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所功先生vs高森明勅先生「場外バトル」を解きほぐす補助線──4月21日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 番外編 [有識者会議]

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所功先生vs高森明勅先生「場外バトル」を解きほぐす補助線──4月21日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 番外編
(令和3年5月29日、土曜日)
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▽1 意味不明な所氏の「追加所見」

所功氏が4月21日のヒアリングのあと、補足説明の資料を提出されました。〈https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai4/sankou1.pdf

少し振り返ると、所氏はヒアリングでは、婚姻により皇族の身分を離れた元女性皇族が皇室の活動を支援することを是認し、その場合、称号は元皇族とか「元内親王」「元女王」とし、その位置付けは、内廷の職員とすることがふさわしいと述べていました。

これに対して私は、「どのような活動を想定してのことなのか不明」「天皇・皇族の公的な活動を、内廷の私的使用人の立場で分担するというのは無理がある」「公的立場の皇族と私的使用人の元皇族が皇室の活動を支え合うというのも、混乱は必至」と指摘しました。

その後、提出された「追加所見」では、黒田清子元内親王が神宮祭主をお務めであるという具体的な事例が示され、女性だから祭祀が務まらない、務めてはならないということはないと説明されています。さらに、歴史的にもたとえば後桜町天皇は宮中祭祀を厳修されたと解説されています。

しかし、どうもよく分かりません。政府の設問と「追加所見」がまるで噛み合っていないからです。

所氏は「問7・問8に関連して簡単に付言する」と断っています。つまり、「問7 内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持することについて」「問8 婚姻により皇族の身分を離れた元女性皇族が皇室の活動を支援することについて」に関連した補足意見ということですが、とすると仰りたいのは、皇籍離脱された元内親王・女王に宮中祭祀をお務めいただくという提言なのでしょうか。

しかしそれだと、天皇の、天皇による宮中祭祀という大原則が完全に崩れてしまいます。天皇の祭祀に誰よりも詳しいはずの所氏がそんな世迷言を仰せのはずはありません。

それとも単に、女性天皇否認論への反論ということなのでしょうか、だとすると「問7・問8に関連して」という断り書きが意味をなさなくなります。しかも内容的に不十分です。歴史上、否定されているのは、女性天皇の存在ではありません。夫があり、妊娠中もしくは子育て中の女性天皇が歴史に存在しないのです。そんなことは、所先生なら常識のはずです。

「追加所見」の目的はいったい何でしょうか。さっぱり分かりません。


▽2 高森明勅氏「一代女帝論は先延ばしに過ぎない」

所氏は「女性宮家」創設論のパイオニアであり、名にし負う女性天皇・女系継承容認派でした。

平成17年の皇室典範有識者会議が「皇位の安定的な継承を維持するためには、女性天皇・女系天皇への途を開くことが不可欠」(「結び」)との報告書をまとめると、所氏は待ってましたとばかりに「女性天皇、女系継承、女性宮家の創立なども可能とした報告書の大筋には賛成したい」と新聞コメントで応じています。

しかし今回のヒアリングでは女系継承容認論は鳴りを潜め、一代限りの女性天皇論に後退しています。この君子豹変については、変説の理由を示すべきだとすでに書きました。というより、何かウラがあるだろうというのが、生来疑い深い私の偽らざる感想です。

そんな折も折、かつては積極的女帝容認論の盟友だった高森明勅・日本文化総合研究所代表が公式ブログで、所氏の「一代女帝論」を批判しています。〈https://www.a-takamori.com/post/210521

高森氏は、会議のメンバーと所氏との質疑応答に注目しています。メンバーが「女系まで認めることが安定した皇位継承につながるのではないかという意見もある」と指摘したのに対して、所氏は、「必ず男子が得られることを前提にして、男子だけで継ぐという規定を続ける限り、万一の事態に対処し難くなる」としか答えませんでした。

これに対して高森氏は、「会議メンバーは、さらに『その先』を問うている」のであり、「男系女子」の即位は「継承の行き詰まりをわずか『1代だけ』先延ばしするに過ぎない」ときびしく批判しています。

高森氏によれば、所氏は「一代女帝論」が抜本的な安定化につながらないことを理解しているはずなのに質問に答えていない、答えられなかった、はぐらかしの回答をせざるを得なかったと推理しています。さすがの着眼と分析です。

しかし、私の疑いは、所氏の変説そのものにあります。所氏は本気で「一代女帝論」を主張しているのかどうかです。老練な先生の所論にはさらなるカラクリがあるのではないでしょうか。


▽3 「一代女帝」はそのとき女系容認に変質する

所氏の見かけ上の変説は、すでに書いたように、皇室問題を検討する神社新報の「時の流れ研究会」に参加したのがきっかけと思われます。男系派と女系派が呉越同舟する研究会は昨春、女性天皇や「女性宮家」創設を拒否する「見解」を発表しましたが、その直後、所氏は新聞インタビューで、(1)男系男子限定から男系男子優先に変える、(2)女子による相続の容認、(3)養子の容認を提示し、「見解」にすり寄っています。〈https://www.tokyo-np.co.jp/article/16673

しかし何十年ものあいだ皇室研究に取り組み、優れた業績を残す一方、いち早く女系継承容認、「女性宮家」創設を訴えてきた達人が、いまさら否定論に本気で変説するものでしょうか。

ナゾを解きほぐすために、1本の補助線を引いてみることにします。終身在位制という補助線です。そうすると、いままで見えなかったもうひとつの絵が浮かび上がってきませんか。

126代続く天皇史を振り返ると、8人10代の女性天皇がおられます。登極ののち皇太子を立て、時を待って譲位することが前提とされています。「摂位」に近いといわれるゆえんです。「摂位」たる女性天皇の即位は、譲位制度が前提となります。

けれども、近現代では「摂位」の女帝はあり得ません。明治以降、女性天皇が制度として否定されたからだけではありません。終身在位制が採用されたからです。終身在位制のもと、譲位が否認され、もし女帝を立てざるを得なくなったとき何が起きるか、少し考えれば分かることです。

戦後も終身在位制は続いています。だからこそ、先帝の譲位には特例法が必要でした。終身在位を前提として、所氏がいう「一代女帝」が即位するのは、男系男子がすでに不在となった、万策尽きた状況にほかなりません。高森氏が指摘する「その先」はどうなるのか、自明でしょう。

所氏はそのことを誰よりも熟知しているはずです。であればこそ、会議のメンバーの質問に答えられず、はぐらかすしかないのでしょう。そしていずれ「その先」が現実になったとき、所氏はふたたび君子豹変し、公然と女系継承容認を高らかに歌い上げるつもりなのではありませんか。女帝即位の瞬間、「一代女帝論」は女系継承容認論へと鮮やかなる変質を遂げるのです。そして、男系で紡がれてきた126代の皇統史は終焉し、「万世一系」は崩壊するのです。

所氏は変節漢ではなく、転向者でもありません。「一代女帝論」は世を忍ぶ仮の姿であり、所氏は高森氏の永遠なる同志なのだろうと私は確信的に想像しています。


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本郷恵子先生、これがいまの東大歴史学のレベルなのですか?──4月21日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 4 [有識者会議]

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本郷恵子先生、これがいまの東大歴史学のレベルなのですか?──4月21日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 4
(令和3年5月22日、土曜日)
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前回の続きです。


▽4 本郷恵子氏──日本人の知性の衰えを痛感する

4番手は本郷恵子・東京大学史料編纂所所長(日本中世史)でした。日本の最高学府の頂点に立つ東大の日本史研究の総本山のトップ、いわば真打中の真打の登場ですが、残念ながら落胆以外の感想を持ち得ませんでした。

本郷氏も政府の設問に沿ったかたちで、4ページのレジュメを用意していますので、これに従ってご主張の中身をきびしく検証します。〈https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai3/siryou5.pdf


◇天皇は単なる政治権力者ではない

まず問1の「天皇の役割や活動について」です。本郷氏はさすが歴史家らしく日本の歴史全体を俯瞰したうえで、「天皇の権力を理解するのはとても難しい」と率直に、謙虚に認めています。女系継承容認派の知識人の多くが戦後憲法を起点として性急に論じているのとは、決定的に異なります。

