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生々しい天皇意識を感じない?──過激派もネトウヨも神道学者も [天皇・皇室]

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生々しい天皇意識を感じない?──過激派もネトウヨも神道学者も
(令和3年1月31日、日曜日)
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前回、SNS時代の天皇論、天皇研究のあり方について書きましたが、なかなかこれが難しいのです。
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それは日本人の天皇意識というものが抽象的、観念的なものとなり、暮らしに密着した生々しさを失っているからです。昔とは違い、天皇・皇室が他人事のように感じられるようになってしまったのです。だから、好き勝手に皇室を批判する。逆に、尊皇派の言論が口先だけのように聞こえるのもその結果なのでしょう。


▽1 「非公然」活動を自己批判した中核派

去年の秋ごろでしたか、中核派の最高指導者だという人が半世紀ぶりに姿を表しました。過去の「非公然」路線の「根底的誤り」を率直に認め、「空論主義」からの訣別と、コロナ禍の時代の要請に応じた新自由主義打倒の現実路線への転換を表明したと伝えられます。

また、先週は記者会見を開き、公然活動への路線変更をあらためて表明するとともに、過去の活動について、自身の関与を否定したうえで、「必要な階級闘争だった」と正当化したと報道されています。

中核派といえば、「天皇制反対」が主な主張とされ、平成の御代替わりには、全国各地で新型迫撃弾などを用いて、皇室関係施設のみならず交通機関や神社などへのゲリラ事件を引き起こしたことが思い出されます(『平成3年警察白書』)。社殿全焼の被害を受けたお宮もありました。

とすれば、中核派の指導者はこうした過去の反天皇活動を「空論主義」と認め、現実主義への大転換を図ったのかどうか、あるいは天皇観自体が変わったのかどうか、残念ながらメディアの報道からは真意をうかがうことはできません。


▽2 民の側のさまざまな天皇意識

前にも書いたことですが、キリスト教世界では絶対神の存在を大前提に、真理と正義の考え方、そして人間の行いは一元的に、演繹的に定まり、それ以外の思想と行動は徹底的に排除されます。キリスト教の鬼っ子としての共産主義も同様です。天地創造から終末までの歴史観が唯物史観に、神と悪魔の闘争が階級闘争史観に置き換えられたまでのことでしょう。

しかし日本の多神教文明はこれらとは一線を画すものです。皇室には皇室の天皇意識があるのと同時に、民には民のさまざまな帰納的天皇意識が共存し、多様な価値観の共存による社会の平和が保たれてきたのです。中核派の指導者はそこに気づいているでしょうか。

たとえば私の郷里は古来、絹の里として知られていました。養蚕と機織りの技術を教えてくれたのは天皇の妃とされ、お妃を祀る神社が点在しています。土地の人たちはいい繭が採れるように、いい織物が織れるようにと「機神さま」に祈ったのです。人々の暮らしは生々しい天皇意識に支えられていました。

朝から晩まで町に鳴り響いていた機織り機の音がパッタリと途絶えたのは、昭和40年代の日米繊維交渉の結果でした。沖縄返還とのバーターで、古代から続く日本の繊維業は捨て石にされたともいわれます。養蚕と機織りを通じた土着的な生活感のある根強い天皇意識が衰微していくのは目に見えています。


▽3 好き勝手な天皇論が溢れる

わが郷土だけではありません。土着の天皇意識が全国的に失われつつあります。現代人はすでに定住性を失い、つねに移動を繰り返す遊牧民化しているからです。故郷という日本語が死語と化したのです。

かつては地縁共同体や血縁共同体、あるいは職能集団に特有の強固な天皇意識があったはずなのに、それが失われています。戦後の経済成長とともに、日本人は集団性を失い、どんどん個人化してしまったからです。

