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問われているのは民主主義のあり方だ ──御代替わり儀礼違憲訴訟はどこまで正当か 3 [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2019年3月24日)からの転載です

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問われているのは民主主義のあり方だ
──御代替わり儀礼違憲訴訟はどこまで正当か 3
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 ずいぶんご無沙汰ですが、昨年暮れに御代替わり儀礼違憲訴訟を東京地裁に提訴した市民団体の言い分は妥当なのか、検証を続けます。誤りがあるなら、何が原因なのか、深く掘り下げるのは意味があることだと、私は考えています。

 ご存じのように、この訴訟は裁判所によって二分され、国費支出の差し止めに関しては、門前払いとなりました。東京地裁は口頭弁論も開かないまま、2月上旬、納税者として支出差し止めを要求できるとする原告側の主張に対して、憲法はそのような権利を保障していないとして、却下しました。

 他方、損害賠償の請求に関しては、2月下旬に口頭弁論が開かれ、裁判が進められています。


▽1 何が「明らか」なのか?

 前回は、原告団が作成しているパンフレットの序文について、考察しました。今回は「Q1 『代替わり』ってなに?」です。

 パンフレットは、天皇が交代することが「代替わり」であること、近代天皇制では天皇の死によってしか「代替わり」があり得なかったことなど、皇位継承の基本について、表現がきわめて無機質的であることをのぞいて、正しく理解されています。

 トーンが変わるのはこのあとで、前回の御代替わりについて説明し、「『大喪の礼』と『剣璽等承継の儀』『即位後朝見の儀』『即位礼正殿の儀』は国事行為として行われ、また皇室行事として行われた『大嘗祭』にも国の特別予算が支出されるなど、明らかな政教分離違反が行われました」と述べられています。

「明らかな政教分離違反」とはいうものの、何が「明らか」なのか、あまりにも舌足らずで意味不明です。

 序文では、御代替わり儀礼のうちのいくつかが「まぎれもない宗教的な儀式」とされ、したがって「違憲」と指摘されていました。憲法は「国はいかなる宗教的活動もしてはならない」と規定しているからでしょうが、御代替わりの諸儀式、とくにQ1で例示された儀式が、憲法の禁ずる「宗教的活動」に該当するか否かは議論が必要です。けっして「明らか」とはいえません。

 たとえば、占領中に行われた貞明皇后の大喪儀は準国葬と位置づけられましたが、このときの事情について、昭和35年1月、内閣の憲法調査会第三委員会で、宮内庁の高尾亮一・造営部長は次のように証言しています。

「当時、占領下にありましたので、占領軍ともその点について打ち合わせを致しました。ところが、占領末期のせいもありましたが、占領軍は、喪儀については、宗教と結びつかないものはちょっと考えられない。そうすれば国の経費であっても、ご本人の宗教でやってかまわない。それは憲法に抵触しない、といわれました。貞明皇后の信仰が神道であったならば、神道でやり、国の行事として、国の経費をもって支弁していっこう差し支えない、という解釈を下したことがございます」


▽2 キリストの教えに反しないか

 占領軍は「国家神道」を敵視しましたが、占領後期になると宗教政策も一変し、皇室の祭儀を「憲法違反」などと否定してはいません。むしろ存続を認めました。

 憲法は宗教の価値を否定してはいません。むしろ逆です。原告団にはキリスト者もいるようですが、まさか宗教の価値を否定したいのでしょうか。自己矛盾に陥っていませんか。

 パンフレットのQ1は続けて、前回、「コンサート・芸能などの『自粛』キャンペーンや天皇批判の言論への右翼テロや政治弾圧など、民主主義の根幹に係わる問題も多く発生しました」と厳しく指摘しています。

 皇位の継承が行われる御代替わりは国家の最重要事のはずですが、原告たちにはその認識が欠けているようです。原告団にはキリスト教の牧師先生が参加され、それどころか原告団の事務局は所属する教会に置かれているようですが、キリスト教世界の君主制国家では「自粛」はないのでしょうか。

 数年前、プミポン国王が亡くなって、タイの国民は深い悲しみに暮れましたが、不健全なことなのでしょうか。

 カトリック教会の場合は、人間は指導者を尊敬する義務がある、共同体には権威が必要である、と教えています。先帝崩御の悲しみ、新帝即位の喜びを共有しようと思わないなら、キリストの教えに反しないでしょうか。

