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八木秀次先生、やはり「男系継承」の本質が見えません──有識者ヒアリングのレジュメ+議事録を読む 3 [有識者会議]

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八木秀次先生、やはり「男系継承」の本質が見えません──有識者ヒアリングのレジュメ+議事録を読む 3
(令和3年4月25日、日曜日)
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前回の続きです。


▽5 八木秀次氏──意気込みは相当だが

4月8日のヒアリングで、5番目に現れたのは八木秀次・麗澤大学教授(憲法学)だった。櫻井よしこ氏や新田均氏と並ぶ男系固守派の代表格である。八木氏は17ページにわたるレジュメを用意した。レジュメは「第一部 議論の前提」「第二部 聴取項目」「終わりに」の3部構成で、さらに5ページにおよぶ手書きの「天皇系図」が付されている。相当の意気込みが感じられる。〈https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai2/siryou6.pdf

このブログでは前回まで、公表されたレジュメからヒアリングの中身を類推したが、先週になって「議事の記録」が官邸のサイトに掲載されるようになったので、今回はこの議事録に従って八木氏の訴えをなぞっていくことにする。

八木氏はレジュメに従い、聴取項目に答える前に、まず「議論の前提」として、以下の7点について説明している。

1 「安定的な皇位継承を確保するための諸課題」についての検討は皇位継承問題と一体不可分である
2 「安定的な皇位継承を確保する」ことは、どんな時代にも難しい問題であり続けている
3 明治以降、(a)増えすぎた皇位継承資格者を減少させ、一定数の皇位継承資格者にとどめる策と(b)少なすぎる皇位継承資格者を増加させ、一定数の皇位継承資格者を確保する策との間で激しい振幅があった
4 直系継承だけで男系継承を続けるのは極めて難しい──傍系継承の役割
5 皇位継承を支えた側室の役割
6 皇位継承の歴史を踏まえたおおよその結論
7 女性天皇や女系継承、女性宮家が適当でなく、男系継承が現行憲法で許される理由

ポイントを以下、拾い読みすることにする。


◇常識的な歴史理解

初代天皇以来、一貫して一度の例外なく男系で継承されている。女系は天皇・皇族としての正統性が問われる。女系継承を認めると、天皇・皇族と一般国民との間に質的な違いはなくなる。
皇位継承問題を一般国民の家の継承と混同してはならない。皇位継承は血統原理に基づいている。
過去に8人10代の女性天皇が存在しているが、女系継承を意味するものではない。
女系が皇位に就いた例はなく、皇族になった例もない。
男系継承は、少なくとも1,700年以上、例外なく続いている。歴史の積み重ねの重みは軽くない。
「安定的な皇位継承を確保する」ことは、どんな時代にも難しい問題であり続けている。
明治22年の皇室典範では臣籍降下の規定を設けない「永世皇族制」となっている。政府としては、皇族の増加が予想されることから臣籍降下の規定を設けたいが、明治天皇の皇位継承への不安から臣籍降下の規定は設けなかった、といわれている。
明治40年に臣籍降下を可能にする「皇室典範増補」が施行された背景には、皇位継承への不安が払拭されたということがあったようだ。しかし、臣籍降下は1人にとどまっている。
大正9年、「皇族ノ降下ニ関スル施行準則」を設け、世数による臣籍降下をすることにした。情願がなくても臣籍降下ができるようになり、先の大戦終結までに12人の皇族が臣籍降下した。
戦後の皇室典範では「永世皇族制」とし、臣籍降下の規定を設けなかった。その直後、傍系宮家、すなわち伏見宮系の宮家の強制的な臣籍降下が昭和22年に行われ、11宮家51方が皇族の身分を離れた。しかし、直宮だけの永世皇族制は、行き詰まろうとしている。
直系継承だけで男系継承を続けるのは極めて難しいので、歴史上、何度も傍系継承があった。傍系継承が、男系継承の安全装置となっている。
光格天皇が現在の皇室の直系の祖先で、以後、直系で継承されている。これだけ長い期間、直系で継承されたというのは、皇位継承の歴史の中では、極めて稀有な例である。
光格天皇が即位するに当たって、伏見宮の第19代貞敬親王も後継候補に名が挙がっていた。第102代後花園天皇が伏見宮の出身、第119代光格天皇が閑院宮の出身である。
伏見宮系の宮家は、明治天皇、大正天皇、昭和天皇を支え、天皇の内親王の結婚相手ともなっている。皇太子妃、後に皇后となった例として、香淳皇后の例がある。
かつては乳幼児期の死亡率が極めて高く、安定的な皇位継承策のために、複数の「妻」が子どもを産む必要があったが、今日では医療技術の進歩により解消されている。側室を考える必要はない。

以上の「前提」はきわめて常識的な理解であろう。なんの異存もない。


◇126代「祭り主」天皇への言及もない

八木氏はこれらの「前提」を踏まえて、「おおよその結論」として、皇位の男系継承は確立された譲り得ない原理であり、その安全装置としての傍系継承や傍系皇族の存在の意義を考えるべきである。具体的には、旧11宮家の男系男子孫を皇族に復帰させる方策を検討すべきである。皇族としての正統性はあると考えられる。現在の皇室との血縁が遠いとの指摘もあるが、初代天皇の男系の血統を純粋に継承していることが正統性の根拠であるなどと指摘している。

また、現行憲法、皇室典範制定当時、宮内省や法制局が、皇統を男系に限り、女性天皇・女系継承を認めないことが憲法違反にあたらないことについて、当時の資料を示していることは注目される。

要するに、八木氏の主張の根拠は歴史と伝統にある。皇位の継承は男系で貫かれてきた。まったくその通りである。それなら、なぜ男系継承なのか、男系で継承されるべき皇位の本質とは何か、である。現代人にとっても大きな価値あるものとして、説得力をもって説明されているのかどうかである。

それがなければ、何度も書いてきたことだが、現行憲法を最高法規とし、憲法に基づいて国事行為およびご公務をなさるのが天皇のお役割だと信じ、同時に国民主権主義によって皇位継承の原理を変革し得ると思い込んでいる現代人には伝わらないのではないか。

八木氏は、ヒアリング後半の「聴取項目」への回答で、「天皇の役割・活動については、国事行為、公的行為、その他の活動があり、また、伝統的に民の父母としての役割があると考えられる」と述べるにとどまっている。けっして十分とはいえまい。

八木氏には126代「祭り主」天皇への言及もない。女帝が否認されたのではなくて、夫があり、妊娠中・子育て中の女帝が否認されてきたことへの問題関心も、ヒアリングではうかがえなかった。

八木氏は「終わりに」で、「本質的な問題が突きつけられている」ことを指摘し、警鐘を乱打している。すなわち、憲法学者の奥平康弘氏ら天皇制廃絶論者が女系継承容認を煽っているという事実なのだが、だとすればなおのこと、男系派が現代にも通じる男系継承主義の本質的意義と価値を見出し、国民に提示することなくして、「本質的な問題」を克服していくことは不可能だと思う。


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新田均先生、「伝統」だけで女系派を納得させられますか──有識者ヒアリングのレジュメを読む 2 [有識者会議]

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新田均先生、「伝統」だけで女系派を納得させられますか──有識者ヒアリングのレジュメを読む 2
(令和3年4月18日、日曜日)
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前回の続きです。

▽4 新田均氏──祭祀研究をもっと深めてほしい

4番手は新田均・皇學館大学教授(神道学)である。9ページにおよぶレジュメを読んで、やっとまともな識者が現れたかとホッとした。同時に、限られた時間で豊富な内容が十分説明できたのか、会議のメンバーに伝わったのか心配した。〈https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai2/siryou5.pdf

新田氏の指摘は主に、以下の7点にまとめられるものと思う。疑問点もあるので、合わせて紹介したい。


1、議論の本質は、天皇の役割とは何か、皇位継承とは何を継承するのかの2点にある。天皇は皇祖の祭り主であり、日本国家の祭り主である。

歴史的に見て、天皇が「祭り主」であることは、仰せの通りだと思う。ただ、「皇祖の祭り主」と限定される意味が分からない。古代律令には「およそ天皇、即位したまはむときはすべて天神地祇祭れ」とあり、神嘉殿の新嘗祭、大嘗祭の大嘗宮の儀では、皇祖神ほか天神地祇が祀られるのは、神道学者の新田氏ならよくご存知のはずだ。祭祀の対象は皇祖天照大神だけではない。

