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令和3年下半期のアクセスランキングTOP10 [斎藤吉久]


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令和3年下半期のアクセスランキングTOP10
(令和3年12月31日、大晦日)
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「斎藤吉久のブログ」令和3年下半期のアクセスランキングTOP10は以下の通りです。
今年も1年間ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。


1位 君塚直隆先生、126代続く天皇とは何ですか?──5月31日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 1〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-06-27〉 

2位 半井小絵先生、和気清麻呂のご子孫とは知りませんでした──6月7日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 2〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-08-11〉 

3位 皇室伝統の皇位継承法に従うことが「宗教派」なのか──日経編集委員の解説を批判する〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-08-15〉 

4位 かつて安倍官房長官と対決した高市早苗・前総務大臣のいたってまともな皇位継承論〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-08-28〉 

5位 大石眞先生、男系の絶えない制度をなぜ考えないのですか?──5月10日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 2〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-06-13〉 

6位 百地章先生、結局、男系継承の理由は何ですか?──5月10日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 4〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-06-20〉 

7位 岡部喜代子先生「女帝は認めるが女系は認めない」現実論の前提を疑う──5月10日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 1〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-06-06〉 

8位 皇室の品位は何処へ──内親王殿下「駆け落ち婚」を黙過する現代宮内官僚たちの憲法観〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-09-05〉 

9位 綿谷りさ先生、天皇の役割とは何でしょうか?──6月7日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 1〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-08-01〉 

10位 曽根香奈子先生、さすがの見識と学びですね──5月31日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 2〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-07-04〉 


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先帝陛下「米寿」のお誕生日に、将来の皇位継承を思う [皇位継承]


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先帝陛下「米寿」のお誕生日に、将来の皇位継承を思う
(令和3年12月23日、木曜日)
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先帝陛下は今日、88歳の米寿をお迎えになった。歴代最高齢である。心からお祝い申し上げたいが、惜しむらくは、在位のまま迎えていただけなかったことである。

これまでの経緯を簡単に振り返ると、先帝が「私は譲位すべきだと思っている」と参与会議で仰せになったのは、平成22年7月と伝えられる。6年後、28年7月のNHKのスクープに端を発して、「生前退位」なる奇妙な新語がメディアを席捲するようになった。

翌月にビデオメッセージで「お気持ち」が表明されると、あれよあれよという間に「退位」特措法が作られ、御代替わりを迎えることとなったのである。

特措法の採決時には「政府は女性宮家の創設など安定的な皇位継承のための諸課題について、皇族減少の事情も踏まえて検討を行い、速やかに国会に報告する」との附帯決議が行われ、その結果、今回の有識者会議が設けられたのだった。

今年3月から13回の会合を経て、昨日、報告書がまとめられ、岸田首相に提出された。官邸のサイトに載る報告文によると、「附帯決議」とは大きな変化が見受けられる。「附帯決議」に関する有識者会議なのに、報告書には「附帯決議」にある「女性宮家の創設」が見当たらない。この変化は何によるものなのか。


▽1 皇位継承策の脱落

すでに7月の会議資料では「今上陛下から秋篠宮皇嗣殿下、次世代の悠仁親王殿下という皇位継承の流れをゆるがせにしてはならない」「当面は皇族数の確保を図ることが喫緊の課題ではないか」と報告書の内容が先取りされていた。

また、前回、12月6日の会合に配られた「報告書骨子案」では、「皇位継承のあり方」が脱落し、「皇族数の確保」に焦点が絞られていた。

そして今回、報道でも指摘されているように、「皇位継承策については示さず」(朝日新聞)とされたのである。岸田総理は「大変バランスの取れた議論」と評価したが、女系継承容認派には「結論の先送り」と受け止められることだろう。

とにもかくにも、女性天皇・女系継承容認にブレーキがかかったことは、伝統派から見れば一定の評価はできるということになる。

平成17年11月に皇室典範有識者会議が「皇位継承資格を女子や女系の皇族に拡大することが必要」「女性天皇・女系天皇への途を開くことが不可欠」(結び)と明記する報告書をとりまとめたときとは隔世の感がある。

今回の報告書は関係各位の尽力の結果であり、その労を多としたいが、糠喜びは禁物だろう。女系派の巻き返しがあることは目に見えているからだ。


▽2 説明されざる「ありがたさ」

ところで、これに関連して、先日、私も参加したチャンネル桜の討論会で、外交評論家の加瀬英明先生が「皇室をいただくありがたさ」を何度も繰り返されたのが印象に残っている。そのことについて蛇足ながら書いておきたい。

