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所功先生、「女系容認」派からの華麗な転身はなぜ?──4月21日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 2 [有識者会議]


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所功先生、「女系容認」派からの華麗な転身はなぜ?──4月21日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 2
(令和3年5月17日、月曜日)
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前回の続きです。


▽2 所功氏──「女性宮家」創設論のパイオニアだったのに

2番手は所功・京都産業大学名誉教授(モラロジー研究所教授、法制史)でした。所氏は政府の設問に対する回答のほかに、いくつかの資料を含め、計12ページにおよぶレジュメを用意しました。〈https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai3/siryou3.pdf

所氏は自身で「私は平成17年、24年、28年の有識者会議で意見を述べさせていただいた」と仰せのように、ヒアリングには欠かせないご常連で、いかにも手慣れた感じがします。設問に答えるまえに、以下のように5点の結論を示しています。

1、安定的な皇位継承のために、現行では「皇統に属する男系の男子」に資格を限定しているのを改め、男系男子を優先したうえで、男系女子にまで容認する
2、皇族女子の在り方については、現行では一般男性との婚姻により皇籍を離れるとされているのを改め、男子不在の内廷と宮家の相続も可能とし、公務の分担を続ける
3、婚姻後の元皇族女子については、現行では一般国民の立場でも元皇族として品位を保つとされているのを改め、天皇・皇族の公務を内廷の職員として補佐できるようにする
4、元宮家の男系男子については、現行では一般国民として生まれ育ち自由に生きているのを改め、もし適任者があれば男子のない宮家の養子とすることも検討する
5、改善策の実現方法については、有識者会議の検討報告に基づいて、皇室典範の原則を残しながら特例法で補正措置をとれるようにする

所氏といえば、泣く子も黙る「女性宮家」創設論のパイオニアだったはずですが、すっかり鳴りを潜めてしまいました。「男子不在の内廷と宮家の相続も可能とし」とトーンダウンしています。いったいどういうことでしょうか。


◇君子は豹変する

以前、書きましたように、平成16年夏、内閣官房と宮内庁が皇室典範改正の公式検討に向けて準備し始めたころ、所氏はある雑誌に「『皇室の危機』打開のために─女性宮家の創立と帝王学─女帝、是か非かを問う前にすべき工夫や方策がある」を寄稿し、逸早く「女性宮家」創設を訴えました。

「管見を申せば、私もかねてより女帝容認論を唱えてきた。けれども、それは万やむを得ざる事態に備えての一策である。それよりも先に考えるべきことは、過去千数百年以上の伝統を持つ皇位継承の原則を可能なかぎり維持する方策であろう。それには、まず『皇室典範』第12条を改めて、女性宮家の創立を可能にする必要がある」

翌年6月の皇室典範有識者会議のヒアリングでは、「女性宮家」創設を明確に提案しています。

「現在極端に少ない皇族の総数を増やすためには、女子皇族も結婚により女性宮家を創立できるように改め、その子女を皇族とする必要があろう」

同年11月の有識者会議報告書は女性天皇・女系継承容認に踏み出し、「女性宮家」という表現は消えたものの、「女子が皇位継承資格を有することとした場合には、婚姻後も、皇位継承資格者として、皇族の身分にとどまり、その配偶者や子孫も皇族となることとする必要がある」とその中味が盛り込まれます。すると待ってましたとばかりに、所氏は「女性天皇、女系継承、女性宮家の創立なども可能とした報告書の大筋には賛成したい」と新聞に感想を寄せ、政府にエールを送りました。

ところが、君子は豹変するのです。

所氏は、昨年春、東京新聞のインタビュー・シリーズ「代替わり考」に登場し、(1)皇位継承資格を男系男子限定から男系男子優先に変える、(2)内廷も宮家も男子がいなければ、女子の一人が当家を相続できるようにする、(3)相続者不在となる宮家に、旧宮家から養子を迎え、男子が生まれたら皇位継承資格を認める、の3案を私案として提示したのでした。〈https://www.tokyo-np.co.jp/article/16673


