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安倍流保守陣営を批判するだけでは足りない──伊藤智永毎日新聞記者の有識者会議報告批判を読む [退位問題]

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安倍流保守陣営を批判するだけでは足りない
──伊藤智永毎日新聞記者の有識者会議報告批判を読む
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「サンデー毎日」5月21日号に、伊藤智永記者が「退位問題を徹底考察!! ポスト平成時代の天皇論」を書いている。

 伊藤記者は、陛下が昨夏のお言葉で問題提起した「象徴のあり方」をめぐる本質的な議論を、有識者会議が切り捨てていると指摘しているが、そこまではまったく同感である。

 陛下が国民に問われたのは、退位の認否ではなくて、戦後の象徴天皇制度のあり方そのものであろう。それに対して、もっぱら退位の認否と法制化の方法論にほぼ終始した有識者会議は大いに批判されてしかるべきだと思う。

 伊藤記者のこのような記事が現れたことに、私は心から敬意を表したい。ただし批判もある。


▽1 有識者会議は動かなかった

 発端となった昨年8月のお言葉とは何だったのか、伊藤記者は次のように解説する。

「天皇陛下は自らの体験を省察した結果、天皇の象徴性は、憲法に列挙された国事行為だけでは実現されないと確信した。どうすれば象徴天皇であり得るかは、時代に応じた独自の行為を積み重ねることによって造形するしかなく、象徴天皇制として成り立つかは、国民の理解と共感によって肉付けできるかにかかっている。象徴天皇を具体化し、続けていくのは、優れて創造的な営みに他ならず、そのための体力と気力と感性、若さと成熟のバランスが必要である。自分と皇后が創始した象徴のあり方を、公務縮小や摂政という空白や中断を挟まず、この先も息長く継続させていくためにどうすべきか、政府と国民が皆で考えてほしい、と問いかけた」

「天皇主権が国民主権に変わった戦後民主主義でも天皇制を続けていくなら、象徴天皇制でいくしかないと憲法は定めた。自分と皇后は生涯かけてその実践に努めてきたが、政府と国民はこの先も象徴天皇制を続けていく意志がありますか、あるなら制度の改革が必要だが、何年も前から政府に働きかけても、政治家は火中の栗を拾おうとしない。官僚任せの先送り癖と事なかれ主義で一向に動いてくれなかった。やむを得ず、思い切って国民に直接『個人として、これまでに考えて来たこと』『私の気持ちをお話し』するので検討してほしい、と行動された」

「政府と国民に求められたのは、象徴天皇制に対する支持の再確認、天皇、皇后両陛下が実践してきた象徴としてのお務めを評価するなら『平成流』の定着と継続に協力してほしい、また象徴制の担い手を安定的に確保(皇統継続)するために不可避な女性宮家創設または女性天皇容認を早く決断してほしい、という点にあったのは明白である」

 しかし有識者会議は動かなかったと指摘し、伊藤記者はさらに安倍流保守陣営への批判を展開している。


▽2 なぜ祈りに注目しないのか

 伊藤記者と私の違いは4点である。

 まず、「平成流」である。

 陛下が皇后陛下とともに実践的に築き上げられてきた象徴天皇のあり方を、皇室ジャーナリズムはしばしば「平成流」と呼んでいる。伊藤記者によると、陛下はお言葉で、国民に「平成流」への支持を求めたと解釈しているが、そうではないと思う。

 もともと陛下は「平成流」を認めておられない。ご在位二十年の記者会見では、ずばり「平成の象徴像というものをとくに考えたことはありません」と答えられているほどだ。陛下は、新しい皇室像を作られたのではなくて、歴代天皇に思いを馳せ、歴史を引き継ぐことの重要性を指摘されている。

 ついでながら、伊藤記者は「生前退位」なる表現を使用しているが、そのような皇室用語はない。女性天皇・女系継承容認=「女性宮家」創設を陛下がお望みであるかのような解説は勇み足だと思う。

 第2に、それと関連して、伊藤記者が「宮中祭祀の多くは近世末期、人為的に創造された」と断定しているのには、承知できない。

 陛下はいみじくもお言葉で、「天皇の務めとして,何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来」られたと仰せで、伊藤記者がいう「平成流」のご活動はこの祈りの結果であり、その祈りは「およそ禁中の作法は神事を先にす」(順徳天皇「禁秘抄」)と歴代天皇が信じた、天皇=祭り主とする古来の皇室観による。

 振り返れば、宮内庁によるご公務ご負担軽減は、ご在位二十年を機に、ご年齢とご健康を名目に始まったが、もっぱら標的にされたのは祭祀であり、ご公務は逆に増え続けた。

 このご負担軽減策の失敗によって、皇室の伝統と憲法の規定の2つを大切にされることを繰り返し表明されてきた陛下の苦悩がいちだんと深まったことは明らかだろうし、昨夏のお言葉へとつながったことは容易に想像される。

 伊藤記者が陛下の祈りに注目しないのは、偏見でもあるのだろうか。祭祀の多くは明治の創作とする理解も疑わしい。

 明治以前は大祭級では神嘗祭(かんなめさい)、新嘗祭(にいなめさい)の2祭、小祭級では歳旦祭(さいたんさい)、祈年祭(きねんさい)、賢所御神楽(みかぐら)の3祭、そのほか四方拝(しほうはい)、節折(よおり)、大祓(おおはらい)の3式がすでに定められていた。

 新たな祭祀には、元年8月に創祀された明治天皇誕生日の天長節などがあるが、これを「祭祀の多くは」と表現するのは無理があろう。正確な議論を望みたい。


▽3 なぜ宮内庁を批判しないのか

 第3に、伊藤記者は政治記者だから、勢い安倍政権批判に傾くのは理解できないわけではないが、バランスに欠けていないか。

 憲法は国事行為については定めているが、ご公務には法的根拠はない。であればこそ、陛下は全身全霊をもって、みずから象徴天皇のあり方を模索し続けてこられた、そうせざるを得なかったのだと思う。

 戦前は皇室典範を頂点とする宮務法の体系があったが、日本国憲法の施行とともに皇室令は全廃され、それに代わる法体系はこの70年、作られなかった。

 この不作為を批判されるべきは、安倍政権ではなくて、日本国民とその代表者たちである。だからこそ、陛下は主権者とされる国民に問いかけられたのではないか。

 第4は、舌鋒鋭い政権批判に引き替え、伊藤記者の記事には宮内庁批判が見当たらないことである。

 伊藤記者は陛下のお言葉を高く評価しているが、なぜ陛下はみずからビデオでお言葉を発せられなければならなかったのだろう。宮内庁長官ほか側近たちがお気持ちを代弁することはできなかったのか。

 あまつさえ、関係者のリークと思われる「生前退位」報道がことの発端とならなければならなかったのは、なぜなのか。

 私は、宮内庁の機能不全は明らかであり、批判されてあまりあると思うが、伊藤記者はそうは思わないのか。それとも宮内庁批判は次号に載るのだろうか。

「生前退位」なる用語でイメージ操作しようとしたメディアの責任も避けられないと思う。

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「生前退位」3つの衝撃と6つの論点──問われているのは「退位」の認否ではない(「月刊住職」平成28年12月号) [退位問題]

以下は「月刊住職」平成28年12月号に掲載された拙文です。若干の加筆修正があります

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「生前退位」3つの衝撃と6つの論点
──問われているのは「退位」の認否ではない
(「月刊住職」平成28年12月号)
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 宝算82(28年12月23日で83になられた)。昭和天皇、後水尾天皇に次ぐ歴代3位のご長寿となられた今上陛下の「生前退位」問題が、身につまされると感じる本誌(「月刊住職」興山舎刊)読者が少なくないと聞く。

 長命は慶事のはずなのに、現実は足腰が弱り、読経も十分に勤まらない。入院が続き、寺務も滞っている。財産目録や収支計算書を毎年、揃えるのは億劫だ。露骨に引退を促す檀家さえいる。宗教法人法上の義務が果たせないなら、行政も黙ってはいない。

 税務署は宗教家をサービス業に分類しているが、住職は事業家ではない。寺は事業所ではない。本来、僧侶の務めは何かという本質論が求められている。

 陛下もまた同様に、天皇とは何かを、憲法上、主権者とされる国民1人ひとりに問いかけておられるのではないか。

 いわゆる「生前退位」問題には、3つの衝撃と6つの論点があるように思われる。

 第1の衝撃は、いうまでもなく、今夏(平成28年)のNHKのスクープである。

 7月13日、夜7時のニュースは「天皇陛下『生前退位』の意向示される」と報道した。数年内の譲位を望まれている。陛下ご自身がお気持ちを表す方向で調整が進められている、とも伝えられ、メディアはそろって後追いした。

 2つ目の衝撃は、リークを濃厚に匂わせるNHK報道が今年(28年)の新聞協会賞に選ばれたことである。受賞理由は「国民的議論を提起した。与えた衝撃は大きく、皇室制度の歴史的転換点となり得るスクープ」と説明された。

 3番目は、お気持ち表明についての皇后陛下のご感想である。

「新聞の1面に『生前退位』という大きな活字を見た時の衝撃は大きなものでした。それまで私は、歴史の書物の中でもこうした表現に接したことが一度もなかった」と、お誕生日に際しての文書回答で述べられた。

 なぜこれらが衝撃なのか、6つの論点をひもとけば、明らかになろう。


▽1 「生前退位」なる皇室用語はない

 第1の論点は誰が、なぜ「生前退位」と言い出したのか。第2の論点は、誰が、何のためにNHKに皇室の内部情報を流したのか、である。

 もともと「生前退位」なる皇室用語はない。「退位」「譲位」ではなく、もっぱら「生前退位」なる新語が用いられている理由は何だろう。皇后陛下のご感想後、「生前退位」と表現しない報道が増えたが、NHKはなおもこだわっているらしい。

 陛下に直接取材することは不可能だから、NHKの特ダネが宮内庁関係者の情報提供に基づいていることは明らかである。陛下が「生前退位」と仰せになったわけではないようだから、情報提供者か、もしくはNHK記者が「生前退位」と表現したことになる。

 NHK・WORLDは英語で「abdication」と表現している。朝日新聞の英語版も同様だし、海外メディアは「retire」とも伝えているから、「退位」でもいいはずだ。なのに、である。

 国会で天皇の「生前退位」が話題になったのは3回しかない。国会議事録によれば、昭和58年3月の参議院予算委員会が最初らしい。

 江田五月議員(社民連)がウォーターゲート事件、ロッキード事件に触れつつ、当時、「生前退位」問題が話題になっていることを取り上げ、皇室典範改正の可能性を内閣法制局にただそうとしたのに対して、法制局を制して答弁した中曽根康弘首相は「不謹慎なデマ」と完全否定している。

 翌年4月の参議院内閣委員会では、太田淳夫議員(公明党)が山本悟宮内庁次長(のちの侍従長)に、今日と同様、昭和天皇がご高齢のなか激務をこなされている現実をあぶり出し、「生前退位」の提案が出ていることを指摘して、宮内庁の考え方を問いただした。

 これに対して山本次長は、陛下はお元気である。皇室典範は「退位」規定を持たない。皇位安定のためには「退位」否認が望ましい。摂政、国事行為の臨時代行で対処できるから皇室典範再考の考えはない、と否定している。


▽2 「生前退位」を避けてきた宮内庁

 今日の議論と真逆なだけでなく、宮内庁が「生前退位」なる表現を避けてきたことは注目される。明治以降、「退位」は認められず、現行皇室典範にも規定はない。政治的権能を持たない天皇の御発意から制度改革の議論が開始されるのは前代未聞だ。違憲の疑いは当然だろう。ましてやなぜ「生前退位」なのか。

「文藝春秋」10月号(28年)によると、今上陛下は平成22年7月22日、御所で開かれた参与会議で、皇后陛下のほか、羽毛田信吾宮内庁長官、川島裕侍従長、3名の宮内庁参与(湯浅利夫元長官、栗山尚一元外務事務次官、三谷太一郎東大名誉教授)を前に、開口一番、「私は譲位すべきだと思っている」と述べられ、はじめて御意思を伝えられたという。