レジュメでは、次のように、前近代と近代以降の天皇統治の違いが説明され、一方で天皇の文化的力について説明されています。天皇は単なる政治権力者ではないという見方です。きわめて重要な指摘です。

「天皇は摂関時代以降、必ずしも政権の主役として活動してはいなかったが、一方で前近代を通じて維持された官位制度や儀礼・行事の体系を、営々と継承していくにあたっての根拠・淵源として機能した。
前者は近代以降も、一部の省庁名や叙位叙勲制度に受け継がれた。後者については、平成から令和へのお代替わりの際に、さまざまな先例が参照されたことからも明らかなように、いわば時空を超えた有効性を持つ」

その一方で、本郷氏は、「天皇の伝統」が一定不変ではなく、不断の検討を経てきた。その文化的一貫性を体現してきたのが天皇なのだと指摘しています。

「天皇をめぐる伝統は(伝統といわれるものの多くがそうであるように)必ずしも不変のものとして踏襲されているわけではないが、天皇の営為に関連して、言及され検討されることを通じて、くりかえし想起され、実践的な価値を持ち続けている。天皇は、このような文化的一貫性を体現していると考えられる」


◇歴史学の課題「なぜ天皇は存続し得たのか」

さらに「ただ一方で」と本郷氏はたたみかけ、「天皇の政権」が歴史的を危機を経ながらも存続し得てきた歴史学上の難題に言及したうえで、現下の皇位継承問題との関連性について説明しています。さすがだと思います。

「一方で、鎌倉幕府の成立以来、天皇および天皇を戴く公家政権は、権力という点では完全に武家政権に凌駕され、危機的な状況に陥ったことも少なくなかった。
天皇および天皇制が、なぜ存続し得たのかについて、歴史学の立場では明確な答えを出せていない。すなわち天皇・天皇制は、その存在意義を検証されないまま続いてきたといえる。皇位の安定的な継承が問題となる今回の事態をめぐって国民的な議論を展開することは、この問題を今日的な課題として考えることにもつながるであろう」

つまり、すでに述べてきたように、古来、天皇統治は「ことよさし」であり、「しらす」でした。「およそ禁中の作法は神事を先にす」とされ、「国中平らかに民安かれ」と祈るのが天皇第一のお役目でした。この皇室の天皇観とは別に、天皇・皇族を歌聖、能筆家と仰ぎ、内裏雛を飾り、職業的祖神と崇める民の側の信仰があり、これが本郷氏のいう文化のみならず、日本の産業を歴史的に支えてきたのです。

近代になって、「絶対主義的天皇制」などというイデオロギー的理解が広まったのでしょうが、皇位継承問題という文明的難問を目前にして、日本の歴史学がいまなお「天皇および天皇制が、なぜ存続し得たのかについて、歴史学の立場では明確な答えを出せていない」とは何たる怠慢でしょうか。

「戦後唯一の神道思想家」といわれる葦津珍彦は、もう60年も前に、日本人の国体意識、天皇意識の多面性、複雑性を次のように指摘しています。

「私の考えによれば、日本の国体というものは、すこぶる多面的であり、これを抽象的な理論で表現することは、至難だと思われる」
「(国民の国体)意識を道徳的とか宗教的とか政治的とかいって割り切れるものではない。そこには、多分さまざまの多彩なものが潜在する。とにかく絶大なる国民大衆の関心を引き付ける心理的な力である。これが国および国民統合の象徴としての天皇制を支えている」
「この根強い国体意識は、いかにして形成されたか。それは、ただ単に、日本の政治力が生んだものでもなく、宗教道徳が生んだものでもなく、文学芸術が生んだものでもない。それらすべての中に複雑な根を持っている」(「国民統合の象徴」=「思想の科学」昭和37年4月号)

以前、書いたことですが、一元的に、演繹的に発想する近代主義的な歴史学の手法に限界があるのではありませんか。たとえば雛祭りの風習は江戸期に始まったようですが、天皇が絶対権力者なら、どうして雅な習俗が生まれるでしょうか。


◇歴史ある史料編纂所長の素人論議

まことに失礼ながら、率直にいって、本郷氏の意見で拝聴すべきものは、以上の問1の回答以外にありません。ほかならぬ本郷氏ご自身が仰せのように、126代にわたって続いてきた天皇の何たるかが明確に分からないというのなら、天皇の将来について意見を述べること自体遠慮されるべきです。それが歴史学者としての良心のはずです。ご意見拝聴の価値はありません。

当然のごとく、本郷氏の問2以下の回答は混乱しています。以下、簡単に批判します。


問2 皇族の役割や活動について

「天皇位の血統継承を保障する親族集団であると同時に、天皇を支え、その公務の一部を分担する役割を担う」

本郷氏は「皇族」の範囲を具体的にどうお考えなのでしょう。前近代と近代では変わっているはずです。「皇族」概念の混乱をどのようにお考えでしょうか。そもそも天皇と皇族を同列に論ずるべきではないのではありませんか。

また本郷氏のいう「公務」とは具体的に何を指すのでしょうか。平成の時代には、本来、「みなし皇族」の立場であるはずの皇后お一人による外国大使の「ご引見」さえ行われています。憲法違反の疑いさえあるということですが、そのような「分担」があるべきだとお思いですか。


問3 皇族数の減少について

「血統継承を維持するためには、一定規模の親族集団が必要である」
「現行の原則を続ければ、皇族数は減少の一途をたどり、次々世代の継承には危惧をおぼえざるをえない」
「なんらかの方策を講じることが必要である」
「女性皇族の御結婚ということを考えると、そんなに時間的余裕もないかなと思うので、速やかに議論を尽くすということがとても大事だろう」

本郷氏自身、「皇族」概念が混乱していないでしょうか。皇統が男系で継承されてきたのが歴史の事実なら、歴史家は男子皇族の確保を一義的に主張すべきかと思います。


問4 男系男子のみが皇位継承資格を有し、女性皇族は婚姻で皇籍離脱する現行制度について

「皇族の規模としてはあまり増やしても困るというようなことがあるので、非常に明確に性別で分けて、男子は残るし、女子は離れるというふうに明確に分かれているのは、それによって皇室の規模が一定に抑えられるという、この効果はとても大きいと思う」
「ただし、今日の家族観や性別につい ての考え方からすれば、男女の別のみにもとづいて、このように身の振り方を分けるやり方には疑問を感じざるをえない」

本郷氏は皇統が男系継承で継承されてきた歴史を認めています。歴史家として当然です。ところが、天皇の何たるかが見えない本郷氏は、それゆえに女系継承を簡単に容認しています。皇族女子の婚姻による皇籍離脱は、皇室の規模の抑制ではなく、「王朝の交替」を否認する目的からでしょう。


問5 内親王・女王に皇位継承資格を認めることについて

「家の継承において男子が優先されるという通念は、皇室に限らず、社会全体で共有されてきた」
「近年の家族をめぐる状況や、女子の社会進出等を考えれば、皇位継承資格を男子のみに限ることには、違和感を禁じえない。内親王・女王にも皇位継承資格を認めるのは自然な流れと思われる」
「その場合の継承順位は、直系・長子を優先とすればよいのではないか」
「少数であれ、天皇位に就いた女性がいた。必ずしも女子を排除する存在ではないと考えられる。また、中世には内親王が、皇室領の継承者・天皇家の構成員の庇護者としてあらわれるなど、確固たる役割を担った事例がみられる。このような歴史的事実を踏まえれば、内親王・女王への皇位継承資格の拡大という措置は、驚くべき展開ではなく、一定の根拠をもつものと理解することができる」

繰り返し申し上げますが、本郷氏は天皇の何たるかを論じません。そのうえで、一般社会の情勢変化を根拠に、男子優先の皇位継承原則の変更を簡単に主張することは軽率以外の何者でもないでしょう。

本郷氏は「少数であれ、天皇位に就いた女性がいたという事実」を指摘しますが、夫があり、妊娠中もしくは子育て中の女性天皇は歴史に存在しないという事実を、歴史家としてどう考えるのでしょう。

