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まったく同感──「女性宮家」を主張する朝日新聞社説に噛みついた椎名哲夫元東京新聞記者 [女性宮家創設論]

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まったく同感──「女性宮家」を主張する朝日新聞社説に噛みついた椎名哲夫元東京新聞記者
《斎藤吉久のブログ 令和2年1月13日》
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さんざんな御代替わりの年が過ぎたのも束の間、今年は皇位継承をめぐる国民的議論が沸騰しそうな気配が濃厚です。じつに憂鬱です。

早くも年明け早々、4日のデイリー新潮に、「『女性宮家』を声高に主張する『朝日新聞社説』の本音を読み解く」と題する、椎名哲夫元東京新聞記者の挑戦的な記事(週刊新潮WEB取材班編集)が載りました。女性天皇・女系継承容認の本音を隠して、皇位継承問題を「将来の主権者に」と主張するのは、先延ばしと同じで、欺瞞だと大新聞の社論を切り捨てています。
https://www.dailyshincho.jp/article/2020/01041130/?all=1&page=2


▽1 「決めるのは国民だ」

まったく仰せの通りです。

椎名さんが批判するのは、大嘗祭直後、11月18日の社説「皇室制度の今後 政治の怠慢に終止符打つ時」です。〈https://www.asahi.com/articles/DA3S14260076.html

社説は、概略、次のように主張しています。

御代替わりで皇位継承問題が先延ばしされてきたが、これ以上は許されない。
継承資格者は3人。いま継承順位の変更につながる見直しは非現実的だが、ご活動の維持存続は早晩立ち行かなくなる。
ご活動の絞り込みは必要で、実際、進んでいるが、国民との接点が減れば、象徴天皇制の基盤が揺るぎかねない。その対応策として、「女性宮家」創設をあらためて検討すべきだ。
他方、旧宮家の男子を復帰させる案があるが、600年前に別れ、戦後は民間人だったのをいまさら戻し、女性宮家を飛び越して資格者とすることに幅広い賛同は得られまい。
象徴天皇制の存続には規模の維持が不可欠で、現実的に「女性宮家」問題に結論を出すことが優先されるべきだ。
国民統合の象徴をめぐり、国民に深刻な亀裂が生じるのは好ましくない。当面は新女性宮家の様子を見守り、判断は将来の主権者に委ねるという考えもあろう。決めるのは国民だ。

憲法の国民主権論に立ち、憲法が定める象徴天皇制の基礎とされるご公務の維持には、「女性宮家」創設が当面、必要だと訴えています。代わり映えのしない主張です。


▽2 朝日新聞社説の「欺瞞」

椎名さんの批判が面白いのは、次のように、朝日の社説には「欺瞞」があると見ていることです。

社説が「女性皇族を飛び越えて『国民統合の象徴の有資格者』とすることに幅広い賛同が得られるとは思えない」というのは、「国民統合の象徴の有資格者にするのは女性皇族が先だ」と言っているようなものではないか。
「当面は悠仁さまと新女性宮家の様子を見守り、判断は将来の主権者に委ねる」というは、将来は女系(婿入りした男性の父系)に皇統が移ることも認めるという前提に立っていることになる。
「判断は将来の主権者に委ねる」というのは、朝日が批判する「政府は検討を先延ばしにしてきた」ことと同じではないのか。

「女性宮家」創設賛成の本音を隠して、まずは既成事実を作ろうと、読者を欺いているというわけです。しかも論理が一貫していないのです。

なぜそうなるのか、というと、議論の立て方がそもそもおかしいのです。

椎名さんが「女性宮家」創設論の経緯を振り返り、説明しているように、皇位継承問題と「女性宮家」問題は別のテーマでした。しかし両者を切り離して検討するとした野田内閣の「女性宮家」創設論議は国民を欺くものでした。独身を貫くわけではないから、子供が生まれ、皇位を継承すれば、新たな皇統が生まれる。「女性宮家」創設=女系継承容認なのです。

朝日の社説は、この核心部分を誤魔化しているというわけです。


▽3 皇室2000年の歴史を無視

椎名さんは、朝日が言下に切り捨てる旧宮家復活にも言及し、誤解が多いと指摘しています。

朝日の社説がいうように、600年前に離れたのは事実だが、戦後の皇籍離脱まで皇統の備えとして11宮家は存続してきた。600年間、出番はなかったが、離脱後も品位と矜持を保つために苦労してきた。
とりわけ東久邇宮家は今上陛下とも近い。東久邇宮稔彦元首相は明治天皇の皇女と結婚し、長男盛厚氏は昭和天皇皇女と結婚した。その5人のお子さんは今上陛下の従兄弟であり、複数の男子がおられる。

朝日の社説はこうした事実をまったく無視しているのです。だからこそ、椎名さんは「何を検討すべきなのか」と問いかけています。男系維持のために、旧皇族の若い男子を現在の宮家の養子に迎えるなど方法はあり得ます。

要するに、朝日の社説は皇室伝統の男系主義が守られるために知恵を絞るのではなく、逆に皇室のルールを破ることを、国民主権主義にかこつけて驀進しようとしているかのように見えます。つまりそれは二千年の歴史を持つ天皇とは異質のものであり、歴史的天皇の否定ではありませんか。もしや、それが本当の目的でしょうか。


▽4 憲法が定める「王朝の支配」

最後に蛇足ながら補足します。

椎名さんは「女性宮家」創設=女系継承容認と指摘しますが、私の読者ならご存知のように、そもそも両者は同じものとして始まったのでした。「女性宮家」創設が結果として女系継承容認に結びつくのではなくて、女性天皇・女系継承を容認するならあらかじめ「女性宮家」創設が必要だという論理です。