討論会の出席者は男系派ばかりだから、「ありがたさ」を疑問に思うなどということはまずない。しかし一般論として、「ありがたさ」が情緒的にではなくて、理性的に、科学的に自覚できる日本人はどれほどいるのだろうか。

「天皇陛下、万歳」と三唱する光景は、戦後はほとんど見かけなくなった。忌まわしい戦前・戦中の記憶と戦後の民主教育の結果、忌避する人たちは相当数いるに違いない。そんな人たちにとっては「ありがたさ」はあり得ないかも知れない。

それでも「ありがたさ」をいうのであれば、その意味が誰にでも分かるように合理的に説明されなければならない。保守派にはその責任があるのではないか。説明責任が十分に果たされていないことが、皇位継承問題をめぐる今日の混乱の大きな原因だと私は思う。

いみじくも政府は、皇室の「ありがたさ」が安定的に継続されることを目的として、皇室典範有識者会議などを設置してきたのではない。あくまで憲法に定められた「象徴」天皇、すなわち「国事行為」をなさる特別公務員の安定継承が目的なのであった。

他方、国民は「象徴」天皇に「ありがたさ」を感じるのではない。有識者会議での議論とはそもそも次元が異なるのである。そして、「ありがたさ」の理由は皇位の男系継承主義の理由とも通じているはずだ。けれども、いずれの理由もいまだ説明されずにいる。

となると、皇位の男系継承は将来も守られていくのだろうか。

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愛子内親王殿下が二十歳に──朝日新聞「耕論」いつもの人のいつもの皇位継承論 [愛子内親王]

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愛子内親王殿下が二十歳に──朝日新聞「耕論」いつもの人のいつもの皇位継承論
(令和3年12月12日、日曜日)
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愛子内親王殿下が先々週1日、二十歳になられたのを、朝日新聞デジタルの「耕論」が取り上げ、3人の識者に意見を語らせています。テーマはむろん皇位継承論ですが、人選といい、論調といい、いかにも朝日らしさというべきものが滲み出ています。


▽1 小宮山洋子さん、男系が絶えない制度を考えて

1人目は、ジャーナリストの小宮山洋子さんです。「若い皇族、人生選べる道を」の見出しが付いています。小宮山さんは以前、少子化対策担当大臣でもありました。

小宮山さんは、「天皇制は存続すべきだろう」と考えています。だからこそ、「女性・女系天皇を認めることが不可欠」と訴えています。日本は「超少子化」に直面しており、皇族も例外ではないのだから、「継承権を男女に開くしかない」というわけです。現実論です。

一方で、小宮山さんは、「天皇になることは愛子さまにとって幸せなのか」と問いかけます。「継承者が少ないほど、人権軽視の状況は時の経過とともに強まる」とも主張しています。「このままでは、愛子さまはいずれ皇室を離れることになるのか、または皇位継承を急に求められることもありうるのか、自分の人生を見通すこともできない」と訴えています。

小宮山さんは、東日本大震災のとき、「今の上皇ご夫妻からお見舞いを受けた被災者の笑顔を間近で目にして、皇室が多くの国民の『支え』となっていると感じた」そうですが、そうした天皇のあり方は、何に由来するのでしょう。

天皇が公正かつ無私なる祭り主として、男系によって継承されてきたことと結びついているのではないのでしょうか。小宮山さんは「国中平らかに安らけく」と祈る天皇の祭祀についてお考えになったことはおありですか。

また、皇室には、皇祖神からこの国の統治を委任されたとする皇室の物語が伝えられ、皇位が継承されてきた歴史を重視するのなら、「人権」思想を持ち込むのは適切ではありません。国民の側から、皇位継承のルールの変更を求めるべきでもありません。むしろ男系が絶えない継承制度のために知恵を絞るべきではありませんか。


▽2 横田耕一さん、1から議論するというのなら

2番目は憲法学者の横田耕一さん(九州大学名誉教授)です。記事には、「男系男子のみ、制約は違憲」の目出しが付いています。

横田さんの主張は、あいも変わらずというものです。憲法は男女平等を定め、法の下の平等を謳っている。憲法2条の「世襲」は矛盾であり、皇位を「男系男子」に限る皇室典範は憲法違反だと訴えています。

