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憲法の原則を笠に着る革命思想か。ジェンダー研究者の女性天皇論を読む [皇位継承]

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憲法の原則を笠に着る革命思想か。ジェンダー研究者の女性天皇論を読む
《斎藤吉久のブログ 令和2年2月23日》
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女性週刊誌が盛んに女帝容認論を煽っています。なぜ古来、男系主義が貫かれてきたのか、を識者も編集者も、追究しようとしないのは、なぜでしょう。

「女性自身」2月7日号には、牟田和恵・大阪大学大学院教授(ジェンダー研究者)による「皇室の女性差別」撤廃を要求する女性天皇論が載りました。

ご主張の要点は以下のようにまとめられます。

(1)天皇陛下の長子である愛子内親王が次の天皇になられるのは当然だ。現在の皇室典範は男女平等ではない。改正すべきだ
(2)憲法には法の下の平等が記されている。なのに、皇位継承は男系男子に限られている
(3)皇室典範の女性差別は日本社会の女性差別を反映している
(4)女性差別の根本には「家父長制」がある。個人より「家」を第一とする発想が根強く残っている証拠だ
(5)ヨーロッパの王室は第一子継承に変わっている。日本も皇室典範改正を急ぐべきだ
(6)愛子内親王は健やかに成長されている。立派に天皇の務めを果たされるだろう
(7)「女性だからできない」ことはなくしていくべきだ

ジェンダー研究者なのですから当然といえば当然かもしれませんが、法律論として、歴史論としておよそ不正確で、十分とはいえないでしょう。

▽1 「法の下の平等」の例外

まず法律論ですが、以前も申し上げましたように、憲法が法の下の平等を謳い上げていることは誰でも知っています。その憲法が第一章で、血統主義に基づく天皇という特別の地位を認めているのです。そもそも皇位の男系主義は法の下の平等の例外なのです。

 【関連記事】基本を忘れた女系継承容認論──小嶋和司教授の女帝論を読むhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-31
 【関連記事】どうしても女性天皇でなければならないのか。男系を固守することは不正義なのか。なぜ男系の絶えない制度を考えようとしないのか?https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-02-09

もし牟田さんが法の下の平等を社会全体に貫くべきだと主張されるのなら、女帝容認ではなく、天皇廃止を訴えなければなりません。牟田さんにとっての法の下の平等は性差別の否定だけなのですか。

次に歴史論ですが、男系主義の背景に何があるのか、もっと深く追求されるべきではないでしょうか。

牟田さんが仰せの「家父長制」には支配の論理という響きがありますが、日本の天皇は支配者とは一味も二味も異なる存在です。

たとえば「サバの行事」はご存知ですか。明治になって惜しくも絶えてしまいましたが、歴代天皇はわが統治する国に飢えたる民が一人いても申し訳ないとの思いから、毎食ごとに食膳から一箸ずつ料理を取り分けて、衆生に捧げ、そのあと召し上がったのです。

 【関連記事】皇祖と民とともに生きる天皇の精神 ──宮廷行事「さば」と戦後復興https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1998-06-08-2

昭和、平成、令和と三代の天皇は御所の水田で穀物を栽培しておられますが、みずから泥田に入られる君主は日本の天皇だけです。世界には農民といっても田畑に入らない支配層もいるのにです。

牟田さんは天皇を家の論理で説明していますが、間違っています。皇室は姓を持たない、家を否定した、家のない家だからです。海外のロイヤル・ファミリーとは違うのです。

▽2 女性差別ではない

以前も説明しましたが、歴史上、女性天皇は存在します。しかし夫があり、子育て中の女性天皇はおられません。過去の女性天皇はすべて寡婦もしくは独身を貫かれました。他方、たとえ民間から入内したとしても皇后は摂政となることも可能です。

これは女性差別なのでしょうか。逆に男子ならば、内親王、女王と婚姻しても皇族となることはありません。差別論で捉えることに無理があるのでしょう。

牟田さんはヨーロッパの王室に学ぶべきだとも仰せですが、これも間違いです。参考にしようがないからです。

たとえばイギリスは、父母の同等婚と女王継承後の王朝交替という二大原則がありましたが、原則はすでに崩壊しています。ヨーロッパに学び、女帝を認め、その子孫に継承するということはすなわち古代から続いてきた皇統の否定、革命をもたらすこととなるでしょう。

