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外部監査で撤去を具申された護国神社、ほか [靖国問題]

外部監査で撤去を具申された護国神社、ほか

◇先月から週刊(火曜日発行)の「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンがスタートしました。
今週発行の第6号のテーマは「米と粟の祭り──多様なる国民を統合する新嘗祭」です。
http://www.melma.com/backnumber_170937/



〈〈 外部監査で撤去を意見具申された護国神社 〉〉


 長野県松本市にある信州大学の旭キャンパスは、テニアン島で玉砕した松本歩兵第五十連隊のかつての駐屯地です。構内には戦時中の歴史の面影をとどめる赤煉瓦兵舎があり、保存運動の対象にもなっています。

 ところが、じつに興味深いことに、連隊の守り神とされた構内の稲荷神社は今年の春、完全に撤去され、更地となりました。反ヤスクニ派の標的にされた結果です。

 同じ戦争遺構だとするならば、一方の赤煉瓦兵舎は保存運動の対象となり、稲荷神社は保存運動どころか、撤去の対象となるのは論理が立ちません。

 しかし同様の現象はじつはあちこちで起きています。

 たとえば、ある自治体に、風前の灯火となった、小さな護国神社があります。

 神社の歴史をふり返ると、行政機関の資料によれば、そもそも境内地は民有地で、昭和15年に戦没者追悼の施設を建設するという前提のもとに行政機関に寄贈され、翌年、神社の社殿が行政機関によって建てられたようです。

 戦後、22年に神社は遺族が管理するようになりました。神社の祭典は遺族会によって行われるようになったようです。

 33年には公立図書館の改築で、神社は敷地内で移転させられ、翌年に設立された崇敬会が、46年に行政機関と土地の貸借契約を結びます。

 しかし世代が代わり、昭和61年には契約期間が満了となります。地代の授受は継続されましたが、その後、平成になって、関係者の協議が繰り返され、平成13年、地代未納のため契約解除の手続がなされました。

 この行政機関が行った平成17年度の「包括外部監査の結果報告書」には次のように記されています。

 「[問題点] 地方自治体として外観上、祠・鳥居など工作物を有している神社の土地を普通財産として管理しているのは適当ではない。神社としての活動も近年全くなく、以前は貸付料収入が納付されていたが、現在は氏子なども高齢化、転居などにより、構成員も不明であり、また御魂(筆者注。御霊代のことか)がないことも確認されており、神社としての実質を有していない。

 [意見] 工作物も老朽化していることから、安全面も考慮し、問題を放置することなく、早い機会に工作物を撤去するなどして敷地の一体管理をされたい」

 しかし、「神社」の土地を普通財産として管理することが適当でない、というのはどのような根拠に基づくものなのでしょうか。宗教的施設が公有地に置かれている例は枚挙に暇がありません。たとえば、東京都慰霊堂では慰霊法要も行われています。長崎の二十六聖人記念碑は市の所有ですが、誰も「適当ではない」とはいいません。神社だからいけない、とすれば、法の下の平等に反するでしょう。

 逆に、「神社の実質」がないとすれば、公的資産を経済的に管理するという発想ではなくて、たとえば道端に置かれたお地蔵さんや庚申塚などが維持管理されているように、小さな文化財として遺すことは考えられないのでしょうか。なぜ撤去を急がなければならないのか。

 住民の中にはそのような声はないのでしょうか。 



〈〈 本日の気になるニュース 〉〉


1、「中日新聞」11月23日、「万能細胞の成功を賞賛。ローマ法王庁アカデミー」
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2007112301000047.html

 京都大学とウィスコンシン大学がそれぞれヒトの皮膚から万能細胞をつくることに成功したことについて、教皇庁は「人(受精卵)を殺さず、たくさんの病気を治すことにつながる重要な発見だ」と賞賛したそうです。

 カトリックの教義では「人の命はどんなことがあっても、受胎のときから尊重され、保護されなければなりません……」(『カトリック教会のカテキズム』、カトリック中央協議会発行、2002年)とされています。

 であればこそ、人工中絶を認めたアムネスティを支援するな、と、今年6月、バチカンは声明したのです。

 「これまでの研究方法は誤った科学といえる。日本人とアメリカ人はわれわれの声を聞いてくれ、研究に成功した」というメッセージは実感がこもっています。


2、「中国新聞」11月23日、「チベットの高度な自治支持、ダライ・ラマに鳩山氏」
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200711230182.html

 民主党の鳩山幹事長がダライ・ラマと会談し、支持を表明したのだそうです。チベット問題が前進するのかどうか。


3、「日経ネット」11月22日、「自民の谷垣氏、中国の習常務委員と会談、『ポスト胡』人脈づくり」
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20071122AT3S2201C22112007.html

 記事によると、会談で習近平常務委員は「政治だけでなく、民間や安全保障などあらゆる分野で日中関係の改善を広げなければいけない」と力説し、歴史問題には触れず、未来志向の姿勢を示したのだそうです。

 そこまではいいのですが、なぜ唐家センと会わなければならないのか、ほかに会える人がいないのでしょうか。

 ちなみに人民日報の報道はこちらです。
http://j.peopledaily.com.cn/2007/11/23/jp20071123_80099.html


4、「MNS産経ニュース」11月22日、「秘書官は服役経験者! 前警察庁長官が暴露手記」
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/071122/kor0711221955004-n1.htm

 記事によると、盧武鉉大統領の秘書官は服役経験のある左翼活動家の出身で、デモで連行された友人などの釈放を会議で公然と要求していたそうです。


5、「AFPBB News」11月23日、「英連邦、パキスタンの加盟資格を停止」
http://www.afpbb.com/article/politics/2315921/2383635

 「民主主義と憲法の効力が回復するまで」だそうです。


6、「人民網日文版」11月21日、「中国の貧困撲滅対策、世界のモデルに」
http://j.peopledaily.com.cn/2007/11/21/jp20071121_80022.html

 中国の官僚がASEANのフォーラムで発言したのだそうですが、話は逆でしょう。19世紀には希望の星だった共産主義運動がなぜ失敗したのか。中国の共産党政権が掲げた大同(絶対平等主義)の夢がなぜ破れたのか、なぜ世界最大といわれる経済格差が生じたのか、真剣に検証しなければ、単なる偽善といわれても仕方がありません。


 以上、本日の気になるニュースでした。

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ひめゆり部隊はなぜ合祀されたのか [靖国問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年9月23日日曜日)からの転載です

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ひめゆり部隊はなぜ合祀されたのか
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 いままさに首相の座に駆け上ろうとしている福田元官房長官は、自民党総裁選に先立って、

「相手(中国など)の嫌がることをあえてする必要はない。配慮しなければならない」

 と首相としての靖国参拝見送りを明言したと伝えられますが、司法の世界ではここ数年、反ヤスクニ派が全国展開した小泉参拝訴訟の最高裁判決が今春までに出揃い、すべて違憲性が否定されています。法的には首相参拝は何ら問題はないということになります。

 そこで代わって反ヤスクニ派が標的にしているのが、靖国神社を直接訴える合祀取り消し訴訟で、大阪では昨年8月に台湾人遺族らが、東京では今年2月に韓国人遺族らがそれぞれ訴えを起こしています。

