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天皇陛下をご多忙にしているのは誰か──祭祀が減り、公務が増える。それは陛下のご意志なのか [ご公務ご負担軽減]

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天皇陛下をご多忙にしているのは誰か
──祭祀が減り、公務が増える。それは陛下のご意志なのか
(「文藝春秋」平成23年4月号)
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 平成23年2月上旬、心配なニュースが飛び込んで来ました。ご高齢で、しかもガン療養中の今上陛下が、今度は心臓に異常があることが1月の定期検診で判明したというのです。2月11日の建国記念の日に精密検査のため入院され、その結果、手術は不要で、当面は投薬で経過観察するとのことでした。

 大事に到らなかったのは幸いですが、気がかりなのは、ご恒例となっていた三殿御拝がお取り止めとなったことです。ここ数年、ご健康に心配事が起こるたびに、宮中祭祀がしわ寄せを受ける調整が繰り返されています。

 今上陛下が皇后陛下とともに、「皇太子時代から大切され、忠実に受け継がれ、つねに国民の幸せを祈っておられる」(宮内庁HP)だけでなく、何よりも歴代天皇が第一のお務めとしてきたのが祭祀なのに、です。


▽1 御不例後も増え続けるご公務

 およそ2年前の平成20(2008)年暮れに今上陛下がにわかにご体調を崩されたのを受けて、宮内庁は翌年1月末、天皇皇后両陛下のご高齢とご健康に配慮し、ご公務の「調整・見直し」を前倒しする具体的なご負担軽減策を発表しました。

 けれども、ご公務は減るどころか、逆に増えています。今上陛下のご容態がとくに好転したとは聞きませんし、それどころか昨(22)年2月にはノロウイルスに感染され、6月にもお風邪を召されたにもかかわらず、です。

 表1をご覧ください。宮内庁がインターネット上に公表している「天皇皇后両陛下のご日程」にもとづき、平成17年から昨年まで、今上陛下のご公務の日数を月ごとに単純計算したものです。


表1 天皇陛下のご公務日数。平成17~23年。

平成   17  18  19  20  21  22  23
 1月  22  21  22  21  19  23  23
 2月  17  18  19  22  19  17  17
 3月  23  22  22  25  24  26  22
 4月  21  22  20  20  21  22  23
 5月  20  25  22  19  20  23  20
 6月  24  23  22  25  25  23  23
 7月  18  20  21  22  27  20  23
 8月  23  18  22  19  19  23  21
 9月  22  26  22  25  22  23  23
10月  25  25  24  24  26  24  25
11月  26  25  26  26  22  24  10
12月  22  24  22  16  24  23  18
合計  263 269 264 264 268 271 248

注記。宮内庁ホームページに公表されている陛下のご日程をもとに、ご公務・宮中祭祀の日数を単純計算した。宮内庁書類のご決裁などは含まれていない。〈http://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/01/gonittei01.html

 一目瞭然、少なくとも日数において、ご負担の軽減はまったく実現されていないことが分かります。それどころか22年は過去6年間で最高の、年間271日にまで達しました。3月は26日、月平均では22日以上です。

 宮内庁によれば、公表されるご日程には宮内庁書類のご決裁などは含まれていませんから、20年暮れの御不例後も、文字通り土日もない、ご多忙の日々が相変わらず続いています。

 外交官出身で、皇室の儀式を担当する式部官長を務め、平成8年から10年半、侍従長として今上陛下に仕えた渡邉允(まこと)氏(現在は侍従職御用掛)によれば、「われわれの生活には、月曜から金曜まで働いて土日を休む、という生活のリズムが一応ありますが、両陛下の日常にはそれがありません」(雑誌「諸君!」20年7月号掲載のインタビュー)。

 週末にご公務があり、祝日に祭祀が行われることもしばしばで、昨年(22年)だけでも、10日間以上ご公務が続いたのは、9回を数えます。20年11月に御不調を訴えられたあとでさえ、10日間連続のご公務があり、その後、ようやく「すべてのご公務のおとりやめ」が発表されたのです。

 御歳77歳。推古天皇以後では、後亀山天皇(1347~1424)と並ぶ、歴代5位のご長寿となられた陛下です。70歳を超えてご長命なのは12人おられますが、ほとんどは若くして退位されており、喜寿を超えてなお皇位にあるのは昭和天皇と今上天皇のお二方以外にはありません。けれども、ご公務はいっこうに減らないのです。
注記。陛下は23年12月に78歳になられました。江戸期の霊元天皇と並ぶ歴代第4位の御長寿です)


▽2 ご負担軽減の標的にされた「第一のお務め」

 ご公務が増え続けるのとは対照的に、ご負担軽減の標的にされ、減少しているのが、皇室伝統の祭祀です。表2をご覧ください。


表2 天皇陛下の宮中祭祀お出ましの日数。平成17~23年。

平成  17 18 19 20 21 22 23
 1月  5  5  6  5  4  6  5
 2月  3  3  3  3  2  3  1
 3月  4  3  2  3  1  2  1
 4月  4  3  1  2  2  3  1
 5月  1  3  4  1  1  1  1
 6月  3  4  3  4  3  2  2
 7月  2  2  3  2  3  1  2
 8月  2  1  2  2  0  0  0
 9月  2  2  2  3  1  1  1
10月  3  1  2  2  2  3  1
11月  2  2  3  2  3  1  0
12月  6  5  5  2  4  4  0
合計  37 34 36 31 26 27 15

 宮内庁がHP上に宮中祭祀の日程を掲載するようになった17年には、年間37日の祭祀のお出ましがありましたが、一昨年(21年)は26日、昨年(22年)は27日に激減しています。ご負担軽減策で、「新嘗祭については、当面、天皇陛下は、『夕(よい)の儀』には、従来どおり出御になることとし、『暁の儀』は、時間を限ってお出ましいただくこと、毎月1日に行われる旬祭については、5月1日及び10月1日以外の旬祭は、御代拝により行うことなど、所要の調整・見直しを行うこと」(21年1月29日の宮内庁発表)とされたからです。

 現在、宮中の奥深い神域・宮中三殿で行われる祭祀は、元日の四方拝、歳旦祭、1月3日の元始祭など、天皇みずから祭典を行う大祭、掌典長が祭典を奉仕し、天皇が拝礼する小祭だけで年間約20件を数え、このほか毎朝御代拝(まいちょうごだいはい)、毎月1日、11日、21日の旬祭、歴代天皇の式年祭などがあります。とくに11月23日の夜に長時間にわたって行われる新嘗祭から、翌年1月まで、寒さが募る時期に、集中的に続きます。

 新嘗祭は、戦前、昭和天皇の祭祀に携わった元宮内省掌典の八束清貫が説明するように、「皇室第一の重い祭祀」(八束「皇室祭祀百年史」)とされます。天皇の祭祀は秘儀ですから、詳細を述べるのは憚れるのですが、概要を説明すると、当日の夕刻、宮中三殿の西方に位置する神嘉殿にお出ましになって、数々の神饌を作法に従い、時間をかけてお供えになり、拝礼のあと、神社の祝詞に相当する御告文を奏上され、さらに米と粟の新穀の御饌、白酒・黒酒の神酒を神前で召し上がり、この直会がすむと神饌を順次撤下され、一通りの神事が終わります。これが「夕の儀」で、三時間後、ふたたびお出ましになり、同様の神事が繰り返されます。これが「暁の儀」です。

 身を清め、へりくだり、神に接近し、神人共食の儀礼によって命を共有し、一体化し、神意を受け継ぎ、衰えた命を新たに再生させる、という食儀礼です。神々の食事は1日2回、したがって神事は2回、繰り返されます。

 記紀神話は、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)がこの世界に降り立たれたとき、皇祖天照大神が「高天原にある斎庭(ゆにわ)の穂をわが子に与えなさい」と命じられたと記述します。わが国の稲作の始まりを説明するこの天孫降臨神話が、新嘗祭の根拠だといわれます(八束『祭日祝日謹話』など)。

 天皇の祈りはひたすら国と民のために捧げられる、公正かつ無私なる祈りです。

 天皇が即位後、最初に行う新嘗の祭りが大嘗祭で、新帝が供饌し、祈りを捧げる大嘗宮の儀は秘儀とされ、祝詞にあたる申詞は天皇直伝で一般には知られません。けれども、後鳥羽上皇が、14歳で即位される第三皇子・順徳天皇に、その秘儀について教えられたことが上皇の日記(「後鳥羽院宸記」建暦2[1212]年10月25日)に記録され、その一端を知ることができます。