 会議では皇后陛下をはじめ全員が反対した。摂政案の提示もあったが、陛下は「摂政ではダメ」と否定された。まれに見る激論となったが、御意思は揺るがなかったという。

 少なくとも「譲位」なら理解できる。それがなぜ「生前退位」報道になったのか。NHKは「退位のご意向」とは伝えなかった。歴史用語である「譲位」「退位」ではなく、宮内庁が嫌ってきたはずの「生前退位」を用いた理由は何だろう。

 平成の皇室制度改革は、小泉内閣時代の8年、鎌倉節長官の指示で非公式に始まったといわれる。過去の歴史にない女系継承容認=「女性宮家」創設論も、提案者は顔を見せないままだった。媒体を選び、情報を小出しに漏らし、世論の動向を見定めつつ、改革作業は進められた。今回も同じである。


▽3 仕掛け人は風岡長官自身か

 第3の論点は、お言葉が発せられるようになった経緯は何か。第4の論点は、本当のお気持ちはどこにあるのか、である。

 風岡典之長官は(28年)9月末、退任した。70歳定年とはいえ、年度末まで勤め上げる慣例を破り、有識者会議発足を目前にせき立てられるような退職は異例だ。「お気持ち表明に至る過程で、宮内庁の対応に不満を持った官邸が人事でテコ入れを図った」とも解説されている。

 退任会見で、風岡長官は、5、6年前、陛下の意思表示があったこと、昨年(27年)ごろからお気持ちの表明を模索してきたこと、憲法問題もあるので、内閣官房とも調整したことを明らかにした。

 これらはメディアが解明してきた事実関係と大差はない。だがNHKのスクープ直後の受け答えとは異なる。

 あの夜、次長は「報道されたような事実は一切ない」と全面否定し、長官は「次長が言ったことがすべて」と述べた。長官の退任会見はみずからウソを認めたことになる。

 もっとも翌日の会見では、長官は打ってかわって陛下のお気持ちを匂わせた。メディアを利用した一連の仕掛け人はもしや長官自身なのか。

 報道によれば、7年前から天皇陛下と皇太子殿下、秋篠宮殿下による三者会談が設けられてきた。24年6月に風岡次長が長官に昇格すると三者会談は定例化し、長官もオブザーバーとして同席し、ご意向を聞き及ぶことになった。

 今年(28年)5月、宮内庁当局が大幅なご公務削減策を提示すると、陛下は強い難色を示された。「削減策を出すなら、なぜ退位できないのか」

 原案を突き返された官僚たちは遅まきながら仕組み作りに走り出した。

 そして編み出されたのが、メディアにスクープ報道させ、宮内庁当局が否定し、「どっちが本当か」と国民の注目を集めさせ、陛下ご自身にお気持ちを表明していただくというシナリオではなかったかというのだ(「週刊新潮」28年7月28日号。「ダイヤモンド・オンライン」同年8月26日など)。


▽4 なぜ今回は「ご意向」なのか

 宮内庁は「退位」を思いとどまるよう説得できず、逆に「退位」を認めるような方針転換を図ることになったらしい。

 小泉内閣の皇室典範有識者会議は皇族方の意見に耳を傾けず、それどころか女系継承容認への懸念を示された寛仁親王殿下に、羽毛田長官は「皇族の方々は発言を控えて」と口封じに及んだ。だが今回は「ご意向」優先に変わった。

 正確にいえば、変更は3年前である。宮内庁は「御陵および御喪儀のあり方」について、非公開で検討を進め、御陵の規模の縮小や御火葬の導入など、改革を決めたが、これは「両陛下の御意向を踏まえ」た結果とされ、内廷のこととされて、議論らしい議論は起きなかった。

 そして今回も「ご意向」である。

「個人としての考え」とされる(28年)8月8日のビデオ・メッセージには、もちろん「生前退位」はない。制度上の制約を考えればそのような表明などあるはずもない。陛下は「天皇もまた高齢となった場合、どのようなあり方が望ましいか」を問いかけられたのだ。

 身体の衰えから象徴としてのお務めを果たしていくことが難しくなるのではないかと懸念され、一方で、国事行為や公的行為の縮小、摂政を置くことを疑問視され、さらに御大喪関連行事が長期にわたって続くことにも懸念を示されたうえで、象徴天皇の務めが安定的に続くことを念じられた。

 これをNHKは「生前退位の意向が強くにじむ」と伝えているが、単純すぎないか。「譲位」のお気持ちは否定できないにしても、ご真意はほかにあるのではないか。

 いみじくもお言葉は「象徴としてのお務めについての」と題されている。高齢化社会という現実を踏まえ、「象徴天皇」のあり方について、主権者とされる国民に深く考えてほしいというのがご真意ではないのか。

 その意味では、菅義偉官房長官が「ご公務のあり方について、引き続き、考えていくべきものだと思う」と述べているのは正しいと思われる。

 戦後の象徴天皇制度は明文法的な規定が十分に整備されていない。戦後70年間、国民もその代表者たちも制度の中身を埋める作業を怠ってきたからだ。

 明治憲法下では、憲法と相並ぶ皇室典範があり、宮務法の体系があった。しかし日本国憲法施行とともに、旧皇室令は全廃され、宮務法の体系は失われた。新たな法体系はいまだ創られていない。現行皇室典範は一法律に過ぎない。


▽5 無視された昭和天皇の「退位」表明

 伝統主義の立場から天皇第一のお務めとされる宮中祭祀は敗戦後、「宗教を国家から分離すること」を目的とする神道指令により「皇室の私事」に貶められた。祭祀を司る掌典職は内廷機関と位置づけられ、職員は天皇の私的使用人とされた。

 当時の政府は、祭祀=「私事」説に不満だったが、占領下では反対のしようもない。「いずれきちんとした法整備を図る」が政府の方針とされたが、結局、70年間、実現への動きはなかった。

 それでも祭祀が存続し得たのは、新憲法施行に伴って、宮内府長官官房文書課長の依命通牒、いまでいう審議官通達が発せられたからだ。その第3項には「従前の規定が廃止となり、新しい規定ができていないものは、従前の例に準じて事務を処理する」と記されていた。

 皇室祭祀令は廃止されたが、それに代わる規定は作られず、廃止されたはずの祭祀令の附則に準じて、祭式が占領下も、社会党政権下も存続したのである。

 皇位継承、服喪、喪儀、陵墓なども同様で、「いずれ」の機会は来なかった。

 岸内閣時代の昭和34年、賢所で行われた皇太子殿下(今上天皇)御結婚の儀は、「国の行事」(天皇の国事行為)と政府決定され、ようやく占領下の宮中祭祀=皇室の私事説が打破されたかに見えたが、御成婚の諸行事すべてを国の行事=天皇の国事行為と位置づけるものではなかった。

 逆に大きな変化が現れたのは、昭和天皇の晩年である。昭和43年、侍従次長となった入江相政(のちの侍従長)は皇室制度の整備どころか、祭祀の「簡素化」を「工作」し始めた。毎月1日の旬祭の御親拝を年2回に削減し、年末年始の祭儀や皇室第一の重儀とされる新嘗祭を簡略化することに熱中した。目的はご健康への配慮とされたが、疑わしい。

 さらに49年、富田朝彦次長(のちの長官)が登場すると、祭祀簡略化は本格化した。50年8月15日の宮内庁長官室会議以後、平安期に始まった天皇の毎朝御拝の歴史を引き継ぐ、侍従による毎朝御代拝の形式が変更された。

 その根拠は依命通牒第4項「前項の場合において、従前の例によれないものは、当分の内の案を立てて、伺いをしたうえ、事務を処理する」で、憲法の政教分離原則に配慮した結果だった。公務員である侍従は宗教である天皇の祭祀に携わることはできないとされた。

 側近が進める祭祀簡略化に、昭和天皇はご不満で、何度も「退位」を表明されたらしいことが「入江日記」に記録されている。

 55年9月、後水尾天皇三百年祭の前日に研究者による御進講が行われると、昭和天皇は退位の事績に高い関心を示され、「資料を集めるように」と侍従らに指示されたという。

 昭和天皇最後の側近とされる卜部亮吾侍従の「日記」によると、最晩年には「摂政を置いた方が良いのでは」と繰り返し語られた。しかしご意向は、政府にもメディアにも取り上げられなかった。


▽6 行動主義に基づくご公務

 第5番目の論点は、なぜ政府は「天皇の公務の軽減等に関する有識者会議」と称したのか。6番目の論点は、お気持ち実現のために特別法と皇室典範改正のいずれを選択すべきか。目下の議論はこの6番目に集中し過ぎている。

 今回の「生前退位」問題は、平成22年7月の参与会議に始まると考えられている。議論の出発点として象徴天皇としてのご公務があり、陛下は「全身全霊をもって象徴の務めを果たして」こられた。「憲法上の象徴としての務めを十分に果たせる者が皇位にあるべきだ」とお考えで、陛下は「退位」を表明されたとされている。

 本当にそうだろうか。問われているテーマは、一般に議論されている「退位」を認めるかどうかではなくて、象徴天皇制の暗黙の前提とされているご公務主義、行動主義ではないだろうか。

 宮内庁のHPには「ご活動」が列挙され、「国事行為などのご公務」のほか、「行幸啓」「外国御訪問」「伝統文化の継承」などが説明されている。

「ご活動」なさることが天皇の役割だという考えはすぐれて近代的で、けっして125代続いてきた皇室の伝統ではない。

 8月(28年)のお言葉で「日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましいあり方を、日々模索しつつ過ごしてきた」と仰せの陛下が、それだけに高齢化によって「譲位すべきだ」と深く悩まれるのは、近代主義にこそ大きな原因があるのではないか。

 装束を召され、薄化粧されて御簾のかげに端座されていた古来の祭り主ではなく、洋装し、ときに軍服に身を包むこととなった近代天皇の原理は行動主義である。この原理に立つとき、いずれ否応なしに立ちはだかるのが、ご健康・高齢化問題であることは目に見えている。

 高齢化社会の結果であると同時に、日本の皇室が近代主義を受け入れたことが今日の問題を招いたといえる。


▽7 ご負担軽減に失敗した宮内庁

 御在位20年が過ぎ、宮内庁はご負担軽減策を推進した。けれどもご公務は逆に増えた。文字通り激減したのは、祭祀のお出ましばかりだった。宮内庁によるご負担軽減策は失敗したのである(「文藝春秋」23年4月号)。

 お言葉では、ご公務とは「国事行為」「象徴的行為」のほか、「伝統」とされている。宮中祭祀の意味だろうが、慎重な陛下は「祭祀」とは表現されない。

 政府・宮内庁の考えでは、祭祀=「皇室の私事」であり、ご公務として扱われない。しかし陛下は「天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来」られた。

 まず国事行為があるという憲法第一主義ではなくて、「国平らかに、民安かれ」という古来の祭祀の精神に立ち、祈りの延長上に、憲法上の務めがあるとお考えらしい。行政の理解とは異なり、皇室の伝統と憲法の規定とはけっして対立しない。

 陛下は即位以来、伝統と憲法の両方を追求すると繰り返し表明されている。陛下を護憲派と見る向きもあるが、一面的理解といえよう。

 皇后陛下とともに地方を訪ね、国民と親しく交わられることを「大切なもの」と仰せなのは、祈り=祭祀が出発点だからだろう。

 だが行動主義に立脚する象徴天皇制は、天皇の高齢化という現実に対して、ご公務のご負担軽減どころか、皇室の「伝統」に強烈な圧迫を加えたのである。

 それが昭和の悪しき先例を踏襲する平成の祭祀簡略化である。陛下のお悩みと問いかけはこのとき始まったのではないか。


▽8 70年間の不作為のツケ

 ご負担軽減で宮内庁がいちばん気にしたのは、「拝謁」の多さだった。

 たとえば春秋の勲章受章者の拝謁はほぼのべ1週間にわたって続く。昭和天皇は叙勲者一同に挨拶されるだけだったが、今上天皇は一人ひとりにお声をかけようとされるらしい。受章者は数千人におよぶ。ご負担が増すのは明らかだ。

 新聞社やテレビ局主催のイベントにお出ましの要請があれば、公平の原則に基づいて、各社の催し事にお顔を出される。それだけご公務は増える。

 今年(28年)6月、ラグビーの国際試合に両陛下がお出ましになった。日本代表チームにとって初の天覧試合だった。キックオフは夜8時を回っていた。ラグビー協会の名誉顧問は森喜朗元首相で、後援は最大手の全国紙だが、これでご負担軽減のまともな国民的議論を期待できるだろうか。