歴史的、集団的な暮らしに密着した天皇意識は薄れ、個人の観念的、抽象的な天皇意識にとって代わり、あまつさえ好き勝手な天皇論が世の中に満ち溢れています。反天皇的姿勢のマスメディアもさることながら、SNSの世界はその極みです。祖先たちの天皇観など知る由もなく、やりたい放題のアラシの結果、何が起きるかなど、考え及ばないのでしょう。目の前の皇位継承問題など危うい限りです。

他方、皇室を取り巻く環境も昭和40年代に一変しています。かつての宮内庁は旧華族出身の職員もいて、陛下を家長とする大家族のような雰囲気があったそうですが、他省庁からの横滑り組が増え、国家公務員としての意識が勝るようになり、言葉遣いさえ変わっていきました。ふつうの官庁になったのです。

そして古来、天皇第一の務めとされてきた天皇の祭祀が側近による一方的かつ無法な簡略化、改変に晒されることになりました。それを最初に「工作」したのが堂上家出身の入江相政侍従長だったことは象徴的です。天皇は皇室の伝統と同時に、藩屏を失ったのです。


▽4 土臭い信仰を失った神道学者

人一倍、尊皇意識が強いはずの神道人も大して変わりません。援軍のいない陛下はますます孤独です。

何年か前、講演を依頼され、大嘗祭の「米と粟」についてお話ししました。日本列島には稲作民も畑作民もいる。国と民をひとつに統合するため、天皇は皇祖神のみならず天神地祇を祀り、米と粟を捧げて祈るのだと話したところ、最前列に座っていた著名な神道学者から「大嘗祭は稲の祭りではないか」との反論を受けました。

最近でこそ、大嘗祭が「米と粟の祭り」であることが理解されるようになりましたが、それでも「稲の祭り」に固執する大学教授もいるのです。どうしてでしょうか。

神道入門書とされている本居宣長の『直毘霊』を読むと、不思議ですね、冒頭、「日本は天照大神がお生まれになった国だ」という一節で始まります。記紀神話のように天地開闢から説き起こされず、キリスト教的な一神教的論理の組み立て方がされています。大神以前の神々がいないのです。多神教の否定です。

宣長を高く評価する神道学者たちが「稲の祭り」に凝り固まるのも当然なのでしょう。それにしても、教授が生まれ育ち、奉職するお宮のある土地がけっして稲作地帯ではないことに思い及ばないとしたらおかしいでしょう。信仰が暮らしとは無縁の観念論であることが暴露されます。

古代から鉱業、林業、セメントで栄えてきた教授の郷里は、名だたる蕎麦処として知られるくらいで、主食は粟や麦、芋だったでしょう。畑作の民なら当然、畑作物を土地の神に捧げ、祈ってきたはずです。もし天皇が「稲の祭り」しかしないなら、畑作民は天皇の祭りにシンパシーを感じるでしょうか。逆に疎外感を感じるのではありませんか。

天皇が粟を捧げて祈ればこそ、畑作民は天皇を身近に感じるはずです。それは稲作民も同じでしょう。国と民を統合するスメラミコトたる天皇は、であればこそ皇祖神ほか天神地祇を祀り、米と粟を捧げて祈らなければならないのでしょう。

生々しい暮らしに根づいた土臭い信仰を失った神道学者には、過激派やネトウヨと同様に、それが理解できないということでしょうか。いま生々しい天皇意識を持つ民といえば、陛下と親しく交わる被災者たちでしょうか。しかし行幸の機会が少ないコロナ禍の昨今にはそれも厳しくなりました。


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【関連記事】精粟はかく献上された──大嘗祭「米と粟の祭り」の舞台裏(「神社新報」平成7年12月11日号から)〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1995-12-11-1

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天皇学研究所設立の勧め──皇位継承論を劇的に活性化するために [天皇]

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天皇学研究所設立の勧め──皇位継承論を劇的に活性化するために
(令和3年1月24日、日曜日)
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複数の保守派人士から、ある依頼を受けた。今日はそのことに刺激されて思うところを述べてみたい。それは現代における皇室論の活性化である。
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皇室報道の末席を汚すようになってから40年近くになるが、世の中は一変した。マスメディアの時代からSNSの時代への激変である。いまや誰もが情報を発信できるし、YouTuberのように職業として成り立つようにもなった。逆に、新聞・テレビの凋落は目を覆うばかりだ。


