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操られ、踊らされている? 女系継承容認派に秋波おくる参院調査論文 その2 [皇位継承]

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操られ、踊らされている? 女系継承容認派に秋波おくる参院調査論文 その2
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皇位継承は古来、なぜ男系主義なのか、日本国憲法を起点とする2.5代ご公務天皇論からは、その根拠は見出し得ません。かといって、皇祖神の神勅に基づき、皇祖神を祀り、稲を捧げて祈るのが天皇の祭祀だと思い込んでいる国学、神道学の立場からも男系継承主義の本義は説明できないでしょう。

少なくとも古代律令制の時代から、皇祖神のみならず天神地祇を祀り、米のみならず粟を神前に供し、あらゆる民のために、公正かつ無私の祈りを捧げることが天皇第一のお務めとされた一点にのみ、女性天皇は認められても、夫がいる、あるいは妊娠中、子育て中の女性天皇は歴史に存在しない皇位継承の最大の理由が隠されているのではないでしょうか。

つまり、葦津珍彦が指摘したように「公正かつ無私なる祭り主」の万世一系なる祈りの力で、国と民がひとつに統合され、未来永劫、平和が保障されるという古代からの天皇統治のあり方が最重要ポイントなのでしょうが、日本国憲法が最高法規とされ、いまや国民の85%が女帝容認に傾くご時世に、いまさらその歴史的価値が理解されるのかどうかが問われています。

 【関連記事】女系は「万世一系」を侵す──「神道思想家」葦津珍彦の女帝論(「論座」1998年12月号特集「女性天皇への道」から)https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1998-12-01

さて、それでは前々回に続いて、岩波祐子・参院調査室調査員のリポート『「安定的な皇位継承」をめぐる経緯―─我が国と外国王室の実例』を読み進めます。〈https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2019pdf/20190910143s.pdf

 【関連記事】男系主義の理由を論究せず。女系継承容認派に秋波おくる参院調査論文 その1https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-06-22


▽5 表層的な議論を追う

岩波さんは平成17年4月の衆参憲法調査会報告書における議論に続き、同年11月の小泉政権時代の『皇室典範に関する有識者会議報告書』について解説します。

有識者会議は座長には元東京大学総長の吉川弘之氏、座長代理に元最高裁判事の園部逸夫氏が座り、
ヒアリングが実施され、旧宮家の男系男子の子孫を皇室に迎える案なども提案されました。

しかし報告書は、結論として、皇位継承資格を皇族女子や女系の皇族に拡大し、皇位継承順位については、天皇の直系子孫を優先し、天皇の子である兄弟姉妹の間では、男女を区別せずに、年齢順に皇位継承順位を設定する長子優先の制度が適当であるとされた。これらを基本として、皇族の範囲についても、女性天皇及び女性の皇族の配偶者も皇族とすること、永世皇族制の維持、皇籍離脱制度の見直し等も言及されている、と岩波さんはまとめ、報告書の「結び」をそっくり引用しています。

けれどもその後、岩波さんが指摘するように、小泉総理は皇室典範の改正案をまとめて国会に提出する意向とされますが、文仁親王妃紀子殿下の懐妊発表で提出は見送られたままとなっています。

一点だけ補足すると、報告書には「女性宮家」という表現はないものの、その中身が盛り込まれています。平成8年に始まる政府・宮内庁の女性天皇容認はイコール「女性宮家」創設だったのですが、岩波さんのリポートにはまったく言及されていません。つまり、女系継承容認論が政府部内でどのように生まれ、成長してきたのか、岩波さんには見えていないのでしょうか。

 【関連記事】「2つの柱」は1つ──「女性宮家」創設の本当の提案理由 4https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2017-05-28
 【関連記事】〈第4期〉渡邉前侍従長の積極攻勢も実らず──4段階で進む「女性宮家」創設への道https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2017-09-27

次は、野田政権時代の『皇室制度に関する有識者ヒアリングを踏まえた論点整理』ですが、岩波さんの解説は少し変です。

岩波さんは、野田政権の下で、女性皇族の婚姻による皇族数の減少と皇室の御活動の維持という課題について、有識者ヒアリングが行われたと説明しています。現行の皇室典範の規定の下では女性皇族は婚姻により皇籍を離脱することから、皇室活動の安定的な維持と天皇皇后両陛下の御負担軽減が喫緊の課題だというわけです。

岩波さんが心を寄せているらしい女系容認派の園部さんは、なるほどヒアリングのときに繰り返し説明していました。

「天皇陛下の大変な数の御公務の御負担をとにかく減らさないと。それは大変な御負担の中なさっておられるわけでして、そうした天皇陛下の御公務に国民はありがたいという気持ちを抱いていると思いますが、国民として手伝えるのは天皇陛下の御公務の御負担を減らすことなんです。
そのためには、どうしてもどなたかが皇族の身分をそのまま維持して、その皇族の身分で皇室のいろいろな御公務を天皇陛下や皇太子殿下や秋篠宮殿下以外の方も御分担できるようにする。そして、減らしていくというのが最大の目的です」

 【関連記事】〈短期集中連載〉「女性宮家」創設賛否両論の不明 第1回──月刊「正論」12月号https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-12-02-1?1592135118

しかしこの説明自体に無理があったのでした。当初は、「天皇皇后両陛下の御負担をどう軽減していくかが緊急性の高い課題となっている」と説明していたのに、「論点整理」では、悠仁親王殿下が皇位を継承される将来の問題に飛んでしまいました。岩波さんの論考にはむろんその説明はありません。

 【関連記事】支離滅裂なり!! 「女性宮家」創設の「論点整理」──変質した制度改革の目的意識https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-10-14-1

その後、衆議院の解散、総選挙が行われ、政権が交代します。安倍総理は、女性宮家の創設について、きわめて慎重な対応が必要と表明しました。岩波さんの解説の通りです。

結局のところ、小泉総理の有識者会議といい、野田総理のヒアリングといい、男系主義の意味はなんら見出せませんでした。岩波さんは本質論を避け、表層的な議論を追いかけているだけのように見えます。