しかし、憲法学者の小嶋和司・東北大学名誉教授(故人)が指摘したように、天皇という制度を憲法に規定することは、国民の法の下の平等とは別のはずです。法の下の平等をどこまでも主張するなら、天皇の存在もまた否定されなければなりません。

横田さんは「戦前と戦後では天皇の制度が根本的に変わったにもかかわらず、実際には戦前の皇室イメージがそのまま戦後社会に流れ込んでいる」と指摘しますが、戦前と戦後の対比ではなく、天皇とは歴史的な存在として理解されるべきではないでしょうか。

横田さんは「身分を離脱する自由」にも言及していますが、既述したように、天皇統治は皇祖神の委任によるものであり、皇位は皇祖神の神意に基づくというのが、皇室の天皇観です。「天皇と皇族に何を求め、天皇制をどう考えるかを、存否を含めて一から議論すべきだ」というのなら、皇祖神の委任に遡って議論すべきではないでしょうか。

横田さんは、「天皇に代わる統合の軸を日本国民は確立した方がいい」と仰せですが、そのようなものはあり得ません。とすれば、男系継承維持の制度こそ確立した方がいいのではありませんか。


▽3 水島治郎さん、時代に合わせて変化した?

最後は、政治学者の水島治郎さん(千葉大学教授)です。見出しは「欧州王室『多様性』に対応」です。

ヨーロッパ政治がご専門の水島さんは、オランダの最新情報から説き起こしています。同国には「愛子さまと同世代の王女がいる。いずれ女王になる予定のアマリア王女である」「オランダ首相は先日、『もし王女が同性婚を望む場合も王位継承権を放棄する必要はない』と表明した」というわけです。

水島さんは「王室存続と人権の議論がここまで来ているのかと感じた」というのですが、王位継承論と人権問題という捉え方は適切でしょうか。

水島さんによると、欧州では、人権が保障された民主主義国家に君主制が残っている。それは、「君主制が民主主義と適合的だからではなく、時代に合わせてうまく変化してきたから残ったのだ」と解釈しています。

「欧州王室が21世紀に直面しているのが、ジェンダー平等など『多様性』を求める要請だ。欧州王室はこの波にも対応しつつある」と水島さんの解説は続きます。「皇位継承者を『男系男子』に限定している日本の象徴天皇制のあり方とは対照的だ」というわけです。

水島さんは「欧州王室」と一括りにされますが、けっして一様ではありません。君主制と民主制の対比も的確とはいえないでしょう。なぜなら、とくに北欧で20世紀後半に女子の継承が認められたのは、民主主義の成熟のほかに、国民が王位継承者を決める「選挙君主制」の伝統が底流にあるからです。時代に合わせて変化したのではなく、伝統に従ったのです。


▽4 朝日新聞の編集者さま、もっと多様な意見を取り上げて

水島さんの意見は「多様性」をキーワードにし、だから欧州に倣い、「男系男子」継承を改めるべきだと訴えるのですが、日本の皇室こそ「多様性」の元祖ではないのですか。

ヨーロッパ王室では戴冠式などは一神教の儀礼に基づき行われますが、天皇の祭りは皇祖神ほか天神地祇を祀り、多神教儀礼によって行われます。人々の異なる信仰と暮らし、社会の多様性、価値多元主義が前提なのです。

さて、最後に朝日新聞「耕論」担当の編集者にお願いです。「おりおり論争になっているテーマを取り上げ、複数の識者の意見や対談を紹介する」ことが「耕論」の企画の趣旨であるならば、もっと多様な意見を取り上げていただきたいものです。いつもの人にいつもの話を語らせていては「耕論」とはならないでしょう。


