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大嘗宮の屋根を板葺きに変更するのは政教分離違反!? ──荷田在満『大嘗会便蒙』を読む 6 [大嘗祭]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2019年10月11日)からの転載です

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大嘗宮の屋根を板葺きに変更するのは政教分離違反!?
──荷田在満『大嘗会便蒙』を読む 6
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『大嘗会便蒙』上巻 元文3年大嘗会

▽6 悠紀殿と主基殿

コ、悠紀殿の祭神、規模
大嘗宮地図@大嘗会便蒙@御大礼図譜.png
 さて、東の鳥居のうちに1間しりぞけて悠紀の御殿を建てる。このうちに天神を祭られる。建て様は南北5間、東西3間(昔は長さ4丈、広さ2丈6尺)。

(斎藤吉久注=荷田在満が、大嘗祭で祀られる祭神について、悠紀殿は天神、主基殿は地祇だと理解しているのは、注目されます)


サ、大嘗宮の整地

 まず、あつか草といって青葉を地にしき、そのうえに竹簀子をかき、そのうえに近江表をしく(昔は大嘗宮に用いられたのはすべて葛野席、小野席、伊勢の斑席などだった。いま用いられるのはすべて近江表である)。


シ、悠紀殿の内陣、外陣

 南北5間のうち、北の方3間を内陣とし、南の方2間を外陣とする。内外陣の界には、東西より4尺5寸ずつの張り出しがある。なかの1間半の間は筵にぬきを当てた開戸が4枚、2枚ずつ蝶つがいで両開きである。


ス、悠紀殿の柱

 柱はいずれも松の皮付きである。立て様は南の方、北の方は1間半ずつの間で、両端と中央とに1本ずつばかりある。西の方、東の方は、内陣は1間ずつの間で、北の端と外陣の界との柱の外に間柱が2本ある。外陣は1間半と間中との2間で、南の端の柱から間中北に1本がある。それより内陣の境の柱まで1間半である。この外に東西の張り出しのとまりに1本ずつ、すべて内外陣の柱数16本である。


セ、悠紀殿の縁、階

 さて、四方に竹縁がある。南の縁は幅1間、残り3方は幅半間ずつである。南の縁の西のはずれから間中を去って、幅1間半の階を付ける。その作り様は、皮付きの松の木を2つ割りにして、皮目の方を外になして当て、そのうえに平らな板を打ち付け打ち付けして、3段にする。また西の縁の南のはずれから1間半去って、幅1間半の階を付ける。作り様は、南の階に同じである。


ソ、悠紀殿の壁、南表の開き戸

 さて、四方壁はない。みな近江表を当て、皮付きの松の木でぬきを5本ずつ入れる。ただし、南表は幅3間のうち中央の柱から西の方1間半を入口とする。開き戸がある。

 近江表に皮付きの松の木にて四方の縁とぬきを3つずつ当てる。このようなものを1間半の間に4枚ある。ただし、2枚ずつ蝶つがいにつなぎ、南開きにする。かんぬきは、これも松の皮付き、藤でからくり外締めである。

 この開き戸のうちには葭の簾がある。へりは白紙で付ける。簾の内の方は白い布の幌を垂らす。幌のうえに白い布の房を2筋垂らす。花鬘むすびが8段ある。また、中央の柱から東1間半は四方のように近江表を当てたうえに、ただ葭の簾を垂れておく。


タ、悠紀殿の西表、北表、東表

 また、西表は、これも階の付いた1間半の間を入口とする。開き戸はこれも近江表で、松の木を当てることなど、すべて南表の開き戸と同じである。ただし、この開き戸は1間半の間に2枚で両開きである。蝶つがいはない。

 そのうちに葭簾、巻き上げ布、幌房など、南表に異なることはない。入口より外、内陣外陣あわせて3間半の間、ならびに北表の分は近江表とぬきとばかりで、簾もかけないで、また東表は内陣の間3間、ならびに南の端、間中の間は北面と同じく、近江表とぬきとだけである。残る1間半の間は、そのうえに葭の簾を垂れておく。南表の東の間と同じである。


チ、悠紀殿の鴨居から上棟の下まで

 さて、南表の鴨居から上棟の下までは、3間ともに、近江表にぬきを当てただけである。北表もこれと同じである。ただし、北は下までこの通りで、ひと続きである(延喜式には東南西の三面、みな簾をかける。ただし、西面2間は簾を巻くと見える。いまはこれと同じではない)。御殿の内天井はみな近江表である。


ツ、悠紀殿の屋根

 さて、屋根の長さは、南北7間、ただし南の端は縁の端と等しく、北の端は縁より間中が長い。南北ともに柴垣より屋根の端までの間、1間半ずつある。東西は勾配に下がって、軒口と縁の端と同じである。

 屋根はすべて萱葺き、棟は皮付きの松の木で、南北の端にかたそぎがある。外の方をそぐ。棟に鰹木を渡すことが3箇所、南北のけらばの下に榑風がある。千木といって、期の頭を出すこと、棟より西に4つ、東に4つある。

 萱葺きの下に、南北に渡した木がある。棟より西に8つ、東に8つある。その8つのうち、最上にあるのは白木で、その次は黒木、これより白木と黒木を互いに置いて、第8本の黒木は鴨居の巡に当たる。東西合わせて16本あり、ともにその端が南北に余り出でる。ただし、榑風よりは1間ばかり奥の方で、萱葺きの屋根裏に見える。

(斎藤吉久注=宮内庁は昨年暮れの大礼委員会で、大嘗宮の設営方針を示し、「儀式の本義に影響のない範囲での工法・材料の見直し」「建設コストの抑制」を行うことを決めました。その結果のひとつが、「回立殿、悠紀殿、主基殿の屋根材を萱葺から板葺に変更」することでした。
 古来、萱葺きとされてきた大嘗宮の屋根を経費節減のために変更することは、儀式の本義に影響しないといえるのでしょうか。皇室の伝統より経費節減を優先させなければならない理由は何でしょうか。
 政府は大嘗祭を神式の宗教儀式と解釈し、このため政教分離の観点から「国の儀式」とはできないという姿勢ですが、経費節減を根拠に儀場の設営のあり方に介入することは政教分離違反ではないのでしょうか)


テ、主基殿

 さて、また柴垣の西の鳥居のうちに、1間しりぞけて主基の御殿を建てる。このうちにて地祇を祭られる。

 建て様は、大きさが入口の付け様まで悠紀の御殿に少しも異なることがない。ただ、片そ木のそぎ様は外の方をそがずに、下の方をそぐ。これよりほかには変わるところはない。


 次回は、回立殿、膳屋その他です。

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