▽6 「生前退位」問題とは何だったのか

つぎに、論考は、先帝の退位をめぐる議論に進みます。

岩波さんの説明では、平成28年7月の「生前退位」報道に始まり、先帝の「おことば」、「有識者会議」などを経て、皇室典範特例法が成立していく過程で、女性宮家の創設、女性・女系天皇への拡大、旧宮家の皇族への復帰等について、早期に議論の場を設けるべきではないかなどとの意見が交わされました。

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有識者会議の最終報告書は「おわりに」で、皇族数の減少への対策は一層先延ばしのできない課題となるとして、現在の皇室典範の皇族女子の婚姻による皇籍離脱、皇孫世代の皇族の状況に触れて、「皇族数の減少に対する対策について速やかに検討を行うことが必要」と指摘しました。

皇室典範特例法は衆議院本会議で多数で可決され、参議院本会議では全会一致で可決、成立しましたが、その際、「女性宮家の創設などは先延ばしできない」などとする附帯決議が付されることとなりました。

結局、議論は皇族の減少という現実論に集中し、歴史的な男系主義の意義の追究は行われませんでしたが、そのことの解説は岩波さんの論考には見当たりません。それどころか、いわゆる「生前退位」問題とは何だったのか、本質論は何も見えてきません。「生前退位」報道以後、どんどん曲がっていった女系継承容認論に操られ、踊らされているだけではないでしょうか。

岩波さんはなぜこのリポートを書くことになったのか、もしかすると、案外、深い闇があるのかもしれません。

 【関連記事】どうしても女性天皇でなければならないのか。男系を固守することは不正義なのか。なぜ男系の絶えない制度を考えようとしないのか?https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-02-09


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小川寛大さんの神社本庁批判に異議あり。もともと上意下達の組織ではない [神社神道]

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小川寛大さんの神社本庁批判に異議あり。もともと上意下達の組織ではない
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金刀比羅宮の神社本庁離脱をめぐって、「中外日報」の元記者で、「宗教問題」編集長の小川寛大さんという方がプレジデント・オンラインに『大激震! 「神社本庁は天皇陛下に不敬極まる」…"こんぴらさん"離脱で離散危機に』と題する一文を寄せています。「神社界全体を揺るがす大ニュース」というわけです。〈https://president.jp/articles/-/36456

小川さんによると、近年、有力神社の離脱が相次ぎ、神社本庁が揺れているのは、「偉そうに『上納金だけ持ってこい』という態度」に地方の苛立ちがつのっているところへ、本庁の「土地転がし問題」で不信感が高まったからだと説明されています。神社本庁が「ばらけるときには一気にばらける危険性」も指摘されています。

地方の神職や本庁周辺のコメントも散りばめられ、取材のあとも見受けられますが、当事者たる金刀比羅宮や本庁への直接取材は見受けられません。私が指摘したように、本庁幣の供進について本庁は事務手続きを粛々と進めたのに、香川県神社庁の単純ミスで不祥事が生じたらしい真相究明への意思もありません。相次ぐ大社の離脱から一気に本庁の危機という結論が導かれています。

 【関連記事】神社本庁創立の精神からほど遠い「金刀比羅宮の離脱」https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-06-21

小川さんには『神社本庁とは何か』という著書もあるそうですが、本庁が全国8万社の包括宗教法人で、いわば教団の上部組織による不手際が全体の危機の原因を生んでいるという思考のプロセスにむしろ問題がありはしないでしょうか。本庁はキリスト教や仏教の教団組織とは似て非なるものです。


▽1 神社本庁として糾合した事情

小川さんが説明するように、宗教法人法の枠組みでいえば、神社本庁は間違いなく包括宗教法人であり、神職資格を付与し、神職の人事権も握っています。しかし実態としては、上意下達的、強権的な人事権の行使はあり得ません。各神社には古来の氏子の存在があるからです。宮司の任命権は実質的に氏子にある場合もあり得ます。

それぞれのお宮にはそれぞれ歴史と信仰があります。源氏のお宮もあれば、平家の社もある。山神の神社もあれば、海の神社もある。それらが一見、総本山とも見える神社本庁として糾合することになった、そうせざるを得なかった事情を小川さんは見落としていませんか。

前にも書いたように、神社本庁設立の気運は敗色が濃厚となった戦争末期に遡ります。敗戦となり、神社を敵視する占領軍が進駐することになれば、全国の神社は壊滅的な状況に陥る。危機を回避するには一致団結する他はない、と葦津珍彦が有力者に呼びかけ、大日本神祇会、皇典講究所、神宮奉斎会が糾合することになりました。

 【関連記事】朝日新聞と神道人、それぞれの戦争 戦後期  第3回 新聞人の夢を葦津珍彦に託した緒方竹虎https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2013-04-14-3
 【関連記事】近代の肖像 危機を拓く 第445回 葦津珍彦(3)──先人たちが積み残したアジアとの融和https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-03-03
 【関連記事】神社本庁創立の精神からほど遠い「金刀比羅宮の離脱」https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-06-21

葦津はこのとき神社連盟案を提案し、宗教法人化は好ましくないと進言したようですが、受け入れられませんでした。宗教法人なら神、教義、聖職者、教会、信徒などキリスト教的な要素を無理にでも作り上げる必要に迫られます。宗教法人の概念がキリスト教由来だからです。

ただ、神社本庁は統一教義を作ることは避けました。小川さんが書いているように自然宗教の神社です。多様性こそが神道の神髄なら、統一教義の作成は不可能です。

 【関連記事】葦津先生は「神社本庁イデオローグ」ではない!?──葦津珍彦vs上田賢治の大嘗祭「国事」論争 2https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2019-01-30


