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所功先生vs高森明勅先生「場外バトル」を解きほぐす補助線──4月21日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 番外編 [有識者会議]

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所功先生vs高森明勅先生「場外バトル」を解きほぐす補助線──4月21日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 番外編
(令和3年5月29日、土曜日)
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▽1 意味不明な所氏の「追加所見」

所功氏が4月21日のヒアリングのあと、補足説明の資料を提出されました。〈https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai4/sankou1.pdf

少し振り返ると、所氏はヒアリングでは、婚姻により皇族の身分を離れた元女性皇族が皇室の活動を支援することを是認し、その場合、称号は元皇族とか「元内親王」「元女王」とし、その位置付けは、内廷の職員とすることがふさわしいと述べていました。

これに対して私は、「どのような活動を想定してのことなのか不明」「天皇・皇族の公的な活動を、内廷の私的使用人の立場で分担するというのは無理がある」「公的立場の皇族と私的使用人の元皇族が皇室の活動を支え合うというのも、混乱は必至」と指摘しました。

その後、提出された「追加所見」では、黒田清子元内親王が神宮祭主をお務めであるという具体的な事例が示され、女性だから祭祀が務まらない、務めてはならないということはないと説明されています。さらに、歴史的にもたとえば後桜町天皇は宮中祭祀を厳修されたと解説されています。

しかし、どうもよく分かりません。政府の設問と「追加所見」がまるで噛み合っていないからです。

所氏は「問7・問8に関連して簡単に付言する」と断っています。つまり、「問7 内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持することについて」「問8 婚姻により皇族の身分を離れた元女性皇族が皇室の活動を支援することについて」に関連した補足意見ということですが、とすると仰りたいのは、皇籍離脱された元内親王・女王に宮中祭祀をお務めいただくという提言なのでしょうか。

しかしそれだと、天皇の、天皇による宮中祭祀という大原則が完全に崩れてしまいます。天皇の祭祀に誰よりも詳しいはずの所氏がそんな世迷言を仰せのはずはありません。

それとも単に、女性天皇否認論への反論ということなのでしょうか、だとすると「問7・問8に関連して」という断り書きが意味をなさなくなります。しかも内容的に不十分です。歴史上、否定されているのは、女性天皇の存在ではありません。夫があり、妊娠中もしくは子育て中の女性天皇が歴史に存在しないのです。そんなことは、所先生なら常識のはずです。

「追加所見」の目的はいったい何でしょうか。さっぱり分かりません。


▽2 高森明勅氏「一代女帝論は先延ばしに過ぎない」

所氏は「女性宮家」創設論のパイオニアであり、名にし負う女性天皇・女系継承容認派でした。

平成17年の皇室典範有識者会議が「皇位の安定的な継承を維持するためには、女性天皇・女系天皇への途を開くことが不可欠」(「結び」)との報告書をまとめると、所氏は待ってましたとばかりに「女性天皇、女系継承、女性宮家の創立なども可能とした報告書の大筋には賛成したい」と新聞コメントで応じています。

しかし今回のヒアリングでは女系継承容認論は鳴りを潜め、一代限りの女性天皇論に後退しています。この君子豹変については、変説の理由を示すべきだとすでに書きました。というより、何かウラがあるだろうというのが、生来疑い深い私の偽らざる感想です。

そんな折も折、かつては積極的女帝容認論の盟友だった高森明勅・日本文化総合研究所代表が公式ブログで、所氏の「一代女帝論」を批判しています。〈https://www.a-takamori.com/post/210521

高森氏は、会議のメンバーと所氏との質疑応答に注目しています。メンバーが「女系まで認めることが安定した皇位継承につながるのではないかという意見もある」と指摘したのに対して、所氏は、「必ず男子が得られることを前提にして、男子だけで継ぐという規定を続ける限り、万一の事態に対処し難くなる」としか答えませんでした。

これに対して高森氏は、「会議メンバーは、さらに『その先』を問うている」のであり、「男系女子」の即位は「継承の行き詰まりをわずか『1代だけ』先延ばしするに過ぎない」ときびしく批判しています。

高森氏によれば、所氏は「一代女帝論」が抜本的な安定化につながらないことを理解しているはずなのに質問に答えていない、答えられなかった、はぐらかしの回答をせざるを得なかったと推理しています。さすがの着眼と分析です。

しかし、私の疑いは、所氏の変説そのものにあります。所氏は本気で「一代女帝論」を主張しているのかどうかです。老練な先生の所論にはさらなるカラクリがあるのではないでしょうか。


▽3 「一代女帝」はそのとき女系容認に変質する

所氏の見かけ上の変説は、すでに書いたように、皇室問題を検討する神社新報の「時の流れ研究会」に参加したのがきっかけと思われます。男系派と女系派が呉越同舟する研究会は昨春、女性天皇や「女性宮家」創設を拒否する「見解」を発表しましたが、その直後、所氏は新聞インタビューで、(1)男系男子限定から男系男子優先に変える、(2)女子による相続の容認、(3)養子の容認を提示し、「見解」にすり寄っています。〈https://www.tokyo-np.co.jp/article/16673

しかし何十年ものあいだ皇室研究に取り組み、優れた業績を残す一方、いち早く女系継承容認、「女性宮家」創設を訴えてきた達人が、いまさら否定論に本気で変説するものでしょうか。

ナゾを解きほぐすために、1本の補助線を引いてみることにします。終身在位制という補助線です。そうすると、いままで見えなかったもうひとつの絵が浮かび上がってきませんか。

126代続く天皇史を振り返ると、8人10代の女性天皇がおられます。登極ののち皇太子を立て、時を待って譲位することが前提とされています。「摂位」に近いといわれるゆえんです。「摂位」たる女性天皇の即位は、譲位制度が前提となります。

けれども、近現代では「摂位」の女帝はあり得ません。明治以降、女性天皇が制度として否定されたからだけではありません。終身在位制が採用されたからです。終身在位制のもと、譲位が否認され、もし女帝を立てざるを得なくなったとき何が起きるか、少し考えれば分かることです。

戦後も終身在位制は続いています。だからこそ、先帝の譲位には特例法が必要でした。終身在位を前提として、所氏がいう「一代女帝」が即位するのは、男系男子がすでに不在となった、万策尽きた状況にほかなりません。高森氏が指摘する「その先」はどうなるのか、自明でしょう。

所氏はそのことを誰よりも熟知しているはずです。であればこそ、会議のメンバーの質問に答えられず、はぐらかすしかないのでしょう。そしていずれ「その先」が現実になったとき、所氏はふたたび君子豹変し、公然と女系継承容認を高らかに歌い上げるつもりなのではありませんか。女帝即位の瞬間、「一代女帝論」は女系継承容認論へと鮮やかなる変質を遂げるのです。そして、男系で紡がれてきた126代の皇統史は終焉し、「万世一系」は崩壊するのです。

所氏は変節漢ではなく、転向者でもありません。「一代女帝論」は世を忍ぶ仮の姿であり、所氏は高森氏の永遠なる同志なのだろうと私は確信的に想像しています。


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