SSブログ

新嘗祭の起源は宮中なのか?──神道人にこそ知ってほしいこと [天皇・皇室]

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
新嘗祭の起源は宮中なのか?──神道人にこそ知ってほしいこと
(令和3年11月7日、日曜日)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


▽1 キリスト教のような説明

今年も新嘗祭が近づいてきた。全国のお宮で、そして宮中で、神前に新穀が供えられ、感謝と安寧の祈りが捧げられる。古き良き日本の文化である。

気になるのは、悪意ではないにしても、いや、悪意ではないからこそ始末が悪いのだが、新嘗祭の起源に関して大変な誤解をする神社人がいて、間違った情報が流布、拡大され、その結果、日本の文明のかたちが見えづらくなっているように感じられることである。

つまり、しばしば聞かれる、「本来は宮中の祭りで、神社でも行われる」「天皇の祭りにならって、全国の神社においても執り行われる」という説明である。原型は皇室にあり、やがて各地の神社に派生したということになるが、とんでもない間違いだろう。

宮中の新嘗祭と民間もしくは各地の神社での新嘗祭は目的も中身も異なるし、まるで国家宗教よろしく、皇室から地方へというトップダウン的な文化の流れで説明することには無理があるからである。

これがキリスト教のような一神教世界ならば理解できる。たとえば「主の晩餐」というイエス・キリストの事跡が、聖体祭儀という教会の儀礼として世界に広がったという歴史はある得るが、自然発生的な日本の神道儀礼には考えにくい。それともキリスト教にあやかった説明なのか。あり得ない。

日本では一神教世界とは異なり、民間に発生した文化がありのままに大切にされている。たとえば、乃木大将を祀る神社がアイドルグループの聖地ともなり得る。それが日本の多神教文明であって、それをまるで上位下達的に説明することは、日本人の信仰のあり方、そして天皇という存在を根本的に見誤らせることになる。


▽2 天神地祇を祀り、米と粟を捧げる

皇室の新嘗祭は、文献的には皇極天皇(35代)の時代に遡ることができる。日本書紀(720年)には、「皇極天皇元年(642年)11月16日、天皇は新嘗祭を行われた」と記録されている。これが文献上の初出だが、むろん歴史的始まりといえるかどうかは分からない。

宮中新嘗祭は日々行われる祭祀のなかでも第一の重儀とされる。神嘉殿で行われる新嘗祭では、皇祖神ほか天神地祇が祀られ、米と粟が神前に供され、祈りが捧げられる。

神嘉殿の新嘗祭が「米と粟の祭り」であることは、皇祖神のみならず天神地祇を併せ祀ることと関係があることは容易に想像される。皇祖天照大神から稲が与えられたとする斎庭の稲穂の神勅のみでは説明がつかない。神勅に基づいて、宮中新嘗祭を「稲の祭り」と解説することは、これまた誤りである。

一方、民間で行われる新嘗祭は、記録上は『常陸国風土記』(721年)がもっとも古い。民間に伝わる家ごとの祖霊祭祀であり、粟の儀礼である。稲の新嘗ではない。神社の神事ですらない。源流が皇室でありようはずがない。

宮中から民間へという伝播が唯一の正しい流れなら、『風土記』は民間で天神地祇を祀り、米と粟を捧げる新嘗の祭りを記録すべきだが、そのような記録はあり得ない。民間の信仰は祖霊や氏神を祀る私的な祈りが基本だし、捧げ物は土地の収穫物に限られる。天神地祇すべてを祀る神社などあるはずもない。少し考えれば、誰でも容易に分かることだ。

にもかかわらず、新嘗祭の皇室発祥説が語られている。なぜだろうか。


▽3 「しろしめす」という意味

そもそもなぜ「稲の祭り」と誤り伝えられているのか。

政府・宮内庁は天皇一世一度の新嘗祭である大嘗祭について、「稲作農業を中心としたわが国の社会に、古くから伝承されてきた収穫儀礼に根ざしたもの」と公式に説明しているが、これも間違いであることは、粟の新穀が同時に捧げられることから明らかである。