▽2 ほんとうの危機とは

小川さんは神社本庁が『戦前の「国家神道」体制を統括した行政機関「神祇院」を形式的に継承している組織』と書いています。国家神道の亡霊が戦後に命を長らえ、強権を振るっていることに地方の神社が反発しているというようなニュアンスですが、間違いでしょう。

既述したように、神社本庁は民間3団体の統合で生まれたのです。なぜそのような事態になったのか、そこが重要でしょう。

葦津が神社本庁設立の準備に奔走していたころ、アメリカ陸軍省が製作したプロパンダ映画に「Know Your Enemy : Japan」があります。皇祖神の神勅に基づき、八紘一宇の精神で、昭和天皇を現人神として、アジア各地に神社を建て、世界を武力で侵略していると新兵たちを教育する映画です。

 【関連記事】アメリカが見た鏡のなかの「軍国主義」──涙骨賞落選論文「天皇とは何だったのか」7https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2019-08-10?1593226254

これこそがアメリカが敵視する国家神道なのでした。神道には本来、教義も布教もないのですから、誤解と偏見以外の何ものでもありませんが、敗戦国には反論権はありません。そして神社本庁が生まれたのです。古代から続く民族の信仰を守るという一事に、関係者が心をひとつにしたのです。

しかしそれから70有余年、神社本庁は、あるいは地方の神社関係者は本庁設立の精神を見失っているのではありませんか。危機の原因はむしろそこにあるのでしょう。小川さんはそうはお思いになりませんか。神社本庁は国家神道の残影だと言わんばかりの小川さんに真っ向反論する人さえ、いまの本庁にはいないでしょう。それこそがほんとうの危機なのです。


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男系主義の理由を論究せず。女系継承容認派に秋波おくる参院調査論文 その1 [皇位継承]

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男系主義の理由を論究せず。女系継承容認派に秋波おくる参院調査論文 その1
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皇位継承が古来、男系主義を採用してきたのはなぜなのか、そしていまなぜ女性天皇の容認のみならず、歴史にない女系継承容認論に世論が席巻される事態となったのか。天皇が祭り主であり、皇祖神のみならず天神地祇を祀り、米と粟を捧げて祈るのが天皇の祭祀であるなら、その祭祀のあり方にこそ男系主義の本質が見えてくるはずです。そして、戦後の象徴天皇制が祭り主天皇の否定であるなら、男系主義否定に帰着するのもまた当然なのでしょう。しかしながら、そのような議論は寡聞にして知りません。

前々回まで、帝国学士院編纂の『帝室制度史』や国会図書館の山田敏之専門調査委員の論考を取り上げ、私なりに考えを進めてきましたが、今回から参議院内閣委員会調査室の調査員・岩波祐子さんによる、25ページに及ぶ浩瀚なリポート『「安定的な皇位継承」をめぐる経緯―我が国と外国王室の実例』を読みつつ、考察することにします。徒労とは十分に知りつつ、ということです。

 【関連記事】「皇統は男系に限る」と断言しつつ、根拠は神勅と歴史以外に見当たらない『帝室制度史』https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-05-10
 【関連記事】国会審議に無用の混乱を招く「国会図書館」調査員の皇位継承論https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-06-07

参議院調査室は、参院議員の活動全般を調査面で補佐するために置かれた組織で、常任委員会調査室、特別調査室及び企画調整室から構成されています。調査室が参院議員のために企画・編集、発行している調査情報誌『立法と調査』には調査・研究の報告・論文が掲載され、岩波さんのリポートは昨年9月発行の415号に掲載されています。〈https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/20190910.html

サイトの説明ではリポートはあくまで「個人的な見解」とされていますが、公機関の編集・発行する公的媒体掲載の論考が「個人的」であり得るはずはありません。政治的に難しいテーマならなおのこと、公正中立に徹することは至難であり、逆に偏りのある内容なら議員たちの審議に誤った方向性を与えてしまうのではないかと危惧されます。

そうした懸念が生じるのはそもそも、既述したように、そしてまさに岩波さんの論考がそうであるように、古来、なぜ男系主義が採用されてきたのかが十分に論究されていないからです。


▽1 単なる議論の紹介

岩波さんのリポートは4部構成になっています。(1)皇位継承をめぐるこれまでの議論、(2)皇位継承における原則と例外、(3)提案の状況、(4)外国王室の状況、の4つです。

その前に「はじめに」です。岩波さんは執筆の目的を次のように説明しています。

平成29年6月、皇室典範特例法の附帯決議で「安定的な皇位継承確保の諸課題」を検討するよう求められた政府は皇位継承儀式が一段落したあと、検討を開始すると報道されている。
憲法は皇位継承について世襲制のみを規定し、具体的制度設計は皇室典範に譲っている。現行皇室典範は「皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と定め、皇族女子は婚姻により皇籍を離脱すると規定されている。
現在、男系男子が不在となる懸念に関連し、小泉内閣時の有識者会議では男女の別なく直系・長子優先の継承を定める案が提言され、野田内閣では公務の担い手を増やす女性宮家の創設が提言されたが、いずれも実際の法改正等には至っていない。
本稿は、皇位継承に関する検討の経緯の概要について、皇位継承に関わる歴史上の原則等に触れつつ、皇位継承に関するこれまでの議論と、現在の提言の状況、加えて外国王室における参考となる事例等を紹介することを目的とする。

あとで詳しく検討することになると思いますが、憲法が定める「世襲」は単に血が繋がっていることを意味するわけではなく、「王朝の支配」を意味しますが、岩波さんのリポートではその指摘は見当たりません。また、外国王室との比較は有効なものなのかどうか、追って検証したいと思います。