 ご公務に関する明確な法的基準は、憲法の国事行為以外には見当たらない。当然、ご負担軽減に関する基準があるはずもない。国民も政治家もメディアも70年間、ご公務のあり方について、本格的な議論を避けてきたのである。

 陛下が「これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たして」こられたのは、逆に客観的基準がないからであろう。つまり「生前退位」問題とは、国民の不作為のツケだろう。

 朝日新聞は、お言葉を受け、翌日の社説で、「政治の側が重ねてきた不作為と怠慢」を指摘し、とくに安倍内閣の消極性を批判したが、論点を矮小化すべきではない。

 批判されるべきは、個々の内閣の取り組みではなくて、明文法的基準のない戦後70年の象徴天皇制のあり方そのものだろう。「不作為と怠慢」は、主権者たる国民とその代表者すべてに帰せられるべきだ。メディアも例外ではない。

 さて、いよいよ有識者のヒアリングが始まった。外野ではすでに、またぞろ男系維持派と女系継承容認派に分かれて、「生前退位」実現には特別法か典範改正か、と喧しい議論を闘わせている。

 しかし政府の聴取項目は、天皇の役割、ご公務のあり方、ご負担軽減の方法など8項目で、「生前退位」という表現はない。設問も今更の感が強い。

 伝えられるところでは、平成30年がタイムリミットとされる。とすれば、審議に時間がかかる皇室典範改正ではなくて、特別立法しかないだろう。政府もそのつもりではないか。要するに有識者会議は政治的通過儀礼だろう。

 本当なら、皇室典範は国民的議論を離れた「皇家の家法」に戻すべきだろうし、宮務法は国務法とは別の法体系とし、宮内庁も一般の行政機構から独立させるのが筋ではなかろうか。

 しかし本格的な提案を行い、国民を説得し、制度化への道筋を示し、これを実現し、実際に維持・運営していくための有能な人材は得られるだろうか。もし人材が容易に得られるのなら、今日の混乱はまったく起きなかったはずである。

(以上は「月刊住職」平成28年12月号に掲載された拙文です。若干の編集を加えています)
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風岡宮内庁長官はなぜ退任したのか ──新旧宮内庁長官会見を読む [退位問題]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2016年10月2日)からの転載です

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風岡宮内庁長官はなぜ退任したのか
──新旧宮内庁長官会見を読む
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 忘れないうちに指摘しておきたいことがあります。

 不二歌道会(大東塾)の発行する月刊「不二」9月号の巻頭言に、編集発行人の福永さんが「現行皇室法の根本的見直しを」を書いています。

 たとえば、皇室経済法をめぐる問題点として「(三種の神器、宮中三殿について)もし仮に譲位がなされた場合は、相続ではなく生前贈与となり、贈与税が発生するおそれがある」ことや「(皇室典範が定める)皇室会議への親臨も御意思の表明も能わず、皇族の監督権も失われた」戦後の現実などが指摘され、根本的かつ幅広い議論の必要性を訴えています。

 不二歌道会は、戦後右翼の重鎮で、歌人としても知られた影山正治氏が設立しました。歌道の修練が人格形成の基本とされ、敬神尊皇を重んじ、紀元節復活運動や靖国神社国家護持運動などを展開しました。影山氏は元号法制化を訴え、自決しています。

 皇室典範改正か、それとも特別立法かという世間の議論とはひと味違う、伝統右翼の名に恥じないさすがの見識だと思います。


▽1 有識者会議開催決定と重なる

 さて、政府は先月23日の閣議で、風岡宮内庁長官の退任、山本次長の長官昇格、西村内閣危機管理監(元警視総監)の次長就任を決定しました。また、「天皇の公務の軽減等に関する有識者会議」を開催することが決められました〈http://www.kantei.go.jp/jp/tyoukanpress/201609/23_a.html〉。

 有識者会議の開催については、菅官房長官は閣議後の会見で、「今上陛下が現在82歳と御高齢であられることも踏まえ、天皇の公務の負担軽減等を図るために、どのようなことができるのかを様々な観点から検討する必要があると考えてます」と目的を説明しました。

 政府の説明では「生前退位」とはどこにも表現されていませんが、メディアは「天皇陛下の『生前退位』を検討する有識者会議」と伝えています。議論がますます曲がっていく印象が否めません。

 そういえば、野田内閣のとき、いわゆる「女性宮家」創設をめぐって行われたのは正式には「皇室制度に関する有識者ヒアリング」でした。今回もまた絶妙なネーミングを編み出したものだと感心します。あっちにもこっちにも知恵者がいるようです。

 それはともかく、奇しくも同日の閣議決定となった宮内庁長官の交替劇ですが、なぜ急な交替となったのでしょうか。


▽2 「落とし前」を付ける?

 報道によると、宮内庁長官は70歳定年だそうです。風岡長官の場合、9月15日に70歳になりました。通例では3月いっぱいまで勤め上げるそうですが、風岡長官は9月26日付で退任することとなりました。

 異例な性急さです。

 時事通信は、「天皇陛下のお気持ち表明に至る過程で、宮内庁の対応に不満を持った首相官邸が、人事でてこ入れを図ったようだ」と伝えています〈http://www.jiji.com/jc/article?k=2016092500057&g=pol〉。

 いわゆる「生前退位」問題は平成30年がタイムリミットとされ、そのためには今年中に議論を開始させる必要があるといわれます。とすれば、次長就任から約11年、側近として務め、陛下が内々に退位を表明された初期の段階から事態を把握している風岡長官が少なくとも来春まで、有識者会議の議論に関わった方が好都合なはずです。

 けれども、人事権を持つ内閣はそのようには考えなかったということです。時事の記事では、政府関係者が「誰かが落とし前を付けないと駄目だ」と語るほどの険悪さがあったと伝えています。

 長官が詰め腹を切らされるというのは、よほどのことです。具体的に何の責任をとることなのか。官邸は何に「不満」なのか。ヒントとなり得るのは退任会見です。


▽3 会見で明らかにされた3点

 風岡前長官は退任会見で、「このタイミングでの退任で、やり遂げた感はあるのか」と単刀直入に聞かれ、次のように答えています〈http://www.sankei.com/premium/news/160927/prm1609270008-n3.html〉。

「5、6年前に陛下の方から今までのご活動が困難になったときにどう考えたらいいのかということがスタートとなって勉強してまいりました。具体的な対応をどうするのかということもありますし、また、お気持ちをどういう形で表明すればいいかも含めて検討し、去年くらいから公にする考え方の元に進めていましたが、内容が陛下の憲法上のお立場という関係で慎重に取り扱うものでしたので、内閣官房とも調整をしました」

「これからどうするかという難しい次のステップに入る時期ですので、次の長官に委ねた方がいいんだろうとの判断のもとに行いました。長い道のりのあるスタートの役割を果たさせていただいたと思います」

 ここで風岡長官は、(1)5、6年前、陛下の意思表示があった、(2)昨年ごろからお気持ちの表明を模索してきた、(3)憲法問題もあるので、内閣官房とも調整した、の3点を明らかにしています。

 これらはメディアが明らかにしてきたことと事実関係において、大差はありません。けれども、7月にNHKが「スクープ」したときの受け答えとは明らかに異なります。


▽4 みずからウソを認めた

 朝日新聞の報道では、NHKが7月13日の夜、「陛下が『生前退位』の意向示される」を報道したあと、山本次長が取材に応じて「報道されたような事実は一切ない」「大前提となる(陛下の)お気持ちがないわけだから、(生前退位を)検討していません」と全面否定し、風岡長官も「次長が言ったことがすべて」と述べたと伝えられました。

 風岡長官の退任会見はみずからウソを認めたことになります。

 もっともスクープの翌日の長官会見は微妙でした。NHKの報道では、風岡長官は前夜とは打ってかわり、お気持ちをにおわせたのでした。

「お務めを行って行かれるなかで、色んな考えをお持ちになることはあり得る」

「陛下は憲法上の立場から、制度については具体的な言及を控えられる」

「陛下もお年を召すわけで、将来のことを考えると、いままでどおりお務めを果たすことが難しくなるということが一般的にはあり得ることなので、それを踏まえて幅広く考えることは必要なことだ」

 一方、菅官房長官は同日の記者会見で「ご意向を事前に把握していたのか」と聞かれ、「まったく承知していない」と否定しています。

 官邸と宮内庁との間にすきま風が吹いていたことは明らかでしょう。官房長官の言葉尻には不快感さえ漂っていますが、一方の風岡長官は「内閣官房と調整した」といまも言い張っています。

 もしやメディアを利用した一連の仕掛け人は風岡長官自身なのでしょうか。というより、なぜ長官は退位のお気持ちを思いとどまらせず、逆に実現へと動くことになったのか。退位の否定が、戦後の政府・宮内庁の一貫した方針だったはずなのに、です。


▽5 官邸と宮内庁との溝

 8月になると陛下みずからビデオ・メッセージでお気持ちを表明され、事態は仕掛け人たちのシナリオに沿って動いているようにも映りますが、形勢は変わりつつあります。官邸と宮内庁との溝が今回の人事に影響を与えていることは言わずもがなでしょう。

 風岡長官は退任記者会見で、陛下のお気持ち表明が「スタートになったということは感慨深いものがあります」と述べ、「難しい次のステップ」は「次の長官に委ねた方がいい」と後任者にバトンを渡しました。罷免に近い退任のはずなのに、不思議に爽やかささえ感じられます。

 緊張気味なのは、風岡長官同様、NHK報道を全面否定していた山本新長官です。連座もできず、逆に重責を押しつけられました。官邸との関係改善を強く意識しているのか、「内閣官房と緊密に連携をとりながら」と協力関係をひたすら強調しています。

 それはそうでしょう、危機管理のプロで、伊勢志摩サミットの陣頭指揮を振るった警察官僚のトップが次長として乗り込んでくるのです。新長官の前途には針のムシロが広がっています。

 誰が「生前退位」と言い出したのか、どこから極秘情報が漏れたのか、なぜNHKのスクープだったのか、一部始終を官邸は早晩、知ることになるのでしょう。

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結局、誰が「生前退位」と言い出したのか? ──「文藝春秋」今月号の編集部リポートを読んで [退位問題]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2016年9月25日)からの転載です

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結局、誰が「生前退位」と言い出したのか?
──「文藝春秋」今月号の編集部リポートを読んで
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 事実の核心に肉薄しようとする良質なジャーナリズムがまだまだ日本には生きていると実感しました。しかし、それでも結局、分からないのです。

 この文春リポートのように「譲位」「退位」なら、まだしも理解できます。けれどもNHKのスクープ以来、議論はすべて「生前退位」です。誰が、何のために、過去の歴史にない「生前退位」などと言い出したのか。

 そしてなぜメディアの特報という経路をたどることになったのか。それも、ご意向の表明から何年も経っているらしいいまごろになって、です。


▽1 「譲位」を仰せになった瞬間

 文春編集部がまとめたというリポートは、6年前、平成22年7月22日夜の御所で開かれた参与会議の情景をつぶさに描き出すところから始まります。

 この夜、両陛下のほか、羽毛田宮内庁長官、川島侍従長、3名の宮内庁参与(湯浅元長官、栗山元外務事務次官、三谷東大名誉教授)が集まり、参与会議が開かれました。

 開口一番、陛下は「私は譲位すべきだと思っている」と述べられ、はじめて御意思を伝えられました。「譲位」を表明された瞬間でした。

 皇后陛下をはじめ出席者全員が反対しました。摂政案の提示もありましたが、陛下は「摂政ではダメなんだ」と否定されました。自由な意思で行われなければならないとも仰せになり、まれに見る激論となったものの、陛下のご意思は揺るぎません。陛下が退室されたとき、時計の針は夜の12時を回っていました。