 【関連記事】参考にならないヨーロッパの「女帝論議」──女王・女系継承容認の前提が異なるhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2006-12-18

憲法は皇位は世襲すなわちdynasticだと王朝の支配を認めています。牟田さんの「女性差別」撤廃の発想は憲法の基本原則を掲げながら、その実、憲法に反し、天皇統治の終わりをもたらす革命思想ではありませんか。

 【関連記事】女系は「万世一系」を侵す──「神道思想家」葦津珍彦の女帝論http://www004.upp.so-net.ne.jp/saitohsy/ashizu_joteiron.html

牟田さんは最後に愛子天皇待望論を訴えています。健やかに成長され、務めを果たすことができると太鼓判を押されているようですが、天皇は能力主義ではありません。血統主義なのです。

古来、天皇第一のお務めは私なき立場で天神地祇をまつる神祭りにあるとされています。古代人は夫があり、子育て中の女性に私なき祭祀をお勤めいただくのは忍びないと考えたのではないでしょか。8人10代の女性天皇がいずれも寡婦もしくは独身を通されたのはそのためでしょう。差別ではありません。むしろ逆でしょう。

牟田さんにお願いします。男系主義の外形だけを見て、女性差別と決めつけ、皇室の歴史と伝統を否定し、むりやり変質させるのではなく、皇位の本質を深く探り、祖先たちが大切に守ってきた歴史的価値を理解していただくことは無理でしょうか。女性週刊誌の編集者にもぜひお願いします。


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なぜ悠紀殿と主基殿があるのか。田中英道先生の大嘗祭論を読む [大嘗祭]

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なぜ悠紀殿と主基殿があるのか。田中英道先生の大嘗祭論を読む
《斎藤吉久のブログ 令和2年2月16日》
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日本会議の機関誌「日本の息吹」2月号に、保守派言論人として著名な田中英道東北大学名誉教授(専攻は美術史。日本国史学会代表理事)が大嘗祭に関する興味深いエッセイを寄せています。

連載「世界史の中の日本を語ろう」の第25回で、タイトルは「大嘗宮はなぜ悠紀殿と主基殿の二殿あるのか」。着眼点の斬新さはさすがです。
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▽1 悠紀殿=東国、主基殿=西国

先生は、大嘗祭の祭祀が二度繰り返され、斎田も2か所あり、悠紀、主基と呼ばれることに注目し、なぜ二殿で同じことが繰り返されるのかという素朴な問いかけをなさっています。國學院の展覧会でも、折口信夫の「大嘗祭の本義」にも説明はありませんでした。

先生によると、天武・持統朝に定められた大嘗祭は当然、壬申の乱と関係があり、東日本と西日本それぞれの殿舎を建てるということには理由があった。東国には高天原=日高見国の長い伝統があり、持統天皇の諱には「高天原」が含まれている。

『新撰姓氏録』は氏族を「神別」「皇別」「諸蕃」に分けているが、神別の氏族の故郷が東国で、藤原、物部、大伴らの有力氏族が属していた。ユダヤ人埴輪もすべて東国の埴輪にあった。

東国と西国は同等と考えられていたことの現れが悠紀殿と主基殿の二殿である。茅葺き、丸柱は東国の伝統で、「大倭日高見国」が日本なのである。日高見国と大和国が天皇によって統一された事実が大嘗祭に示されている、というのが先生の見方です。

仰せのように、大嘗祭が悠紀殿と主基殿の二殿で行われるのは大きな謎です。かつては新嘗祭と大嘗祭との区別はなく、規模を改めた大嘗祭が行われるようになったのが、まさに天武天皇のころ、壬申の乱のあとでした。

国を二分する内乱のあと、国と民を再統一する仕掛けが必要とされたことは想像に難くありませんが、それが大嘗祭発生のカギだったとしても、悠紀殿=東国、主基殿=西国という図式で捉えることには慎重を要するのではないかと私は思います。


▽2 新嘗祭の夕の儀と暁の儀は?