それでは「皇位継承をめぐるこれまでの議論」です。

岩波さんは、(1)皇室典範制定時の議論、(2)昭和39年の憲法調査会報告書における議論、(3)平成17年4月の衆参憲法調査会報告書における議論、(4)同年11月の小泉政権『皇室典範に関する有識者会議報告書』、(5)同24年10月の野田政権『皇室制度に関する有識者ヒアリングを踏まえた論点整理』、 (6)天皇陛下御退位をめぐる議論における皇位継承策の検討、の6つのステージに分けて考察しています。

見出しから容易に想像できるように、岩波さんのリポートは単なる議論の紹介にとどまっています。その程度なら、リポートをまとめるまでもなく、議員たちはむしろオリジナルの報告書を読んだ方がいいように思いますが、どうでしょうか。

それはともかく、今日のところは、分量の関係上、(3)までを読めることにします。

まず、(1)皇室典範制定時の議論です。岩波さんは古代からの皇位継承の実態や明治の皇室典範制定には触れず、いきなり戦後の、つまり占領下という特殊状況下での議論に飛び、昭和21年7月設置の臨時法制調査会と同時期の第90回帝国議会での議論を紹介しています。


▽2 「女系派」園部逸夫氏に引きづられる

第一は臨時法制調査会における議論ですが、岩波さんは、女系継承容認派として毀誉褒貶半ばする元最高裁判事・園部逸夫さんの著書『皇室法概論-皇室制度の法理と運用-』を引用するのみです。なぜ調査会そのものの議論を取り上げないのか、不思議です。

『女系による皇位の継承及び女性天皇の是非については、認めるべきとする見解の論拠は明らかではないが、認めるべきでないとする見解は、歴史・伝統を論拠としていた。臨時法制調査会第3回総会における第一部会長代理の報告は、女系による皇位の継承は皇位世襲の観念に含まれないとしている。なお、背景として、当時は皇位継承資格のある男系男子が相当人数存在したこと、「日本には皇配(プリンス・コンソート)族とでも言い得るような特種の家柄が存在せず、存せしめることが不適当でもある」等、配偶者の在り方に難点があると考えられたことなども指摘されている』

以前、触れたように『帝室制度史』では男系主義の根拠として、「歴史・伝統」の前に「神勅」が挙げられていましたが、ここにはありません。女系が認められないのは「万世一系の皇統」を侵害するからですが、言及がありません。皇配の有無云々については、王族同士の婚姻を前提とするヨーロッパ王室との違いがあることが指摘されていません。

園部さん自身にこうした理解が不足しているということでしょうか。そんな園部さんの著書をなぜ引用しなければならないのか、理解に苦しみます。

第二に、帝国議会における議論です。

岩波さんは、帝国議会では憲法第2条で旧憲法の「皇男子孫」の文字を省略した理由に関連し、「此ノ第二条ニハ其ノ制限ガ除カレテ居リマスルガ故ニ、憲法ノ建前トシテハ、皇男子、即チ男女ノ区別ニ付キマシテノ問題ハ、法律問題トシテ自由ニ考ヘテ宜イト云フ立場ニ置カレル訳デアリマス」(金森国務大臣。衆議院憲法改正案委員、昭和21.7.8)などの答弁がされ、あたかも女系継承が容認されたかのように解説しています。

しかし、そうともいえません。7月17日の委員会では、芦田委員長が「将来、皇位が女系に移るがごときことは絶対にないという意味に了解するほかはない」と述べているからですが、岩波さんのリポートには言及がありません。女系派の園部さんに引きづられているからではありませんか。中立性に大きな疑念があります。

岩波さんは、「女性の皇位継承を可能としてはどうかとする制定時の議論」として、(1)歴史上も女性天皇の例がある、(2)文化国家、平和国家の象徴としてふさわしい、(3)新憲法の精神、男女平等原則に沿う、(4)近親の女性を優先する方が自然の感情に合致し正当である、(5)皇統の安泰を期すためには女性天皇を可能にする必要がある、という意見があったと指摘しています。

しかし、いつも申し上げるように、夫がいたり、妊娠中、子育て中の女性天皇は歴史に存在しないし、男女平等を掲げる憲法の第一章が天皇の規定であり、したがって男系継承主義は男女平等原則の例外と見るべきであって、実際、GHPは何ら異議を挟まなったのでした。

 【関連記事】基本を忘れた女系継承容認論──小嶋和司教授の女帝論を読むhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-31


▽3 「世襲」はdynasticの和訳だが…

次に昭和39年7月の憲法調査会報告書での議論です。

憲法調査会は昭和31年6月、内閣に設置され、39年7月3日に内閣と国会に報告書が提出されました。岩波さんは、女帝関連部分を抜粋しています。

それによると、皇位継承について、女帝および退位を認めるべきかどうかの問題がとりあげられ、見解の対立がみられたが、意見を述べた委員は、天皇と国民主権との関係、天皇の地位および権限等の問題に関して意見を述べた委員に比較すればきわめて少数だったというのです。

女帝容認派の論拠は、例によって、(1)日本の歴史に先例があり、外国の例に照らしても、女帝を認めるべきでないとする理由はない、(2)男子の皇位継承資格者が絶えるという稀有の場合も生じないとはいえない、(3)両性の平等の原則からいっても女帝を認めるべきである、(4)天皇の権限は形式的・儀礼的な行為に限られているから、女子は天皇の適格性を有しないとはいえず、また現に皇室典範は女子も摂政となりうることとしている、というものでした。

興味深いのは、女帝を認めるとすれば、皇位継承のもっとも重要な事項であるから、皇室典範ででは足らず、憲法上明確に規定すべきであるとされたことです。ひとつの見識といえます。しかし、岩波さんはこれも単なる抜粋・引用にとどまっています。

時代は平成に飛びます。岩波さんはまず平成17年4月の衆参憲法調査会報告書における議論を取り上げます。岩波さんが指摘するように、悠仁親王殿下の御懐妊前の議論でした。

