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眞子内親王の皇籍離脱をけしかける登誠一郎元内閣外政審議室長の不遜。安倍総理の次は秋篠宮親王に直言。女性天皇・女系継承容認へまっしぐら [女系継承容認]

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眞子内親王の皇籍離脱をけしかける登誠一郎元内閣外政審議室長の不遜。安倍総理の次は秋篠宮親王に直言。女性天皇・女系継承容認へまっしぐら
《斎藤吉久のブログ 令和2年1月26日》
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今月16日、朝日新聞の言論サイト・論座に掲載された、登誠一郎元内閣外政審議室長のエッセイ「眞子さまのご結婚と皇位継承の問題。国民一般から祝福される結婚となるために」を読みました〈https://webronza.asahi.com/politics/articles/2020011400008.html〉。

眞子内親王殿下の御結婚問題に関して、2月に「何らかのことを発表」なさるとされる秋篠宮親王殿下に対して、「国民一般から祝福される結婚」となるためには、ご結婚前にまず皇籍離脱すべきだと大胆に迫っておられるのには、たいへん驚きました。

仰せの「幸せを願う一国民としての率直な感想」は、むしろ親切心を装う不遜な僭越というべきではありませんか。皇室のことは皇室にお任せし、そっと見守るというわけには行かないのでしょうか。身の振り方にまで口を挟む権利が、主権者とされる国民に元来、あるのですか。いやあるというのなら、その先にどんな悲劇が待ち受けているのか、想像していただきたいと思います。


▽1 登さんにとって天皇とは何か

そもそも提言には、いくつか大きな基本的誤りがあるように思います。

登さんはまず、ご結婚は「一個人の幸せ」の問題であると同時に、「皇位継承に関係する重要問題でもある」と指摘しています。内親王殿下を「一個人」と言い切っていいものか、議論の余地が大いにありますが、皇位継承問題に関わるというご認識はまったく正しいでしょう。そして仰せのように、「ご結婚の有無とその時期」が問題となります。

それなら、どう問題となるのか、その次の登さんの分析は明らかな間違いでしょう。

登さんは、「現在の皇室典範に基づく皇位継承順位は、①秋篠宮さま、②悠仁さま、③常陸宮さまであるが、女性天皇・女系天皇の容認を提言した2005年の有識者会議の報告書に従うと、この順位は、①愛子さま、②秋篠宮さま、③眞子さま、④佳子さま、⑤悠仁さま、⑥常陸宮さまの順となる」と説明していますが、仰せの「ご結婚の有無とその時期」次第では、そのようにならないことは明白です。

登さんが推奨する女性天皇・女系天皇容認、女性宮家創設が今後、もし制度化されたとして、そののち内親王が独身を貫く場合、婚姻したとしてもお子様が誕生されなかった場合、逆にお子様が誕生された場合では、皇位継承順位は当然、変わります。愛子内親王殿下が婚姻によって皇籍を離脱したあとの制度改革なら、登さんが仰せの皇位継承順位にはなり得ません。

登さんは「愛子さまが天皇になられた後に、万が一お子様ができない場合には、次の天皇は眞子さまになる」と断定していますが、これも婚姻の「時期」次第ではそうはならないでしょう。皇位継承順位があたかも確定的であるかのような説明で、読者をミスリードしてはなりません。

登さんは「眞子さまの幸せ」と「国民の祝福」の妥協点として、皇室典範が定める皇室会議による皇籍離脱を提案していますが、新たな火種を生むことにならないでしょうか。登さんは、「皇室制度の民主的側面を象徴する」と自賛していますが、議員10人のうち皇族は2人、天皇も参加しない皇室会議の決議で皇族の減少を逆に促進する「民主」主義は禁じ手というべきです。現にイギリスで似たようなことが起きているではありませんか。

結局のところ、登さんの議論は、国民主権下の法制度によって、126代続いてきた天皇を引きずり下ろそうとしているかのように私には見えます。そのようにする登さんにとっての天皇とは何でしょうか。何のための皇位継承なのでしょうか。


