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椎名さん、逆に人材不足でしょ。葦津珍彦のように後進を育成する人がいないのです [皇位継承]

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椎名さん、逆に人材不足でしょ。葦津珍彦のように後進を育成する人がいないのです
(令和2年5月31日)
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☆★So-netブログのニュース部門で、目下、ランキング15位(5950ブログ中)。また順位が下がりました。皇室論の真っ当な議論を喚起するため、「nice」をプチっと押していただけるとありがたいです。〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/〉★☆


皇室問題を検討する民間の研究会「時の流れ研究会」(会長=高山享・神社新報社長)が4月19日、「皇位の安定的な継承を確保するための諸課題」と題する見解を発表しました。超難問に関して、保守主義の立場から共同して真摯に取り組み、社会に情報発信する姿勢は一応、評価されます。〈https://www.jinja.co.jp/ycBBS/Board.cgi/00_backnumber_db/db/ycDB_01news-pc-detail.html?mode:view=1&view:oid=107117&opt:htmlcache=1

しかし残念ながら、いわゆる国家神道に対する誤解と偏見が根強いからでしょうか、記事に取り上げたメディアを私は寡聞にして知りません。そのなかでデイリー新潮が5月10日、『「愛子天皇」「女性宮家」否定の民間研究会 皇室問題の重鎮参加で波紋』(椎谷哲夫、週刊新潮WEB取材班)と題し、好意的に取り上げているのは異色中の異色というべきです。〈https://www.dailyshincho.jp/article/2020/05100800/?all=1&page=1

椎名さんの記事は以前、このブログで取り上げました。前回は「まったく同感」でしたが、今回は違います。「内容もさることながら」「高い見識を有する」「重鎮」たちの「提言は、波紋を呼んでおり、今後の議論に大きな影響を与えることが予想される」との見方は褒めすぎというべきで、逆に保守陣営の人材不足を露呈しているように私には思われてなりません。

 【関連記事】まったく同感──「女性宮家」を主張する朝日新聞社説に噛みついた椎名哲夫元東京新聞記者https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-01-13


▽1 あり得ないことが起きた

同研究会は、椎名さんが書いているように、所功・京都産業大学名誉教授(モラロジー研究所客員教授)、百地章・日本大学名誉教授(国士舘大学特任教授)などが参画しています。所さんは女系容認、百地さんは男系派です。水と油のようにまったく異なる意見をどう取りまとめるか、まとめられるのか、事務方の苦労はふつうなら測り切れないはずです。

ところが、まとめられた「見解」は、『「女性天皇(愛子天皇)の可能性」や「女性宮家創設」について明確に否定する一方、「元皇族の男系の男子孫(男の子孫)による皇族身分の取得」と「現宮家の将来的な存続を可能にする皇族間の養子」を可能にする法整備を提言している』(椎名さんの記事)のですから、椎名さんならずとも「注目」せざるを得ません。あり得ないことが起きたのです。

ちなみに、「見解」の中身は以下のようなものです。

まず第1に「基本方針」です。皇室の伝統と憲法・皇室典範の世襲主義、男系主義を「基本原則」とし、現在、すでに定まっている秋篠宮皇太弟、悠仁親王、常陸宮殿下への継承順位は変えられないということを「基本前提」として確認しています。

2番目は「具体策の必要性」で、悠仁親王殿下以後の時代を見越して、「皇統の歴史的な正統性(皇統に属する血統)と、法的な正当性が保持されること」を指摘しています。

3番目は、女性天皇、女系継承の否定です。①愛子内親王の皇位継承は想定し得ない、②悠仁親王の結婚後、男子がおられない場合、内親王の即位はあり得る、③女系継承は基本原則の逸脱であり、認めがたい、④いわゆる「女性宮家」創設は皇統史に前例がないことなどから認めがたい、などがその中身です。世論の対立・分裂を招く議論は天皇の権威や正統性などを損ねるとも指摘しています。

4番目は「具体策の提言」で、①皇統に属する男系男子の皇位継承資格者を確保する。そのため、昭和22年に皇籍離脱された旧宮家の元皇族の皇籍取得を可能にする、②皇族間の養子を可能にする。そのため皇室典範特例法を制定することの2点を提案しています。

そして「見解」は、「おはりに」であらためて、①適正規模の皇位継承資格者を確保するため、元皇族の男系男子孫の適任者が皇族の身分を取得されることを可能にすること。②皇族間の養子を容認し、現宮家の将来的な存続を可能にすることの2点を提言し、皇室典範特例法などの制定を期待すると訴えています。


▽2 君子は豹変す

以上から容易に理解できるように、「見解」は、水と油を中和させるものではなくて、男系主義そのものです。となると、所さんの存在は研究会にとっていかなる意味を持つのか、逆に所さんにとって研究会参加の意義は何だったのでしょうか。

椎名さんが仰せのように『これまで「愛子天皇」や「女性宮家」を容認する立場だった』所さんは、女系容認派から男系派へと華麗な転身を図ったのでしょうか。マスメディアから「女性宮家」創設=女系継承容認の言い出しっぺと名指しされた方に、そんなイリュージョンが起きるのでしょうか。

 【関連記事】再考。誰が「女性宮家」を言い出したのか──所功教授の雑誌論考を手がかりにhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-02-26

しかし面白いことは起きるものです。

所さんは東京新聞のインタビュー・シリーズ「代替わり考」(聞き手・吉原康和記者)の第4回(5月24日)に登場し、①皇位継承資格を男系男子限定から男系男子優先に変える、②内廷も宮家も男子がいなければ、女子の一人が当家を相続できるようにする、③相続者不在となる宮家に、旧宮家から養子を迎え、男子が生まれたら皇位継承資格を認める、の3案を私案として提示しています。〈https://www.tokyo-np.co.jp/article/16673