衆議院では、岩波さんによると、女性による皇位継承を認めるべきであるとする意見が多く述べられました。その論拠は、(1)憲法が皇位継承権を男性に限定していない、(2)男性による継承に限定したままでは皇統が断絶する懸念がある、(3)女性の天皇を容認する国民世論の動向、(4)これを認めることが男女平等や男女共同参画社会の形成という現在の潮流にも適うものである、などでした。

これに対し、慎重論は、男系男子による継承が我が国の伝統であることが論拠でした。

憲法の「世襲」はdynasticの和訳ですから、王朝の交代を招く女系継承は憲法違反のはずですが、立法過程に遡った議論はなかったのでしょう。男系が絶えない制度を模索すべきだという意見はなかったものなのか、何より男系継承の意義が見出されていないことが最大のネックなのでしょう。


▽4 国学、神道学も同じ

女性による皇位継承を認めるべきであるとする意見には、日本国憲法は、大日本帝国憲法と異なり、皇位継承資格を皇族男子に限定していない、現行の皇室典範では、男子の皇族にしか皇位継承権を認めていないが、摂政については現在でも皇族女子の就任を認めている、王室を有する欧州各国では、女性による王位継承を認めている、などの意見がありました。

しかし、これらも立法過程の議論に考慮しているとはいえず、ヨーロッパ王室の王位継承を外面的に眺めているだけといえます。これに対して、慎重派も男系主義の積極的な意義を見出せずにいます。

次に参議院ですが、岩波さんが引用する報告書の抜粋では、象徴概念の純化を図るべきである、男子限定の皇室典範は改正すべき、女性天皇賛成が80%という世論調査もある、男子誕生のプレッシャーを天皇家に掛けるのは良くない、皇室典範の改正で女性天皇を認めることは可能であり、天皇を男子に限る合理的根拠はない、などとして、女性天皇容認について、おおむね共通の認識があったとされます。

一方、天皇・皇族の人権問題が議論され、人格は基本的に守られるべき、国民の一人として人権が尊重されるべきことは当然などの意見が出されたことは注目されます。

このあと岩波さんは参考人・公述人の発言を引用するのですが、女系派である園部さんの意見がやたら多いのが気になります。むろん園部さんの議論は125代歴史的天皇の継承ではなくて、日本国憲法に基づく1.5代象徴天皇の継承なのでした。祭り主天皇に関心のない園部さんに、男系主義が理解できる道理はありません。

意気軒昂な女系容認派に対し、「議論自体は国民の自由、議院活動の自由であるが、個人的には皇族が悩む状況をむしろつくってしまうのではないかと懸念する」と慎重論を述べた阪本是丸・國學院大学教授の存在は異色でした。

慎重論は大いに理解できるところですが、男系主義の真髄が提示されないのはなぜなのでしょう。近世以来の国学、神道学が男系主義の本義を解明できないでいるのは、やはり学問的限界なのでしょうか。

最後にひと言申し上げます。政府・宮内庁は平成8年以降、皇位継承に関する非公式・公式な調査研究を開始し、女帝容認に完全にシフトしたことが知られています。しかし、岩波さんの論考にはまったく言及がありません。(つづく)

 【関連記事】伝統主義者たちの女性天皇論──危機感と歴史のはざまで分かれる見解(「論座」平成16年10月号から)https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2004-10-01
 【関連記事】どうしても女性天皇でなければならないのか。男系を固守することは不正義なのか。なぜ男系の絶えない制度を考えようとしないのか?https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-02-09


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神社本庁創立の精神からほど遠い「金刀比羅宮の離脱」 [神社人]

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神社本庁創立の精神からほど遠い「金刀比羅宮の離脱」
(令和2年6月21日)
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香川県の金刀比羅宮が神社本庁から離脱することになったようです。理由は、同宮の説明では、本庁の不動産不正転売問題に基因する不信感と昨年の大嘗祭当日の祭祀に関わる不信感の2点です。前者の問題で本庁への信頼が大きく揺らいだところへ、後者が持ち上がり、関係悪化が決定的になったということでしょうか。〈http://www.konpira.or.jp/

天皇一世一度の大祀である大嘗祭は、尊皇の精神篤き神社人にとっても一大行事ですから、些細な不祥事とて絶対に許されません。何があったのでしょう。

昨年11月14日の大嘗宮の儀に際して、神社本庁は各神社に通達し、当日祭が斎行されました。問題はその際の「本庁幣の供進」でした。通達には「当日祭には臨時に本庁幣を供進する」とあったのに、当日まで、本庁幣がお宮に届くことはありませんでした。金刀比羅宮が「無礼」「不敬」と怒るのも無理はありません。

何か予期せぬ事故が起きたのか、といえば、不思議にも本庁に落ち度はなかったようです。「当宮(金刀比羅宮)に対する嫌がらせ」は誤解です。それなら何なのか。


▽1 電話一本で解決できない

金刀比羅宮の説明では、同宮の問い合わせに対して、神社本庁はいま話題の秘書部長名で「各神社庁を通じて本庁幣を供進している」「当日祭に本庁幣が供進されなかった神社が存在したのはまことに遺憾」(今年3月23日)と回答し、香川県神社庁からは「本庁幣は毎年度、1月下旬から2月上旬に各支部を通して交付している」(昨年12月12日)との回答があったのでした。

つまり、本庁は当日祭の幣帛供進を予定して事務手続きを粛々と進めたものの、県神社庁が「臨時の本庁幣」を毎年恒例の本庁幣と同様に取り扱った凡ミスだということでしょう。本庁が責められることではありません。

ただ、本庁の回答は、代理人弁護士を通じた金刀比羅宮の度重なる問い合わせに対して、何か月も要した巧遅そのもので、不信感を募らせ、亀裂を深める以外の何物でもなかったのでしょう。書面をやり取りするまでもなく、電話一本で解決できる日頃の意思の疎通を完全に欠いていたのではありませんか。