 NHKのスクープ報道では、陛下がご意向を示されたのは「5年ほど前」でしたから、文春編集部の記事では1年ほど遡ることになります。

 もし文春リポートの方が正しいとすると、NHKに内部情報をもたらした情報提供者はこの参与会議には出席していなかったということかも知れません。


▽2 「ご在位20年」が契機

 毎日新聞や週刊新潮の報道では、発端は「7年前」でした。

 週刊新潮によると、21年に天皇陛下、皇太子殿下、秋篠宮殿下による3者会談が開かれるようになり、席上、「天皇の任を果たせないなら」とご意向を漏らされるようになったと伝えられています。ただし、24年の心臓手術以後のこととされています。

 文春の情報ではもっと早く22年夏からであり、だとすると、理由は心臓手術後のご公務にご懸念を抱かれた結果ではないということになります。

 それならなぜ陛下は「譲位」のご意向を示されるようになったのか。大胆に推察するなら、ほとんど注目されていない祭祀問題ではないか、と私は推測します。

 宮内庁がご負担軽減策を打ち出したのは、「ご在位20年」が契機だといわれます。

 渡邉元侍従長によれば、18年春から2年間、宮中三殿の耐震改修が実施され、祭祀が仮殿で行われるのに伴って、祭祀の簡略化が図られました。

 工事完了後も側近らは、ご負担を考え、簡略化を継続しようとしましたが、陛下は「筋が違う」と認められません。ただ、「在位20年の来年になったら、何か考えてもよい」と仰せになったので、見直しが行われたと説明されています(渡邉『天皇家の執事』)。


▽3 「これ以上、軽減するつもりはない」

 20年2、3月、ご健康問題を理由に、ご負担軽減策が発表され、その後、同年11月に陛下が不整脈などの不調を訴えられると、軽減策は前倒しされました。

 けれども鳴り物入りの軽減策にもかかわらず、ご公務は逆に増え続け、一方、文字通り激減したのが、古来、皇室第一のお務めとされてきた祭祀のお出ましでした。軽減策は皇室の伝統を標的としていました。

 当時、祭祀のあり方をめぐり、陛下と宮内庁との間で、激しいつばぜり合いがあったことが想像されます。そして結局、軽減策は失敗しました。

 ご在位20年記念式典および記念行事が行われたのは21年11月ですが、注目したいのは、翌22年12月に行われたお誕生日会見です。

 陛下は「ご自身の加齢や今後、お年を重ねられる中でのご公務のあり方について、どのようにお考えでしょうか」という記者の代表質問に対して、次のようにきっぱりとお答えになりました。

「一昨年(平成20年)の秋から不整脈などによる体の変調があり、幾つかの日程を取り消したり、延期したりしました。これを機に、公務などの負担軽減を図ることになりました。今のところ、これ以上大きな負担軽減をするつもりはありません」〈http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h22e.html

 文春リポートでは、この約半年前に「譲位」のご意向が示されたことになっています。いわゆるご公務もさることながら、「およそ禁中の作法は神事を先にし、他事を後にす」(順徳天皇)ならば、祭祀をみずからなさらない祭り主のお立場がどれほど耐えがたかったことか、いまさらながらお気持ちが拝されます。


▽4 祭祀簡略化に抵抗された陛下

 陛下は即位後朝見の儀で「大行天皇の御心を心とし、日本国憲法を守り」と仰せになったように、即位以来、皇室の伝統と憲法の規定の両方を大切になさってこられました。一般にいわれているように、陛下は単なる護憲派ではありません。〈http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/okotoba-h01e.html#D0109

 ビデオ・メッセージからうかがえるように、陛下は「国平らかに、民安かれ」と祈る古来の祭祀の精神に立ち、その延長上に、憲法上の務めがあるとお考えです。

 陛下にとっての「象徴」天皇とは、憲法が定める「象徴」のみならず、長い歴史の中で培われてきた「象徴」でもあります。

 仰せになる「象徴としての務め」とは当然、祭祀とご公務です。皇室の伝統とは祭祀です。政教分離政策の厳格主義を堅持する宮内庁にとって、祭祀は「皇室の私事」ですが、陛下にはもっとも重要なお務めなのでしょう。125代の長きにわたって、祭祀によって国と民を1つに統合してきたのが天皇です。

 であればこそでしょうが、たいへん興味深いことに、22年は祭祀簡略化の流れが一旦やんでいます。

 たとえば、元旦の四方拝は19年以降、昭和天皇晩年の先例を踏襲し、神嘉殿南庭ではなくて、御所で行われましたが、22年には本来の神嘉殿南庭に復しました。四方拝に続く元日の歳旦祭、3日の元始祭も、前年はお出ましがなく、御代拝でしたが、この年は親拝なさいました〈http://www.kunaicho.go.jp/page/gonittei/show/1?quarter=201001〉。祭り主のお務めを重んじる、強いご意思が感じられます。

 当時、祭祀は「これ以上、形式化しようがないほど形式化している」と嘆かれるほどだったようです。それで、陛下は「これ以上、負担軽減するつもりはない」とさらなる簡略化に強く抵抗され、斥けられたのでしょう。

 争わずに受け入れるのが天皇の帝王学ですから、異例な意思表示といえます。しかしおのずと限界はあったのでしょう。25年暮れ、陛下は傘寿を迎えられました。


▽5 なぜNHKのスクープだったのか

 文春リポートによると、宮内庁参与は陛下の私的相談役で、会議は1、2か月ごとに開かれます。22年7月以降は、「譲位」「退位」について議論が重ねられました。

 陛下のご主張は変わらず、出席者たちも説得が不可能であることを悟り、翌年になると議論は「退位」を前提としたものへと移りました。

 しかし事態は進みません。「退位」を実現させるには官邸を動かさなければなりませんが、当時は民主党政権下で、鳩山内閣時に起きた「特例会見」事件がしこりとなって残り、相談しづらい状況が続いていました。その後、野田内閣と続く民主党政権は安定感を欠き、重大事項を任せる状況にはありませんでした。

 陛下は「一刻も早く意向を表明し、退位を実現させたい」と望まれていました。その背景にはいよいよ老境に達した「体の変調」のご自覚がおありだったようです。

 24年に宮内庁トップは羽毛田長官から風岡長官に交替しました。他方、政権交代で自民党の安倍内閣が成立しました。

 しかし信頼関係は築けませんでした。安倍政権は東京五輪招致運動のため高円宮妃にIOC総会ご出席を要請し、またしても対立構図が生まれたからです。

 タイムリミットは迫っていました。陛下は「平成30年までに」と仰せだったからです。そのためには28年中には議論を始める必要があります。結局、お気持ちの表明は28年に持ち越されました。

 そして7月、NHKは「生前退位」表明をスクープし、最高責任者の風岡長官は翌月のビデオ・メッセージを見届けたあと、退任することとなりました。

「8月表明」が決まり、情報の縛りが解けて、メディアに情報が流れたということでしょうか。長官最後の大仕事は意図したことなのか、それとも「70歳定年」の結果なのか。


▽6 謎はほとんど謎のまま

 NHKのスクープは、「天皇陛下『生前退位』の意向示される」でした。「『譲位』の意向示される」ではありません。NHK・WORLDは英語で「abdication」と表現しています。朝日新聞の英語版も同様ですが、「退位」ではダメなのでしょうか。

 陛下がご意向を漏らされてから、6年経ったいまになって、どういう経路で、いかなる目的で、いったい誰が、情報を外部に流したのか。なぜ、どのようにして、「退位」は「生前退位」に変わり、特ダネが生まれたのか。

 文春リポートは残念ながら、ほとんど明らかにしていません。謎は謎のままです。そもそも、陛下の本当のお気持ちは「退位」なのか。

 いみじくもビデオ・メッセージが「象徴としてのお務めについて」と題されているように〈http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12〉、陛下のお気持ちは、象徴天皇制度のあり方を国民に問いかけることではないのでしょうか。「譲位」はあくまでその一部ではないのか。

 ビデオ・メッセージで陛下は、「次第に進む身体の衰えを考慮するとき、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが難しくなる」と仰せになりました。

 それは「象徴のお務め」としてのご公務が行動主義に基づいているからでしょう。

 目下の議論はここが欠けているのではありませんか。「生前退位」スクープの衝撃がそれだけ大きかったのでしょう。「生前退位」と表現した仕掛け人の意図もそこにあるのかも知れません。


▽7 議論が曲がっていく

 かつて薄化粧をほどこされ、装束を召されて、御簾のかげに端座されていた天皇が、明治の開国とともに洋装となり、ときに軍服を召され、ご活動なさる近代の天皇へと変身されました。戦後は軍服を身にまとうことはなくなりましたが、ご活動なさることが天皇の本質であるかのように考えられています。

 主権者とされる国民がこの象徴天皇制度を今後も支持するのであれば、そしてご負担軽減ではご高齢問題の解決にはならず、摂政案も否定されるのなら、NHKが伝えたように、「象徴としての務めを果たせるものが天皇の位にあるべきで、十分に務めが果たせなくなれば譲位すべきだ」という選択肢が成り立ちます。

 陛下が数年来、問いかけておられるのは、「生前退位」法制化ではなくて、そのような行動主義に基づく象徴天皇のあり方の是非なのではありませんか。

「生前退位」報道の衝撃に必要以上に圧倒され、ご意向を実現するためと称し、やれ皇室典範改正だ、いや特別法だと賑やかに展開されている議論は、本来のテーマをねじ曲げてしまうのではないかと私は恐れます。

 NHKは「陛下が『生前退位』の意向がにじむお気持ちを表明」と執拗に繰り返しています。政府は経団連名誉会長らをメンバーとする有識者会議の設置を決めました。どんどん話が曲がっていくように感じるのは私だけでしょうか。

 象徴天皇のあり方が問われているのだとしたら、「生前退位」の法制化では済まないはずです。それとも、ご意向に基づき、ご意向に沿って政治が動くことは憲法に反するので、そのようにはしないということでしょうか。

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ご意向=「生前退位」と解釈する所功先生の根拠 前編 ──非歴史用語をあやつる歴史研究家 [退位問題]


以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2016年9月16日)からの転載です

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ご意向=「生前退位」と解釈する所功先生の根拠 前編
──非歴史用語をあやつる歴史研究家
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 前回は、漫画家・小林よしのり先生のブログをテキストに、陛下のお気持ち=「生前退位」(「退位」「譲位」ではない)と解釈する根拠と問題点について考えました。結局のところ、根拠らしいものは何も見出せませんでした。つまり、メディアの報道を鵜呑みにしているとしか受け取れないのです。

 いや、本当にそうなんでしょうか。5年前、読売新聞の「特ダネ」に端を発した「女性宮家」創設論議でも同じようなことが起きましたが、知識人クラスでも案外、マスコミ情報を批判的に読めないということなのでしょうか。

 今回は、小林先生と同様、女系継承=「女性宮家」創設容認論者の1人であり、かつ「生前退位」支持派でもある所功先生の見方について、検証してみます。テキストに取り上げるのは、「多言語発信サイト」と称する「nippon.com」掲載の「天皇陛下『生前退位』のご意向と実現への展望」〈http://www.nippon.com/ja/currents/d00232/?pnum=5〉です。

 この記事は末尾に「7月30日 記」とありますから、8月8日のビデオ・メッセージの前に書かれたことが分かります。陛下のお言葉を拝する以前の先生のお考えですが、先生は丸呑みどころか、すっかりNHKの広報部員、もしくは巷間、仕掛け人と目されている老獪な黒幕たちの代弁者にでもなってしまったかのような印象が否めません。


▽1 論点は「高齢化」だけなのか

 7月13日の夜、先生は「天皇陛下『生前退位』のご意向」と伝えるNHKの報道に接し、「まさにビックリ仰天した」そうです。その後、「報道の全文を何度も読み直し、また(NHKの)担当者から説明を受けて、内容は『ご意向』に近いと信じて差し支えないと考えるに至った」と打ち明けています。

 そのうえで先生は、マスコミの取材に答え、次のように感想を述べました。

「象徴天皇制度が存続していくための最も根本的で重大な問題を提起されました。

(近現代の皇室制度が作られた)当時は予見できなかった高齢化・長寿化が急速に進行していますから、21世紀の現実にそぐわない制度の改革(典範の改正)は、そろそろしなければなりません。今こそ数十年先を見通した議論が必要です」

