SSブログ

「神社界」の閉鎖性が招いた神社本庁「敗訴」の醜態 [神社本庁]

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「神社界」の閉鎖性が招いた神社本庁「敗訴」の醜態
(令和3年9月20日、敬老の日)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


東京高裁は9月16日、神社本庁職舎転売・職員地位確認訴訟について、神社本庁の控訴を棄却した。

今年3月の一審判決では原告職員の地位確認が認められたが、被告の神社本庁は、原告の職員が組織を破壊する意図から、組織の秩序を乱したのであり、懲戒解雇の処分はやむを得なかったなどと主張し、控訴審が始まった。しかし高裁は、主張をすべて退けた。


◇神社は神職集団の占有物ではない

ことの発端は職舎の転売問題だが、(1)売買価格が相当低額で、買主に有利である、(2)価格決定と承認の過程に不審がある、(3)買主は以前から本庁などと有利な取引を行い、利益を上げてきた、(4)本庁総長が原告の職員に売却を示唆したと原告の職員が考え、総長らの背任行為があったと原告が信じたことについて、高裁判決は、相当な理由があると認めている。

神社本庁にとっては一審に続く、無様な全面的敗訴である。日本の民族的信仰を守るべき集団としては、何とも見苦しい限りである。

もっとも嘆かわしいのは、事件および訴訟の過程において、神道信仰の主体である氏子や崇敬者が蚊帳の外に置かれていることである。古来、各地に鎮まるお宮は地域のものであるはずなのに、閉鎖的な神職集団の占有物ででもあるかのように取り扱われていると映ることである。

終戦の翌年に設立された神社本庁それ自体、もともとは内向きな神職組織ではなかった。皇典講究所、大日本神祇会、神宮奉斎会の民間三団体が糾合して創立されたことは何よりの証明である。初代事務総長は内務官僚だった宮川宗徳で、宮川は翌年創刊の神社新報初代社長ともなった。神社新報の編集主幹兼社長代行者となった葦津珍彦もまた「背広の神道人」であった。


◇自己改革しなければ先人を裏切る

ところが、年月が過ぎ、神社本庁は同業者組合と揶揄されるまでになっている。まさにそのことがさまざまな混乱の原因ではないだろうか。今回の職舎転売にしても、密室で、身内の論理で、物事を決めてしまう排他的姿勢が、結果として世間に醜態を晒す結果を招いたのであろう。

以前ならチェック機能を果たしたであろう神社新報も同様に、「本庁べったり」の姿勢に甘んじている。宮川宗徳は「言論機関は独立の立場に置くべし」と考え、本庁広報課から株式会社組織に移管させたと聞くが、その英断は顧みられなくなっているのではないか。

今回の判決を前にして、神社新報は、裁判をめぐって神社界の内部対立が先鋭化することを憂え、「斯界の大同団結」を訴える論説を載せている。もっともなことではあるが、「神社界」「斯界」と連呼する姿勢が問題を解決するどころか、深刻化させ、遠のかせるとは思い至らないのだろうか。ギルド社会の殻を破り、自己改革しなければ、75年前に神社本庁設立に奔走した先人たちを裏切ることになるだろう。


【関連記事】天下国家は何処へ?──佐野和史宮司の「神社新報」投稿を読む〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-05-06
【関連記事】小川寛大さんの神社本庁批判に異議あり。もともと上意下達の組織ではない〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-06-27
【関連記事】神社本庁創立の精神からほど遠い「金刀比羅宮の離脱」〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-06-21

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:ニュース

河野太郎・総裁候補の非「保守」的皇位継承論──天皇を論ずる資格がない [皇位継承]


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
河野太郎・総裁候補の非「保守」的皇位継承論──天皇を論ずる資格がない
(令和3年9月12日、日曜日)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


10日に自民党総裁選立候補を表明した河野太郎・行政改革担当大臣が記者会見で、持論とする女性天皇・女系継承容認を封印したという。

「日本を日本たらしめているのは、長い歴史と文化に裏付けられた皇室と日本語だ。そういうものに何かを加えるのが保守主義だ」と語り、「保守主義」に基づいた政治を強調したと伝えられる。

持論は持論として、現実主義的な路線変更の姿勢を示すことで、党内の不安感を払拭し、支持を広げようという姑息な選挙戦術は明らかである。


▽1 「皇男子孫継承」を明記した明治人の英断

報道によれば、河野氏は2日前の8日には、安倍晋三・前総理と会談し、立候補の意向を伝えるとともに、「男系で続いてきているというのが、日本の天皇のひとつのあり方なんだと思う」と語った。さらには、青山繁晴参院議員ら党内保守派議員とも会談し、「自分は女系容認論者ではない」と述べ、不安解消に余念がない。