▽1 3つの役割分担

皇室情報・皇室報道が一部のプロの手に委ねられていた時代は去った。しかし混乱はかえって深まっている。天皇・皇室の世界は奥が深いからだ。政府の情報も、メディアの情報も危ういのに、Twitter情報が信頼できるなんてことはあるはずがない。正確な情報、知識が伴っていない。

たとえば、目の前の皇位継承問題をどう解決したらいいのか、政府・宮内庁やメディアの情報は頼るに足らないし、かといってFacebookの素人論議でも困る。となれば、皇室を思う保守派のなかから学問的気運が昂然と湧き上がって来なければならないと思う。学問なくして議論の進展はない。

なぜ皇位継承は男系主義で貫かれてきたのか、学問的なまともな説明を私は読んだことがない。女系継承容認論に対抗するどころか、オウンゴールを蹴って顧みない知識人もどきさえいる。

学問的な解明がまだなら、これからでも遅くはない。皇室の歴史を探り、学問的に究明しなければならない。戦後唯一の神道思想家といわれた葦津珍彦は「学問はひとりでするものではない」と語っていたというが、保守派を糾合した民間の天皇学研究所のようなものは作れないだろうか。

そのためには3つの役割分担が求められると思う。全体を取り仕切るプロデューサーと個別の企画を作るエディター、それと研究・執筆を担当するライターである。さらにもうひとつあげるなら、支援者としての読者である。


▽2 宸襟を安んじる高潔の士

ネット時代の現代なら印刷物は要らない。若い研究者や筆者をどんどん発掘し、テーマを与え、天皇学を深めていく。学問を磨き合い、深化させ、保守主義を鍛え直していくことが混迷する今日の皇室問題解決への道を切り開いていくことになると私は思う。

問題は資金である。どうしたって取材・研究費、原稿料が発生するからだ。といって、いまの商業雑誌の低い稿料程度では、筆者は間違いなく赤字になる。質の高い研究成果をあげることは不可能である。筆者が納得できる原稿料を支払うために、プロデューサーには資金集めの高度な能力が要件となる。

他方、資金を提供してくれる強力なサポーターも必要だ。口先だけの尊皇家ならもう見飽きた。ひと財産を擲ってでも、悠久なる皇室の歴史と伝統を守り、宸襟を安んじようと思う高潔の士は現れないものか。私などはすでにして家族以外に失うものはないのだが。


【関連記事】「皇統は男系に限る」と断言しつつ、根拠は神勅と歴史以外に見当たらない『帝室制度史』〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-05-10
【関連記事】意味論がすっぽりと欠けている──荷田在満『大嘗会便蒙』を読む 14〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2019-10-19
【関連記事】皇室問題正常化に必要な3つのこと──御代替わりのためのささやかな提案〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2018-03-18
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【関連記事】天皇学への課題 その7───身もだえる多神教文明の今後〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2010-04-19
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【関連記事】保守の再生のために大同団結を───起こるべくして起きた「天皇の政治利用」〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2009-12-28-1
【関連記事】沈黙した政治学者・橋川文三──知られざる「象徴天皇」論争 その3〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2009-09-15-1
【関連記事】真正面の論争を避けた橋川文三──知られざる「象徴天皇」論争 その2〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2009-08-25-1?1611605306
【関連記事】知られざる「象徴天皇」論争 その1〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2009-08-11-2
【関連記事】良質な皇室ジャーナリズムを育てる読者の見識〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2008-10-07

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なぜ「支払い済みだ」と突っぱねないのか ──「ソウル地裁慰安婦判決」を批判する全国紙論説を批判する [慰安婦]