 不明なのは、「重大な問題提起」をしたのは誰かです。主語が抜けています。国語的には「陛下は」と解釈されるところですが、そのように断定していいものなのかどうか。

 また論点は、「高齢化・長寿化」だけではないと私は思います。それは天皇がお出ましになり、ご公務をなさるという優れて近代的な皇室の行動主義です。ご高齢になっても「ご活動」を止めるに止められない。だから陛下は苦悩されるのでしょう。そもそも象徴天皇のお務めとは何か、が本質的に問われているのだと思われます。

 将来を見据えた「議論が必要」なのは仰せの通りでしょうが、それは国民主権を前提とした発想だということも同時に指摘されなければなりません。

 皇位継承問題は本来、国民的議論に馴染むテーマだと、先生はお考えでしょうか。皇室制度の安定、皇位の安定のために、という目的を重要視するなら、むしろかつてのように皇室典範を「皇家の家法」に戻すべきではないかと私は考えます。


▽2 なぜ宮内庁は抗議しないのか

 先生が報道の内容を「『ご意向』に近い」と考えた根拠は、「(国民が)ほとんど好意的に受け止めている」ことに加えて、報道に抗議しない宮内庁の反応だ、と説明されています。

「宮内庁の風岡典之長官も、表向きに関与してないと言い訳しながら、報道の核心を否定していないから、おおむね事実だとみられる」と先生は推理しています。

 しかし報道によれば、「報道の核心を否定していない」のではなく、全面否定したのです。その夜、宮内庁次長は取材に応じて、「報道されたような事実は一切ない」と述べ、長官も「次長が言ったことがすべて」と否認したとされます(朝日新聞)。

 ただし、正式な抗議をしてはいません。問題はそこでしょう。報道を全面否定するなら、なぜ宮内庁として正式に抗議しないのか。

 そしてこれまた読売新聞の「女性宮家」スクープと似ています。「宮内庁が野田首相に要請」「長官が首相に伝えた」を長官は強く否定しましたが、宮内庁が正式抗議したとは聞きません。言い出しっぺが不明のまま、国民的議論は始まったのです。

 メディアが伝えた「ご意向」は匿名の「関係者」を仲介にした二次情報であり、宮内庁トップは全否定しています。むろん真偽を直接、陛下に確認することはできません。

 事実なら、なぜ正式ルートをとらないのか。前代未聞のリークと思われる情報の出所はどこなのか。リークの目的は何か。当局者はなぜ報道を否定するのか。どこまでが事実で、どこからは事実でないのか。スッキリしません。

 とりわけ釈然としないのは、「生前退位」という表現です。歴史家なら、「生前退位」という皇室用語がないことなど先刻承知のはずで、なぜ「生前退位」と表現されるのか、疑問視してもいいはずなのに、所先生は完全にスルーしています。なぜでしょう。

 それどころか、「すでに何年も前から当事者・関係者が検討を重ね、数年先まで見通した精緻な内容であることに、率直なところ感心するほかない」と先生は絶賛しています。「関心」すべきなのは、「内容」か、それともリークという手法でしょうか。


▽3 宮内庁が全面否定した理由

 所先生は、NHKの第一報を10のポイントに分け、それぞれ解説を加えています。その流れに沿って、以下、それぞれ検証してみることにします。

(1)天皇陛下が皇位を生前に皇太子さまに譲る「生前退位」の意向を、宮内庁関係者に示されていることが分かった。数年以内の譲位を望まれているということで、陛下自身が広く内外にお気持ちを表す方向で調整が進んでいる。

 この点について、所先生は、陛下は「生前退位」のご意向を、身内の方々だけでなく、「宮内庁関係者」にも示されたといわれる。にもかかわらず、宮内庁が関与を否定したのは、「ご意向」実現には「皇室典範」の改正という政治的要素がからむからだ、と説明しています。憲法上、天皇は「国政に関する権能を有しない」とされており、側近としては距離を置いたに過ぎないというわけです。

 だから、「(陛下)自身が広く内外にお気持ちを表す」場合も、「生前退位」に直接言及することはないだろうと先生は予測しています。

 しかし、宮内庁は「関与を否定」したのではなくて、「事実」を全面否定したのです。

 先生は、NHKの報道を宮内庁幹部が否定した理由を説明し、憲法上の理由を挙げているのですが、だとしたら、なぜ宮内庁は典範改正が求められるような「ご意向」実現へと動くことになったのか。そのこととNHK報道とはどう結びつくのか。

 一部で囁かれているように、仕掛け人はほかならぬ宮内庁で、「宮内庁発表」の形をとれば憲法に抵触するおそれがあるので、メディアにリークして、「お気持ち」を国民に知らせる間接的手法が採られたという理解でしょうか。老練な宮内庁当局者によるメディア利用なのか、それとも宮内庁とNHKの出来レースか。

 先生は「何年も前から検討を重ね、数年先まで見通した精緻な内容」と絶賛していますが、だとしたら、なぜ「退位」ではなく、「生前退位」なのか。「検討を重ね」たのなら、「退位」を使わない深謀遠慮は何でしょう。かつて宮内庁は「生前退位」という表現を避けていたはずです。それどころか、「退位」を否定していたのではありませんか。


▽4 ご負担軽減に失敗した宮内庁の責任は?

(2)陛下は昭和天皇の崩御に伴い、55歳で、現行憲法の下、はじめて「象徴」として即位された。現代に相応しい皇室のあり方を求めて、新たな社会の要請に応え続けられ、公務の量は昭和の時代に比べ、大幅に増えている。

(3)天皇の務めには、国事行為のほかに、象徴的行為があると考えられ、陛下は式典の出席や被災地のお見舞いなどに臨まれてきた。また、公務には公平の原則が大切だとして、大きな変更をなさらなかった。

 これについて、所先生は、陛下が即位以来、「象徴天皇とは何をなすべきか」をつねに考えてこられたこと、天皇の務めには国事行為、公的行為、祭祀行為の3つがあること、年中ほとんど休まれる暇がないこと、を補足しています。

 問題は、公的行為と宮中祭祀です。

 公的行為として、先生は国体などの三大行幸ほか、各種式典、被災地へのお出まし、国賓・公賓の歓迎、大使・公使の慰労、外国御訪問などをあげていますが、これらはとくに法的基準があるわけではありません。

 陛下みずから象徴に相応しいご公務をお考えになり、社会の要請に応えられてきたと説明されているのは、裏返していえば、明文法的規定がないことの何よりの証明です。

 要請があれば陛下はお断りにはなりません。しかも公平の原則を重視されますから、役所の各種イベント、メディア主催の展覧会など、お出ましはどんどん際限なく増えることになります。とくに多いのが拝謁で、宮内庁がもっとも気にかけていました。春秋の勲章受章者の拝謁はほぼ1週間続きます。

 今年6月、今上陛下は皇后陛下とともにラグビーの国際試合を観戦されましたが、夜8時を過ぎてのご公務を調整したのは、親善試合を後援した大手新聞社なのか、それともラグビーフットボール協会名誉会長の地位にある元首相なのか。いずれにせよ、これでは7年前の中国国家副主席ごり押し特例会見を批判できません。

 こうして、平成20年の御不例をきっかけとして始まったご公務ご負担軽減策にもかかわらず、ご公務の件数は増え続けました。つまり、ご公務には法的基準も歯止めもないことこそ、注目されなければなりません。

 他方、古来、天皇第一のお務めとされた宮中祭祀は現行憲法下では私的行為とされ、陛下のご高齢、ご健康問題を理由に、真っ先にご負担軽減の対象とされました。皇室の伝統を重んじる陛下としては断腸の思いだったに違いありません。

 ご公務に法的基準がないなら、当然、軽減策にも基準はあり得ません。そして、軽減策はものの見事に失敗したのです。それは誰の責任なのでしょうか。

 所先生はご負担軽減策の失敗も宮中祭祀簡略化も一顧だにせず、モヤモヤ感の残る「ご意向」実現へとひた走るのでした。


▽5 宮内庁は「退位」否定から容認へ転じたのか

(4)昨年の誕生日会見で、陛下はご自身の老化を率直に認められた。別の宮内庁関係者は「象徴としてのあるべき姿が近い将来体現できなくなるという焦燥感やストレスで悩まれているように感じる。象徴であること自体が最大の負担になっているように見える。譲位でしか解決は難しいと思う」と話している。

 所先生は、この「別の関係者」について、「誰かは分からない。あるいは分からないことになっている」とし、そのうえで、陛下の苦悩を国民に知らせる必要があると考えたのだろうと推測しています。

 まず、取材に応じ証言した内部関係者は複数いることになります。また、後追いしたメディアも、「関係者への取材でわかった」と伝えていますから、「関係者」は特定できるのでしょう。それならなぜ実名報道しないのか。もしやこの「生前退位」報道は、宮内庁とNHKほかメディアの出来レースではないのでしょうか。

 また、「関係者」の発言で、「譲位」と表現されているのは注目しなければなりません。「生前退位」=譲位という解釈なら、なぜ「生前退位」とわざわざ表現されなければならないのか。皇室用語にない「生前退位」と表現したのは「宮内庁関係者」なのか、それともNHKなのか。

 国会では「生前退位」について3回、審議されたことがありました。

 昭和59年4月17日の参院内閣委員会では、山本悟次長が、皇室典範は退位の規定を持たない。天皇の地位を安定させるためには退位を認めないことが望ましいと承知している。摂政、国事行為の臨時代行で対処できるから宮内庁としては皇室典範を再考する考えはない、と答弁しています。質問者は「生前退位」という言葉で表現したのに対して、宮内庁はこれを避けました。

 平成になって「生前退位」が取り上げられたのは、4年4月7日参議院内閣委員会で、これが最後ですが、13年11月13日の参院共生社会に関する調査会で、羽毛田次長(のちの長官)が、「退位」制度の導入を訴える議員の質問に対して、「私どもは考えていない」と答え、あらためてきっぱりと否定しています。

 今回の報道で、NHKはこの調査会答弁を、「『生前退位』が認められていない理由」として伝えていますが、質問者も次長も「退位」と表現しているのであって、「生前退位」ではありません。報道は明らかに事実に反するだけでなく、NHKは「生前退位」=「退位」と理解していることが分かります。それならなぜ「退位」を使わないのか。

 さて、NHKの「生前退位」報道は、もし宮内庁が仕掛け人だとすれば、宮内庁は「退位」否定から「生前退位」容認へと方向転換したということなのでしょうか。

 それとも路線変更ではなくて、これまで「退位」を否定してきた立場から、陛下の強い「ご意向」を前に、方針決定の判断がつかず、「距離を置いた」どころか、「我、関せず」とばかりに、国民の前に丸投げし、責任逃れしているのでしょうか。

 もしかしたら、「ご意向」を楯にして、国民に問いかけることで、責任を陛下と国民に押しつけられる。劇的な路線変更がおきたときの免罪符にできる、との読みがあるのでしょうか。

 この点については、後編であらためて検証することにします。

(後編に続く)
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「オモテ」「オク」のトップが仕掛け人だった!? ──窪田順正氏が解く「生前退位」の謎 [退位問題]


以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2016.8.31)からの転載です


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「オモテ」「オク」のトップが仕掛け人だった!? ──窪田順正氏が解く「生前退位」の謎◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 社会に出てすぐ、月刊総合情報誌の編集記者になりました。どこの媒体にも載っていないスクープ記事で全ページを埋め尽くすのが雑誌のコンセプトで、編集業務の最初のステップは新聞・テレビの情報を鵜呑みにせず、裏読みすることでした。

 以来、情報を疑うことが習い性となりました。

 ニュースの多くは中央官庁の記者クラブに垂れ流しされる発表ネタを二次加工したものですから、まともに受け取る方がおかしい。独自取材によるスクープならまだしも、意図的なリークを臭わせる特ダネならなおのことです。

 前回の読売新聞による「女性宮家」創設スクープにしても、今回のNHKによる「生前退位」報道にしても、納得できないものを感じるのは、当時からの勘が働くからです。


▽1 問題意識に答えるリポート

 前々回、陛下の「生前退位」論議には5つの問題がある、と指摘しましたが、私の問題意識に答えてくれるリポートにようやく巡り会うことができました。

 ノンフィクション・ライター窪田順生氏による「宮内庁の完全勝利!?天皇陛下『お気持ち』表明の舞台裏」(DOL特別レポート。2016年8月26日〈http://diamond.jp/articles/-/99848〉)です。

