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アインシュタインの絶賛と憂い ──涙骨賞落選論文「天皇とは何だったのか」6 [天皇・皇室]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2019年8月4日)からの転載です

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アインシュタインの絶賛と憂い
──涙骨賞落選論文「天皇とは何だったのか」6
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 日本の近代化を、憂いをもって見つめ、警告した1人が、相対性理論で知られる物理学者のアルバート・アインシュタインである。

 大正11年に来日したアインシュタインは、九州から東北まで、各大学で相対性理論を講演したほか、各地の著名神社などに参詣し、皇后陛下に謁見、能楽や雅楽を鑑賞し、庶民と気軽に交わり、「日本のすばらしさ」に魅せられたことを旅日記に記録している。

 それによると、まず感動したのは美しい日本の自然であった。彼は各地で日本の「光」に惹かれた。しかし自然以上に輝いていたのは、日本人の「顔」であった。「日本人は他のどの国の人よりも自分の国と人々を愛している」「欧米人に対してとくに遠慮深かった」と絶賛している。

 そうした国民性はどこに由来するのか、アインシュタインは自問し、自然との共生と見抜いた。さすがは天才というべきだろう。

「日本では、自然と人間は一体化しているように見える。この国に由来するすべてのものは、愛らしく、朗らかであり、自然を通じて与えられたものと密接に結びついている」

 とくに「自然と人間の一体化」を示すものは、日本の神道と神社建築であった。

 日光東照宮は、「自然と建築物が華麗に調和している。……自然を描写する慶びがなおいっそう建築や宗教を上回っている」。厳島神社では、「優美な鳥居のある水の中に建てられた社殿に向かって魅惑的な海岸を散歩する。……山の頂上から見渡す瀬戸内海はすばらしい眺めだった」。

 アインシュタインの探求心は天皇にまで及んだ。

 草薙剣を祀る熱田神宮の参詣では「国家によって用いられる自然宗教。多くの神々、先祖と天皇が祀られている。木は神社建築にとって大事なものである」と印象を述べ、京都御所では「私がかつて見たなかで最も美しい建物だった。……天皇は神と一体化している」と感想をつづっている。

 美しい自然とその自然に育まれた日本人の国民性を高く評価し、天皇制にまで考察を広げたアインシュタインだが、他方で、伝統と西洋化の狭間で揺れる日本の近代化の苦悩を察知していた。

 であればこそ、旅の途中で書いた「印象記」のなかで、「西洋の知的業績に感嘆し、成功と大きな理想主義を掲げて、科学に飛び込んでいる」日本に理解を示しつつも、「生活の芸術化、個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心、それらを純粋に保って、忘れずにいて欲しい」と訴えることを忘れなかったのだろう(『アインシュタイン、日本で相対論を語る』、2001年など)

 四季折々の多彩な美しさのみならず、ときには荒ぶる自然と共生してきた日本人は、その自然観に基づく、多神教的、多宗教的文明を創りあげ、天皇制という国民統合のシステムをも編み出した。

 けれども、日本の近代化こそは、国を挙げて、太陽暦、法律、官僚、軍隊、貨幣、学校、鉄道など一元主義的なキリスト教世界の文化を精力的に受け入れることだった。皮肉にも、その先頭に立ったのが皇室であった。

 維新以来、政府がもっとも重視したのは、不平等条約の改正だった。列強に対抗するには近代化を急がなければならない。基本方針とされる五箇条の御誓文(慶応4年)には「智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スべシ」とあったから、海外に学ぶことが優先され、社会システムの欧風化が急速に進み、欧化思想が社会を席巻していった。

 価値多元主義の文明が、世界基準であるキリスト教世界の一元主義的文化を積極的に受容し、アジアで最初の近代国家を打ち立て、列強と肩を並べるレベルにまで到達したのは歴史的壮挙のはずだが、その先には未曾有の悲劇が待ち受けていた。(つづく)


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