もし「祭り主」の地位を継承することが皇位継承の本質だとすれば、「皇祖の祭り主」ではなくて、「皇祖神ほか天神地祇の祭り主」であることを起点にして議論を組み立て直すべきではなかろうか。「伊勢の五十鈴の川上に坐す天照大神、また天神地祇、諸の神」(順徳天皇大嘗祭の御告文)に公正かつ無私なる祈りを捧げることが男系主義の核心のはずである。

新田氏は後醍醐天皇を引き合いにしている。『太平記』巻第四にはたしかに、出家を拒否され、香染ではなく、袞竜の御衣を召したまま、毎朝、石灰壇で太神宮を拝礼されたと記されている。だが、『建武年中行事』は神今食、新嘗祭とも、天照大神を拝礼なさるとは書いていない。歴代天皇はけっして伊勢の神宮のみを拝しているわけではない。

「祭り主」天皇がなさる「祭り」の本質が問われているのである。ご専門の神道学の学問的深まりが求められているのではあるまいか。


2、皇位が男系(父系)継承される理由と意義は、女性蔑視・排除ではなく、皇統に属さない男性の排除にある。祭り主の地位は男系(父系)で継承されるというのが古代の観念であった。

新田氏は、皇位継承資格を男系の男子に限ることが女性蔑視だと見る主張は誤解であって、本当の意味は、逆に、皇統に属さない男性を排除することだと、女系容認派に対して反論を加えている。女性の場合は結婚によって皇族になり、天皇の母になれる。皇室から排除されているのは男性の方だと述べている。正しい指摘だと思う。

新田氏はまた、この「男性排除」の理由を知ることこそ、皇統の本質と、その守る意味を理解する最大のポイントだとし、理由は、祖先を祀る祭り主の地位は男系(父系)で継承される、男系でしか継承できない、というのが「古代の観念」だったからだと説明している。

その根拠として、新田氏は大田田根子の物語を引くのだが、すでに指摘したように、皇祖神を祀るのが天皇ではない。天皇の祭祀は祖先崇拝ではないのである。また、正確を期するなら、皇統史において、女系継承はともかく、女性天皇が否定されているのではない。夫があり、妊娠中・子育て中の女性天皇が否定されているのである。それはなぜなのか、学問的に探求してほしい。

もうひとつ、「古代の観念」はそれとして、それをもって現下の皇位継承を論じることは有効だろうか。


3、天皇は古代以来の日本国の継続性を保証している。

しかし、その点、新田氏はすでに答えを用意しているということかもしれない。というのは、新田氏によれば、天皇という存在が生まれて以来、一貫して男系で繋がれてきたという事実こそ、皇位が、古代以来日本の継続性を保証し、日本国の時間的統合を象徴できる根拠となっているからだ。つまり、古代性というより、古代から現代までの継続性が永遠性を意味することになる。

新田氏は、イギリスの保守思想家G・K・チェスタトンの言葉を借りて、伝統の意味を探ろうとする。

「伝統とは選挙権の時間的拡大と定義してよろしい。われらが祖先に投票権を与えることを意味する。死者の民主主義なのだ。単にたまたま今生きて動いているというだけで、今の人間が投票権を独占するなどということは、生者の傲慢な寡頭政治以外の何物でもない」(『正統とは何か』)。

まったくその通りである。だが、「伝統」というものへの感性を失っているのが現代人である。男系派も女系派も同様なのだ。その現代人に、とくに憲法の国民主権主義に凝り固まり、自由勝手に皇統を変更できると考える傲岸不遜ないまどきのインテリ、エリートたちにチェスタトンが通じるだろうか。

彼らを納得させるには伝統論はともかく、むしろ現代人が共鳴し得る、男系主義の新しい意義を積極的に見出すことが求められているのではないか。それは天皇の祭祀の本質にこそ見出せるのではないか。


4、男系(父系)継承が理解されにくいのは、祭祀の継承は「氏の論理」にあり、財産と職業を継承する「家の論理」と異なるからである。明治になり、「氏の論理」が失われ、「家の観念」に統一されたことが、女性宮「家」への支持の原因となっている。

新田氏は、藤森薫「皇位継承は『氏の論理』で行われてきた」(『日本を語る』所収)を引用し、皇位の継承は「氏の論理」に基づいてきたと説明している。皇室が「氏の論理」に立っているのに対して、一般国民は「家の論理」に立っているという。

「氏の論理」と「家の論理」は併存が可能で、明治維新までは併存していたが、氏と家の併存は近代になって終止符が打たれた。近代化・欧米化の一環だった。近世までの人々であれば、皇位の男系継承の意義は、難なく理解されたはずだが、「家の論理」への一元化という近代に「創られた伝統」の中で生きている現代人には即座に理解することが難しいと新田氏は述べている。

としたときに、女系派が大半を占める現代人を納得させ、男系派に転向させるためにはどうしたらいいのだろうか。女系派の無理解の原因を説明しただけでは、女系派を男系派に変えられないだろう。


5、天皇の地位は「世襲」であり、特権だが、それとは引き換えに、基本的人権の著しい制約があり、男女同権だけ優先し、変更する理由はない。

新田氏は、男女同権論に基づく、皇位の世襲制批判に反論している。ある公職をある血統に属するものだけが独占する世襲制は平等原則とは相入れないが、「男女」平等だけを取り出して批判するのは論理的でないと述べて、女系派の立場にある、『「萬世一系」の研究』の著者、憲法学者の奥平康弘氏を敢えて紹介している。

新田氏によると、奥平氏は「天皇制は民主主義とは両立しない」「民主主義は共和制と結びつくしかない」という立場で、その「天皇制」の正統性の根拠は「萬世一系」にあると述べている。「萬世一系」とは「男系・男子による血統の引き継ぎ」であり、ここから外れた制度を容認する施策は「いかなる『伝統的』根拠も持ちえない」と断言している(「『天皇の世継ぎ』問題がはらむもの─『萬世一系』と『女帝』を巡って」=『世界』2004年8月号)。

『「萬世一系」の研究』では、次のように論じられている。

「そもそも世襲制というものは、それ自体差別的・非合理的な制度である」

「ポピュリスティックなフェミニストのあいだには<女性だというだけで天皇になれないなんて差別的であり、違憲であって許せない>という言い方が流行している。しかし、この言説は、私からみれば、少なくともふたつの誤りをおかしている。
 第一、女だけではなくしてどんな男だって─「後胤」につながっていないかぎりは─女一般とおなじように天皇になれないのである。問題の根源は、女か男か、ではなくて、特権的差別集団を認めるか認めないかにある。(中略)
 第二、平等原則は、そこで問われている差別の対象としての権利義務、利益不利益がたまたま特定の人間あるいは集団にのみかかわっているようにみえても、そのことは本質上コミュニティを構成するすべての人々に潜在的に影響するばあい、あるいはコミュニティの存立にかかわってきた市民─「平等な配慮と尊厳」(D・ドゥーキン)に価する者たち─が共有する人間的な尊厳性が傷つけられたばあい、こうしたばあいにその適用が問われるのである。
 ところが、ここで議論されている差別は、皇位継承権という特権的な権能・地位の取得というきわだって特別な文脈において生じているのであって、これをめぐる法的帰趨は、この文脈から遠く隔たっている庶民一般の権利義務・利益不利益の関係にはなんの影響も効果も及ぼさない」

などと引用したあと、新田氏は、そもそも「世襲」という大きな例外、特別の地位を認めておきながら、それに伴う基本的人権の著しい制約(職業選択、居住、婚姻など)の中から男女同権だけを優先すべき理由はないと奥平氏の所論を要約している。

釈迦に説法だが、憲法の「世襲」はもともとdynasticの意味だった。「王朝の支配」が本義だった。だが、いまの女系派は単に血が繋がっていること程度にしか考えてはいない。新田氏が指摘するように、何が継承されるかが見えていないからである。


6、男系(父系)が否定されれば、皇祖を祀る資格が喪失され、信教の自由が承認される。一般国民との同一化が図られることになり、天皇は特別な存在としての意義の喪失し、天皇制度の廃止に向かう。