平成17年の皇室典範有識者会議のヒアリングで「女性宮家」創設をはっきりと提唱し、秋に報告書が出されると「女性天皇、女系継承、女性宮家の創立なども可能とした報告書の大筋には賛成したい」と翌日の新聞に感想を寄せ、政府にエールを送った「女性宮家」創設のパイオニアの後光はウソのように下火になり、②以外は明らかに「見解」にすり寄っています。奇跡が起きたのでしょうか。

 【関連記事】〈短期集中連載〉「女性宮家」創設賛否両論の不明 第1回──月刊「正論」12月号https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-12-02-1

しかし疑り深い私は半信半疑です。同じようなことが前にもあったからです。それは改元です。

30年前、平成の御代替わりで、所さんは「(新年号の)施行は翌年元旦から」と主張し、古来の踰年改元の考えを踏襲していたのはさすがでした。ところが令和の改元では「践祚日に新元号公表、1か月後施行」に、考えが一変されたように報道されています。君子は豹変す、です。

 【関連記事】「翌年元日」改元か、それとも「践祚の翌月」改元か ──30年で一変した所功先生「改元論」の不思議https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2018-10-07

それだけではありません。ほかならぬ神社新報(平成29年11月13日)には「践祚前日の皇位継承の儀、践祚当日の改元」を提起するエッセイを寄稿しています。〈https://www.jinja.co.jp/ycBBS/Board.cgi/00_backnumber_db/db/ycDB_01news-pc-detail.html?mode:view=1&view:oid=103304&opt:htmlcache=1

むろん主張が変わるのは否定されるべきことではありませんが、変説の理由はきちんと説明されなければなりません。椎名さんはこれが「高い見識」に見えますか。研究会の代表である高山社長は、文明の根幹に関わる重要な皇位継承問題を議論するのにふさわしい人選だとお考えでしょうか。


▽3 問われる研究者としての資質

要するに、学問的研究と政治的主張が乖離しているのです。所さんが優れた研究実績を残されていることは大いに認められるべきで、私も多くを学ばせていただきましたが、残念ながら、それ以上ではありません。

椎名さんが実名を挙げているもう1人の「重鎮」百地さんの場合は、所さんとは逆に、研究不足でしょう。

 【関連記事】〈短期集中連載〉「女性宮家」創設賛否両論の不明 第2回──月刊「正論」25年1月号https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-12-26-1

30年前の平成の御代替わりで、百地さんは、大嘗祭に国の予算をつけることができたといまも得意げに話します。宮中祭祀一般は皇室の私事だが、大嘗祭には公的性格があるから、公金を支出することが相当だとする法理論を立て、これが政府に受けいられたと自慢げです。

政教分離問題のエキスパートであることの自負が溢れんばかりですが、私はやはり半信半疑です。百地さんの主著『政教分離とは何か─争点の解明』を読んでも、政教分離とは何かがいっこうに見えてきません。本質論は見当たらないからです。あるのは訴訟論です。切った張ったの世界です。

同著には、大嘗祭の実際も意義も見えません。研究書ならいざ知らず、一般向け雑誌記事の引用で、真床追衾論と稲作儀礼の両論が併記されているだけです。むろん私が繰り返し訴えてきた「米と粟」などはどこにもありません。大嘗祭とは何かを知らずに憲法判断するのは、事実認定なしに裁判するようなものです。だから政教分離論ではなしに、訴訟論なのです。

 【関連記事】両論併記にとどまる百地先生の「大嘗祭」──百地章日大教授の拙文批判を読む その5〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2013-03-03-1
 【関連記事】神嘉殿新嘗祭の神饌は「米と粟」 ──涙骨賞落選論文「天皇とは何だったのか」3〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2019-07-14

もちろんそれでもいいのです。30年前はそれでも良かったのです。しかし30年経ったいまもなお、「私は宮中祭祀に詳しくない」などと公言して憚らないとしたら、話はまったく別です。研究者、知識人としての資質が根本的に問われるからです。

もし天皇問題の「重鎮」なら、憲法改正の第一のテーマは第1章に置くはずで、9条のテニヲハ改憲で満足するはずはないのです。天皇の祭祀=皇室の私事論は反天皇派を利するオウンゴール以外の何ものでもありません。気がつかないのでしょうか。

椎名さんはそれでも「重鎮」扱いされますか。高山社長にとって、「宮中祭祀一般は皇室の私事」と断言するような研究者を招聘する理由はどこにあるのですか。神社新報の研究会は主筆だった葦津珍彦先生の学問を継承するものでしょうが、葦津先生は宮中祭祀=皇室の私事説とまさに闘っておられたのではありませんか。敵味方は区別すべきで、それには見識が必要です。

「時の流れ研究会」は神社新報60周年事業の一環で始まったようです。若い研究者への支援も行われているようですが、それならもう一歩進めて、賞味期限切れの「重鎮」ではなくて、若い有為な研究者たちにテーマを与え、多角的、総合的な天皇研究を深めるべきではないでしょうか。次の御代替わりにきっと実力を発揮してくるはずです。神社の奉納品なら完成品が求められるでしょうが、そうではないのです。人斬りよりも人材育成が必要です。

以上、亡き上杉千郷常務が最晩年、病床で私の手を握り、「神道人を批判せよ」と命じられた言葉を胸にあえてきびしく批判させていただきました。

 【関連記事】ある神社人の遺言「神社人を批判せよ」https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2010-07-14-1


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皇兄弟による皇位継承は過去に24例。次の御代替わりは異例にあらず [皇位継承]