▽2 王朝の支配を破るのは憲法違反

登さんは、昨年11月には「女性・女系天皇は不可避~実際の皇位継承順位は? 『安定的皇位継承』の議論先送りは許されない」という文章を同じ論座に載せています。〈https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019112600008.html

ここでは女性天皇・女系天皇容認のための国民的議論の開始を安倍総理に強く迫っていました。

登さんがくりかえし強調し、支持されるのは「象徴天皇制の安定的継承」です。126代続いてきた伝統的「天皇」ではありません。「国民の7割が支持」するという「象徴天皇」と開闢以来、わが祖先たちが築き上げてきた「天皇制」とは同じではありません。その違いを「7割」は理解していると登さんはお考えでしょうか。

登さんは古来の男系継承主義を近代的な男女平等主義の物差しによって批判しています。海外の王位継承が男女平等に改められたことを解説し、男女差別は中近東以外では日本だけだと指弾していますが、間違いでしょう。

過去の歴史に女性天皇がいないのではなく、夫があり、子育て中の女性天皇がおられないのであり、それは男女差別ではなく、王朝の支配という大原則にあります。現行憲法の定める「世襲」はdynasticの意味で、血がつながっていればいいというのではありません。

ヨーロッパでは王族同士の婚姻、つまり父母の同等婚によって王位継承が行われ、女王の子孫に継承される場合は王朝が変更されました。これとは異なり、日本では男子の皇族性が厳しく要求され、皇室という王朝の支配が一貫してきたのです。ヨーロッパでは近年、父母の同等婚という原則が崩壊しています。ヨーロッパの王室を参考するにわけにはいきません。

 【関連記事】参考にならないヨーロッパの「女帝論議」──女王・女系継承容認の前提が異なるhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2006-12-18
 【関連記事】大変革のときを迎えたイギリス王室──男女平等継承どころではないhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-10-15-1


明治の皇室典範が女帝を否認した最大の理由は、王朝の支配を堅持するためでした。王朝の支配を破る女系継承容認は現行憲法にも違反します。そこまでして歴史に前例のない制度改革に血道を上げるより、男系の絶えない制度をどうして考えようとしないのですか。


▽3 藩屏なき皇室、ここに極まれり

聖書は男のあばら骨から女が生まれたと説明していますが、日本の国生み神話は男女の共同作業で国が生まれたと物語っています。ヨーロッパ的な男女平等概念の根っこには、キリスト教の徹底した男女差別があるのではありませんか。

登さんは、皇位継承の男系主義は単なる男女差別にしか映らないのでしょうか。古来の天皇は私なき祭祀をなさる祭り主でした。天神地祇を祭り、ひたすら国と民のために祈る存在でした。天皇には姓がありません。異姓の臣下が皇籍に入ることなどあり得ません。逆に民間から入内した皇后は摂政ともなり得ます。これは男女差別でしょうか。

皇位はそもそも平等の概念とは別の次元に位置するものであって、皇位の継承に平等原理を持ち込むことに無理があるのではありませんか。

 【関連記事】基本を忘れた女系継承容認論──小嶋和司教授の女帝論を読むhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-31

登さんは論考のなかで、これまでの議論の経過を詳しく説明していますが、政府の有識者会議が皇室の天皇観を検討しなかったことについては言及しておられません。「皇位の安定的継承」のために126代続く皇室の歴史と伝統を無視するのは、矛盾以外の何ものでもありません。登さんが考える皇位とは、国事行為のみを行う特別公務員としての天皇でしかないのではありませんか。それならそうと、皇室の伝統とは違うと、正確に説明すべきです。

 【関連記事】混迷する「女性宮家」創設論議の一因──古代律令制の規定を読み違えている?https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-03-18

昨年の論考では、登さんは女性天皇・女系天皇容認の制度化によって皇位継承順位が途中で変更されることへの「感情的な抵抗」を避けるために、新たな皇位継承資格者は従来の資格者のあととすることを提案し、その案によると、① 秋篠宮さま、② 悠仁さま、③ 常陸宮さま、④ 愛子さま、⑤ 眞子さま、⑥ 佳子さまという順位になると説明していますが、こういう議論になってくると、もはや皇位を弄んでいるようにしか私には見えません。