 琉球新報によれば、これらに続いて、沖縄のひめゆり学徒隊や防衛隊の遺族らが来月10日、合祀の取り下げを求める訴えを起こすようです。記事によると、

「靖国神社は日本の侵略戦争の象徴だった場所だが、家族の了解もなしに勝手にまつられた。姉を早く家族に返してほしい」

 というのが原告の言い分です。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-27377-storytopic-1.html

 2つの問題について考えてみます。1つはひめゆり部隊が合祀された経緯、もう1つは合祀取り下げとは何か、です。

 何度か、雑誌論攷などに書きましたが、本来、戦死者を追悼する軍の施設である靖国神社にひめゆり部隊がまつられるようになったのは、昭和30年からで、その背景には国民の強い要望があり、それを受けて、厚生省が軍属と認定し、靖国神社に合祀されたのでした。そしてその合祀はやがて戦犯刑死者や終戦時自決者の合祀に先鞭をつけることになりました。
http://homepage.mac.com/saito_sy/yasukuni/H1812SRsenpangoushi.html

 この年の朝日新聞をめくってみると、3月19日の夕刊3面には、

「ひめゆり部隊」も合祭。靖国神社に遺族休憩所完成」

 と題する、休憩所の写真入りの記事が載っています。例大祭に合わせて10万体が合祀され、ひめゆり部隊の3人も初めて軍人軍属並みに祀られることになった、というのですが、なぜそうなったかといえば、記事によると、悲惨をきわめた学徒兵の最期を思い、

「靖国の社頭に」

 という声がかねて強く上がっていたのでした。

 すんなりと合祀されたわけではありません。軍人・軍属を祀るのが靖国神社ですが、ひめゆり部隊が軍人・軍属に属するかどうか、認定がつかなかったからです。厚生省引揚援護局沖縄班では調査を重ね、その結果、部隊2000人のうち88人を「軍属(雇員)として戦死」したと認定し、前年末に戦死公報を出し、こうして神社に祀られることになったのです。

 折悪しく、すでに神社では合祭名簿の作成を終わっていたため、とりあえず3人だけこの年の春に合祀することになった。沖縄班では

「やがて軍人、民間人を問わず祀られることになろう」

 といっている、と朝日の記事は伝えています。

 調査に調査を重ね、日程をやりくりして、とりあえず3人が合祀されたのは、それだけ強い要望があり、国もせいいっぱいに応えたということなのでしょうが、今回の合祀取り下げ訴訟の原告が、援護法の適用によって靖国神社に合祀されていることを

「数年前に知った」
「家族の了解もなしに勝手にまつられた」

 と主張していることとのギャップをどのように理解したらいいのでしょうか。

 琉球新報が言及しているように、韓国人遺族らが合祀取り下げなどを求めて国を訴えた裁判では、東京地裁は昨年5月、

「合祀は神社の判断」

 として請求を却けていますが、合祀それ自体は神社の行為だとしても、少なくとも朝日の記事によれば、「勝手に祀った」わけではないでしょう。

 2番目の問題として、原告の遺族は

「合祀の取り下げ」
「姉を家族に帰して」

 と訴えていますが、具体的には何を意味しているのか、意味があるのか、冷静に考える必要があります。

 まず「合祀の取り下げ」とは具体的にどうすることなのか。靖国神社の「合祀」は英霊を一柱の神として合わせ祀ることですが、これを「取り下げる」ことはあり得ないでしょう。神社としては儀礼的な手続がありますが、いったん神に祀られた祭神を引きずり下ろすことが人間に許されることではないでしょう。

 もっといえば、そもそも人間が合祀の手続によって神をつくりだしているわけではありません。神ははじめから神であり、神でないものは最初から神ではありません。たとえば、かりに霊璽簿から祭神名を抹消したとして、そのようなことは国に一命を捧げた戦死者をもてあそんでいるだけであって、それ以外に、何の意味も持たないでしょう。

「姉を家族のもとに返して」

 という訴えも不思議な考えといわざるを得ません。死者の魂はどこにしかない、というものではないと考えられているからです。国に命をささげたのだとすれば、国が慰霊するのは当然でしょうが、死者の魂を独占していることではないし、そんなことができるはずもありません。

 戦争はつねに悲惨ですが、沖縄戦の悲劇を理解するからこそ、戦後、国民の多くがひめゆり部隊の合祀を望み、国もそれに応え、遺族への援護もし、神社は日々、慰霊の祭祀を行ってきました。そのことを、なぜ原告は不満に思わなければならないのでしょうか。

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海上自衛隊が韓国・顕忠院を表敬 [靖国問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年9月16日日曜日)からの転載です


 韓国の中央日報によると、日本の海上自衛隊の将校たち200人が、韓国海軍との共同訓練に先立って、ソウルの国立墓地顕忠院を表敬しました。中央日報は参詣の模様を写真入りで伝えています。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=91187&servcode=400§code=400

 さて、小泉首相の靖国神社参拝をめぐり、激しい批判がわき上がったのは5年前の夏のことでした。首相は「わだかまりなく追悼の誠を捧げるために議論する必要がある」との談話を発表し、そして設置されたのが、いま首相の座に駆け上がろうとしている福田内閣官房長官(当時)の諮問会議「追悼・平和懇」でした。

「わだかまり」こそは「追悼・平和懇」の出発点でしたが、今回、海上自衛隊が表敬した顕忠院はまさにその「わだかまり」を考える格好の材料です。

 顕忠院は、かつて「日帝」支配のシンボルとされる朝鮮神宮が鎮まっていたソウル市南山の南・漢江の対岸に位置しています。面積は日本の明治神宮内苑のほぼ2倍。43万坪。三方を冠岳山の山並みに囲まれ、四季折々の花が咲く庭園墓地に16万3000余の墓石が整然と並んでいます。
http://www.mnd.go.kr:8088/

 顕忠院の公式サイトによると、その歴史は北朝鮮との軍事対決に始まります。最初は国軍墓地で、朝鮮戦争後の1955年に造成されました。無名戦士の墓や在日学徒義勇軍の墓もあります。65年には国立墓地に昇格し、警察官も埋葬されるようになりました。

 顕忠院のシンボル「顕忠塔」が建立されたのは67年です。高さ31メートル、花崗岩製で、上空から見ると十字形をしています。英雄烈士の御霊(みたま)が東西南北、国をあまねく守護するという意味合いがあるようです。祭壇前の香炉は朝鮮戦争で戦死した将兵の認識票が材料に使われているといいます。

 塔の左右には23メートルの壁が翼を広げています。左側は朝鮮戦争など、右側は抗日独立戦争をシンボライズしたレリーフです。顕忠院は「反共」と「抗日」という2つの大きな民族の闘いがテーマになっていることが分かります。塔内部には朝鮮戦争の戦死者10万4000人の位牌が並び、地下には無名戦士6200余柱の遺骨を納める納骨堂があります。

 71年には李氏朝鮮末期の義兵、3・1独立運動、抗日武装闘争の活動家など350人をまつる「顕忠台」が建てられ、最近では93年に上海で抗日独立運動を展開した大韓民国臨時政府の要人たちをまつる慰霊碑と墓域が設けられ、近年になればなるほど、「抗日」の要素が拡大しているように見えます。