 窪田氏は大胆にも、「宮内庁が仕掛けた、巧妙な情報戦であった可能性が浮かび上がってくる」と指摘しています。

 つまり、陛下みずから率先して「お気持ち」を表明されたというのではなくて、宮内庁幹部が工作した結果であり、側近らが一連の「生前退位」論議の仕掛け人だったということになります。少なくとも「お気持ち」表明までは宮内庁の完勝である、と窪田氏は結論づけています。

 窪田氏のリポートは、5つの謎のうち、(1)歴史にない「生前退位」(「譲位」「退位」ではない)を言い出したのは誰か、(2)NHKにリークしたのは誰か、その目的は何か、(3)なぜ、どのようにしてお言葉が発せられることになったのか、の3つについて、事実は何だったのか、大きな示唆を与えてくれます。

 同時に、窪田氏も同様らしいのは残念ですが、陛下の「お気持ち」が「生前退位」にあるという既成事実化によってどんどん先走りする議論に、慎重さを求めるものといえます。


▽2 「駆け引き」に長けた高級官僚

 窪田氏の分析を要約すると、以下のようになります。

1、(常識論的理解への疑念)NHKの「生前退位」スクープ以後、宮内庁は内部関係者のリークを全否定し、抑え込もうとしたが、やがて陛下に押し切られるように「お気持ち」の表明となった。この場当たり的で、陛下を晒し者にする広報対応は「悪手」と見て取れる。けれども「生前退位」という陛下のお気持ちを国民に届けるという目的遂行からすれば、まったく逆に、かなり練り込まれた「戦略的広報」だといえる。宮内庁は高度な世論形成を行っている。

2、(「生前退位」報道の仕掛け人)「オク」(侍従職)のリークと信じる人が多いようだが、毎日新聞の続報によると、「オモテ」2人と「オク」2人、それに皇室制度に詳しいOB1人による「4+1」会合で、制度的検討が進められてきた。「オモテ」と「オク」のトップが一丸となって「お気持ち」を世に出すことを検討していたとする報道の信憑性は高い。宮内庁がNHKに抗議していないことからすると、NHKのスクープを仕掛けたのはほかならぬ「4+1」会合である可能性がある。NHKと宮内庁が「裏で握ったスクープ」だったのではないか。

3、(宮内庁トップが描いたシナリオ)一連の流れには随所に官僚らしい計算が込められている。NHKが報道し、宮内庁が否定すれば「どっちが本当か」と国民の注目を集めることができ、陛下に「お気持ち」を表明していただく名目が立つ。NHKのスクープから宮内庁の全否定、陛下の「お気持ち」表明は「4+1」会合が描いたシナリオではないか。

4、(マスコミを利用した理由)「お気持ち」表明が目的なら、まどろっこしいプロセスは不要で、「正面突破」的戦略で足りると首をかしげる人がいるかも知れない。だが、国民的議論が起きていないなかで宮内庁が陛下に、皇室典範改正を示唆するような政治的発言を促すことはあり得ない。幹部が陛下のお考えを慮って代弁することもできない。

5、(正攻法では議論は困難)国民も官邸も納得する形で、陛下が「お気持ち」を表明できる状況を作り出すには、報道機関にスクープさせ、これを形式的に否定し、「真実を知りたいという国民の求めに応じる」という大義名分のもとで、陛下ご自身に「お気持ち」を表明していただくことである。手練れの高級官僚ならではの「情報戦」である。

6、(官邸と宮内庁)メディアを手駒にして「情報戦」を繰り広げる一連の動きは、「天皇・皇后両陛下と皇族方の健康維持は国民の願いで何より優先すべき課題」(風岡長官)と言い切る宮内庁が、皇室典範に消極的な安倍政権に対して仕掛けた「緩やかな謀反」と見えなくもない。

 以上、要するに、窪田氏の謎解きの核心は、30年間、「駆け引き」に明け暮れてきた辣腕官僚こそが「生前退位」論議の仕掛け人だという1点に尽きます。


▽3 仕掛け人は「4+1」か

 そうだとして、謎はさらに深まります。まず、本当の仕掛け人は誰なのか、です。

 窪田氏は「4+1」会合が仕掛け人とみています。つまり現在の風岡体制ということですが、私は違うと思います。

 窪田氏も言及する毎日新聞の報道では、「5月半ばから、早朝に会合を行うなど活動が加速。生前退位に伴う手続きの検討」と伝えられています。この情報は風岡体制仕掛け人説を補強するものです。

 ところが、「週刊新潮」7月28日号によれば、平成21年に陛下と皇太子殿下、秋篠宮殿下による3者会談が設けられ、24年2月に心臓手術を受けられ、3月に東日本大震災一周年追悼式にご臨席になったころから、陛下は「天皇としての任を果たせないのならば」と3者会談で漏らされるようになり、6月に風岡長官が就任すると3者会談が定例化し、長官もオブザーバーとして同席するようになったとされています。

 とすれば、風岡体制から1代遡って、羽毛田長官、風岡次長、川島裕侍従長、佐藤正宏侍従次長の時代からすでに動きが始まっていたと見なければなりません。

 24年といえば、陛下の手術と前後して、いわゆる「女性宮家」創設に関する有識者ヒアリングが2月に始まりました。「女性宮家」検討担当内閣官房参与に就任したのは、小泉内閣時代の皇室典範有識者会議で座長代理だった園部逸夫元最高裁判事で、キーパーソンとされました。また、前年暮れに「女性宮家」創設を著書で明確に提案したのは、渡邉允前侍従長(宮内庁参与)でした。

 園部氏はつい最近、新聞インタビューで「天皇といえども人です。……人道主義の観点が必要です」と「生前退位」に賛意を示しています。

 仕掛け人を現在の「4+1」に限定しなければならない理由はどこにもありません。デザインする人と実行する人が同じである必要もありません。

 NHKのスクープは「陛下が天皇の位を生前に皇太子さまに譲る『生前退位』の意向を宮内庁の関係者に示されていることが分かりました」でした。この「宮内庁関係者」はデザイナー自身なのかどうか。


▽4 陛下の本当の「お気持ち」

 次に、「生前退位」が陛下の「お気持ち」とされている点について、考えてみます。陛下の本当の「お気持ち」とは何か、です。そのことは、なぜ「巧妙な情報戦」が仕掛けられたのか、宮内庁当局者たちの戦略を明らかにすることにもつながります。

 窪田氏は「『生前退位』という陛下のお気持ち」に一片の疑いも抱いてはいないようです。最初に陛下の「生前退位」のお気持ちがあり、宮内庁トップは「お気持ち」を国民に届けるためにひたすら知恵を絞った高度なライフハックだったというわけです。

 これではまるで美談のようにも聞こえますが、そうなのでしょうか。

 もともと「生前退位」なる言葉はありません。昭和13年から終戦の年まで、帝国学士院が編纂・刊行した『帝室制度史』にも、戦後、宮内庁書陵部が編纂した『皇室制度史料』にも、「譲位」とあるだけです。

 左翼用語とは決め付けられないまでも、国会審議では30数年前、すなわち昭和天皇の晩年に野党議員が使用したのが最初です。そのことは前回、お話ししました。いまと状況が似ていることも指摘しました。

 けれども、国会で野党議員から「生前退位の検討をしたことがあるか」と質問され、答弁に立った宮内庁幹部は「退位を認めないことが望ましい」「臨時代行で対処できるから典範改正は不要」と否定しただけでなく、「生前退位」という表現すら避けています。いまとは逆です。

 宮内庁の姿勢が一変したのは、終戦60年、平成17年6月のサイパン島御訪問のようです。宮内庁内部から「生前退位」検討の動きが始まったらしいのです。「週刊現代」は、御訪問が閣議決定されたが、強行スケジュールはご高齢の陛下にはかなりのご負担なので、と説明しています(同誌2005年5月21日号)。

 折しも小泉内閣時代、皇室典範有識者会議が開かれているから、「即位」と「退位」の両方について明記すべきではないかという声があると伝えられています。

 宮内庁内部のこの動きが10数年来、ずっと続いているのだとすると、「生前退位」論議はけっして陛下のお気持ちが出発点ではないことになります。陛下のお気持ちと宮内官僚の「生前退位」論には一致しないのであり、今回の1件は陛下のお気持ちを国民に伝えるため、当局者が知恵を絞り、仕掛けたのではなくて、もっと別の動きだという可能性があります。


▽5 「生前退位」ではなく「ご公務のあり方」

 7月13日のNHKのスクープは「天皇陛下『生前退位』の意向示される」でした。

 なぜNHKは「譲位」ではなく、「生前退位」と伝えたのでしょうか。陛下は「生前退位」と表現し、関係者にお気持ちを示されたのでしょうか。なぜスクープはこのタイミングだったのでしょうか。

 まず一点目です。陛下は「生前退位」とはおっしゃっていないのではないでしょうか。

 8月8日のお言葉にはむろん「生前退位」はありません。陛下は「天皇もまた高齢となった場合、どのようなあり方が望ましいか」を問いかけられたのでした。

 身体の衰えから象徴としてのお務めを果たしていくことが難しくなるのではないかと案じられ、一方で、国事行為や公的行為の縮小、摂政を置くことにも疑問を投げかけられ、また、ご大喪関連行事が長期にわたって続くことにも懸念を示されたうえで、象徴天皇の務めが安定的に続くことを念じられました。

 これをNHKは「生前退位の意向が強くにじむ」と伝えていますが、単純すぎるのではないでしょうか。「譲位」のお気持ちがあるとしても、それはあくまでお気持ちの一部なのだろうと私は考えます。

 その意味では、菅官房長官が「ご公務のあり方について、引き続き、考えていくべきものだと思う」と述べているのは正しいと思います。

 つまり片言隻句を捉え、先走って拡大解釈し、歴史に前例のない「生前退位」表明と表現した人物がいるのです。それは宮内庁関係者なのか、それともNHKなのか。

「生前退位」のご意向と報道されれば、それが先入観念となり、現行制度の改革、皇室典範改正が必要だという議論に発展することは必至で、実際、世論はそのように誘導されています。

 窪田氏が分析したように、仕組んだのが宮内庁トップだとすれば、彼らの意図は陛下のお気持ちを国民に伝えるというより、「女性宮家」論議のあと、すっかり下火になっていた皇室典範改正論議に再度、火を付けることにあったのだろうと私は強く疑っています。そして、仕掛けは首尾良く成功し、宮内庁当局者は「完勝」したのです。


▽6 むしろ長期政権への期待か

 それなら、なぜいまなのか。

 なかには参院選で自民党が大勝したのを見て、陛下が改憲阻止に動いたなどと深読みする人もいますが、あり得ないでしょう。むしろ百戦錬磨の官僚たちが長期政権化の兆しを見せる安倍内閣にすり寄り、挑戦的に制度改革への期待をかけたとみるべきでしょう。

 風岡宮内庁長官はお言葉のあと、「(陛下は)今後の天皇のあり方について、個人としての心情をお話になられた」と説明しています。

 長官はさらに、「(陛下は)去年からお気持ちを公にすることがふさわしいのではないかとお考えだった」とも説明しました。どうやら陛下は、昨年からお気持ちを国民にみずから示すことを希望されていたようです。

 なぜ「昨年から」なのでしょう。

 たぶん皇太子殿下の年齢を考慮されたのでしょう。昨年2月、殿下は55歳となられました。ちょうど陛下が即位された年齢です。「象徴天皇の務めが常に途切れることなく,安定的に続いていくことをひとえに念じ」(お言葉)られればこそのタイミングでしょう。

 陛下はそこまで追い詰められているということだろうと拝察します。


▽7 「陛下vs宮内庁」の微妙な関係

 戦後の歴史を振り返ると、日本国憲法施行とともに皇室典範は一般法となり、皇室令はすべて廃止されましたが、これらに代わる法体系はいまもほとんどありません。たとえば、登極令、皇室服喪令、皇室喪儀令、皇室陵墓令に代わるものがない。このため前回の御代替わりは泥縄に終始したのです。

 戦後の象徴天皇制度は昭和天皇と今上陛下が身をもって築かれてきたというより、国民および国民の代表者たちの不作為と怠慢以外の何ものでもありません。だからこそ陛下は国民に問いかけているのです。

