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新田均先生、「伝統」だけで女系派を納得させられますか──有識者ヒアリングのレジュメを読む 2 [有識者会議]

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新田均先生、「伝統」だけで女系派を納得させられますか──有識者ヒアリングのレジュメを読む 2
(令和3年4月18日、日曜日)
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前回の続きです。

▽4 新田均氏──祭祀研究をもっと深めてほしい

4番手は新田均・皇學館大学教授(神道学)である。9ページにおよぶレジュメを読んで、やっとまともな識者が現れたかとホッとした。同時に、限られた時間で豊富な内容が十分説明できたのか、会議のメンバーに伝わったのか心配した。〈https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai2/siryou5.pdf

新田氏の指摘は主に、以下の7点にまとめられるものと思う。疑問点もあるので、合わせて紹介したい。


1、議論の本質は、天皇の役割とは何か、皇位継承とは何を継承するのかの2点にある。天皇は皇祖の祭り主であり、日本国家の祭り主である。

歴史的に見て、天皇が「祭り主」であることは、仰せの通りだと思う。ただ、「皇祖の祭り主」と限定される意味が分からない。古代律令には「およそ天皇、即位したまはむときはすべて天神地祇祭れ」とあり、神嘉殿の新嘗祭、大嘗祭の大嘗宮の儀では、皇祖神ほか天神地祇が祀られるのは、神道学者の新田氏ならよくご存知のはずだ。祭祀の対象は皇祖天照大神だけではない。

もし「祭り主」の地位を継承することが皇位継承の本質だとすれば、「皇祖の祭り主」ではなくて、「皇祖神ほか天神地祇の祭り主」であることを起点にして議論を組み立て直すべきではなかろうか。「伊勢の五十鈴の川上に坐す天照大神、また天神地祇、諸の神」(順徳天皇大嘗祭の御告文)に公正かつ無私なる祈りを捧げることが男系主義の核心のはずである。

新田氏は後醍醐天皇を引き合いにしている。『太平記』巻第四にはたしかに、出家を拒否され、香染ではなく、袞竜の御衣を召したまま、毎朝、石灰壇で太神宮を拝礼されたと記されている。だが、『建武年中行事』は神今食、新嘗祭とも、天照大神を拝礼なさるとは書いていない。歴代天皇はけっして伊勢の神宮のみを拝しているわけではない。

「祭り主」天皇がなさる「祭り」の本質が問われているのである。ご専門の神道学の学問的深まりが求められているのではあるまいか。


2、皇位が男系(父系)継承される理由と意義は、女性蔑視・排除ではなく、皇統に属さない男性の排除にある。祭り主の地位は男系(父系)で継承されるというのが古代の観念であった。

新田氏は、皇位継承資格を男系の男子に限ることが女性蔑視だと見る主張は誤解であって、本当の意味は、逆に、皇統に属さない男性を排除することだと、女系容認派に対して反論を加えている。女性の場合は結婚によって皇族になり、天皇の母になれる。皇室から排除されているのは男性の方だと述べている。正しい指摘だと思う。

新田氏はまた、この「男性排除」の理由を知ることこそ、皇統の本質と、その守る意味を理解する最大のポイントだとし、理由は、祖先を祀る祭り主の地位は男系(父系)で継承される、男系でしか継承できない、というのが「古代の観念」だったからだと説明している。

その根拠として、新田氏は大田田根子の物語を引くのだが、すでに指摘したように、皇祖神を祀るのが天皇ではない。天皇の祭祀は祖先崇拝ではないのである。また、正確を期するなら、皇統史において、女系継承はともかく、女性天皇が否定されているのではない。夫があり、妊娠中・子育て中の女性天皇が否定されているのである。それはなぜなのか、学問的に探求してほしい。

もうひとつ、「古代の観念」はそれとして、それをもって現下の皇位継承を論じることは有効だろうか。


3、天皇は古代以来の日本国の継続性を保証している。

しかし、その点、新田氏はすでに答えを用意しているということかもしれない。というのは、新田氏によれば、天皇という存在が生まれて以来、一貫して男系で繋がれてきたという事実こそ、皇位が、古代以来日本の継続性を保証し、日本国の時間的統合を象徴できる根拠となっているからだ。つまり、古代性というより、古代から現代までの継続性が永遠性を意味することになる。