 原告たちには、天皇が日本の国と民にとって、歴史的な最高の権威であるというような認識はまったくないようですが、それは原告たち自身の、日本の歴史に対する理解度の問題ではないのでしょうか。

 また、前回は、指摘された「右翼テロ」のほかに、過激派による忌まわしいテロ活動が起こりましたが、Q1には言及がありません。「民主主義の根幹に係わる問題」とは考えないということでしょうか。図らずもテロリストたちとの思想的共通性を浮き彫りにします。


▽3 天皇制は民主主義より劣るのか

 Q1は最後に、今回の御代替わりの経緯について、「民主主義が問われてい」ると批判しています。

「明仁天皇の『生前退位』によって、天皇の死によるのではない『代替わり』が始まっ」たことについて、「天皇自身がそれを発意し、さまざまな意見の違いはあっても、まわりが天皇の意思を忖度して動くことは当たり前になってい」るのは、「国の制度である天皇制が何であるかを決めてよいのは天皇ではありません」というわけです。

 いまだに「生前退位」という表現をとるのは驚きですが、それはともかく、今回の御代替わりは、陛下が「私は譲位すべきだと考えています」と参与会議でおっしゃったことが発端といわれます。

 しかし、現在の法制度では「譲位」は認められておらず、同時に憲法は天皇の「国政に関する権能」を認めていません。このため国会が決議した特例法による「退位」が実現することになりました。

 国会では、衆院は自由党をのぞいて全党賛成、参院では全会一致で特例法が可決されましたが、それは政治家や国民の「忖度」の結果でしょうか。「忖度」だとするなら、「忖度」を導いている背景には何があるのでしょうか。

 憲法は、天皇の地位について、「主権の存する日本国民の総意に基づく」と定めていますが、その国民とは現在、この世に生を享ている国民に限られるべきではありません。憲法は皇位の連続性、国の永続性を認めています。問われているのは逆に民主主義のあり方です。

 古来、天皇は国と民のために祈ることを第一のお務めとされてきました。ご自分が統治する国に飢えた民が1人でもいるのは申し訳ないとのお思いから、毎食ごとに行われた「さば」の行事もありました。民のために祈り、民と命をも共有する天皇のあり方は、多数決原理によって、ときに国を二分させる民主主義より劣る、と原告たちは考えるのでしょうか。

 キリスト者である原告の1人は、かつて天皇の名のもとに戦争政策に協力させられた歴史を批判しているようですが、もっと長い歴史に目を向けてほしいものです。

 天皇の歴史がすべて良かったわけではないけれども、一時の不幸な時代を根拠にすべての歴史を否定すべきではありません。忌まわしい大航海時代の悲劇をもって、キリスト教の歴史を全否定すべきでないのと同じです。

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「退位の礼」はどうしても必要なのか? ──退位と即位の儀礼を別々に行う国はあるだろうか [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2019年3月10日)からの転載です

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「退位の礼」はどうしても必要なのか?
──退位と即位の儀礼を別々に行う国はあるだろうか
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 先週8日、宮内庁の大礼委員会が開かれ、今上陛下の譲位(退位)に関する諸儀礼の式次第が決まった。もっとも重要なはずの賢所大前の儀はずっと後回しにされてきたが、ようやく4月30日午前10時から斎行されることに定まった。

 ということで、あらためて退位の礼について考えてみたい。


▽1 歴史に存在しない「退位の礼」

 大礼委員会の決定によれば、譲位関連の儀式は、3月12日の「賢所に退位およびその期日奉告の儀」に始まり、4月30日の「退位礼当日賢所大前の儀」「退位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」「退位礼正殿の儀」まで、11の儀式が行われる。