 顕忠院の最大のイベントは6月6日です。この日が「顕忠の日」とされる理由はとくにないようですが、国の休日となるこの日、首相直属の機関が主催し、政府、遺族、各界代表、各国大使館関係者ら5000人が参列する追悼式が開かれ、全国民がいっせいに黙祷をささげます。つまり韓国民は国をあげて「反共」とともに「抗日」精神を確認するのです。
 
 顕忠院には李承晩、朴正煕両大統領の墓所があります。片や革命で国外に追われ、片やしばしば「軍事独裁」のレッテルつきで批判される2人ですが、韓国民にとっては紛れもなく「国家指導者」であり、だからこそここに眠っているのでしょう。

 この2人の大統領に対して、「わだかまり」があるのかないのか、慰霊・顕彰の誠を捧げようとする韓国民が、日本に対しては、その良識を貫けず、「わだかまり」を強調し続けています。
小泉首相顕忠院表敬(顕忠院HP。H031015).jpg
 他方、日本側ですが、韓国側の批判をなだめるかのように平成13年10月、訪韓した小泉首相は金大中大統領との会談に先立って国立墓地に詣でました(左画像は顕忠院HPから。平成13年10月15日。Ⓒ顕忠院)。首相は翌年3月にも参拝しました。

 小渕首相も、森首相も献花しています。安倍首相も表敬しました。皇族では、サッカー・ワールドカップの開会式に先立って、高円宮・同妃両殿下が献花・焼香しています。今年の3月には斎藤統幕議長が参詣しています。

 そして、今回の海上自衛隊ですが、韓国のメディアのなかには「軍国主義の象徴である旭日旗を掲げて入稿した」のは「大事件」であり、「すべての行事を取り消して、仁川港を去れ」と迫る、激烈な社説を載せ、過剰反応したところもあるようです。戦没者に対する表敬は国際的な親善行為であることが理解できないのでしょうか。

 このブログで何度か触れたように、1970年には北朝鮮のゲリラがこの「反共」のシンボル、顕忠院を爆破しようとしましたが、その北朝鮮が一昨年、ソウルで開かれた「光復六十周年」の大イベントに代表団を送り込み、手のひらを返すように、開幕式に先立って顕忠院に表敬しています。

 そのとき韓国のマスコミが新たな問題として指摘したのは、北朝鮮が答礼として金日成廟などへの表敬を要求した場合、韓国はどうするのか、でした。7年前の金大中、金正日会談の際も北朝鮮は執拗に要求したといいますが、10月に予定される南北首脳会談で盧武鉉大統領が「わだかまり」を捨てて、表敬するのか、注目されます。

 同様のことは日韓についてもいえます。日本の要人が、皇族までもが、「わだかまり」なく何度も「抗日」のシンボルに表敬しているのに対して、韓国はどう答えるのか。一方的な国際儀礼がきわめて不自然であることはいうまでもありません。「わだかまり」を口にすることそれ自体が国際儀礼に反することですが、「追悼・平和懇」を決裁した福田さんはやはり靖国神社に代わる無宗教の国立の追悼施設を推進するのでしょうか。
タグ:靖国問題
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62回目の終戦記念日 [靖国問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年8月15日水曜日)からの転載です

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 今日は62回目の終戦記念日です。国に一命を捧げた戦没者にあらためて哀悼の意を捧げたいと思います。

 さて、内外のメディアは閣僚の靖国神社参拝について、相変わらず熱心に報道しています。たとえば、お隣韓国の中央日報はおととい、閣僚たちが不参拝を表明したことを社説で取り上げ、靖国神社は

「軍国主義を崇尚(ママ)する代表的宗教機関」

 と決めつけたうえで、閣僚参拝の「永久中止」を訴えています。

 200万部を売り上げるというこの新聞は、今回の参拝見送りの背景について、慰安婦を否認し、平和憲法改正を推進してきた「代表的右派」の安倍首相が、アメリカ下院からは慰安婦問題の謝罪を要求され、さらに参院選では惨敗して、窮地に追い込まれ、韓国・中国との関係改善に迫られた結果と分析しています。

「日帝」が「敗亡」して62年だが、日本政府は謝った歴史の傷を癒すことを怠っている。アメリカ下院の謝罪要求決議のあとも謝罪をしていない。歴史の隠蔽・歪曲は日本の大きな損失であり、日本が尊敬される国になるには、靖国参拝放棄を永久に続けるべきだ──と主張しています。

 しかし、靖国神社はけっして軍国主義の神社ではありません。「正論」9月号掲載の拙文「靖国問題を問い直す9つの視点」に書きましたように、戦前、30年にわたって靖国神社の宮司を務めた賀茂百樹が最晩年に訴えていたのは、通俗的歴史理解とはまったく異なって「平和」です。

 安倍首相は慰安婦を否認したのではなく、「強制連行」説を否定しているだけでしょう。日本政府が謝罪をしていないというのも、事実ではありません。また自民党の憲法改正案は、現行憲法と同様に、平和主義を掲げています。つまり、歴史を隠蔽・歪曲しているのは、安倍政権や日本政府ではなくて、むしろ中央日報自身でしょう。客観性の不十分な報道はジャーナリストとしての良心を疑わざるを得ません。

 先の戦争中、朝鮮半島の人たちは「被害者」どころか、もっとも協力的な戦友でしたが、この社説のように、

「日本に国を奪われた」
「強制的に名前を変えさせられた」
「強制連行された」

 という批判が圧倒的に目立ちます。

 しかしそうではない「元日本人」もいます。たとえば台湾人元日本兵・鄭春河さんはその筆頭でした。

 数年前、靖国神社のお祭りの日、直会(なおらい)の弁当に箸をつけようとしていたとき、見ず知らずの私に親切にもお茶をもってきてくれた方がいました。横に並んで、

「どちらから?」

 と聞くと、

「台湾から」との答え。それが鄭さんでした。

 戦争が始まったときは21歳。第一回陸軍特別志願兵に合格し、南方戦線で聞きしにまさる苦労をされたそうです。しかし恨みなどはなく、それどころか50年以上たってもなお「日本国民であった誇り」を持ち続け、逆に日本人こそ「誇り」を回復すべきだ、と訴える小冊子を同憂の日本人に送り続けてきたのでした。「日本人以上の日本人」と呼ぶ人もいるほどです。

 その鄭さんもいまでは戦友たちと同じ鬼籍の人です。
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またやってしまった共同通信 [靖国問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年8月10日金曜日)からの転載です

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またやってしまった共同通信
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 共同通信がどうやらまたやってしまったようです。きびしくいえば、靖国神社のいわゆる「A級戦犯」合祀に関するでっち上げスクープというべきものです。

 靖国神社の「A級戦犯」合祀に、昭和天皇は「懸念」を示されていた。その「具体的な理由」を、徳川義寛・元侍従長が陛下の作歌の相談役だった歌人に伝えていたことが判明した──。そのように伝える記事が新聞各紙にいっせいに掲載されたのは、先週末のことでした。

 昭和天皇が「A級戦犯」の合祀に「不快感」をもっていたというニュースは、これまでも富田朝彦・元宮内庁長官のメモなどを根拠に報道されてきました。「天皇の心」に基づいて、戦犯を合祀した靖国神社の立場を批判し、ひるがえって反ヤスクニ陣営を元気づける内容であるだけに、韓国の代表紙・朝鮮日報などはさっそく反応し、