【関連記事】「男系男子」継承の理由が説明されない。だからアメリカ人にも理解されない〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-11-14
【関連記事】河野太郎・総裁候補の非「保守」的皇位継承論──天皇を論ずる資格がない〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-09-12
【関連記事】かつて安倍官房長官と対決した高市早苗・前総務大臣のいたってまともな皇位継承論〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-08-28
【関連記事】君塚直隆先生、126代続く天皇とは何ですか?──5月31日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 1〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-06-27
【関連記事】大石眞先生、男系の絶えない制度をなぜ考えないのですか?──5月10日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 2〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-06-13
【関連記事】所功先生、「女系容認」派からの華麗な転身はなぜ?──4月21日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 2〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-05-17
【関連記事】今谷明先生、なぜ男系の絶えない制度を考えないのですか?──4月21日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 1〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-05-16
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【関連記事】「2つの柱」は1つ──「女性宮家」創設の本当の提案理由 4〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2017-05-28
【関連記事】田中卓先生の著作を読んで──「皇国史観」継承者が「女性皇太子」を主張する混乱 by 佐藤雉鳴・斎藤吉久〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2014-03-01
【関連記事】「男系の絶えない制度」をまず考えよ──「女性宮家」創設の先に「男系皇統の終わり」〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-01-22
【関連記事】基本を忘れた女系継承容認論──小嶋和司教授の女帝論を読む〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-31
【関連記事】女系継承を否定するだけでは不十分───橋本明著『平成皇室論』を批判する 番外編その2〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2009-11-17-1
【関連記事】参考にならないヨーロッパの「女帝論議」──女王・女系継承容認の前提が異なる(「神社新報」平成18年12月18日号から)〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2006-12-18
【関連記事】女系継承は天皇の制度といえるのか──皇室典範有識者会議を批判する(「正論」平成17年12月号から)〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2005-12-01

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「類例なき」内親王殿下御結婚は「合法」だったのか──皇太弟殿下会見の「慣習」発言を疑う [眞子内親王]


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「類例なき」内親王殿下御結婚は「合法」だったのか──皇太弟殿下会見の「慣習」発言を疑う
(令和3年12月1日、水曜日)
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皇太弟殿下は昨日、56歳のお誕生日をお迎えになった。先月25日に行われた宮内記者会の会見では、お祝いどころか、第一問から眞子内親王殿下の御結婚に関する厳しい質疑が根掘り葉掘り加えられた。だがしかし、宮内庁に矢面が向けられることはなかった。

内親王殿下の御結婚は儀式が行われず、一時金の支給もなかった。御結婚当日には皇太弟殿下は妃殿下と連名で、「(結婚の公表以来、予期せぬ出来事が起こり)皇室への影響も少なからずありました」「皇室としては類例を見ない結婚となりました」などと綴られた「感想」を発表されていた。

記者会はまず、この「皇室への影響」の中身を問いかけた。これに対して殿下は、2点について答えられた。1点は、天皇・皇族方の発言などを誤り伝えるメディア報道についてで、報道が誤りであるなら、それは至極当然のことであった。

私が気になったのは2点目である。殿下は、「普通であれば行われている三つの行事、納采の儀と告期の儀と入第の儀を行わなかったこと」と述べられた。

さらに、「私の判断で行わなかった」「元々は皇室親族令にあるもので、今はもう皇室令はないので、絶対にしなければいけないというものではない」「慣習的に行われているもので、私は本来であれば行うのが適当であると考えている」「行わなかったそのことによって皇室の行事、儀式というものが非常に軽いものだという印象を与えたということが考えられる」と続けられた。

私が気になるというのは、儀式を行わないという殿下のご判断の根拠が、かつての皇室令は廃止され、慣習として受け継がれている、だから必ずしも法的義務はないという法解釈にあるとすると、厄介なことになりそうだと思ったからである。


▽1 皇室親族令の廃止と依命通牒の通達

皇室の婚姻について定めた、戦前の皇室親族令(明治43年)が、昭和22年5月3日の日本国憲法の施行に伴って廃止されたことは、歴史の事実である。

しかし案外、知られていないことだが、同日、宮内府長官官房文書課長名による依命通牒が発せられ、第三項「従前の規定が廃止となり、新しい規定ができていないものは、従前の例に準じて、事務を処理すること」によって、皇室親族令の中身はいまなお生きていると考えられる。戦後75年、いまだ「新しい規定」はないからである。

平成3年4月25日の参院内閣委員会で、宮尾盤宮内庁次長は「(依命通牒の)廃止の手続はとっておりません」と明白に答弁しており、法的効力はいまもあるとみるべきだ。皇室令の法的効力は失われたが、依命通牒の法的効力は失われていない。とすると、「慣習的に行われている」では済まないのではないか。法は守られなければならない。

殿下は、納采の儀と告期の儀と入第の儀の「三つの行事」を行わなかったと仰せだが、正確にいえば、皇室親族令附式に規定された、内親王が臣籍に嫁する場合における式には、(1)納采の儀、(2)告期の儀、(3)賢所皇霊殿神殿に謁するの儀、(4)参内朝見の儀、(5)皇太后に朝見の儀、(6)内親王入第の儀、の6つがある。

