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孔子廟「違憲」判決を批判する「反靖国」キリスト者の薄っぺら声明 [政教分離]

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孔子廟「違憲」判決を批判する「反靖国」キリスト者の薄っぺら声明
(令和3年4月2日、金曜日)
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すでに書いたように、2月24日、最高裁大法廷は、沖縄・那覇市が所有する公園内に立地する孔子廟(設置者は一般社団法人久米崇聖会)について、市が土地使用料を免除していたのは、憲法の政教分離原則に違反するなどとの重要な判断を示した。それから半月後、「信教の自由」「政教分離」にとりわけ敏感なキリスト者が厳格主義に立つ声明文を発表した。今日はそれをご紹介したい。

すなわち、先月11日に発表された、日本バプテスト連盟(バプ連)の靖国神社問題特別委員会による声明である。〈https://www.bapren.jp/?tokubetsu=20210311%e9%9d%96%e5%9b%bd%e7%a5%9e%e7%a4%be%e5%95%8f%e9%a1%8c%e7%89%b9%e5%88%a5%e5%a7%94%e5%93%a1%e4%bc%9a%e3%80%80%e5%ad%94%e5%ad%90%e5%bb%9f%e4%bd%bf%e7%94%a8%e6%96%99%e5%85%8d%e9%99%a4%e9%81%95

まずこの組織だが、同連盟のHPによると、19世紀末にアメリカ南部バプテスト連盟(SBC)から宣教師が派遣され、九州で伝道が開始されたことが、歴史の始まりである。連盟は敗戦直後、福岡・西南学院教会で設立された。1976年にSBCからの経済的独立を果たす一方で、反靖国、反天皇運動にのめり込んでいったものらしい。大嘗祭違憲訴訟や安保関連法案訴訟などに取り組んでいる。

理事長は加藤誠氏。西南学院大学神学部奨学金委員会、靖国神社問題特別委員会、日韓・在日連帯特別委員会、部落問題特別委員会、ホームレス支援特別委員会などの特別委員会が置かれ、「ヤスクニ通信」などの媒体が発行されている。全国283のバプテスト派教会などが加盟する。


▽1 政教分離厳格主義の自家撞着

さて、声明文であるが、分量はわずか2ページ。正確にいうと1ページ半。しかも驚いたことに、その半分は新聞社説のコピペである。これほど内容の薄い声明文を筆者は寡聞にして知らない。

つぎに中身だが、声明文はまず判決を、次の3点について評価している。

1、孔子廟が孔子の霊を迎えて送り返す「釋奠祭禮」を挙行する宗教施設であることを明確に認定した
2、目的効果基準という形式的基準に拘泥することなく、信教の自由の保障の確保という政教分離原則の制度の根本目的にさかのぼって違憲判断を行っている
3、自治体等が宗教施設について観光資源であること等を理由に、安易に財政支援を容認する風潮に警鐘を鳴らす効果を有する

以上は声明文をほぼそのまま引用したのだが、孔子廟を宗教施設と認めるべきかどうかについての議論にはまったく踏み込まず、あくまで厳格主義の立場を誇示している。

その一方で、声明は、次の点で判決を批判している。これも手を加えずに引用すると…

4、上記判断過程において、宗教的マイノリティーではなく、「一般人」、「社会通念」、日本の「社会的・文化的諸条件」等のマジョリティーを基準とする要素を用いている点で、信教の自由の本質を見誤っているものであって、この点は糾されるべきであると考える

つまり、声明は、憲法が謳う信教の自由というものは、宗教的マイノリティを基準とすべきであること、すなわち日本では、キリスト教のような少数派が判断の基準とされるべきだと主張したいものらしい。しかし、そうだとすると、憲法の大原則である法の下の平等との兼ね合いが問われなければならない。

声明は、あくまで沖縄・孔子廟に関するものだが、政教分離の厳格主義に立つなら、同様に違憲性が強く疑われるキリスト教関連の事象はいくらでもあるからだ。

たとえば、長崎の二十六聖人記念碑は世界的な巡礼地だが、もともと修道会が市有地に建て、市に寄贈したと聞くし、殉教者の遺骨を安置する記念館はやはり市有地にあるが税金は免除されているらしい。島原の乱で知られる原城跡には地元の自治体が建てた十字架があるし、旧水沢市にあるキリシタン領主・後藤寿庵の廟堂では毎年、ミサが行われ、市長が参列し、「ご祝儀」が支払われていた。