天皇の何たるか、天皇がなぜ続いてきたのか、明確に分からないなら、安易に継承原則を一変させるのではなく、男系継承の原則維持を謙虚に訴えるのが歴史家の姿勢ではないのですか。


問6 皇位継承資格を女系に拡大することについて

「女性皇族に皇位継承資格を認めるのであれば、男性皇族と同じ条件で処遇するのが論理的な筋道にかなったやり方である。皇位継承資格の女系への拡大は当然であろう」
「女系による皇位継承は先例のないことではあるが、長きにわたる天皇の歴史を十分に理解したうえで、新しい段階に歩を進める決断をすることは、伝統を更新し、その価値を再認識する意義を持つであろう」

本郷氏の意見は歴史家のそれではなく、一般の常識人のものとなっています。政府が主催する有識師ヒアリングで拝聴すべきレベルとは思えません。これが江戸時代以来の歴史ある東大史料編纂所長のご意見とは、私は正直なところ、耳を疑わざるを得ません。


問7 内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持することについて

「内親王・女王に皇位継承資格を認めるのであれば、婚姻後も皇族の身分を保持し、配偶者・生まれてくる子も皇族とするのが適当である。すなわち男性皇族と同様の条件での処遇である」

もはや聞くに値しません。理由はすでに書いたところです。


問8 婚姻により皇族の身分を離れた元女性皇族が皇室の活動を支援することについて

「婚姻により皇族の身分を離れた元女性皇族に、特別職の国家公務員として、皇室の活動を担ってもらうという案があるとの報道がされている。だが皇族とは職業ではなく運命であり、運命に従う生き方である。上記のような方策は皇族および皇室の活動にはなじまない。皇族としての活動が必要なら、皇族の地位にとどまっていただくのが適当だろう」

これは傾聴に値します。皇室の私的活動ならいざ知らず、公的活動を、皇籍離脱によって一般国民となった元皇族に担っていただくのは、法の下の平等に反すると思われます。先述したように、皇族の概念が揺らいでいるということです。


問9 皇統に属する男系の男子を皇族とすることについて

「旧宮家が皇籍を離脱して以来、すでに70年以上が経過しており、国民にとっては全く遠い存在となっている。皇統に属する男子というだけでは、皇位継承資格者として現在の女性皇族を上回る説得力を持つとは考えられないのではないだろうか」
「皇統に属する男系の男子のなかから、なんらかの選択を行うことになるだろうし、当事者の側の希望や事情なども勘案する必要があるだろう。これまで述べてきたことにも通じるが、厳密な血統継承には人智を超えた部分があり、(婚姻によって皇族となる場合は除き)選択や希望の結果として皇族になるというのは、そぐわないのではないだろうか」

皇位継承は血統原則に依拠します。本郷氏はその基本を認めつつ、「国民」感情を持ち出し、旧皇族の復籍を拒否します。矛盾です。


問10 安定的な皇位継承を確保するための方策や、皇族数の減少に係る対応方策としての提案

「男系男子優先の方針をあらため、男女を区別せず、直系・長子優先で継承順位を与え、また、女性皇族も婚姻後も、皇室に残るとする。女性皇族やその家族については、男性皇族と同じ条件で遇する。同時に、皇籍を離れるという選択肢についても男女問わず、柔軟に検討できるようにして、皇室の規模を一定に保つことが必要である」
「皇位継承において最優先とすべきは、わかりやすいことだと考える。男系男子にこだわって、傍系への継承が繰り返されるなどして、継承の流れが複雑化するのは避けなければいけない。わかりにくい継承は国民の疑問を惹起し、関係する皇室メンバーの資質や適格性などが取り沙汰される事態につながり、天皇という存在への信頼が失われかねない。次世代・次々世代への見通しを明快なものとし、粛々たる継承が行われるような状況を確保することが望まれる」
「天皇制は、明確な検証を経ないまま続いてきた。この機会に女性・女系への継承資格の拡大が実現すれば、国民たる私たちは、天皇制の存続について非常に重要な決定を行ったという、大きな自信を持つことができるのではないだろうか」

何度も申し上げますが、明確な歴史学の検証のないままに、皇統の根本的変革をもたらす歴史学者の提言は論理矛盾にほかなりません。本郷氏のヒアリングを読んで痛感するのは、日本人の知性の衰えです。有識者なるお人が素人論を得々と語るような時代に、文明の根幹に関わる皇位継承問題を国民的に議論することはきわめて危険です。いますぐに止めるべきでしょう。皇室のことは本来、皇室にお任せすべきではないのですか。


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【関連記事】案の定、男系継承の核心が見えない!?──有識者ヒアリングのレジュメを読む 1〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-04-14
【関連記事】「伝統」を見失った現代日本人に皇室の「伝統」が回復できるのか〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-04-12
【関連記事】だから「隔たり」が生じる。有識者会議が期待する「天皇の役割」と本来のお役割が違う〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-04-10
【関連記事】皇位継承有識者会議の最重要テーマは「天皇とは何か」だが…〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-04-04
【関連記事】政府が「皇位継承」有識者会議開催へ。正念場を迎えた男系派の覚悟は?〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-03-21
【関連記事】女系派が大多数を占める今日、男系維持派は何をすべきなのか?〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-03-14
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【関連記事】皇室典範特例法を批判する by佐藤雉鳴──取り戻さなければならない皇室の歴史と伝統〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2018-06-24
【関連記事】園部内閣参与の質問を読む──皇室制度ヒアリング議事録から その1〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-08-19-1
【関連記事】基本を忘れた女系継承容認論──小嶋和司教授の女帝論を読む〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-31
【関連記事】血統主義と徳治主義の調和──西尾論文批判の続き〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2008-09-16
【関連記事】女系は「万世一系」を侵す──「神道思想家」葦津珍彦の女帝論(「論座」1998年12月号特集「女性天皇への道」から)〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1998-12-01

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古川隆久先生、男系維持のネックは国家神道史観ですか?──4月21日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 3 [有識者会議]


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古川隆久先生、男系維持のネックは国家神道史観ですか?──4月21日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 3
(令和3年5月18日、火曜日)
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前回の続きです。


▽3 古川隆久氏──皇室の伝統は憲法を超えられないのか

3番手は古川隆久・日本大学文理学部教授(日本近現代史)でした。古川氏は設問項目に沿った4ページのレジュメを用意しましたが、半分以上は注釈と資料で占められています。いかにも学究的なご性格がにじみ出ています。

古川氏は積極的な女性天皇・女系継承容認論者で、後述するように、女性天皇・女系継承反対論者への反論が名指しで、具体的に展開され、さらに「神話的国体論」「国家神道史観」にまで言及していることが注目されます。話が俄然、熱を帯びてきました。

それではさっそく、議事録に即して、項目を追って紹介し、検証することにしましょう。


◇日本国憲法を根拠に126代の皇統を否定

まず、問1の「天皇の役割や活動」ですが、古川氏は近現代史の専門家らしく、「日本国憲法の理念と規定」を持ち出します。要するに、126代続く天皇の歴史の否定です。これが最大のポイントです。

「祭主としての役割を本質とみるという見解を述べている方もいらっしゃるが、私は、それは日本国憲法が定められた経緯をちゃんと見ていないとか、あるいは憲法に定められた信教の自由を侵害するおそれがある考え方ではないかと思っている」
「天皇が権威だという、国家の権威としての役割をという御意見も中にはあるが、私は、やっぱり国民主権なので権威は国民にあると。その国民にある権威を形として表しているのが天皇なので、天皇がイコール権威と考えると、憲法の定めと少しずれてしまうんじゃないかというふうに考えている」

レジュメには「祭主としての役割を本質とみるのは、日本国憲法が定められた経緯を無視し、憲法に定められた信教の自由を侵害する恐れがある」と記されています。4月9日に行われた櫻井よしこ、新田均両氏へのポレミックな批判であり、「(現行憲法は)決して占領軍による押し付けではなく、日本側の戦争への真摯な反省が反映されて制定された。そのことは前文によくあらわれている」と注釈が加えられています。