「伊勢の五十鈴の河上にます天照大神、また天神地祇、諸神明にもうさく。朕、皇神の広き護りによりて、国中平らかに安らけく、年穀豊かに稔り、上下を覆寿いて、諸民を救済わん。よりて今年新たに得るところの新飯を供え奉ること、かくのごとし」

 俗人ならば自分や家族のために祈りますが、天皇は違います。「祭祀王」「祈る王」と称される所以です。

 約10年後、順徳天皇は『禁秘抄』(1221年)を著しました。宮中のしきたりに通じていた天皇は、父帝による鎌倉幕府倒幕の挙兵、承久の変の直前、皇子に帝王の道を伝えようとしてこの一書を著したのですが、その冒頭には「およそ禁中の作法は神事を先にし、他事を後にす」とあります。朝晩、敬神を怠らず、かりそめにも伊勢神宮や賢所に足を向けることがあってはならない。天皇にとってもっとも重要なのは神祭りであることを、皇室存亡のときに明言されたのです。

 このように、歴代天皇が第一の務めとして重視してきたのは祭祀です。

 天皇の祈りはじつは毎日行われます。『禁秘抄』には天皇が毎朝、身を清められたあと、京都御所清涼殿の石灰壇に立たれ、伊勢神宮ならびに賢所、各神社を遥拝されることが記されています。石灰壇御拝(いしばいだんのごはい)と呼ばれます。

 平安中期、宇多天皇に始まり、一日も欠かされず受け継がれてきたこの祈りは、明治の東京遷都に伴い、毎朝御代拝に代わりました。側近の侍従を宮中三殿に遣わし、烏帽子・浄衣に身を正し、拝礼させるとともに、ご自身は御座所でお慎みになります。昭和天皇は「我が庭の宮居に祭る神々に世の平らぎをいのる朝々」(昭和50年歌会始)という歌を残されています。


▽3 祭祀こそストレスの原因とばかりに

 ところが、天皇の千年の祈りがいま、ほかならぬ側近たちによって、ご負担軽減の美名に隠れて、形骸化されようとしています。

 発端は20年2月、両陛下のご健康問題に関する宮内庁発表でした。金沢一郎・皇室医務主管は、天皇陛下がガン治療による副作用で、骨に異常を来す可能性があることから新たな療法の確保が必要だ、と述べ、風岡典之・宮内庁次長は、運動療法実施のためご日程のパターンを一部見直す、と補足しました。

 風岡次長の補足説明は、①昭和天皇のご負担軽減の先例に従うこと、②宮中三殿の耐震改修が完了し、3月末から宮中三殿での祭祀が再開されるのを機に、ご日程見直しの一環として調整を検討していること、③御在位20年を超える来年から、という陛下のお気持ちを尊重すること、の3点でした。

 翌3月には、祭祀の態様について所用の調整の検討が進められていることが、風岡、金沢両氏の連名で追加説明されました。宮内庁はこうして祭祀の簡略化に着手したのです。

 渡邉前侍従長の説明では、18年春から2年間、宮中三殿の耐震改修が実施され、祭祀が仮殿で行われるのに伴って、祭祀の簡略化が図られた。工事完了後も側近は、陛下のご負担を考え、簡略化を継続しようとしたが、陛下は「筋が違う」と認めなかった。ただ、「在位20年の来年になったら、何か考えてもよい」とおっしゃったので、見直しが行われたとされます(渡邉『天皇家の執事──侍従長の十年半』)。

 しかしその後、20年11月、陛下が不整脈などの不調を訴えられると、祭祀の簡略化は前倒しされました。

 12月上旬に新たな症状が現れ、宮内庁は検査と休養のためすべてのご公務を取りやめることなどを発表しました。羽毛田信吾宮内庁長官は当面の対応として、1か月程度はご日程を可能なかぎり軽くすることなどを表明しました。

 長官は祭祀の「さ」の字も語りませんでしたが、実際、調整の狙い撃ちにされたのは祭祀でした。ご公務の日程調整は「可能なかぎり」とはほど遠く、年末の誕生日記者会見が中止され、新年一般参賀のお出ましの回数が7回から5回に減らされた程度で、その一方、祭祀は無原則に蹂躙(じゅうりん)されました。

 例年なら元旦、宮中三殿の西に位置する神嘉殿南庭で伊勢神宮、山陵、四方の神々を遥拝する四方拝があり、引き続き、歳旦祭が宮中三殿で行われますが、四方拝はすでに前年から神嘉殿南庭ではなくお住まいの御所の庭で斎行され、お召し物も天皇だけが身にまとう黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)ではなくモーニング姿でお務めになり、歳旦祭はみずから拝礼なさる親拝ではなく、また側近の侍従による御代拝でもなく、掌典次長による御代拝となったとメディアは伝えています。

 分刻みの祝賀行事はストレスにならず、天皇第一のお務めである宮中祭祀こそがストレスの原因でもあるかのようです。そして1月末、祭祀を標的にする「調整・見直し」策が発表されました。


▽4 占領軍による宗教干渉

 祭祀の簡略化は側近の進言が繰り返され、進められたようです。渡邉前侍従長は「私も在任中、両陛下のお体にさわることがあってはならないと、ご負担の軽減を何度もお勧めしました」(前掲「諸君!」インタビュー)と語っています。

 前侍従長が説明するのは、祭祀、とりわけ新嘗祭の肉体的、精神的なご負担です。神事のあいだ「侍従長と東宮侍従長は外廊下で2時間、正座して待って」いることや、「紐で体を締め付ける装束」がつらいというのです。

 前侍従長は、立ち上がるときは必死の思いだと吐露し、「陛下もずっと正座なのです」と、肉体的苦痛がさも簡略化の直接的な理由であるかのように説いています。けれども神事をみずからなさる陛下が身動きもせずに、ただじっとしているわけではありません。

 能楽師などのように、幼少のころから板の間に正座して稽古に励む人たちもいますし、慣れている人たちは正座の方がむしろ楽だともいいますから、畳の上での長時間の正座が難行苦行であるかのように断定的に解説するのは正しくありません。

 陛下のご負担は、前侍従長自身が解説するように、国と民のために伝統の祭祀を引き継ぐことの精神的ご負担の方が大きいでしょう(前掲渡邉著書)。

 また、友人の神職などによると、装束は上手な人が着付けをすれば「締め付ける」という感覚は生じないといいます。そういえば、20年3月、皇后陛下が胃食道逆流症との診断を受けられたとき、宮内庁が、和服の着用がお身体に負担を与えるかのように説明したことについて、皇后陛下が長官らに「長年着ているので負担は感じない」「和服をあまり悪者にしないで」と話されたと伝えられたことがありました。

 前侍従長が祭祀簡略化の第2の理由と説明する昭和の先例は、拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』にくわしく書きましたように、昭和天皇のご高齢とご健康への配慮が理由ではありません。昭和40年代、入江相政侍従長の個人的祭祀嫌いと加齢に始まり、富田朝彦宮内庁長官時代の厳格な政教分離主義によって本格化したというのが真相だ、と私は考えます。

 歴史をひもとけば、戦後の宮中祭祀改変は、敗戦直後、占領軍による圧迫に始まりました。すなわち昭和20(1945)年12月に発せられた、いわゆる神道指令です。「国家と宗教を分離すること」を目的とする神道指令は、駅の門松や注連縄(しめなわ)までも撤去するほど過酷なもので、占領軍は民族宗教たる神道に対する差別的圧迫を加えました。宮中祭祀は存続を認められたものの、公的性を否定され、「皇室の私事」に貶められました。

 22年5月、現行憲法が施行され、それとともに、皇室祭祀令などはすべて廃止され、宮中祭祀は成文法上の根拠を失いました。憲法は「天皇は憲法が定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」(4条1項)と規定していますが、皇室の祭儀は国事行為には含まれません。しかし、「従前の例に準じて事務を処理すること」という宮内府長官官房文書課長・高尾亮一名の各部局長官に対する依命通牒によって、かろうじて祭祀の伝統は守られました。

 被占領国の宗教に干渉することは戦時国際法に明らかに違反していましたが、アメリカがあえてこれを無視して干渉したのは、戦争中から、「国家神道」こそ「軍国主義・超国家主義」の源泉だという理解に固まっていたからです。占領軍は、神道撲滅政策に血道を上げました。