なぜ稲だけではなく、粟も、なのか。

『常陸国風土記』に粟の新嘗が記録されていることは、民間には民間のさまざまな新嘗祭があったことを想像させる。柳田國男が繰り返し書いているように、日本列島はもともと稲作適地とは言い難い。水田稲作伝来以前から非稲作民が大勢いただろうし、稲作以外の農耕があったろう。稲作信仰とは別に、非稲作地域には非稲作信仰が息づいてきただろう。

神社の新嘗祭というと「稲の祭り」と思い込んでいる神道人には、「粟穂に鶉」の古い彫り物が、豊穣のシンボルとして社殿に刻まれているのを思い出してほしい。米ではなくて粟を主食とし、神聖視した日本人が間違いなくいたことに気づいてほしい。柳田がいうように、日本人はけっして稲作民族、米食民族オンリーではないのである。

稲作民も非稲作民も「わが赤子」と思し召して、「国中平らかに安らけく」と祈り、ひとつに統合するのが古来、ミメラミコトのお役目であるならば、民が信じるあらゆる神々を祀り、稲作民の米と非稲作民の粟を捧げて祈られることが素直に理解されるのではないか。

それこそが天皇統治の「しろしめす」の意味ではないのか。だから「天皇、即位したまはむときは、すべて天神地祇祭れ」と古代律令は定めたのだろう。

天皇の新嘗祭は、血縁共同体や地域共同体の祈りの次元を超えた、国と民を統合するための公正かつ無私なる祈りなのである。だから文化の伝播の方向性としては、皇室から民間に広がったのではなく、逆に、民間の祈りが皇室に集中したということになる。


▽4 新嘗祭は「勤労感謝の日」ではない

しかし、いつしか日本人は日本社会の多様性を忘れてしまっている。そして価値多元主義に基づく天皇統治の意義を理解できなくなってしまったのではないか。

それどころではない。戦後、日本人の「米離れ」が進み、10年前にはついにパンの消費額が米を上回るようになった。そんな時代に、日本人がかつて粟を食べていたなどという昔話はもう通用しない。だから、神道人にさえ話が伝わらないのだ。

各地の神社での稲の新嘗祭は戦後、広がったともいわれる。明治以後、国民皆兵で徴兵された国民はひとしく米を食することとなり、戦中からの米の配給、食管制度が日本人の稲作民族意識を高めた。さらに全国8万社の神社を包括する神社本庁が主導する祭式の一元的普及が「稲の祭り」としての新嘗祭を全国化していったのではないかと私は疑っている。そして逆に、粟食も粟の新嘗も、急速に忘れ去られていったのではないかと。

近現代において日本人の文化的同一化が進んだ反面、暮らしと信仰における血縁的、地域的多様性が失われていき、その一方で、かつては多様性の中心として機能した天皇は、逆に一元的社会の中心に位置付けられることになったのである。古来の多元的社会が近代になって一元化し、そのことによって天皇もまた変質したということだろうか。

だとすれば、神社関係者の使命は、日本の文化的伝統を守り伝えたいと願うのであれば、八百万の神々の存在を基本とする日本人の多様なる信仰の存在をこそ説明すべきである。多元的価値を認めることが日本の精神文明の根本であり、天皇という祈りの存在の意味もそこにあることを正しく伝えるべきである。

まるで国家宗教さながらに、新嘗祭の由来を一元的に解説することは、天皇統治の歴史と伝統を否定することになると自覚すべきだと思う。新嘗祭はけっしてキリスト教まがいの単なる「勤労感謝の日」ではないのである。