「正殿の儀」のみが「国の行事」、すなわち天皇の国事行為として行われ、ほかは皇室行事となる。いずれにしても、過去の歴史にない新例である。

 4月30日当日の流れを大まかに見てみると、次のようになる。

午前10時 黄櫨染御袍を召された天皇陛下が出御される。掌典長が前行し、侍従が御剣を捧持する。
陛下が賢所内陣で御拝礼、御告文を奏上される。このとき内掌典が御鈴を奉仕する。皇后陛下、皇太子殿下、皇太子妃殿下の拝礼が続く。
この間、皇族方ほか参列諸員は幄舎での参列となる。これが賢所大前の儀である。
ひき続いて、皇霊殿に奉告の儀、神殿に奉告の儀が執り行われる。いずれも御親祭となる。
午後5時 天皇陛下が皇后陛下を伴われて、宮殿松の間にお出ましになる。侍従が剣璽等を捧持し、皇太子殿下ほか成年皇族方が供奉する。総理大臣による国民代表の辞のあと、陛下のお言葉があるのが退位礼正殿の儀である。

 三殿での儀礼は御親祭であることをのぞいて、おおむね翌日に予定される践祚の式(登極令附式)に準じて式次第が定められていることが分かるが、以前から指摘しているように、そもそも「退位の礼」など歴史に存在しない。

 政府は、憲法の趣旨に沿い、かつ皇室の伝統を尊重することを基本方針としながら、「御退位の事実を広く国民に明らかにする」などの趣旨で、退位の式典を創作した。政府の決定に先立って行われた有識者ヒアリングには歴史の専門家も加わっていたが、皇室の伝統の喪失を指摘する歴史家はいなかったらしい。

 その結果、貞観儀式の「譲国儀」などには一体の儀礼として定められている譲位(退位)と践祚(即位)が分離することとなり、30年前、践祚と即位の歴史的区別が失われたことに加えて、皇位継承儀礼は皇室の伝統からかけ離れ、混迷の度をますます深めることとなったのである。

 問題点はいくつか指摘できるが、前にも書いたように、退位礼当日賢所大前の儀は陛下の御親祭とされるのに対して、翌日の践祚に伴う新帝の賢所の儀は御代拝とされるのは、著しくバランスを欠く。

 先帝崩御に基づく諒闇践祚なら服喪による縛りがあるが、受禅践祚なら御親祭であるべきだろう。新帝が賢所の儀は御代拝とし、剣璽等承継の儀(剣璽渡御の儀)にはお出ましになるというのでは、話にならないのではないか。

 5月1日の賢所の儀は、いまだ斎行の時刻が決まっていない。剣璽等承継の儀は午前10時半に始まることが1月の式典委員会で決定しているが、賢所の儀および皇霊殿神殿に奉告の儀はこれに先立って、御親祭で行われるべきではないかと思う。


▽2 皇室の伝統尊重が基本方針なら

 国家の最重要事にこのような混乱が生まれた理由は、といえば、いまさらこんな話をしても始まらないのだが、今上陛下の思召しに始まって、「退位」の認否とその方法論について、法的議論が集中してしまったことに原因があるのではないか。

 とりわけ政府は、「天皇は国政に関する権能を有しない」と定める憲法との整合性に腐心し、お言葉をスタートラインとする皇室典範特例法の立法ではなくて、国民の代表たる国会がみずから天皇の「退位」を実現するという論理の逆転を図った。

 同時に、天皇が皇太子に「譲位」するのではなくて、あくまで特例法に基づく「退位」であるとの姿勢にこだわってきた。国会は皇位継承の特例法ではなく、「退位」等に関する特例法について審議し、内閣は「天皇陛下の御退位と皇太子殿下の御即位」の検討を進めてきた。

 たとえば、菅官房長官は一昨年6月1日の衆院議院運営委で、「陛下のお言葉を今回の立法の端緒として位置づけた場合には、天皇の政治的機能の行使を禁止する憲法第4条第1項に違反するおそれがある」と述べている。こうして退位と即位は最初から分離していたのである。

 とすれば、皇位の御印である剣璽は、剣璽等承継の儀で、今上から新帝に継承されるのではなく、前日の退位の礼で今上が「手放す」こととなり、翌日の剣璽等承継の儀で新帝が「承継」することとなるのである。もはや剣璽は皇室に伝わる御物ではないかのようである。

 これは日本国憲法を「最高法規」とする理屈の世界である。法匪たちの憲法論への傾斜が皇室の伝統を侵し、前代未聞の混乱を生んだのである。

 しかし、「退位の礼」はどうしても必要なのだろうか。

 今回の御代替わりは、皇室典範特例法という法律によって実現されるが、法は法、儀礼は儀礼である。憲法も皇室典範も皇位の連続性を認めている。退位と即位の分離はかえって違憲・違法の疑いを生まないだろうか。皇位の連続性を示すには連続した儀礼こそが望ましい。