新田氏は、平等原則とは両立しない血統主義・世襲制の中に、無理やり「男女」平等だけを持ち込もうとすると、その結末はどうなるのかと問いかけている。

まず、男系継承が否定され、天皇は皇祖を祀る資格を失う。女性天皇が、皇統に属さない男性と結婚すると、その間に生まれた子は、その男性の先祖を祀る資格しか持てない。そうなると、次の代の天皇は皇祖を祀れない。よって、信教は自由でよいことになる。

次は、その他の人権も認めるべきだとの議論が起こり、行き着く先は、天皇・皇族と一般国民との違いが喪失される。そうなれば、どうして莫大な費用をかけて皇室を維持する必要があるのかという議論が巻き起こる。結局、「世襲」の否定、天皇制度の廃止へと繋がっていくと論理を展開させている。

新田氏は、ふたたび奥平氏の女帝論を紹介して、その本質は天皇制廃止にあるときびしく批判している。

「不合理な制度を作ったのは、憲法(とりわけ第一 条、第二条)なのであって、憲法自体を改めなければならないのである。個別の取り極めを違憲だと決めつけても片付くものではない。きつい言葉で言えば、それはお門違いである。」

本心では天皇制度の廃止を願っている人々が、女性天皇や女系天皇を支持するのは、実は男女平等を願ってのことではなく、天皇制度の根幹を断ち切るためだと新田氏は見抜いている。その通りだろう。

そのうえで新田氏は、日本国憲法第一条が、天皇の「地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」と規定しているのは、いま生きている国民の投票によって確認されたものではなく、受け継がれて来た伝統から推察される先祖たちの意思と、それに対する憲法制定当時の国民の暗黙の同意とが合体したものだったと考えられると指摘する。

選挙によって確認する空間的民主主義だけでは第一条は説明できない。先祖の意思を重んじる時間的民主主義が前提とされているのであって、それが天皇制度の前提をなす「伝統」なのだと奥平氏に反論し、チェスタトンを引用して、締めくくっている。

「単にたまたま今生きて動いているというだけで、今の人間が投票権を独占するなどということは、生者の傲慢な寡頭政治以外の何物でもない。伝統はこれに屈することを許さない」

新田氏の所論はいちいちもっともで、伝統派の賛同が多く得られるだろう。だが、繰り返しになるが、「伝統」を分析することが、女系派の翻意を促すことになるだろうか。政府・宮内庁が女系継承容認=「女性宮家」創設に舵を切ったのは、皇室の伝統には目もくれず、憲法を最高法規とし、国民主権主義の立場に立つからだ。形勢逆転には「伝統」というものの現代的価値が見出される必要があるのではないか。そのためには祭祀研究をもっと深めるべきだと思う。


7、皇位継承の選択肢を広げる意味で、養子縁組と旧宮家の復籍の両方とも認めるべきだ。皇位継承順位については、臣籍降下時点での順位に基づいて決めるべきだ。

最後に、それなら皇位の安定的継承のためにどうすればいいのか、である。

「皇族数の減少」を「危機的」ときびしく認識する新田氏は、現行の皇室典範では認められていない皇族の養子縁組を可能とし、皇統に属する旧宮家の男系男子の復籍を認める一方で、混乱を避けるために、旧宮家の男系男子以外の皇籍復帰については、今は考えるべきではないとクギを刺している。

異存はないが、ほかに男系が絶えないための方法はないものだろうか。男系を維持するための知恵はもっともっとあるのではないかと私は思う。

蛇足だが、本来、皇位継承のことは皇室の不文の法に委ねられるべきであって、国民一般が介入すべきではないはずだ。皇室典範は国会の議決で簡単に変更できるようなものであってはならない。新田氏にはそこを訴え、安易な干渉を避けるよう注意を促してほしかった。時間的な制限があることは重々承知したうえで。(つづく)


【関連記事】案の定、男系継承の核心が見えない!?──有識者ヒアリングのレジュメを読む 1〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-04-14
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【関連記事】血統主義と徳治主義の調和──西尾論文批判の続き〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2008-09-16
【関連記事】女系は「万世一系」を侵す──「神道思想家」葦津珍彦の女帝論(「論座」1998年12月号特集「女性天皇への道」から)〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1998-12-01

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案の定、男系継承の核心が見えない!?──有識者ヒアリングのレジュメを読む 1 [有識者会議]


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案の定、男系継承の核心が見えない!?──有識者ヒアリングのレジュメを読む 1
(令和3年4月14日、水曜日)
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4月8日夕刻から第2回皇位継承有識者会議が開かれ、5人による有識者ヒアリングが行われた。具体的にどんな話がなされたのか。

報道からは断片的なことしか伝わってこない。公開された情報は限られている。ようやく出席者のレジュメが官邸のサイトに掲載されたので、のぞいてみることにする。あくまでレジュメなので、質疑応答の細部までは分からないが、おおよその中身は想像できる。そして案の定、男系継承の核心が見えていないことも。〈https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai2/gijisidai.html


▽1 岩井克己氏──せっかく和辻哲郎を引用しながら

一番バッターは岩井克己・元朝日新聞社会部記者である。岩井氏は8ページの資料を用意した。〈https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai2/siryou2.pdf

資料1は天皇の役割などについてだが、さすがは当世随一の皇室ジャーナリスト。ポツダム宣言受諾前後の史料を冒頭に載せている。着眼がじつに面白い。1945年8月11日のアメリカのバーンズ国務長官の回答に始まり、木戸幸一、亀井勝一郎、和辻哲郎などを引用しながら、戦後の天皇が置かれてきた立場を歴史的に振り返って、「象徴」について考えようとしている。

つまり、岩井氏にとっての皇位継承とは、あくまで敗戦を契機とし、現行憲法に基づく「象徴」天皇の継承論ということになるだろう。日本の降伏以前から、天皇の権限は占領軍の制限の元に置かれること、政府の最終形態は国民の自由意思に委ねられることが決まっていたし、昭和天皇自身も異存はなかった。昭和天皇は国民への絶対的信頼を抱いており、それは先帝にも引き継がれていると資料は示している。

ということになれば、皇位継承のあり方は、戦後憲法の国民主権主義に基づき、国民の自由意思に委ねられてかまわないということなのだろう。そのうえで、岩井氏は資料2で、皇位継承の6つの選択肢を掲げて比較検討している。

そのなかで、女性天皇・女系継承が愛子内親王から認められるなら、正統性をめぐって国論が二分する恐れがある、旧宮家の復籍案については、誰を復籍させるか、本人の意思はどうか、臣籍降下して70年以上も経っているなどハードルは高いと客観的に分析している点は注目したい。。

岩井氏の着眼は、暗黙の前提として、王位継承には国ごとにそれぞれ独自のルールがあり、日本の皇室には皇室固有の不文の継承法があること、したがってこれを現代の国民が主権者として、自由に変えることは許されるのかどうか、一定の疑問がある、ということだろう。だからこそ、バーンズ国務長官を冒頭に引用することで、国民主権主義による皇位継承制度への介入を正当化しているのだろう。

つまり戦後の「象徴」天皇はポツダム宣言の受諾、玉音放送の結果ということなのだが、岩井氏は、必ずしもこの考えを全面的に支持してはいないらしい。「天皇を生み出した地盤は原始社会における原始的な祭祀である」「わが国民は原始的な祖先が人類通有の理法に従って選んだ象徴を伝統的に守りつづけた」とする和辻哲郎の『国民統合の象徴』を引いているからである。

天皇が国と民の「象徴」であることは、古来、天皇が「祭り主」であることと不可分一体である。だが、そのことと男系継承主義とはいかなる関係にあるのか、岩井氏は和辻を引用しながら、その核心部分を探求しえないでいるのではないか。つまり、古来の男系継承の核心部分が見えていない。それだから、バーンズから説き起こすことになるのだろう。

未曾有の敗戦という厳たる歴史は歴史として、だからといって現代の国民は悠久なる皇室の歴史と伝統を否定して、皇位継承の将来を論じ、歴史にない女系継承へと革命的改変をなし得るのかどうか。岩井氏は納得のいく説明をしたのだろうか。


