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「皇統は一系にして分かつべからず」とは男系継承固持にほかならない [皇位継承]

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「皇統は一系にして分かつべからず」とは男系継承固持にほかならない
(令和2年5月17日)
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先週に続いて、『帝室制度史 第3巻』(帝国学士院編纂、昭和14年)を読み進めます。

いまや女性天皇容認派はじつに85%にも及びます(今年4月、共同通信世論調査)。皇室の歴史と伝統をまったく無視した、きわめて歪な皇位継承論議を根本的に正していくためには、先入観や偏見をいっさい排して、もう一度、基本の基本にたち返ることが必要だと考えるからです。

今日は、第2章皇位継承、第1節皇位継承の本義、第2款皇位の一系、です。原典は国会図書館デジタルコレクションにあります。〈https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1241583


▽1 「古来の正法」に反する「愛子さま天皇」論

前回、お話ししたように、『帝室制度史』は「第1款 皇位継承の資格」で、皇位は皇祖神の神勅に基づき、皇胤子孫に継承されること、皇統は男系に限られることなどを解説していますが、ついで第2款では「皇位の一系」が説明されます。

「皇統は一系にして分かつべからず。天皇直系の子孫ますかぎりは、子孫皇位を承けたまふことを古来の正法とす。
懐風藻に、葛野王の持統天皇に進奏せる言を記して、『我国家為法也、神代以来、子孫相承、以襲天位、若兄弟相及、則乱従此興』とあるは、この義を示すものなり」

第1款とあわせ読めば、皇統は直系の男系子孫に継承されていくのが「古来の正法」ということになります。昨今、「愛子さま天皇」待望論が賑々しく聞かれますが、前回、申しましたように、史上、皇女即位の例はあるにしても、「配偶まさざるに限」られ、その子孫に継承されることはありません。「皇統一系」が「正法」だからです。

男女平等論をタテに、皇女の皇位継承を期待し、そのために、皇室の伝統と法規定を破り、すでに皇嗣としての法的地位を得られた皇太弟から継承資格を剥奪するがごとき言動は、『帝室制度史』が記するように「乱」を招くものです。むしろ「乱」を煽ろうとする人たちさえいるようです。なぜそこまでしないといけないのでしょうか。

最大の問題は今上には男子がおられないことです。しかしその場合は、傍系による継承が「正則」とされました。『帝室制度史』は次のように説明しています。

「直系の子孫まさざるときは、傍系より入りて大統を継ぎたまふといへども、すでに大統を継ぎたまへば、その直系の子孫はすなはち正系の皇胤なり。いづれにせよ、皇位を承けたまふべき皇胤は、直近の天皇の直系の子孫たるべきことを正則となす。
ただ史上、ときとしてこの例によらず、直系の子孫ますも、なお兄弟叔姪相承けたまへる事例あることは、次款に述ぶるがごとしといへども、けだし祖宗の恒典にあらず」

皇室典範特例法によって、秋篠宮親王が皇嗣となられました。したがって、古来の「正則」にしたがえば、皇位は殿下の子孫に、すなわち悠仁親王へとさらに継承されることがすでに決まっています。

にもかかわらず、古来のルールに反する皇位継承を声高に主張することは、謀叛以外の何ものでもないでしょう。「皇統の危機」を解消したいのなら、「戦後唯一の神道思想家」といわれた葦津珍彦が主張していたように男統の絶えない継承法を考えるべきです。

 【関連記事】女系は「万世一系」を侵す──「神道思想家」葦津珍彦の女帝論(「論座」1998年12月号特集「女性天皇への道」からhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1998-12-01


▽2 皇位の概念が揺らいでいる

当たり前のことですが、天皇はおひとりです。おひとりでなければ一系とはなり得ません。

「皇位にますは御一人に限ることは、古今に通ずる大法なり。聖徳太子の憲法17条のなかに『国非二君、民無両主』と見え、日本書紀孝徳天皇紀に『天無双日、国無二王』とあるは、この大義を言明するものなり」

ただし史実は違います。

「ただ天日もときに蝕することあり、国家ときに異常の変なきにあらず。
寿永の乱、平氏、安徳天皇を奉じて西海にくだり、帝都君なきのゆゑをもって、天皇なほ位にます間に、後鳥羽天皇すでに践祚したまひ、
元弘の乱以後、正当の天皇ますにかかはらず、数代にわたり、足利氏はべつに天皇を擁立したるがごとき、
一時国に両主あるがごとき外観をなすに至れりといへども、これ国家異常の変運にして、もとよりもって常規となすべきにあらず」