 そのような状況下で、宮中祭祀の神道的儀式を守るためには、天皇の基本的人権による信仰という解釈を採るほかはなかったといわれます。終戦直後の宮内次官・大金益次郎(戦後初の侍従長)は、国会の答弁で、「天皇のお祭りは天皇個人としての私的信仰や否やという点には、じつは深い疑念があったけれども、何分にも神道指令はきわめて過酷なもので、論争の余地がなかった」と語ったと伝えられます。

 皇室伝統の祭祀を守るため、当面、「宮中祭祀は皇室の私事」という解釈でしのぎ、いずれきちんとした法整備を図る、というのが方針だったのでした。

 GHQは、天皇が「皇室の私事」として祭祀を続けられることについては干渉しませんでしたが、それ以外の天皇の神道的儀式を認めませんでした。公と私を逆転させ、祭祀を内廷に押し込めたのです。祭祀に従事する掌典職は内廷費で雇われ、公務員ではなく、天皇の私的使用人として位置づけられるようになりました。


▽5 対神道政策を緩和したアメリカ

 しかし案外、知られていないことですが、アメリカはわずか数年で対神道政策を緩和します。24年11月の松平恒雄・参議院議長の参議院葬は神式で行われています。26年10月には、「国家神道」の中心施設と考えられた靖国神社に、吉田茂首相が参拝することも認められました。つい数年前は靖国神社の焼却があちこちで噂になり、GHQ民間情報教育局の大勢は「神道、神社は撲滅せよ」と強硬に主張していたのに、アメリカは神道敵視政策をいとも簡単に捨て去ったのです。

 たとえば、貞明皇后が亡くなった26年、ニッポン・タイムズ(現ジャパン・タイムス)紙上で、「信教の自由」「政教分離」をめぐる論争が延々と繰り広げられました。

 斂葬当日の6月22日、全国の学校で「黙祷」が捧げられたのですが、その数日後、アメリカ人宣教師の投書が読者欄に載りました。「日本の学校で戦前の国家宗教への忌まわしい回帰が起きた。生徒たちは皇后陛下の御霊に黙祷を捧げることを命令された。キリストに背くことを拒否した子供たちはさらし者にされた」。これが宗教論争の始まりでした。

 政府は、斂葬当日に官庁等が弔意を表することを閣議決定し、文部省は「哀悼の意を表するため黙祷をするのが望ましい」旨、次官通牒を発しました。私立校は対象外で、しかも通牒には宗教儀式の不採用、社寺不参拝が明記されており、黙祷は「命令」でも「宗教儀式の強制」でもありませんでした。

 けれども、宣教師らは文部当局の説明に納得しませんでした。そしてサンフランシスコ平和条約調印日にふたたび学校で「黙祷」「宮城遥拝」が実施されると、「また命令された。新憲法は宗教儀式の強制を許すのか」と再抗議し、広範囲の読者を巻き込んだ甲論乙駁の紙上論争は10月半ばまで続きました。

 ところが、GHQは宣教師たちの反神道的立場をけっして擁護しませんでした。占領中の宗教政策を担当した同職員のW・P・ウッダードは、のちに回想しています。

「神道指令は(占領中の)いまなお有効だが、『本指令の目的は宗教を国家から分離することである』という語句は、現在は『宗教教団』と国家の分離を意味するものと解されている。『宗教』という語を用いることは昭和20年の状況からすれば無理のないところであるが、現状では文字通りの解釈は同指令の趣旨に合わない」(ウッダード「宗教と教育──占領軍の政策と処置批判」)

 平和条約の発効で日本は独立を回復し、神道指令も失効しました。しかし祭祀の法的位置づけは確定されずじまいでした。

 それでも34年4月の皇太子(今上天皇)御成婚で、賢所での神式儀礼が「国事」と閣議決定され、国会議員が参列しました。宮中祭祀はすべて「皇室の私事」とした神道指令下の解釈が打破されたのです。

 5年後の39年9月には常陸宮殿下の御結婚の儀は「公事」たる宮務とされ、10年後の44年には瓜生順良宮内庁次長が参議院で、他の公有の宗教施設と同様、宮中三殿の国有財産化が法的に可能である、という内閣法制局の見解を示し、祭祀の公的性がやっと認められました。

 天皇の祭祀を私事に閉じ込めてきた神道指令以来の法解釈はこうして改善されてきました。しかし逆に、このころを境に、揺り戻しが始まります。


▽6 入江侍従長の暴言「くだらない」

 祭祀簡略化の張本人は入江相政侍従長でした。理由は昭和天皇のご健康問題でもご高齢でもありません。

 43年に侍従次長となり、翌年には侍従長代行、侍従長と駆け上がった入江氏は、43年には毎月1日の旬祭の親拝を年2回に削減し、45年には新嘗祭の「簡素化」(入江日記)に取りかかりました。入江日記によると、同年の新嘗祭は夕の儀のみが親祭で、暁の儀は掌典長が祭典を行ったようです。

 入江日記には、45年5月に香淳皇后から旬祭の親拝削減について抗議を受けた入江が猛反撃し、ねじ伏せたことが誇らしげにつづられています。陛下のご意向を大切にするどころか、「くだらない」との暴言さえ記されていますが、親拝削減の理由が「ご高齢」にあるとの記述は見当たりません。

 当時、入江が盛んに気にしていたのは昭和天皇の「お口のお癖」で、新嘗祭「簡素化」のきっかけのように説明されています。しかし「お癖」が始まったのは香淳皇后の抗議の直後からで、陛下の「お癖」を入江が老化現象と理解したとしても、43年の旬祭の親拝削減の原因とはなり得ません。逆に入江の工作が「お癖」の原因とも疑われます。

 46年11月23日の入江日記には、次のように書かれています。

「……今年から新嘗はさわりだけに願ったので、出勤も遅くてよく、5時半に迎えの車が来るはずのところ、運動のために歩いて出勤、いい気持ちである。相撲を十両から打ち出しまで見る。こんなことも珍しい。6時過ぎにまた入浴。今日は都合3回の入浴。7時に吹上発御、吹上への還御は8時10分。お帰りのお車のなかで『これなら何ともないから、急にも行くまいが、暁もやってもいい』との仰せ。ご満足でよかった。みんなといっしょに酒肴。帰宅したのはかれこれ2時」

 伝統無視の簡略化に、昭和天皇が「ご満足」だったとは信じられません。「暁をやってもいい」とのご発言は逆にご不満の表明でしょう。争わずに受け入れるのが古来、天皇の帝王学ですが、皇室の伝統より相撲観戦を優先するような、俗物侍従長の身勝手きわまる簡略化に、陛下は最大限抵抗されていたのでしょう。

 それどころか、際限ない祭祀簡略化に対し、祭祀王を自覚する昭和天皇は「退位」を口にされました。入江日記にはこう記録されています。「11月3日の明治節祭を御代拝に、そして献穀は参集殿で、ということを申し上げたら、そんなことをすると結局、退位につながる、と仰せになるから……」(48年10月30日)

 この年の入江日記からは、昭和天皇が幾度となく退位、譲位について表明されたことが読み取れます。祭祀こそ天皇第一のお務めであるという大原則に立てば、入江侍従長らが工作する無原則の祭祀簡略化がどれほど受け入れがたいことだったでしょうか。


▽7 昭和50年8月15日の長官室会議

 風岡次長は3年前の平成20年2月、「昭和の時代にも、次第にお年を召されつつあった昭和天皇のご負担軽減という観点から、累次、所要の調整が行われた経緯があります」と、あたかも当時の「調整」が昭和天皇のご高齢が理由で行われたかのように説明しています。

 しかし、「簡素化」が始まった昭和43年といえば陛下はまだ60代です。46年秋にはヨーロッパを、50年秋にはアメリカを、香淳皇后とともに訪問されています。半月もの長旅に耐えられるのは「高齢」ではありません。

 祭祀破壊の原因が「高齢」ではないのなら、真因は何でしょうか。当時を知る宮内庁OBは憲法の政教分離問題だと説明します。

「戦前の宮内省時代からの生え抜き職員たちがそろって定年で退職し、代わって他の省庁から幹部職員が入ってくるようになった。新しい職員は『国家公務員』という発想が先に立ち、皇室の伝統に対する理解は乏しかった。新興宗教と見まごうほどに厳格な政教分離の考え方が宮内庁中にはびこり、なぜ祭祀に関わらなければならないのか、などと、側近の侍従職までが声を上げるようになり、祭祀から手を引き始めた」

 膨大な日記に宮中祭祀の神聖さを何ら記録しなかった「俗物」侍従長が執念を燃やした祭祀の形骸化は、富田朝彦・内閣調査室長が49年秋に宮内庁次長となり、長官に就任するころ、舞台を「オモテ」に移し、激化します。日経新聞がスクープした富田メモで知られる富田長官は、無神論者を自認していたと同時の関係者が証言しています。