▽2 笠原英彦氏──皇室のルールを無視する「皇位継承」専門家

2番手は笠原英彦・慶應大学教授(日本政治史)である。『象徴天皇制と皇位継承』などの著書もあり、皇位継承問題の専門家とされている。だが、それはあくまで世間一般の評価というものなのだろう。

笠原氏のレジュメは6ページ。政府の設問10項目に沿って、回答が作られている。真面目な性格がうかがえるが、126代続く皇室古来のルールは無視され、あくまで日本国憲法を根拠とする皇位継承論が展開されている。政府の期待通り、これでなくては政府に重用されはしない。よく分かっておられる。

有識者会議の聴取項目の1は、「天皇の役割や活動」についてどのように考えるかだった。これに対して笠原氏の答えは、こうである。

「日本国憲法第1条が規定するように、天皇は『日本国の象徴であり日本国民統合の象徴』として、憲法第7条の規定する国事行為、公的行為、その他の行為を通じて、国民を統合する役割を果している。天皇はそうした活動により、様々な機会に国民とふれあい、国民との相互作用を通して天皇としての自覚にめざめ、国民も象徴天皇への敬慕の念を抱くようになる」

これこそまさに戦後の、行動する2.5代「象徴」天皇論にほかならないが、当然ながら、公正かつ無私なる祭祀をなさる古来の「祭り主」天皇像は見えない。

聴取項目2の「皇族の役割や活動」も同様である。

「皇族は天皇を支え、行幸啓や行啓、その他の公務を通じて多くの国民とふれあい、国民の期待に応えることで、その役割を認識する。天皇とともに皇室の活動を分担し、国民との絆を深める」

笠原氏は、天皇と皇族の伝統的概念の違いを理解しようとしていない。だから簡単に「活動を分担」などと口にすることになる。しかしこれも女性天皇・女系継承容認を進める政府の思う壺である。

レジュメの後半は、現行皇室典範と現在の皇室の構成を載せているだけである。なんとも内容が薄いが、過去の歴史にない女系継承をも認めようとする政府・宮内庁としてはありがたいご意見なのであろう。


▽3 櫻井よしこ氏──9年前から進歩しない「祭り主」天皇論

その点、3番手の櫻井よしこ氏(ジャーナリスト)はひと味違う。レジュメはたった1枚だが、それだけ簡潔に要点が記されている。何よりも、初めから古来の「祭り主」天皇に言及している。

政府の設問1は「天皇の役割や活動」だが、これに対して、櫻井氏はずばり「天皇のお役割は基本的に祈りにあると考える。天皇のご存在と祭主としてのご活動は国民の心の拠り所である」と答えている。しかしだとすると、天皇が「祭り主」であることと皇位継承とはどうつながるのか、肝心のポイントが明確ではない。だから、そのあとの展開が論理の一貫性、説得力に欠ける。

たとえば、設問の4は「皇統に属する男系の男子である皇族のみが皇位継承資格を有し、女性皇族は婚姻に伴い皇族の身分を離れることとしている現行制度の意義をどのように考えるか」だが、櫻井氏の答えは「祭り主」天皇論を根拠とする答えを用意していない。

「わが国の天皇の地位は一度の例外もなく男系で継承してきた。現行制度は長い歴史に則ったもので、これを守っていくことが皇室に対する国民の求心力を維持する方法だと思う。比類のない歴史の重みを尊重することなしには皇室の維持も難しい」

設問5の「内親王・女王に皇位継承資格を認めることについてはどのように考えるか。その場合、皇位継承順位についてはどのように考えるか」についても同様で、「そのことが女系天皇容認論につながる可能性があり、極めて慎重であるべきだと思う」と答えているだけである。

設問6も同じで、「皇位継承資格を女系に拡大することについてはどのように考えるか。その場合、皇位継承順位についてはどのように考えるか」には、「皇位継承資格を女系に拡大することは日本の皇室を根本から変えてしまうことにつながる。従って賛成できない」と答えるのみなのだ。

つまり、櫻井氏の論拠は「祭り主」の歴史と伝統という外形であって、内的実質に踏み込んでいない。「祭り主」であることがなぜ女系継承否認につながるのか、もっと正確にいえば、夫のいる、あるいは妊娠中・子育て中の女性天皇はなぜ歴史に存在しないか、櫻井氏は探究しようとしないのか。探求の必要がないと考えるのか。

櫻井氏は平成24年の皇室制度有識者ヒアリングでも、ほかの参加者とは異なり、天皇が「祈る存在」であることを正しく指摘した。順徳天皇の「禁秘抄」にも触れ、歴代天皇が祭祀を最重要視し、祈りによって国民を統合してきた、と説明した。だが、それだけだった。この9年間の進歩がなんら感じられない。〈https://www.kantei.go.jp/jp/singi/koushitsu/dai3/siryou1.pdf

もっとも今回、櫻井氏がそれ以上の継承論を語ったかどうか、レジュメからは分からない。だが、いま男系派にとって重要なことは、天皇が「祭り主」であるというだけでなく、「祭り主」であることが男系主義と一体であり、そのことが現代人および現代社会にとって大きな価値を持っていると論理的に説明されることだろう。昔話では女系派を納得させ、転向させることはできまい。

その点で、櫻井氏と共通の認識、共鳴が得られることを心から願いたい。そうでなければ、女帝容認論にますます席捲された現状を覆すことは望めないと思う。(つづく)


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「伝統」を見失った現代日本人に皇室の「伝統」が回復できるのか [皇位継承]

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「伝統」を見失った現代日本人に皇室の「伝統」が回復できるのか
(令和3年4月12日、月曜日)
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▽1 皇室までICU化した日本社会

もう30年以上も前になるが、雑誌の企画で「大学評判記」なるものを連載することになった。偏差値中心とは角度の違う大学紹介シリーズで、最初に取り上げられたのが早稲田の社学(社会科学部)、次が国際基督教大学、ICUだった。「ICUには純ジャパ、変ジャパ、ノンジャパの3種類の学生がいる」と聞いて、単純に面白いと思った。ワクワクしながら、取材に出かけたものだった。

「純ジャパ」は純粋の日本人、「変ジャパ」は帰国子女、「ノンジャパ」は外国人学生で、キャンパスは国際色が溢れ、輝いていた。だが、それから30有余年、日本社会がICU化していることに気づき、驚かされる。企業は国際化し、国際結婚は身近になった。街は変ジャパ、ノンジャパだらけだ。

国民だけではない。国際経験のある民間人が皇室に嫁ぎ、皇族が留学し、ICUに通う時代になった。しかし30年前の輝きがあるかどうかは別である。

純ジャパが人口構成的に少数派になったというだけではない。純ジャパからして、日本的、伝統的という概念が実感として縁遠くなっているように思う。保守派の人たちでさえ、いうところの「日本」「伝統」はせいぜい明治から戦前のことを指していて、それがたかだか150年の近代的日本だということに気づかないでいる。伝統回復が単なる戦前回帰になっている。近代=伝統なら矛盾も甚だしい。

しかも、その矛盾をいくら説明しても理解されない。保守派というのはおよそ頑迷で、頑迷だからこそ保守派であり、理性より感性が優ることが多いからである。理性的に考えよといくら求めても、思わぬ感情的対立に及ぶのが必定で、無駄骨に終わることになる。溜息しか出ない。

眼前で急展開する「女性宮家」問題は、まさに皇室の歴史と伝統が問われている。しかし、皇室も国民もすでに歴史と伝統の意義と価値を見失っているのだとしたら、議論の行方は目に見えている。男系継承を支持する保守派には、どんなに期待薄ではあるにしても、それだけに極力、理性の回復を求めざるを得ない。


▽2 日本最大の保守団体にして解決できない

ところで、先般、保守系の国民運動団体から今回の御代替わりを写真で振り返るグラビア集が送られてきた。書店で買えば、数千円はすると思われる豪華本である。編集の手間と苦労はしのばれるし、手に取る保守派を満足させ得る内容だとは十分に想像がつく。

しかしである。それなら、今回の御代替わりをこの団体はどう検証し、総括しているのだろう。たしか、改元については最後の最後まで「践祚即日改元」を主張し、安倍政権にきびしく要求していたはずだ。安倍総理は国会議員懇談会の特別顧問で、国会議員の何割かは懇談会のメンバーとされる。団体は「安倍政権の黒幕」とさえ目されていた。実現可能性を少なからぬ国民は期待したはずだ。