かつては皇室自立主義ということがいわれました。皇室のことは皇室に委ねる。そういう制度に改められるべきではないでしょうか。そうでないと皇族になりたがる有象無象の男たちがあらゆる方法で内親王・女王に群れ集まってくることでしょう。126代の皇室の権威は雲散霧消します。すでに兆候はあります。もしや登さんはそれがお望みでしょうか。

それにしても、苦悩のただ中にある秋篠宮親王を名指しし、公の媒体で介入するとは、藩屏なき皇室、ここに極まれりの思いがします。


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まったく同感──「女性宮家」を主張する朝日新聞社説に噛みついた椎名哲夫元東京新聞記者 [女性宮家創設論]

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まったく同感──「女性宮家」を主張する朝日新聞社説に噛みついた椎名哲夫元東京新聞記者
《斎藤吉久のブログ 令和2年1月13日》
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さんざんな御代替わりの年が過ぎたのも束の間、今年は皇位継承をめぐる国民的議論が沸騰しそうな気配が濃厚です。じつに憂鬱です。

早くも年明け早々、4日のデイリー新潮に、「『女性宮家』を声高に主張する『朝日新聞社説』の本音を読み解く」と題する、椎名哲夫元東京新聞記者の挑戦的な記事(週刊新潮WEB取材班編集)が載りました。女性天皇・女系継承容認の本音を隠して、皇位継承問題を「将来の主権者に」と主張するのは、先延ばしと同じで、欺瞞だと大新聞の社論を切り捨てています。
https://www.dailyshincho.jp/article/2020/01041130/?all=1&page=2


▽1 「決めるのは国民だ」

まったく仰せの通りです。

椎名さんが批判するのは、大嘗祭直後、11月18日の社説「皇室制度の今後 政治の怠慢に終止符打つ時」です。〈https://www.asahi.com/articles/DA3S14260076.html

社説は、概略、次のように主張しています。

御代替わりで皇位継承問題が先延ばしされてきたが、これ以上は許されない。
継承資格者は3人。いま継承順位の変更につながる見直しは非現実的だが、ご活動の維持存続は早晩立ち行かなくなる。
ご活動の絞り込みは必要で、実際、進んでいるが、国民との接点が減れば、象徴天皇制の基盤が揺るぎかねない。その対応策として、「女性宮家」創設をあらためて検討すべきだ。
他方、旧宮家の男子を復帰させる案があるが、600年前に別れ、戦後は民間人だったのをいまさら戻し、女性宮家を飛び越して資格者とすることに幅広い賛同は得られまい。
象徴天皇制の存続には規模の維持が不可欠で、現実的に「女性宮家」問題に結論を出すことが優先されるべきだ。
国民統合の象徴をめぐり、国民に深刻な亀裂が生じるのは好ましくない。当面は新女性宮家の様子を見守り、判断は将来の主権者に委ねるという考えもあろう。決めるのは国民だ。

憲法の国民主権論に立ち、憲法が定める象徴天皇制の基礎とされるご公務の維持には、「女性宮家」創設が当面、必要だと訴えています。代わり映えのしない主張です。


▽2 朝日新聞社説の「欺瞞」

椎名さんの批判が面白いのは、次のように、朝日の社説には「欺瞞」があると見ていることです。

社説が「女性皇族を飛び越えて『国民統合の象徴の有資格者』とすることに幅広い賛同が得られるとは思えない」というのは、「国民統合の象徴の有資格者にするのは女性皇族が先だ」と言っているようなものではないか。
「当面は悠仁さまと新女性宮家の様子を見守り、判断は将来の主権者に委ねる」というは、将来は女系(婿入りした男性の父系)に皇統が移ることも認めるという前提に立っていることになる。
「判断は将来の主権者に委ねる」というのは、朝日が批判する「政府は検討を先延ばしにしてきた」ことと同じではないのか。

「女性宮家」創設賛成の本音を隠して、まずは既成事実を作ろうと、読者を欺いているというわけです。しかも論理が一貫していないのです。

なぜそうなるのか、というと、議論の立て方がそもそもおかしいのです。

椎名さんが「女性宮家」創設論の経緯を振り返り、説明しているように、皇位継承問題と「女性宮家」問題は別のテーマでした。しかし両者を切り離して検討するとした野田内閣の「女性宮家」創設論議は国民を欺くものでした。独身を貫くわけではないから、子供が生まれ、皇位を継承すれば、新たな皇統が生まれる。「女性宮家」創設=女系継承容認なのです。

