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かつての「明治節」に、いまなお克服されざる近代を思う [教育勅語]

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かつての「明治節」に、いまなお克服されざる近代を思う
(令和3年11月3日、文化の日)
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今日は「文化の日」である。かつては「明治節」、明治天皇のお誕生日だった、という話をしたら、若い友人から「え、そうですか?」と驚きを込めて聞き返され、こちらの方こそ面喰らった。「明治は遠くなりにけり」だとつくづくと思う。

明治がことのほか遠く感じられるのは、基本的な事実関係が忘れ去られてしまい、時代の自画像が正しく描けなくなっている。ともすると、保守派、革新派双方とも一面的理解、一方的批判に止まっているのではないかという疑念が拭えないからだ。


▽1 アメリカは何を敵視したのか

たとえば教育勅語である。

明治維新後、日本は近代化をひた走った。その先頭に立たれたのが皇室だった。しかし行き過ぎた欧化主義に、ほかならぬ明治天皇が憂いを覚えられたことが、勅語起草の始まりだった。なにしろ修身の教科書までが翻訳だった。それほど異常だった。

儒教に基づく道徳教育を求める声もあったが退けられ、非宗教性、非哲学性、非政治性が追求された。明治23年の発表後は愛国教育の根拠、天皇制の基本的支柱とされた。保守派は明治大帝の偉業を絶賛するが、敗戦後の昭和23年、国会で排除もしくは失効が確認された。その理由を保守派は外圧と見て、憎しみの矛先をアメリカに向ける。

アメリカは歴史当初から東から西へと発展した。カリフォルニアから太平洋を越えて西進し、日本を標的とする「オレンジ計画」なる戦争準備まで研究された。そして、世界大戦の末、占領を経て、古き良き日本は失われた、というストーリーである。

話の筋は通っているが、外的要因にのみ目を向け、内的要因を考えようとしないのは知的怠慢ではないだろうか。なぜアメリカは近代日本を敵国と想定するまでに思い至ったのか。そのように思わせる原因が、むしろ日本自身にあったのではないか。

日本研究に生涯を捧げたアメリカ人、サイデンステッカー教授によると、日米開戦前夜、カリフォルニアを除けば、アメリカ人の対日観は良好だったという。経済関係も緊密だった。それがなぜ一転、戦火を交えることとなったのか。アメリカは近代日本の何を敵視したのか。何が敵に見えたのか。


▽2 教育勅語は「軍国主義・超国家主義」の聖典

それを知るにはアメリカ人に直接、聞くのが手っ取り早い。たとえば、戦争中に作製された陸軍省のプロパガンダ映画「Why We Fight」シリーズである。「最高傑作」とも評価される作品の多くは、名匠フランク・キャプラの監督による。

終戦間際の1945年に製作された「Know Your Enemy; Japan」は、近代日本の「軍国主義・超国家主義」「世界征服」を実写フィルムをつなぎ合わせて、実証的に描いていく。

天照大神はこの地の統治を子孫に命じ、神武天皇はこの世界をひとつの家となすことを勅命された。近代以降、軍事進出とともに世界各地に神社が建てられた。田中義一首相が昭和天皇に上奏した「田中メモ」には世界征服計画が明記されていると映画は説明している。

つまり、アメリカが「オレンジ計画」で日本に戦争を挑んだのではなく、日本が世界征服に挑戦したことになっている。たしかに近代以後、日本人の海外進出に伴い、朝鮮、樺太、関東州などに神社が次々に創建された。けれども天照大神は絶対神ではないし、天皇統治は世界を「支配」することではない。神道には教義も布教もない。

「田中メモ」は今日、偽書との評価が定まっているが、アメリカが上奏文を事実と信じ込んだのには、そのように思わせた日本人がいたからだろう。世界侵略の野望に燃えた日本人がたしかに少なからずいたのであろう。

そして、単純で、人のいい正義漢のアメリカ人は、絶対神の信仰に基づき、「世界に福音を述べ伝えよ」とのキリストの教えに基づき、まるで鏡の中の自分に瓜二つの侵略者に戦いを挑んだのだろう。そして日本の敗戦という明確な事実が残ったのである。

ポツダム宣言には「軍国主義・超国家主義」「世界征服」の表現が繰り返されている。アメリカは、「国家神道」こそがその源泉であり、靖国神社がその中心施設であって、教育勅語はその聖典だとみなした。であればこそ、靖国神社、教育勅語が攻撃目標とされた。

それなら、なぜ教育勅語が敵視されたのか。理由はその一節の誤った解釈にあるらしい。


▽3 明治天皇の御意思に反する解釈

日本の敗戦後、占領軍高官ダイクCIE局長は、日本の安倍能成文部大臣との対談で、明治の教育勅語に代わる新しい勅語作成構想をめぐって、次のように語っている。

「教育勅語としては、すでに明治大帝のものがあり、これは偉大な文書であると思うが、軍国主義者たちはこれを誤用した。また彼らに誤用されうるような点がこの勅語にはある。たとえば『之を中外に施してもとらず』という句のように、日本の影響を世界に及ぼす、というような箇所をもって神道を宣伝するというふうに、誤り伝えた」

「之を中外に施してもとらず」。この解釈がポイントだった。

もともと教育勅語は宗教性、哲学性、政治性が排除されたのであって、政治文書ではあり得ない。とくに「帝王の訓戒はすべからく汪洋たる大海の水のごとくなるべく」(『明治天皇紀』)、つまり君主は臣民の良心の自由に干渉してはならないとされた。

ところが、煥発後、芳川顕正文相は教育勅語の神聖化に取り組んだ。全国に下賜されて、式日に奉読されることとなり、各学校に奉安殿が設けられた。そしてプロシア帰りの哲学者・井上哲次郎による哲学がかった解説は、明治天皇の反対を押して、公式的解釈として定着していった。

井上の『勅語衍義』は、「いかなる国にありても、その国が文化に進める以上は東西の別なく、中外の差なく」と解説している。本来なら「中外」は「宮廷の内と外」「朝廷と民間」と解釈されるべきものを、「国の内外」とされ、教育勅語は明治大帝の御意思に完全に反して「世界征服」の教義となり、そして未曾有の敗戦の一因をなしたのである。

そればかりではない。日本の天皇こそは「軍国主義・超国家主義」のシンボルとなり、いまなお歴史的批判の対象であり続けている。

古来の、あるいは近代の天皇制は無批判的に否定されるべきものであり、であればこそ日本国憲法に基づく「象徴天皇制」が手放しで礼賛され、御公務主義に基づく女性天皇・女系継承容認論が圧倒的に支持され、あまつさえ自由恋愛主義に基づく内親王殿下の御結婚に熱狂的エールが贈られるのであろう。

一方、教育勅語の解釈だが、いっこうに正されていない。

たとえば明治神宮のサイトでは、「之を中外に施してもとらず」に「海外でも十分通用する普遍的な真理にほかなりません」の「口語文訳」が付されている。なぜ海外で通用する必要があるのか。これでは「世界征服」の夢は消えていないことになる。明治天皇がご覧になれば、どのように思し召されるのだろうか。


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