 大きなうねりのようなものが宮内庁を含む行政全体を襲い、そしていよいよ、戦後30年の昭和50年8月15日、宮内庁長官室の会議で、祭祀の改変が決められました。

 入江のこの日の日記には「長官室の会議。神宮御代拝は掌典、毎朝御代拝は侍従、ただし庭上よりモーニングで」とあり、昭和天皇最後の側近といわれる卜部亮吾侍従の翌日の日記には「伊勢(神宮)は掌典の御代拝、畝傍(神武山陵)は侍従、問題の毎朝御代拝はモーニングで庭上からの参拝に9月1日から改正の由。小祭の御代拝は掌典次長を設けてこれに、など」と記されています。

 卜部が記録しているように、最大の変更は毎朝御代拝だったようです。

 天皇に代わって側近の侍従に拝礼させる毎朝御代拝を、側近たちは、宮中三殿の前庭のなるべく遠い位置からモーニングを着て拝礼する形式に変えました。侍従は国家公務員だから、祭祀という宗教に関与すべきではない、というのが理由で、拝礼場所と服装の変更は神道色を薄めるための配慮とされます。「従前の例に準じて」とする昭和22年の依命通牒は反故にされました。

 行政は宗教行為にいっさい関与すべきでないというのなら、公営斎場や墓地、公的追悼行事も許されません。布教を想定していない宮中祭祀が国民の信教の自由を侵すはずもなく、政教分離は理由になりません。

 このほか、御代拝に関する重大な変更がなされました。天皇の御代拝は公務員である侍従から内廷職員、つまり天皇の私的使用人という立場にある新設の掌典次長に代わり、皇后、皇太子、皇太子妃の御代拝は廃止されました。皇后陛下、両殿下は御代拝の機会さえ奪われたのです。近年、雅子妃殿下が平成十五年以降、「祭祀にいっさいご出席ではない」と批判されるのは、この一方的なご代拝制度廃止に原因があります。

 奇しくも昭和天皇が歌会始で「世の平らぎをいのる朝々」と詠まれたその年、天皇の祭祀は側近たちによって改変されたのでした。

 拙著にくわしく書きましたが、天皇の祭祀は国と民をひとつにまとめる機能を持っていると考えられます。多様なる国民を多様なるままに統合する多神教的、多宗教的文明の核心です。一神教世界で生まれた政教分離原則で規制するところに無理があります。

 昭和天皇は61年の新嘗祭まで親祭を貫かれましたが、悪しき先例は平成のいま踏襲されています。祭祀王たる天皇の本質を見誤り、いわば誤った憲法解釈・運用に忠誠を誓っているのです。「つねに国民の幸せを祈るというお気持ちをかたちにしたものとして祭祀がある」と語るほど、祭祀への理解が浅からぬ前侍従長でさえ、天皇の祭祀は私的行為であるという占領前期の憲法解釈から抜け出せずにいるようです。


▽8 勇気ある掌典補の問題提起

 昭和40年代に始まる祭祀の改変の実態は、いまでこそ側近たちの日記によって知ることができますが、当時は関係者以外、ほとんどうかがい知ることができませんでした。驚きの事実が明るみに出たのは、昭和57年暮れに現職の掌典補である永田忠興氏が、勇気をもって学会発表したことがきっかけで、翌年の年明け早々、「週刊文春」がこれを大きく報道すると、大騒動に発展しました。

 同誌の記事が指摘した祭祀の「変更」は、先述した、(1)旬祭御代拝、毎朝御代拝の変更、(2)伊勢神宮での皇太子御代拝の変更、(3)皇族の御代拝の変更など、6点に及びました。

 この報道に対して祭祀重視派の対応は慎重でした。官僚たちの判断と陛下のご判断との関係が微妙であること、内廷のことは天皇の聖域であって、陛下のご心中を拝察すればただちに公開討論するのははばかれる、という冷静な判断があったからです。

 しかしその姿勢がほどなくして一変します。憂慮する照会者に対して、宮内官僚たちが紋切り型の対応に終始し、「祭祀は天皇の私事」とする占領時代前期の古臭い憲法解釈を繰り返していたからです。破られてはならない原則が踏みにじられている現実を知って、尊皇派は危機意識を強め、「もはや遠慮は許されない」と及び腰の姿勢を転換させ、一気に痛烈な批判行動へと向かったのでした。

 とくに、事態を重視した神社本庁は、澁川健一事務局長名による抗議の質問書を提出し、いま宮内庁当局者が「祭事は陛下の私事以外には扱えない」と語っているのは見解が変わったのか、と詰め寄りました。

 紆余曲折の末、宮内庁は東園基文掌典長名による「公式見解」を発表し、祭祀はすべて「陛下の私事」とする一般に流布する解釈ではなくて、「ことによっては国事、ことによっては公事」とする神社人の主張を明確に認めました。けれども祭祀の改変はさらに進んだことが「入江日記」に記録されています。

 それから30余年、平成の祭祀簡略化が進行しています。宮内庁の見解はふたたび変わったのでしょうか。それとも東園回答書が方便に過ぎなかったのでしょうか。他方、平成の尊皇家たちから、抗議の声はほとんど聞こえてきません。

 それかあらぬか、天皇の権威は失墜するばかりです。羽毛田長官は、皇族の意見も聴かないままに女帝容認の皇室典範改正を急ぎ、民主党政権に秋波を送りました。鳩山内閣は中国の習近平副主席のゴリ押し天皇会見を強行し、菅内閣は歌会始の日に内閣を改造しました。

 保守派も革新派も憲法論議といえば、「9条」ばかりで、第1条を考えていません。その結果、天皇はさしずめ名目上の単なる「象徴」に成り下がっています。

 渡邉前侍従長は前掲「諸君!」インタビューの最後に、憲法論に言及し、「今上陛下はご即位のはじめから現憲法下の象徴天皇であられた」と述べています。

 象徴天皇制について、陛下は会見などでしばしば触れられていますが、前侍従長とはニュアンスが異なるのではないでしょうか。ごく簡単にいえば、前侍従長はあくまで現行憲法を起点とする象徴天皇制ですが、陛下は歴史的な背景を十分に踏まえた上での議論だと思います。歴代天皇が祭祀の力で国と民をまとめ上げてきた長い歴史があるからこそ、象徴たる地位がある、というお考えでしょう。

 渡邉前侍従長によれば、たび重なる祭祀簡略化の進言に、陛下は「『自分はまだできるから』とおっしゃって昭和天皇に倣うことをお許しになりませんでした」(前掲渡邉著書)。昭和の簡略化を間近でつぶさにご覧になり、いま祭祀王としてのお務めを十分に自覚される陛下なら当然です。

 昨年(22年)暮れの誕生日会見で、陛下は「今のところこれ以上大きな負担軽減をするつもりはありません」と述べられました。頼みとする尊皇家たちが沈黙するなか、陛下はたった一人で国と民のために祈られている。その文明的価値を国民が1人でも2人でも多くなることを、心から願わずにはいられません。(筆者注。引用文は適宜編集しています)

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増えるご公務、減る祭祀──宮中祭祀の主体は宮内庁ではないのに [ご公務ご負担軽減]


以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2011年1月15日)からの転載です


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増えるご公務、減る祭祀──宮中祭祀の主体は宮内庁ではないのに
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◇1 ご健康に配慮したといえるのか

 テレビのお正月番組で、天皇陛下のご公務の激務ぶりが取り上げられていました。ご負担削減の方針が打ち出されたものの、実際は名ばかりで、あまり変わっていない、というように、元宮内庁担当記者が解説していました。当メルマガが以前から一貫して指摘してきたことです。

 宮内庁が陛下のご高齢とご健康に配慮して、ご公務ご負担の削減を打ち出したのは、平成21年2月でした。しかし、ご公務は逆に増え、祭祀ばかりが減っています。

 次の表は、宮内庁がネット上に発表しているご公務のあった日数を、平成17年から昨年まで、月ごとに単純計算したものです。
http://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/01/gonittei01.html

平成 17 18 19 20 21 22
1月 23 21 22 21 19 23
2月 17 18 19 23 19 17
3月 23 23 23 27 25 26
4月 21 22 21 20 21 23
5月 20 25 22 19 20 23
6月 24 23 23 25 25 24
7月 19 20 21 22 26 20
8月 23 18 22 19 19 23
9月 23 26 22 27 22 23
10月 26 25 24 24 27 24
11月 26 25 26 27 23 23
12月 22 24 23 16 23 23
合計 267 270 268 270 269 272