 【関連記事】「2つの柱」は1つ ──「女性宮家」創設の本当の提案理由 4https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2017-05-28

2点目は、御公務御負担削減です。朝日の社説は削減は必要で、対策はいまも行われていると説明していますが、宮内庁の削減策は失敗したとはっきり理解すべきです。

先帝の御在位20年のあと始まった削減策で、文字通り激減したのは祭祀であり、いわゆる御公務は逆に増えました。とくに減らないのは庁内人事異動者と赴任大使の拝謁です。社説がいう象徴天皇制の基盤ではなく、官僚社会の壁がネックなのです。

 【関連記事】省庁ごとに設定される「拝謁」──ご負担軽減のネックは官僚社会!? 5https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2017-08-04

3つ目は国民主権主義です。決めるのは国民だと社説は声を荒げていますが、それでいいのでしょうか。皇室には皇位継承に関するルールがありますが、社説にはそれに対する眼差し、敬意が欠けています。女性天皇は歴史に存在しますが、夫があり、子育て中の女性天皇は歴史に存在しません。なぜなのか、考えていただけないでしょうか。

 【関連記事】深まらない皇室論議 ──国連女子差別撤廃委員会騒動をめぐってhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2016-03-20

もうひとつ、憲法は皇位は世襲と定めています。もともとdynasticの意味で、王朝の支配を意味します。王朝交替の否認が近代の女帝否認の核心でした。椎名さんがいうように、女系継承は新たな王朝の始まりです。朝日新聞は憲法を守るために憲法違反を認めよと仰せなのでしょうか。矛盾しています。

 【関連記事】基本を忘れた女系継承容認論──小嶋和司教授の女帝論を読むhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-31

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陛下を救出する方法はあるのか? ──政府の「皇室制度」改革に幕を引いた天皇誕生日会見 4 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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陛下を救出する方法はあるのか?
──政府の「皇室制度」改革に幕を引いた天皇誕生日会見 4
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


あとがきにかえて 政府の「皇室制度」改革に幕を引いた天皇誕生日会見


▽4 陛下を救出する方法はあるのか?

koukyo01.gif
 70年前、昭和天皇のご聖断によってポツダム宣言受諾が決まり、日本は戦後への道を歩み始めました。いままた、天皇統治の根本に関わる「女性宮家」創設のかまびすしい論議が、陛下のご意思によって幕が引かれました。

 国家の最重要課題について、最後の切り札であるはずの天皇に頼らざるを得ないという現実は、皇室制度の不備ではなく、行政機関・官僚機構が十分に機能していないことを示しています。

 30余年前、場当たり的な昭和の祭祀簡略化が表面化したとき、20世紀を代表する保守派論客だった福田恆存(つねあり)は、こう語りました。

「このことが、もし本当だとしたら、大問題ですね。私には冗談としか思えません。現行憲法の中では、自衛隊問題と皇室問題はパラレルな関係にあると思っていましたが、皇室の方は自衛隊における『専守防衛』程度の原則にあたるものさえできていないようです。
…(中略)…お祭りというのは国家にとって大事なことであり、天皇の祭祀は個人のことを祈るわけではなく、国家のことを祈るわけですからね。もしこんなことを宮内庁が続けるとしたら、陛下を宮内庁から救出する落下傘部隊が要りますねえ」(「週刊文春」昭和58年1月20日号)

 その後、事態はますます悪化しています。

「1.5代」天皇論に取り憑かれ、125代の歴史的天皇像を否認し、暴走し続ける側近たちから、陛下を救出するには、何が必要なのでしょうか。福田恆存がいう、「冗談」ではもはや済みそうにありません。

(そして、案の定というべきか、陛下のご譲位問題に関連して、女性天皇・女系継承容認=「女性宮家」創設論議がまたぞろ復活したのです)

 さて、最後にひと言申し上げます。

 この本をまとめるに当たって、畏友・佐藤雉鳴氏から貴重なご助言と励ましを賜りました。佐藤氏は私の仕事を深く理解する、数少ない1人です。佐藤氏の存在がなければ、この本が日の目を見ることはなかったでしょう。心から感謝の意を表します。

 もうひと言、つけ加えます。父が逝って、6年になります。親孝行らしいことができなかったせめてもの罪滅ぼしに、この本を亡き両親と、晩年、体調を崩し、いっしょに酒を楽しむ機会が減り、後を追うように他界した義父の御霊(みたま)に、この本を捧げます。


  平成27年4月 父の7回忌を前に。あの日と同じ満開の桜のもとで



以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


☆ひきつづき「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンへのご協力をお願いいたします。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB
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「皇室制度改革ありき」の誤り ──政府の「皇室制度」改革に幕を引いた天皇誕生日会見 3 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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「皇室制度改革ありき」の誤り
──政府の「皇室制度」改革に幕を引いた天皇誕生日会見 3
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


あとがきにかえて 政府の「皇室制度」改革に幕を引いた天皇誕生日会見


▽3 「皇室制度改革ありき」の誤り

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 ところが、宮内官僚たちはこれに反して、ご負担軽減どころか、その目的をはるかに超えて、大胆不敵にも「皇室制度」改革に踏み出したのでした。現行の皇室典範では女性皇族が婚姻後、皇籍離脱(臣籍降嫁)する制度になっているから、「皇室の御活動」が安定的に維持できない、御公務が軽減されない、と強引に理屈づけて、です。