しかしそれでも「践祚当日改元」は実現されなかった。そればかりではない。歴史にない「退位の礼」なるものが創作され、「退位」と「即位」は無惨にも分離され、大嘗宮は角柱、板葺きに変えられた。前代未聞の事態。伝統重視を訴えたはずの団体の願いは完全に足蹴にされている。

ふつうなら怒りの声が全国的に昂然と湧き上がっていいはずだが、裏切りへの抗議はまったく聞こえてこない。それどころか、践祚1か月前、新元号発表の日に団体は政府批判どころか、新元号が国民に広く受け入れられるよう念願するとのメッセージを公表している。そして今度の豪華本である。団体は国民運動体というより政権の追認団体になっているかに見える。

昨秋には、同議員懇が菅総理に対して、男系継承の確保を申し入れたと伝えられているが、散々な御代替わりを本格的に検証することもないのなら、眉に唾するしかないだろう。日本最大の保守派の国民運動体を組織し、潤沢な資金を集めた手腕には心から敬意を表しなければならないが、もっとも肝心な、日本の文明の根幹に関わる皇室問題に大きな汚点を残した反省はどこまであるのだろうか。やってる感だけのパフォーマンスでは済まされないのだ。

この団体の組織力、資金力、政治力をもってしても、皇室問題を解決できないのだとしたら、いったい原因はどこにあるのか、よくよく理性的になって、考えなければならない。団体の無能、力不足と簡単に断定できないからである。日本社会に巣食う、もっと深い構造的な問題があると想像されるからである。つまり、日本の社会、日本人自身が変わったということである。

もしそうだとしたら、現下の問題である、歴史と伝統が大きく揺らいでいる皇位継承に関する議論はどうなるのかである。皇室も国民も歴史と伝統についての意識が変わってしまっているとしたら、議論の行方はどうなるのだろう。


▽3 よほどの劇薬が用いられないかぎり

日本人の伝統的感性というものは四季折々に美しさと厳しさを見せてくれる自然と深く関わっている。けれども現代では、とくに都会では、自然は失われ、コンクリートとアスファルトに一様に覆われている。伝統的自然観が失われているのは、その結果である。

かつては日本人の宗教心の根幹には生まれ育った土地への強い思いがあったが、人と土地との結びつきは失われている。人々は定住性を失い、遊牧民化している。「産土神」「氏神」はほとんど死語と化している。

生まれた土地で一生を過ごす人はいまどれほどいるだろう。インテリ、エリートほど異動の回数が多い。いやそれどころか、ふつうの庶民が常時、移動している。国民の大半は勤労者で、サラリーマン社会はグローバル化しているから、国内にとどまるとも限らない。

さらに明治以来の近代化と戦後の教育がある。明治の近代化はキリスト教世界の一元的文物を積極的に学び、導入することだった。その先頭に立ったのは皇室だった。あまりに急激な欧化主義に席巻される日本の教育を見かねた明治天皇の発案に始まった教育勅語の煥発も、非宗教性、非政治性、非哲学性が大方針とされたのに、下賜直後から一神教的崇拝の対象とされていった。

皇位継承の男系主義は皇室古来の「祭り主」天皇観と一体のものであり、日本社会が多元的ルーツを持ち、多様な文化を育んできたことと関わっている。多様性のある統一のために、天皇は皇祖神のみならず天神地祇を祀り、米と粟を捧げて、国と民のために公正かつ無私なる祈りを捧げてきたのだ。そして民には民の多様な皇室観があった。

しかし近代化は行政、貨幣、金融、教育、鉄道など日本社会をことごとく一元化したのである。それでも戦前まで天皇は「祭り主」であり続けたし、日本社会には伝統と近代とが共存していたが、戦後は「祭り主」天皇が否定され、天皇の祭祀は「皇室の私事」とされている。地域の信仰も忘れられている。

そして日本人は一元化された社会にどっぷりと浸かり、日本人自身の考え方が一元化している。一元論に染まった戦後のエリートたちが憲法を最高法規と信じて疑わず、皇室の歴史と伝統を破壊しようとしている。ICU化した国民の多くもまた同じである。先述した保守団体が主張した「践祚当日改元」も、皇室伝統の「踰年改元」とは異なるのに、彼らは気づかない。

などと言ってみても、理性より感性が優る保守派にはなかなか通じない。とすると、よほどの劇薬が用いられない限り、眼前の皇位継承問題を形勢逆転させることは不可能だということになる。


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【関連記事】「教育勅語」異聞──放置されてきた解釈の誤り by 佐藤雉鳴 第4回 誤りの角質化〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2010-04-17
【関連記事】「教育勅語」異聞──放置されてきた解釈の誤り by 佐藤雉鳴 第3回 「中外に施す」の「中外」の意味〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2010-04-10-1
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【関連記事】「教育勅語」異聞──放置されてきた解釈の誤り by 佐藤雉鳴 第1回 明治天皇はご不満だった!?〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2010-03-26-1
【関連記事】女系は「万世一系」を侵す──「神道思想家」葦津珍彦の女帝論(「論座」1998年12月号特集「女性天皇への道」から)〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1998-12-01
【関連記事】産土神(うぶすながみ)について考える──国際化とサラリーマン化と民族宗教(「神社新報」平成9年6月9日号)〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1997-06-09

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だから「隔たり」が生じる。有識者会議が期待する「天皇の役割」と本来のお役割が違う [皇位継承]


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だから「隔たり」が生じる。有識者会議が期待する「天皇の役割」と本来のお役割が違う
(令和3年4月10日、土曜日)
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皇居二重橋.jpeg
皇位継承有識者会議のヒアリングが8日、始まった。「意見には隔たりがある」とメディアは伝えているが、当然だろう。10の「聴取項目」のうち、皇位継承問題を考えるうえでもっとも重要な、天皇統治の本質に関わる、次の2項目について、考え方が根本的に異なるからである。〈https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai1/siryou8.pdf

問1 天皇の役割や活動についてどのように考えるか。
問2 皇族の役割や活動についてどのように考えるか。

天皇・皇族のお役目、お務めについての基本的認識が異なれば、当然ながら、皇位継承についての考え方もがらりと変わる。平成8年に政府、宮内庁が非公式検討を開始し、女性天皇・女系継承容認に大きく舵を切ったのは、いかなる天皇観に基づいていたのかが問われているのである。

ならば、政府・宮内庁は、今回のヒアリングで、どのような答えを期待しているのか、逆に本来的にはどのように考えられるべきなのか、おさらいしてみたい。そうすれば、皇室の歴史と伝統を重視する男系派にとって、いかにいま絶望的な状況なのか、あらためて身に沁みるだろう。男系派はいまこそ本気になるべきだ。もはや傍観者ぶってはいられない。


▽1 目的は2.5代「象徴」天皇の「安定的継承」

皇室本来の伝統的天皇観は、「およそ禁中の作法は神事を先にす」(順徳天皇「禁秘抄」1221年)とする、「祭り主」天皇である。国と民のため公正かつ無私なる祭祀をなさることが天皇が統治者であることを意味する。男系継承主義はこの「祭り主」天皇観と密接不可分である。

ところが、最初に行われた平成16年の「皇室典範に関する有識者会議」からして、皇室の天皇観など視野にはなかった。検討されたのは、主権者とされる国民個人のさまざまな天皇観であった。

そのことは有識者会議の報告書の「はじめに」を読めば容易に分かる。「天皇の制度は、古代以来の長い歴史を有する」と認めながら、皇室の歴史と伝統に沿った吟味は行われなかった。「(制度に関する)見方も個人の歴史観や国家観により一様ではない」から「様々な観点から論点を整理する」と述べつつ、皇室古来の天皇観は排除され、「現行憲法を前提として検討すること」とされたのだ。〈https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/houkoku/houkoku.html

つまり、この有識者会議が目的とした「安定的な皇位継承の制度」とは、「長い歴史を有する」126代の皇位継承ではなく、「国事行為」「ご活動など」をなさる、日本国憲法が定める2.5代「象徴天皇」の「安定」的継承なのであった(「基本的な視点」)。