◇変説の理由が説明されない

「女性宮家」創設のパイオニアで、女性天皇、女系継承にも大賛成だった所氏の論調はすっかり後退しています。じつは所氏の変節は今回だけではありません。以前にも書いたように、「改元」でも同じことが起きています。

平成の御代替わりでは「(新年号の)施行は翌年元旦から」と主張し、古来の踰年改元の考えを踏襲していたのに、令和の改元では「践祚日に新元号公表、1か月後施行」に一変されたように報道されています。かと思えば、神社界の専門紙には「践祚前日の皇位継承の儀、践祚当日の改元」を提起するエッセイを寄稿しています。支離滅裂とは言わないまでも、変幻自在です。

むろん主張の中身が変わることは否定されるべきではありませんが、変説の理由はきちんと明示されるべきです。所氏には説明責任が決定的に欠けています。言論は自由とはいえ、文明の根幹に関わる皇位継承問題について右往左往するのは見苦しいだけでなく、あまりに無責任です。皇室史研究の第一人者のすることとは思えません。

少々長くなりましたので、以下、何点か疑問点を指摘して、この項を閉じることにします。


◇いくつかの疑問点

1、「天皇の役割や活動」について、所氏は、日本国憲法の規定を根拠に、「国事行為を行うとともに、国民統合にふさわしいことを公的行為としてお務めになるのみならず、国家・国民のために祈られる祭祀行為など、多様な活動を誠実に実践されている」と説明していますが、歴史家ならば、なぜ126代続く皇統史から説き起こそうとしないのでしょうか。具体的に何を、天皇のお務め・ご活動と考えるのでしょうか。

2、皇族数の減少について、所氏は、一般国民の場合は、女子であっても養子に入っても、家職や家産を相続することができるのに、皇族の場合はそれができないと嘆いていますが、皇統問題は「家職や家産」と同じレベルで論ずるべきことでしょうか。

3、所氏は、男系男子に限定する明治の皇室典範と帝国憲法ができるまでを振り返り、「いわゆる男尊女卑の傾向が強い当時の日本では、男性の上に「女主」を推戴し難いとか、また男子を確保するには側室も否定し難い、というような主張が通り、成文化されるに至った」と説明しているのですが、最大の理由である女帝即位後の王朝交替の可能性についての説明がありません。男系女子の継承が認められ、内廷・宮家を女子が相続したとして、そのあとはどうするのか、最大の核心部分を避けていませんか。

4、内親王や女王に皇位継承の資格を認めることに関連して、所氏は、「大宝元年成立の継嗣令には、男帝を前提とする規定の本注に「女帝の子亦同じ」と定めている。つまり、男性天皇を優先しながら、女性天皇も公認していた」と解説していますが、資料の誤読ではないでしょうか。「ひめみこも帝の子、また同じ」と読み、天皇の兄弟・皇子が親王とされるのと同様、皇女は内親王とされると解すべきではないですか。当時、「女帝」なる公用語はないはずです。しかもです。所氏にとって継嗣令こそ女系継承容認の根拠でした。読みも解釈もほぼ同じなのに、女系容認を取り下げる理由が理解できません。

5、所氏は、婚姻により皇族の身分を離れた元女性皇族が皇室の活動を支援することを是認し、その場合、称号は元皇族とか「元内親王」「元女王」とし、その位置付けは、内廷の職員とすることがふさわしいと述べています。どのような活動を想定してのことなのか不明ですが、天皇・皇族の公的な活動を内廷の私的使用人の立場で分担するというのは無理がありませんか。公的立場の皇族と私的使用人の元皇族が皇室の活動を支え合うというのも、混乱は必至でしょう。

6、「戦後一斉に皇籍離脱を余儀なくされた11宮家」の「男系男子孫の中に現皇室へ迎え入れられるにふさわしい適任者が現われるならば、関係者に十分な了解の得られる可能性があるかどうかは、内々に検討されたら良いと思われる」と所氏は述べていますが、その場合、誰が内廷もしくは宮家を相続するのが相応しいと考えるのでしょうか。女系継承は歴史になく、女子による宮家の相続も同様のはずです。

次回は古川隆久・日本大学文理学部教授です。


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