朝日の社説は、この核心部分を誤魔化しているというわけです。


▽3 皇室2000年の歴史を無視

椎名さんは、朝日が言下に切り捨てる旧宮家復活にも言及し、誤解が多いと指摘しています。

朝日の社説がいうように、600年前に離れたのは事実だが、戦後の皇籍離脱まで皇統の備えとして11宮家は存続してきた。600年間、出番はなかったが、離脱後も品位と矜持を保つために苦労してきた。
とりわけ東久邇宮家は今上陛下とも近い。東久邇宮稔彦元首相は明治天皇の皇女と結婚し、長男盛厚氏は昭和天皇皇女と結婚した。その5人のお子さんは今上陛下の従兄弟であり、複数の男子がおられる。

朝日の社説はこうした事実をまったく無視しているのです。だからこそ、椎名さんは「何を検討すべきなのか」と問いかけています。男系維持のために、旧皇族の若い男子を現在の宮家の養子に迎えるなど方法はあり得ます。

要するに、朝日の社説は皇室伝統の男系主義が守られるために知恵を絞るのではなく、逆に皇室のルールを破ることを、国民主権主義にかこつけて驀進しようとしているかのように見えます。つまりそれは二千年の歴史を持つ天皇とは異質のものであり、歴史的天皇の否定ではありませんか。もしや、それが本当の目的でしょうか。


▽4 憲法が定める「王朝の支配」

最後に蛇足ながら補足します。

椎名さんは「女性宮家」創設=女系継承容認と指摘しますが、私の読者ならご存知のように、そもそも両者は同じものとして始まったのでした。「女性宮家」創設が結果として女系継承容認に結びつくのではなくて、女性天皇・女系継承を容認するならあらかじめ「女性宮家」創設が必要だという論理です。

 【関連記事】「2つの柱」は1つ ──「女性宮家」創設の本当の提案理由 4https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2017-05-28

2点目は、御公務御負担削減です。朝日の社説は削減は必要で、対策はいまも行われていると説明していますが、宮内庁の削減策は失敗したとはっきり理解すべきです。

先帝の御在位20年のあと始まった削減策で、文字通り激減したのは祭祀であり、いわゆる御公務は逆に増えました。とくに減らないのは庁内人事異動者と赴任大使の拝謁です。社説がいう象徴天皇制の基盤ではなく、官僚社会の壁がネックなのです。

 【関連記事】省庁ごとに設定される「拝謁」──ご負担軽減のネックは官僚社会!? 5https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2017-08-04

3つ目は国民主権主義です。決めるのは国民だと社説は声を荒げていますが、それでいいのでしょうか。皇室には皇位継承に関するルールがありますが、社説にはそれに対する眼差し、敬意が欠けています。女性天皇は歴史に存在しますが、夫があり、子育て中の女性天皇は歴史に存在しません。なぜなのか、考えていただけないでしょうか。

 【関連記事】深まらない皇室論議 ──国連女子差別撤廃委員会騒動をめぐってhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2016-03-20

もうひとつ、憲法は皇位は世襲と定めています。もともとdynasticの意味で、王朝の支配を意味します。王朝交替の否認が近代の女帝否認の核心でした。椎名さんがいうように、女系継承は新たな王朝の始まりです。朝日新聞は憲法を守るために憲法違反を認めよと仰せなのでしょうか。矛盾しています。

 【関連記事】基本を忘れた女系継承容認論──小嶋和司教授の女帝論を読むhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-31

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「先帝」という呼称について考える [皇室用語]

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「先帝」という呼称について考える
《斎藤吉久のブログ 令和2年1月10日》
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先日、「先帝陛下というのは亡くなった天皇、大行天皇の意味ではないのか。ご存命の陛下に対して不敬にならないのか?」という趣旨のお問い合わせがありました。私は「先帝」で大丈夫だと思います。