「東京新聞が報じた」と伝えました。

 しかしほんとうの発信源は、昭和54年春に「A級戦犯合祀」を「スクープ」した共同通信社会部のようです。

「A級戦犯」14柱が靖国神社に合祀されたのは53年秋で、共同通信は翌春、これを「スクープ」しました。

『共同通信社50年史』は、4月17日、板垣正・日本遺族会事務局長と会い、話のなかで「A級戦犯」合祀の手応えを感じた三ヶ野編集委員が、翌日、藤田権宮司にずばり質問すると、意外にあっさりと前年の秋季例大祭を機に合祀していたことを明らかにした。翌日の加盟社の朝刊に「東条英機元首相らA級戦犯14人、靖国神社へ合祀」の記事が掲載された。長期にわたる取材が実を結んだ、と説明しています。

 共同通信は平成9年2月には、愛媛玉串料訴訟の最高裁判決の事前報道という前代未聞の「スクープ」を飛ばしました。記事は判事の合議内容にまで踏み込んでいたため、秘密漏洩疑惑にまで発展しました。

 配信はメインの記事のほかに、判例傾向をまとめたサイド記事、写真入りの原告の「喜びの声」、用語解説、政教関係裁判をまとめた表など、手厚いものでした。共同の原告・被告双方に対する取材は、締切時間ぎりぎりの前日の午後9時以降に行われたようです。記事が掲載された2月9日は日曜日で夕刊はなく、次の月曜日は新聞休刊日で朝刊はなし。配信後に大手全国紙が追いかけたとしても、掲載は早くて月曜日の夕刊になります。共同は「完全単独スクープ」を用意周到に狙ったのでしょう。

 これに対して、朝日新聞は途中から猛追したようですが、手厚い記事を書くには与えられた時間は短すぎました。結局、朝日はメインの記事のみで、原告の表情は載りませんでした。しかも都市部に配達される遅番には間に合いましたが、夕刊のない早版地帯では、2日遅れの11日の朝刊に掲載されるという「完敗」でした。しかし判決の事前報道が果たして「スクープ」の名に値するものなのかどうか。

 昨年6月には、今度は「A級戦犯分祀あり得ない 靖国神社回答」との記事を配信しました。靖国神社が「分祀」を「拒否」した。その「理由」として

「東京裁判に根強い異論が残っている」

 などと指摘し、

「A級戦犯を擁護する神社の歴史認識を示した」
「首相が参拝を続ける問題性を改めて浮き彫りにした」

 と解説し、神社を批判しました。

 共同通信の質問書に対して靖国神社が回答した文書に基づいて書かれた記事本文、回答要旨のほか、「戦争正当化と反撥、軍国主義支へた靖国」と題する靖国問題Q&Aなどの関連記事も配信されました。全体的に見て、「軍国主義」的な神社がかたくなに「分祀」を拒んでいるという印象を受けずにはいられませんが、逆に靖国神社あるいは神道に対する理解の不十分さをさらけ出すものでした。

 たとえば、そもそも「分祀」とは何か、を記事は理解していません。共同通信社会部は

「分祀とは合祀をやめる」

 ことと説明するのですが、いったん一座の神座に合祀された神霊を神ならぬ人間がどうやって具体的に「やめる」というのでしょうか。いはゆる「分祀」論者は「分祀」すれば神霊が取り除かれる簡単に信じていますが、そんなことは神道的に考えて、「あり得ない」ということが記者には理解されていないのでした。

 神道的な意味での「分祀」は本社の分霊を本社外で祀ることです。大きなロウソクから火を分けても元の火が残るやうに、「分祀」したからといって本社の神霊が消えてなくなりはしません。神霊には形も大きさもなく、だからこそ同じ祭神を祀る同じ社名の神社が全国に数多くあります。この伝統的神観に立って、靖国神社は

「分祀はあり得ない」

 と回答したのでした。

 共同通信は、日本国内のほとんどの地方紙や放送メディアに記事や写真を提供しており、記事は一般全国紙や外国メディアからも注目されました。「A級戦犯合祀」「首相靖国参拝」を強硬に批判する中国の国営通信・新華社は、共同通信の配信を受けて、

「靖国神社はA級戦犯の墓銘碑(memorial tablets)を一般戦没者から分離することを拒否した」

 と伝えました。しかし靖国神社に墓銘碑などはありません。「ない」墓銘碑をどうやって分離するというのでしょうか。

 ジャーナリズムの使命である真実を報道するどころか、誤解を振りまいています。作られたスクープの罪はまことに大きいといわねばなりません。

 今回の共同の記事は、

「天皇の懸念を徳川侍従長が歌人に伝えていたことが三日、分かった」

 と、いかにも新たな発見のような報道ぶりです。ところが、追跡取材したらしい朝日新聞の記事では、

「(歌人が)昨年末に出版した著書で明らかにしていた」

 と、趣が異なります。半年以上も前に出た本の内容が今ごろ「分かった」というのは、まったくもって不自然で、スクープとはいえません。

 問題の本は昭和天皇のお歌をくだんの歌人が解説した『昭和天皇御製 四季の歌』(同朋舎メディアプラン)です。共同通信の記者は「一般の目に触れるような本ではなく、最近になって内容が判明した」とスクープ性を強調しますが、版元によれば、大手の流通には乗らないものの、最初から市販された、といいます。ということは、内容的に新味のない情報がニュースに仕立て上げられたことになりますが、それは毎年恒例の「靖国の夏」だからなのか、とも疑われます。

 共同通信の前身は同盟通信です。5500人の人員を擁する当時、世界最大の国策通信社で、「大本営発表」は同盟を通じて新聞・ラジオに流されました。敗戦後、古野社長の英断で自発的に解散しましたが、その実態は共同通信、時事通信への分離・分割で、通信網も人員も温存されたのでした。

 前掲の『共同通信社50年史』は、「第四部 前史」で、同盟通信について32ページにわたって記述していますが、「戦争責任」についての記述はありません。「第一部 概観」に、役員が自発的に退陣したため、同盟の戦争責任を徹底的に反省し、総括留守機会を逸した、とたった数行、触れているだけです。これが靖国問題のスクープに熱心な共同通信の現実です。

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李登輝「靖国参拝」の過剰な配慮 [靖国問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年6月12日火曜日)からの転載です

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 今月7日、台湾の李登輝前総統が靖国神社を参拝しました。伝えられるところによると、神道式の二礼二拍手一拝ではなく、本殿で黙祷を捧げたといわれます。

 拝礼形式の宗教的意味については、4月にバチカン大使が伊勢神宮を表敬したことに関して、日本の教会指導者たちが

「拝礼がなかった」
「参拝ではない」

 と少なからずこだわっていることを取り上げ、先般、「神社人とキリスト者の溝」と題して書きましたが、もう一度、あらためて考えてみたいと思います。
http://web.mac.com/saito_sy/iWeb/SAITO%20Yoshihasa%20Website/08D5FC1D-C6C9-11DA-B337-000A95D44250/F76E4114-1253-11DC-A87C-000A95D44250.html

 李氏にとって、大戦末期、海軍に志願し、マニラで戦死した亡兄をまつる靖国神社に参拝することは長年の願いだったといわれ、一方、靖国神社の南部利昭宮司が昨年、訪台したとき、直接、参拝を要請したとも伝えられます。