しかし、一年前の昨年8月、インターネット番組に出演した際には、当時は安倍政権の防衛大臣だったが、明確に女系継承容認論を展開していた。男系継承主義に疑問を投げかけ、「女性宮家」創設、「愛子さま天皇」待望論を開陳していた。

君子は豹変したのである。

持論とされる女性天皇・女系継承容認論の詳細は、河野氏の公式サイトに載っている。「皇室の危機を回避する」(ブログ「ごまめの歯ぎしり」2016年10月19日)がそれである。〈https://www.taro.org/2016/10/皇室の危機を回避する.php〉

河野氏は冒頭、「皇室はかつてない存続の危機に瀕している」と言い切っている。「天皇陛下より若い皇族男子は、皇太子殿下、秋篠宮文仁親王殿下、秋篠宮悠仁親王殿下の3人しかいらっしゃらない。将来、悠仁親王家に男子がお生まれにならなければ、男系の皇統が絶えることになる」というわけである。

しかし何度も書いてきたことだが、「存続の危機」はいまに限ったことではない。ほかならぬ女系派が「危ない綱渡りを繰り返してきた」(高橋紘・所功『皇位継承』)と述べているし、明治憲法制定当時こそ、女帝の認否は「火急の件」だった。明治天皇には皇男子はなく、皇族男子は遠系の4親王家にしかおられなかったからだ。

それでも明治人は「万世一系」「皇男子孫継承」を憲法に明記したのだ。河野氏は明治人の英断をどこまで理解しているだろうか。


▽2 なぜ男系継承が固持されてきたのか

河野氏はブログで、皇室の男系継承の歴史を認めている。その一方で「しかし、(今後)維持できるかどうか」と疑問を投げかけている。「現実は容易ではない」というのだ。

河野氏は男系維持のための3つの方法を取り上げ、検討し、そして男系主義を否定している。

ひとつは旧皇族男子の婿入りで、新宮家を創設し、男子が皇位を継承する方法だが、内親王、女王に結婚を強制できないし、旧宮家は「600年近く、現皇室との間に男系の繋がりはなく、その男系が皇室を継ぐことが国民的に受け入れられるだろうか」と疑問を投げかける。

しかし、皇室の歴史においては、しばしば「婿入り」はある。ただ、河野氏の「婿入り」と違うのは、光格天皇の例で明らかなように、先帝の崩御後、親王家から養子となり、皇位が継承された。そして先帝の内親王は中宮となった。

国民が受け入れるかどうかではなく、それが皇室のルールである。

ふたつ目は側室の復活、3つ目は人工授精など医学的方法を用いる方法だが、いずれも現実的でないと否定し、男系維持を主張するなら、国民に広く受け入れられる具体的な方法を提示せよ、と男系派をけしかけている。

しかし天皇は天皇であり、皇室は皇室である。皇室の皇位継承の鉄則は国民に受け入れやすいかどうかではない。むしろ河野氏は皇位が男系で維持されてきた理由を追究すべきではないのか。「綱渡りを繰り返して」さえ、古来、男系継承が固持されてきたのは何故なのか。

けれども河野氏は逆に、皇室の歴史と伝統を弊履のごとく捨て去り、「男系、女系に関わらず皇室の維持を図るべき」と論理を飛躍させている。明治人が「万世一系」と表現した「王朝の支配」の意味を忘れているのである。


▽3 女系継承容認どころか祭祀の変更をも要求

そして、あまつさえ、「皇統断絶」より「皇室のあり方を変えよ」と訴えている。皇位が男系主義で紡がれてきたこと、女帝は容認されても、夫があり、もしくは妊娠中もしくは子育て中の女帝が否定されてきたことの意味を理解しようとせず、典範改正、長子継承への変革を要求するのである。

しかし、その目的は何だろうか。男系主義を否定した皇位継承は皇位継承に値しないし、それでも「皇統」を強弁するのは何のためなのか。

さらに河野氏は「継承ルールの変更の議論を速やかに始めよ」と急かしている。そしてさらに、「長子継承なら、天皇家の祭祀の変更が必要かどうか、確認せよ」と迫っている。女性天皇には祭祀がお務めになれないなら祭祀を変えよとのご託宣である。

つまり、河野氏の皇位継承論とは革命論に等しいということだろう。世界の王室を見ても、それぞれに独自の王位継承法があるが、固有の歴史と伝統を無視して、根底からの変革を要求するのは下剋上にほかならない。

繰り返しになるが、歴史上、8人10代の女性天皇が確かに存在するとはいえ、夫があり、あるいは妊娠中・子育て中の女性天皇はおられない。その理由は、皇室がもっとも重視する「祭り主」天皇論に根拠があることは明らかである。「およそ禁中の作法は神事を先にす」(禁秘抄)である。