毎秋の新嘗祭は神嘉殿で行われます。明治の初年までは臨時の殿舎が建てられたそうですが、大嘗祭とは異なり、一棟です。夕(よい)の儀と暁の儀と同じ神事が二度繰り返されますが、悠紀・主基とは呼ばれません。

ふつうは夕の儀は夕御饌(ゆうみけ)で、御寝座でお休みいただいたあと、暁の儀で朝御饌(あさみけ)を差し上げるというように説明されています。新嘗祭は同じ殿舎ですが、大嘗祭は儀場も改められ、より丁重さが加わるということではないでしょうか。

日本の高床式建築には2つのルーツがあるそうですが、悠紀殿と主基殿には大きな違いはありません。ふだんは何もない空間に八重畳の御神座、天皇の御座などが配置されるのも変わりません。

 【関連記事】神社建築発生の謎──高床式穀倉から生まれた!?https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2013-05-20-2

先生のエッセイには言及がありませんが、祭神論からすると、悠紀殿の儀、主基殿の儀とも変わりません。前者は天神、後者は地祇を祀ると説明した古い資料もありますが、新帝の御告文は皇祖神ほか天神地祇に捧げられるはずです。

先生の説だと、悠紀殿には東国の神々、主基殿には西国の神々が祀られるのでしょうか。そうなると逆に国の再統一という目的から外れてしまわないでしょうか。

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▽3 米と粟の儀礼こそ祭りの核心

神饌はどうでしょう。先生ご指摘のように、近世までは京都の東に悠紀国、西に主基国が設定され、悠紀殿の儀、主基殿の儀にはそれぞれの御料が用いられました。なぜ東が悠紀で、西が主基なのかは大きな謎です。主基は「次」の意味とされています。

これも先生の文章にはありませんが、主饌となるのは米と粟の御飯(おんいい)と白酒・黒酒の神酒です。悠紀殿の儀、主基殿の儀とも変わりはありません。しかしここにこそ内乱後の国と民の再統一という大命題の意味が見出されるのではないでしょうか。

日本の神祭りは神々との神人共食が本義です。争乱で分裂した国中の神々をすべて祀り、天つ神の米と国つ神の粟を捧げ、祈り、新帝も召し上がる。さらに続く節会で民の饗宴が行われ、神々と天皇と民との命が共有される。それが大嘗祭の核心部分ではないかと私は思います。

先生は、大嘗祭を稲の祭りと決めつけず、米と粟が供されることに注目した岡田荘司國學院大学教授の大嘗祭論を「戦後の歴史家の唯物論的見方」と一刀両断にしていますが、米と粟の神事こそ国と民を1つにまとめあげるスメラミコトの真骨頂でしょう。

ただ、粟=東国、稲=西国というわけではありません。田中先生の説は東国vs西国の図式に引きずられ過ぎているように思われます。

 【関連記事】大嘗祭は米と粟の複合儀礼──あらためて研究資料を読み直すhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-18
 【関連記事】大嘗祭は、何を、どのように、なぜ祀るのか ──岡田荘司「稲と粟の祭り」論を批判するhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2019-11-10
 【関連記事】やっと巡り合えた粟の酒 ──稲作文化とは異なる日本人の美意識https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2019-09-23


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どうしても女性天皇でなければならないのか。男系を固守することは不正義なのか。なぜ男系の絶えない制度を考えようとしないのか? [皇位継承]

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どうしても女性天皇でなければならないのか。男系を固守することは不正義なのか。なぜ男系の絶えない制度を考えようとしないのか?
《斎藤吉久のブログ 令和2年2月9日》
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女性天皇容認のみならず、「万世一系」とされる皇統に根本的変革を招く女系継承容認論が沸騰している。現在の皇位継承順位を一変させる「愛子さま天皇」待望論までが飛び出して、かまびすしい。
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古来の男系継承を堅持することがまるで不正義であるかのような口吻である。男系男子をもって皇位が継承され続けることは正義に反することなのだろうか。検討してみたい。


▽1 皇室のルールをなぜ変える

推進派の論拠は、法理論と歴史論、現実論の3つに大きくまとめられると思う。

①(法理論)人は法の下にあって平等である。男女は平等である。象徴天皇は女性でも務まる。
②(歴史論)8人10代の女性天皇が歴史に存在する。海外では男女を問わない王位継承に変わっている。
③(現実論)皇位継承資格者の数が減少している。男系継承主義の場合、入内する女性が受ける心理的圧力は計り知れない。国民の圧倒的多数が改革を支持している。