譲位なさった平成の陛下に対してどのようにお呼びすればいいのか、敬愛の念の深い方ほど、悩まれるのでしょう。皇室典範特例法は「退位した天皇は上皇とする」と定めていますが、私は馴染めません。「退位」もそうですが、なぜ略称なのか。「太上天皇」という歴史的な呼び方ではいけないのでしょうか。


▽1 光格天皇は「先帝」

私は「先帝」をもっぱら使っています。200年前に譲位された光格天皇の場合、「先帝」と表現されていますから、問題はないと思います。

宮内省図書寮がまとめた『仁孝天皇実録』を見ると、受禅践祚が行われた文化14年3月22日の2日後の綱文(概要を示す本文)に、「先帝に太上天皇の尊号を上らる」(原文は漢字カタカナ混じり)とあり、譲位された光格天皇を「先帝」とお呼びしています。

正確にいえば、綱文に続いて掲載された史料の「寛宮御用雑記」「洞中執次詰所日記」には、「尊号宣下」「宣下」の記述はあるものの、「先帝」とは記されていません。自明であり、わざわざ書き込む必要はないということでしょうか。

したがって光格天皇、仁孝天皇の時代に「先帝」という呼称が使用されていたかどうかは、これだけでは不明ですが、宮内省図書寮という権威ある公機関が、この実録を編纂した昭和戦前期に、譲位後の天皇を「先帝」とお呼びしたことは少なくともはっきり確認できます。

それならいまの宮内庁はどうかというと、残念なことに、皇室用語の使用が目を覆うほどに混乱しています。今回の御代替わりでも、宮内庁がまとめた資料には、「旧天皇」「前天皇」「新天皇」などと書かれていました。「先帝」「新帝」ではダメなのでしょうか。〈https://www.kunaicho.go.jp/news/pdf/shikitenjyunbi-2-shiryo1.pdf

それどころか、信じがたいことに歴史の軽視どころか、改竄さえ行われたのです。もはや参考にならないということです。

 【関連記事】宮内庁は史実のつまみ食いをしている!?──第2回式典準備委員会資料を読む 4https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2018-04-09


▽2 固有名詞では呼ばない

ついでながら、終戦の年の春に、帝国学士院が編集発行した『帝室制度史 第6巻』は、天皇の称号である「帝号」について、詳しく説明しています。

それによると、天皇は古来、さまざまに呼ばれてきたが、漢字文化の到来で、漢風の称号が用いられ、国風と漢風の併用が行われるようになったとあります。皇祖の子孫たることを示すスメミマノミコト、ヒノミコ。統治の意義に基づくスメラギ、スメラミコトなど。君主の意義を示すオホキミ、天皇、帝などというわけです。

面白いのは、皇居などの事物を借りてお呼びするミカド、オホヤケ、禁裏、御所などの称号の存在です。なぜ場所で呼ばれるのか、これは、天皇の名前は固有名詞では呼ばれない御名敬避と関わっているようです。

『帝室制度史 第6巻』には、ずばり「御名の敬避」なる一節があり、隋唐の文化が移入、定着したと説明しています。ただ、完全な外来文化との断言を避けています。そして大宝令にいたり、皇祖以下御名敬避は制度化されました。「先帝」についてはとくに説明はありません。近代以後は譲位が否定されています。

戦後になると、天皇をわざと固有名詞で呼ぶケースがしばしば見受けられます。皇室の権威の低下か、あるいは特定の政治的意図があるのか。

先帝の「御学友」、といっても昭和天皇の御学友とは異なり、実態は学習院の単なる同級生でしたが、陛下を固有名詞で呼び、それを著書に著す方がいました。外信部も経験した記者で、ファーストネームで呼び合う欧米文化の匂いが強く感じられました。宮内庁が使い出した「前天皇」「新天皇」にも共通性があります。

 【関連記事】「ご学友」天皇論の限界──橋本明さんの不思議な文体https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2009-08-04-2

庶民なら気軽に名前を呼び合うのもかまいませんが、せめて皇室については千年を超える歴史と文化を大切にしたいものです。譲位された天皇を「先帝」とお呼びすべきか否かよりも、こっちの方が深刻なような気がします。