女系継承を容認し、祭祀の変更をも要求する河野氏の天皇論は、保守主義とは無縁のものである。

最後に河野氏は、「宮内庁の改組」に言及している。皇室の危機を放置してきた責任、宮中祭祀や陵墓等の情報公開に消極的だった宮内庁の責任を問いかけているのだが、荒唐無稽で論評に値しない。政府・宮内庁が25年も前に女系継承容認に舵を切ったことが今日の混乱の原因であることなど知らないのだろう。皇位論を論ずる資格がないのではないか。お調子者の素人論議である。


【関連記事】皇室伝統の皇位継承法に従うことが「宗教派」なのか──日経編集委員の解説を批判する〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-08-15
【関連記事】半井小絵先生、和気清麻呂のご子孫とは知りませんでした──6月7日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 2〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-08-11
【関連記事】綿谷りさ先生、天皇の役割とは何でしょうか?──6月7日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 1〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-08-01
【関連記事】都倉武之先生、天皇は完全に「政治社外のもの」ですか?──5月31日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 4〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-07-25
【関連記事】橋本有生先生、群○象を評すがごとしです──5月31日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 3〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-07-18
【関連記事】曽根香奈子先生、さすがの見識と学びですね──5月31日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 2〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-07-04
【関連記事】君塚直隆先生、126代続く天皇とは何ですか?──5月31日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 1〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-06-27
【関連記事】百地章先生、結局、男系継承の理由は何ですか?──5月10日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 4〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-06-20
【関連記事】宍戸常寿先生、日本国憲法は「王朝の支配」を規定しているのでは?──5月10日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 3〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-06-19
【関連記事】大石眞先生、男系の絶えない制度をなぜ考えないのですか?──5月10日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 2〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-06-13
【関連記事】岡部喜代子先生「女帝は認めるが女系は認めない」現実論の前提を疑う──5月10日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 1〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-06-06
【関連記事】所功先生vs高森明勅先生「場外バトル」を解きほぐす補助線──4月21日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 番外編〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-05-29
【関連記事】本郷恵子先生、これがいまの東大歴史学のレベルなのですか?──4月21日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 4〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-05-22
【関連記事】古川隆久先生、男系維持のネックは国家神道史観ですか?──4月21日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 3〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-05-18
【関連記事】今谷明先生、なぜ男系の絶えない制度を考えないのですか?──4月21日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 1〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-05-16
【関連記事】レジュメだけでは不十分だった──4月8日の有識者ヒアリング「レジュメ+議事録」を読む 4〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-05-01
【関連記事】八木秀次先生、やはり「男系継承」の本質が見えません──有識者ヒアリングのレジュメ+議事録を読む 3〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-04-25
【関連記事】新田均先生、「伝統」だけで女系派を納得させられますか──有識者ヒアリングのレジュメを読む 2〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-04-18
【関連記事】「伝統」を見失った現代日本人に皇室の「伝統」が回復できるのか〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-04-12
【関連記事】だから「隔たり」が生じる。有識者会議が期待する「天皇の役割」と本来のお役割が違う〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-04-10
【関連記事】皇位継承有識者会議の最重要テーマは「天皇とは何か」だが…〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-04-04
【関連記事】政府が「皇位継承」有識者会議開催へ。正念場を迎えた男系派の覚悟は?〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-03-21
【関連記事】女系派が大多数を占める今日、男系維持派は何をすべきなのか?〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-03-14

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:ニュース

皇室の品位は何処へ──内親王殿下「駆け落ち婚」を黙過する現代宮内官僚たちの憲法観 [眞子内親王]


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
皇室の品位は何処へ──内親王殿下「駆け落ち婚」を黙過する現代宮内官僚たちの憲法観
(令和3年9月5日、日曜日)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


眞子内親王殿下が「駆け落ち婚」をなさるという話題で持ちきりだ。「愛」を貫き通す女性の強さにあらためて驚かされる一方で、皇室の品位を保つために周囲の努力がどこまでなされたのか、疑いが晴れない。宮内庁の責任は大きいはずなのに。

「駆け落ち婚」の可能性は、すでに昨年の皇太弟殿下のお誕生日会見で示されていた。殿下は「結婚することを認める」と明言されていた。

一般の国民であれば、結婚は自由である。殿下が引用されたように、憲法には「婚姻は両性の合意によってのみ成立」するからである。しかし内親王の婚姻は民間人の婚姻とはまったく異なる。皇室および国の権威に関わるからである。「本当に素晴らしい男性」では済まない。

しかしそれを強く言えば、皇太弟殿下ご自身の「学習院の恋」にも疑問符が付く。であればこそ、父君はよほど悩まれたに違いない。おいたわしい限りである。


▽1 身辺調査は十分だったのか

以前、書いたように、古くは皇族女子は皇族に嫁するのが常例だった。時代が下がるにつれ、婚家の対象は拡大し、内親王が臣家に嫁する例が開かれたものの、江戸末期まで10数例を数える内親王降嫁はほとんどが摂関家と徳川家に限られた。明治の皇室典範は「皇族の婚嫁は同族、または勅旨によりとくに認許せられたる華族に限る」と制限を明確にしている。