このうち「三つの行事」以外は行われたという意味なのだろうが、中味も順序も「慣習」に従っていない。たとえば、三殿に謁するの儀は洋装で、庭上から「私的」に行われた。また、本来は予定されないはずの先帝先后の山陵に謁するの儀は、諸儀礼に先立って行われた。だからこそ「類例をみない」のである。

皇室親族令は確かに廃止された。しかし依命通牒第三項によって附式は生きているとすると、附式の定めに従わない、したがって合法性が疑われる眞子内親王の御結婚は、皇室行事の「軽さ」に「影響」したどころではなく、皇室の遵法精神が疑われる事態を招いたのではないかと危惧される。

殿下は関連質問でも、小室氏の文書を読んだうえで、「殿下の判断」で、3つの儀式を行わないこととしたと述べられたが、そうなるとますます殿下ご自身の法的責任が問われかねない。これはじつに厄介である。


▽2 「従前の例によれない」という判断

問題は宮内庁の立場である。「皇族に関すること」「儀式に関すること」(宮内庁法第2条)を所掌事務とする宮内庁がどのようにサポートしたのかである。

まず依命通牒だが、平成3年の国会答弁で宮尾次長は、「宮内府内部における当面の事務処理についてのいわゆる考え方を示したものでありまして、これは法律あるいは政令、規則というようなものではございません」と答えている。内部文書だから依命通牒には法的効力はない。したがって、附式の中身は「慣習」に過ぎない、という意味らしい。

この解釈は殿下の説明を端的に後押ししているが、宮内府長官官房文書課から各部局長官に対して通達された依命通牒は、「内部文書」とみなすべきなのかどうか。

注目されるのは、同じ日に、同じ委員会で、宮尾答弁に続いて行われた秋山收内閣法制局第二部長の答弁である。

秋山氏は「通牒は三項、四項をあわせ読めば、現行憲法及びこれに基づく法令に違反しない範囲内において従前の例によるべしという趣旨である」と答えている。第四項には「前項の場合において、従前の例によれないものは、当分の内の案を立てて、伺いをした上、事務を處理すること」とある。

つまり、皇室親族令は廃止された以上、法的効力は認められない。「従前の例」に従えないなら、「当分の内の案」を側近が皇太弟殿下にお伺いを立て、「殿下が判断」されたということになるだろうか。

だとして、「従前の例によれない」と判断した根拠は何か。誰の判断なのか、殿下だけの判断なのか、が問題となる。


▽3 皇室の歴史と伝統をねじ曲げた宮内庁

依命通牒が重要なのは、戦後の宮中祭祀継続の法的根拠とされたからである。皇室祭祀令は廃止されたが、依命通牒第三項によって附式は踏襲されてきた。そして天皇の祭祀は占領期も、社会党政権下でも、続いてきた。

ところが、昭和50年9月1日をもって祭祀は改変され、簡略化の一途をたどった。主導したのは祭祀嫌いの入江相政侍従長と無神論者を自認した富田朝彦宮内庁長官であった。祭りをなさることが天皇第一のおつとめと考える伝統的天皇観を、側近中の側近が毛嫌いし、拒否し、法的に失墜させたのだった。

その根拠として使われたのが依命通牒第四項であった。「従前の例によれない」と判断することになった根拠は、宮中祭祀改変の場合は、憲法の「政教分離」原則だった。そして伝統的「祭り主」天皇は憲法的「象徴」天皇に鞍替えさせられたのである。

しかし、このときどのような議論が宮内庁内で行われたのかは、戦後史の謎である。

今回のきわめて異例な御結婚の背後には、昭和の祭祀改変と同様の法的論理が影を落としている。皇室令を「慣習」と切って捨て、皇室の歴史と伝統は守られなかった。殿下にとって苦渋の選択だったことは重々、承知しているが、殿下だけの判断ではあり得ない。賢い宮内官僚たちは陰に隠れたままである。

今回の御結婚について、宮内庁は十分な身辺調査を怠った。その責任について側近は誰ひとり言及していない。しかも、実際の婚姻について、簡単に法的ルールを変え、歴史と伝統をねじ曲げた。形式がたやすく変えられるということになると、古来、儀式中心の世界である「皇室への影響」は計り知れないことになる。何でもありになり得る。

側近たちは殿下にどのような助言を申し上げたのか、それともしなかったのか。宮内庁はダンマリを決め込んでいる。その結果、「殿下の判断」ばかりがクローズアップされている。藩屏なき皇室、ここに極まれりである。


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