 これは謀叛というべきものではないでしょうか。武器を用いない宮廷革命です。

 天皇制否定論者が少なくないらしい民主党政権は有識者ヒアリングを実施し、

「象徴天皇制度の下で、皇族数の減少にも一定の歯止めをかけ、皇室の御活動の維持を確かなものとするためには、女性皇族が一般男性と婚姻後も皇族の身分を保持しうることとする制度改正について検討を進めるべきであると考える」

 とする「論点整理」をまとめ上げ、皇室典範改正案を翌年の通常国会に提出する勢いでした。

 政権交代で、歴史にない「女性宮家」を創設する皇室制度改革は遠のきました。けれども、本当の意味でのご負担軽減も実現されずに終わりそうです。

 つまり、政府・宮内庁は、御負担軽減策の実施にもかかわらず、「陛下の御公務」の何がどう増えたのか、何がご負担増の原因なのか、なぜ減らないのか、問題点を明らかにすることもなく、なぜ宮内庁のご負担軽減策が失敗したのか、について、原因を分析しようともしません。

 一方、歴代天皇が第一のお務めと信じ、実践されてきた祭祀の簡略化はそのまま放置されています。

 外国の賓客などとの「ご会見・ご引見」や国内各分野の功労者との「拝謁・お茶・ご会釈」が増えたのなら、皇太子殿下をご名代に立てるなど、工夫のしようがあるだろうし、陛下のご希望による「都内・近郊のお出まし」が激増しているというのなら、

「陛下、お控えください」

 のひと言があってしかるべきでしょう。

 しかもそれら今上陛下の御公務すべてが次代に引き継がれるとも限らないでしょうに、政府は、「象徴天皇制度」の下での天皇陛下の「御活動」の意義を考えると大上段に振りかぶり、「御活動」を調整・見直し、削減するのではなくて、ご結婚後の女性皇族にまで「御分担」いただくことが、緊急に求められている、として、皇室典範改正、皇室制度改革という大袈裟な挑戦を始めたのでした。

 要するに、「制度改革ありき」の発想と論理がそもそもおかしいのです。

 陛下は24年のお誕生日会見で、

「しばらくはこのままで」

 と語られましたが、実際、23年11月のご入院の際、国事行為は皇太子殿下が臨時代行され、秋篠宮殿下が御公務を代行されました。御不例時に、皇太子殿下と弟宮殿下とで、御公務を「御分担」できるなら、もっと以前からご負担削減は可能であり、皇位継承問題に波及する「皇室制度」改革など不要でした。

 すでに書いたように、かねて宮内庁がご負担軽減で注目していたのは、「ご引見」「拝謁」の多いことでしたが、宮内庁の公表データによると、ご負担軽減策の実施後も、外国大使との「お茶」「午餐」は減っていません。一カ国ごとに行われる離任大使の「ご引見」は驚くほど日程がたて込んでいます。叙勲に伴う「拝謁」もほとんど変わりません。

 皇室の基本法に手をつけるまえに、陛下のご負担軽減のためにできることが現実にあるのです。側近たちが信じ込んでいるらしい、「御活動」なさる天皇・皇室論に立脚する「皇室制度改革ありき」の姿勢に誤りがあるのです。

 ご負担軽減の標的とされた宮中祭祀についても、原則なき簡略化以外に方法はあったはずです。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


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皇室の伝統に反するご負担軽減 ──政府の「皇室制度」改革に幕を引いた天皇誕生日会見 2 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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皇室の伝統に反するご負担軽減
──政府の「皇室制度」改革に幕を引いた天皇誕生日会見 2
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


あとがきにかえて 政府の「皇室制度」改革に幕を引いた天皇誕生日会見


▽2 皇室の伝統に反するご負担軽減

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 あらためてこれまでの経緯を振り返ると、宮内庁がご負担軽減策を打ち出したのは、御在位20年がきっかけでした。

 平成20年2、3月、宮内庁は御健康問題を理由に、「昭和の先例」を踏襲する、御公務ご負担軽減について発表し、その後、同年11月に陛下が不整脈などの不調を訴えられると軽減策は前倒しされました〈http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/kohyo/kohyo.html#h20〉。

 けれども軽減策にもかかわらず、御公務は少なくとも日数において、逆に増えました。一方、文字通り激減したのは、歴代天皇が第一のお務めと信じ、実践してこられた宮中祭祀でした。

 祭祀簡略化を進言したのは、渡邉允前侍従長(19年6月まで侍従長。24年4月まで侍従職御用掛。いまは元職)ら側近でした。

 前侍従長によれば、18年春から2年間、宮中三殿の耐震改修が実施され、祭祀が仮殿で行われるのに伴って、祭祀の簡略化が図られました。工事完了後も側近は、陛下のご負担を考え、簡略化を継続しようとしましたが、陛下は

「筋が違う」

 と認められませんでした。ただ、

「在位20年の来年になったら、何か考えてもよい」

 とおっしゃったので、見直しが行われたとされます(渡邉『天皇家の執事──侍従長の十年半』)。

 ところが、御公務は少なくとも日数において増え続け、22年には年間271日にまで達しました。その一方で、祭祀は文字通り激減しました(拙文「天皇陛下をご多忙にしているのは誰か」=「文藝春秋」2011年4月号)。

「争わずに受け入れる」

 というのが天皇の帝王学ですが、皇室の伝統に反するご負担軽減に、けっして満足なさっていたわけではありません。そのことが陛下のお言葉から読み取れます。

 21年のお誕生日のご感想では、

「今年は日程や行事の内容を少し軽くするようにして過ごしてきました。昨年(20年)12月の体調よりは良くなっていますので、来年も今年のように過ごし、皆に心配をかけないようにしたいと思っています」