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皇兄弟による皇位継承は過去に24例。次の御代替わりは異例にあらず
(2020年5月24日)
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前々回、前回に続き、『帝室制度史 第3巻』(帝国学士院編纂、昭和14年)の第2章皇位継承、第1節皇位継承の本義を読みます。

今日は「第3款 皇位継承の順位」、これが最後になります。原典はむろん国会図書館デジタルコレクションです。〈https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1241583

 【関連記事】「皇統は男系に限る」と断言しつつ、根拠は神勅と歴史以外に見当たらない『帝室制度史』https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-05-10
 【関連記事】「皇統は一系にして分かつべからず」とは男系継承固持にほかならないhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-05-17


▽1 古来、一定の常典あり

『帝室制度史』は皇位継承順位について、古来、一定のルールがあったこと、しかしながら明治以前は成文法として定められることはなく、ときには異例が生じたことを解説しています。

「皇位継承の順位に関し、わが国古来おのづから一定の常典として見るべきものありたることは、史上にこれを窺ふことを得べし。
ただ、明治天皇の皇室典範制定に至るまでは、この点につき、成文の常規をもって、これを確定せるものなく、皇嗣は一定の常規に従ひ、当然に定まるにあらずして、あるいは勅命により、あるいは遺詔により、あるいは院旨により、あるいは権臣の推戴により、あるいはその他の事由により、臨時冊立せられたるものなるをもって、ときとしては、この常典によらず、時の事情に応じて、異例として見るべきものを生じたること尠しとせず」

しかしこれまで読んできたように、皇位の継承は皇胤に限られ、皇統は男系に限られます。皇位は一系で、直系の子孫へと継承されます。これが皇室のルールです。

「皇位は天皇直系の子孫に伝ふることを正則となす。
綏靖天皇の、神武天皇のあとを承けたまひしより明治天皇に至る121代の間、皇子の皇位を承けたまへるは60例、別に皇女の継承したまへる3例あり。
そのほか皇孫の皇祖父母のあとを継ぎたまへる2例をあはせて、直系の皇子孫の皇位を承けたまへるは65例に及べり」

65例ということは直系子孫以外の継承があるということです。ひとつは皇兄弟への継承です。17代履中天皇のあとの18代反正天皇が初例でした。

「皇兄弟の皇位を承けたまへるは、履中天皇の皇弟瑞歯別皇子(みずはわけのみこ。反正天皇)を立てて皇嗣となしたまひ、反正天皇崩ずるののち、皇弟雄朝津間稚子宿禰皇子(おあさづまわくごのすくねのみこ。允恭天皇)群臣に迎へられ、皇兄弟相次ぎて皇位に即きたまへるを最初の事例となす」

皇兄弟による継承は過去に24例ありました。したがって次の御代替わりは25例目ということになります。

皇兄弟間の継承のあり方もさまざまでした。

「爾来、皇兄弟の皇位を継承したまへるもの、合はせて24例に達せり。
そのなかには、皇子まさざるによりたまへるもあれど、皇子孫ますにかかはらず、なほ皇兄弟の継承したまへる例も尠からず。
皇兄弟の皇位を承けたまへるは、皇兄または皇姉のあとを承けて、皇弟の践祚したまへるをふつうとなせども、ときとしては、皇兄のかへって皇弟のあとを承けたまへるもあり。
このほか皇姉の継承したまへる3例あり。
皇兄弟の子孫の皇位を継ぎたまへるは、成務天皇のあとを承けて、皇兄日本武尊の御子仲哀天皇の即位したまひしを最初とし、合はせて8例あり」


▽2 さまざまな変則

次の御代替わりの場合はいうまでもなく、「皇子まさざる」が原因ということになります。もちろん過去に例がないことではありません。『帝室制度史』には後桜町天皇までの皇兄弟皇姉による継承、皇兄弟の子孫による継承が一覧表で載っています。

もっと珍しい例があることを『帝室制度史』は説明しています。

「さらに特殊の異例として見るべきものには、皇叔父、皇伯叔父の子孫、またはいっそう遠き皇親の皇位を継承したまへる例もあり。
武烈天皇崩じて嗣なく、継体天皇の群臣に迎へられて皇位に即きたまへるは、近き皇胤のまさざりしによる異例なり。
円融天皇ののち、後一条天皇に至るまで、冷泉天皇、円融天皇の御子孫かはるがはる即位したまひ、
亀山天皇ののち数代にわたり、後深草天皇、亀山天皇の両統迭立のことありしは、ともに特殊の事情に例として見るべく、
承久の変ののち、後堀河天皇の迎へられて皇位に即きたまひ、
南北御合体により、後小松天皇の後亀山天皇のあとを承けたまひしは、ともに国家一時の変運に基づく異例なり。
いづれも常典となすべきにあらざるは言を俟たず」

今日、「愛子さま天皇」の即位を熱望するあまり、秋篠宮親王殿下が皇太弟の地位にあることがさも異例であるかのように喧伝する人がおられるようですが、間違っています。

『帝室制度史』は庶出のケースについても言及しています。過去には非嫡出の皇子による皇位継承もありますが、その場合にもルールがありました。

「皇子孫の皇位を承けたまふは、古来嫡出をのちにするを正則とせり。
史上庶出の皇子の皇位を継承したまへる例も少なからざれども、その多くは、嫡后まさず、または嫡后に皇子の庶出なく、または嫡出の皇子の早世ありたる場合にして、しからずして、庶出の皇子の嫡出に先立ちて即位したまへるは、むしろ異例に属す。
ただ、中世以降、天皇の御正配もかならずしも皇后冊立のことなく、嫡出と庶出との区別、往々判明を闕くものなきにあらず」

皇位継承に長幼の序があることはいうまでもありませんが、ときにルールが守られないこともありました。

「皇子孫の皇位を承けたまふは、また同親等の間においては、長幼の序次により、長を先にし幼を後にするを正則とす。
時として、弟の兄を越えて皇位を承けたまへる例あれども、おほむね特殊の事情に基づく異例なり。
たとへば、綏靖天皇の皇兄神八井耳命(かんやいみみのみこと)を越えて即位したまひしは、弟皇子の功績に対し、兄皇子の辞譲したまひしにより、
円融天皇の皇兄為平(ためひら)親王を越えて皇位を承けたまひしは、御父村上天皇の叡慮により、かつ外戚の関係によるものありしがごとき是なり」


▽3 男系継承の理念は?