 今回の奥の細道をたどる旅では、先月30日に成田に到着する前の機内で記者団に

「私人として実現したい」
「最後の訪日になるかも知れない。弟が行かないのは忍びない」

 と参拝を表明していましたが、訪日をアレンジした中嶋嶺雄・国際教養大学学長は

「警備の問題もあり、行かないだろう」

 との見方を示していたと伝えられます。

 李氏は靖国参拝の前に、東北各地の主要な社寺をたずね、芭蕉が近くに投宿したとされる塩竃神社では正式参拝しました。しかし、聞くところによると、神道式に玉串を捧げることはしなかったといわれます。中嶋氏の助言によるものと聞きます。

 靖国神社参拝の最終的意向をメディアが伝えたのは6日の夜でした。翌朝、李氏はホテルで亡兄への心情と参拝の希望を涙ながらに語りました。難色を示していた中嶋氏も最終的には了承したと伝えられますが、実際の参拝では二礼二拍手一礼の形式は採りませんでした。

 なぜ中嶋氏は靖国参拝に懸念を持ち、そして神道の作法を避けることを勧めたのでしょうか。

 数年前のちょうど今ごろ、中嶋氏にインタビューを試みたことがあります。テーマはほかならぬ靖国問題でした。最初の質問は、中国による靖国神社攻撃が止まない理由で、現代中国学が専門の中嶋氏は、おおむね次のように答えました。

「靖国問題が日中間のトゲのようになったのは中曽根内閣のときである。中曽根首相は胡耀邦総書記らと新しい日中関係を作ろうとし、大規模な青年交流などを進めていた。ところが、改革派の胡耀邦に対する保守派の抵抗が強く、中曽根首相が訪中したとき激しい反中曽根デモが起きた。中曽根参拝をたたくことで胡耀邦の追い落としをはかった。靖国問題は中国の内政の事情から起こった」

 さすが中国との太い人脈をもつ、中国研究の第一人者の分析ですが、だとすれば、今回の助言は、中国の反発を予期し、反発をかわすための配慮なのでしょうか。

 理由はもう一つあるのかも知れません。

 李氏は熱心なクリスチャンといわれます。中嶋氏もまたクリスチャンだといわれますが、唯一神を信仰するクリスチャンならば、熱心な信仰者であればあるほど、唯一神以外の神に拝礼することはあり得ません。神道式の作法を採用しないことで、信仰の表明ではないことを意思表示したのでしょうか。もしそうだとして、どこまで意味があるのでしょう。

 もともとキリスト教の神と靖国の神では神概念が異なります。招魂社に始まる靖国神社は、神社とはいうものの、その起源も性格も異なる、官国幣社以下、一般の神社のいずれにも該当しない神社です(小林健三ら『招魂社成立史の研究』)。戦前は、一般の神社が内務省の所管なのに対して、陸海軍の管理下に置かれていました。

 たとえばバチカンはそのことをよく理解し、戦前も戦後も信徒の参拝を、戦没者への敬意は宗教儀礼ではなく、国民の義務だとして認めています(1936年の指針)。

 李氏の参拝は、神社の作法であろうがなかろうが、信仰の表明ではなく、塩竃神社なら心からの表敬の表明でしょうし、靖国神社なら亡兄への心からの慰霊行為ということになります。

 中国の反発やキリスト者であることに配慮したとして、神道式の作法を採らないことに宗教的な意味はまったくありません。神社参拝は神道の信仰を直接的に表明する行為ではなく、キリスト教徒が教会で聖体拝領にあずかることとは意味が異なります。

 逆に恐れるのは、神道形式を採らないことで、参拝が信仰の表明ではないことを積極的に意思表示するという過剰な配慮が不敬な結果を及ぼしかねないことです。

 神道のみならず、それぞれの宗教には、聖なるものにより近付こうとして、それぞれ歴史的に形成されてきた作法があります。

 たとえば、10年前のやはり今ごろ、南インドのケララ州をたずねました。自然保護地区に近い山中に3000年前の創建と伝えられる、ヒンドゥーの最高神ビシュヌをまつるティルネリ寺院がありました。ヒンドゥー教徒以外、ふつうはお詣りできないのですが、案内してくれたオイスカの人たちのアレンジで、特別に拝観を許されました。

 上半身裸になり、白いドティを腰に巻き、裸足になるのが作法です。手を合わせながら、社殿に足を踏み入れると、暗がりの中で灯明が揺れ、内陣にビシュヌ神の神像がおぼろに見えました。

 同じころ、インドネシアの首都ジャカルタにある世界最大のイスラム寺院、国立のイスティクラル・モスクでは、全身をすっぽりと覆う白いローブに着替え、裸足になって、モスク内に入ることを許されましたが、それでもなお異教徒が立ち入れる区域は限られていました。

 キリスト教ならば、誰でも、いつでも、教会に足を踏み入れることができるかも知れません。しかしキリストの血と肉であるパンと葡萄酒を受ける聖体拝領は信徒以外には許されません。カトリックが聖なる典礼を厳格に重視してきたことはよく知られるところです。

 たとえば、先述したイスティクラル・モスクに、ムスリムでない者が、ローブに着替えずに立ち入ろうとすれば、どうなるのか、あるいは、キリスト教会のミサで、異教徒がむりやり聖体拝領を求めたとき、教会はどう対応するのか、を考えるなら、日本の神道の場合、今回の李氏の参拝がいみじくも示すように、じつに大らかですが、参拝者に対して自分のやりたいような自由な形式の参拝を奨励しているわけではありません。

 いかなる宗教であれ、人々が祈りを積み重ねてきた、それぞれの聖地を汚す行為は誰にも許されません。だとすれば、

「前半生は日本人だった」

 と語る李登輝前総統には、日本の神道の作法でお詣りをしていただきたかった、と思うのは筆者だけでしょうか。

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教会指導者にとっての李登輝「靖国参拝」 ──宣教師不在のキリスト教化への苛立ち [靖国問題]


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教会指導者にとっての李登輝「靖国参拝」
──宣教師不在のキリスト教化への苛立ち
(「神社新報」平成19年6月8日号)
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 今月(平成19年6月)七日、台湾の李登輝・前総統が夫人らと靖国神社の本殿で黙祷を捧げました。大戦末期、日本人の一人として海軍に志願し、マニラで戦死した亡兄をまつる靖国神社に参拝することは李氏の長年の願いだったといわれます。
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 李氏は個人的参拝であることを強調し、

「政治的、歴史的なこととして考えないでほしい」と念を押しています。

 しかし「台湾独立派の代表」とされる李氏の靖国参拝は、案の定、靖国問題と台湾問題を政治的に重視する中国の反発を招きました。


▢ 参拝を認めない理由


 李氏の参拝を快く思わないのは中国のほかにもいそうです。

 李氏は今回の「奥の細道」をたどる旅で、多くの社寺を訪れました。李氏は熱心なクリスチャンといわれますから、唯一神以外の神を信仰の対象とすることはあり得ません。李氏の参拝・参詣は信仰上の行為ではなく、心からの表敬の表現なのでしょう。