古川氏による皇位継承論の最大のポイントはまさにここにあります。現行憲法に基づく、国事行為・御公務をなさる「2.5代」象徴天皇が天皇であるならば、当然、女帝も女系継承も認められるでしょう。国会の召集や法律の公布に男女差があるはずはないからです。

しかし126代続く天皇の皇位継承ならば、結論は変わり得ます。ところが残念なことに、男系派の櫻井氏も新田氏も天皇が祭り主であることの意味を十分に説明していません。過去だけでなく、現代的な意味と価値を提示していません。問題はそこです。天皇の祭祀についての学問的深まりが欠けているのです。「稲の祭り」「皇祖の祭り主」という説明が現代人を納得させられるはずはないのに、その程度にとどまり、問題意識も感じていないのです。

ただ、古川氏のように、現行憲法はあくまで「2.5代」の歴史と伝統を規定し、126代の歴史と伝統を否定していると考えていいのかどうか。それは後述する「世襲」の意味に関わりますが、古川氏の解釈は誤っていると私は思います。


◇側室がいたから男系継承が維持できたのか

古川氏は、男系男子継承について、「前近代から大日本帝国憲法下まで継続できた要因の一つは側室制度である」とし、しかし、日本国憲法が「性別による差別」を禁じている以上、側室制度は認められず、したがって、このままではいずれは行き詰まる。「男系男子継承は現行憲法下においては、前近代的な色彩が強い、過渡的な制度であったと考えざるを得ない」と断じています。

きわめて常識的、一般論的批判ですが、正しくありません。側室が制度化されていた時代でも、皇位継承は「綱渡り」だったからです。

たとえば、明治天皇には5人の側室があり、15人の子女がお生まれになりましたが、うち10人は死産もしくは夭折されたと聞きます。成人された男子は大正天皇だけでした。しかし逆に、大正天皇には側室はないものの、5人の皇男子に恵まれました。昭和天皇も側室はありませんでしたが、2男5女(1人は夭折)をもうけられました。側室の有無だけで決めつけることは間違いです。

また、側室は公認されないとして、現行憲法下において、一般社会では婚外子の権利が広く認められてきているといる状況をどのように考えればいいのでしょうか。皇室にのみ厳格な倫理を要求することはできません。切羽詰まった状況ならなおさらです。ちなみに子女に恵まれなかった昭憲皇太后は大正天皇を養子として処遇されました。

古川氏は、女性天皇・女系継承を「セット」で容認することを訴えています。レジュメには「セットの場合のみ賛成できる」と明記されています。ただ、その場合、「ルールの適用は皇室典範改正後に生まれる皇族からとすべきで、改正法成立時点で未婚の女性皇族については、ご本人の自発的同意があった場合にのみ適用すべき」としているのは注目されます。「人生設計の強制的変更は人道上問題」だが、「ちょっとそれでは間に合わないという場合」もあり得るというわけです。

そういう議論より、なぜ男系の絶えない制度を考えようとしないのでしょう。


◇男系派による「世襲」の説明が不十分

古川氏は、平成17年の皇室典範有識者会議報告書に全面的な賛意を示し、翻って、女性天皇・女系継承反対論について、「成り立たない」ときっぱりと批判しています。理由は2点です。

ひとつは、「女系天皇を憲法違反だとする見解」についてです。

古川氏によれば、平成24年の皇室制度有識者ヒアリングで、「女性宮家」創設反対派の百地章・日大教授は、「憲法第2条は『男系主義』を意味し、皇室典範への委任はこれを前提としたもの」とコメントしている。八木秀次・高崎経済大学教授は「女系天皇は憲法第2条に違反する」と述べている。しかし、憲法制定時の担当大臣金森徳次郎は帝国議会で「現在においては」と答弁しているのであり、「男系維持は未来永劫絶対に維持されなければならないとは述べていない」と古川氏は批判するのでした。

また意見交換では、「皇室典範制定時の政府側の見解で、新しい憲法の理念上は、女系を否定する積極的な理由はない、国民に理解されればそれはあり得るのではないかということを言っている」とも述べています。

けれども、そうではないのです。憲法が規定する「世襲」はそもそもdynasticの和訳で、「王朝の支配」の意味なのでした。単に血がつながっているということではないのです。たとえばイギリスでは、女王が即位したあとは王朝が交替します。だからこそ明治人は女統を否認したのです。「万世一系」を侵すことになるからです。戦後の新憲法制定時に、占領軍が男系継承を否定したとは聞きません。古川氏の批判は「王朝の支配」に言及していません。むしろ男系派の説明が十分でないからでしょうか。

もうひとつは、民間男性の皇室入りについてです。

古川氏は、ふたたび百地教授を例示し、「『女性宮家』の最大の問題点は、国民に全くなじみのない『民間人成年男子』が、結婚を介して、突然、皇室に入り込んでくること」と説明しているが、「この見解は、戦後、皇室の男性と民間の女性の結婚が認められてきたこととの論理的整合性がないので成り立たない」と批判しています。

これも百地氏の説明不足によるオウンゴールでしょうか。最大のポイントは、女系継承容認と一体不可分である「女性宮家」創設が、126代の一系なる皇位継承を破り、正統性の崩壊を招くことでしょう。問われるのは、日本国憲法なるものを根拠にして、そうすることが認められるかどうかです。

古川氏は有識者会議のメンバーとの意見交換で、「世襲」概念ついて、「とりあえず血筋のつながった人で継いでいく」とあらためて説明しています。「今、ヨーロッパの王室はほとんどもう長子優先」とも述べていますが、126代の歴史の重みとはそんなものなのでしょうか。


◇神武天皇を認めることは憲法を形骸化させる

古川氏は、皇統に属する男系の男子を、養子縁組もしくは皇籍復帰によって皇族とすることについて、「どちらも好ましくない」と否定しています。問題はその理由です。

古川氏が挙げた理由で、興味深いのは、「神武天皇の実在を確認することは困難」というのがあります。男系派の八木秀次氏が「天皇の正統性は初代・神武天皇の男系の血筋を純粋に継承すること」と説明していることに対して、神武天皇って実在するのか、と批判しているわけです。

しかし古川氏自身、「大王(のちの天皇)の世襲が確定するのが欽明天皇以降である」と説明していることからすれば、「天皇」は間違いなく「男系」であり、そこに「正統性」があります。それで十分です。それとも古川氏は、代々継承されてきた天皇に「初代」は存在しないとお考えなのでしょうか。

2点目として、古川氏は「江戸時代までは女系天皇は法令上許容されていた」と指摘しています。レジュメの注釈によると、その根拠は例の「継嗣令」で、女系派の高森明勅氏が平成17年の皇室典範有識者会議で言及していると説明しています。

しかしこれも間違いです。前回、申し上げたように、「女帝子亦同」は「ひめみこも帝の子、また同じ」と読み、天皇の兄弟・皇子を親王とするように、皇女も同様に内親王とせよと解釈すべきです。「女帝」なる公用語は当時はありません。

古川氏の女帝論の根拠は一にも二にも憲法です。「現在の天皇が天皇である根拠は日本国憲法」とし、返す刀で戦前を否定します。「主権在民、戦争の惨禍への反省からの普遍性への立脚をふまえて、国民の総意としての象徴天皇という規定が根拠なのである」「天皇は憲法を越えた存在ではあり得ない」ということになります。

つまり、126代続く男系継承という皇室独自のルールと日本国憲法に基づく象徴天皇の継承論の抜き差しならぬ対立であり、皇位が憲法に基づく以上、新たな継承が求められると主張しているのです。

その際、古川氏が、教育勅語を例示していることはじつにシンボリックです。敗戦後、教育勅語ほか詔勅が「排除」されましたが、それは「根本理念が主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すもととなる」「神武天皇の実在を認め、神話的国体観を認めることは現行憲法の基本理念否定、形骸化させかねない」。だから「旧皇族の復帰は採用できない」というわけです。