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天皇制をやめるんですか──伊藤智永・毎日新聞編集委員の皇室記事を読んで [女系継承容認]

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天皇制をやめるんですか──伊藤智永・毎日新聞編集委員の皇室記事を読んで
《斎藤吉久のブログ 令和2年1月5日》
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明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

さて、年明け早々、毎日新聞(電子版)にたいへん刺激的な記事が載りました。伊藤智永編集委員兼論説委員による「象徴天皇制を続けますか」という、きわめて挑発的なタイトルの記事で、安倍総理に女系継承容認を迫っています。
https://mainichi.jp/articles/20200104/ddm/005/070/012000c?yclid=YJAD.1578199679.Vy2ZXbedcq1M8vrxPPrYksSnCWxVveI2L1yG26FDJPXdS5RehCgvbmhpy9kfZIreWAqjvzjUC6wuk88-

簡単に要約すると、平成元年は祝賀ムードで過ぎたが、先帝が投げかけた「宿題」は手付かずのままだ。皇室が絶える日は近づいている。先帝は1つの象徴像を模索され、示された。実現した御代替わりは象徴天皇制の成熟と評価される。しかし天皇がいなくなれば、憲法体系は抜本的改変を迫られる。世論も自民党内も女性・女系容認論が大勢を占める。安倍政権が大胆に決断すれば歴史に名を刻む、というわけです。

問題の核心は、象徴天皇制とは何か、です。そして、先帝と伊藤さんとでは意味が違うように私は思います。とすれば、結論は同じにはなりません。もう1つは、皇統の危機は間違いないとして、女性天皇・女系継承容認以外に方法はないのか、ということです。以下、検討します。


▽1 先帝の「象徴」と伊藤さんの「象徴」

伊藤さんによれば、先帝は皇太子時代から、憲法に記された象徴天皇像を模索してこられました。弱者や被災者らに寄り添う「旅」は「象徴がなすことを創造し、国民の敬愛を重ねて一つの『型』を打ち立て」られたものでした。しかし違うのです。

伊藤さんの「象徴」はあくまで現行憲法を出発点としていますが、先帝は違います。先帝は皇位継承後、機会あるごとに、「伝統」と「憲法」との両方を追求すると述べられています。

伊藤さんの記事には皇室の「伝統」が抜けています。古来、スメラミコトとして国の中心にあり、国と民を統合してきた天皇の役割への眼差しが欠けています。天皇は現行憲法公布のはるか以前から「国民統合の象徴」だったことが見落とされています。

先帝が問いかけられたのは、主権者たる「国民が皇室を存続させるつもりなら、今の皇位継承のしくみでは難しいですよ」というのではなくて、むしろ象徴天皇制の暗黙の前提とされているご公務主義、行動主義の評価ではないでしょうか。

現行憲法は、天皇は国事行為のみを行うと定めています。具体的にいえば、伊藤さんが例示する「首相と最高裁長官の任命、憲法改正や法律・政令・条約の公布、国会召集と衆議院解散、大臣や上級官吏の任免」がそれです。

伊藤さんが指摘するように、「天皇がいなくなったら、憲法体系の抜本改変は避けられない」ことになります。だから、と伊藤さんは論を進めるのですが、先帝が模索された象徴天皇像は、むろん国事行為のみを行う天皇ではありません。むしろ憲法には具体的定めのない、象徴的行為=御公務をなさる天皇です。そして、その御公務の背後にあるのは、ひたすら国と民のために捧げられた歴代天皇の祈りの蓄積です。

伊藤さんは、先帝が皇后とともに重ねられた「旅」によって象徴天皇像を「創造」し、国民はこれを敬愛して、1つの「型」が打ち立てられたと解説していますが、国民が敬愛するのは、憲法上の象徴ではなく、憲法の条文にはない、いわば非憲法的な天皇像なのです。

したがって、伊藤さんが指摘したように、天皇がいなくなれば憲法体系が破綻するというのではなく、すでに現行憲法が空文化しているのであって、法の不足分を補完してきたのが先帝の「旅」だったのではないでしょうか。憲法の象徴天皇像は日本の歴史と乖離しています。