新田氏は、イギリスの保守思想家G・K・チェスタトンの言葉を借りて、伝統の意味を探ろうとする。

「伝統とは選挙権の時間的拡大と定義してよろしい。われらが祖先に投票権を与えることを意味する。死者の民主主義なのだ。単にたまたま今生きて動いているというだけで、今の人間が投票権を独占するなどということは、生者の傲慢な寡頭政治以外の何物でもない」(『正統とは何か』)。

まったくその通りである。だが、「伝統」というものへの感性を失っているのが現代人である。男系派も女系派も同様なのだ。その現代人に、とくに憲法の国民主権主義に凝り固まり、自由勝手に皇統を変更できると考える傲岸不遜ないまどきのインテリ、エリートたちにチェスタトンが通じるだろうか。

彼らを納得させるには伝統論はともかく、むしろ現代人が共鳴し得る、男系主義の新しい意義を積極的に見出すことが求められているのではないか。それは天皇の祭祀の本質にこそ見出せるのではないか。


4、男系(父系)継承が理解されにくいのは、祭祀の継承は「氏の論理」にあり、財産と職業を継承する「家の論理」と異なるからである。明治になり、「氏の論理」が失われ、「家の観念」に統一されたことが、女性宮「家」への支持の原因となっている。

新田氏は、藤森薫「皇位継承は『氏の論理』で行われてきた」(『日本を語る』所収)を引用し、皇位の継承は「氏の論理」に基づいてきたと説明している。皇室が「氏の論理」に立っているのに対して、一般国民は「家の論理」に立っているという。

「氏の論理」と「家の論理」は併存が可能で、明治維新までは併存していたが、氏と家の併存は近代になって終止符が打たれた。近代化・欧米化の一環だった。近世までの人々であれば、皇位の男系継承の意義は、難なく理解されたはずだが、「家の論理」への一元化という近代に「創られた伝統」の中で生きている現代人には即座に理解することが難しいと新田氏は述べている。

としたときに、女系派が大半を占める現代人を納得させ、男系派に転向させるためにはどうしたらいいのだろうか。女系派の無理解の原因を説明しただけでは、女系派を男系派に変えられないだろう。


5、天皇の地位は「世襲」であり、特権だが、それとは引き換えに、基本的人権の著しい制約があり、男女同権だけ優先し、変更する理由はない。

新田氏は、男女同権論に基づく、皇位の世襲制批判に反論している。ある公職をある血統に属するものだけが独占する世襲制は平等原則とは相入れないが、「男女」平等だけを取り出して批判するのは論理的でないと述べて、女系派の立場にある、『「萬世一系」の研究』の著者、憲法学者の奥平康弘氏を敢えて紹介している。

新田氏によると、奥平氏は「天皇制は民主主義とは両立しない」「民主主義は共和制と結びつくしかない」という立場で、その「天皇制」の正統性の根拠は「萬世一系」にあると述べている。「萬世一系」とは「男系・男子による血統の引き継ぎ」であり、ここから外れた制度を容認する施策は「いかなる『伝統的』根拠も持ちえない」と断言している(「『天皇の世継ぎ』問題がはらむもの─『萬世一系』と『女帝』を巡って」=『世界』2004年8月号)。

『「萬世一系」の研究』では、次のように論じられている。

「そもそも世襲制というものは、それ自体差別的・非合理的な制度である」

「ポピュリスティックなフェミニストのあいだには<女性だというだけで天皇になれないなんて差別的であり、違憲であって許せない>という言い方が流行している。しかし、この言説は、私からみれば、少なくともふたつの誤りをおかしている。
 第一、女だけではなくしてどんな男だって─「後胤」につながっていないかぎりは─女一般とおなじように天皇になれないのである。問題の根源は、女か男か、ではなくて、特権的差別集団を認めるか認めないかにある。(中略)
 第二、平等原則は、そこで問われている差別の対象としての権利義務、利益不利益がたまたま特定の人間あるいは集団にのみかかわっているようにみえても、そのことは本質上コミュニティを構成するすべての人々に潜在的に影響するばあい、あるいはコミュニティの存立にかかわってきた市民─「平等な配慮と尊厳」(D・ドゥーキン)に価する者たち─が共有する人間的な尊厳性が傷つけられたばあい、こうしたばあいにその適用が問われるのである。
 ところが、ここで議論されている差別は、皇位継承権という特権的な権能・地位の取得というきわだって特別な文脈において生じているのであって、これをめぐる法的帰趨は、この文脈から遠く隔たっている庶民一般の権利義務・利益不利益の関係にはなんの影響も効果も及ぼさない」