 宮内庁は譲位(退位)と践祚(即位)の分離を正当化するために、古典解釈をねじ曲げ、過去に退位の儀礼が行われていたかのような犯罪的な歴史の捏造にまで手を染めているが、連続した譲位=践祚の儀式が行われたとしても、皇位継承は天皇の政治的権能によるのではなくて、法律が根拠なのだから、憲法に抵触することにはならないはずだ。

 皇室の伝統を尊重するのが政府の基本方針なら、譲位と践祚の分離はあってはならない。世界に目を向ければ、君主制の国は少なくないし、近年は高齢の君主が退位するというニュースも聞かれるが、退位と即位の儀礼を別々に行う国があるだろうか。


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御在位30年。毎日、読売、産経社説への違和感 ──象徴天皇、国民主権、平和主義、そして宮中祭祀 [天皇・皇室]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2019年3月4日)からの転載です

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御在位30年。毎日、読売、産経社説への違和感
──象徴天皇、国民主権、平和主義、そして宮中祭祀
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 先月24日、陛下の御臨席のもと、政府主催の御在位30年記念式典が開かれた。翌日、読売や毎日などの全国紙がお言葉などについて、社説で取り上げているので、読んでみたい。陛下が仰せの「象徴天皇」などについて、各紙の捉え方にどうしても違和感を禁じ得ないからだ。

 最初にお断りするが、ここで扱うのは毎日と読売、産経の三紙である。30年式典は御代替わりを直前にした大きな節目だが、なぜか朝日や日経は社説に取り上げなかった。

 陛下のお言葉は、8分以上におよんだ。

 祝意への感謝に始まり、「戦争を経験せぬ時代」ながら「困難に満ちた」30年を振り返られ、「グローバル化する世界の中」での日本の未来を展望された。また、「憲法で定められた象徴」天皇像への模索について言及され、支持してくれた国民への謝意を表明された。そのあと、被災地の人々や内外の支援者への思いを語られ、最後に国内外の人々への祈りの言葉で結ばれた。


▽1 陛下にとっての「象徴」

 毎日の社説はずばり、「象徴天皇としての責務を自らに課してきた信念と、国民への感謝の気持ちが強く伝わるおことばだった」とつづった。

 社説によれば、「陛下は、象徴天皇制の現憲法下で初めて誕生した天皇である」。陛下は、御即位のときに「『皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たす』と表明」されたのであり、「国民主権の時代に『象徴』とはどうあるべきか」「象徴像を懸命に問い続けてきた」のである。

 また、社説によれば、陛下は「平和を求める気持ちを改めて示した」のだった。この30年間は、お言葉にあるように、「近現代において初めて戦争を経験せぬ時代」なのである。

 毎日の社説は、平成の御代を、明治憲法下の戦前期、あるいは昭和の時代とは本質的に異なる新時代だった、という暗黙の前提のもとで書かれていることが明らかである。

 であればこそ、「自分の後継者について『次の時代、更に次の時代と象徴のあるべき姿を求め、先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています』と語った」ことにされている。

 毎日の社説にとっては、今上陛下は、日本国憲法、国民主権主義、象徴天皇制、平和主義の使徒なのである。

 なるほど一見するとお言葉はそのように読めそうだが、陛下がおっしゃりたいのは違う、と私は思う。重要な部分が抜け落ちているからである。


▽2 歴代天皇の祈りが抜けている

 陛下はただ単に「象徴天皇像を模索」されてきたのではない。

 陛下はお言葉で「即位して以来今日まで,日々国の安寧と人々の幸せを祈り,象徴としていかにあるべきかを考えつつ過ごしてきました」と語られたし、お言葉の最後はやはり「我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります」という「祈り」であった。

 しかし、社説にはこの「祈り」が完全に抜けている。

 陛下が即位後朝見の儀で語られたのは、「大行天皇の御遺徳に深く思いをいたし,いかなるときも国民とともにあることを念願された御心を心としつつ,皆さんとともに日本国憲法を守り」であって、単に「憲法を守り」ではない。