そして、案の定、「古来続いてきた皇位の男系継承を安定的に維持することは極めて困難」「国の将来を考えると、皇位の安定的な継承を維持するためには、女性天皇・女系天皇への途を開くことが不可欠」(「結び」)と結論づけられたのだった。

有識者会議が男系継承の「意義」や「論拠」をまったく検討しなかったとまではいえない。しかし、天皇がスメラギ、スメラミコトと拝された時代から天神地祇を祀る「祭り主」であったこと、そのことが男系主義とどのように関わるかを追究した形跡は見当たらない。過去の歴史にない女系継承容認に走るのは当然であった。

官邸のサイトには会議の報告書のほかに、50ページを上回る「資料」が載っているが、「天皇の行為」のなかで、「宮中祭祀」は「国事行為、公的行為以外の行為」と区分され、皇室第一のお務めとされてきた歴史の説明は見当たらない。


▽2 天皇はすでに歴史的な天皇とは異なる

平成24年に行われた「皇室制度に関する有識者ヒアリング」、いわゆる「女性宮家」有識者ヒアリングでは、問題関心の中心は「皇室の御活動」の維持であり、「両陛下の御負担」軽減であった。そのための「女性宮家」創設が検討されたのだった。

「現行の皇室典範の規定では、女性の皇族が皇族以外の方と婚姻された時は皇族の身分を離れることになっていることから、今後、皇室の御活動をどのように安定的に維持し、天皇皇后両陛下の御負担をどう軽減していくかが緊急性の高い課題となっている」(「有識者ヒアリングの実施について」)〈http://www.kantei.go.jp/jp/singi/koushitsu/yushikisha.html

つまり、126代続く「祭り主」天皇の伝統は最初から念頭に置かれてはいなかった。代わりに、天皇が御公務をなさる2.5代「象徴」天皇であることは議論の余地のない所与のこととされた。そして、いつのまにか「天皇の御公務」は「両陛下の御活動」に衣替えし、「皇室の御活動」にすり替わっていた。驚いたことに、「天皇」と「皇族」の違いまでが失われたのである。

ヒアリングの過程で、園部逸夫内閣官房参与は繰り返し「陛下のご負担軽減」を説明したが、ヒアリングを踏まえた「論点整理」ではさらに論理のすり替えが起きた。緊急性のあるご負担軽減から悠仁親王殿下の時代に話題はすっかり切り替えられていた。支離滅裂だった。なぜか。

平成20年の御不例以後、宮内庁は陛下の御公務御負担軽減を進めた。だが、祭祀のお出ましが激減した反面、いわゆる御公務は逆に増えた。つまり宮内庁の軽減策はみごと失敗したのだが、政府・宮内庁は失敗の原因も究明しないまま、歴史にない「女性宮家」創設へと暴走し始めたのだった。

ならば、そもそも「御公務」とは何か、「論点整理」では驚くべきことに、天皇の御公務と皇族の御活動が同列に論じられていた。

「天皇陛下や皇族方は、憲法に定められた国事行為のほか、戦没者の慰霊、被災地のお見舞い、福祉施設の御訪問、国際親善の御活動、伝統・文化的な御活動などを通じて、国民との絆(きずな)をより強固なものとされてきておられる」

皇族とは本来、皇統に属し、皇位継承の資格を持つ血族の集まりを指すが、女性皇族に「御活動」を「分担」させるという意図のもと、皇族の伝統的概念は崩壊した。日本国憲法の「象徴」天皇主義が皇室の歴史と伝統を凌駕した結果である。すでに天皇は歴史的天皇ではなくなっている。

そこまでして維持しなければならない「御活動」とは具体的に何なのか、不思議なことにヒアリングで論じられた形跡はまったくない。ようやく「論点整理」の段階になり、参考資料として12ページにわたって説明された。

たとえば常陸宮殿下は、日本鳥類保護連盟、日本肢体不自由児協会、発明協会など数々の団体の総裁や名誉総裁をお務めで、妃殿下とともに、全国健康福祉祭や全国少年少女発明クラブ創作展などに御臨席になると説明されている。天皇の御公務・ご活動と同列に論ずべきことではあるまいに。

どうしても必要ならやむを得ない。しかしこれは違う。官僚たちの責任逃れと暴走が天皇統治の歴史的大原則を革命的に一変させようとしているのだ。だとしたら男系派は、本来のあり方、男系主義の意義と価値を訴えるべきだ。ところが、ヒアリングで「祭り主」天皇に言及した識者が、皆無というわけではないが、本質に深く踏み込むものではなかった。溜息が出るほど理解が浅いのである。


▽3 問われているのは憲法だ

先帝陛下の「譲位」のご表明を受けて、平成28年から翌年にかけ、「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」、通称「生前退位」有識者会議が開かれた。これも不思議な会議だった。〈https://www.kantei.go.jp/jp/singi/koumu_keigen/

「生前退位」なる皇室用語はないが、いったい誰が言い出したのか、誰が報道機関に内部情報を漏らしたのか。先帝陛下のビデオ・メッセージが発せられたのにはいかなる経緯があってのことなのか、その真意は何だったのか。お気持ちの実現に本当は何が必要だったのか、なぜ有識者会議は「ご公務ご負担軽減」と銘打たれることとなったのか。

そして案の定、有識者会議の設問には「生前退位」はないのに、「生前退位」実現の法的手法についての激論が始まり、「ご負担軽減」とは名ばかりで、「退位」実現の検討に終始したのだった。

憲法上は「譲位」も「退位」もあり得ない。昭和天皇は側近による祭祀簡略化「工作」に耐えかねて「退位」を表明されたことが側近の日記に記録されているが、実現はされなかった。それならなぜ、先帝の「譲位」は翻意されなかったのか。先帝は、今上も同様だが、歴代天皇の歩みと憲法の規定遵守の両方を繰り返し表明されていたのに、である。

そして憲法・皇室典範が認めていない「譲位」は、国民主権主義に基づき、特例法によって「退位」にリセットされ、実現されたのだった。憲法遵守に務められた先帝によって、それゆえに憲法の矛盾が明らかにされたのである。御公務中心の「象徴」天皇のあり方の不備を、主権者に率直に問いかけられたのが先帝なのである。天皇の高齢化はご活動なさる「象徴」天皇像とは両立できないのだ。

しかし政府・宮内庁は、憲法に基づき、その行動主義的天皇像を疑うことなく、ご活動の維持に拘り続けている。その結果、人事異動する宮内庁職員の「拝謁」、海外に赴任する大使夫妻の「お茶」はいっこうに減らない。逆に、天皇の祭祀は際限なく蹂躙されている。

そしていま、「女性宮家」創設がいよいよ本格的に議論されることになった。つまり、問題の核心はほかならぬ日本国憲法なのである。

公布から100年にも満たない憲法を「最高法規」とし、国民主権主義なるものに基づいて、126代続いてきた悠久なる皇位継承の大原則を革命的に変更することが許されるべきなのか。歴代天皇は公正かつ無私なる「祭り主」であり、そのための男系主義であったとすれば、その意味も価値も顧みられることなく、変革することは正しい選択といえるのか。

男系派こそ問われなければならない。憲法の「最高法規」「国民主権」と本気で対決する気はあるのかどうか。政府・宮内庁は、憲法が「不磨の大典」だからこそ「女性宮家」創設に走るのである。憲法に叛旗を翻せない官僚たちが、天皇および祖国への謀叛を企てるのである。


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【関連記事】伝統主義者たちの女性天皇論──危機感と歴史のはざまで分かれる見解(「論座」平成16年10月号から)〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2004-10-01
【関連記事】女系は「万世一系」を侵す──「神道思想家」葦津珍彦の女帝論(「論座」1998年12月号特集「女性天皇への道」から)〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1998-12-01

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皇位継承有識者会議の最重要テーマは「天皇とは何か」だが… [皇位継承]

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皇位継承有識者会議の最重要テーマは「天皇とは何か」だが…
(令和3年4月4日、日曜日)
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▽1 「祭り主」天皇を説明できる識者はいるのか

先月23日、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議(皇位継承有識者会議)の第1回会合が開かれた。そのときの配布資料に今後、行われる有識者ヒアリングでの聴取項目(案)が列記されている。〈https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai1/siryou8.pdf