一般の民間人と結婚することなどあり得なかったが、戦後は制限が失われ、先帝も今上も皇太弟も民間に婚家を求められた。そして清子内親王も眞子内親王もである。とりわけ先帝陛下の「テニスコートの恋」は自由な恋愛結婚の先駆けとなり、「開かれた皇室」の象徴ともなった。そして自由への憧れはますます強まっているかに見える。

だが、早計である。軽井沢の最初の出会いこそ偶然だったとはいえ、その後は側近によってアレンジされていたことが分かっている。当時の宮内庁長官は「恋愛説」を国会で否定している。そこが今回とはまるで異なる。「ICUの恋」の場合、側近たちの関わりがまるで見えてこない。

世間を騒がすことになった原因はそこにある。警備を担当する皇宮警察は何をしていたのだろうか。やがて天皇となる皇太子の結婚と、いずれ皇籍を離脱する内親王の違いがあるにしてもである。宮内庁はどの程度、身辺調査したのだろうか。あるいは、調査らしいことはしなかったということなのか。いずれにしても責任は重い。


▽2 皇祖神へのご挨拶はどうなるのか

先帝陛下のころは、「公事か私事か」が国会でしばしば議論された。野党は憲法を盾に「私事」説を訴えた。しかし「公事」なればこそ、国家予算が投じられ、宮中三殿での結婚の儀ほかが「国の儀式」(天皇の国事行為)とされた。

しかしいまは完全に違う。内親王の婚姻はもはや「公事」ではなく、「私事」と考えられているものらしい。昨年暮れ、西村宮内庁長官が介入し、「説明責任を果たすべき」と発言したのは、逆に異例なのだろう。それだけ側近たちの姿勢が「テニスコート」時代とは一変したのである。

今回は、一時金が辞退されるだけではなく、納采の儀(結納)も行われないと伝えられる。だから「駆け落ち」と称されるのだが、忘れてはならないもっとも重要なことは、皇祖神へのご挨拶がなされないらしいことである。

内親王の結婚の儀は、天皇や皇太子、親王とは異なり、そもそも賢所大前では行われない。それでも納采の儀ののち、告期の儀、賢所皇霊殿神殿に謁するの儀、参内朝見の儀、皇太后に朝見の儀、内親王入第の儀と続くことがが皇室親族令附式に規定されている。結婚の礼の前に、内親王は賢所皇霊殿神殿に謁することとされているのだ。それがどうやら行われないらしい。

古代律令には、天皇の兄弟および皇子が「親王」とされ、皇女もまた同様に「内親王」とされると定められ、皇祖神のご神意次第によっては皇位の継承もあり得るお立場だった。時代が変わったとはいえ、皇祖神へのご挨拶なしに済まされるものなのかどうか。「およそ禁中の作法は神事を先にす」(「禁秘抄」)が皇室のしきたりのはずなのにである。

といって、宮中祭祀は「宗教」だという観念、および憲法の政教分離主義にとらわれた現在の官僚たちには、何の助言もできないだろう。皇太弟殿下がますますおいたわしく思われる。


【関連記事】岡部喜代子先生「女帝は認めるが女系は認めない」現実論の前提を疑う──5月10日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 1〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-06-06
【関連記事】皇位継承有識者会議の最重要テーマは「天皇とは何か」だが…〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-04-04
【関連記事】先帝「テニスコートの恋」と眞子内親王「ICUの恋」との雲泥の差。変質した宮内庁〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-12-20
【関連記事】西村長官さま、小室家の説明責任要求の前に、宮内庁自身の責任が問われるのでは?〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-12-13
【関連記事】儀礼から見た内親王殿下の御結婚。皇室親族令の附式から考える〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-12-06
【関連記事】眞子内親王殿下の婚姻について『皇室制度史料』から考える〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-11-30
【関連記事】眞子内親王の皇籍離脱をけしかける登誠一郎元内閣外政審議室長の不遜。安倍総理の次は秋篠宮親王に直言。女性天皇・女系継承容認へまっしぐら〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-01-26
【関連記事】御成婚は「公事」と答弁した宮内庁次長──歴史的に考えるということ 9〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/archive/c2306111149-1
【関連記事】尊敬される「皇室らしさ」が消えていく by太田宏人───南米日系人社会から考える愛子内親王「いじめ」報道〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2010-04-17-1
【関連記事】将来に託さざるを得ない皇族教育改革 by 葦津泰國〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2010-04-12-1

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:ニュース

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。