もうひとつの特殊事例は重祚です。2度の例があり、いずれも女性天皇でした。

「皇位継承のひとつの異例として、なほ重祚のことあり。重祚とは天皇ひとたび譲位ありたるのち、時を経てふたたび皇祚を践みたまふをいう。
史上ただ、皇極天皇の重祚して斉明天皇となり、孝謙天皇の重祚して称徳天皇となりたまひし2例を存するのみ。いづれも女帝にして、当時ともに特殊の事情ありしによる」

最後に、『帝室制度史』は明治の皇室典範制定について触れ、成文法による規定の意義を強調しています。争いが起きないようにするためでした。

「皇室典範の制定せらるるに及び、祖宗の遺範にしたがひ、古来の常典とするところに則り、はじめて成文の常規をもって、皇位継承の順位を一定し、皇嗣は冊立によらず、法定の順位にしたがひ、おのづから定まるの制を確立したまひ、もって将来ながく継承の疑義を断ち、ふたたび紛争を生ずるの余地なからしめたり」

しかし戦後、皇室典範は改正され、一法律となり、皇位継承をめぐる論争の火種を作ることになったのは皮肉です。

以上、3回にわたり、『帝室制度史』が解説する「皇位継承の本儀」について読んできました。前回も述べたように、結局、『制度史』は皇位が男系継承によって一系で紡がれてきたことを説明するものの、なぜそうなのか、神勅と歴史以外には根拠が見出せていません。男系継承の歴史の背後にどのような理念が込められているのか、現代人を十分に納得させ得る説明ができずにいます。

『帝室制度史』は当時の錚々たる法学者や歴史学者、国文学者らが参画していましたが、それでも限界があったということでしょうか。当然、昨今の女系容認派への決定的反論を提示することもできません。

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「皇統は一系にして分かつべからず」とは男系継承固持にほかならない [皇位継承]

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「皇統は一系にして分かつべからず」とは男系継承固持にほかならない
(令和2年5月17日)
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先週に続いて、『帝室制度史 第3巻』(帝国学士院編纂、昭和14年)を読み進めます。

いまや女性天皇容認派はじつに85%にも及びます(今年4月、共同通信世論調査)。皇室の歴史と伝統をまったく無視した、きわめて歪な皇位継承論議を根本的に正していくためには、先入観や偏見をいっさい排して、もう一度、基本の基本にたち返ることが必要だと考えるからです。

今日は、第2章皇位継承、第1節皇位継承の本義、第2款皇位の一系、です。原典は国会図書館デジタルコレクションにあります。〈https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1241583


▽1 「古来の正法」に反する「愛子さま天皇」論

前回、お話ししたように、『帝室制度史』は「第1款 皇位継承の資格」で、皇位は皇祖神の神勅に基づき、皇胤子孫に継承されること、皇統は男系に限られることなどを解説していますが、ついで第2款では「皇位の一系」が説明されます。

「皇統は一系にして分かつべからず。天皇直系の子孫ますかぎりは、子孫皇位を承けたまふことを古来の正法とす。
懐風藻に、葛野王の持統天皇に進奏せる言を記して、『我国家為法也、神代以来、子孫相承、以襲天位、若兄弟相及、則乱従此興』とあるは、この義を示すものなり」

第1款とあわせ読めば、皇統は直系の男系子孫に継承されていくのが「古来の正法」ということになります。昨今、「愛子さま天皇」待望論が賑々しく聞かれますが、前回、申しましたように、史上、皇女即位の例はあるにしても、「配偶まさざるに限」られ、その子孫に継承されることはありません。「皇統一系」が「正法」だからです。

男女平等論をタテに、皇女の皇位継承を期待し、そのために、皇室の伝統と法規定を破り、すでに皇嗣としての法的地位を得られた皇太弟から継承資格を剥奪するがごとき言動は、『帝室制度史』が記するように「乱」を招くものです。むしろ「乱」を煽ろうとする人たちさえいるようです。なぜそこまでしないといけないのでしょうか。

最大の問題は今上には男子がおられないことです。しかしその場合は、傍系による継承が「正則」とされました。『帝室制度史』は次のように説明しています。

「直系の子孫まさざるときは、傍系より入りて大統を継ぎたまふといへども、すでに大統を継ぎたまへば、その直系の子孫はすなはち正系の皇胤なり。いづれにせよ、皇位を承けたまふべき皇胤は、直近の天皇の直系の子孫たるべきことを正則となす。
ただ史上、ときとしてこの例によらず、直系の子孫ますも、なお兄弟叔姪相承けたまへる事例あることは、次款に述ぶるがごとしといへども、けだし祖宗の恒典にあらず」

皇室典範特例法によって、秋篠宮親王が皇嗣となられました。したがって、古来の「正則」にしたがえば、皇位は殿下の子孫に、すなわち悠仁親王へとさらに継承されることがすでに決まっています。

にもかかわらず、古来のルールに反する皇位継承を声高に主張することは、謀叛以外の何ものでもないでしょう。「皇統の危機」を解消したいのなら、「戦後唯一の神道思想家」といわれた葦津珍彦が主張していたように男統の絶えない継承法を考えるべきです。