バプ連声明の論理に従えば、これらの事案は「宗教団体」「宗教施設」であることは明確で、政教分離上、完全に違憲と判断され、ただちに訴訟の対象とされるべきではないのか。それとも、日本のキリスト教はマイノリティだから、逆に保護されるべきだということなのか。だとすれば、厳格主義を隠れ蓑にした身勝手なオポチュニズムといわねばならない。

厳格主義を貫けば、公有地内にある小さなお地蔵様でさえ認められないことになる。しかし憲法は逆に、宗教の価値を認めている。国家に宗教的中立性を求めこそすれ、無色中立性を要求してはいない。宗教者が厳格主義を唱え、およそ宗教に不寛容な憲法だと主張するのは、自家撞着を招く。


▽2 キリストの教えを語る資格はあるのか

むしろ声明文は、憲法が保障する「信教の自由」の、大きな矛盾を孕んだあり方について、もっと踏み込むべきではないだろうか。そうでなければ、イエス・キリストがもっとも嫌った偽善者をキリスト者みずから演じることになる。

なぜキリスト者は偽善をおかして省みないのか、それは日本の近代史理解と密接に関わっているからだろう。そのことは声明文が「同意」し、延々と引用する、以下の新聞の社説を読めば明らかである。

「かつて国家神道を精神的支柱にして戦争への道を突き進んだ。政教分離の原則は、多大な犠牲をもたらした戦前の深い反省に立脚し、つくられた。」(沖縄タイムス2/25)

「憲法の政教分離の規定は、戦前に国家と神道が結びついて軍国主義に利用され、戦争に突き進んだ反省に基づいて設けられた」(毎日新聞2/25)

「政教分離が憲法に規定された背景には、戦前の日本が神道を事実上の国教として優遇・利用したことへの反省がある。信仰の強要や他宗教の弾圧が繰り返され、ついに敗戦に至った。こうした歴史から、神社や神道との関係が問われる事例が多かったが、他の宗教的活動にも同様のけじめが求められるのは言うまでもない。(中略)現職閣僚らによる靖国神社への参拝など、国家と宗教の関係に疑義を抱かせる行いは後を絶たない」(朝日新聞2/26)

バプ連声明および各紙社説は、孔子廟訴訟ほか政教分離裁判の焦点が、いわゆる「国家神道」、「軍国主義」、「靖国神社」にあることを前提としている。だからこそ、今回の声明文も靖国問題の特別委員会から発表されている。しかし、こうした見方はどこまで正しいのだろう。

日本の「国家神道」「軍国主義・超国家主義」を誰よりも敵視し、その中心施設は靖国神社だとして爆破解体を目論んでいた占領軍は昭和20年暮れにいわゆる神道指令を発令したが、結局、靖国神社は生き残ったし、吉田茂首相の靖国神社参拝は認められ、朝日新聞は「公けの資格で参拝」と伝えている。

憲法学者の小嶋和司が述べているように、神道指令はたしかに神社神道からの「分離」を要求しているが、憲法が要求しているのはすべての宗教団体からの分離である。そして国家から分離された靖国神社への首相参拝は容認されたのである。GHQの宗教政策は占領前期と後期とでは明らかに異なる。

蛇足だが、アメリカでは、首都ワシントンに「全国民のための教会」ワシントン・ナショナル・カテドラルがあり、歴代大統領の就任ミサが行われる。9.11同時テロ犠牲者の追悼ミサは大統領府主催で行われ、歴代大統領ほか政府高官が参列した。日本の靖国神社よりも国家との結びつきがはるかに強い。日本の政教分離主義の源流はこのアメリカにある。明らかに厳格主義ではない。

バプ連が単なる法律論ではなくて、信仰的立場から完全分離主義を貫きたいなら訴訟を起こすべきだ。そうしないなら「兄弟の目にある塵を見ながら、自分の目にある梁を認めない」ことになる。キリストの教えを語る資格はない。それはもはやキリストの敵というべきだろう。


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