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孔子廟最高裁判決。都慰霊堂、二十六聖人記念碑、靖国神社なら?

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孔子廟最高裁判決。都慰霊堂、二十六聖人記念碑、靖国神社なら?
(令和3年3月7日、日曜日)
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先月24日、きわめて重要な最高裁の判決が下された。

沖縄・那覇市の公有地内に置かれている孔子廟(久米至聖廟)について、大法廷は、市が土地の使用料を免除してきたのは憲法の政教分離規定に違反するとの判断を示したのである。裁判官15人中14人による多数意見によるものだった。1人だけ林景一判事は合憲とした。

大法廷による違憲判決は、愛媛玉串料訴訟、空知太神社訴訟に次ぐ3例目で、儒教施設では初めてだが、注目されるのは同じ住民訴訟ながら、これまでとは異なり、原告が左派系市民ではなく、弁護人も靖国訴訟では靖国神社を支援する側に立ってきたことである。政教分離をめぐる対決の構図が逆転している。

したがって、今回の最高裁の判断が神道vsアンチ神道という政治的構図を一変させたことは明らかだが、実際、ほかの同様のケースにどう具体的な影響を与えるのか、考えてみたい。


▽1 孔子を祀る釈奠祭礼は宗教儀式

まず事実関係を、判決文に即して、簡単に振り返る。〈https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/039/090039_hanrei.pdf

問題とされた孔子廟の歴史は意外にも浅い。もともとは中国福建省周辺から渡来した久米三十六姓が17世紀に建てた至聖廟などが居住地の久米地区にあった。これが明治になり社寺に類する公有施設・公有地とされ、大正期には社団法人久米崇聖会に譲渡された。

しかし戦災で焼失し、昭和49-50年ごろになって、那覇市若狭地区に久米崇聖会が至聖廟などを再建した。その後、平成になり、同会が久米地区への移転運動を展開、紆余曲折の末、市が久米地区の国有地を公園用地として買い受けるなどしたのち、市の設置許可を得て、久米崇聖会が現在の施設を建設し、25年に完成させた。その際、公園使用料は全額免除された。

孔子廟は1335平米あり、フェンスなどで仕切られている。本殿にあたる大成殿には孔子のほか4人の門弟が祀られている。ふだんは観光客や受験生などの参拝があるが、毎年9月に孔子の霊を迎えて行われる釈奠(せきてん)祭礼には、久米三十六姓以外の参加は許されない。事業の形骸化、観光化、世俗化をおそれるためという。祭礼の挙行は定款に明記されている。

蛇足だが、祭礼の様子は崇聖会のサイトで見ることができる。知事や市長など行政トップが上香していることも分かる。〈https://kumesouseikai.or.jp/events/program/sekitenphoto2013/

最高裁判決は、施設が市の公園から仕切られ、一体的に設置されていること、外観上、社寺との類似性があること、釈奠祭礼は孔子の霊の存在を前提にこれを崇拝する宗教儀式というほかはないこと、世俗性が否定されていること、かつての至聖廟は社寺と同様に扱われ、現在の孔子廟はこの宗教性を引き継いでいること、に鑑みて、相当の宗教性が認められると判断している。

また、観光資源としての歴史的価値も否定された。計画段階から宗教性が問題視されていたし、かつての建設地とは異なる地に新設されたものであり、文化財としての取り扱われてもいないからである。

公園使用料の年間576万余円は利益供与にあたる。多くの参拝者を受け入れた釈奠祭礼の挙行は宗教活動の援助にあたる。その効果が間接的、付随的とはいえず、したがって、特定の宗教に特別の便益を提供し、援助していると評価できる。社会通念上、総合的に判断して、信教の自由の保障という制度上、相当の限度を超えている、よって政教分離規定に違反するというのが最高裁の結論である。


▽2 宗教団体なのか、宗教性があるのか

さて、批判と考察である。参考になるのは、元外交官・林景一判事(今年2月に退官)の反対意見だ。

第一のポイントは久米崇聖会が宗教団体なのか否かである。

多数意見は釈奠祭礼挙行の閉鎖性を指摘しているが、林判事は、一般社団法人久米崇聖会が血縁集団の緩やかな連合体であり、儒教信仰を共有し、継承普及させようとしているわけではない。宗教行為というより、習俗の継承であり、宗教性は希薄であると見る。

宗教団体か否かというなら、市有地に立地することが問題視された空知太神社の場合もそうではなかったか。最高裁の違憲判決は今回同様、「神社」の外形ばかりを見て、宗教団体と判断したのではなかったか。

他方、東京都慰霊堂はどうだろうか。都所有の施設で春秋年2回行われる慰霊法要は都の外郭団体の主催だが、法要は都内の仏教団体が持ち回りで執行している。長崎の市有地に戦後建てられた二十六聖人記念碑・記念館はどうだろうか。カトリックの修道会によって建てられ、税金は免除されていると聞いたが、いまもそうだろうか。

さらにいえば、靖国神社はどうなのか。あれは宗教団体なのか。外形にこだわり、靖国神社=宗教団体なら、多数意見に従えば、公的祭祀への道は閉ざされる。

つまり、第二の問題として林判事がいみじくも問いかける宗教性の判断である。

多数意見では釈奠祭礼の宗教性を認めたが、林判事はそうではない。過去の判例では、神道や仏教との関係性が社会通念に照らして判断されてきたが、孔子廟の場合、宗教性がないか、習俗化によって希薄化していると主張している。崇聖会の会員が他の宗教の信者であるケースもあるし、教義、信仰、指導者、組織性など、宗教的要素が認められないからである。

さらに林判事は、参拝者が組織化された宗教活動をしているわけでも、参拝者に宗教的布教が行われてもいない。外観のみで宗教性を肯定し、政教分離違反と見なすことは「牛刀をもって鶏を割く」の類といえる。宗教の特定、宗教組織・集団の特定が出来ないなら、助長の対象を特定できず、政教分離違反を問うことはできない、と厳しく批判している。

空知太神社の場合、お祭りは行われるが、一般の神社と同様、教義はなく、布教の概念もない。同社には常駐する神職すらいない。

他方、東京都慰霊堂の慰霊法要では、しばしば都内本山の導師が「みなさん、南無阿弥陀仏を唱えましょう」と呼びかけている。二十六聖人記念碑は世界的巡礼地とされている。記念館には殉教者の遺骨が収められている。宗教性が否定されるはずはない。

それでも違憲とされないのであれば、靖国神社の境内地と施設を公有化し、公的祭祀に道を開くことも可能だろう。逆に、あくまで靖国神社の祭祀=宗教儀式と見るなら、ダブルスタンダードの批判は免れないにしても、公的慰霊追悼は永遠に実現され得ない。靖国訴訟をも担当する弁護人は本件に関して、正しい判断と行動をしたといえるのかどうか。


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