 つまり、陛下はご即位以来、歴代天皇と同様に、つねに国民の幸福を祈りつつ、同時に、憲法の遵守を誓ってこられたのである。毎日の社説には、お言葉への国語的読解力とともに、千年を優に超える歴代天皇の祈りの蓄積への認識がまったく欠けている。

 その結果、社説の中身は一面的なものとなっているのではないか。

 社説が指摘するように、陛下はお言葉で「これから先,私を継いでいく人たちが,次の時代,更に次の時代と象徴のあるべき姿を求め,先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています」と語られ、その前日、御年59歳となられた皇太子殿下は記者会見で「その時代時代で新しい風が吹くように、皇室のあり方も時代によって変わってくると思います」と述べられた。

 毎日の社説はこれをもって、「象徴像は時代状況によって変わる。次の時代にふさわしい象徴像を、新天皇とともに築くのは、主権者の国民である」と結論づけるのだが、「主権者の国民」は125代続いてきた天皇の祈りの重みを理解できないほど愚かなのだろうか。

 陛下が仰せの「象徴像」、そして殿下が仰せの「新しい風」には、何代もの御代替わりを経てきた歴史の重みあるのに、日本でもっとも古い歴史をもつ新聞でさえ、それが理解できないか、理解しようとしない。それこそがまさに、陛下が仰せの「困難」に通じていると思う。

 平成の御代替わりののち、宮内庁は「平成流」を流行らせようとした。そのため、当時、私が関わっていた総合情報誌の編集部に、宮内庁幹部が盛んにアプローチを試みていた。けれども、そのあと陛下ご自身が「平成流」を否定された。今度は「新しい風」なのか。


▽3 「新たな息吹」と憲法との整合性

 読売の社説は、冒頭で「平和の尊さ」を指摘し、式典で陛下の琉歌が披露されたことに言及した。お歌はハンセン療養所でのご体験に基づいている。読売は、毎日が歌が生まれた経緯の解説にとどまったのとは異なり、ハンセン病患者に寄り添う皇室の古来の歴史に触れている。

 歴代天皇と同様に、国民に寄り添い、安寧を祈ることが、「象徴天皇としての姿を体現されてきた」と読売の社説は理解している。毎日とはここが違う。

 読売は他方、皇太子殿下が前日のお誕生日に際して、「国際親善とそれに伴う交流活動も皇室の重要な公務の一つ」と会見で述べられたことに触れ、「平成の象徴像を継承し、新たな息吹ももたらされるだろう」と指摘しているが、憲法との関係について掘り下げることはしなかった。

 日本国憲法は皇室外交を予定していない。憲法に規定される、天皇の国事に関する行為は、「外国の大使及び公使を接受すること」のみであり、積極的な外交上の行為は期待されていない。実際、戦後、天皇の御外遊は答礼として始まった。憲法論議を回避するためだった。

 読売は皇室外交と憲法の規定との整合性をどう考えているのだろう。憲法の規定にはない皇室外交の積極的展開を、手放しで支持するのだろうか。

 そうだとすると、社説が他方で、御代替わり儀式の伝統と憲法の規定との整合性について、厳しく指摘していることと矛盾しないだろうか。

 社説はこう書いている。

「重要なのは、皇室の伝統儀式と憲法の整合性だ。皇位を証す剣や曲玉などを、天皇陛下が皇太子さまに直接、渡したと映らないよう、政府は『退位礼正殿の儀』と『剣璽渡御の儀』を分離した。
 天皇自らが皇位を譲る形式を排したのは、天皇の政治的権能を否定している憲法を踏まえた結果だ。合理的な判断である」


▽4 譲位と即位の分離を憲法は要求しているのか

 読売の社説によれば、国民主権主義と整合させるために、政府は皇室の歴史にない退位の礼なるものを創作したことになる。宮内庁はそのために、貞観儀式などの古典解釈をねじ曲げ、ありもしない退位の儀式を歴代天皇が行ったかのようにリポートしたことになる。

 表現の自由、信教の自由の保障を謳っている日本国憲法は、皇室の歴史の改竄や儀礼の新作をはたして要求しているのだろうか。

 皇室の歴史において、譲位(退位)と践祚(即位)は一体である。剣璽は古代から皇室に伝わる神聖な御物であって、国民を代表する政府に帰属するものではないはずだ。読売の社説によれば、退位の礼ののち、剣璽は総理官邸にでも遷されるのだろうか。

