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陛下のお稲刈りに思う。天皇の祭祀は神勅に基づくとする通説への疑問 [宮中祭祀]

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陛下のお稲刈りに思う。天皇の祭祀は神勅に基づくとする通説への疑問
(令和2年9月20日)
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陛下が9月15日、皇居内の水田で、恒例のお稲刈りをなさったと各メディアが伝えています。〈https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200915/k10012618931000.html〉〈https://www.asahi.com/articles/ASN9H52G6N9HUTIL024.html〉〈https://www.47news.jp/5260653.html

以前に比べると、こうした皇室関連報道が増えました。それでも、古来、天皇第一のお務めとされてきた祭祀など、あまり伝えられない多くのことがあるように思います。いまや天皇は祭り主でなく、国事行為のみを行う特別公務員のごとく考えられているからでしょうか。

天皇が稲作をなさるようになったのは最近のことで、即位直後の昭和天皇が最初でした。先帝はこれを引き継がれるとともに、粟の栽培をも始められました。今上は昨年の皇位継承後、稲と粟の栽培を受け継がれています。

陛下の稲作のことはメディアもしばしば取りあげていますが、粟についてはそれほどでもないように思います。粟とは何でしょうか。なぜ米と粟なのでしょうか。


▽1 なぜ演繹法による説明なのか

皇室に詳しい方はたいてい「神勅」について話されます。たとえば、昭和天皇の祭祀に携わった八束清貫は、皇室第一の祭儀とされる宮中新嘗祭は、記紀に記される、皇祖天照大神が天孫降臨に際して、瓊瓊杵尊に稲穂を授けられた、いわゆる斎庭の稲穂の神勅に由来すると書いています(八束『祭日祝日謹話』昭和8年)。

しかし八束自身が、「(新嘗祭の神饌で)なかんずく主要なのは、当年の新米・新粟をもって炊いだ、米の御飯(おんいい)および御粥(おんかゆ)、粟の御飯および御粥…」(八束「皇室祭祀百年史」=『明治維新神道百年史第1巻』1984年所収)と書いているように、新嘗祭の主要な神饌は米だけでなく、米と粟なのです。むろん大嘗祭も同様です。

つまり、古典にあらわされた神勅では、天皇による米と粟の祭祀は説明できません。八束の解説は間違っています。

もっと別な言い方をすると、まず神の存在があり、神の言動があり、それを記録した書物があってという、いわばキリスト教的な、演繹的な説明がなぜされなければならないのでしょうか。まるでヨーロッパの王権神授説に対抗するかのように、演繹的理解を試みようとするから、粟の存在が見えなくなってしまうのではありませんか。説明の方法論に誤りがあるのではありませんか。

神勅に基づく演繹的な解説はいつ始まったのでしょうか。少し調べてみると意外なことが分かります。私たち現代の神勅の理解と近代、近世とでは大きく異なるようなのです。ますます、斎庭の稲穂の神勅に基づいて、米と粟による天皇の祭祀を解釈するのは、限界があるように見えてきます。


▽2 三大神勅の中味がいまとは異なる

ふつう神勅と呼ばれているのは、「天壌無窮の神勅」「宝鏡奉斎の神勅」「斎庭の稲穂の神勅」の3つで、まとめて「三大神勅」と言い慣わされています。きわめて常識的な知識ですが、どうもこれはそれほど古い考え方ではないようです。

国会図書館の検索エンジンで「三大神勅」を調べると、ヒットするのは26件。もっとも古いのは、戦前を代表する神道家・川面凡児の『天皇宮』(昭和7年)ですが、川面が「三大神勅」と説明するのは「天壌無窮の神勅」「斎鏡斎穂の神勅」「神籬磐境の神勅」の3つで、私たちの理解とは微妙に異なります。

次に注目されるのは、川面としばしば比較される神道思想家・今泉定助の『国体原理』(昭和10年)ですが、これも「天壌無窮の神勅」「斎鏡斎穂の神勅」「神籬磐境の神勅」の3つです。

昭和15年に三大神勅奉戴会(岩隈虎雄理事長)が三大神勅の普及を目的に展開した三大神勅奉戴運動というのがあって、同会本部が発行した、その名も「三大神勅奉戴運動」と題する、30ページの冊子が国会図書館に納本されていますが、この場合は「第一神勅 天照大御神 天孫降臨の神勅」「第二神勅 天照大御神 斎鏡斎穀の神勅」「第三神勅 高皇産霊神 天孫奉斎の神勅(神籬磐境の神勅)」となっています。

「第二神勅」の説明では、日本書紀の、いわゆる宝鏡奉斎の神勅と斎庭の稲穂の神勅が続けて引用されています。「三大神勅の内容」の項目では、「第二神勅よりは、大嘗祭の御精神と祭りの真意を解し、天皇の御本質を拝し奉り」などと説明されており、米と粟による祭祀の実態が完全に忘れられています。


▽3 文部省編「国体の本義」が誤解を広めた?

さて、神勅といえば、「大日本帝国は、万世一系の天皇、皇祖の神勅を奉じて、永遠にこれを統治し給ふ」で本文が始まる「国体の本義」(文部省編、昭和12年)を無視するわけにはいきません。そしてここに果たせるかな、「天壌無窮の神勅」「神鏡奉斎の神勅」「斎庭の稲穂の神勅」が掲げられています。

ただし、「三大神勅」の表現は見当たりません。また、大嘗祭、新嘗祭の御親祭は斎庭の稲穂の神勅に基づくと説明し、「皇祖の親授し給ひし稲穂を尊み、瑞穂の国の民を慈しみ給ふ神代ながらの御精神が拝察せられる」と続け、粟の存在をこれまた完全に忘れています。

こともあろうに、文部省が編纂したあの「国体の本義」が天皇の祭祀への誤解を国民の間に広め、いまなお改められずにいるということなのでしょうか。

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