 李氏の靖国参拝には現代の日本を代表するカトリック教徒の三浦朱門・曾野綾子夫妻が同行しました。李氏の表敬は日本の支援者や神社側にごく自然に、大らかに受け入れられていますが、反ヤスクニ的姿勢を強めてきた日本のカトリックなど教会指導者はそうではないかも知れません。

 カトリック教会の場合、バチカンは戦前も戦後も信徒の靖国神社参拝を認めてきました。ところが日本の教会指導者は最近、バチカンの方針に疑義を差し挟み、信者の靖国参拝は社会的儀礼としても問題がある、と主張しています。

 ご承知のように、昭和七(一九三二)年、上智大学の配属将校が軍事教練で学生を靖国神社まで引率したとき、信者の学生数人が参拝を「拒否」し、大騒動に発展したことがありました。このときバチカンは、

「国家神道神社(靖国神社)の儀式に信者が参加することは許される」

 という一九三六年の指針「祖国に対する信者のつとめ」を発します。参拝は愛国的行為であり、敬礼は宗教的意義を有さない、という公式回答を得て、信者の信仰問題は解決されたのでした。

 この方針は戦後も一九五一年の指針によって確認されていますが、日本の司教団はバチカンとは異なり、一九三六年の指針がそのまま適応できない、と主張しています。厳しい迫害の時代が去り、国家神道も解体され、憲法も変わった、というのがその理由です。

 しかし戦前の教会が迫害を受けていたというのは妄想でしょうし、バチカンの方針は戦後になっても継承されていますから、「時代が変わった」は理由にはなりません。

 つまりバチカンの方針に反して、日本の歴史を批判し、迫害・受難を装い、参拝も認めないと靖国攻撃をする本当の理由は別のところにあることになります。

 先日、都内の教会で、ある大司教の講演がありました。テーマは日本での福音宣教です。

 大司教は、埼玉の信者の家に神輿をぶつけられたという戦前の苦い思い出を紹介し、終戦までを迫害の時代と見る従来通りの説明を繰り返しました。陰湿な嫌がらせなら、いつの時代にもあり得るでしょうが、それはともかく、迫害の時代が終わってもなお信徒の数はいっこうに増えない、日本宣教は成功していない、というのが基本的な問題意識のようでした。そのうえで、日本で福音を伝えることの意味を問いかけたのです。

 しかし視点を変えて見た場合、逆に日本ほどキリスト教化に成功した国はほかにないかも知れません。明治以来、日本は欧風化の道をたどり、さまざまなキリスト教文化を吸収してきました。

 その中心は天皇・皇室です。たとえば日本の赤十字運動は西南戦争時に設立された博愛社が前身といわれ、佐野常民らが征討総督のお立場にあった有栖川宮熾仁親王に設立を願い出、許可されたのがその出発点です。

 やがて博愛社は日本赤十字社と改称され、西欧の王室にならって、皇室が赤十字運動の指導的立場に立たれました。日本赤十字の名誉総裁は皇后様で、日赤大会は明治神宮の杜で開かれます。昭憲皇太后の基金は創設から百年近く、いまも世界の赤十字活動を支え続けています。

 熾仁親王が敵味方の区別なく救護するという赤十字の精神を嘉し、設立を認めたのは、その精神が天皇の一視同仁の精神に通じるからでしょう。キリスト教の伝統の中から生まれた赤十字運動は天皇精神と共鳴し、日本文化のなかに根を下ろしました。ちょうど明治維新が「上からの革命」であったように、「上からの受容」という形で、日本はキリスト教文化を受け入れ、キリスト教は日本の多神教文明のなかに組み込まれたといえます。

 けれども今日の教会指導者は、このいわば宣教師によらないキリスト教の日本的土着化が素直に認められず、苛立ちを隠せないようです。いみじくも大司教は、

「福音はけっして日本文化に吸収され、独自性・普遍性を失ってよいわけではない。福音が日本文化に従属するのではなく、日本文化が福音に従属するのである」と主張しています。

 しかしそれなら、キリスト教がヨーロッパに浸透していくに当たって、ローマやケルトの文化を吸収し、ヨーロッパ化したことが知られていますが、これはキリスト教以前の文化が福音に従属した歴史だったのかどうか。

 大司教が

「キリストの生涯の意味は時間・空間を超えて普遍の価値を持つ」

 と信じ、

「日本の福音化の最大の課題は天皇制の福音化である」

 と主張するのは自由ですが、どうあっても福音を主体とし、日本文化を従属させようとすれば、否定と排除の論理を振り回し、力ずくで一神教化する以外に宣教の道は失われます。

 それは教会が新大陸の異教文明を破壊した愚かな歴史を繰り返すことであり、古来、宗教的共存を実現してきた日本に血なまぐさい宗教戦争や革命の論理を持ち込むことにもなりかねません。


▢ 一神教化のこだわり


 一九三六年のバチカンの指針が言及しているように、十六世紀末に始まる中国宣教は画期的な適応政策を採用しました。宣教師は、現地語で説教し、中国流の礼儀作法を採り入れ、絶対神デウスを「天」「上帝」と表現し、中国皇帝による国家儀礼や孔子崇拝、祖先崇拝に参加することを認め、宣教は大成功を収めました。

 この適応政策こそ、諸民族の文化・伝統を尊重する第二バチカン公会議の精神の先駆けでしょう。異教文化を否定する布教が日本や中国など発達した多神教文明圏では通用しないことは、数百年も前に見抜かれています。

 大司教は講演の中で

「神社やお寺に行くとホッとする」

 と真情を吐露しています。その素直な感覚を生かさず、あくまで一神教化にこだわって、日本宣教をより困難にするのは愚かです。


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求められる靖国神社の本格的再検討──場当たり的な対応には限界がある [靖国問題]

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求められる靖国神社の本格的再検討──場当たり的な対応には限界がある
(「神社新報」平成19年5月21日号)
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 安倍首相が靖国神社に私費で真榊を奉納したことを一部のマスコミが問題視し、いわゆる靖国問題が再燃する気配です。
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(平成十九年)四月下旬の同社の春季例大祭に合わせて三権の長などが真榊を奉納したのを、今月(五月)上旬になって日本の新聞が「首相が奉納」と伝え、中国外務省の副報道局長は定例会見で慎重な対応を求め、韓国政府は「非常に遺憾」と論評しました。

 翌日の日本の新聞は「ナショナリズムの地金を小出しにする限り、ジレンマから抜け出せない」「不参拝を明言したら」などと社説で批判しています。

 何が問題とされているのでしょう。ある社説は憲法の政教分離原則と靖国神社の「軍国主義」的性格を指摘しています。しかし問題点というなら、むしろマスコミの扇動主義の方にこそあるかも知れません。


▢ 責任を転嫁する大新聞


 まず政教分離ですが、ちょうど十年前、最高裁大法廷は、愛媛県が靖国神社の例大祭に玉串料を公金から支出したのは憲法違反である、との判決を下しました。このとき「合憲と違憲の目安が示された」と評価したはずの新聞が、今度は私費の奉納も「疑問がある」と主張しています。論理の一貫性がありません。