2万人しかいない神職の世界でいったい何が起きているのでしょう。日常的なお付き合いの盛んな業界のはずなのに。

歴史を振り返れば、神社本庁は昭和21年2月に生まれました。敗色が濃厚となった戦争末期に、敗戦後を見越した葦津珍彦らが、神道を敵視する外国軍隊に占領されることになれば、神社は壊滅状態に陥る。古代から続く民族の信仰を守り、危機を回避するためには神社関係者が団結する必要があると有力者を説得し、皇典講究所、大日本神祇会、神宮奉斎会が糾合して本庁が設立されたのでした。

 【関連記事】朝日新聞と神道人、それぞれの戦争 戦後期  第3回 新聞人の夢を葦津珍彦に託した緒方竹虎https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2013-04-14-3
 【関連記事】近代の肖像 危機を拓く 第445回 葦津珍彦(3)──先人たちが積み残したアジアとの融和https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-03-03
 【関連記事】葦津先生は「神社本庁イデオローグ」ではない!?──葦津珍彦vs上田賢治の大嘗祭「国事」論争 2https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2019-01-30

本庁が装束を着た神職だけの組織ではなかったことはとくに重要です。創立当時の初代事務総長は内務官僚だった宮川宗徳でした。「言論機関は独立機関たるべし」との宮川の英断で、翌年には神社新報が独立します。初代社長は宮川でした。葦津は編集主幹兼社長代行者となりました。

しかし苦難の占領期も過ぎ、半世紀以上が経ち、庁舎も代々木に移りました。職員の顔ぶれも一変し、宮川のような「背広の神道人」は見かけなくなりました。いまや神職の同業者組合と揶揄する人さえいます。当然、意識も変わったのでしょう。


▽2 大嘗祭のあり方は問いかけず

今回の離脱は御代替わり最大の儀礼である大嘗祭を契機としていますが、金刀比羅宮が問題視したのは神社祭祀に関わる神社界内部の事務手続きの不備であって、御代替わりのあり方そのものを心から憂い、大胆に問題提起しているわけではありません。

歴史にない退位の礼が政府によって創作され、譲位と践祚が分離され、皇祖神に践祚を奉告する賢所の儀が完了しないままに朝見の儀が行われ、代始め改元は前代未聞の退位記念改元となり、諸儀礼は国の行事と皇室行事とに真っ二つに二分されるというあり得ない惨状について、皇祖神を祀る神宮を本宗と仰ぐ本庁も神社庁も金刀比羅宮も悲憤慷慨しているとは聞きません。

30年前、平成の御代替わりのときも同様でした。本庁周辺では「大嘗祭が行われて良かった」という喜びの声が満ち溢れるばかりで、問題点を高いレベルで検証することは行われませんでした。語るに落ちる不祥事があっても有耶無耶にされました。日本人の宗教的伝統を守るとの創立時の高邁な精神はどこへいったのでしょうか。

本庁創立の中心にいた葦津珍彦が最晩年、病床で口述筆記した遺作は、稀有壮大な志に生きる明治の神道人の生涯を描いたものでした。天下国家を論じ得るスケールの大きな神道人の輩出を心から願ってのことだったでしょう。不動産不正転売問題といい、金刀比羅宮離脱といい、葦津ら先人たちの理想とはあまりにかけ離れていませんか。

 【関連記事】ある神社人の遺言「神社人を批判せよ」https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/archive/20100714


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国会審議に無用の混乱を招く「国会図書館」調査員の皇位継承論 [皇位継承]

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国会審議に無用の混乱を招く「国会図書館」調査員の皇位継承論
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古来、皇位は男系男子によって継承されてきました。しかし平成8年以後、政府・宮内庁は女性天皇のみならず、過去の歴史にない女系継承容認に一気に舵を切りました。それから20余年、いまや女性天皇容認が国民の85%を占めるともいわれます。

古来、なぜ男系主義だったのか、なぜいま女系継承容認なのか。答えを得るため、前々回までは『帝室制度史 第3巻』(帝国学士院編纂。昭和14年)を読みましたが、神勅と歴史以外に根拠を持たない『制度史』には納得のいく説明が見出せませんでした。

 【関連記事】「皇統は男系に限る」と断言しつつ、根拠は神勅と歴史以外に見当たらない『帝室制度史』https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-05-10

今回は、国会図書館調査及び立法考査局の専門調査員・山田敏之さんの重厚なリポートを読むことにします。同図書館は国会議員の調査研究に奉仕することを目的のひとつとし、調査及び立法考査局は国会の活動を補佐することを職務の中核としていますから、同局の研究は二千数千年におよぶ皇室の命運を握る需要な立場にあります。

調査員の山田さんには、私が知るところ、皇室問題に関する次の4本の小論があります。

(1)現⾏制度の制定過程における退位の議論(「調査と情報」No. 958。2017. 4.18)
(2)欧州諸国の退位制度(「調査と情報」 No. 959。2017. 4.18)
(3)ヨーロッパ君主国における王位継承制度と王族の範囲―女系継承を認めてきた国の事例(「レファレンス」No.803。2017-12-20)
(4)旧皇室典範における男系男子による皇位継承制と永世皇族制の確立(「レファレンス」No. 808。2018-05-20)

いずれもタイムリーな山田さんの研究は国会審議に少なからぬ影響を与えたものと想像されますが、その中身はどのようなものなのか、ここでは男系継承主義に関する(4)のみを読んでみることにします。結論からいえば、山田さんの皇位継承史論には多くの学びがありましたが、逆にいくつかの重大な疑念が浮かんできました。この歴史研究によって影響を受けた国会審議がどこへ進んでいくのか、あるいは迷い込んでいくのか、きわめて気がかりです。

なお、原文は国立国会図書館のサイトから誰でもいつでもダウンロードすることが可能です。


▽1 明治以前は「男子」の要件はなかった?