 【関連記事】女系は「万世一系」を侵す──「神道思想家」葦津珍彦の女帝論(「論座」1998年12月号特集「女性天皇への道」からhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1998-12-01


▽2 皇位の概念が揺らいでいる

当たり前のことですが、天皇はおひとりです。おひとりでなければ一系とはなり得ません。

「皇位にますは御一人に限ることは、古今に通ずる大法なり。聖徳太子の憲法17条のなかに『国非二君、民無両主』と見え、日本書紀孝徳天皇紀に『天無双日、国無二王』とあるは、この大義を言明するものなり」

ただし史実は違います。

「ただ天日もときに蝕することあり、国家ときに異常の変なきにあらず。
寿永の乱、平氏、安徳天皇を奉じて西海にくだり、帝都君なきのゆゑをもって、天皇なほ位にます間に、後鳥羽天皇すでに践祚したまひ、
元弘の乱以後、正当の天皇ますにかかはらず、数代にわたり、足利氏はべつに天皇を擁立したるがごとき、
一時国に両主あるがごとき外観をなすに至れりといへども、これ国家異常の変運にして、もとよりもって常規となすべきにあらず」

さすがに法が支配する現代では、南北朝時代のような「異常」はあり得ないでしょうが、「上御一人」の原則を揺るがす別の問題なら現実に起きています。私が以前から指摘している「一夫一婦」天皇制の弊害です。民間から入内した皇后はあくまで「見なし皇族」に過ぎませんが、平成の時代には国事行為の代理まで行われています。

天皇(先帝)はご多忙で、ご公務のご負担を軽減しなければならない。そのため女性皇族にご公務を分担していただく。だから「女性宮家」創設が必要だというのが園部逸夫元最高裁判事ら政府側の説明でしたが、実態としてはすでに、皇后おひとりによる国事行為の代行(外国離任大使のご引見)が行われていたのです。

宮内庁のホームページには今上陛下と皇后陛下がごいっしょの写真が掲げられていますが、イギリス王室ならトップに登場するのはHer Majesty The Queenおひとりです。フィリップ王配はあくまでPrinceです。皇位の概念が揺らいでいることが、皇位継承問題が混乱する最大の原因でしょう。

 【関連記事】「皇室制度改革」、大いに異議あり ──すり替えと虚言を弄する政府の「女性宮家」創設https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-10-21


▽3 あり得ないことばかりが起きている

皇位が一系であるためには、皇位継承に空白があってはなりません。これも当然の「理法」です。

「皇位は1日も曠(むな)しくすべからず。皇位の継承に間隙を許さざることは、古来つねに理法として認められたるところなり」

むろん歴史の事実は違います。

「ただ事実においては、天皇譲位の場合には、皇嗣禅を受けて直ちに践祚したまふを常例とすれども、天皇崩御の場合には、皇嗣ただちに践祚したまはず、崩御と践祚との間に、事実上若干の空位期間を存するをむしろ恒例となしたり。
その間ときとしては、歳月にわたれることもなきにあらず。
日本書紀仁徳天皇紀に『爰皇位空之、既経三載』といひ、允恭天皇紀には『大王辞而不即位、位空之、既経年月』とあるがごとき、その著しきものなり。
ただ皇嗣ひとたび践祚したまへば、その存在は、理論上先帝崩御の時に遡るものと見るべく、たとへば古事記に、応神天皇は胎中にまししときよりすでに国をしらせたまひしものとなし、日本書紀にも『胎中之帝』と記せるがごとき、その義を示すものなり。
皇室典範の制定にいたり、天皇崩ずるときは、皇嗣すなはち践祚すと規定し、皇位の1日も曠闕すべからざる大義を昭明したまへり」

近代以降、皇位継承のあり方は明文法で規定されることになり、明治22年の皇室典範は「天皇崩スルトキハ皇嗣即チ践祚シ」(第10条)と定めていましたが、明治天皇の崩御は明治45年7月29日午後10時43分。これでは皇位継承の儀礼は間に合いません。公式の崩御時刻は2時間後の翌日未明とされました。「胎中之帝」とは逆に、明治天皇は行政上、延命させられたのです。

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今回の御代替わりは先帝譲位に基づくものでしたから、このような混乱はありませんでしたが、歴史にない「退位の礼」が創設され、「退位」と「即位(践祚)」の儀礼が日を違えて別々に行われることとなったのは前代未聞、痛恨の極みでした。

「皇位の一系」「皇位は1日も曠しくすべからず」を体現するのが三種の神器の存在で、明治の皇室典範が「天皇崩スルトキハ皇嗣卽チ踐祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク」と定めたとおりですが、昨年4月30日の退位の礼以後、翌日の剣璽等承継の儀(剣璽渡御の儀)まで、剣璽はどこに奉安されていたのでしょうか。

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いま新型コロナ感染拡大防止に配慮して延期されている「立皇嗣の礼」についても、同じことがいえます。皇嗣とともにあるべき壺切御剣が秋篠宮親王の元にないという情況はいつまで続くのでしょうか。それとも賢所への奉告も済んでない殿下のお手元にすでにあるのでしょうか。

二千数百年といわれる皇室の歴史にとって、あり得ないことばかりがおきているように思われてなりません。


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「皇統は男系に限る」と断言しつつ、根拠は神勅と歴史以外に見当たらない『帝室制度史』 [皇位継承]

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「皇統は男系に限る」と断言しつつ、根拠は神勅と歴史以外に見当たらない『帝室制度史』
(令和2年5月10日)
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しばらく皇位継承のあり方について、考えてみたいと思います。今日は『帝室制度史 第3巻』(昭和14年)を読みます。