「国はいかなる宗教的活動もしてはならない」と定める憲法をあくまでも厳格に解釈するというのなら、違憲とみなすべき事例はほかにたくさんあります。

 たとえば、東京都の外郭団体が主催する都慰霊堂の法要は仏式で、皇族や三権の長、自治体の首長の献花もあります。岩手県奥州市にあるキリシタン領主・後藤寿庵の館跡で地元教会が主催する祈願祭に、市長はご祝儀を公金から支出しています(市の公式サイト)。

 完全分離主義に立てばこれらは違憲でしょうが、完全分離主義者が追及したとは聞きません。憲法を盾に攻撃されるのは決まって靖国神社です。

 大新聞の社説も「忘れてならないのは靖国神社の性格だ」とずばり指摘し、「隣国を侵略し、植民地化した戦前の軍国主義のシンボル。その歴史はいまも遊就館で正当化されている」と一刀壟断にしています。しかし言い分は正しいのかどうか。

 敗戦後、GHQは、占領軍が被占領国の宗教を尊重すべきことを規定する国際法に違反して、靖国神社の焼却を主張したばかりでなく、いわゆる神道指令によって神道に対する差別的な圧迫を加え、駅の門松や注連縄をも撤去しました。

 それは「国家神道」に対する誤解と偏見があったからです。アメリカは「国家神道」こそが「軍国主義・超国家主義」の主要な源泉で、これが「侵略」戦争を導いた、と理解していました。

 ところがです。昭和二十年十一月の臨時大招魂祭は終戦前の形式での挙行が許されました。GHQはその結果を見て、神社の存廃を決めようとしたのです。泳がせ戦術です。

 日本側は「従来の軍楽隊の奏楽は印象を悪くする」と懸念しましたが、結果は逆で、占領軍には「荘厳で良かった」と好評でした。また、神職が一兵卒として召集されていたという事実は、職員が戦争指導の責任的立場にあったと見るGHQの先入観を打ち砕きました(小林健三ら『招魂社成立史の研究』)。

 こうして「国家神道」の幻影は消え、占領後期になると神道を標的とした宗教政策は改まりました。であればこそ、松平参議院議長の参議院葬が神式で挙行されたし、吉田首相の靖国参拝も認められたのでしょう。

 アメリカ人が見た「軍国主義のシンボル」は、鏡に映った自分の姿だったのではないでしょうか。日米開戦後、「全国民のための教会」ワシントン・ナショナル・カテドラルでは月例ミサが始まり、ホーリー・スピリット・チャペルは「war shrine」としての役割を果たしたといわれます。

 日本の大新聞が靖国神社をシンボル化したという歴史さえあります。ある新聞は戦意高揚のイベントをいくつも手がけ、靖国神社境内を主な会場とする「戦車大展覧会」を主催しました。言論より商売を優先させ、靖国神社を利用して「戦争の時代」を演出し、「経理面の黄金時代」を築いた大新聞が、いまさら神社を批判するのは責任転嫁そのものです。

 扇動主義は懲りずに現代も続いています。

 胡錦涛・温家宝体制は対日重視政策を採り、四年前の秋、バリ島での首脳会談で温首相は靖国神社参拝に触れませんでしたが、帰途、同行記者団に心を許した小泉首相が「参拝は中国側にも理解されている」と語ったとメディアが伝えると、温家宝は強硬派の批判を浴びました。二年前の全人代で温家宝が靖国批判をしたのも、日本の記者が質問したからで、やがて対日重視政策は後退していきました。

 今回、首相の真榊奉納について中国外務省の高官が懸念を示し、クギを刺したとの報道がありますが、中国側の報道では記者の質問に答えただけのことです。マスコミ報道が靖国問題をあおり、日中関係を悪化させる原因を作っています。

 むしろ中国側は冷静です。靖国批判をテコにした「反日」江沢民派の猛攻をしのいだ胡錦涛政権は歴史問題に抑制的方針をとっています。「反日」が国益に沿わないのを知っているからです。


▢ 日本の精神伝統の破壊


 それなら何のための靖国攻撃なのか。

 祖国に一命を捧げた国民を慰霊・追悼することは国家の当然の責務であり、いずれの国であれ、それぞれの宗教伝統に基づいた国家的儀礼が斎行されています。公的慰霊を民間任せにするような国がどこにあるでしょう。

 完全分離主義者らは国家の基本を蔑ろにし、占領史や中国国内の動き、仏教やキリスト教の事例には目をつぶり、平和と護憲を教条的に唱え、GHQでさえ捨て去った神道撲滅運動に血道を上げ、日本の歴史の否定、精神的伝統の破壊を推し進めています。

 だとすると、マスコミに暴かれ、攻め立てられて、政府高官が会見で釈明するというような場当たり的な姿勢ではなく、国の基本的なあり方として靖国神社を位置づけ、制度を本格的に再構築することが求められます。

 焦点は、むろんいわゆるA級戦犯合祀でしょう。神社による合祀がきわめて慎重に進められたことは国会図書館の新資料集が明らかにしていますが、葦津珍彦ほか先人たちの不同意にもかかわらず合祀が敢行されたともいわれます(「中外日報」の葦津論攷)。

 靖国神社は侵略戦争を肯定しているわけでも、戦争犯罪を神聖視しているわけでもありません。分祀論者のいう「分祀」には何ら神道的意味はありませんが、明治大帝の思し召しによる創建の精神に立ち返って、神社のあり方を根本的に再検討すべき時であることは間違いないでしょう。

 読者の皆さまはいかがお考えでしょうか。


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なぜ靖国神社を民間任せにしてきたのか [靖国問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年4月1日日曜日)からの転載です

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 先週、国会図書館は1200ページにおよぶ「新編 靖国神社問題集」を作成しました。同図書館は、昨年1月から、国会議員などから資料要求が相次いだのを受け、非公開の関係資料を収集してきたと伝えられます。いわゆる戦犯の合祀をめぐる経緯についての文書などもあり、新聞各紙はいっせいに論説に取り上げ、問題点を指摘しています。

 残念なことにまだ「問題集」そのものを見ていないので、正確な解説や批判はできないのですが、ここでは朝日、読売、毎日の各紙が主張するところに従って、検証を試みてみます。

 まず朝日新聞です。同紙は社説の冒頭、旧厚生省が戦犯合祀に深く関わっていた実態が浮かび上がったと指摘しています。それは後段で述べている憲法の政教分離の原則に反する恐れがある、という主張と結びついています。

 しかし原則論的にいえば、国に命を捧げた殉国者を認定できるのは国以外にはありません。多かれ少なかれ、国が合祀の過程に関わることは当然です。

 とすれば、憲法の原則に抵触するのかどうかですが、これは憲法の原則をどう考えるかによります。

 政治と宗教が、あるいは国家と宗教団体とが絶対的に分離されるべきだというのなら、違憲と判断しなければなりませんが、そもそも人間が宗教的存在である以上、絶対分離などは不可能ですし、GHQでさえ占領後期になると絶対分離主義を採用しませんでした。

 東京都慰霊堂の仏式法要をはじめ、絶対分離主義をとっていない事例は枚挙にいとまがないほど、靖国神社だけが絶対分離主義を採用しなければならない理由はありません。

 実際問題として、朝日の社説は、厚生省と神社が一体となって合祀が進められていたと指摘していますが、事実とはいいきれません。読売の社説が指摘しているように、厚生省が66年にいわゆるA級戦犯の祭神名票を神社に送ったあと、神社が実際に14人を合祀したのはそれから12年後でした。戦前もそうでしたが、国と神社はけっして「一体」ではありません。