以下、Q&A式で考える。まずは法理論である。

Q1 男女は平等で、憲法も認めている。女性天皇の即位を認めるべきではないか?
A1 法の下の平等は憲法の大原則であるが、その一方、憲法は第一章で、血統主義に基づく天皇という特別の地位を認めている。天皇は平等主義の例外である。憲法の制定過程でも男系継承主義は問題にはならなかった。
 過去に女性天皇がいなかったのではない。夫があり、子育て中の女性天皇がおられないのである。民間から輿入れした女性は摂政ともなれる。これは男女差別だろうか。

 【関連記事】基本を忘れた女系継承容認論──小嶋和司教授の女帝論を読むhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-31

Q2 憲法は「皇位は世襲」と定めている。男系男子継承を定めているのは皇室典範であり、典範を改正すればいいではないか?
A2 憲法の「世襲」はdynasticの意味で、単に血が繋がっているという意味ではない。王朝の支配ということが本義であって、古来、連綿と続いてきた皇室のあり方を根本的に変えるような改革は憲法に違反する。なぜそこまでして、男系で継承されてきた皇室のルールを変更したいのか。

 【関連記事】眞子内親王の皇籍離脱をけしかける登誠一郎元内閣外政審議室長の不遜。安倍総理の次は秋篠宮親王に直言。女性天皇・女系継承容認へまっしぐらhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-01-26

Q3 象徴天皇の務めは憲法に書いてあるが、女性だから務まらないということはない。有能な女性なら、十分に務まるのではないか?
A3 古代において天皇はスメラギあるいはスメラミコトと呼ばれ、国と民を多様なるままに1つに統合することがお役目とされた。古代律令の定めのように、天神地祇をまつり、国と民のために祈ることが第一のお務めであり、歴代天皇は祭祀を継承されてきたが、国務法たる憲法には規定がない。
 皇位は世襲主義であり、能力主義ではない。有能か否かは皇位とは無関係である。むろん、人間的にいい方かどうか、徳の有無でもない。

 【関連記事】西尾幹二先生の御忠言を読む──どこが誤っているのかhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2008-07-22


▽2 古代律令は「女帝」を認めていない

次は歴史論です。

Q4 古代律令制は女子の継承を認めていたし、実際、8人10代の女性天皇がいる。女性天皇は皇室の伝統的あり方である。なぜ否定するのか?
A4 古代律令の、皇族の身分や継承法を定めた「継嗣令」には、「凡そ皇(こう)の兄弟、皇子をば、皆親王(しんのう)と為(せ)よ。〈女帝(にょたい)の子も亦(また)同じ〉。以外は並に諸王と為よ」(『律令』日本思想大系3)とあり、「女帝」が法制度上、認められていたという解釈がある。
 しかし、「女(ひめみこ)も帝の子、また同じ」と読むのが正しく、天皇の子女は親王・内親王とすると解釈されるべきだとの有力説がある。古代において「女帝」なる公式用語はない。
 過去に女性天皇は存在するが、寡婦もしくは独身を貫かれた。女系による継承は予定されていない。女性天皇がいないというのではなく、夫があり、子育て中の女性天皇が存在しないのである。
 それは天皇が公正かつ無私なる祭祀を行う祭り主だからだろう。ひたむきに夫を愛し、子育てに集中する女性の姿は美しいが、「天皇に私なし」とする皇位とは両立できるかどうか。女性の女性たる価値を認めるからこそ、女性天皇は独身を貫かざるを得なかったのではないか。

 【関連記事】田中卓先生の著作を読んで──「皇国史観」継承者が「女性皇太子」を主張する混乱by 佐藤雉鳴・斎藤吉久〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2014-03-01

Q5 女子による皇位継承を認めなくなったのは、明治の皇室典範であり、男尊女卑の悪弊ではないか?
A5 明治の皇室典範制定過程では「男女同権」を掲げる女帝容認が繰り返し浮上し、そして最終的に否定された。明治の女帝容認論は根強いものがあり、男尊女卑の時代と断定することは一面的すぎる。
 旧典範が女帝を否認したのは、皇婿を臣民から迎えることが至難であり、女帝継承後に王朝が変わるからである。