すなわち、以下の10項目である。

問1 天皇の役割や活動についてどのように考えるか。
問2 皇族の役割や活動についてどのように考えるか。
問3 皇族数の減少についてどのように考えるか。
問4 皇統に属する男系の男子である皇族のみが皇位継承資格を有し、女性皇族は婚姻に伴い皇族の身分を離れることとしている現行制度の意義をどのように考えるか。
問5 内親王・女王に皇位継承資格を認めることについてはどのように考えるか。その場合、皇位継承順位についてはどのように考えるか。
問6 皇位継承資格を女系に拡大することについてはどのように考えるか。その場合、皇位継承順位についてはどのように考えるか。
問7 内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持することについてはどのように考えるか。その場合、配偶者や生まれてくる子を皇族とすることについてはどのように考えるか。
問8 婚姻により皇族の身分を離れた元女性皇族が皇室の活動を支援することについてはどのように考えるか。
問9 皇統に属する男系の男子を下記(1)又は(2)により皇族とすることについてはどのように考えるか。その場合、皇位継承順位についてはどのように考えるか。
(1)現行の皇室典範により皇族には認められていない養子縁組を可能とすること。
(2)皇統に属する男系の男子を現在の皇族と別に新たに皇族とすること。
問10 安定的な皇位継承を確保するための方策や、皇族数の減少に係る対応方策として、そのほかにどのようなものが考えられるか。

今回の有識者会議は、「附帯決議」に示された課題、すなわち「安定的な皇位継承を確保する」こと、とりわけ「女性宮家」創設などがテーマとなる。上記質問項目のうち問4以降はずばりこのテーマと関わっている。

しかし、皇位継承をテーマとしたとき、もっとも重要なことは、天皇のお務めとは何か、皇位とは何かである。126代にわたって男系で維持されてきた天皇とは、国と民のために公正かつ無私なる祭祀をなさる「祭り主」だが、平成8年以降、政府・宮内庁が非公式検討を始め、推し進めてきたのはこれとは異なる、日本国憲法が規定する国事行為および御公務をなさる特別公務員としての象徴天皇である。

まさに質問項目の問1と2は、この天皇・皇族の役割について問いかけているのだが、「祭り主」天皇の歴史について答え、その伝統が男系主義とどう関わるのか、その意義と価値を現代人に対して、分かりやすく説明できる識者は現れるだろうか。

天皇が祭祀をなさっていることなど国民の何割が知っているだろう。そんな状況下で、「祭り主」天皇論を語れる識者が現れないとしたら、皇位継承の男系主義は歴史的変革を迫られざるを得ないだろう。私たちは歴史的な瀬戸際に立たされている。


▽2 厄介者扱いされる天皇の祭祀

今回の有識者会議は、皇室継承問題に関連する有識者会議・ヒアリングとしては、平成16年の「皇室典範に関する有識者会議」、同24年の「皇室制度に関する有識者ヒアリング」、同28年の「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」に続くものである。

これまでの有識者会議・ヒアリングでは、活動し、行動する近代的天皇像が暗黙の前提となっている。国事行為や御公務をなさる天皇の安定的確保がすなわち国家の安定に直結する、その観点から官僚たちはここ二十数年、女性天皇・女系継承容認=「女性宮家」創設を推し進めてきたのである。

逆に皇室の「祭り主」天皇観、男系主義は検討されてこなかった。それどころか、意見を表明する皇族方を厳しく口封じする宮内庁長官さえいた。彼らには皇室固有の悠久なる歴史と伝統ではなくて、百年にも満たない憲法上の象徴天皇制の維持がすべてなのである。そのことは外部の識者たちに向けられた質問項目の誘導ぶりを見れば、明らかである。

最初の皇室典範有識者会議では、「質問は内容の確認程度のもの」(第5回議事要旨)とされ、具体的な質問項目は立てられなかったが〈https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/dai5/5gijiyousi.html〉、次の皇室制度有識者会議では、以下の6項目がヒアリング事項とされた。〈https://www.kantei.go.jp/jp/singi/koushitsu/pdf/120220koushitsu.pdf

1 象徴天皇制度と皇室の御活動の意義について
○現在の皇室の御活動をどのように受け止めているか。
○象徴天皇制度の下で,皇室の御活動の意義をどのように考えるか。
2 今後,皇室の御活動の維持が困難となることについて
○現在の皇室の構成に鑑みると,今後,皇室典範第12条の規定(皇族女子は,天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは,皇族の身分を離れる)などにより皇族数が減少し,現在のような皇室の御活動の維持が困難になることについて,どのように考えるか。(皇室典範改正の必要性・緊急性が高まっていると考えるが,このことについてどう思うか。)
3 皇室の御活動維持の方策について
○皇室の御活動維持のため,「女性皇族(内親王・女王)に婚姻後も皇族の身分を保持いただく」という方策について,どう考えるか。
○皇室の御活動維持のため,他に採りうる方策として,どのようなことが考えられるか。また,そうした方策についてどのような見解を持っているか。
4 女性皇族に婚姻後も皇族の身分を保持いただくとする場合の制度のあり方につ いて
○改正後の皇室の規模はどのくらいがふさわしいか。
○配偶者及び子の身分やその御活動についてどのようなあり方が望ましいのか。皇族とすべきか否か。
5 皇室典範改正に関する議論の進め方について
○皇室典範について,今回,今後の皇室の御活動維持の観点に絞り緊急課題として議論することについてどう考えるか。
6 その他
○女性皇族に婚姻後も皇族の身分を保持いただくとした場合,婚姻等が円滑になされるよう,どのような配慮が必要か。
○その他,留意すべきことは何か。

象徴天皇制と行動主義的天皇は同義なのである。先帝も今上も歴代天皇の歩みと憲法の理念、すなわち「祭り主」天皇と象徴天皇の両方を追求してこられたが、政府・宮内庁はそうではない。政府が目的とする「安定的な皇位継承」とは、すなわち行動主義的天皇の継承なのである。

実際、天皇の祭祀=私的活動と断じる一方で、過去の歴史にない「女性宮家」創設論を言い出した火付け役は、側近中の側近であった。今回の御代替わりでは、政府は祭祀にはノータッチで、もっとも重要なはずの賢所の儀の細目を宮内庁が決めたのは最後の最後だった。祭祀は厄介者扱いされているのだ。


▽3 議論の行方は目に見えている!?

公務軽減等有識者会議も同様だった。聴取項目とされた以下の8項目を概観すれば、126代にわたって続いてきた「祭り主」天皇の歴史とその意義など、政府・宮内庁の眼中にまったくないことが分かるだろう。〈https://www.kantei.go.jp/jp/singi/koumu_keigen/dai3/shiryo1.pdf

1 日本国憲法における天皇の役割をどう考えるか。
2 1を踏まえ、天皇の国事行為や公的行為などの御公務はどうあるべきと考えるか。
3 天皇が御高齢となられた場合において、御負担を軽くする方法として何が考えられるか。
4 天皇が御高齢となられた場合において、御負担を軽くする方法として、憲法第5条に基づき、摂政を設置することについてどう考えるか。
5 天皇が御高齢となられた場合において、御負担を軽くする方法として、憲法第4条第2項に基づき、国事行為を委任することについてどう考えるか。
6 天皇が御高齢となられた場合において、天皇が退位することについてどう考えるか。
7 天皇が退位できるようにする場合、今後のどの天皇にも適用できる制度とすべきか。
8 天皇が退位した場合において、その御身位や御活動はどうあるべきと考えるか。

先帝の「譲位」の御表明のあと、この有識者会議が開かれ、やがて特例法が成立し、先帝は国民の意思に基づいて、「譲位」ではなく「退位」されたのである。そして今回の有識者会議である。議論の出発点は日本国憲法の国民主権主義以外にはない。政教分離の厳格主義に立てば、天皇の祭祀は取り上げようがない。

古来、固持されてきた男系継承主義の根拠は「祭り主」のほかには見出し得ない。したがって、「祭り主」天皇論を抜きにして、歴史と伝統に基づく皇位継承論を語ることは不可能であるが、政府が進める皇位継承論議は祭祀論を避けている。だとすれば、議論の行方は目に見えているのではないか。


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【関連記事】女系継承は天皇の制度といえるのか──皇室典範有識者会議を批判する(「正論」平成17年12月号から)〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2005-12-01