山田さんの論考は三部構成がとられています。(1)男系男子による皇位継承制の確立、(2)永世皇族制の確立、(3)女性皇族の皇族以外の者との婚姻後の身分、の3つです。とくに重要なのは、いうまでもなく(1)の男系主義の確立に関する史的考察です。

論考ははじめに、「要旨」として、6点を掲げています。

(1)現行皇室典範において、皇位継承資格者の要件は、a皇統に属すること、b 男系であること、c嫡系嫡出であること、d男子であること、e皇族であること、である。このうち嫡系嫡出であることは、現行典範により新たに追加されたものである。

昭和22年制定の皇室典範は「第1章 皇位継承」に始まり、第1条には「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と定めています。また第六条には「嫡出の皇子及び嫡男系嫡出の皇孫は、男を親王、女を内親王とし、三世以下の嫡男系嫡出の子孫は、男を王、女を女王とする」、第十五条には「皇族以外の者及びその子孫は、女子が皇后となる場合及び皇族男子と婚姻する場合を除いては、皇族となることがない」と定めています。仰せの通りです。

(2)旧皇室典範制定前の制度では、d男子であることの要件はなく、女子にも皇位継承資格があり、古代に8代6人、近世に2人の女性天皇が在位した。古代の女性天皇の即位の事情については、古代史研究者によって様々な推論がなされている。近世の女性天皇はいずれも皇子に譲位することを前提にして践祚した。

問題はここです。あとでくわしく検討したいと思います。

(3)旧典範の制定過程では、男系男子が絶えた場合には女子に継承資格を認めるという案も出された。しかし、我が国の過去の女性天皇は中継ぎ君主であり欧州諸国の女王とは異なり、欧州諸国のように女子が継承し、その女系の子が位につくと姓が変わるという理由で女系・女子の継承資格を否認し、男系男子による皇位継承制度が確立した。

山田さんは男系男子主義が明治期に確立されたという見方です。ヨーロッパ王室との比較とあわせて、本格的検証を要するように思います。

このあと(4)皇親の制度、(5)永世皇族制の採用、(6)婚姻した女性皇族の身分について、言及していますが、ここでは省略します。


▽2 「女帝の子も亦同じ」と読むべきか

山田さんが指摘するように、旧皇室典範制定前には女子にも皇位継承資格があり、実際、古代には8代6人、江戸時代には2人の女性天皇が践祚しました。4人は皇后(大后)、1人は皇太子妃、4人は生涯独身で、在位中に配偶者がいた女性天皇はいません。1人のみ即位前に皇太子になっています。

古代の女性天皇即位の事情については、以下のようなさまざまの見方があると山田さんは指摘します。
(1)中継ぎとして即位した。
(2)危機打開のために女性のカリスマ性を発揮することを期待された。
(3)人格・資質と統治能力を考慮されて群臣により推戴された。
(4)「世代内継承」の原則に基づき、かつ、天皇たるにふさわしい資質と能力を有することが確認されて、即位した。
(5)諸皇子との継承争いに実力で勝利し即位した。

「中継ぎ」説だけではないというのが新鮮な指摘ですが、結局のところ、女性天皇は歴史に存在しても、女系継承はなかったし、山田さんが指摘するように、夫のいる女性天皇が存在しなかっただけでなく、妊娠中の女性天皇、子育て中の女性天皇は存在しないのです。それはなぜなのでしょうか。そこが最大のポイントのはずですが、山田さんの論考では解説されていません。

次に山田さんは、継嗣令について言及します。古代律令の条文に女性天皇に関する注記があるというわけですが、議論がかなり混乱しています。

山田さんによると、継嗣令には「凡そ皇兄弟・皇子は、皆親王と為す。女帝の子も亦同じ。以外は並に諸王と為す。親王より五世は王の名を得ると雖(いえど)も、皇親の限に在らず。」(皇兄弟条)という規定があり、その意味は「皇兄弟及び皇子を親王とし、皇孫、皇曾孫、皇玄孫を王とし、皇玄孫の子である五世王は王を称することはできるが皇親の範囲には入らない。」というものだとされています。

山田さんは、この規定は男子と女子を区別しておらず、親王には内親王、王には女王が含まれると説明しています。そこまではいいのです。問題は次です。

ポイントが小さくなっている「女帝の子も亦同じ」(女帝子亦同)は、令本文に付された本註で、中国の唐代の令にはない日本独自の規定ですが、「女帝の子」と読むことを誤りとし、「女(ひめみこ)も帝の子、また同じ」と読むべきだとする見方には、山田さんの言及がありません。

山田さんは、本註は、父が四世王までであれば女帝の子は親王とする意味だと解釈されている。さらに女帝の子の子孫(つまり孫王以下)も女帝を起点として数え、皇親とすると解釈されている。これに対し、女帝の兄弟については、他の条文の女帝への適用と同様に本則どおりで親王とされるため、あえて註記されていないと解釈されている、などと説明していますが、私にはまったく理解不能です。

近世の女性天皇の場合も同様ですが、「女帝の子」は歴史に存在しないのです。なぜそうなのか、が重要なのではありませんか。しかし、山田さんの論考には追究がありません。「女帝の子」と読んで、疑問を感じないからでしょう。

 【関連記事】〈短期集中連載〉「女性宮家」創設賛否両論の不明 第1回──月刊「正論」12月号https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-12-02-1
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▽3 「万世一系の皇統」に抵触する

明治の旧皇室典範の制定過程ではどのような議論が行われたのか、山田さんは以下のように解説しています。

まず、元老院の日本国憲按です。山田さんがご指摘のように、国憲按(憲法草案)には、女子の皇位継承を認める規定などが盛り込まれましたが、「皇女とその配偶者から生まれる女系の子・孫は異姓であり、異姓の子が皇位継承した場合には万系一世の皇統とはいうことができない」として修正・削除が求められ、結局、右大臣岩倉具視や参議伊藤博文が反対し、不採用となりました。