『帝室制度史』全6巻は戦前、帝国学士院(いまの日本学士院)が編纂しました。6巻すべてが「第1編 天皇」に当てられていて、第1・2冊は「第1章 国体」、第3・4冊は「第2章 皇位継承」、第5冊は「第3章 神器」、第6冊は「第4章 称号」という構成です。

「第2章 皇位継承」は「第1節 皇位継承の本義」「第2節 皇位継承の原因」(以上、第3冊)「第3節 皇位継承の儀礼」「第4節 皇嗣」(以上、第4冊)から成ります。

私の問題関心は、なぜ皇位は古来、男系継承なのか、なぜ女系は否認されるのか、であり、したがって今日、これから読もうとするのは、第2章の第1節「皇位継承の本義」ということになります。

まず「第1款 皇位継承の資格」です。読者の便宜に配慮し、多少の編集を加えることとします。原典は国会図書館デジタルコレクションにあります。〈https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1241583


▽1 皇祖神の神勅に基づく皇統連綿

「大日本国皇位は、皇祖、国を肇めたまひしより万世一系、皇胤子孫これを継承したまふことは、わが国家の大法にして、古今に通じ、永遠にわたりて変することなし」

当然のことながら、『帝室制度史』は開闢後の歴史から説き起こし、肇国以来の万世一系、皇統連綿を強調しています。永遠の大法だと指摘している点も見落とせません。

「はじめ天照大神、皇孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)をこの土に降臨せしめたまひてより、その御子彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、その御子鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)、相承けて統を継ぎたまひ、鸕鶿草葺不合尊の御子すなはち神武天皇にして、第一の天皇と仰ぎ奉る。これよりのち、皇統連綿、子孫相承けたまひ、宝祚の隆なること天壌とともに窮なし」

『帝室制度史』は皇祖神から初代神武天皇までの歴史を簡単に振り返り、皇統が皇胤に限られる根拠は皇祖天照大神の神勅に基づくと指摘しています。皇祖神が天孫降臨に際して、瓊瓊杵尊に三種の神器を授け、「葦原千五百秋瑞穂の国は、是、吾が子孫の王たるべき地なり」などと、いわゆる天壌無窮の神勅を与えられた物語はよく知られています。

「皇位を承けたまふは皇胤に限る。これ皇祖の神勅において、すでに明示したまへるところにして、政権ときに推移あり、国運ときに盛衰なきにあらざれども、この大義に至りては、かつて微動だにせず」

『帝室制度史』は『日本書紀』などいくつかの資料を示し、皇統が皇胤に限られること、歴代天皇はこの神勅に基づいて皇位を継承してきたことを説明しています。皇胤ではないものによる皇位継承は永遠にあり得ないことになります。ただし、神話や神勅を否定するなら話は別です。あり得ないことがいま起きているとすれば、その背景には戦前までの歴史を否定する無神論的歴史観があるということでしょうか。

 【関連記事】天皇制をやめるんですか──伊藤智永・毎日新聞編集委員の皇室記事を読んでhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-01-05
 【関連記事】憲法の原則を笠に着る革命思想か。ジェンダー研究者の女性天皇論を読むhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-02-22


▽2 上古の成法の例外、賜姓皇族の例外

皇胤といっても、皇位継承資格が認められる範囲には古来、限りがありました。

「皇胤子孫、何世に至るまで皇位を受けたまひ得べきかについては、大宝令には、五世以下皇親のかぎりにあらずとなせり」

大宝律令では、天皇の五世以下は皇族とはされず、皇位継承資格はないとされました。「親王より五世は、王の名得たりといへども、皇親の限にあらず」(継嗣令)。しかし歴史上の例外がありました。

「されど継体天皇の、応神天皇五世の孫をもって皇祚を受けたまへるを見れば、これ必ずしも上古の成法にあらざるを知るべし」

武烈天皇のあと皇位を継承した継体天皇は、応神天皇の五世の孫でした。

中世になると賜姓が行われるようになります。賜姓皇族には皇位継承権はありません。しかしこれにも歴史の例外がありました。

「中世以後、親王、王、賜姓のこと起こりてより、皇子皇孫といへども、姓を賜はりたるうへは、皇親の身分を失ひ、皇位継承の資格なきを常例とせり。ただし光孝天皇の皇子定省(さだみ。宇多天皇)の賜姓後親王に列し、皇位に即きたまへるは、唯一の異例なり」

宇多天皇は、父光孝天皇によって臣籍降下されていましたが、父帝崩御ののち皇籍に復し、立太子ののち践祚しました。

明治になると明文法としての皇室典範(明治22年)が制定され、永世皇族制が定められました。しかし皇室典範増補(同40年)では臣籍降下が制度化され、降下した皇族の復籍は否定されました。

「皇室典範の制定に至り、皇男子孫は永世にわたり皇族の身分を有し、したがひてまた、皇位継承の資格を失はざるものと定めたまへるとともに、皇室典範増補により、王に家名を賜ひ華族に列せしむるの制を定め、また皇族の臣籍に入りたる者は、皇族に復することを得ずと定めたまへり」

敗戦後、皇籍を離脱した旧皇族の復帰がいま提案されていますが、復籍を否定する古来の考え方が大きく立ちはだかっています。

 【関連記事】女系は「万世一系」を侵す──「神道思想家」葦津珍彦の女帝論(「論座」1998年12月号特集「女性天皇への道」から)https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1998-12-01


▽3 皇女即位あるも配偶まさず

なぜ女系は認められないのか、『帝室制度史』は以下のように説明しています。

「皇統はもっぱら男系に限る。皇女、臣籍に婚嫁したまへば、その所出はもとより皇胤のかぎりにあらず。推古天皇以後、ときとして、皇女即位の例あること、つぎに述ぶるがごとくなれども、皇女の即位したまふは配偶まさざる場合に限れり。けだし夫に従ふの義と相容れざるによるなり。

