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聖職者が関与しないオランダ新国王就任式──神への誓いもしくは人間同士の約束 [王位継承]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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 聖職者が関与しないオランダ新国王就任式
 ──神への誓いもしくは人間同士の約束
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 4月30日、オランダでウィレム・アレクサンダー新国王の就任式が行われ、日本の皇太子殿下が妃殿下とともに参列されました。

 メディアは、ベアトリックス前女王の退位によること、「新教会」で行われたこと、3代の女王による統治が続いたため、皇太子による王位継承は19世紀以来であることなど、そして11年ぶりとなった海外での御公務をお務めになる日本の皇太子妃殿下の笑顔を、伝えています。

 せっかくの機会なので、オランダ王室の就任式について、前回の王位継承を例に、もう少しくわしく見てみます(参考文献『国王誕生』)。


▽オラニエ・ナッサウ家による世襲

 今回もそうでしたが、前回の第5代ユリアナ女王からベアトリックス王女への王位継承も、前女王の退位を受けてのことでした。

 ユリアナ女王は1980年1月31日の夜、テレビを通じて、高齢のため、職務を十分に遂行できなくなったと、涙ながらに退位を発表しました。この日は、ベアトリックス王女の42歳の誕生日でした

 じつは、ユリアナ女王が即位されたときも、母君の第4代ウィルヘルミナ女王が退位されたのを受けての王位継承でした。

 オランダ王国(ネーデルラント王国)が成立したのは1815年のことです。

 その300年前、1517年にドイツで始まった宗教改革の影響を受け、カルビン派新教徒市民を中心とする独立運動がわき起こったのですが、これを指導したのが、のちに「オランダの父」と呼ばれることになる、オランダ随一の大貴族オラニエ・ナッサウ家の「沈黙王」オラニエ公ウィレム1世でした。

 その子孫は代々、オランダ連邦共和国総督を務めましたが、東インド会社を中心とする黄金時代は過ぎ、17世紀後半になると国勢は衰退します。

 18世紀後半、フランス革命政府軍が侵入し、連邦共和国は崩壊、総督ウィレム5世はイギリスに追放されます。しかし1813年、ナポレオン軍の大敗でウィレム5世の子息ウィレム・フレデリックがイギリスから帰国、アムステルダムの新教会で国家の主権者に就任しました。

 ウィーン会議で独立を回復し、オラニエ・ナッサウ家を世襲王室とする立憲君主国「ネーデルラント王国」(現代のベルギー、ルクセンブルクを含む)が成立したのです。

 初代オランダ国王のオラニエ公フレデリック(ウィレム6世)は1815年、ブリュッセルで戴冠式を行いました。オランダ憲法は「王位は世襲であり、オラニエ・ナッサウ公ウィレム1世の正統な子孫に帰属する」と定めています。


▽正式には「上下両院合同総会」

 第5代女王が正式に退位したのは1980年4月30日で、アムステルダムの中心、ダム広場にある王宮で退位式が行われました。女王の71歳の誕生日でした。

 第6代ベアトリックス女王の就任式は同日の午後、王宮に隣接する新教会で行われました。もともと14世紀に建てられた後期ゴシック様式のプロテスタント教会ですが、17世紀以降は式典会場として使用されています。

 王室のお住まいは古都ハーグにありますが、歴代国王の就任式は第2代国王ウィレム2世以来、首都アムステルダムで行われています。憲法にそのように規定されているのです。

 国王の就任式は、正式には「上下両院合同総会」と呼ばれます。

 就任式は儀礼的な宣言から成り立っています。新国王の即位宣言を受けて、上下両院合同総会の議長が神の名において忠誠を誓うか、もしくは人間同士の約束が確認されます。イギリスのように新国王が王冠を授けられるというような儀礼は含まれず、このため「戴冠式」とは呼ばれません。聖職者も関与しません。

 歴史上、オランダはプロテスタントの国で、オランダ独立の原理となったカルビニズムを信仰の中心とするオランダ改革派が1651年に国教となりましたが、フランスによる占領と同時にオランダ改革派は非国教化され、カトリックが勢力を盛り返し、1848年には憲法で信教の自由が認められています。

 王室はオランダ改革派を信奉していますが、教会と国家は分離されています。


▽王位継承権はオラニエ家の男女双方に

 オランダ最初の女王、第4代ウィルヘルミナ女王は1890年に即位しました。

 第3代国王ウィレム3世には王子がありませんでした。前国王が亡くなったのを受け、わずか10歳で王位を継承しました。しばらくのあいだ、母君のエンマ王太后が摂政を務めました。

 オランダ憲法は、国王の崩御または退位によって直ちに継承者が即位することを定めています。1814年以来、王位継承権はオラニエ家の男女双方に認められています。国王の崩御時に嫡出の継承者がいないときは上下両院が国王を指名します。