などと引用したあと、新田氏は、そもそも「世襲」という大きな例外、特別の地位を認めておきながら、それに伴う基本的人権の著しい制約(職業選択、居住、婚姻など)の中から男女同権だけを優先すべき理由はないと奥平氏の所論を要約している。

釈迦に説法だが、憲法の「世襲」はもともとdynasticの意味だった。「王朝の支配」が本義だった。だが、いまの女系派は単に血が繋がっていること程度にしか考えてはいない。新田氏が指摘するように、何が継承されるかが見えていないからである。


6、男系(父系)が否定されれば、皇祖を祀る資格が喪失され、信教の自由が承認される。一般国民との同一化が図られることになり、天皇は特別な存在としての意義の喪失し、天皇制度の廃止に向かう。

新田氏は、平等原則とは両立しない血統主義・世襲制の中に、無理やり「男女」平等だけを持ち込もうとすると、その結末はどうなるのかと問いかけている。

まず、男系継承が否定され、天皇は皇祖を祀る資格を失う。女性天皇が、皇統に属さない男性と結婚すると、その間に生まれた子は、その男性の先祖を祀る資格しか持てない。そうなると、次の代の天皇は皇祖を祀れない。よって、信教は自由でよいことになる。

次は、その他の人権も認めるべきだとの議論が起こり、行き着く先は、天皇・皇族と一般国民との違いが喪失される。そうなれば、どうして莫大な費用をかけて皇室を維持する必要があるのかという議論が巻き起こる。結局、「世襲」の否定、天皇制度の廃止へと繋がっていくと論理を展開させている。

新田氏は、ふたたび奥平氏の女帝論を紹介して、その本質は天皇制廃止にあるときびしく批判している。

「不合理な制度を作ったのは、憲法(とりわけ第一 条、第二条)なのであって、憲法自体を改めなければならないのである。個別の取り極めを違憲だと決めつけても片付くものではない。きつい言葉で言えば、それはお門違いである。」

本心では天皇制度の廃止を願っている人々が、女性天皇や女系天皇を支持するのは、実は男女平等を願ってのことではなく、天皇制度の根幹を断ち切るためだと新田氏は見抜いている。その通りだろう。

そのうえで新田氏は、日本国憲法第一条が、天皇の「地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」と規定しているのは、いま生きている国民の投票によって確認されたものではなく、受け継がれて来た伝統から推察される先祖たちの意思と、それに対する憲法制定当時の国民の暗黙の同意とが合体したものだったと考えられると指摘する。

選挙によって確認する空間的民主主義だけでは第一条は説明できない。先祖の意思を重んじる時間的民主主義が前提とされているのであって、それが天皇制度の前提をなす「伝統」なのだと奥平氏に反論し、チェスタトンを引用して、締めくくっている。

「単にたまたま今生きて動いているというだけで、今の人間が投票権を独占するなどということは、生者の傲慢な寡頭政治以外の何物でもない。伝統はこれに屈することを許さない」

新田氏の所論はいちいちもっともで、伝統派の賛同が多く得られるだろう。だが、繰り返しになるが、「伝統」を分析することが、女系派の翻意を促すことになるだろうか。政府・宮内庁が女系継承容認=「女性宮家」創設に舵を切ったのは、皇室の伝統には目もくれず、憲法を最高法規とし、国民主権主義の立場に立つからだ。形勢逆転には「伝統」というものの現代的価値が見出される必要があるのではないか。そのためには祭祀研究をもっと深めるべきだと思う。


7、皇位継承の選択肢を広げる意味で、養子縁組と旧宮家の復籍の両方とも認めるべきだ。皇位継承順位については、臣籍降下時点での順位に基づいて決めるべきだ。

最後に、それなら皇位の安定的継承のためにどうすればいいのか、である。

「皇族数の減少」を「危機的」ときびしく認識する新田氏は、現行の皇室典範では認められていない皇族の養子縁組を可能とし、皇統に属する旧宮家の男系男子の復籍を認める一方で、混乱を避けるために、旧宮家の男系男子以外の皇籍復帰については、今は考えるべきではないとクギを刺している。

異存はないが、ほかに男系が絶えないための方法はないものだろうか。男系を維持するための知恵はもっともっとあるのではないかと私は思う。

蛇足だが、本来、皇位継承のことは皇室の不文の法に委ねられるべきであって、国民一般が介入すべきではないはずだ。皇室典範は国会の議決で簡単に変更できるようなものであってはならない。新田氏にはそこを訴え、安易な干渉を避けるよう注意を促してほしかった。時間的な制限があることは重々承知したうえで。(つづく)


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