皇統の男系主義は社会全般の男系継承主義を前提としているようにここでは読めます。皇女の即位もあくまで例外と考えられ、独身を貫くことが前提とされています。

「皇位を承けたまふは、男系の皇子孫に限るのみならず、また皇男子に限るを上古以来の常典とす。神武天皇より崇峻天皇に至るまで32代、かつて女帝の立ちたまへる例なかりき。ゆえに神功皇后は、大政を行はせらるること69年に及びたれども、即位のことなく、摂政をもって終りたまへり。清寧天皇の崩後、皇嗣辞譲して践祚したまはざるにより、飯豊青(いいとよあお)尊は、政を秉(と)りたまふこと約10か月、また皇位に即きたまはざりき」

飯豊青皇女は飯豊天皇とも称されますが、不即位天皇という扱いのようです。大きく変わるのは推古天皇以後です。しかし女性天皇はやはり例外扱いでした。

「推古天皇以来、皇女即位の例を生じたりといへども、けだし事情やむを得ざるに出づる異例なり。その多くは、皇嗣の成長を待ちたまふがためにして、
舒明天皇崩御のとき、妃腹の皇子中大兄(天智天皇)なお年少なりしをもって、皇后宝皇女(たからのひめみこ)立ちたまひて皇極天皇となりたまひしがごとき、
文武天皇崩じたまへるとき、皇子首(おびと。聖武天皇)なお幼少なりしにより、元明、元正両女帝相継いで立ちたまひしがごとき、
桃園天皇崩じたまへるとき、皇姉後桜町天皇たちたまひて、皇子英仁親王(後桃園天皇)の成長を待ちたまひしがごときみなこれなり」

女帝は「中継ぎ」といわれるゆえんです。それにしてもなぜ女帝は否認されるのか、男系主義の本質は何でしょうか。

 【関連記事】どうしても女性天皇でなければならないのか。男系を固守することは不正義なのか。なぜ男系の絶えない制度を考えようとしないのか?https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-02-09
 【関連記事】男系継承派と女系容認派はカインとアベルに過ぎない。演繹法的かつ帰納法的な天皇観はなぜ失われたのかhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-04-05


▽4 皇家の家法を確立した旧皇室典範の男系主義

ほかの要素も指摘されています。天皇の外戚の存在です。

「ときとしては、また外戚の権勢によると推測せらるるものなきにあらず。崇峻天皇の崩後、欽明天皇の皇女にして、敏達天皇の皇后たりし豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ。推古天皇)の皇位に即きたまひしがごとき、後水尾天皇譲位の際には、皇子あらざりしをもって、皇女興子(おきこ)内親王(明正天皇)を立てたまひしがごときこれなり」

「そのほか、天智天皇の皇女にして、天武天皇の皇后たりし持統天皇の、はじめ朝に臨みて制を称し、皇太子草壁皇子薨去ののち、皇位に即きたまひしは、天武天皇の諸皇子まししも、おのおの異腹の所出にして、紛争の眼前に迫りしによることは、史上にこれを徴すべく、
聖武天皇、皇太子夭したまひてのち、皇后安宿媛(あすかべひめ)の生むところの阿倍(あべ)皇女を皇太子に立てたまひ、皇太子のちに孝謙天皇となりたまひしは、とくに異例に属すれども、安宿媛が、臣下の女をもってはじめて皇后に立ちたまひしに合せ考ふれば、また外戚藤原氏の権勢によるところなしといふべからず」

こうして『帝室制度史』は女性天皇があくまで例外であることを強調し、明治の皇室典範が定める男系継承主義こそが皇家の家法を永遠に確立するものだと言い切っています。

「かくのごとく皇女の皇位を継承したまひしは、いづれも一時の権宜にして、祖宗の遺法にあらず。ゆえに皇室典範の制定に至り、『大日本国皇位は祖宗の皇統にして男系の男子、これを継承す』と規定して、皇祚を祚みたまふは、男系の皇男子に限ることを明らかにせり。けだし祖宗の遺意を紹述して、永遠の恒典を確立したまへるなり」

したがって女性天皇の制度化はむろん、まして女系継承容認はあり得ないということになりますが、その根拠は結局のところ、天壌無窮の神勅と皇統史の実態以外には見当たらないように見えます。既述したように、『帝室制度史』は全6巻のうち1、2巻が「国体」に当てられています。「国体」論の立場から女系継承否認論が展開されてもいいのではと思いますが、そうした解説はありません。

『帝室制度史』はこのあと、「ここに歴代天皇の略系を掲げ、もって皇位継承の史実を概観せんとす」と述べ、系図を載せていますが、ここでは引用を省略します。

 【関連記事】櫻井よしこさん、守られるべき天皇の伝統とは何ですか。祭祀の本質とは何ですか?https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-03-28
 【関連記事】八木秀次教授の「皇位継承論」は女系容認論にどこまで有効なのか?https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-05-04


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八木秀次教授の「皇位継承論」は女系容認論にどこまで有効なのか? [皇位継承]

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八木秀次教授の「皇位継承論」は女系容認論にどこまで有効なのか?
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4月27日の産経新聞「正論」欄に、八木秀次・麗澤大学教授のエッセイ「安定的な皇位継承確保のために」が載りました〈https://special.sankei.com/f/seiron/article/20200427/0001.html〉。おおむね同意するし、教えられるところが多々ありましたが、逆に、八木さんの皇位継承論がいまどこまで有効なのか、私は半信半疑です。今日はそのことを書きます。
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平成8年ごろから20数年来、政府・宮内庁が非公式に、あるいは公式に進めてきた皇位継承制度の改革、すなわち女系継承容認、「女性宮家」創設に関して、八木さんは3つの問題点を指摘しています。