 2番目の女王、第5代ユリアナ女王にも王子がなく、長女のベアトリックス王女が王位を継承しました。

 1940年5月、ナチス・ドイツの電撃的攻撃を受けて占領され、王室は政府とともにイギリスに逃れ、王女はカナダに避難し、終戦後、帰国しました。

 1965年にベアトリックス王女は西ドイツの外交官と婚約しましたが、オランダ国民の間に激論を巻き起こさずにはおきませんでした。婚約者はかつてヒトラー・ユーゲントの隊員だったからです。

 やがて1967年、ベアトリックス王女とクラウス殿下の間に、国民待望の王子が誕生しました。ウィレム・アレクサンダー王子。1980年には1世紀ぶりに皇太子オラニエ公の称号が与えられました。それが今回、王位を継承したウィレム・アレクサンダー国王です。


▽祭壇もない新教会内部

 ベアトリックス女王の就任式では、新女王入場の1時間以上前から出席者の入場が始まりました。

 モーツアルトの戴冠ミサ曲が流れるなか、上下両院議長を先頭にして、背広姿の国会議員がブルーの絨毯を歩いて入場します。

 新教会の内部はいたって質素です。名前は教会ですが、前面には祭壇もありません。

 正面の壇上には新女王と王配殿下の椅子が並んでいます。式壇の前にはテーブルがあり、王冠と王笏、憲法典などが置かれています。

 戴冠ミサ曲の演奏が終了するころ、民族衣装をまとい、あるいはモーニングやロングドス姿の、海外からの賓客が次々に入場します。

 午後2時半、合同総会の議長が木槌を叩き、開会を知らせます。

「憲法第52条によって上下両院合同総会を開会します。女王の正式な就任式を執り行う上下両院合同総会を公開で開催するよう、女王陛下からの通知第90号が送付されて参りました。これから書記官がその通知を読み上げます」

 書記官が前女王のメッセージを読み上げ、合同総会開催の事由を知らせます。

 次に欠席議員名前と理由が読み上げられます。約10名が、新女王に忠誠を誓いたくないとか、健康上の理由で欠席しています。

 その後、閣僚たちが首相を先頭に入場します。


▽「全能の神よ、私をお助けください」

 会場裏口から前女王ほか王族方が入場したあと、午後3時、いよいよベアトリックス新女王が入場します。

 純白のロングドレスに真珠のネックレス、右肩から勲章を斜めに下げ、そのうえに臙脂色の毛皮のマントを羽織り、頭上には銀色の簡素な冠。左脇に燕尾服に勲章を帯したクラウス殿下が付き添い、女王の左手を握りしめています。就任式のために特別に作曲された女王賛歌が演奏されるなか、女王は隣の王宮から新教会へゆっくりと歩みます。

 新女王が新教会に入場すると出席者全員が起立し、国歌「オラニエ・ナッサウ家」が斉唱されます。イスパニアと独立を賭けて戦った80年戦争以来の歌といわれます。

 新女王が壇上の席に着かれると、式が始まります。

 新女王はまずメッセージを読み上げます。王位継承までの経緯と憲法を擁護し維持すること、全力を尽くして国の独立や国民の自由と福祉を増進することを全能の神に誓うのです。

 上下両院議員への呼びかけに続き、新女王は「親愛なるお母さん」と前女王に対するメッセージを読み上げます。長い手紙が読み終わると、期せずして万雷の拍手がわき起こりました。

 メッセージを読み終えると新女王は王配殿下と共に起立し、憲法に規定されたとおり、誓いの言葉を述べ、右手を挙げて、2本の指を立て、「全能の神よ、私をお助けください」と誓いました。

 新女王の宣誓を受け、議長がメッセージを読み上げます。

「陛下と陛下のご家族に、そして陛下の職務に神の御加護があらんことを。もし神が許したまわばオランダとオランダ領アンティル諸島の国民とオラニエ王家の間の絆が断たれることなく、とこしなえに続くよう心から祈ります。陛下のご努力を確信しております。私どもも全力を尽くして努力することをお約束します」

 議長が立ち上がり、憲法に規定された宣誓文を読み上げます。

「我らはオランダ国民の名において、かつ憲法に基づいて、陛下を戴き臣下の礼を尽くします。我らは王位の不可侵と王権を擁護することを誓います。善良にして正義あるぎかいのなすべきところを尽くすことを誓います」

 議員たちが1人ずつ名前を呼ばれて立ち上がり、新国王への忠誠を誓います。就任式の宗教的意義を認め、神に誓う議員は軽く手をあげ、2本の指を立て、「かくて全能の神、我を助けたまえ」と誓い、宗教的意義を認めない議員は起立して「我は以上のことを約束します」と述べます。