 今回の御代替わりについて、政府は憲法の規定に沿うとともに、皇室の伝統を守ることを基本方針としている。日本国憲法は天皇の政治的権能を認めていない。というより、そもそも天皇の権能とは権力政治を超越したところに存在するのであって、政治を超えた天皇の御位が皇太子に譲られる行為は政治的なのだろうか。

 皇室の伝統に従って皇位継承が行われないことを日本国憲法が求めているのだとしたら、改められるべきはむしろ憲法の規定ではないだろうか。従来、憲法改正の必要性を主張してきた読売は、むしろ問題提起すべきではなかろうか。

 読売は最後に、「新元号」に触れている。「平成改元時の選定手続きを踏襲し、即日公布される。政府は、国民生活の混乱を最小限に抑えるよう、万全の手立てを講じてもらいたい」というのだが、事実認識に誤りはないか。

 手続きだけならまだしも、「平成」の場合は「即日」ではなく、「翌日」の改元だった。近代以後、いや平安以後、歴史上、「即日」改元は「昭和」しかない。登極令に基づく初例となった「大正」の改元は、じつのところ明治天皇崩御の翌日であった。

 今回の場合、「即日」改元なら前例踏襲にはならない。なぜ「即日」でなければならないのか、社説には何の説明もない。


▽5 せっかく祭祀に言及したのに

 産経の社説は、毎日や読売と違い、「国と国民の安寧と幸せを祈る天皇の務め」を強調し、「全身全霊で果たされてきた陛下に感謝を申し上げたい」と述べている。さすがの見識だと思う。

 サイパンやペリリュー、沖縄での祈りに言及し、「沖縄への思いは、昭和天皇から引き継がれている」と指摘したのは、二紙とは一線を画している。

 さらに、「宮中祭祀についても、もっと知っておきたい」と筆を進めたのは立派だが、「陛下は、収穫を祝う新嘗祭などを、厳格に心を込めて執り行ってこられた」は、正確さに欠けるのではないか。

 歴代天皇と同様に、今上陛下が祭祀を厳修されたのは事実だろう。だが、新嘗祭はけっして「収穫祭」ではないと思う。皇祖天照大神への収穫の祈りなら米の神饌で足りるし、実際、賢所での祭祀は稲の祭りである。だが、新嘗祭や大嘗祭は米と粟が同時に捧げられる。

 米だけではないのは、粟の民、粟の神、粟の信仰が前提になっているからであり、米と粟を大前に捧げ、直会なさるのは、収穫を祝う宗教儀礼というより、米の民と粟の民のために祈る国民統合の儀礼だからではなかろうか。なぜ御代替わりに「収穫の祝い」を執り行わなければならないのか、教えてほしい。

 陛下はお言葉で、「グローバル化する世界」についてお話になり、国の将来を見据えられたが、日本はすでに移民社会に仲間入りしている。民族的多様性が急速に現実化するなかで、皇室が果たすべき国民統合の役割はますます増していくということだろうか。

 とすれば、その観点からこそ、天皇の祭祀は再認識されるべきではないか。「収穫の祝い」では話にならない。

 もうひとつ、今上陛下が御即位後、皇后陛下とともに祭祀について学び直され、祭祀の正常化に努められたのは事実だろうけど、御在位20年ののち、側近らの建言をきっかけに祭祀簡略化が起きた。昭和の祭祀簡略化の再来だった。

 ご健康問題、ご公務ご負担軽減が理由とされたが、結果として祭祀のお出ましばかりが削減され、いわゆるご公務の件数は逆に増えていった。ご負担軽減は大失敗だったが、宮内官僚の責任は問われなかった。それどころか、ご負担軽減問題は、皇室の歴史にない「女性宮家」創設のための理由にすり替えられた。

 陛下が「譲位すべきだと思う」とのお考えに至った背景には、ご自身しか携われない四方拝や新嘗祭の簡略化問題があったのではなかろうか。

 毎日や読売と違って、古来、天皇第一の務めであるとされてきた祭祀のついて、真正面から言及した産経としては、ぜひその点を指摘し、掘り下げ、問題提起してほしかった。そこが御代替わり最大のテーマのはずだから。

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