 [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2019年1月4日)からの転載です

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靖国訴訟原告団が作成したパンフレット序文の「偽善」
──御代替わり儀礼違憲訴訟はどこまで正当か 2
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 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。


▽1 正面から向き合い、学ぶ姿勢は立派

 さて、昨年12月、御代替わり儀礼違憲訴訟を東京地裁に提訴した市民団体の言い分は妥当なのか、吟味を続けます。

 前回は、提訴の前に13人の「呼びかけ人」が原告団への参加を広く一般に募った「委任状」の文章を材料に、原告らが、古来の天皇のあり方を否定し、日本国憲法の規定に厳格な解釈・運用を要求していること、天皇は国事行為のみを行う特別公務員だと考えていること、即位礼・大嘗祭は政教分離・主権在民主義に反するから、「生前代替わり」に税金は支出されるべきではないと主張していること、などを紹介し、若干の批判を加えました。

 今回から、もう少し詳しく、その考え方を検討してみます。御代替わりはどのようなものと考えられ、批判されているのでしょうか。

 訴訟グループのサイトを見ると、原告たちが、首相の靖国参拝訴訟や天皇制反対派と直結していることが容易に理解されます。ネットワークが直接にリンクされているからですが、そればかりではありません。

 この靖国訴訟の原告たちが作成した、御代替わりをテーマにした、色鮮やかな表紙のパンフレットが目を引きます。タイトルはズバリ、「即位・大嘗祭Q&A 天皇代替わりってなに?」です。A5判並製で40ページ。一部300円で販売されているほか、PDFファイルが簡単にダウンロドできるようになっています。

 訴訟グループは表裏一体なのでしょう。とはいえ、靖国訴訟の原告たちが、天皇および天皇制について正面から向き合い、学び、分野が異なる御代替わりについて、まとまったパンフレットを作製し、一般市民の便宜を図っているのは、たいへん立派で、感心します。

 心から敬意を表しつつ、さっそくダウンロードし、中身を拝見することにします。


▽2 Q&A形式で16項目にわたって解説

 表紙には「即位・大嘗祭Q&A 天皇代替わりってなに?」というタイトルが横書きで大きく示されています。「御代替わり」ではなく、あくまで「代替わり」です。タイトルの下に、パンフレット制作者である、靖国訴訟の原告たちの東京事務局名が記載され、その下に訴訟の横断幕を掲げ、裁判所に向かう原告と思われる十数人の男女の写真が載っています。個人名は見当たりません。

 表紙をめくると、まずパンフレット作成の意図を説明する序文があり、そのあと、以下のように16項目にわたって、Q&A形式で、関連写真も挿入しながら、御代替わりについて解説されています。煩瑣をいとわずに、そのまま書き出します。

1、「代替わり」ってなに?
2、政教分離ってなに?
3、「即位の礼」ってなに?
4、「大嘗祭」ってなに?
5、「現人神」ってなに?
6、即位礼・大嘗祭訴訟ってなに?
7、悠紀田、主基田ってなに?
8、「三種の神器」ってなに?
9、宮中祭祀ってなに?
10、国家神道ってなに?
11、天皇と靖国神社の関係ってなに?
12、「慰霊」ってなに?
13、「改元」ってなに?
14、天皇の「ご公務」ってなに?
15、「女性天皇問題」ってなに?
16、「祝日」ってなに?

 テーマがじつに網羅的で、問題関心の幅広さに感服します。御代替わりのみならず、靖国問題や女性天皇論、祝日まで取り上げられています。保守派でもここまで広範囲な知識を備え、コンパクトに、しかも平易に整理できる人はめったにいないでしょう。人材のレベルの高さを感じさせます。保守派は原告らに学ぶべきではありませんか。

 最後のページには、日本国憲法の関係条文、平成の御代替わりの諸儀礼が一覧表にまとめられています。懇切丁寧です。

 奥付によると、第一刷の発行は2017年4月で、現在は同年5月発行の第二刷です。提訴の半年以上前から準備されていたことになります。計画的に進められているということでしょう。周回遅れの議論で後手に回る保守派は、これまた謙虚に学ぶべきではありませんか。