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孔子廟「違憲」判決を批判する「反靖国」キリスト者の薄っぺら声明 [政教分離]

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孔子廟「違憲」判決を批判する「反靖国」キリスト者の薄っぺら声明
(令和3年4月2日、金曜日)
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すでに書いたように、2月24日、最高裁大法廷は、沖縄・那覇市が所有する公園内に立地する孔子廟(設置者は一般社団法人久米崇聖会)について、市が土地使用料を免除していたのは、憲法の政教分離原則に違反するなどとの重要な判断を示した。それから半月後、「信教の自由」「政教分離」にとりわけ敏感なキリスト者が厳格主義に立つ声明文を発表した。今日はそれをご紹介したい。

すなわち、先月11日に発表された、日本バプテスト連盟(バプ連)の靖国神社問題特別委員会による声明である。〈https://www.bapren.jp/?tokubetsu=20210311%e9%9d%96%e5%9b%bd%e7%a5%9e%e7%a4%be%e5%95%8f%e9%a1%8c%e7%89%b9%e5%88%a5%e5%a7%94%e5%93%a1%e4%bc%9a%e3%80%80%e5%ad%94%e5%ad%90%e5%bb%9f%e4%bd%bf%e7%94%a8%e6%96%99%e5%85%8d%e9%99%a4%e9%81%95

まずこの組織だが、同連盟のHPによると、19世紀末にアメリカ南部バプテスト連盟(SBC)から宣教師が派遣され、九州で伝道が開始されたことが、歴史の始まりである。連盟は敗戦直後、福岡・西南学院教会で設立された。1976年にSBCからの経済的独立を果たす一方で、反靖国、反天皇運動にのめり込んでいったものらしい。大嘗祭違憲訴訟や安保関連法案訴訟などに取り組んでいる。

理事長は加藤誠氏。西南学院大学神学部奨学金委員会、靖国神社問題特別委員会、日韓・在日連帯特別委員会、部落問題特別委員会、ホームレス支援特別委員会などの特別委員会が置かれ、「ヤスクニ通信」などの媒体が発行されている。全国283のバプテスト派教会などが加盟する。


▽1 政教分離厳格主義の自家撞着

さて、声明文であるが、分量はわずか2ページ。正確にいうと1ページ半。しかも驚いたことに、その半分は新聞社説のコピペである。これほど内容の薄い声明文を筆者は寡聞にして知らない。

つぎに中身だが、声明文はまず判決を、次の3点について評価している。

1、孔子廟が孔子の霊を迎えて送り返す「釋奠祭禮」を挙行する宗教施設であることを明確に認定した
2、目的効果基準という形式的基準に拘泥することなく、信教の自由の保障の確保という政教分離原則の制度の根本目的にさかのぼって違憲判断を行っている
3、自治体等が宗教施設について観光資源であること等を理由に、安易に財政支援を容認する風潮に警鐘を鳴らす効果を有する

以上は声明文をほぼそのまま引用したのだが、孔子廟を宗教施設と認めるべきかどうかについての議論にはまったく踏み込まず、あくまで厳格主義の立場を誇示している。

その一方で、声明は、次の点で判決を批判している。これも手を加えずに引用すると…

4、上記判断過程において、宗教的マイノリティーではなく、「一般人」、「社会通念」、日本の「社会的・文化的諸条件」等のマジョリティーを基準とする要素を用いている点で、信教の自由の本質を見誤っているものであって、この点は糾されるべきであると考える

つまり、声明は、憲法が謳う信教の自由というものは、宗教的マイノリティを基準とすべきであること、すなわち日本では、キリスト教のような少数派が判断の基準とされるべきだと主張したいものらしい。しかし、そうだとすると、憲法の大原則である法の下の平等との兼ね合いが問われなければならない。

声明は、あくまで沖縄・孔子廟に関するものだが、政教分離の厳格主義に立つなら、同様に違憲性が強く疑われるキリスト教関連の事象はいくらでもあるからだ。

たとえば、長崎の二十六聖人記念碑は世界的な巡礼地だが、もともと修道会が市有地に建て、市に寄贈したと聞くし、殉教者の遺骨を安置する記念館はやはり市有地にあるが税金は免除されているらしい。島原の乱で知られる原城跡には地元の自治体が建てた十字架があるし、旧水沢市にあるキリシタン領主・後藤寿庵の廟堂では毎年、ミサが行われ、市長が参列し、「ご祝儀」が支払われていた。

バプ連声明の論理に従えば、これらの事案は「宗教団体」「宗教施設」であることは明確で、政教分離上、完全に違憲と判断され、ただちに訴訟の対象とされるべきではないのか。それとも、日本のキリスト教はマイノリティだから、逆に保護されるべきだということなのか。だとすれば、厳格主義を隠れ蓑にした身勝手なオポチュニズムといわねばならない。

厳格主義を貫けば、公有地内にある小さなお地蔵様でさえ認められないことになる。しかし憲法は逆に、宗教の価値を認めている。国家に宗教的中立性を求めこそすれ、無色中立性を要求してはいない。宗教者が厳格主義を唱え、およそ宗教に不寛容な憲法だと主張するのは、自家撞着を招く。


▽2 キリストの教えを語る資格はあるのか

むしろ声明文は、憲法が保障する「信教の自由」の、大きな矛盾を孕んだあり方について、もっと踏み込むべきではないだろうか。そうでなければ、イエス・キリストがもっとも嫌った偽善者をキリスト者みずから演じることになる。

なぜキリスト者は偽善をおかして省みないのか、それは日本の近代史理解と密接に関わっているからだろう。そのことは声明文が「同意」し、延々と引用する、以下の新聞の社説を読めば明らかである。

「かつて国家神道を精神的支柱にして戦争への道を突き進んだ。政教分離の原則は、多大な犠牲をもたらした戦前の深い反省に立脚し、つくられた。」(沖縄タイムス2/25)

「憲法の政教分離の規定は、戦前に国家と神道が結びついて軍国主義に利用され、戦争に突き進んだ反省に基づいて設けられた」(毎日新聞2/25)

「政教分離が憲法に規定された背景には、戦前の日本が神道を事実上の国教として優遇・利用したことへの反省がある。信仰の強要や他宗教の弾圧が繰り返され、ついに敗戦に至った。こうした歴史から、神社や神道との関係が問われる事例が多かったが、他の宗教的活動にも同様のけじめが求められるのは言うまでもない。(中略)現職閣僚らによる靖国神社への参拝など、国家と宗教の関係に疑義を抱かせる行いは後を絶たない」(朝日新聞2/26)

バプ連声明および各紙社説は、孔子廟訴訟ほか政教分離裁判の焦点が、いわゆる「国家神道」、「軍国主義」、「靖国神社」にあることを前提としている。だからこそ、今回の声明文も靖国問題の特別委員会から発表されている。しかし、こうした見方はどこまで正しいのだろう。

日本の「国家神道」「軍国主義・超国家主義」を誰よりも敵視し、その中心施設は靖国神社だとして爆破解体を目論んでいた占領軍は昭和20年暮れにいわゆる神道指令を発令したが、結局、靖国神社は生き残ったし、吉田茂首相の靖国神社参拝は認められ、朝日新聞は「公けの資格で参拝」と伝えている。

憲法学者の小嶋和司が述べているように、神道指令はたしかに神社神道からの「分離」を要求しているが、憲法が要求しているのはすべての宗教団体からの分離である。そして国家から分離された靖国神社への首相参拝は容認されたのである。GHQの宗教政策は占領前期と後期とでは明らかに異なる。

蛇足だが、アメリカでは、首都ワシントンに「全国民のための教会」ワシントン・ナショナル・カテドラルがあり、歴代大統領の就任ミサが行われる。9.11同時テロ犠牲者の追悼ミサは大統領府主催で行われ、歴代大統領ほか政府高官が参列した。日本の靖国神社よりも国家との結びつきがはるかに強い。日本の政教分離主義の源流はこのアメリカにある。明らかに厳格主義ではない。

バプ連が単なる法律論ではなくて、信仰的立場から完全分離主義を貫きたいなら訴訟を起こすべきだ。そうしないなら「兄弟の目にある塵を見ながら、自分の目にある梁を認めない」ことになる。キリストの教えを語る資格はない。それはもはやキリストの敵というべきだろう。


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