 象徴天皇制度がそもそも法的に未整備なら、ご在位20年のあと開始されたご公務ご負担削減策に明確な基準があるはずもありません。しかも陛下は皇室の伝統と憲法の規定の両方を追い求めておられるのに、当局者は憲法第一主義に走り、その結果、祭祀のお出ましばかりが激減したのです。

 窪田氏のリポートは最後に「官邸vs宮内庁」の対立構造を示していますが、むしろ見定めるべきなのは、宮中祭祀とご公務をめぐる「陛下vs宮内庁」の微妙な関係なのではありませんか。

 女系継承容認の皇室典範改正にもご公務ご負担軽減にも失敗した宮内庁当局者は、安倍政権と対立するどころか、陛下のお気持ちを利用し、「生前退位」報道に素直に誘導される世論を味方に付けたうえで、問題を官邸に丸投げして、結果的に皇室典範改正の果実を得ようと仕掛けたのだと私は想像します。そして安倍政権は「生前退位」実現程度でお茶を濁すわけにはいかなくなったのです。

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過去3回、国会で審議された「生前退位」 ──30年前、宮内庁は譲位を容認しなかった [退位問題]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2016.8.28)からの転載です


 この世を長く生きてきたご老体を侮ってはならないとつくづく思った。

 御年80の元参議院議員・平野貞夫氏が、国会で過去に3回、「生前退位」について議論したことがあると誌上座談会で指摘している(「週刊ポスト」2016年9月2日号〈http://www.news-postseven.com/archives/20160824_440504.html〉)。

「マスコミの皆さんは不勉強で知らない人が多いですが、生前退位の話は、昭和天皇崩御より前の昭和59年に、国会の内閣委員会で議論したことがあるんですよ。実際には、これまで3回議論されている。そういった経緯があるわけだから、今になって陛下にああいうことを言わせたら気の毒なんですよ」

 国会議事録で検索すると、なるほど以下の3件がヒットする。

(1)昭和58年3月18日参議院予算委員会

(2)昭和59年4月17日参議院内閣委員会

(3)平成4年4月7日参議院内閣委員会

 いずれも参議院での議論だった。


▽1 皇室典範改正は「デマ」

(1)は、江田五月議員(社民連)が、ウォーターゲート事件、ロッキード事件に触れつつ、当時、「生前退位」問題が話題になっていることを取り上げ、皇室典範改正の可能性を法制局にただそうとしたのだった。

「皇室典範を改めて、皇位の継承を天皇の生前退位によってもできるようにして、そして恩赦を適用して何とか救おうというようなことがいろいろ世上取りざたされておりますが、まず皇室典範、これは国会で改正することができるものであるのかどうかということを、これは法制局になりますか、伺います」

 これに対し、法制局を制して答弁したのは中曽根康弘首相で、「不謹慎なデマだ」と完全否定している。

「いま皇室典範を改正して云々という言葉がありましたが、私はそういうデマに政治家がだまかされてはいかぬと思います。それは非常に不謹慎なデマだと思うのです。事皇室、日本の象徴である皇室に関することについて、いまのようなことを結びつけるということは私は非常に心外であります。そのことだけをまず申し上げて法制局長官から答弁させます」

 この答弁に、江田議員は「いいです。デマであるということをはっきりさせていただければそれで結構です」と応じ、これで質疑応答は終わっている。

 かつて若き日に、同じ国会(昭和27年1月31日衆院予算委)で、「もし天皇が御みずからの御意思で御退位あそばされるなら」と質問し、吉田首相から「非国民」と撃退された中曽根氏だが、のちに自身が首相になると、風見鶏の面目躍如というべきか、皇室典範改正の論議それ自体を封じたのだった。

 蛇足ながら、新聞記事では、私が知るかぎり、「生前退位」に言及した初例は、「朝日新聞」昭和62年12月15日夕刊の皇室関連記事だが、国会ではその5年前、野党議員の質問に登場していた。ただ、政府答弁では「生前退位」の表現は避けられた。


▽2 今日と異なる宮内庁の姿勢

(2)は、ほかならぬ平野氏が座談会で取り上げた国会審議で、この日は皇室経済法の一部改正が議題だった。

 最初に質問に立ったのが公明党の太田淳夫議員で、内廷費・皇族費の改定問題について、山本悟宮内庁次長(のち侍従長)らとのやりとりがあったあと、まさに今日と同様、昭和天皇がご高齢のなか、激務をこなされている現実をあぶり出し、「生前退位」の提案が出ていることを指摘したうえで、宮内庁の考え方を問いかけている。

「天皇陛下も御高齢であられますし、皇太子殿下も銀婚式を迎えられたわけです。満五十歳を超えられていますが、そのためかどうかあれですが、一部には天皇の生前退位ということも考えてはどうかという声もあるわけですけれども、宮内庁としてはこれはどのように考えてみえますか。検討されたことがございますか」

 これに対する山本次長の答弁はじつに興味深い。

 山本氏は、昭和天皇はたいへんお元気である。皇室典範は退位の規定を持たない。天皇の地位を安定させるためには退位を認めないことが望ましいと承知している。摂政、国事行為の臨時代行で対処できるから宮内庁としては皇室典範を再考する考えはない、というのである。今日の議論とは真逆なのだ。


▽3 「天皇の地位安定のため退位を認めず」

 議事録を正確に引用すれば、以下の通りである。

「御指摘のとおり、いろいろな御意見を伺う機会はあるわけでございますが、先ほど来申し上げますように、現在、陛下は御高齢ではいらっしゃっても非常にお元気に御公務をお務めあそばしていられるわけでございます。

 現行の皇室典範は、御指摘のとおりに、生前の退位というものについての規定を全く置かない。置かないということは、制定当時からその制度をとっていないということを申していいのだろうと思います。

 この現行の皇室典範が制定されます際にいろいろな場において議論がされているようでございますが、制定いたしました趣旨としては、退位を認めると歴史上見られたような上皇とか法皇とかいったような存在がでてきてそれが弊害を生ずるおそれがあるのではないか。歴史から見るといろいろな批判があり得たわけでありまして、こういったことは避けた方がいいということが一つ。それから、そういった制度があれば必ずしも天皇の自由意思に基づかないで退位の強制ということがあり得る可能性もないとは言えない。これも歴史の示すところだと思います。それから三番目には、逆に今度は天皇が恣意的に退位をすることができるということになるとそれもまたいかがなものか。こういったようないろいろな観点からの論議がございまして、典範制定当時、そういった制度は置かないということになったと存じております。

 結局、ねらったところは、天皇の地位を純粋に安定させることがいいのだ、それが望ましいというような意味から退位の制度を認めなかったというように承知をいたしているわけでございまして、こういったような皇室典範制定当時の経緯を踏まえて、かつまた身体の疾患または事故等がある場合には現在でも摂政なりあるいは国事行為の臨時代行なりというような制度によりまして十分対処ができるわけでありますので、現在、宮内庁といたしましてこの皇室典範の基本原則に再考を加えるというような考えは持っていないところでございます」


▽4 宮内庁の方向転換の理由は?

 この山本答弁によって分かるのは、今日、「宮内庁関係者」のリークを起点として、皇室典範改正を訴える議論が盛んに展開されているけれども、当時の宮内庁は、退位容認=皇室典範改正の可能性を完全否定し、もっぱら「国事行為臨時代行法による代行の適用」(太田議員)で足りると考えていたことである。「生前退位」という表現も避けられている。

 とすると、それから30余年、宮内庁がいまや、女系継承容認=「女性宮家」創設も含めて、方針を180度転換させたように見えるのはどうしたことなのか。

 陛下の「生前退位」のお気持ちが出発点だから、宮内庁が皇室典範改正にシフトすることは十分、大義名分が立つ、ということだろうか。

 しかし、世上、伝えられているのとは異なり、「生前退位」が陛下のご意向ではなく、宮内庁当局者の発案だったのだとしたら、説明にはならない。

 宮内庁当局は方向転換の理由を、納得のいくよう十分に説明する必要があるだろう。

 いみじくも「週刊ポスト」の座談会で、平野貞夫氏はさらにこう指摘し、「生前退位」をスクープしたNHKの報道姿勢を批判している。

「今回のことで私が問題視しているのは、NHKが勝手に『陛下の意思は生前退位だ』と限定して、それを実行しろと報道していることです。これは大問題です。

 皇室典範で両院議長と総理、最高裁長官などで構成すると規定された皇室会議でまず議論すべきなのに、それを差し置いて、NHKが国権の最高機関であるかのようにふるまっている」

「陛下の意向をNHKに伝えた人間がいて、NHKもそれを切り札に議論をショートカットしようとしている。しかし、天皇は政治に関与してはいけないわけで、陛下のお気持ちは切り離して、国民が自律的、理性的に判断しなければ国民主権とは言えない」

 平野氏はNHKを批判しているが、問われているのは報道したNHKではなくて、意図的に「生前退位」をリークしたと思われる「宮内庁関係者」ではないだろうか。いや、戦後70年、象徴天皇のあり方を真剣に考えてこなかった平野氏ら政治家の責任こそが問われているのではないのか。


▽5 退位が認められない3つの理由

(3)は、平成になってからの審議である。この日のテーマは予算だったが、時あたかも江沢民が中国共産党中央委総書記として初来日した翌日で、午前中は日本の侵略と賠償、請求権問題、天皇の訪中問題などが議題となった。

 午後になり、質問に立ったのが社会党の三石久江議員で、宮尾盤宮内庁次長との間で、加藤紘一内閣官房長官をも交えて、質疑応答が展開された。

 三石議員は単刀直入に、「天皇の生前退位の問題について伺います」と切り出し、歴史上、譲位された天皇がしばしばおられるのに、なぜ認めなくしたのか、と質問している。

 これに対して宮尾次長は、3つの理由があると答弁している。

「これも現在の皇室典範制定当時いろいろな考え方があったようでございますけれども、その制定当時、退位を認めない方がいいではないか、こういうことで、制度づくりをしたときの考え方といたしましては三つほど大きな理由があるわけでございます。

 一つは、退位ということを認めますと、これは日本の歴史上いろいろなことがあったわけでございますが、例えば上皇とか法皇というような存在が出てまいりましていろいろな弊害を生ずるおそれがあるということが第一点。

 それから第二点目は、必ずしも天皇の自由意思に基づかない退位の強制というようなことが場合によったらあり得る可能性があるということ。

 それから第三点目は、天皇が恣意的に退位をなさるというのも、象徴たる天皇、現在の象徴天皇、こういう立場から考えまして、そういう恣意的な退位というものはいかがなものであろうかということが考えられるということ、これが第三番目の点。こういったことなどが挙げられておりまして、天皇の地位を安定させることが望ましいという見地から、退位の制度は認めないということにざれたというふうに承知をいたしております。

 以上でございます」


▽6 誰が「生前退位」といわせているのか?

 三石議員はさらに責め立てる。つまり、「生前退位」は歴史的伝統のはずだが、伝統重視を掲げつつ、現代の国民意識を基準に否認するのは矛盾だと指摘するのだった。

「ただいまの御答弁は、天皇の地位が日本国民の象徴であるという新憲法の趣旨にそぐわない、また生前退位にはいろいろな弊害があるので、伝統として生前退位はあったけれども、現代の国民意識から認めるわけにはいかないということだと思うんです。

 この生前退位は、横田耕一氏の法律時報によりますと、百十三人の天皇のうち六十三人、実に五二・五%なのです。立派に伝統的制度ですが、現代の国民意識のもとでは認められないということのようです。このように皇位継承に関して伝統を重んじるとはいいながら、時代の道徳的判断あるいは趨勢に応じて、あるいは道徳的にも受け入れられない伝統は、現行の皇室典範では外されてきたわけです」

 これに対する宮尾次長の反論が聞きたいところだが、三石議員は話題を男系主義に転じてしまう。それはそれでまた興味深いのだが、今日のテーマとは異なるし、長くなるので、残念だが触れない。

 簡単にいえば、当時の宮内庁の見解では、憲法が定める「皇位の世襲」は男系男子による継承と解釈されていた。宮内庁が女系継承容認へと踏み出すのは、宮尾次長退任後、鎌倉節長官の登場を待ってのことといわれる。女系継承容認=「女性宮家」創設論の浮上が転換点であることは間違いないと思う。

 30年前、宮内庁は退位を制度的に否認し、「生前退位」なる表現をも避けていた。その宮内庁内で、10数年前、「生前退位」検討の動きが生まれたとする報道もあるが、そうだとして、陛下ご自身が「生前退位」のご意向を示されたとされるのは、どう見ても不自然だと思う。

 つまり誰かが「生前退位」と表現させていると考えるほかはない。いったい誰が、何のために?