 全議員の誓いと約束が終わると、議長が就任式の終わりを宣言、出席者が「ウーハー、ウーハー、ウーハー」と万歳を三唱します。

 ファンファーレのあと、広場に集まった国民に新女王誕生が告げられると、人々の歓声がいっせいに上がります。

 教会内では新女王就任を祝う男声合唱が始まり、やがて讃美歌が流れるなか、新女王と王配殿下が退場します。

 以上が前回の就任式ですが、今回も同様のことが行われたものと思われます。
タグ:王位継承
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イギリス労働党政権の王位継承改革案──皇室制度に接近するヨーロッパ王室 [王位継承]

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イギリス労働党政権の王位継承改革案
──皇室制度に接近するヨーロッパ王室
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 イギリス労働党政権が、男性の優位、カトリック教徒の継承禁止を定めてきた王位継承法の改正案を準備している、と伝えられます。
http://www.chunichi.co.jp/article/world/news/CK2008092602000097.html
http://www.asahi.com/international/update/0927/TKY200809260389.html

 婚外子にも継承権を認める、という驚きの内容だそうで、中日新聞は「欧州の王室では、スウェーデンなどは男女を問わず第1子に継承権を認めるよう改めており、英国でも現行制度は21世紀にふさわしくないとの論議が続いてきた」と解説を加えています。

 なにやら男系男子にこだわっているのは日本だけだ、という批判とも映ります。しかしヨーロッパの議論が参考のなるところもあれば、ならないところもあります。

 西尾論文批判で書いたように、イギリスが女子の継承を認めてきたのは父母の同等婚と王朝交替という二大原則があるからです。

 スウェーデンは20世紀に最初に女子の王位継承容認に踏み切ったことで知られますが、もともとこの国には自由民が複数の王子から国王を選挙で選ぶ選挙君主制が定着していました。女王容認論と単純に考えることはできません。

 もうひとつ付け加えるなら、むしろ注目すべきなのは、男子優先主義の終焉ではなく、同等婚原則の終わりなのではないかと思います。

 イギリスでは女王の誕生は王朝の交替を意味しました。王族出身ではない相手との婚姻は王位継承権を失うことにもなりました。イギリスでは、チャールズ皇太子の次の世代に同等婚原則が廃されるのかどうか。

 イギリスとともに、父母の同等婚、王朝交替の原則を守ってきたスペインでは、王太子妃がすでに王族ではありません。

 ヨーロッパでの男女平等の王位継承の動きに日本の皇室だけが遅れているのではなくて、父系の皇族性のみを厳格に求めてきた日本の皇室にヨーロッパの王室が接近しているのではないかと私には見えます。


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2 トンガ国王のキリスト教式戴冠式と伝統的即位式 [王位継承]

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 2 トンガ国王のキリスト教式戴冠式と伝統的即位式
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 日本の皇太子殿下やタイのシリントン王女、イギリスのグロスター公爵夫人などが参列して、トンガ国王ツポウ5世の戴冠式が8月1日、行われました。

 40年間、この国を治めた前国王ツポウ4世が2006年に亡くなり、王位を継承したツポウ5世の戴冠式は、翌年に行われる予定でしたが、政情不安定のため延期されていました。

 トンガ語で「南」という意味のトンガは、南太平洋に浮かぶ唯一の王国で、ポリネシアでもっとも古い歴史を持っています。ポリネシア人が作った王国のうち、ハワイもタヒチも欧米の植民地となりましたが、トンガが植民地化されたことはありません。

 今回の戴冠式がキリスト教会でキリスト教形式で行われているのは、19世紀にトンガの3つの王朝を統一したツポウ1世がキリスト教に改宗し、以来、国内で急速にキリスト教が広まり、西洋化が進んだという歴史が背景にあります。

 いまではトンガ国民のほとんどがキリスト教徒といわれ、どんな小さな村にも教会があるそうです。イギリス国教会の司祭ジョン・ウェスレーがはじめた宗教復興運動に起源を持つメソジスト派(ウェスレイアン)がもっとも多く、トンガ王家もこの教会に属しています。トンガはキリスト教伝道が世界でもっとも成功した国といわれているのだそうです。

 キリスト教化はトンガの伝統的宗教世界を破壊することにもなったのですが、トンガ王室は伝統文化の維持にも尽力しています。そのことは教会での戴冠式のあとに、カバ・ドリンキングというトンガ独特の伝統儀礼による即位式が行われることからも分かります。

 コショウ科の植物の根を砕いて、水でとき、絞った液汁をヤシのコップで回し飲みするのですが、トンガの建国神話に描かれた死と再生のドラマの象徴的再現ともいわれます。神聖なカバ儀礼を通過することによって、新国王は王の名を正式に獲得し、真の国王となるのです。

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