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皇室祭祀は宮務法上の「皇室内廷の重儀」!? ──葦津珍彦vs上田賢治の大嘗祭「国事」論争 3 [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2019年4月7日)からの転載です

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皇室祭祀は宮務法上の「皇室内廷の重儀」!?
──葦津珍彦vs上田賢治の大嘗祭「国事」論争 3
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 新しい元号が先週月曜日に閣議決定され、同日、新元号を定める政令に今上陛下が署名押印されました。何度も申し上げてきましたが、事前公表など歴史上あり得ません。これでは代始改元ではなく、さながら退位予告改元です。

 今回の御代替わりで、政府は皇室の伝統の尊重を基本原則の1つに謳い、安倍総理はこの日の会見でも「日本の国柄をしっかりと次の時代へと引き継いでいく」と述べていますが、新元号の事前決定公表は皇室の伝統に則するものといえるでしょうか。

 遠く平安時代の「大同」以後、「明治」まで踰年改元が連綿と続き、明治の登極令に基づく践祚同日改元は正確には「昭和」のみで、現行の元号法は践祚同日改元を規定していません。「平成」は践祚翌日改元でした。いまさらながらですが、践祚同日決定、即位礼当日施行がふさわしいと私は考えています。


▽1 天皇は「支配者」ではない

 また、総理会見によれば、今回、閣議決定ののち、宮内庁を通じて今上陛下および皇太子殿下に伝えられたとのことですが、元号選定の過程に皇室が関与しない手続きにも改善の余地があるでしょう。元号制定の権限は歴史的に見て、そもそも天皇に属するからです。

 総理の発議に始まり、閣議による元号の決定は天皇から元号制定権を奪うことになりませんか。年号は武家が定めるべきだと豪語したという徳川家光の時代をも想起させます。

 といえば、現行憲法の国民主権主義に抵触するといった批判が聞こえそうですが、日本の歴史は国民主権の思想が生まれたキリスト教世界の歴史と同じではありません。

 古代中国に起源を持つ元号は「皇帝による時の支配」という考えに基づいていると解説されがちですが、日本の天皇は古代中国の皇帝とは異なります。

 古代の天皇がもっとも重んじた「金光明経」という仏典は「国を治むるに正法をもってし、たとい王位を失っても、生命に危害が及ぼうとも、悪法を行ずるなかれ、善をもって衆生を教化せよ、そうすれば国土は安寧を得る」と教えています。

 古来、天皇は支配者というより、奉仕者なのです。その事を端的に示しているのが、養老律令の「およそ天皇、即位したまはむときはすべて天神地祇祭れ」(神祇令)という条項ではないでしょうか。

 さて、久しぶりに葦津珍彦先生と上田賢治教授との間で闘わされた大嘗祭論争について取り上げます。前回の御代替わりを目前に控えた昭和59年に繰り広げられた知られざる論争です。

 これまで当メルマガは、「神道人の議論はなぜ始まったのか」(昨年12月24日)および「葦津先生は『神社本庁イデオローグ』ではない!?」(今年1月30日)を書いてきました。

 神社関係者なら知らない人はいない両先生による論争が、とくに葦津先生の理論が単純に大嘗祭「公事論」とは見るべきでないこと、その根拠として、ホームベースの神社新報ではなく、中外日報に発表されたこと、葦津先生が「神社本庁イデオローグ」ではないことをくどいほど弁明していること、などを指摘しました。

 異常に長い前置きのあと、葦津先生はようやく「皇室の祭儀礼典」(大嘗祭ではない)について書き始めるのですが、果たせるかな、「過去のことについて書く」「将来のことではない」と断りながら、論考は目前に迫りつつある大嘗祭を間違いなく見据えているのでした。

 そして案の定、大嘗祭「公事論」として論争が始まり、その影響を今日に至るまで及ぼし続けることになるのです。


▽2 国務と宮務を区別する井上毅の論

 葦津先生が本論で何を主張しているのか、岩井利夫元毎日新聞記者が著書の『大嘗祭の今日的意義』(昭和63年)で、要点を10点にまとめているので、以下、長くなりますが、引用することにします。