 ご覧の通り、少なくともご公務の日数において、一昨年も昨年もご負担の軽減はまったく実現されていません。昨年は過去6年間で最高の、年間272日という驚くべき水準に跳ね上がりました。3月は26日、月平均では22.7日のご公務をこなされています。

 ここには、宮内庁書類のご決裁などは含まれていませんから、文字通り土日もない忙しさが「調整・見直し」のあとも続いています。これで陛下のご健康に配慮したといえるのでしょうか。いったい何のためのご負担軽減策なのでしょう。


◇2 天皇の祭祀の本質を理解していない

 ご負担軽減の狙い撃ちにされているのが宮中祭祀です。

平成 17 18 19 20 21 22
1月 5 5 6 5 4 6
2月 3 3 3 3 1 3
3月 4 3 2 3 1 2
4月 4 3 1 2 2 3
5月 1 3 4 1 1 1
6月 3 4 3 4 3 1
7月 2 2 3 2 3 1
8月 2 1 2 2 0 0
9月 2 2 2 3 1 1
10月 3 1 2 2 2 3
11月 2 2 3 2 3 1
12月 6 5 5 3 4 4
合計 37 34 36 32 25 26

 宮内庁がホームページに宮中祭祀の日程を掲載するようになった17年には年間37日の祭祀のお出ましがありましたが、ご負担軽減策が打ち出された一昨年は25日、昨年は26日に激減しました。歴代天皇が第一の務めとしてきた祭祀は、明らかにご負担削減の標的にされています。

 とはいえ、ご公務が減っていない、逆に祭祀が激減している、ということを実証的に説明することはじつは簡単ではありません。当メルマガでは分かりやすく説明するために、宮内庁の説明に沿って、ご公務の件数、ご公務があった日数、祭祀の件数(お出ましの回数)などを、便宜的に数値化して立証していますが、そもそも祈りは回数ではないからです。つねに祈っているのが天皇だからです。

 しかし宮内庁自身が、祭祀王たる天皇の本質を見誤っています。宮内庁は、毎年、天皇誕生日に合わせて、一年間のご公務について説明していますが、「陛下はこの1年に執り行われた28回の祭典に列せられました」と書かれています。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h22e.html

 宮中祭祀は、天皇が主体の、天皇の祭祀です。天皇は「祭典に列せられる」というような参列者ではなく、主催者なのです。宮内庁自身が宮中祭祀の本質を見誤っています。そのことが最大の問題だと思います。


◇3 官僚たちが土足で踏みにじる

 宮内庁は、一昨年の天皇誕生日に、祭祀の簡略化について、「宮中祭祀につきましては,新嘗祭について「夕の儀」は従来どおり出御になるとし,「暁の儀」は時間を限ってお出ましいただくこととなったほか,毎月1日に行われる旬祭については5月1日及び10月1日以外は,ご代拝により行うこととなりました」と説明しています。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokanso-h21e.html

 簡略化の結果、一昨年来、8月は陛下の祭祀のお出ましが完全になくなりました。

 年2回に削減された毎月1日の旬祭というのは、平安中期、宇多天皇の時代から行われてきたといわれます。皇室がもっとも重きを置いた、毎日行われる日供(にっく)の延長として、旬祭は位置づけられていました。

 明治の時代まで、雨の日も風の日も、天皇は清涼殿の石灰壇にお出ましになり、地面にまでへり下りられて、国と民のために祈りを捧げられました。これが石灰壇の御拝で、明治4年10月以降、日供ののち、側近の御代拝を三殿に差し遣わす毎朝御代拝となりました。小祭でもない旬祭ですが、歴史的には重要な祭りです。

 ところが、拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』に書きましたように、昭和40年代、入江相政侍従長、富田朝彦宮内庁長官の時代に、昭和の簡略化が行われ、いまはこれを踏襲する平成の簡略化が進行し、年2回に削減されました。

 明治の時代はまだしも皇室祭祀令という成文法がありましたが、現行憲法の施行に伴って皇室令は廃止され、「従前の規定が廃止となり、新しい規定ができていないものは、従前の例に準じて事務を処理すること」などとする、宮内府長官官房文書課長・高尾亮一の名前による依命通牒という、いわば官僚の紙切れ一枚で、天皇の聖域の伝統は引き継がれ、その後、半世紀以上、改善されずにきました。

 この危うさが、皇族がまったく関わらない、官僚たちによる密室での祭祀簡略化をもたらしています。権限のないはずの官僚たちが陛下の聖域を土足で踏みにじっているという構図です。


◇4 追認を余儀なくされる天皇

 昭和の祭祀簡略化は入江侍従長の祭祀嫌い、装束嫌い、加齢に端を発していますが、平成の祭祀簡略化は渡邉允前侍従長らの祭祀に対する不十分な理解と官僚的先例主義が発端です。

 渡邉侍従長は雑誌「諸君」(平成20年7月号)のインタビューで、新嘗祭のときの正座や「紐で体を締め付ける装束」のつらさについて語り、これらが祭祀簡略化の理由であるかのように説明していますが、まったくの筋違いです。

 近代生活のなかで功成り名を遂げた官僚たちはいざ知らず、慣れている人たちには正座の方がむしろ楽だといわれますし、上手な人が着付けをすれば「締め付ける」ことはないのです。そのことは祭祀の専門家である現役の神職が指摘しています。
http://www.melma.com/backnumber_170937_5066911/

 しかし天皇の祭祀は、祭祀を十分に理解しない官僚たちの独走によって、これ以上ないといわれるほどに形式化が進んでいるようです。しかも天皇は受け身的に追認を余儀なくされています。

 宮内庁は一昨年の天皇誕生日の資料で、「見直しから約1年が経過しましたが,陛下は11月の記者会見でも述べられたとおり,このままお務めを続けられるご意向と拝察しております」と説明していますが、手前味噌に聞こえます。

 陛下は昨年暮れの会見で、「今のところこれ以上大きな負担軽減をするつもりはありません」と述べられ、争わずに受け入れる至難の帝王学を実践しつつ、ご公務への決意を表明されました。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h22e.html


◇5 「陛下の私的な活動」に成り下がる

 昭和の時代にも同様のことがありました。

 昭和46年11月23日の入江日記には、次のように書かれています。

 「……今年から新嘗はさわりだけに願ったので、出勤も遅くてよく、5時半に迎えの車が来るはずのところ、運動のために歩いて出勤、いい気持ちである。相撲を十両から打ち出しまで見る。こんなことも珍しい。6時過ぎにまた入浴。今日は都合3回の入浴。7時に吹上発御、吹上への還御は8時10分。お帰りのお車のなかで「これなら何ともないから、急にも行くまいが、暁もやってもいい」との仰せ。ご満足でよかった。みんなといっしょに酒肴。帰宅したのはかれこれ2時」

 祭祀より相撲観戦を優先するような、入江の身勝手きわまる簡略化に、昭和天皇は最大限抵抗されていたのでしょう。天皇が祭祀王という存在であればこそ、当然のことでした。

 宮内庁は昨年暮れの天皇誕生日に、1年間を振り返り、「宮中祭祀は,陛下は恒例の祭典のほか,東山天皇三百年式年祭,反正天皇千六百年式年祭,孝安天皇二千三百年式年祭,應神天皇千七百年式年祭などこの1年に執り行われた28回の祭典に列せられました。なお,昨年より新嘗祭は「夕の儀」は従来どおり出御になり「暁の儀」は時間を限ってお出ましになっており,また毎月1日の旬祭は5月と10月以外はご代拝により行われています」と説明しています。

 簡略化の結果、平成19年から、昭和の時代と同様に、御所で、モーニングで行われていた元旦の四方拝が、昨年、ふたたび神嘉殿南庭に復したことは評価されるべきですが、歴代天皇の式年祭に偏する宮内庁の説明を読むと、ひたすら国と民のために祈りを捧げるはずの天皇の祭祀は、まるで祖先崇拝に変質してしまったかのようです。

 つまり、天皇の祭祀は「陛下の私的な活動」(渡邉前侍従長)に成り下がり、私たちは多宗教的、多神教的文明の中核を失いつつあるということです。

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これ以上、負担軽減するつもりはない──ご公務への固い決意を示された陛下 [ご公務ご負担軽減]


以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2010年12月27日)からの転載です


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これ以上、負担軽減するつもりはない──ご公務への固い決意を示された陛下
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◇1 歴代5位のご長寿