126代続いてきた天皇は国民の知らないところで、国と民のために祈る祭り主でした。先帝が被災地で被災者に親しく声をかけられるのは、この祈りを行動に示された結果です。国民は先帝の行為の背後に見える、歴代の祈りの蓄積にこそ心を揺り動かされるのではありませんか。


▽2 皇室のルールを臣下が変えることの是非

皇室には皇室固有の皇位継承についてのルールがあります。男系継承はまさにそれでしょう。それは憲法上、主権者とされる国民が勝手に変えていいものでしょうか。これは憲法問題ではなく、文明上の問題です。

伊藤さんが仰せのように、天皇がいなくなったら憲法体系は崩壊するから、そうはならないように、国民主権の名のもとに、国民が、そしてその代表たる首相は決断すべきだと考えることは、その時点で、もはや天皇とはいえない、名ばかりの天皇を新たに作り上げることにならないでしょうか。

伊藤さんは、「象徴天皇が政治のモラルを担う安心感は、思いのほか大きい」「象徴天皇制は民主主義の欲望と傲慢さと愚かさを補う」と評価しますが、プラス面ばかりとは限りません。天皇が被災者たちを激励しなければならないのは、行政の無能、怠慢の裏返しではないのですか。

伊藤さんは、女系継承容認への決断を安倍政権に迫っています。改元の実現とあわせて、歴史に名を刻むだろうと誘っていますが、まったく逆ではありませんか。

今回の改元は、古来の代始め改元とはまったく異質の、いわば退位記念改元でした。女性天皇は過去に確かに存在しますが、夫があり、あるいは子育て中の女性天皇は歴史に存在しません。まして歴史にない女系継承を国民主権を名目に容認したとして、皇配選びや御公務のあり方についてどう考えるのでしょうか。

天皇の配偶者となれば、いろいろな条件が求められるでしょう。家柄も問われます。その子孫にも継承権が認められるには、皇配にも皇族性が求められるでしょう。しかしここで矛盾が生まれます。皇配は女性天皇より皇位継承順位の低い遠系の男子でなければなりませんが、それなら近系の女子を優先するより、遠系の男子が皇位を継承すべきだからです。

伊藤さんもよくご存知のように、史書によれば、25代武烈天皇が皇嗣なきまま崩御されたのち、皇位を継承された継体天皇は15代応神天皇の五世孫で、即位後、武烈天皇の姉手白香皇女を皇后とされました。200年前の119代光格天皇の皇后は先帝後桃園天皇の第一皇女です。これが皇室のルールです。勝手に変えるべきではありません。

伊藤さんが指摘するように、先帝は1つの象徴天皇像を示されました。近代主義的行動主義、御公務主義というべきものですが、それには2つの限界がありました。

1つは御公務の件数が無限に増えていく可能性です。毎日新聞の写真展にお出ましになって、他社の美術展にはお出ましにならないというわけにはいかないからです。2つ目は、健康と体力が絶対的要件だということです。老境に達せられた先帝が譲位を決断された理由こそまさにこれでした。

先帝が「宿題」とされたのは、伊藤さんが仰せの、皇位継承の仕組みではなく、126代続いてきた古来の天皇制とは異なる、現行憲法が定める象徴天皇制での多忙を極める御公務のあり方です。つまり、天皇とは何だったのか、天皇のお務めとは何か、です。

先帝の御在位20年を過ぎたころから、宮内庁は御公務御負担軽減策に取り組みました。しかし、見事に失敗しました。文字通り激減したのは宮中祭祀であり、御公務は逆に増えました。失敗の責任を問うこともせずに、女性天皇はまだしも、歴史にない女系継承容認に挑戦することは論理の飛躍であり、角を矯めて牛を殺すことになりませんか。いやむしろご主張の目的はそこにあるとみるのは穿ち過ぎでしょうか。

憲法は皇位の世襲を定めています。dynasticの和訳でした。王朝の支配がもともとの意味です。必然的に王朝の変更をもたらす女系継承容認は、憲法に違反します。伊藤さんは皇室の伝統にも憲法にも反しない、男系の絶えない仕組みを、なぜ模索しないのですか。

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