 と述べられています〈http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokanso-h21e.html〉。

 しかし、翌22年になると、

「一昨年(おととし)の秋から不整脈などによる体の変調があり、幾つかの日程を取り消したり、延期したりしました。これを機に、公務などの負担軽減を図ることになりました。今のところ、これ以上大きな負担軽減をするつもりはありません」

 と御公務への強い意欲を示されたのでした〈http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h22e.html〉。

 11月にご入院された23年も同様で、

「退院から日もたち、皇太子に委任していた国事行為も再開することができるようになり、体調も今では発病前の状態と変わらないように感じています。今後とも健康に十分気を付けながら新年にかけての行事を務めていきたいと思っています」

 と決意を述べられました〈http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokanso-h23e.html〉。

 つまり、陛下はこれまで一貫して、御公務への意欲を示してこられたのです。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


☆先日、チャンネル桜の番組で、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンについて説明する機会を得ました。取り上げていただき、たいへんうれしく思います。
 おかげさまで賛同者が400人を超えました。
 番組でも申しましたが、何年か先の話ではなくて、いまの問題です。ひきつづきご協力をお願いいたします。
 番組はニコニコ動画やYouTubeで御覧いただけます。
https://www.youtube.com/watch?v=Iqa0zsh-CSo&feature=youtu.be
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB
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「しばらくはこのままで」 ──政府の「皇室制度」改革に幕を引いた天皇誕生日会見 1 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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「しばらくはこのままで」
──政府の「皇室制度」改革に幕を引いた天皇誕生日会見 1
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


あとがきにかえて 政府の「皇室制度」改革に幕を引いた天皇誕生日会見

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 天皇陛下は平成24年12月23日、79歳の誕生日をお迎えになり、霊元天皇(78歳)を超え、昭和天皇(87歳)、後水尾天皇(84歳)、陽成天皇(80歳)に次ぐ、単独歴代4位の御長寿となられました(現在は歴代3位。今年29年暮れのお誕生日で84歳になられ、来春には後水尾天皇を抜いて、歴代2位となられます)。


▽1 「しばらくはこのままで」


 陛下はお誕生日を前にして、12月19日、記者会見に臨まれ、御公務ご負担軽減問題について、

「今のところしばらくはこのままでいきたいと考えています。私が病気になったときには、昨年(23年)のように皇太子と秋篠宮が代わりを務めてくれますから、その点は何も心配はなく、心強く思っています」

 と語られました〈http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h24e.html〉。

 宮内記者会は、

(1)来年80歳となられるのを機に、一層のご負担軽減が必要であるという指摘があること

(2)一定の年齢に達すれば、国事行為に専念するか、あるいは国事行為と最小限の公的行為だけなさっていただき、それ以外は皇族方が分担するという考え方を取り入れるべきという意見が出ていること

 の2点を指摘し、

「現行制度のままでは陛下のご活動をお支えする皇族方が減ってしまう現状の下で、今後の御公務に関する皇族方との役割分担についてどのようにお考えでしょうか?」

 と質問したのでした。

 これに対して、陛下は、天皇の公務には国事行為のほかに、全国植樹祭や日本学士院授賞式に出席されというような象徴的行為があるとする一般的な考え方を示されたうえで、

(1)昭和天皇が80歳を超えても続けられたこと

(2)負担軽減は、公的行事については、公平の原則に十分に配慮する必要があること

 を指摘されたあと、上記のように毅然と語られたのでした。記者会の質問への回答であると同時に、「皇室の御活動」の安定的維持、御公務ご負担軽減策を名目にして皇室制度改革を進める政府にやんわりと抵抗される、陛下の強い意思表示のように思われました。

 メディアの報道は、私とは少し違いますが、やはり陛下のご意思を伝えていました。

 たとえば朝日新聞は、北野隆一、島康彦両記者連名の署名記事で、

「穏やかだが、確固とした『宣言』」

 とリポートしました。

 宮内庁はここ数年、ご負担軽減を図ってきたが、健康不安は残っている。羽毛田信吾・前宮内庁長官は退任会見で、

「陛下は『活動あっての象徴天皇』との信念で臨んでおられ、お務めを選別して減らすことは難しい」

 と語っていた──というのです。

 つまり、朝日の記事では、陛下は御健康に関する不安を振り切って、御公務に励もうとされている。その背景には、「御活動」こそ「象徴天皇」の本質とする「信念」がうかがえる、というのです。

 こうした御健康より御公務を優先される陛下の姿勢に対して、風岡典之・現宮内庁長官は、

「陛下の健康維持は国民の願いであり、宮内庁として何より優先すべき課題。皇室医務主管や侍医長ら医師との連携をとっていく」

 と話していると記事は伝えています。

「御活動」第一主義的な解説には同意できませんが、それはともかく、陛下のお言葉と報道から浮かび上がってくるのは、つぎの4点です。

(1)御公務と御健康問題をめぐって、陛下と宮内庁当局者との意見の相違、あるいは対立の構図があるように見えること

(2)宮内庁当局による、いびつなご負担軽減策にひとまず小休止が打たれそうなこと

(3)したがって、ご負担軽減を表向きの目的とした、女系継承容認=「女性宮家」創設論にもひとまず終止符が打たれたこと

(4)一方で、平成の祭祀簡略化は現状のまま維持されること

 いわゆる「女性宮家」創設が「陛下のご意思」などと伝えていた報道は、何だったのでしょうか?