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なぜ「支払い済みだ」と突っぱねないのか
──「ソウル地裁慰安婦判決」を批判する全国紙論説を批判する
(令和3年1月10日、日曜日)
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昨日の全国紙の論説は「慰安婦判決」でほぼ一色でした。
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一昨日のソウル地裁判決は「計画的、組織的、広範囲にわたる反人道的犯罪行為」と断じ、日本政府に慰安婦1人当たり1億ウォンの賠償を求める前代未聞の衝撃的内容でしたからまったく当然なのですが、日本の新聞の論説もまた、少なくとも私にとっては、首を傾げざるを得ない内容でした。


▽1 日韓双方に解決策を求めた朝日新聞

過去に慰安婦報道で重大事故を引き起こし、その後、社内検証で襟を正したはずの朝日新聞は、どうにも癖が抜けないのか、今回も韓国寄りでした。

「慰安婦判決 合意を礎に解決模索を」と題する社説は、慰安婦問題が日韓関係に「大きな試練」をもたらすことになったのは、前政権による2015年の「合意」を現政権が評価せず、骨抜きにさせたのが最大の原因と解説したうえで、「合意」を再評価して解決を模索するよう韓国政府ではなくて、日韓双方の政府に対して要求しています。〈https://digital.asahi.com/articles/DA3S14757182.html

不快なのは、わが非を忘れて、傍観者を装う白々しさではありません。日韓の歴史について、基本的な理解を欠いている事実認識にあります。

朝日新聞はほかの記事で、この裁判について「旧日本軍の慰安婦だった12人が日本政府に損害賠償を求めた訴訟」と表現していますが、それなら日本政府はこれまで「損害賠償」を拒否してきたとでもいうのでしょうか。そんなことはありません。まったく逆でしょう。

高崎宗司・津田塾大名誉教授の『検証 日韓会談』(岩波新書、1996年)によれば、もともと個人補償は国交正常化交渉の過程で、ほかならぬ日本政府が繰り返し主張したことでした。しかし韓国政府は一括受け取りに固執し、結局、韓国政府が韓国民に仲介することで合意しました。けれども合意に反して、韓国政府は経済協力金を経済発展に投じ、「漢江の奇跡」を成し遂げたものの、慰安婦にも徴用工(生存者)にも補償金を支払うことを怠りました。

そして今日の「慰安婦問題」が引き起こされたのです。合意に基づき、個人補償分も一括して支払った日本政府に何の落ち度がありますか。「賠償」は終わっているのです。

朝日の社説が2015年の「合意」に遡って議論しようとする態度はさすがです。それだけ歴史の事実を重視する立場を貫くのなら、さらに遡って日韓会談の「支払い済み」の具体的資料を示し、韓国政府に非を認めさせるべきではありませんか。日本政府への要求なら「支払い済みの証拠を示せ」と強く訴えるべきではないでしょうか。


▽2 「解決済み」「国際法の原則」で済ませる産経新聞

朝日新聞の報道に批判的な産経新聞も、大して変わりません。

産経新聞は「『慰安婦』賠償命令 歴史歪める判決を許すな」と題する「主張」で、もっぱら韓国側を批判しています。しかし言うところの「歴史」には、朝日新聞と同様に、「支払い済み」が脱落しています。〈https://www.sankei.com/column/news/210109/clm2101090002-n1.html

主なポイントは、2015年合意と「主権免除」原則の2点です。

まず、2015年の「合意」です。「最終的かつ不可逆的な解決」が確認されたのに、合意を反故にしたのは文政権だと指摘しています。朝日新聞と同様に正しい見方ですが、不十分です。

1965年の国交正常化に際して、日韓基本条約とともに結ばれた「請求権ならびに経済協力協定」では、韓国は国および国民の請求権を放棄し、両国ならびに両国民の財産・請求権については「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認」し、かつ以後は「いかなる主張もすることができない」と第2条に明記されています。「主張」の指摘はまさにこれです。

しかし協定の第3条は「この協定の解釈及び実施に関する両締約国の紛争は、まず、外交上の経路を通じて解決するものとする」と定め、「紛争」の発生を想定しています。そして争いが持ち上がったのです。産経の「主張」のように「解決済み」とは言い切れないのです。