一言だけ反論すると、教育勅語煥発の目的は本来、神話的国体観を称揚するためではありませんでした。急速な欧米化の弊害を憂えた明治天皇の叡慮に基づき、非政治性、非宗教性、非哲学性が追求されました。しかし煥発直後、政府は教育勅語を宗教的拝礼の対象とし、叡慮は反故にされたというのが事実です。釈迦に説法ですが、図式的に戦前=悪と決めつけては歴史研究は成り立ちません。


◇問われているのは日本の「負の歴史」

戦争中、アメリカは、軍国主義・超国家主義の源流が「国家神道」にあり、靖国神社を中心施設とし、教育勅語がその聖典だとして敵視したことは知られています。しかし、占領後期になると敵視政策は急速に後退しています。

古川氏の女帝容認論は、幻の国家神道論をもって、126代の皇統を改変させる結果を招かないでしょうか。より慎重な、精緻な歴史論が求められるのではありませんか。

意見交換で、古川氏は、「伝統だから憲法を超えていいのか」と反論しています。しかし、日本が未曾有の戦争と敗戦を経験したのは事実として、何を具体的に反省すべきなのか、精査されるべきでしょう。日本国憲法は少なくとも天皇統治を否定していないし、「王朝の支配」を認めています。日本国憲法が未来永劫、不磨の大典であるはずもありません。

最後に古川氏は、安定的な皇位継承を確保するための方策や皇族数の減少に係る対応方策として、「皇室活動の自由度を上げること」などを説明し、いわゆる「開かれた皇室」論を展開しています。けれども、もうこれ以上の紹介と批判は不要でしょう。

古川氏のヒアリングを通じて浮かび上がってくるのは、皇位継承問題で問われているのはじつは日本の過去の「負の歴史」であり、端的にいえば、いわゆる「国家神道史観」であり、「国体論」であるということです。男系派はこれに対して、どこまで本格的に反論できるのか、男系派の本気度があらためて問われます。

次回は本郷恵子・東京大学史料編纂所所長です。


【関連記事】所功先生、「女系容認」派からの華麗な転身はなぜ?──4月21日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 2〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-05-17
【関連記事】今谷明先生、なぜ男系の絶えない制度を考えないのですか?──4月21日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 1〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-05-16
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所功先生、「女系容認」派からの華麗な転身はなぜ?──4月21日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 2 [有識者会議]


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所功先生、「女系容認」派からの華麗な転身はなぜ?──4月21日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 2
(令和3年5月17日、月曜日)
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前回の続きです。


▽2 所功氏──「女性宮家」創設論のパイオニアだったのに

2番手は所功・京都産業大学名誉教授(モラロジー研究所教授、法制史)でした。所氏は政府の設問に対する回答のほかに、いくつかの資料を含め、計12ページにおよぶレジュメを用意しました。〈https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai3/siryou3.pdf

所氏は自身で「私は平成17年、24年、28年の有識者会議で意見を述べさせていただいた」と仰せのように、ヒアリングには欠かせないご常連で、いかにも手慣れた感じがします。設問に答えるまえに、以下のように5点の結論を示しています。

1、安定的な皇位継承のために、現行では「皇統に属する男系の男子」に資格を限定しているのを改め、男系男子を優先したうえで、男系女子にまで容認する
2、皇族女子の在り方については、現行では一般男性との婚姻により皇籍を離れるとされているのを改め、男子不在の内廷と宮家の相続も可能とし、公務の分担を続ける
3、婚姻後の元皇族女子については、現行では一般国民の立場でも元皇族として品位を保つとされているのを改め、天皇・皇族の公務を内廷の職員として補佐できるようにする
4、元宮家の男系男子については、現行では一般国民として生まれ育ち自由に生きているのを改め、もし適任者があれば男子のない宮家の養子とすることも検討する
5、改善策の実現方法については、有識者会議の検討報告に基づいて、皇室典範の原則を残しながら特例法で補正措置をとれるようにする

所氏といえば、泣く子も黙る「女性宮家」創設論のパイオニアだったはずですが、すっかり鳴りを潜めてしまいました。「男子不在の内廷と宮家の相続も可能とし」とトーンダウンしています。いったいどういうことでしょうか。


◇君子は豹変する

以前、書きましたように、平成16年夏、内閣官房と宮内庁が皇室典範改正の公式検討に向けて準備し始めたころ、所氏はある雑誌に「『皇室の危機』打開のために─女性宮家の創立と帝王学─女帝、是か非かを問う前にすべき工夫や方策がある」を寄稿し、逸早く「女性宮家」創設を訴えました。

「管見を申せば、私もかねてより女帝容認論を唱えてきた。けれども、それは万やむを得ざる事態に備えての一策である。それよりも先に考えるべきことは、過去千数百年以上の伝統を持つ皇位継承の原則を可能なかぎり維持する方策であろう。それには、まず『皇室典範』第12条を改めて、女性宮家の創立を可能にする必要がある」

翌年6月の皇室典範有識者会議のヒアリングでは、「女性宮家」創設を明確に提案しています。

「現在極端に少ない皇族の総数を増やすためには、女子皇族も結婚により女性宮家を創立できるように改め、その子女を皇族とする必要があろう」

同年11月の有識者会議報告書は女性天皇・女系継承容認に踏み出し、「女性宮家」という表現は消えたものの、「女子が皇位継承資格を有することとした場合には、婚姻後も、皇位継承資格者として、皇族の身分にとどまり、その配偶者や子孫も皇族となることとする必要がある」とその中味が盛り込まれます。すると待ってましたとばかりに、所氏は「女性天皇、女系継承、女性宮家の創立なども可能とした報告書の大筋には賛成したい」と新聞に感想を寄せ、政府にエールを送りました。

ところが、君子は豹変するのです。

所氏は、昨年春、東京新聞のインタビュー・シリーズ「代替わり考」に登場し、(1)皇位継承資格を男系男子限定から男系男子優先に変える、(2)内廷も宮家も男子がいなければ、女子の一人が当家を相続できるようにする、(3)相続者不在となる宮家に、旧宮家から養子を迎え、男子が生まれたら皇位継承資格を認める、の3案を私案として提示したのでした。〈https://www.tokyo-np.co.jp/article/16673


◇変説の理由が説明されない

「女性宮家」創設のパイオニアで、女性天皇、女系継承にも大賛成だった所氏の論調はすっかり後退しています。じつは所氏の変節は今回だけではありません。以前にも書いたように、「改元」でも同じことが起きています。

平成の御代替わりでは「(新年号の)施行は翌年元旦から」と主張し、古来の踰年改元の考えを踏襲していたのに、令和の改元では「践祚日に新元号公表、1か月後施行」に一変されたように報道されています。かと思えば、神社界の専門紙には「践祚前日の皇位継承の儀、践祚当日の改元」を提起するエッセイを寄稿しています。支離滅裂とは言わないまでも、変幻自在です。

むろん主張の中身が変わることは否定されるべきではありませんが、変説の理由はきちんと明示されるべきです。所氏には説明責任が決定的に欠けています。言論は自由とはいえ、文明の根幹に関わる皇位継承問題について右往左往するのは見苦しいだけでなく、あまりに無責任です。皇室史研究の第一人者のすることとは思えません。

少々長くなりましたので、以下、何点か疑問点を指摘して、この項を閉じることにします。


◇いくつかの疑問点

1、「天皇の役割や活動」について、所氏は、日本国憲法の規定を根拠に、「国事行為を行うとともに、国民統合にふさわしいことを公的行為としてお務めになるのみならず、国家・国民のために祈られる祭祀行為など、多様な活動を誠実に実践されている」と説明していますが、歴史家ならば、なぜ126代続く皇統史から説き起こそうとしないのでしょうか。具体的に何を、天皇のお務め・ご活動と考えるのでしょうか。

2、皇族数の減少について、所氏は、一般国民の場合は、女子であっても養子に入っても、家職や家産を相続することができるのに、皇族の場合はそれができないと嘆いていますが、皇統問題は「家職や家産」と同じレベルで論ずるべきことでしょうか。