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


☆先日、チャンネル桜の番組で、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンについて説明する機会を得ました。取り上げていただき、たいへんうれしく思います。
 おかげさまで賛同者が400人を超えました。
 番組でも申しましたが、何年か先の話ではなくて、いまの問題です。ひきつづきご協力をお願いいたします。
 番組はニコニコ動画やYouTubeで御覧いただけます。
https://www.youtube.com/watch?v=Iqa0zsh-CSo&feature=youtu.be
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB
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〈第4期〉渡邉前侍従長の積極攻勢も実らず ──4段階で進む「女性宮家」創設への道 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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〈第4期〉渡邉前侍従長の積極攻勢も実らず
──4段階で進む「女性宮家」創設への道
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


補章 4段階で進む「女性宮家」創設への道──女性天皇・女系継承容認と一体だった


第5節 〈第4期〉渡邉前侍従長の積極攻勢も実らず

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 いよいよ「女性宮家」創設論が表舞台に躍り出ます。
 転機は陛下が75歳をお迎えになったこと、そして御在位20年でした。一方で、皇族女子が適齢期を迎えました。
 この時期の特徴は、羽毛田宮内庁長官に代わり、長官から侍従職御用掛に任命された、非常勤のOB職員という立場の渡邉允前侍従長が「女性宮家」創設について積極的姿勢を見せていることです。政権は自民党から民主党に交代していました。
 提唱の目的は「皇室の御活動」維持で、他方、皇位継承論議の「棚上げ」が主張されています。「女性宮家」担当内閣参与の園部逸夫元最高裁判事の論理も瓜二つです。

 21年9月、鳩山由紀夫を首班とする民社国連立政権が発足。

 同年11月11日、「日本経済新聞」連載「平成の天皇 即位20年の姿(5) 皇統の重み 「女系」巡り割れる議論」に渡邉前侍従長のコメントが載る。
 →メディアに露出した、前侍従長の「女性宮家」創設提案の最初かと思われます。

 同月12日、政府主催の天皇陛下御在位20年記念式典。

 同年12月15日、習近平中国副主席をご引見。いわゆる天皇特例会見。

 22年12月、「週刊朝日」12月31日号に渡邉前侍従長インタビュー(対談)が載る。聞き手は、当代随一の皇室ジャーナリストである岩井克己朝日新聞記者。
 →「女性宮家」という用語はありませんが、「結婚後も皇族として残る」という中味は表現されています。

 23年10月、渡邉允前侍従長が『天皇家の執事─侍従長の10年半』文庫版(発行は年末)の「後書き」に、「女性宮家」創設を明確に提案。

 同年11月1日、宮内庁が新嘗祭のお出ましの時間短縮化などを発表。その後、陛下の御不例で御公務お取りやめが続く〈http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/kohyo/kohyo-h23-1101.html#K1101〉。

 同月6日、ご入院。

 同月18日、新嘗祭のお出ましを差し控えられることを宮内庁が発表。皇太子殿下の御拝礼までが簡略化されたhttp://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/kohyo/kohyo-h23-1101.html#K1118

 同月24日、御退院。

 同月25日、読売新聞の「スクープ」。「『女性宮家』の創設検討 宮内庁が首相に要請」。
 →世間では「宮内庁長官が要請した」かのように受け取られましたが、記事はそのようには書いていません。長官も否定しているようです。誤報に近い記事でしたが、「女性宮家」提唱者には好都合で、事実、これを機に、「女性宮家」創設論は一気に熱を帯びます。

 同年12月、「週刊朝日」12月30日号の記事「『内親王家』創設を提案する」。
 →この記事によると、「女性宮家」創設の提唱者が、羽毛田長官ではなく、渡邉前侍従長(当時は侍従職御用掛)であることが分かります。主役は交代したのです。

 24年1月、「選択」1月号に園部逸夫元判事インタビュー「皇室の存続こそが第一」。
「皇室の存続こそが第一とするならば、今は女性天皇、女系天皇の是非論は横に置いて、まずは新たな宮家を創設し、皇族を増やすことが先決ではないか」

 同月、園部逸夫元最高裁判事が「『女性宮家』検討担当内閣官房参与」に就任。

 同年2月、「皇室制度に関する有識者ヒアリング」開始。
 →政府の説明では、女性皇族の婚姻後の身分問題を検討する目的は、「皇室の御活動」の安定的維持と、天皇皇后両陛下の「御負担の軽減」の2つでした。政府は「女性宮家」創設とは表現しませんでしたが、メディアは「『女性宮家』ヒアリング」と報道しました。

 同年5月、黒田清子(さやこ)元内親王が臨時神宮祭主に就任。
 →17年秋に一般国民との御結婚によって皇籍を離脱された元女性皇族が、天皇のお社である伊勢神宮の重い役職につかれました。それは皇室のご活動を維持するための「女性宮家」創設の是非が世間で議論されている最中のことでした。

 同年6月1日、羽毛田信吾宮内庁長官が退任し、風岡典之次長が昇格。

 同年10月5日、内閣官房が有識者ヒアリングの論点整理をまとめるhttp://www.kantei.go.jp/jp/singi/koushitsu/pdf/121005koushitsu.pdf

 同年12月16日、総選挙の結果、自民党が大勝、政権を奪還。

 同月19日、天皇陛下お誕生日会見で御公務ご負担軽減について、「今のところしばらくはこのままでいきたいと考えています」とお答えになる〈http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h24e.html〉。

 同月26日、第2次安倍内閣が発足。

 26年3月、神宮御親拝に伴い、剣璽御動座が行われた。

 →陛下の会見と安倍政権の成立で、「女性宮家」創設論議は収束しました。いや、そう見えるのは表向きだけかも知れません。
 そして実際、陛下の「退位」を認める皇室典範特例法の成立にからんで、「女性宮家」創設論が復活しました。現在は「第5期」ということになります。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