 まず先生は、皇室の祭儀に関する、神社本庁内での過去の議論を取り上げ、その公的性格を指摘します。

(1)「皇室祭儀」について、神道人共通の考え方として、それを「天皇陛下の内廷における私事」と説明してきた政府の一般的解釈論には反対である。初代神社本庁の宮川宗徳総長(注、正確には事務総長)は、講話直後頃、皇室典範を改正し、「皇室の祭儀」を国の法律で国事としたら良いという私見を発表した。

(2)しばらくして吉田茂総長(事務総長)が、皇室典範の改正には同感しがたい。今の時代では不文のままで伝統を守る道を求めた方が良いという修正意見を出した。

(3)いずれにしても神社本庁はこの問題で公式見解を出したことはないが、実際問題として、東宮殿下の賢所での神式結婚式が政府で国事として発表された。政府は「皇室祭儀」を「内廷の私事」と発表することがあるが、陛下のお祭りは陛下個人の御一代の私事ではなく連綿として公に継承されるべきものである。

 次に、先生の議論は、国事、公事、私事の概念の違いへと進み、井上毅の論を紹介して、国務と宮務の区別に議論を発展させます。

(4)国事とか公事とか私事の概念が一般に定まっていない。国の経費を支出することが国事だとするなら、社会公共の事業の多くは国事になってしまう。国費支出が国事というなら今でも皇室祭儀は国事といえる。しかし、国事とはその事を行う主体が国である場合、陛下が象徴という国務上の国家機関として執行なさることが国事だと厳密に規定するなら明治立憲以来、皇室の祭儀礼典は国務上の国事ではなく、宮務法上の「皇室の内廷の重儀」だとする井上毅の説が正しいのではないか。

(5)明治憲法制定の際、第28条(信教の自由)と皇室祭儀との関連でいろいろ議論があり、伊藤(博文)が多数決で可決したため、神祇制度上問題点が残った。明治23年10月10日付で井上毅は意見書を出し、神祇のことを国務上の法律で決めるのは憲法の主義に反する。君主は国務の首長にして、また社会の師表でもあるから、国務は政府に任じ、礼典のことは王室の内事に属すべく混ずべきではないというロジックである。すなわち国政国務は政府と国会との協同によって処理するが、皇室のことは国務圏外の事とし、宮内省は内閣の圏外において国務と宮務の別を立て、この基本方針によって皇室典範が制定された。

(6)明治帝国の法制は国務と宮務を全的に切断し得ない事情があった。伊藤や井上は神器継承、即位礼、大嘗祭などの重儀を国務圏外の事とし、「王家の内事」と感じていたのは明らかである。皇室祭祀令、登極令など皇室祭祀礼典は皇室内の機関によって決められたのは確かで、国政、国務機関としての政府や帝国議会の制作する法律の権限の外にあった。

(7)井上は日本固有の精神を重んじながらも国務論理では徹底してレイカルな国家を目標とした。彼は世俗国家論者ではあったが、その国家を包囲する日本人社会の精神的文化伝統には深い敬愛を表した。彼は皇室の厳たる礼典の法が世俗的国政の場としての国会の法律で定められることを好まなかったのだろう。


▽3 国事でも私事でもない

 葦津先生によると、いまの官僚たちが考える「内廷のこと」と井上毅のいう「世俗圏外の事」とは異なるのでした。そして皇室の祭儀は国事でも私事でもないと結論づけ、国務の排除を訴えるのでした。

(8)「皇室の祭儀礼典は国務上の国事にあらず」との法理論は、現行法の「祭儀は内廷の事」とするのに相通ずるともいえるが、現代の官僚は「内廷の事」を国事ではない小さな私事として解しようとする。これに反し、井上は「世俗的国務圏外」のもの、権力国家の国務を超えた遥かに高貴にして神聖な天下の重儀──公共社会の事と解したのではないか。