3、所氏は、男系男子に限定する明治の皇室典範と帝国憲法ができるまでを振り返り、「いわゆる男尊女卑の傾向が強い当時の日本では、男性の上に「女主」を推戴し難いとか、また男子を確保するには側室も否定し難い、というような主張が通り、成文化されるに至った」と説明しているのですが、最大の理由である女帝即位後の王朝交替の可能性についての説明がありません。男系女子の継承が認められ、内廷・宮家を女子が相続したとして、そのあとはどうするのか、最大の核心部分を避けていませんか。

4、内親王や女王に皇位継承の資格を認めることに関連して、所氏は、「大宝元年成立の継嗣令には、男帝を前提とする規定の本注に「女帝の子亦同じ」と定めている。つまり、男性天皇を優先しながら、女性天皇も公認していた」と解説していますが、資料の誤読ではないでしょうか。「ひめみこも帝の子、また同じ」と読み、天皇の兄弟・皇子が親王とされるのと同様、皇女は内親王とされると解すべきではないですか。当時、「女帝」なる公用語はないはずです。しかもです。所氏にとって継嗣令こそ女系継承容認の根拠でした。読みも解釈もほぼ同じなのに、女系容認を取り下げる理由が理解できません。

5、所氏は、婚姻により皇族の身分を離れた元女性皇族が皇室の活動を支援することを是認し、その場合、称号は元皇族とか「元内親王」「元女王」とし、その位置付けは、内廷の職員とすることがふさわしいと述べています。どのような活動を想定してのことなのか不明ですが、天皇・皇族の公的な活動を内廷の私的使用人の立場で分担するというのは無理がありませんか。公的立場の皇族と私的使用人の元皇族が皇室の活動を支え合うというのも、混乱は必至でしょう。

6、「戦後一斉に皇籍離脱を余儀なくされた11宮家」の「男系男子孫の中に現皇室へ迎え入れられるにふさわしい適任者が現われるならば、関係者に十分な了解の得られる可能性があるかどうかは、内々に検討されたら良いと思われる」と所氏は述べていますが、その場合、誰が内廷もしくは宮家を相続するのが相応しいと考えるのでしょうか。女系継承は歴史になく、女子による宮家の相続も同様のはずです。

次回は古川隆久・日本大学文理学部教授です。


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【関連記事】白鳥と化して飛ぶ穀霊──京都・伏見稲荷大社の起源説話(「神社新報」平成8年6月10日)〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1996-06-10

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今谷明先生、なぜ男系の絶えない制度を考えないのですか?──4月21日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 1 [有識者会議]

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今谷明先生、なぜ男系の絶えない制度を考えないのですか?──4月21日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 1
(令和3年5月16日、日曜日)
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4月21日の有識者会議の議事録がようやく公表されました。レジュメとあわせ読みながら、内容を吟味したいと思います。〈https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai3/gijiroku.pdf


▽1 今谷明氏──古代から続く「象徴」天皇。だから何なのか?

一番手は今谷明・国際日本文化研究センター名誉教授(帝京大学特任教授、歴史学)でした。今谷氏は政府の聴取項目に従って、2ページのレジュメを用意しています。〈https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai3/siryou2.pdf

今谷氏の結論は、天皇の正統性は天照大神の血筋を引き継ぐ男子ということであり、その伝統の重みは簡単には崩せない。悠仁親王に皇子がお生まれになれば、しばらく男系で行けるところまで行けるんじゃないか。ただ、議論としては、女系継承の認否について準備しておくことはあり得る。戦後70年、皇位継承問題を見過ごしてきた政治家の怠慢は許せない、というものです。

「皇室」ではなくて「天皇家」という表現を用いる今谷氏ですが、ご主張はまっとうです。

今谷氏の意見陳述は、まず「象徴天皇制」についての解説に始まります。戦後、GHQに押し付けられたというような一面もあるが、歴史的に長い伝統があるというのです。私もそう思います。

「天皇家が、権威と権力に、人格的に分裂して権威的存在になったのは、平安時代の前期である」
「ヨーロッパの王政とは基本的に違う」
「君臨すれども統治せずは、日本が世界の先輩だと言ってもいい」
「政治は関白、上皇、さらに征夷大将軍に任せるということになり、天皇は全く政治をなさらない。それで800年から1000年近く続いてきたのであり、日本の象徴天皇制は、諸外国に卓越した長さがあるということは言える」

今谷氏が仰せなのは、古典に記されている「ことよさし」「しらす」ということへの学問的な気づきなのでしょう。キリスト教世界の権力支配とは異なり、天皇統治は皇祖の委任に従い、皇祖の御心による私なき統治とされてきたのです。神道人などが昔から指摘してきたことです。だから何なのですか。


◇「天皇の役割や活動とは?」に答えていない

今谷氏は、いまさらながらにそのことに気づいたと、正直に告白しています。

「だから、鎌倉幕府とか、室町、江戸の幕府などでは、ほとんど天皇の地位には変化がない。実際これほど精緻な、天皇が政治をなされなくて、権威的存在でいるという精緻な制度は、平安前期の200年間に確立した。これは驚くべきことで、私も最近、気が付いた。
教科書では、だんだん天皇が衰えて、戦国から江戸にかけてくらいが象徴天皇の境目だと以前は考えていた。そうじゃない。実は平安時代の前半に、もうこういうことが制度的にきっちり固まって、政治は藤原氏あるいは源氏以下の征夷大将軍、天皇は一切政治をなさらないという体制になったわけである」

さらに今谷氏は、天皇の不在で大騒動になった平家の都落ちと南北朝の観応の擾乱を例に挙げ、三種の神器が源平の合戦のころから皇位の絶対要件ではなくなった、権力者は京都を占領すれば天皇を立てられることになったと説明しています。興味深い指摘です。

以上は、問1の「天皇の役割や活動」に対する回答なのですが、しかしこれでは答えになっていません。一般的に現行憲法下で始まったと考えられている「象徴天皇制」がそうではなくて、歴史的にきわめて古いものだと常識的な歴史観の見直しを求めているだけです。

当然、有識者会議のメンバーは今谷氏に質問を重ねます。ポイントは皇位継承と男系主義の関連性でした。しかし今谷氏は謙虚かつ慎重です。それこそが今谷氏の本領で好感が持たれますが、結局、核心に迫れないことになります。

「非常に難しい問題で、私もここに来る前から散々悩まされてきた。私ごとき知識の者ではとても簡単に結論を出せない難しい問題である」

そして冒頭の発言が続くのでした。今谷氏は男系継承の歴史的重みを強調しています。ただ、残念ながら、なぜ皇位は男系継承なのか明確な答えは聞かれませんでした。つまり、政府が用意した「天皇の役割や活動とは」という設問に答えていないことになります。

女系継承をも容認する政府・宮内庁の官僚たちにとっては、憲法に基づく国事行為・御公務をなさるのが「象徴天皇」であり、であるなら、歴史的な男系主義にこだわる必要はありません。これに対して、今谷氏の「象徴天皇」は現行憲法が根拠ではありません。歴史上の「象徴天皇」は男系継承であり、男系主義の否定は天皇の歴史を否定することになります。だとしたら、天皇のお役目とは何か、今谷氏は答えていません。


◇非論理的な「女性宮家」容認論

分からないのは、それだけ男系主義の重みを強調しながら、「女性宮家」の創設を容認していることです。なぜ今谷氏は男系の絶えない制度を模索せよと訴えないのでしょうか。持ち味の謙虚さと慎重さを失っています。

「皇位継承権は棚上げして」とのことですが、なぜ歴史にない「女性宮家」創設を容易に認めようとするのでしょう。「天皇のお役目」のみならず「皇族のお役目」が同様に見えていないからでしょうか。今谷氏にとっての皇族とは、「皇統の備え」のための「皇位継承資格を持つ血族の集団」ではなくて、「天皇の相談相手、親戚」なのでした。それは歴史的に見て、「皇族」といえますか。

親戚付き合いなら皇籍離脱後も可能だし、いわゆる御公務が必ずしも皇族性を要求していないことは、今谷氏が指摘するように、元内親王が神宮祭主(今谷氏の表現では伊勢斎王)をお勤めであることからも明らかです。