☆先日、チャンネル桜の番組で、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンについて説明する機会を得ました。取り上げていただき、たいへんうれしく思います。
 おかげさまで賛同者が400人を超えました。
 番組でも申しましたが、何年か先の話ではなくて、いまの問題です。ひきつづきご協力をお願いいたします。
 番組はニコニコ動画やYouTubeで御覧いただけます。
https://www.youtube.com/watch?v=Iqa0zsh-CSo&feature=youtu.be
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

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〈第3期〉羽毛田長官の典範改正工作 ──4段階で進む「女性宮家」創設への道 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2017年9月26日)からの転載です


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〈第3期〉羽毛田長官の典範改正工作
──4段階で進む「女性宮家」創設への道
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


補章 4段階で進む「女性宮家」創設への道──女性天皇・女系継承容認と一体だった


第4節 〈第3期〉羽毛田長官の典範改正工作

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 皇室典範有識者会議は平成17年11月に女性天皇・女系継承容認の報告書を提出しました。この報告書には「女性宮家」という用語は消えていますが、その中味は盛り込まれています。年明けには小泉首相が施政方針演説で典範改正案の提出を明言しますが、その後、悠仁(ひさひと)親王殿下の御誕生で議論は沈静化していきました。

 この時期の特徴は、皇位継承論にこだわる羽毛田信吾宮内庁長官による典範改正工作がヒートアップしたこと、典範改正の議論が政治の舞台へ移ったことです。


 平成18年1月、?仁親王殿下が「文藝春秋」2月号インタビュー「天皇さま その血の重み──なぜ私は女系天皇に反対なのか」で、男系継承の維持をご希望。
「この女系天皇容認という方向は、日本という国の終わりの始まりではないかと、私は深く心配するのです」
 これに対して、羽毛田長官が口止めした。「皇室の方々は発言を控えていただくのが妥当」。

 同年2月、秋篠宮文仁親王妃紀子殿下の御懐妊兆候発表、政府は皇室典範改正案提出を断念。しかし小泉純一郎首相は女系継承容認をあらためて表明した。
「将来は女系天皇を認めないと皇位継承が難しくなる」。
 他方、次期自民党総裁となる安倍晋三内閣官房長官は、慎重姿勢を強調した。
「冷静に慎重にしっかりと落ち着いた議論を進めなければ」

 同年9月6日、悠仁(ひさひと)親王御誕生。
 皇室の慶事であり、待ちに待った男子皇族御誕生だが、羽毛田長官はあろうことか、水を差した。「皇位継承の安定は図れない」

 同月26日、第1次安倍内閣が発足。

 20年11月、天皇陛下御不例。この年の2月、3月、宮内庁はご健康問題に関連して、御公務ご負担軽減について、祭祀の「調整」も含めて、公表していたが、御不例後、軽減策は前倒しされることになる。

 →本文で明らかにしたように、ご負担軽減の標的にされたのが宮中祭祀で、平成の祭祀簡略化を陛下に進言した一人が渡邉前侍従長でした。この時期、前侍従長の存在感が増しているかに見えます。

 同年12月11日、羽毛田長官は、医師の診断である「急性胃粘膜病変」と矛盾する「所見」を発表。
「天皇陛下には、かねて、国の内外にわたって、いろいろと厳しい状況が続いていることを深くご案じになっておられ、また、これに加えて、ここ何年かにわたり、ご自身のお立場から常にお心を離れることのない将来にわたる皇統の問題をはじめとし、皇室にかかわるもろもろの問題をご憂慮のご様子を拝しており、このようなさまざまなご心労に関し、本日は私なりの所見を述べる」

 →医師の見立ては「急性病変」なのに、長官の「所見」では「ここ何年かにわたるご心労」が原因だとねじ曲げられました。

 21年8月30日、総選挙で民主党が圧勝。

 同年9月10日、羽毛田長官が、政権交代で発足する鳩山新内閣に、典範改正を要請する意向を会見で表明。
「皇位継承の問題があることを(新内閣に)伝え、対処していただく必要がある、と申し上げたい」

 同月16日、鳩山内閣が発足。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


☆先日、チャンネル桜の番組で、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンについて説明する機会を得ました。取り上げていただき、たいへんうれしく思います。
 おかげさまで賛同者が400人を超えました。
 番組でも申しましたが、何年か先の話ではなくて、いまの問題です。ひきつづきご協力をお願いいたします。
 番組はニコニコ動画やYouTubeで御覧いただけます。
https://www.youtube.com/watch?v=Iqa0zsh-CSo&feature=youtu.be
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〈第2期〉非公式検討から公式検討へ ──4段階で進む「女性宮家」創設への道 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2017年9月25日)からの転載です


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〈第2期〉非公式検討から公式検討へ
──4段階で進む「女性宮家」創設への道
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


補章 4段階で進む「女性宮家」創設への道──女性天皇・女系継承容認と一体だった


第3節 〈第2期〉非公式検討から公式検討へ

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 皇太子殿下の御結婚から10年が過ぎましたが、男子はお生まれにならず、ほかならぬ皇太子殿下から「人格否定」発言が飛び出す状況にさえなりました。政府の皇室典範改正は非公式検討から公式検討に移り、「女性宮家」は一般マスコミ、論壇のテーマとなりました。皇室典範有識者会議が発足し、女性天皇・女系継承を容認する報告書がまとめられましたが、「女性宮家」の表現は消えました。