【関連記事】「天皇無私」原則の現代的意義を理解しようとしない朝日新聞「眞子さま御結婚」報道〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-10-31
【関連記事】レジュメだけでは不十分だった──4月8日の有識者ヒアリング「レジュメ+議事録」を読む 4〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-05-01
【関連記事】「伝統」を見失った現代日本人に皇室の「伝統」が回復できるのか〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-04-12
【関連記事】台湾先住民の「粟の祭祀」調査。男系派こそ学びたい戦前の日本人の探究心〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-03-23
【関連記事】御代替わりを攻撃する日本キリスト教協議会リポートの不信仰〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-02-28
【関連記事】生々しい天皇意識を感じない?──過激派もネトウヨも神道学者も〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-01-31
【関連記事】陛下のお稲刈りに思う。天皇の祭祀は神勅に基づくとする通説への疑問〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-09-20
【関連記事】椎名さん、逆に人材不足でしょ。葦津珍彦のように後進を育成する人がいないのです〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-05-31
【関連記事】伊勢雅臣さん、大嘗祭は水田稲作の農耕儀礼ですか?──国際派日本人養成講座の大嘗祭論に異議あり〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2019-11-24
【関連記事】大嘗祭は、何を、どのように、なぜ祀るのか──岡田荘司「稲と粟の祭り」論を批判する〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2019-11-10
【関連記事】悠紀殿の神饌御親供は「神秘」にして語られず──荷田在満『大嘗会便蒙』を読む 12〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2019-10-17
【関連記事】やっと巡り合えた粟の酒──稲作文化とは異なる日本人の美意識〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2019-09-23
【関連記事】天皇はなぜ「米と粟」を捧げるのか?──涙骨賞落選論文「天皇とは何だったのか」4〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2019-07-21
【関連記事】神嘉殿新嘗祭の神饌は「米と粟」──涙骨賞落選論文「天皇とは何だったのか」3〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2019-07-14
【関連記事】やっと巡り会えた粟の神事──滋賀・日吉大社「山王祭」の神饌「粟津御供」〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2019-06-20
【関連記事】岡田先生、粟は貧しい作物なんですか?──神道学は時代のニーズに追いついていない〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2019-02-17
【関連記事】「大嘗祭は第一級の無形文化財」と訴えた上山春平──第2回式典準備委員会資料を読む 13〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2018-07-16
【関連記事】稲と粟による複合儀礼──両論併記にとどまる百地先生の「大嘗祭」論 4〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2017-09-05
【関連記事】「教会の外に救いなし」──「祈りの存在」の伝統とは何か? 6〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2017-06-09
【関連記事】《再掲》 大嘗祭は「稲作中心」社会の収穫儀礼か?──検証・平成の御代替わり 第7回〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2017-04-19
【関連記事】葦津珍彦の天皇論を学び直してほしい──竹田恒泰氏の共著『皇統保守』を読む 最終回〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2016-05-29
【関連記事】「米と粟の祭り」を学問的に深めてほしい──竹田恒泰氏の共著『皇統保守』を読む その5〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2016-05-03
【関連記事】なぜ粟の存在を無視するのか──竹田恒泰氏の共著『皇統保守』を読む その4〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2016-05-02
【関連記事】宮中祭祀をめぐる今上陛下と政府・宮内庁とのズレ──天皇・皇室の宗教観 その4(「月刊住職」平成27年12月号)〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2015-12-01
【関連記事】宮中新嘗祭は稲の儀礼ではない──誤解されている天皇の祭り〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2013-11-24
【関連記事】両論併記にとどまる百地先生の「大嘗祭」──百地章日大教授の拙文批判を読む その5〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2013-03-03-1
【関連記事】宮中祭祀論の深まりを願う──園部逸夫元最高裁判事の著書を読む〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-04-16-1
【関連記事】宮中の祭儀──いつ、誰が、どこで、いかなる神を、どのようにまつるのか〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-04-01-2
【関連記事】大嘗祭は米と粟の複合儀礼──あらためて研究資料を読み直す〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-18
【関連記事】「多神教文明の核心」宮中祭祀の正常化を(「伝統と革新」創刊号2010年3月)〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2010-03-01
【関連記事】皇統を揺るがす羽毛田長官の危険な〝願望〟(「正論」平成21年12月号から)〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2009-12-01-2
【関連記事】宮中祭祀の「秘儀」たる所以について──独り歩きする折口信夫の真床覆衾論〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2009-03-17
【関連記事】「米と粟(あわ)の祭り」─多様なる国民を統合する新嘗祭〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2007-11-20
【関連記事】もう一度、古代の酒に迫る──白酒・黒酒に秘められた謎。製法から浮かび上がる国家哲学(「神社新報」平成9年12月8日号から)〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1997-12-08
【関連記事】稲作を伝えた人々の神──なぜ「八百万の神々」なのか(「神社新報」平成9年3月10日)〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1997-03-10-1
【関連記事】精粟はかく献上された──大嘗祭「米と粟の祭り」の舞台裏(「神社新報」平成7年12月11日号から)〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1995-12-11-1

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:ニュース

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。