さすがに法が支配する現代では、南北朝時代のような「異常」はあり得ないでしょうが、「上御一人」の原則を揺るがす別の問題なら現実に起きています。私が以前から指摘している「一夫一婦」天皇制の弊害です。民間から入内した皇后はあくまで「見なし皇族」に過ぎませんが、平成の時代には国事行為の代理まで行われています。

天皇(先帝)はご多忙で、ご公務のご負担を軽減しなければならない。そのため女性皇族にご公務を分担していただく。だから「女性宮家」創設が必要だというのが園部逸夫元最高裁判事ら政府側の説明でしたが、実態としてはすでに、皇后おひとりによる国事行為の代行(外国離任大使のご引見)が行われていたのです。

宮内庁のホームページには今上陛下と皇后陛下がごいっしょの写真が掲げられていますが、イギリス王室ならトップに登場するのはHer Majesty The Queenおひとりです。フィリップ王配はあくまでPrinceです。皇位の概念が揺らいでいることが、皇位継承問題が混乱する最大の原因でしょう。

 【関連記事】「皇室制度改革」、大いに異議あり ──すり替えと虚言を弄する政府の「女性宮家」創設https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-10-21


▽3 あり得ないことばかりが起きている

皇位が一系であるためには、皇位継承に空白があってはなりません。これも当然の「理法」です。

「皇位は1日も曠(むな)しくすべからず。皇位の継承に間隙を許さざることは、古来つねに理法として認められたるところなり」

むろん歴史の事実は違います。

「ただ事実においては、天皇譲位の場合には、皇嗣禅を受けて直ちに践祚したまふを常例とすれども、天皇崩御の場合には、皇嗣ただちに践祚したまはず、崩御と践祚との間に、事実上若干の空位期間を存するをむしろ恒例となしたり。
その間ときとしては、歳月にわたれることもなきにあらず。
日本書紀仁徳天皇紀に『爰皇位空之、既経三載』といひ、允恭天皇紀には『大王辞而不即位、位空之、既経年月』とあるがごとき、その著しきものなり。
ただ皇嗣ひとたび践祚したまへば、その存在は、理論上先帝崩御の時に遡るものと見るべく、たとへば古事記に、応神天皇は胎中にまししときよりすでに国をしらせたまひしものとなし、日本書紀にも『胎中之帝』と記せるがごとき、その義を示すものなり。
皇室典範の制定にいたり、天皇崩ずるときは、皇嗣すなはち践祚すと規定し、皇位の1日も曠闕すべからざる大義を昭明したまへり」

近代以降、皇位継承のあり方は明文法で規定されることになり、明治22年の皇室典範は「天皇崩スルトキハ皇嗣即チ践祚シ」(第10条)と定めていましたが、明治天皇の崩御は明治45年7月29日午後10時43分。これでは皇位継承の儀礼は間に合いません。公式の崩御時刻は2時間後の翌日未明とされました。「胎中之帝」とは逆に、明治天皇は行政上、延命させられたのです。

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今回の御代替わりは先帝譲位に基づくものでしたから、このような混乱はありませんでしたが、歴史にない「退位の礼」が創設され、「退位」と「即位(践祚)」の儀礼が日を違えて別々に行われることとなったのは前代未聞、痛恨の極みでした。

「皇位の一系」「皇位は1日も曠しくすべからず」を体現するのが三種の神器の存在で、明治の皇室典範が「天皇崩スルトキハ皇嗣卽チ踐祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク」と定めたとおりですが、昨年4月30日の退位の礼以後、翌日の剣璽等承継の儀(剣璽渡御の儀)まで、剣璽はどこに奉安されていたのでしょうか。

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いま新型コロナ感染拡大防止に配慮して延期されている「立皇嗣の礼」についても、同じことがいえます。皇嗣とともにあるべき壺切御剣が秋篠宮親王の元にないという情況はいつまで続くのでしょうか。それとも賢所への奉告も済んでない殿下のお手元にすでにあるのでしょうか。

二千数百年といわれる皇室の歴史にとって、あり得ないことばかりがおきているように思われてなりません。


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