 【関連記事】女系は「万世一系」を侵す──「神道思想家」葦津珍彦の女帝論http://www004.upp.so-net.ne.jp/saitohsy/ashizu_joteiron.html

Q6 海外では男女平等主義に基づいて、女子の王位継承が認められるようになった。日本も見習うべきではないか?
A6 たとえばイギリス王室では、女王による王位継承が認められているが、もともと父母の同等婚が原則で、女子の王位継承後は父方の王朝に変わる。女王の継承は新たな父系の始まりとなる。
 しかし日本では皇族同士の婚姻という原則はなく、参考にしようがない。しかも今日では、イギリスは王族同士の婚姻という原則が崩れており、なおのこと参考にはできない。
 スペインでは男子優先から男女平等主義に移行中だが、同等婚原則がすでに崩れており、これまた参考にしようがない。それでも参考にせよというのは独自の歴史と伝統を無視せよと要求するのと同じである。
 また北欧では国民が王を選ぶ選挙君主制の伝統がある。国民の意思で女子の継承を認めることとなったのは、民主的改革ではなくて、伝統回帰といえる。

 【関連記事】参考にならないヨーロッパの「女帝論議」──女王・女系継承容認の前提が異なるhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2006-12-18


▽3 御負担増を強いる女系継承容認論

最後は現実論です。

Q7 皇位継承資格者は秋篠宮文仁親王、悠仁親王、常陸宮正仁親王のお三方しかおられない。対策を講じなければ、皇室は絶えてしまいかねないではないか?
A7 たしかにそうだが、明治の典憲制定過程ではもっと深刻で、明治天皇に皇男子はなく、皇族男子は遠系の4親王家にしかおられなかった。女帝容認は火急の案件だった。それでも明治人は女帝を否認したのである。優れた見識というべきではないか。
 いまのままでは皇統は絶える。だから女帝を容認すべきだ、という論理はもっともなようで、じつはそうではない。皇統とはすなわち男系なのだから、男系が絶えないよう制度を考えるのが物事の順序というものであり、歴史にない女系継承容認論は論理の飛躍だ。

 【関連記事】基本を忘れた女系継承容認論──小嶋和司教授の女帝論を読むhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-31
 【関連記事】女系は「万世一系」を侵す───「神道思想家」葦津珍彦の女帝論https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2013-04-18-1

Q8 皇室に嫁ぐ女性が男子を産まなければならない心理的圧迫は相当なものである。女子の継承を認めれば、圧力はやわらぐのではないか?
A8 皇太子妃、皇后となる女性の心理を思いやり、古来、男系で貫かれた皇位継承制度に根本的変革を加えるのは、角を矯めて牛を殺すということわざの通りであろう。
 昔から皇統の備えとしての宮家という制度がある。一定の皇族を確保する方策を考えるべきではないか。知恵を絞れば方法はいくつもある。
 女性天皇を認めれば、女帝は御公務をこなしつつ、出産、育児を行うことになるのだろうか。女系継承容認、女性宮家創設論は天皇の御公務御負担軽減が目的とされているが、いまでも多忙をきわめる天皇にさらなるご負担を強いることにならないか。
 さらにもうひとつ、皇婿となる男性には子供ができなければならないという心理的負担はないのだろうか。女性の負担ばかりを考慮するのは平等の精神に反する。

Q9 多くの世論調査は女性天皇・女系継承容認を支持している。なぜ世論に反する男系主義に固執しなければならないのか?
A9 現在の国民の支持を盾にして、なぜ千年余の皇室のルールを変えなければならないのだろうか。古来、男系主義が続いてきたのは国民の支持があったからではないのか。
 女性天皇・女系継承容認を打ち出した政府の有識者会議は終始一貫、皇室の歴史と伝統について検討していない。皇室のことは皇室に委ねるべきではないのか。有識者会議はやり直すべきではないか。

 【関連記事】宮中祭祀をめぐる今上陛下と政府・宮内庁とのズレ──天皇・皇室の宗教観 その4(「月刊住職」平成27年11月号)〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2016-01-17



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