▽3 憲法が禁じる「国の宗教的活動」か

 序文を読んでみましょう。出版の目的です。

 冒頭で、作成者の靖国訴訟原告団は、安倍首相靖国神社参拝訴訟の経緯について簡単に説明したあと、「ところで」と話題を「明仁天皇」の「生前退位」に転じます。

 筆者はまず、議論の輪に加われないでいる不満を表明しています。

 すなわち、「国会での議論がおこなわれる前に、早くも2018年中の退位と新天皇の即位、それに伴う『即位の礼』、新元号の制定、2019年秋の『大嘗祭』というぐあいに、『代替わり』の儀式をすることが、決まった話のように進んでいます」という状況だからです。

 筆者には、日本国憲法に基づき、国会で議論されるべきだという信念があるのでしょう。国民主権下においては、御代替わり儀式は天皇・皇室の儀礼ではない、という認識になります。

 つづけて筆者が書き進めているように、「天皇制は『国民主権』原則にたつ日本国憲法で規定された国家の制度です」という理解です。

 それなら、御代替わり儀礼とはどのようなものと考えられているのか、といえば、前回も説明したように、「宗教」なのでした。

「即位にともなういくつかの儀式や『大嘗祭』などは、まぎれもない宗教的な儀式です」

 したがって、単純明快に「違憲」と考えられています。

「政府は特別会計を組んで、それらを公的な儀式として行おうと考えているようですが、これは国の宗教行為を禁じた憲法第20条(国及びその機関は、いかなる宗教的活動もしてはならない)などに対する明白な違憲行為です」というわけです。

 しかし「宗教行為」「宗教的活動」「宗教的な儀式」は同じではないと思われるし、御代替わりの儀礼が憲法が禁ずる「国の宗教的活動」に当たるかどうかは議論を要するでしょう。


▽4 もし厳格主義にこだわるなら

 憲法は宗教の価値を否定しているわけではありません。むしろその逆です。宗教的存在である人間の価値を認め、信教の自由を保障しているのです。憲法を制定した「国民」は、無神論者ではありません。したがって、従来の解釈・運用も政教分離の厳格主義を採用してはいません。

 もしどこまでも厳格主義でなければならないとするなら、政府主催の戦没者追悼式も、各地にある公立墓地も否定されなければなりません。誰もそんなことは考えていません。

 原告団にはキリスト教の牧師先生もおられ、所属教会に原告団の事務局が置かれているようですが、もし本気で厳格主義を貫かれるなら、キリスト教主義学校への補助金は、憲法の公金支出禁止の条文に従って、返納されるべきだし、長崎県などが行政をあげて推進した潜伏キリシタン関連施設の世界遺産登録は振り出しに戻されなければなりません。

 もし厳格主義者なら、そのように主張され、提訴すべきです。そうでないなら、「なぜ、兄弟の目にある塵を見ながら、自分の目にある梁を認めないのか」とイエス・キリストが批判した「偽善者」となってしまうでしょう。憲法の大原則「法の下の平等」にも反するダブル・スタンダードです。

 パンフレットは最後に、政教分離問題こそがパンフレット作成の目的だと説明しています。

「安倍靖国参拝訴訟の論点の1つは、まさしくこの、『国が特定の宗教と結びつく』政教分離問題にありました。天皇の『代替わり』がマスメディアを賑わすなかで、天皇代替わりに関する政教分離問題に対する指摘が余りに少ないことを、私たちは懸念しています」

 筆者すなわち原告たちは、靖国訴訟も大嘗祭訴訟も、政教分離問題が中心的論点だと指摘します。御代替わり儀礼は「国の宗教的活動」に当たるのか、「特定の宗教」といえるのか、が争われるということになりますが、当メルマガの読者なら周知の通り、否でしょう。

 どうしても御代替わりを非宗教化したいと仰せなら、原告のお一人である牧師先生にぜひお願いしたいと思います。隗より始めよ、イギリスはじめヨーロッパの王制国家の、キリスト教と密接不可分に結びついた王位継承儀礼の非宗教化に、まず取り組んでいただけないでしょうか。アメリカ大統領の、ワシントン・ナショナル・カテドラルでの就任ミサの違憲訴訟を呼びかけていただけないでしょうか。御代替わり儀礼だけが非宗教化されなければならない理由はありません。

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