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今日、被災地福島を訪問される陛下──土日返上で国民を励まされる [ご公務]

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 今日、被災地福島を訪問される陛下
 ──土日返上で国民を励まされる
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 巨大震災発生以来、陛下は、ますますご多忙の日々を送られています。

 以下のカレンダーは、宮内庁がHP上に公表しているデータに基づいて、陛下のご公務があった日を○印で示したものです。◎はとくに震災関係のご公務があった日です。◇は皇后陛下単独の震災関係のご公務があった日です。

 3月11日以後、連日のように、大震災に関連するご公務をこなされていることが分かります。


▽1 ほとんど連日のご公務

 まず3月です。

日曜  月曜  火曜  水曜  木曜  金曜  土曜
        1○  2○  3○  4○  5○
6   7○  8○  9○  10○ 11○ 12
13○ 14  15◎ 16◎ 17◎ 18◎ 19
20  21○ 22  23◇ 24◇ 25○ 26
27  28◎ 29◎◇30◎ 31○

 つぎに4月です。

日曜  月曜  火曜  水曜  木曜  金曜  土曜
                    1◎  2
3○  4◎  5◎  6○  7○  8◎  9
10  11◎ 12◎ 13◎ 14◎ 15○◇16
17○ 18◎ 19○ 20◎ 21◎ 22◎ 23
24  25◎ 26◎ 27◎ 28◎ 29○ 30

 最後に今月の第1週です。

日曜  月曜  火曜  水曜  木曜  金曜  土曜
1○  2◎  3   4   5   6◎  7


 このように、陛下は皇后陛下とともに、ほとんど連日、大震災関連の情報収集に努められ、犠牲者を追悼し、被災者のもとに足を運び、励まされています。そして今日は原発事故に苦しむ福島を訪問されます。


▽2 余裕綽々たる昭和天皇

 ご自身の健康をいとわず、土日もない忙しさで、国民を励まされる陛下の姿は、敗戦直後、全国各地をめぐられ、国民を励まされた昭和天皇を思い起こさせます。

 そのときの昭和天皇のお気持ちを宮内省総務局長加藤進は次のように記録しています。

「戦争を防止できず、国民をその参加に陥らしめたのは、まことに申し訳ない。……私は方々から引き揚げてきた人、親しいものを失った人、困っている人たちのところへ行って慰めてやり、また働く人を励ましてやって、一日も早く日本を再興したい。このためにはどんな苦労をしてもかまわない。そう働くことが私の責任であって、祖先と国民と似たいし、責めを果たすことになるのだと思う」(木下道雄『側近日誌』の解説)

 昭和天皇は「五内、ために裂く」(終戦の詔勅)というほどに、未曾有の惨禍について、高い次元で責任を感じ、国家の再興のため身を捧げようとされ、戦後の御巡幸が開始されたのでした。

 大金益次郎侍従長の『巡幸余芳』によると、御巡幸中、陛下の精神的、肉体的なご負担が大きいということで、側近や地方の高官たちは異口同音にご健康を気遣ったといわれます。

 ところがです。陛下はじつにお元気でした。供奉(ぐぶ)のものがヘトヘトになっているのに、陛下だけは余裕綽々(しゃくしゃく)たるものだったというのです。

 民の命はわが命である。国と民とともに生きるという精神が南船北馬の疲労をはね飛ばし、尽きない生命力を保持させたものと考えます。大金侍従長は、「(昭和天皇の)お元気は巡幸という行動と心理のうちに、その源泉を求めるのが妥当である」と書き残しています。


▽3 繰り返される君民一体の歴史

 それは国民も同じでした。

 敗戦で憔悴した国民は陛下のお出ましを感激をもってお迎えし、「よく帰ってきてくれたね」「よく勉強して立派な人になるのですよ」という慰めや励ましに、引揚者も子供たちも涙しました。炭坑で赤旗を手に、手ぐすね引いて待ち構えていた共産主義者でさえ、「バンザイ」を絶叫したと伝えられています。

 君民の一体感が大きな原動力となり、危機を克服させてきた歴史がいまふたたび繰り返されようとしています。ただ一点、異なるのは、敗戦当時の昭和天皇は壮年期でしたが、今上陛下は昨年末、喜寿を迎えられ、推古天皇以降では、歴代5位のご長寿となり、しかもガン療養中だということです。
タグ:ご公務
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