とはいえ、慰安婦たちが訴えたような「被告から賠償を受けていない」というのは事実に反します。既述したように「支払い済み」だからです。「解決済み」ではなくて「支払い済み」なのです。

ソウル地裁が日本政府に賠償を命じたということは、「支払い済み」の事実を認定しなかったということになります。正しい事実を認定しない判決は無効であり、これは冤罪です。産経新聞はなぜそう指摘しないのですか。

2点目は「主権免除」です。

「主張」は、日本政府が国家は外国の裁判権から免除されるという国際法の原則に立っていること、したがって「却下」が相当と見て、審理にも参加しなかったことなどを説明し、今回の判決は「日本の国家主権への侵害」だと断罪しています。

また「主張」は、今後について、日本政府は控訴はしない、判決文も受け取らない、となると、日本政府の韓国内資産が一方的に差し押さえ、売却される可能性があると懸念しています。まさに国交断絶、開戦前夜と言わんばかりです。

しかし「主権免除」の原則は揺れています。古典的な解釈は通用しなくなっている、だから今回の判決も出されたのではありませんか。日本の外務当局が教科書的な論争を好むとしても、古くて危うい机上の議論より、もっと実際的な、そして多くの共感が得られる方法をなぜ探さないのですか。。

つまり、日本政府は「支払い済み」の証拠を示すことです。産経新聞の論説委員はそのようにお考えにはならないのでしょうか。


▽3 「支払い済み」を明らかにした女性基金委員長

読売新聞は「社説」の「元慰安婦訴訟 『主権免除』認めぬ不当判決だ」で、「政府は対外発信力を強化して、日本の取り組みを丁寧に説明し、各国の理解を得なければならない」と訴えています。じつにけっこうですが、「解決済み」と述べるばかりで、「支払い済み」への言及はありません。観念論です。〈https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20210108-OYT1T50244/

毎日新聞の「社説」は「韓国の元慰安婦訴訟 対立深刻化させる判決だ」で、やはり「主権免除」を論じています。〈https://mainichi.jp/articles/20210109/ddm/005/070/069000c

国際司法裁判所が「反人道的」を理由に原則の例外と認定してきたのは、拷問とジェノサイドである。「慰安婦制度」を例外と認めるなら新たな判断になるが、第二次大戦中の行為に当てはめるのは無理がある。人権被害の救済を重視する国際法の流れは、大戦への反省から生まれたからだ、と指摘しているのは新鮮味があります。

毎日はまた、判決が慰安婦問題での日本の取り組みを無視しているとも述べるのですが、政府の謝罪や女性基金事業には触れても、残念ながら「賠償済み」との解説はありません。

日経新聞の「社説」も同様で、「国際慣例に反し理解しがたい慰安婦判決」と題して、「主権免除」「解決済み」と論じるばかりです。〈https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGH0874J0Y1A100C2000000?unlock=1

さて、私が「支払い済み」と申し上げる根拠は、既述した高崎宗司・津田塾大名誉教授の『検証 日韓会談』にそのように解説されているからです。

高崎先生は昭和19年の生まれで、大学で教鞭を執りつつ、日帝支配に対する謝罪と賠償を日本政府に求める運動を展開してきました。そして、アジア女性基金運営審議会の委員長をも務めました。

『検証 日韓会談』は、版元の岩波書店の説明では、「戦後補償、日朝交渉といった課題を前に、明らかにしておくべき歴史的経緯をたどる、初めての本格的通史」とされています。正常化の過程で、「補償」がどう扱われたかなどが、外交文書や未公開文書などあらゆる資料を駆使して、生々しく描いてあるとの触れ込みです。

御用学者ならいざ知らず、ほかならぬ高崎先生の研究が「支払い済み」を明らかにしていることの意味は小さくないでしょう。高崎先生もそのようにお考えかと私は思います。それとも先生の研究に間違いがあるのでしょうか。


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