 16年5月10日、皇太子殿下が欧州歴訪前の記者会見で「人格否定」発言。
 皇太子殿下のご発言は、奇しくも、政府が極秘文書をとりまとめた当日でした。

 同日、政府の非公式検討会が女性天皇・女系継承容認の極秘文書をまとめる。

 同年7月、「週刊朝日」7月9日号の「お世継ぎ問題 結婚しても皇籍離脱しない道 雅子さま救う『女性宮家』考」に、所功京都産業大学教授のコメントが掲載される。

 同月、内閣官房と宮内庁が皇室典範改正の公式検討に向けた準備を開始。

 同月、民主党が参議院選のマニフェストに女性天皇容認の方針を掲載。
「『日本国の象徴』にふさわしい開かれた皇室の実現へ、皇室典範を改正し、女性の皇位継承を可能とする」

 同月、「Voice」2004年8月号に所教授の論考「“皇室の危機”打開のために──女性宮家の創立と帝王学──女帝、是か非かを問う前にすべき工夫や方策がある」。

 同年12月、皇室典範に関する有識者会議が発足。座長は吉川弘之元東京大学総長、座長代理は園部逸夫元最高裁判所判事。メンバーに古川貞二郎前内閣官房副長官。

 17年6月8日、同有識者会議ヒアリングで、所功教授が「女性宮家」創設を提案。
「現在極端に少ない皇族の総数を増やすためには、女子皇族も結婚により女性宮家を創立できるように改め、その子女を皇族とする必要があろう」
 本論では触れませんでしたが、この日、高森明勅拓殖大学客員教授もまた「女性宮家」に言及しています。
「かりにそれらの旧宮家の方々が御同意をなさって、例えば、女性宮家に入られる、あるいは廃絶に瀕している宮家を継承されるというようなことが選択肢として実現した場合でも……」

 同月30日、同有識者会議の意見交換で「女性宮家」に関する発言があった。
「少なくとも皇族女子が婚姻後も皇籍にとどまる可能性について検討する必要があるのではないか」
「女性天皇・女系天皇を可能とした場合に、長子優先か兄弟姉妹間男子優先かということと、女性宮家を認めるかどうかということが、今後の検討のポイントになるのではないか」

 同年7月26日、有識者会議が中間報告としての論点整理。「女性宮家」の表現が消える。
 けれども、「読売新聞」7月28日付社説は、「天皇の直系子孫でも、長子を優先させるか、兄弟姉妹間では男子が優先か、という皇位継承順位や、女性宮家の創設の在り方など、難問が控えている」と書き、「女性宮家」の議論が続いていることをうかがわせます。

 同年11月15日、紀宮(のりのみや)清子(さやこ)内親王殿下が帝国ホテルで結婚式。皇籍を離脱。

 同月24日、皇室典範有識者会議が女性天皇・女系継承容認の報告書を提出。報告書に「女性宮家」は表現としては掲載されなかったが、婚姻後も皇室にとどまるという中味は文章化された。
 鳩山由紀夫民主党幹事長は「開かれた皇室への思いを大事にすべきで、典範の改正も視野に入れて、国民の側に立った、国民が期待する、国民の象徴としての天皇、天皇家のあり方を議論していただきたい」と評価しました。

 同月25日付「読売新聞」に所功教授の感想が掲載された。
「女性天皇、女系継承、女性宮家の創立なども可能とした報告書の大筋には賛成したい」

 18年1月20日、小泉首相が施政方針演説で皇室典範改正案の提出を明言。
「象徴天皇制度は、国民の間に定着しており、皇位が将来にわたり安定的に継承されるよう、有識者会議の報告に沿って、皇室典範の改正案を提出します」

 一般には「女性宮家」創設論は平成23年秋ごろ、急速に浮上してきたように見られていますが、そうではありません。
 逆に、女帝容認・女系継承を容認する皇室典範改正と一体のかたちで、「女性宮家」創設が10数年もの間、政府部内で公式、非公式に議論されてきたのだとすれば、「女性宮家」創設論の浮上は女性天皇・女系継承容認論の再浮上を意味することになります。
 つまり、渡邉允前侍従長ほか、政府関係者が主張していた「切り離し」論はまったくあり得ません。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


☆先日、チャンネル桜の番組で、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンについて説明する機会を得ました。取り上げていただき、たいへんうれしく思います。
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https://www.youtube.com/watch?v=Iqa0zsh-CSo&feature=youtu.be
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〈第1期〉「皇統の危機」を背景に非公式研究開始 ──4段階で進む「女性宮家」創設への道 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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〈第1期〉「皇統の危機」を背景に非公式研究開始
──4段階で進む「女性宮家」創設への道
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


補章 4段階で進む「女性宮家」創設への道──女性天皇・女系継承容認と一体だった


第2節 〈第1期〉「皇統の危機」を背景に非公式研究開始

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 今上天皇の第2皇子、文仁親王殿下(秋篠宮)が昭和40(1965)年にお生まれになって以来、男子皇族が久しく御誕生にならず、皇太子殿下の次の代の皇位継承者の候補がおられないという「皇統の危機」を背景に、政府内で皇室典範改正研究が潜行しました。当時のテーマはあくまで皇位継承論ですが、じつは「女帝」容認論と軌を一にして、「女性宮家」創設が検討されたのでした。