(9)祭祀に関する法学説は、いつの時代にも学者間に諸説相対立するが、神道人にとっては祭祀がいかなる心と礼をもって執行されるかという精神事実が第一義で、それを根底に有しない法学形式論は無意味である。

(10)皇室祭儀私事説は理論的にも貧弱で、祭儀を重んずる精神からしても同感しがたい。さればとて、それを国政国務の国事説で堅めるのも適切とは思わない。社会公共の天下の重儀と解するも良く、皇室尊貴の大事と解するも良いではないか。問題は国務の干渉するところにあらざる祖宗の制を厳守する精神の問題である。

 以上、忠実な引用を試みたあとで、岩井氏は次のように批判しています。

(1)葦津氏はもっぱら「神道人」の立場から論じている。

(2)皇室祭儀(大嘗祭に絞っても良い)が国事というも私事というも適切ではない、あえていえば「天下の重儀」「皇室尊貴の大事」で、要は祖宗の大事の制を守り、祭儀を重んじる精神事実にあるという葦津氏の論を否定するつもりはないが、「神道人」ではない一般国民にとっても「天下の重儀」はすなわち「国家の重儀」ではないのか。

(3)そう考えることが祭祀の精神的意義を解しない一般世俗の短絡だと葦津氏が思うなら、遺憾ながら井上毅を持ち出しての葦津論には賛同できない。葦津説は神道人の一部しか納得させられないだろう。

(4)葦津氏のいう「公事」とは具体的にどういうことを指すのだろうか。たとえば、国民から寄付を募り、公益法人の事業とするのか。その場合、大嘗祭の国事性はどうなるのか。


▽4 大嘗祭論ではなく皇室祭儀論

 長くなってしまいましたので、今回は簡単に指摘したいと思います。

 まず、ひとつは定義です。国事とは何か、という葦津先生の問いかけはきわめて重要だと思います。

 今日の議論では往々にして、国事=天皇の国事行為となり、国費の支出問題に転化しています。そのため、憲法の公費支出禁止条項と関わり、政府の介入による皇室祭儀の非宗教化という伝統の改変さえ起きています。

 だから、私事でも国事でもないという新たな論理が必要となるわけですが、結局のところ、天皇にとっての国事と近代国家論における国事とは異なるということではないでしょうか。「天皇に私なし」とする原則からいえば、天皇の一挙手一投足すべてが国事です。

 一昨年6月の衆院議院運営委員会で横畠裕介内閣法制局長官は「天皇の交代という国家としての重要事項」と表現し、御代替わりが全体として国事であるという認識を示していますが、実際には御代替わり全体が「国の行事」とはされていません。

 蛇足ながら、昭和34年の皇太子御成婚における賢所大前の儀は「国の儀式」(憲法7条の「儀式」に該当)と閣議決定されました。「国事」とされたと解する葦津先生の認識は正確ではありません。メディアが「国の儀式」を「国事」と単純化して報道し、そして議論は混乱したのです。いまとは異なり、政府の一次情報に国民がアクセスできない時代でした。

 2つ目は、葦津先生は「皇室の祭儀礼典」について論じているのであり、大嘗祭について論じているのではないということです。

 ところが、葦津説は「大嘗祭公事論」として受け止められることとなりました。そして、前回および今回、大嘗祭には公的性格が認められるという理由から、「皇室行事」という位置づけで国費の支出が行われる、ひとつの論拠ともなったのです。

 その一方で、皇室祭祀のなかの大嘗祭とほかの祭儀一般とのあいだの法的地位の区別、御代替わり行事全般における国の行事と皇室行事との無用の区分というものが生じることになったのは、じつに不幸なことでした。

 なぜそのような議論に曲がっていったのか、今後のためにしっかり検証しなければならないと私は思います。元号も同様ですが、皇室伝統の大嘗祭が行われるのは良かった、では済まないはずです。葦津先生が指摘するように、大切なのは伝統の形式ではなく精神だからです。

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