 この点、毎日が

「神社側が抵抗していた」

 と指摘しているのは注目されます。靖国神社が一民間の宗教法人ならば、誰を合祀しようがまったくの自由ですが、当時の靖国神社には、神社が戦後、宗教法人となったのは占領軍のいわば強制によるものであり、神社本来の国家的性格を回復することが先決である、という判断があったのでした。

 朝日の社説は第2点目として、厚生省と靖国神社が外部に目立たないかたちで合祀することを申し合わせていたとくわしく書き、

「そうした人々を顕彰することは戦争を肯定し、責任をあいまいにするとの批判を恐れたのだろう」

 と秘密主義の理由を推理しています。この点については、毎日も同様で、

「政教分離という憲法の原則に照らし後ろめたさがあったからと思われる」

 と想像しています。

 だとすると、いわゆる戦犯以外の祭神は公表されてきたのでしょうか。一般戦没者に関しては公表されたのに、戦犯は極秘に合祀したというのなら、社説が主張するとおりでしょうが、実態はそうではないようですから、単なる想像に過ぎないのではないでしょうか。

「正論」2月号掲載の拙文「知られざるA級戦犯合祀への道」に書きましたように、戦犯の減刑・赦免は国民の強い要望と、関係各国の決定に基づいています。戦犯合祀のきっかけは、沖縄・ひめゆり部隊の合祀でした。「靖国の社頭に」という国民の要望を受けて、厚生省は88人を「軍属として戦死」と認定し、合祀されたのです。朝日新聞の記事によれば、厚生省の職員はこのとき

「やがて軍人、民間人を問わず、まつられるだろう」

 と語っていますし、「読者応答室から」には

「靖国神社では将来、戦犯刑死者などの合祀を考慮しています」

 と書かれています。
http://www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0611/ronbun2-1.html

 当時の新聞が戦犯合祀への動きを知っていたのだとすれば、神社が勝手に、こっそりとまつったわけでもないし、政府と神社が結託して秘密裏に合祀を行ったわけでもないでしょう。

 第3点目として、朝日新聞の社説は、特定の宗教色のない国立の追悼施設を作るべきである、という従来の主張を繰り返しています。これは読売も同様です。宗教法人である神社の意向に反して、政府が分祀を強制することは憲法上できないとすれば、新国立追悼施設を建立するなど新たな方法を検討すべきである、と訴えています。

「論座」2003年10月号に書いたことですが、近年とみに、日本政府は公的追悼施設および追悼行事から宗教性を排除することにきわめて熱心で、まるで無神論の伝道者でもあるかのように、伝統的な日本人の宗教性を軒並み否定したうえで、無宗教施設を各地に建設し、あまつさえ異国の宗教にすり寄っています。
http://homepage.mac.com/saito_sy/yasukuni/RZH1510nagasaki.html

 それもこれも、憲法の定める政教分離を絶対分離主義と解釈しているからですが、宗教の否定に通じ、したがって信教の自由を侵す恐れのあることから、GHQさえ否定した絶対分離主義に、なぜいまの日本政府は固執しようとするのでしょうか。

 政教分離の本家本元といわれているアメリカでは「全国民の教会」と位置づけられるワシントン・ナショナル・カテドラルがあり、しばしばホワイト・ハウスの依頼による追悼ミサが行われています。イギリスには第一次大戦後、戦没者追悼記念碑セノタフが設置され、毎年11月に行われる政府主催の追悼行事ではロンドン司教による宗教儀式が行われます。韓国には国立墓地があり、宗教行事も行われます。

 死者を追悼するのに宗教性を否定することは出来ません。国に殉じた戦没者を慰霊・追悼することは国家の責務であり、それぞれの国でそれぞれの伝統に基づいた儀礼が行われることは自然です。

 靖国神社は国家的あるいは国民的儀礼の場です。現在の法体制では宗教法人ですが、けっして宗教活動を行う場ではありません。新たな国家施設を作るより、靖国神社の国家的性格を法的に、公的に回復することが求められているのではないでしょうか。殉国者の慰霊・追悼を民間任せにしてきた国家の怠慢こそ、むしろ問われるべきであり、いびつな絶対分離主義とも決別すべきです。

タグ:靖国問題
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斎藤統合幕僚長が韓国・顕忠院を表敬 [靖国問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年3月15日木曜日)からの転載です


 韓国の通信社・聯合ニュースは、日韓軍事交流について協議するため、ソウルを訪れた斎藤統合幕僚長が昨日、ソウルの韓国国立墓地顕忠院を表敬訪問したことを写真付きで伝えています。
http://japanese.yna.co.kr/service/article_view.asp?NEws_id=2007031400110088

 顕忠院のサイトにも焼香する斎藤氏の画像が掲載されています。
http://www.mnd.go.kr:8088/

 斎藤氏が表敬した顕忠院は43万坪の庭園式の国立墓地で、戦死者たちの墓石16万3000余が整然と並んでいます。中央にそびえているのが高さ31メートルの顕忠塔で、塔の左右には朝鮮戦争と抗日独立運動をシンボライズしたレリーフをそれぞれ刻む23メートルの壁が翼を広げています。顕忠院は「反共」と「抗日」という二つの民族的戦いがテーマになっています。

 塔の内部には朝鮮戦争時の戦死者10万4000人の位牌がならび、地下には無名戦士6200余柱の遺骨を納める納骨堂があります。塔の祭壇の前には、朝鮮戦争で戦死した将兵の認識票を材料に作られた大きな香炉が置かれています。韓国ならびに各国の政府要人はこの香炉で焼香し、合掌するのです。

 斎藤統合幕僚長が「抗日」のシンボルである顕忠院に表敬したことで、今度はこれに対する答礼をどうするのか、が新しい課題となります。昨年10月には安倍首相が夫人とともに表敬しています。日本の皇族や歴代首相がしばしば表敬してきました。

 これに対して、さすがに北朝鮮は、「反共」のシンボルである顕忠院に対して、長い間、反発を隠すことをしませんでした。ゲリラによる爆破事件さえ起きています。

 その北朝鮮がソウルで開かれた「光復六十周年」の大イベントに代表団を送り込み、開幕式に先立って顕忠院に表敬したのは一昨年の8月です。

 北朝鮮の代表団は「祖国光復のために命を捧げた人たちが祀られている」と説明しましたが、韓国のマスコミは新たな問題として、北朝鮮が答礼として金日成廟などへの表敬を要求した場合、韓国はどうするのか、と指摘しました。

 しかし同じことは日韓についてもいえるばかりでなく、ずっと問われ続けてきたことです。日本の要人は、恩讐を超えて、何度も「抗日」のシンボルに表敬してきました。韓国の要人が日本の戦没者に敬意を表したとは聞きません。国際儀礼上、きわめて不自然です。

 もし韓国の要人が答礼する場合は、どこに表敬するのでしょうか。防衛省には最近、整備された慰霊碑地区がありますが、これはあくまで戦後の自衛隊創設以来、事故などで亡くなった平時の殉職自衛官の慰霊施設です。近代以降、戦時において国に命を捧げた将兵がまつられる国民的な慰霊施設はどこかといえば、これは靖国神社以外にはありません。

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