歴史家として、いったい何のために「とりあえず女性宮家の創設などは必要であろう」と仰せなのか、私には意味不明です。「天皇のお役目」「皇族のお役目」が不明確なら、そもそも皇位継承資格の拡大を論じる意味はないでしょう。性急さを避けるべきとの意見は傾聴に値しますが、文明の根幹に関わる皇位継承論議において、群◯象を論ずるがごときことがあってはなりません。少なくとも私には、非論理的としか見えません。

今谷氏は、「伏見宮家というのは、皇統に準じた宮家ということで明治の典範改正で皇族に入れられた。それが戦後、臣籍に降下された。それをまた戻すことについてどうなのか」と逡巡し、「側室制の代償として近代医学の技術を入れた皇位継承があるべきだ」とも述べています。「危機感を持ってやらないと駄目なんじゃないか」とも指摘していますが、それならなぜ、男系主義の目的と意義を明示し、男系の絶えない制度を積極的に提言しないのでしょうか。


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【関連記事】櫻井よしこさん、守られるべき天皇の伝統とは何ですか。祭祀の本質とは何ですか?〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-03-28
【関連記事】天皇の祭祀を完全無視する河西秀哉准教授の「愛子さま天皇」容認論〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-03-21
【関連記事】男系主義の根拠が理解できない。園部逸夫vs御厨貴「週刊朝日」対談が示してくれた現代知識人のお寒いレベル〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-03-08
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【関連記事】どうしても女性天皇でなければならないのか。男系を固守することは不正義なのか。なぜ男系の絶えない制度を考えようとしないのか?〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-02-09
【関連記事】天皇制をやめるんですか──伊藤智永・毎日新聞編集委員の皇室記事を読んで〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-01-05
【関連記事】皇室典範特例法を批判する by佐藤雉鳴──取り戻さなければならない皇室の歴史と伝統〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2018-06-24
【関連記事】園部内閣参与の質問を読む──皇室制度ヒアリング議事録から その1〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-08-19-1
【関連記事】基本を忘れた女系継承容認論──小嶋和司教授の女帝論を読む〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-31
【関連記事】血統主義と徳治主義の調和──西尾論文批判の続き〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2008-09-16
【関連記事】女系は「万世一系」を侵す──「神道思想家」葦津珍彦の女帝論(「論座」1998年12月号特集「女性天皇への道」から)〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1998-12-01

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天下国家は何処へ?──佐野和史宮司の「神社新報」投稿を読む [神社人]


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天下国家は何処へ?──佐野和史宮司の「神社新報」投稿を読む
(令和3年5月6日、木曜日)
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神社本庁の土地売却をめぐる訴訟で、東京地裁は3月下旬、内部告発した職員の懲戒処分などを無効とする、被告神社本庁「全面敗訴」の判決を下しましたが、これに対して神社本庁は、4月中旬に開かれた役員会で、新たな弁護団を組織し、控訴審に臨むことを決議しました。控訴の手続きはすでに済んでいると伝えられます(「神社新報」4月26日号)。

他方、同じ「神社新報」4月26日号には、旧職員でもある、神奈川・瀬戸神社の佐野和史宮司による「裁判継続反対」の投稿が掲載され、また、地方からは控訴の即刻取り下げと本庁役員全員の退陣を求める要望書が鷹司統理宛に提出されたとも聞きます。

全国のお宮のほとんどを傘下に置く神社本庁は見るも無惨な分裂状態ですが、ことの本質について、私なりに迫ってみようと思います。


▽1 つたない新聞編集技術

テキストになるのは佐野宮司の投稿です。

まず、本論の前に、蛇足ながら指摘したいのは、新聞編集の拙さです。

投稿は「裁判問題について」と題されています。新聞の見出しになっていません。「裁判問題」って何でしょう。それについて筆者は何を言おうとしているのか、これでは皆目分かりません。読者の興味と意欲をかき立てる編集者の意思・努力が伝わってきません。新聞編集の基本を失っています。

技術的にも疑問符が付きます。佐野宮司は冒頭で、「地位確認訴訟の今後について意見を述べさせていただきたい」と明示しています。テーマは「裁判問題」ではなくて、「訴訟の今後」に絞られています。見出しの付け方が間違っていませんか。20年ぐらい前のレベルに逆戻りしていませんか。

それでも、この訴訟問題をめぐって多数の投稿・投書が寄せられ、しかもその多くがボツ扱いされていると伝え聞かれるなかで、佐野宮司の反対意見が掲載されたのは、編集部の英断といえます。そこは少なくとも評価されるべきです。

問題は中身です。

佐野宮司の「裁判継続反対」の理由は、以下の5点にまとめられるでしょう。


▽2 2つある「神社本庁」の概念

1、原告・被告双方の主張、判決の分析は略させていただく。裁判継続反対の最大の理由は、裁判が神社界にとって有害・無益だからだ。裁判の継続が斯界に悪影響を与えている。どちらが勝つにしても、神社界にとって損失が大きく、メリットはない。

2、神社本庁の本来の存在理由・目的を探れば、裁判の勝敗を超えた、本当の課題が見えてくる。神社本庁憲章にいう「神社本庁」とは、中央本部や事務局ではなく、古来の「大道」を継承し、「全国神社を結集」した、総体としての「神社本庁」である。

3、「神社本庁」には、法に基づく法人機構と、神国日本の伝統を継承してきた神社の総体の2つ概念があるが、存在理由は後者にある。前者は後者の目的を支持・充実させるための手段に過ぎない。両者には相互の信頼関係が保たれなければならず、教学的・神学的信念に立脚されなければならない。現に裁判を争っているのは中央組織としての神社本庁である。裁判の継続は、全国神社の総体たる神社本庁との関係において、教学活動を大きく阻碍するものと思慮される。

4、もとより全国神社の総体たる神社本庁は仮想空間のようなものかもしれないが、そこにこそ神社が「神国」の祭祀を厳修することの本義に通じるものがあると信じる。古来、全国の神社が継承してきた不文法を規範化したのが本庁憲章であり、だからこそ全国神社の総体たる神社本庁の指導力が発揮されなければならない。全国神社の神職が敬神尊皇の思いや祈りを共有し、強固にするために教学がある。

5、中央組織としての神社本庁が歴史と伝統に培われた教学を考慮せず、現行法規との整合性のみを是とし、法的強制力に頼るガバナビリティの構築に努めた結果が、各地の神社離脱や今回の裁判である。「教学の価値観の共有」によって神社界が団結し、展望を図るべきだ。裁判の継続は、「教学の価値観の共有」を否定し、「法的整合性のみを是とする価値観の強制」を目指すもので、わが国の神道文化に穴を穿つものとなりかねない。

佐野宮司の熱の籠った文章には、混乱ばかりが伝えられる今日、まだまだ良識が生きていることが確認されます。編集部もさすがに無視できなかったということでしょうか。


▽3 民族宗教の終わり!?

さて、私のような部外者が批判めいたことを付け加えるべきではないのですが、あえていくつか指摘させていただきます。

佐野宮司は、全国神社の総体としての神社本庁こそが本庁の存在理由であると訴えています。そして裁判の継続が神社界全体の活動を阻碍すると危機感を深めています。まったくその通りなのですが、忘れてならないのは、全国の神社はけっして神職の集合体であるところの神社界のものではないということです。神社とは誰のものなのかが問われているのです。

佐野宮司は神社本庁憲章を取り上げました。さすがです。しかしその前に、神社本庁設立の歴史を振り返るべきではないでしょうか。大戦末期、敗戦・占領を目前にして、神道界の大同団結によって先人たちが守ろうとしたのは、神社界の歴史と伝統ではありません。だからこそ、大日本神祇会、皇典講究所、神宮奉斎会の三団体が糾合したはずです。先人たちは歴史ある民族の信仰を守ろうとしたのです。天下国家のためにひとつになったのです。

佐野宮司は神職なればこそ神社界の将来を憂え、神社界の専門紙に寄稿し、神社界の読者に訴えているのですが、裁判の行方に心を痛めている多くの国民はけっして神社界の将来に注目しているのではありません。佐野宮司のロジックを借りれば、宗教法人法に基づく神職集団による神社界ではなく、日本人のさまざまな信仰の総体としての神社神道の将来に危機感を覚えているのです。神社界の内向き思考と天下国家への視点の揺らぎこそ、今日の混乱の原因ではないかと疑っているのです。