▽1 合憲性、正統性、起点

1点目は憲法上の問題です。女系継承容認、「女性宮家」創設は合憲性に疑いがあるという指摘です。

憲法は「皇位は世襲」と定めていますが、「少なくとも女系ということは、皇位の世襲の観念の中に含まれていない」というのが現行皇室典範起草時の政府の憲法解釈(昭和21年7月25日、宮内省)だから、女系継承を織り込んだ女性天皇、女性宮家の実現には憲法改正を必要とすると八木さんは説明しています。仰せのとおりです。

憲法が定める「世襲」は単に血が繋がっているという意味ではありません。小嶋和司・東北大教授(憲法学。故人)が指摘したように、dynastic の和訳であり、「王朝の支配」の意味でした。王朝の変更をもたらす女系継承は憲法に反します。八木さんの指摘はまったく正しいと思います。

 【関連記事】基本を忘れた女系継承容認論──小嶋和司教授の女帝論を読むhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-31

八木さんが指摘する2点目は「正統性」です。

初代天皇以来、男系の血統に連なることが天皇・皇族の正統性の根拠であり、したがって、女系継承を認めれば、継承の資格者は拡大するが、従来は皇族となれない者が皇族となり、正統性が失われ、尊崇の念も薄れ、皇位の安定性は大きく揺らぐと訴えています。

八木さんは、「潜在的な有資格者が一気に増え、自分も天皇の女系の子孫であり、皇族の資格があると言い出す者も出てくる可能性もある」と危惧していますが、以前から指摘してきたように、「すべて国民はひとしく皇族になる権利を有する」のなら、もはや天皇・皇族とはいえません。

 【関連記事】「女性宮家」創設の提案者は渡邉允前侍従長──ねじ曲げられた前侍従長の「私見」 1https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2017-05-11

3番目の指摘は、皇位継承資格の「起点」です。

八木さんは、多くの女系容認論では、男系女系を問わず、上皇陛下の子孫を皇族とする考えのようだが、現在の皇族は大正天皇の男系子孫であり、三笠宮、高円宮の女王殿下方が仮に独身であれば、皇族であり続ける。その存在を否定できないと指摘しています。

そうなのです。女子に継承資格を認めるとして、具体的に誰に認められるべきなのか、大問題です。

このあと八木さんは、「皇族の範囲は初代天皇の男系子孫であることを前提としてその時々の事情に応じて調整してきた」として、平安以後の歴史を振り返り、臣籍降下の事例とは逆に、第59代宇多天皇や第60代醍醐天皇のように臣籍から天皇になった例もある、世襲親王家から天皇を輩出した例もある、と解説しています。

さらに、明治政府が財政事情の理由から増えすぎた皇族を減らすために皇室典範に臣籍降下を規定しようとしたが、明治天皇の反対にあったこと、明治末期になって皇位継承の心配が遠のき、王の臣籍降下を規定した「皇室典範増補」が制定されたこと、などを説明しています。

そして、皇位継承の「起点」はあくまで初代天皇に置かれるべきだと訴え、伏見宮系の今に続く男系子孫を現在の宮家の養子とするなど皇籍取得を実現することが伝統にも沿い、「安定的な皇位継承確保」に最も適うと指摘しています。


▽2 議論が噛み合わない理由

ご主張は理解できるし、おおむね仰せのとおりかと思いますが、八木さんの皇位継承論は、政府・宮内庁がとうの昔に、舵を切った女系継承容認=「女性宮家」創設に対して、どこまで有効なのでしょうか。私は少なからず疑問を感じています。必ずしも八木さんの責任ではないにしてもです。

問題点は2つあります。

1点は、皇位継承論を考える歴史のスパンが異なるということです。

八木さんの「正統性」「起点」はむろん初代天皇以来の126代の歴史を根拠としています。ところが、政府・宮内庁ほかの女帝容認論はそうではなく、日本国憲法を「起点」とする戦後の2.5代象徴天皇以外に関心を持とうとしないようです。

天皇は国事行為しかなさらない、その天皇が不在なら国会も開けない、国会を召集するのに男女の別はありえない、それなら「女性天皇・女系天皇への途を開くことが不可欠」(皇室典範有識者会議報告書「結び」。平成17年11月)という結論は当然であり、八木さんの継承論とは議論が噛み合うはずはないのです。

つまり、八木さんが熱く訴える皇位継承論ではなくて、より本質的な皇位論、天皇観が問われているのではありませんか。2点目はそれです。

126代続いてきた天皇は、けっして国事行為しかなさらない天皇ではありません。天皇とは何だったのか、当たり前過ぎて見失われがちな、天皇の存在理由を深く自覚することなくして、女性天皇容認はおろか、歴史にない女系継承容認=「女性宮家」創設論に理論的に対抗し、凌駕していくことは難しいのではありませんか。

女系継承容認とは畢竟、天皇を御公務をなさる特別公務員であり、名目上の国家機関に押し込めるネオ天皇制創設の革命思想なのだろうと私は考えています。政教分離原則を盾に天皇の祭祀大権を奪っただけでなく、今度は憲法を根拠に、憲法が定める天皇のあり方を抜本的に変更する、そのことを可能にする憲法の体制にむしろ誤りがあると私は考えますが、八木さんはいかがですか。

 【関連記事】女系継承は天皇の制度といえるのか──皇室典範有識者会議を批判する(「正論」平成17年12月号から)https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2005-12-01
 【関連記事】支離滅裂なり!! 「女性宮家」創設の「論点整理」──変質した制度改革の目的意識https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-10-14-1?1588571909
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