 去る23日、天皇陛下は77歳の誕生日をお迎えになりました。

 歴史を振り返れば、古代の推古天皇(554―628)以後、70歳を超えてご長命な天皇は12人おられます。

 推古天皇(74歳)、光仁天皇(73歳)、陽成天皇(80歳)、白河天皇(76歳)、後亀山天皇(77歳)、正親町天皇(75歳)、後水尾天皇(84歳)、明正天皇(72歳)、霊元天皇(78歳)、後桜町天皇(73歳)、昭和天皇(87歳)、今上天皇(77歳)の12人です。

 今上天皇は昭和天皇、後水尾天皇、陽成天皇、霊元天皇に続き、後亀山天皇と並ぶ歴代5位のご長寿ということになりますが、多くの天皇は若くして退位されており、75歳を超えてのちも祭祀をお務めなのは、昭和天皇、今上天皇のお二方のみです。

 したがって、当メルマガが取り上げてきたご公務ご負担軽減、宮中祭祀簡略化の問題は、これまでの天皇の歴史になかった新しいテーマであることを十分に理解する必要があります。

 そのなかで、今年の天皇誕生日に際して行われた記者会見で、ご公務について、陛下がお述べになったお言葉は注目すべきでしょう。

 つまり、「陛下はご自身の加齢や今後お年を重ねられる中でのご公務のあり方についてどのようにお考えでしょうか」という代表質問に対して、陛下は以下のようにお答えになりました。

「一昨年(おととし)の秋から不整脈などによる体の変調があり、幾つかの日程を取り消したり、延期したりしました。これを機に公務などの負担軽減を図ることになりました。今のところこれ以上大きな負担軽減をするつもりはありません」
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h22e.html


◇2 減っていないご公務の日数

 陛下のご負担軽減が進められるようになったのは、一昨年暮れの御不例がきっかけでした。記者の質問にもあるように、今年になってからも、2月にはノロウィルスによる急性腸炎、6月にはお風邪で体調を崩されました。

 にもかかわらず、「いまのところ、これ以上、大きな負担軽減をするつもりはない」と、きっぱりと言い切られたのは、天皇のご公務というものに対する陛下の並々ならぬ責任感を、感じさせずにはおきません。

 あらためて天皇陛下のご公務の激務ぶりを見てみましょう。以下の表は宮内庁のホームページに発表された陛下のご公務を、平成17~22年について、日数で数値化したものです。

平成 17 18 19 20 21 22
1月 23 21 22 21 19 23
2月 17 18 19 23 19 17
3月 23 23 23 27 25 26
4月 21 22 21 20 21 23
5月 20 25 22 19 20 23
6月 24 23 23 25 25 24
7月 19 20 21 22 26 20
8月 23 18 22 19 19 23
9月 23 26 22 27 22 23
10月 26 25 24 24 27 24
11月 26 25 26 27 23 23
12月 22 24 23 16 23
合計 267 270 268 270 269 (226)

 ご覧になってお分かりのように、昨年来、宮内庁によるご負担軽減策が行われているはずなのに、日数において、ほとんど変わっていません。


◇3 権限も資格もないのに

 何が減ったのか、といえば、ご承知のとおり、歴代天皇が天皇第一のお務めとしてきた宮中祭祀です。次の表は、陛下がお出ましになった祭祀を月ごとに日数で数値化したものです。

平成 17 18 19 20 21 22
1月 5 5 6 5 4 6
2月 3 3 3 3 1 3
3月 4 3 2 3 1 2
4月 4 3 1 2 2 3
5月 1 3 4 1 1 1
6月 3 4 3 4 3 1
7月 2 2 3 2 3 1
8月 2 1 2 2 0 0
9月 2 2 2 3 1 1
10月 3 1 2 2 2 3
11月 2 2 3 2 3 1
12月 6 5 5 3 4
合計 37 34 36 32 25 (22)

 宮内庁はご公務ご負担の軽減と称して、天皇の聖域であり、本来のお務めである祭祀について、権限も資格もないのに、干渉し、無軌道な簡略化を行ったということです。


◇4 御所から神嘉殿南庭に復した四方拝

 もっと具体的に見てみます。

 一年で最初の祭祀として、元旦に神嘉殿南庭で行われる四方拝は、平成19年以降、21年まで御所で行われました。

 入江相政侍従長の祭祀嫌いに起因すると考えられる昭和の祭祀簡略化を、先例として踏襲しています。今年は神嘉殿南庭に復しました。

 四方拝に続く元日の歳旦祭、3日の元始祭も、昨年はお出ましがありませんでしたが、今年はお出ましになりました。祭祀王としての陛下の強いご意思が感じられます。

 戦前の皇室祭祀令(明治41年)では2月11日に紀元節祭が行われました。大祭に分類され、陛下の親祭が行われたのです。戦後は祭日としての紀元節がなくなりましたが、建国記念の日が法制化されたのちも宮中祭祀の紀元節祭は復活していません。

 しかし今上陛下は毎年欠かさずこの日に三殿御拝を重ねられてきました。けれども、今年は御拝の記載が宮内庁ホームページの「両陛下のご日程」にありません。ノロウイルス感染症のため大事をとって掌典によるご代拝となりました。

 昨年以降、毎月1日の旬祭のお出ましは、ご負担軽減を理由として、5月と10月のみを親拝とし、ほかはご代拝となりました。

 しかし平成19年4月1日の旬祭のお出ましはありません。3月29日から4月2日まで陛下は御料牧場にご滞在でした。17年5月1日の旬祭のお出ましもホームページに記載がありません。

 平成18年6月8日から15日まで、シンガポール及びタイ公式ご訪問(マレーシアお立ち寄り)がありました。通常、外国ご訪問の前後に三殿の拝礼が行われますが、このときのご帰国後の拝礼についてホームページに記載がありません。

 平成20年6月16日の香淳皇后例祭は秋田県大館市のホテルでご遥拝・お慎みとなりました。

 10月の神嘗祭の神宮遥拝の儀は、平成18年、19年については、神嘉殿ではなく、御所で行われました。


◇5 これ以上、形式化しようがないほど

 ところで、気になる情報があります。公表されているところからすれば、宮中祭祀の簡略化は一昨年暮れの御不例以後の現象と理解されますが、それ以前からすでに始まっていたという有力な情報があります。恐ろしいことに「これ以上、形式化のしようがないほどに形式化している」というのです。

「これ以上、負担軽減するつもりはない」という陛下のお言葉と符合します。陛下がおっしゃる「負担軽減」とは祭祀簡略化のことではないのでしょうか。

 歳旦祭の親拝、元始祭の親祭は今年、復しましたが、1日の旬祭の親拝は昭和の悪しき先例が踏襲されたままです。平安中期、宇多天皇の時代にまでさかのぼり、毎日行われる日供の延長が旬祭であり、「国中平らかに、安らけく」という天皇の祈りの精神が蔑ろにされているといわざるを得ません。

 宮内庁は、天皇誕生日に際しての発表で、宮中祭祀について、「陛下は恒例の祭典のほか、東山天皇三百年式年祭、反正天皇千六百年式年祭、孝安天皇二千三百年式年祭、應神天皇千七百年式年祭などこの1年に執り行われた28回の祭典に列せられました」と説明しています。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h22e.html

 まるで、天皇の祭祀は祖先崇拝だと言わんばかりに、私には聞こえます。ひたすら国と民のために捧げられる公正かつ無私なる祈りが祖先崇拝のはずはありません。宮中祭祀の本質が見失われているという印象を強くします。

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減らない天皇陛下のご公務 [ご公務ご負担軽減]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2010年11月30日)からの転載です


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 減らない天皇陛下のご公務
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 まず次の表をご覧ください。なんの数値かお分かりですか?

平成 17 18 19 20 21 22
1月 23 21 22 21 19 23
2月 17 18 19 23 19 17
3月 23 23 23 27 25 26
4月 21 22 21 20 21 23
5月 20 25 22 19 20 23
6月 24 23 23 25 25 24
7月 19 20 21 22 26 20
8月 23 18 22 19 19 23
9月 23 26 22 27 22 23
10月 26 25 24 24 27 24
11月 26 25 26 27 23
12月 22 24 23 16 23
合計 267 270 268 270 269


 答えは、天皇陛下のご公務の日数です。宮内庁はホームページで両陛下のご公務を公表していますが、平成17年から、天皇陛下について、ご公務のあった日を単純に数え上げると以上のようになります。

 宮内庁は陛下のご高齢とご健康に配慮して、ご公務ご負担の軽減策を講じているように発表していますが、これを見ると、何度もこのメルマガで指摘してきたように、ご負担軽減がいかにかけ声倒れかということが明らかです。

 詳しい解説は次回にしますが、ご公務が月に27日あることも少なくありません。数日しかお休みの日がない月がかなりあります。

 次の表はいかがでしょう。なんの数字かお分かりでしょうか?