神社界は国民の浄財で支えられています。ムダな裁判にムダなお金を費やすべきではありません。処分されるべきものは処分し、和解すべきは和解すべきです。いまのままでは国民の信仰は神社から離れざるを得ないでしょう。民族宗教の終わりです。それこそが危機です。


【関連記事】神社本庁創立の精神からほど遠い「金刀比羅宮の離脱」〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-06-21
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レジュメだけでは不十分だった──4月8日の有識者ヒアリング「レジュメ+議事録」を読む 4 [有識者会議]

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レジュメだけでは不十分だった──4月8日の有識者ヒアリング「レジュメ+議事録」を読む 4
(令和3年5月1日、土曜日)
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前回の続きです。

4月8日のヒアリングの中身について、ひと通り検証してきました。4番手の新田均氏までは資料はレジュメだけでしたが、その後、議事録が公開されましたので、5番手の八木秀次氏についてはレジュメと議事録の両方から点検することができました。

議事録を読んで、当然ながら、レジュメのみによる検証では不十分なことが分かりましたので、4方のヒアリングについて、あらためて中身を吟味することにします。〈https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai2/gijiroku.pdf


▽6 ふたたび岩井克己氏──なぜ男系の絶えない制度を考えないのか

岩井氏のレジュメではもっぱら戦後のみの「象徴」天皇論が展開されているように見えました。しかし一方で、歴史的立場から解き起こそうとする和辻哲郎の『国民統合の象徴』を引用しているところには論理的一貫性の無さが感じられることを前回は指摘しました。

あらためて議事録を読んで分かるのは、岩井氏の意外な謙虚かつ慎重な姿勢です。皇太子妃(皇后陛下)を長く苦しめるきっかけとなった「懐妊兆候」スクープで知られる岩井氏ですが、加齢によって円熟されたということでしょうか。

「皇室の長い歴史や様々な天皇の足跡を勉強すればするほど、現代の社会環境との間でどう国民的コンセンサスを取るのかは断定し難く、また、断定するのは非常に不遜であるという気持ちになる」などと述べ、「例外なくずっと続いてきた皇位の継承原則は非常に重いもので、できる限り、ぎりぎりまで大切に考えて対処しなければならない」と訴えています。

しかしそれなら、男系の絶えない制度を模索するのが筋ですが、岩井氏はそうはせずに、「万が一危機が決定的な縁(ふち)にまで来たというときに備え」た、「内親王家」なるものの創設を提唱します。「本当に危機が深まったときに、周りに誰も、内親王すらおられないということにならないようにしておくべきではないか」というわけです。

なぜそのように考えるのか、論拠は天皇とは何か、天皇の役割とは何か、ということになります。そして岩井氏は、古代律令でも「禁秘抄」でもなく、やはり戦後憲法を引き出します。

興味深いのは、その岩井氏が憲法の「世襲」が「hereditary」ではなく「dynastic」と英語表現されていることに注目していることです。そのことは私が小嶋和司憲法論を引用し、何度も言及してきたことで、「王朝の支配」の意味のはずですが、岩井氏は少し違います。

つまり、憲法学者の樋口陽一氏や佐藤功氏を引用したうえで、「敗戦の崖っぷちの中で、なぜ天皇は残ることができて、その後も象徴として定着していき、今も安定的に続いているか」というと、「権力関係とは一線を画したソフトな伝統的・文化的側面の、遠い過去からの歴史的な蓄積、厚み、そういうものではないのかな」と自問自答するのです。

要するに、岩井氏は126代続いてきた「祭り主」天皇の「象徴」性ではなく、近代以降の「立憲君主」天皇の変遷を論じているということでしょう。

岩井氏が亀井勝一郎を引用しているのも、皇室の長い歴史から「象徴」の地位を説き起こすのではなくて、「ある意味では象徴天皇の理論付けを一生懸命に行い、国体は崩れたけれども、象徴天皇という体制になったということを言う」と述べて、あたかも牽強付会の理屈であるかのように論じています。

結局のところ、岩井氏は悠久なる皇室自身の天皇観について吟味しようとしません。敗戦後、天皇は「象徴」として生き残ったのではなく、古来、「象徴」であったことに思い及びません。それが「祭り主」であることに気付かないのでしょう。男系男子によって紡がれてきた祈りの重みに思い至らないとすれば、男系の絶えない制度を模索しようとするはずはありません。できる道理がありません。

岩井氏が議論の慎重さを要求していることには大いに共感できますが、それならなぜ古来の男系継承の維持を訴えないのでしょうか。論理的に破綻してませんか。


▽7 ふたたび新田均氏──皇位の本質を見誤っている

2人目の笠原英彦氏、3人目の櫻井よしこ氏については、とくに付け加えるべきことはありません。補足しなければならないのは、4人目の新田均氏です。

新田氏はヒアリングのあと、「皇位継承が男性を基本としてきた理由」と題する「補足説明資料」を提出し、「祭祀の過酷さ」を指摘しています。〈https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai3/sankou.pdf

女性であっても皇統に属していれば皇祖を祀る資格があるが、とくに女性にとっては過酷である。大嘗祭は古来、厳寒の中で行われきた。明治天皇の大嘗祭において、皇后の御拝は風邪のため行われず、大正天皇の大嘗祭においては、妊娠中のため皇后の御拝はなかった。祭祀の厳修は女性には過酷な義務だからだと述べています。

指摘自体に間違いはありませんが、わざわざ「補足説明」すべきことなのかどうか、疑問です。小泉内閣時の皇室典範有識者会議では、「宮中祭祀の代行」について質疑があり、「今は昔より妊娠・出産の負担は軽い」との発言があったと伝えられましたが、まさに宮中祭祀「簡素化」を進めた張本人・入江相政のように宮中三殿にエアコンを取り付けたらどうかという反論がすぐにも飛び出してきそうです。

要するに、本質的でないのです。本質を見誤っているのです。

新田氏の「祭り主」天皇論は、天皇の役割=「皇祖の祭り主」「日本国家の祭り主」とするものでした。その根拠はヒアリングでは示されていませんが、いわゆる神勅であろうことは容易に想像がつきます。「天壌無窮の神勅」「宝鏡奉斎の神勅」「斎庭の稲穂の神勅」が三大神勅と呼ばれています。皇祖神の命に従い、皇祖を祀り、国と民のために祈るというのが新田氏の「祭り主」天皇観であり、その過酷さを強調しているのです。

さすが神道学者の面目躍如たるものがありますが、違うのです。すでに書いたように、天皇は皇祖の「祭り主」だけではありません。皇祖ほか天神地祇を祀り、公正かつ無私なる祭祀を厳修するところにこそ、「過酷さ」はあります。天皇の祭りは「氏」や「家」の私的な祭りではありません。

神勅が天皇の祭祀の根拠なら、天神地祇を祀る必要はありません。祭場は賢所で十分であり、神嘉殿も大嘗宮も不要です。神饌は伊勢神宮のように米だけでいいはずで、粟をあわせ供する必要性はありません。なぜ天皇は皇祖神ほか天神地祇を祀り、米と粟をささげて祈るのか、新田氏は深く追究していないのでしょう。

天皇の祭祀が神勅に基づく稲の祭りなら、畑作民は疎外感を感じ、天皇は国と民をまとめ上げることはできないでしょう。畑作民には畑作の神がいる。スメラミコトは米と粟を献じて、米の神、粟の神に祈るからこそ、スメラミコトなのです。神勅ばかりに注目し、民の側の信仰に目を向けないのは神道学の限界です。

歴史上、女性天皇は存在します。しかし愛する夫があり、妊娠中・子育て中の女性天皇は存在しません。それは女性差別ではなく、新田氏のいう「過酷さ」が理由でもなく、逆に夫や子供への熱い思いを肯定し、女性の特性と価値を十分に認めるがゆえのことではないでしょうか。

新田氏は「補足説明」するとするなら、そのことを指摘すべきだったと思います。まことに残念というほかはありません。


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