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誰が「生前退位」なる新語を創作したのか ──ビデオメッセージの前に指摘したいこと [退位問題]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2016.8.8)からの転載です


 NHKなどの報道によれば、天皇陛下は今日の午後、ビデオメッセージの形で、「象徴天皇」としてのお務めについての「お気持ち」「お考え」を表明されると宮内庁が発表したと伝えられています。

 いわゆる「生前退位」という表現など、直接的にご意向を表明されることは避けられるとされ、陛下の「お気持ち」を受けて、安倍総理は政府としての受け止め方を示し、衆参両院議長もコメントを発表するようです。今上陛下に限って退位を可能にする特別立法案が政府内で浮上してきたともいわれます。

 午後になれば、陛下のご意向は明らかになり、政府の対応も具体的に動き出すのでしょうが、その前にどうしても指摘しておきたいことがあります。

 それはいつ、誰が、何の目的で、「生前退位」なる新語を造語したのかという謎です。

 少なくとも国語辞典をひもといても「生前退位」はありません。小学館の『日本国語大辞典』第2版(2001年)にも岩波の『広辞苑』第6版(2008年)にもありません。『広辞苑』には「生前行為」「生前処分」「生前葬」があるだけです。

「退位」「譲位」なら古来の皇室用語として知られています。それをあえて「生前退位」と表現するからには、それらとは別の意味を込めたい誰かが、新語として造語したものと推測されます。それは誰なのか。「退位」とは何がどう異なるのか。そこに問題の真相が隠されているのでしょう。


▽1 4つの問題

 一連の「生前退位」報道には、4つの問題があると思われます。

 1つは、ほかでもない、この「生前退位」なる新語の創作者は誰か、です。

 報道では、陛下が「憲法に定められた象徴としての務めを十分に果たせる者が天皇の位にあるべきだ」とお考えで、そのため「生前退位」のご意向を「宮内庁関係者」に示されたと伝えられていますが、私は大いに疑問を感じています。

 御即位20年の記者会見で、憲法が定める「象徴」という地位についての質問を受けた陛下は、「長い天皇の歴史に思いを致し,国民の上を思い,象徴として望ましい天皇の在り方を求めつつ,今日まで過ごしてきました」とお答えになりました。

 だとすれば、「長い天皇の歴史」にない「生前退位」なる新語を創作されるはずはありません。陛下が「生前退位」のお気持ちを示されたのではなくて、陛下のお気持ちを「生前退位」と表現した誰かがいるのです。

 2つ目は、従って、陛下の「ご意向」の中身は何か、陛下はほんとうは何をお考えなのか、です。

 報道は、「宮内庁関係者」という匿名者による二次情報に過ぎません。「ご意向」は「関係者」の都合に合わせてデフォルメされているのではないかと私は疑っています。

 陛下に直接確認できないのが皇室報道の宿命ですが、明日になれば、「お気持ち」は明らかになります。すでに「生前退位」には言及なさらないと伝えられていますが、さもありなんではないでしょうか。

 3つ目は、メディアにリークした「宮内庁関係者」は誰か、です。

 皇位継承という国家の最重要案件について、しかも政治的にきわめて微妙な問題を、公式ルートを外れて、何の目的で、外部に漏らしたのか、です。お気持ちを素直に伝達するのではなくて、ほかの目的で錦の御旗を必要とする関係者が間違いなく庁内にいるということでしょう。

 4つ目は「生前退位」の実現には何が必要で、どんな困難があり、実現ののちに何が起きるのか、です。

 しかし、これについては、もはや説明が不要なくらい情報があふれています。マスメディアはもっぱらこのテーマを追究するばかりで、他の3つにはまるで関心がないかのようにさえ私には見えます。これも不思議です。


▽2 宮内庁の造語か

 すでに書いたように、国会図書館の蔵書検索で「生前退位」を調べると、3件がヒットします。いずれもごく最近の雑誌記事で、うち2件は2013年に「生前退位」したローマ教皇ベネディクト16世に関するものです。

 しかし、たとえば「Newsweek」は原文の「retire」を「生前退位」と翻訳しています。BBCなどは「resign」と表現していますが、なぜこれを「生前退位」と和訳しなければならないのか、不明です。バチカン放送局(日本語)は「引退」と伝えています。

 聞き慣れない「生前退位」を用いるのには、何かお手本があるのでしょうか。

 国会図書館の検索エンジンによると、もっとも古いのは、「週刊現代」2005年5月21日号に載った「宮内庁『天皇生前退位』“計画”の背景」で、記事によれば、陛下がご高齢であることから、「生前退位」検討の動きが宮内庁内に浮上していると職員が証言していると伝えられています。

 この記事によると、「生前退位」は、いま話題とされているような陛下のご意向ではなくて、むしろ宮内庁の意向であり、「生前退位」は宮内庁の造語であるとも読めます。

 もしそうだとすると、NHKほかメディアの報道は、恐ろしいことに、完全に国民をミスリードしていることになります。「ご意向」と聞けば、素直な国民は従うでしょう。NHKにスクープをもたらした「宮内庁関係者」は、いったい何をしたくて、錦の御旗を掲げ、情報をリークし、世論を誘導しようとするのでしょうか。


▽3 昭和天皇晩年の実例

 国会図書館の検索エンジンには大きな欠点があり、書籍名や雑誌記事のタイトルにキーワードが含まれていないとヒットしません。そこで新聞社のデータベースで、本文に「生前退位」を含む記事を調べることにします。すると新たな事実が判明します。

 まず朝日新聞の「聞蔵」です。

 昨年までの記事で、「生前退位」に言及しているのは、13件。ほとんどはローマ教皇に関する記事です。とすれば、バチカン関連のマスコミ用語が皇室用語に転化されたのかと思いきや、どうもそうではないのです。

 該当する記事は3本で、もっとも古いのは、昭和62(1987)年12月15日の夕刊に掲載された「天皇の国事行為ご復帰、ご自身が強く望まれる」と題する、岸田英夫編集委員による解説記事です。

 86歳で開腹手術を経験された昭和天皇に関する記事ですが、岸田氏は、宮内庁書陵部の話として、古代律令時代に天皇の権能を一時的に代行する「監国」制度があったが、実際は桓武天皇の時代に一度行われただけであること、ヨーロッパには国王の外国旅行中に職務を代行する「執政」(テンポラリー・エージェント)制度があったが、国王と皇太子が並んで職務を務めることはないことを説明し、昭和天皇の晩年、皇太子殿下とともに国事行為を分担した例はきわめて珍しい、と指摘しています。

 そのうえで、「天皇の入院・手術という『歴史的事件』は、皇室典範で『生前退位』が認められていない天皇の職務を、緩やかに皇太子に移していく結果を招いたといえる」と結んでいます。

 この記事によって、昭和天皇の晩年にまで「生前退位」が遡れることが分かるだけでなく、「生前退位」しなくても職務分担の実例がごく最近、あったということは「生前退位」を認める制度改革が必ずしも必要でないことをも示しています。

 現在の議論がいかに歪か、あらためて理解されます。


▽4 園部逸夫元最高裁判事の発言

 2本目は、平成16(2004)年12月19日の朝刊に載った、田中優子法政大学教授による『女性天皇論─象徴天皇制とニッポンの未来』(中野正志朝日新聞記者)の書評です。

 田中氏は「現在の天皇制はけっして伝統的ではない近代の制度であることが詳しく検証されている」と指摘し、「明治には、それまで慣例となっていた生前退位も否定した」と例示するのでした。

 しかし、明治以前には「生前退位」はなかったはずです。「退位」と同一視するのは、現行憲法第一主義、国民主権論に基づいて、近代の制度を否定し、新たな制度を打ち立てる、特別の意図でもあるのでしょうか。

 3本目は、「週刊朝日」平成26(2014)年8月22日号に掲載された、園部逸夫元最高裁判事と岩井克己元朝日新聞編集委員との対談「どうする皇室の将来 制度改革への壁と提言」です。

 そのなかで園部氏は、

「(陛下は)現実問題として、憲法に規定のない公務を山ほどこなしておられる。……両陛下にこれまでのようなご活動をお願いするのは申し訳ない思いもあります。最近、オランダ女王の譲位やローマ法王の生前退位も話題になりました。ご長寿でいていただくためにも何か制度的な対応を考えてさしあげてはとも思いますね」

 と語っています。

 いわゆる「女性宮家」創設論のキーマンとされた園部氏が、ローマ教皇を引き合いに、「生前退位」に言及しているところに、女系継承容認=「女性宮家」創設との関連性を想像するのは私だけでしょうか。

 私は、「生前退位」は陛下のご意向とは別のところで生まれた、という確信に近いものを感じます。


▽5 「週刊新潮」の報道

 読売新聞のヨミダスでは、昨年までの記事で「生前退位」に触れたのは7本で、うち6本はローマ教皇がらみ。日経の場合はわずか3本で、うち2本はシアヌーク国王「退位」の記事です。

 読売、日経の残る1本は、いずれも平成25(2013)年6月14日朝刊の記事で、宮内庁が「週刊新潮」の報道に抗議したというのがその内容です。

 同誌は同年6月20日号に、「『雅子妃』不適格で『悠仁親王』即位への道」なる4本立ての記事を載せ、このうち「『皇太子即位の後の退位』で皇室典範改正を打診した宮内庁」では、同年2月に風岡典之宮内庁長官が安倍総理に対して皇位継承制度をめぐる制度の改正を要請したと伝えています。

 具体的には「天皇がみずからの意思で生前に退位し、譲位することができる」「皇位継承を辞退できる」という条文を皇室典範に付記することを要望し、これを受けて内閣官房では密かに検討が進められているというのです。

 記事には、皇室ジャーナリストの神田秀一氏や元宮内庁職員の山下真司氏による、「生前退位」に言及したコメントも載っています。

 これに対して、内閣官房と宮内庁は異例にも連名で、「事実無根」と厳重抗議し、訂正を求めました。内閣官房長官も宮内庁長官も会見で報道を否定しています。

「週刊新潮」の記事は、宮内庁の要請内容について、天皇・皇后両陛下、皇太子・秋篠宮両殿下が「既に納得されている」とも記述し、宮内庁サイドはこれも否定しているのですが、そのことは「生前退位」が陛下のお気持ちではなく、別のところから生まれたのではないかという疑いをますます募らせます。


▽6 『広辞苑』に「生前退位」が載る日

 NHKのスクープでは、天皇たるものは憲法上の務めを十分に果たすべきであり、それがかなわぬならば皇位を譲るべきだという陛下の「お気持ち」が「生前退位」論のスタートラインと説明されています。

 けれども、「生前退位」に言及した報道をあらためて振り返ってみると、陛下の「お気持ち」より、むしろ当局者たちの熱意の方が私には強く感じられます。「お気持ち」に名を借りて、制度改革を進めようとする関係者が、「お気持ち」を漏らしたのが真相ではないか、と私は強く疑っています。

 そういえば、「女性宮家」創設を提起した当局者の問題意識は「皇室の御活動の安定的な維持」であり、「お気持ち」とされるものの中身と似ています。

 そして案の定、なりを潜めたはずの女系継承容認論=「女性宮家」創設論が息を吹き返してきました。そこにリークした関係者の意図があるのではないでしょうか。

 今日、陛下は何を語られるでしょうか。陛下のメッセージはやがて陛下の「お気持ち」を離れて、古来の天皇制や近代の天皇制とも異なる、日本の天皇制の歴史に大きな節目をもたらす制度改革を実現させるのかも知れません。

 そして、いずれ『広辞苑』にも「生前退位」の項目が付け加えられる日が来るのでしょう。いったいどんな説明が書き込まれるのでしょうか。

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