 平成2年6月29日、礼宮親王殿下御結婚の儀。秋篠宮家の創設。

 3年10月、秋篠宮殿下第1女子、眞子(まこ)内親王御誕生。

 5年6月9日、皇太子殿下御結婚の儀。

 6年12月、秋篠宮殿下第2女子、佳子(かこ)内親王御誕生。

 7年9月、自民党総裁選に立候補した小泉純一郎議員(のちの首相)は、公開討論で女性天皇容認を打ち出す。

 8年、鎌倉宮内庁長官の指示で、宮内庁内で皇位継承に関する基礎資料の整理・作成が開始された(阿比留産経新聞記者の記事)。

 9年4月、内閣官房の協力により、工藤敦夫元内閣法制局長官を中心に、古川貞二郎内閣官房副長官、大森政輔内閣法制局長官らが研究会、懇話会を設置した。第1期は皇室制度に関する非公式研究会(〜11年3月)。

 10年6月、総合情報誌「選択」6月号「『皇室典範』改定のすすめ──女帝や養子を可能にするために」が「女性宮家」にも言及。
「皇族女子は結婚すれば皇族の身分から離れるが、これを改め天皇家の長女紀宮(のりのみや)が結婚して宮家を立てるのはどうか。そこに男子が誕生すれば、男系男子は保たれることになる」
内親王の子孫はもはや男系ではないのに、男系と言い切る議論が当時は行われていました。そのように言いくるめようとする勢力があったということでしょうか。

 11年4月、政府内で、皇室法について、第2期研究会(〜12年3月)。園部逸夫元最高裁判事が新たに参加した。

 同年12月、高森明勅『この国の生い立ち──あなたは『天皇』の起源を知っていますか?』(PHP研究所)に女帝容認論をいち早く展開。新進気鋭の皇室研究者による問題提起だった。

 同月10日、朝日新聞が「雅子さま、懐妊の兆候。近く詳細な検査」をスクープ報道。けれども結局、流産の悲劇を招くことになった。
「皇太子妃・雅子さまに懐妊の兆候が見られることが9日、明らかになった」

 12〜15年、政府内で資料整理。宮内庁長官、次長に随時報告。

 13年4月、第1次小泉内閣が発足。

 同年12月、皇太子殿下第1女子、愛子内親王御誕生。

 14年2月、「文藝春秋」3月号、森暢平記事「女性天皇容認! 内閣法制局が極秘に進める。これが「皇室典範」改正草案──女帝を認め、女性宮家をつくるための検討作業」
この記事は、メディアが記事のタイトルに「女性宮家」という表現を用いた初例と見られます。

 15年5月、内閣官房、内閣法制局、宮内庁が共同で皇位継承制度改正を非公式検討(〜16年6月)。

 16年5月10日、政府の非公式検討会が女性・女系天皇容認を打ち出した極秘文書「皇位継承制度のこれからのあり方について」をまとめる(「産経新聞」18年2月17日)。
「皇位継承資格を男系の男性に限定する現行の制度では、象徴天皇制度が維持できず、皇位継承資格を女性にも認めるべきだ」

 結局のところ、検討会に関わった政府関係者たちには、千数百年を超える皇統がなぜ男系男子によって継承されてきたのか、天皇の祭祀のお務めがなぜ男系男子によって受け継がれてきたのか、天皇はなぜ「祭祀王」とされてきたのか、「祭祀王」とは何か、が理解できなかったのでしょう。理解しようともしなかったのではありませんか。現代的に解説できるアカデミズム、議論を喚起するジャーナリズムの不在も影響しています。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


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〈前史〉敗戦から平成の御代替わりまで 3 ──4段階で進む「女性宮家」創設への道 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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〈前史〉敗戦から平成の御代替わりまで 3
──4段階で進む「女性宮家」創設への道
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


補章 4段階で進む「女性宮家」創設への道──女性天皇・女系継承容認と一体だった


第1節 〈前史〉敗戦から平成の御代替わりまで 3

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 44年12月、入江相政侍従長が祭祀の「簡素化」を昭和天皇に提案。

「お上に歳末年始のお行事のことにつき申し上げる。四方拝はテラス、御洋服。歳旦祭、元始祭は御代拝。他は室内につきすべて例年通りということでお許しを得、皇后様にも申し上げる」(入江日記12月26日)

侍従長へ一気に駆け上がった入江相政は、異常な執念で祭祀の「簡素化」(入江日記)を開始しました。これが昭和の祭祀簡略化であり、皇室行事の無法化の始まりです。

 45年11月23日、新嘗祭が「夕(よい)の儀」のみ親祭となる。

 49年11月、昭和天皇の伊勢神宮行幸に際して、昭和21年以来、中止されていた剣璽御動座が復活。

入江侍従長は「おれの眼の黒いうちは復活させない」と暴言を吐いていたようです。11月8日の日記に入江はこう書き込みました。

「剣璽も御無事でよかったがくだらないことだった」

 50年8月15日、宮内庁長官室会議で、毎朝御代拝の改変などが決まる。

毎朝御代拝は侍従が烏帽子、浄衣に身を正し、宮中三殿の殿内で拝礼する形式から、洋装のモーニング・コートで庭上から拝礼する形式に変わりました。皇室の伝統より、憲法の解釈・運用が優先された結果でした。

 64(平成元、1989)年1月7日、昭和天皇が崩御。今上天皇が践祚。

践祚(せんそ)から即位大嘗祭まで、御代替わりの一連の行事が行われるのに際して、政府は、憲法の趣旨に沿い、皇室の伝統を尊重し、内閣の責任において、といいつつ、実際は、「皇室の伝統」と「現行憲法の趣旨」とを対立的にとらえ、結局、千年以上にわたる皇室の伝統が断絶されました(拙文「宮中祭祀を『法匪』から救え」=「文藝春秋」2012年2月号)。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


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