女系継承容認は「万世一系の皇統」に抵触する、というのが反対の核心です。

以前、書いたように、一般には、皇位継承規定を柱とする「皇室典範」の立法が考えられるようになったのは明治14年の岩倉具視の「憲法綱領」以後といわれるようです。これに対して、戦後唯一の神道思想家といわれる葦津珍彦は『大日本帝国憲法制定史』(明治神宮編、1980年)で、「皇位継承」の条文作成の準備は元老院の「国憲按」に始まっていると指摘したのですが、山田さんも同じく「国憲按」からスタートしています。

一方、自由民権運動の高まりの中で、いわゆる私擬憲法が多数発表されました。皇位継承規定が置かれ、女子の継承を認めるものもありました。明治10年代には政治結社嚶鳴社の「女帝ヲ立ルノ可否」と題する社員による公開討論会が行われ、『東京横浜毎日新聞』に連載されました。

討論会では島田三郎が以下のような、注目すべき反対論を展開しています。

(1)我が国の女帝は欧州各国の女帝とは性質を異にし、摂位に類するものである。また、女帝が配偶者なく独身でいたことは天理人情に反し、今日では行うことはできない。
(2)女帝が婚姻するとした場合、配偶者、皇婿となる適当な人がいない。欧州各国のように外国の王族を皇婿として迎えることができず、かといって臣民では至尊の尊厳を損する。
(3)我が国の現状では、皇婿を立てると、女帝の上に一つの尊位を占める人があるように思われ、女帝の威徳を損する。また、皇婿が暗々裏に女帝を動かして政事に間接に干渉する弊がある。

これに対して、賛成論者は、女帝は四親等以上の皇族と婚姻可能であり、国会が承認すれば外国王室との婚姻を妨げるものはない、皇婿の政事への干渉は憲法に干渉を許さない旨の条文を設ければよく、規定を設けても干渉がある場合は、もはや皇婿の問題ではなく、憲法の実効性の問題である、などと、逐一反論をし、さらに反対論者が再反論を行っていると山田さんは解説しています。

このほか、反対論者の沼間守一は「女帝を立てないがために皇統が絶えたらどうするのかという論者に対しては、直ちに二千五百年皇統が絶えることなく、今後もあるはずがないと答えるだろう」とする一方で、「女帝が配偶者を持たれて、皇太子がお生まれになったとしても、天下の人心は皇統一系・万邦無比の皇太子と見奉らないのではないか」と論じました。

これに対し、賛成論者の肥塚龍は「男統の皇族がすでに絶えて女統の皇族のみ遺ったときに女帝を立てない憲法であるがために皇統外に人を求めて天子とするのかと問えば、論者は恐らく答えることができないだろう」と論じていると山田さんの論考では説明されています。

 【関連記事】女系は「万世一系」を侵す──「神道思想家」葦津珍彦の女帝論(「論座」1998年12月号特集「女性天皇への道」から)https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1998-12-01


▽4 単に「姓」が変わるのではない

山田さんによれば、明治17(1884)年になり、ヨーロッパの憲法取調から帰国した参議伊藤博文の上奏に基づき、宮中に制度取調局が設置され、伊藤がその長官を兼任しました。同局の調査を基に、皇室制度法草案である「皇室制規」が起草されましたが、これまた女系継承を認める内容でした。

この草案に対し、井上毅(宮内省図書頭)は、嚶鳴社の討論会における島田三郎と沼間守一の弁論を引用した上で、以下のように批判しました。

(1)欧州各国の女帝の例によるならば、女帝には臣籍に降下した源の某という人を皇夫に迎えることになるだろうが、女帝とその皇夫との間に皇子があれば、皇太子として位を継ぐことになり、その皇太子は源姓になり姓を易(かえ)ることになる
(2)欧州にも女子が王位につくことを認めていない国がある
(3)起草者は将来「万一ニモ皇胤絶ユルコトアル時ノ為ニ」女系継承規定を掲載したのであろうが、「将来ノ皇胤ヲ繁栄ナラシムル」方法は女帝以外にも種々ある

こうして明治19(1886)年の「帝室典則」草案では、女系・女子の継承に関係する条文全てが削除され、男系男子のみによる継承規定となりました。しかもこの「帝室典則」は結局、廃案となり、明治20(1887)年以降、内閣総理大臣兼宮内大臣伊藤博文の命により柳原前光(賞勳局総裁)と井上毅による皇室典範案の起草作業が本格化し、枢密院の審査を経て明治22(1889)年に成立しました。

その過程のいずれの案にも女子・女系継承が規定されることはなく、女子・女系継承について議論されることもなかったと山田さんは説明しています。

山田さんは明治において女系継承が否認されたのは、「欧州諸国のように女子が継承し、その女系の子が位につくと姓が変わるという理由で女系・女子の継承資格を否認し、男系男子による皇位継承制度が確立した」というのですが、単に「姓が変わる」というより「王朝が変更される」すなわち「万世一系」の原則が崩れるということでしょう。皇室には「姓」はありません。たとえばイギリスのように、王族同士の婚姻を前提とし、女王即位の次の代は王朝が父方に変更されるというわけにはいかないのです。

 【関連記事】基本を忘れた女系継承容認論──小嶋和司教授の女帝論を読むhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-31
 【関連記事】参考にならないヨーロッパの「女帝論議」──女王・女系継承容認の前提が異なる(「神社新報」平成18年12月18日号から)https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2006-12-18

結局のところ、山田さんの論考では、なぜ男系継承が続いてきたのか、理解できません。男系主義の本質に迫らなければ、歴史の外面を撫でまわすことに終始することになります。それどころか、古代には女系継承が認められていて、男系男子主義は近代の創作であるかのような皇位継承論は、このきわめて重要な時期に、国会審議に計り知れない無用の混乱をもたらすものとなるでしょう。


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