平成 17 18 19 20 21 22
1月 4 4 4 4 2 5
2月 3 3 3 3 1 3
3月 4 3 2 3 1 2
4月 4 3 1 2 2 3
5月 1 3 4 1 1 1
6月 3 4 3 4 3 1
7月 2 2 3 2 3 1
8月 2 1 2 2 0 0
9月 2 2 2 3 1 1
10月 3 1 2 2 2 3
11月 2 2 3 2 3
12月 6 5 5 3 4
合計 36 33 34 31 23


 当メルマガの読者ならもうお分かりですね? そうです、陛下の宮中祭祀日数です。昨年以降、日数は激減しています。ご公務ご負担軽減の標的にされているのです。

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女性週刊誌が取り上げた「御負担軽減」の現実──空々しい弁明を繰り返す宮内庁 [ご公務ご負担軽減]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です

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女性週刊誌が取り上げた「御負担軽減」の現実
──空々しい弁明を繰り返す宮内庁
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 数週間前、「週刊女性」(7月27日号)が、見開きの2ページで、両陛下の御公務ご負担軽減の現実についてリポートしていました。陛下の激務は「軽減」のかけ声もむなしく、いまなお続いているようです。

 記事は冒頭で、両陛下、とりわけ天皇陛下の激務が際立っていることを指摘しています。今年の上半期は181日間で135日の御公務があり、6月については8日から18日まで11日間連続して御公務をこなすというような日程さえあったというのです。


▽1 「減る」どころか「増えている」

 ご承知のとおり、宮内庁が具体的な御公務軽減策を打ち出してから1年半になります。当メルマガは昨年1年間、その後の推移を丹念にトレースしましたし、雑誌「正論」などにも、当局の意気込みとはまったく異なる現実について記事を発表しました。

 その後、一般紙なども取り上げてくれましたし、今回は女性週刊誌が記事にしたというところが注目すべき点だろうと思います。

 「週刊女性」の記事にあるように、陛下はご高齢であると同時にガンの療養中なのです。にもかかわらず、御公務はまったく減っていないのです。

 もっとも興味深いのは、同誌の取材に対する宮内庁の回答です。記事によれば、1年半前と同じことを繰り返すばかりです。つまり、「御公務を減らすのではなく、内容や方法の見直しを基本にしている」というわけです。

 しかしこれは明らかなごまかしといえるでしょう。というのは、当メルマガの読者ならすでにご存じのように、実態は、御公務が「減らない」のではなく、逆に「増えている」からです。軽減を大胆に実現できない無能ぶりを覆い隠す、空々しい弁明と映りませんか?

 たしかに御公務ご負担の軽減はむずかしい問題です。記事に掲載された私のコメントにあるように、「民の声を聞き、心を知る」ことをお務めと考える陛下にとって、御公務はどんどん増えてしまうという性質を持っているからです。


▽2 宮中祭祀の理解が歴代天皇とは異なる

 しかし、だからこそ、ご負担削減は急務なのです。にもかかわらず、宮内庁は「減らす」どころか「増やしている」。それでいて、あたかも陛下のために削減策を実現できているかのように強弁している、というところに問題があります。

 しかもです。いつも申し上げますように、歴代天皇がもっとも大切な務めと位置づけてきた宮中祭祀については、文字通り激減しています。まったく矛盾もはなはだしいご負担軽減の現実といわねばなりません。

 なぜそうなるのか、といえば、天皇とは何か、についての歴史的な基本的理解が曲がっている、少なくとも歴代天皇の理解とは隔たりがあるからです。

 陛下が御公務を通じて、1人でも多くの国民と接し、お声をかけようとなさるのは、すべての国民のために祈り、命をも共有しようとする祭祀の精神に発しているのに、側近の公務員たちはそのことを、憲法の政教分離原則を口実にして、蔑ろにしているからです。

「週刊女性」の取材記者はこれらの点を問いただすべきでした。

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1 皇室を苦しめる天皇擁護派のオウン・ゴール by 斎藤吉久 [ご公務ご負担軽減]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2010年2月9日)からの転載です


 伝えられるように、立春を目の前に、陛下がご体調を崩され、葉山行幸をお取りやめになりました。検査の結果、ノロウイルスによる急性腸炎とのことでした。
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/kohyo/kohyo-h22-0202.html

 陛下のご健康が気づかわれる折も折、ご執務が夜にずれ込むケースが増えていると伝えられます。定例閣議が午前中ではなく午後に開かれることが増え、それに連れて決済の書類が夜になって御所に届くようになっているというのです。
http://sankei.jp.msn.com/culture/imperial/100204/imp1002040115000-n1.htm
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100204-OYT1T01411.htm

 それでなくても、陛下はご高齢であるうえに、療養中です。ご負担軽減が急務なのはいうまでもないことで、宮内庁は昨年1月に軽減策を発表しました。けれども、まったくの見かけ倒しで、ご日程の件数は減らず、あげくに「特例会見」のゴリ押しも起きました。その反省もあればこそ、「豪腕」政権はあいかわらず陛下に負担を押しつけています。


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 1 皇室を苦しめる天皇擁護派のオウン・ゴール by 斎藤吉久
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▽1 小沢政権が進める「天皇のロボット化」

 当メルマガ115号(1月26日)で申し上げましたように、「憲法の理念では、天皇陛下の行動は内閣の助言と承認によって行われ、陛下の行動に責任を負うのは内閣だ。内閣が判断したことについて、陛下がその意を受けて行動なさるのは当然だし、陛下は喜んでやってくださるものと思う」(小沢幹事長会見)という、憲法学者宮沢俊義張りの「天皇のロボット化」が現実になっている印象をますます強くします。

 10年前、自由党党首時代の小沢氏は、「現憲法下でも天皇は元首である」と主張し、宮沢東大教授の国民主権論を全面否定していたのに、今日、「小沢政権」は逆に宮沢理論のきわめて忠実な実践者となっています。

 5年前の小沢氏はまだしも、内閣は皇室の「ご意見」を聞く努力をすべきだ、それが立憲君主制のあるべき姿だ、と述べ、「本来なら、小泉内閣は皇室の環境を整備しなかった責任に加え、皇太子殿下にあのような発言(斎藤吉久注:いわゆる「人格否定」発言)をさせてしまった責任をとって総辞職すべきだろう」と迫っていました(夕刊フジ連載「豪腕維新」2005年1月28日=『豪腕維新』所収)。

 けれども、昨年暮れの「天皇特例会見」ゴリ押しも、今回の「夜の決済」増加も、「ご意見」を聞くどころではありません。批判を受けても、総辞職どころか、小沢幹事長あるいは平野官房長官の会見でお茶を濁しただけです。すでに申しましたように、これは変節ではありません。政治的理念を欠いた、あってはならない、無軌道な天皇の政治利用が進んでいるのです。


▽2 お歌にあらわれた妃殿下のご回復

 もうひとつ、先週は「着実にご快復に向かわれております」とする、皇太子妃殿下のご病状に関する東宮医師団の見解が発表されました。
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/kohyo/d-kenkai-h220205.html

 例年ならお誕生日の12月9日に発表される見解が大幅に遅れたわけですが、その理由の1つとして、妃殿下ご本人の了解を得る必要があったから、と説明されています。逆にいえば、妃殿下ご自身が医師団の見解を受け止め、さらに国民に知らせることを了解されたことになります。だとすれば、それだけ「適応障害」からの回復が進んでいることの証といえるのかと想像します。

 まだまだ「ご体調には波がおあり」とのことですが、ご回復ぶりは先月15日の歌会始に披露された妃殿下のお歌にもあらわれているように思います。

 両殿下がご結婚になったのは平成5年6月で、翌年から妃殿下のお歌が披露されていますが、そのころのお歌はご公務での見聞、内外の国民との交流が題材で、たとえば6年は滋賀県行啓の印象のなかに皇太子殿下と行動を共にする喜びが詠まれていました。

 お歌の傾向が変わるのは、メディアの無謀な「懐妊の兆候」スクープのあと流産という悲劇を招いた翌年12年です。皇太子殿下との団欒(だんらん)にテーマが集中し、14年からはお生まれになった愛子内親王のご成長がもっぱら題材となりました。殿下の「人格否定」発言の翌年17年は「親子三人なごみ歩めば心癒(い)えゆく」と病が詠い込まれています。

 しかし今年は違っていました。

  池の面に立つさざ波は冬の日の光をうけて明かくきらめく

 やや説明に傾くきらいがあるものの、写実的な自然描写のなかに希望がうかがえる美しいお歌かと思います。

 医師団の見解によると、回復には妃殿下ご自身の努力のほかに皇太子殿下の応援が指摘されています。両殿下が支え合って、病を乗り越えようとしている姿は、心の病に悩む国民や家庭の崩壊に苦しむ人々にとって、希望のはずです。1日も早いご回復を祈ります。


▽3 宮内庁批判が過ぎる?

 さて今週は、先週につづいて、鳩山首相の「友愛」政治について検証する予定でしたが、すでに紙幅が尽きてきましたので、次回にゆずることにし、日ごろ感じていることを簡単に述べます。

 ラス・カサスという有名なカトリック司教がいます。コロンブスのアメリカ大陸「発見」のあと、先住民のキリスト教化にたずさわる過程で、スペイン人キリスト教徒らが千数百万もの先住民をひたすら殺戮し続けるという人類史上まれな戦慄すべき惨劇を目撃し、告発し続けた人物です(ラス・カサス『インディアスの破壊についての簡潔な報告』)。

 侵入者たちの大航海事業はローマ教皇のお墨付きで進められました。教皇は先住民の奴隷化を認め、信徒らに征服戦争への参加を呼びかけました。ポルトガル国王やスペイン諸侯は自分たちの海外発展事業を正当化するため、教皇に精神的支援を求め、教皇は教勢拡大のために明確な援助を与えたのです(高瀬弘一郎『キリシタン時代の研究』など)。

 そして悲劇は起こりました。しかしラス・カサスの正義感あふれる啓蒙活動はやがて、暴力的な植民活動を禁止させ、インディオ保護への転換を導きました。

 天皇・皇室問題をテーマとする当メルマガには直接、関係のないことを書いたのには、理由があります。要するに、事実の重みです。

 私の執筆活動について、「宮内庁批判が過ぎる」という声があるようですが、私は宮内庁を批判したいがためにこのメルマガを書いているのではありません。もとより他人様の批判が好きでない私が他者の批判をはじめたのは、原武史明治学院大学教授の宮中祭祀廃止論に対してで、あまりに間違いだらけなのに驚きあきれたからです。


▽4 ダンマリを決め込む不思議

 原教授は廃止論の前提として、1960年代末以降、昭和天皇の「高齢を理由に宮中祭祀が削減または簡略化され……」と解説していますが、「高齢」は口実に過ぎません。そうではなくて、入江侍従長の祭祀嫌いと厳格な政教分離主義が行政全体に蔓延した結果、祭祀は破壊されたのです。入江日記を丹念に読めば、だれにでも分かることです。

 ほかならぬ昭和天皇の側近が、すなわち宮内官僚が祭祀簡略化の張本人であることについて、宮内庁は認めている、と私は理解しています。数年前からメディアへの抗議などをネット上で公開するようになった宮内庁が、拙論に対して事実関係の間違いを指摘してきたことはないからです。

 私にとって不思議でならないのは、日ごろ尊皇派を自任している保守派が目の前で進行している平成の祭祀簡略化について、ダンマリを決め込んでいることです。たとえ私の宮内庁批判が言い過ぎだったとしても、だからといって事実を曲げることはできません。言い過ぎはダンマリを正当化する理由にはなりません。

 昭和の祭祀簡略化が明るみに出たのは15年もあとになってからでした。事実を知りながら、しがらみから抜けきれずに、口をつぐんでいる、正義の感覚を失った、名ばかりの尊皇派がいかに多かったかです。それから25年が過ぎたいまも、同じことが繰り返されているのではないのですか?

 当メルマガに連載を載せてくださっている佐藤雉鳴さんがいつも指摘しています。皇室を苦しめているのは反天皇派の攻撃ではなく、天皇擁護派のオウン・ゴールである、と。

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削減どころか月60件を超える陛下のご日程───10月のご公務ご負担削減を検証する [ご公務ご負担軽減]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


 メルマガの更新がすっかり遅れました。申し訳ありません。

 今週の月曜日(23日)は新嘗祭の日でした。宮中では夕刻から夜半にかけて、陛下みずから親祭になり、今年とれた稲と粟の初穂が神前に捧げられたものと思います。同様に、全国各地の神社などで神事が行われたはずです。

 私も夕刻、都心で行われた「新嘗を祝う集い」に参加してまいりました。「新嘗の祭りはけっして農耕民の行事ではない。都会には都会人の新嘗があってしかるべきだ」という考えから、26年前、わずか数人の青年たち有志によって始まり、以来、毎年欠かさず行われているのだそうです。

 今年は東京都内だけでなく、近県からも40人ほど、各人各様のお供えを持ち寄って、集まりました。元市長さんのにこやかな顔もありました。私はイセヒカリのおにぎりを用意しました。神事は神職の資格を持つ高校の先生が務めました。厳格な祭典のあとは、和やかな直会が遅くまで続きました。

 自然の恵みに感謝するこのような新嘗の祭りは、遠く奈良時代にまとめられた日本最初の地誌「風土記」に粟(あわ)の新嘗のことが載っているように、古い歴史を引き継いでいます。

 現代では「古い」という言葉はとかく否定的な意味を持って語られがちですが、千年以上もの歴史を持つ文化がとうとうと受け継がれているのは、日本ならではのことであり、世界に誇るべきでしょう。

 国の法律では「新嘗祭」という言葉さえ消えていますが、けっして死語になってはならないと思います。そのためにはこの「祝う集い」の試みのように、現代的な意義を見出し、最活性していく必要があります。


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 削減どころか月60件を超える陛下のご日程
 ───10月のご公務ご負担削減を検証する
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▽陛下と国民を欺く

 さて今日は、毎月恒例となっている今上陛下のご公務削減の検証をします。

 宮内庁は陛下のご高齢とご健康に配慮して、という説明で、今年からご日程を調整しています。しかし、このメルマガで、あるいは雑誌「正論」10月号の拙文「宮中祭祀を蹂躙する人々の『正体』」に書きましたように、ご日程の件数は減るどころか、少なくとも宮内庁発表の資料を見るかぎり、増えています。そして、その一方で、歴代天皇が第一のお務めと考えてきた祭祀が激減しています。

 側近たちの振る舞いはまさに言行不一致そのもので、陛下および国民を欺いているだけではなく、とくに宮中祭祀に対する不当な越権的干渉といわざるをえません。

 稲作民の米と畑作民の粟をともに捧げる公正無私なる祈りは、古来、多様なる国民を多様なるままに統合してきた多神教文明の中心だと私は考えていますが、だとすると、宮中祭祀の簡略化は文明の根幹に関わる問題であって、黙過することはできません。

 さっそく先月のご日程を見てみましょう。


▽前年同期比で2割り増し

 宮内庁がネット上に公表しているご日程の件数を、平成19年から今年まで3年間について、1~10月まで月ごとに単純に足し算し、まとめたのがつぎの表です。先月のご日程件数は60件の大台を超えています。

    19年  20年  21年
1月  41   49   55
2月  44   36   38
3月  53   53   59
4月  50   61   68
5月  39   51   52
6月  40   46   52
7月  43   43   26
8月  39   24   30
9月  39   50   45
10月 58   55   63
小計 446  468  488

 今年の4月はご結婚50年のお祝いがありました。そのため過去にないほど件数が増えたのかといえばそうではありません。祝賀行事は1件としか数えていないからです。10月は4月に迫るほどに増えています。

 昨年10月は24~27日まで4日間の那須ご静養、30~翌2日まで4日間の奈良・京都行幸があり、ご日程件数は55件でした。今年10月は那須御用邸ご滞在も地方行幸もありません。豊かな海づくり大会は東京が開催地でした。ご日程件数の63件は、前年同期比で2割増え、前月比では45件の4割り増しに増えています。

 いったいどこがご公務削減なのでしょうか。言っていることとやっていることがまるで違うように見えます。


▽中身を見ると意外にも

 具体的に何が増えているのでしょうか。

 19~21年10月期のご公務日程を、宮内庁の分類方法に準拠し、「宮中のご公務など」「行幸啓など」に分類し、まとめると次のような票が得られます。「国際親善」については省略しました。

                   19年  20年  21年
[1]宮中のご公務など
 ご執務など             13   10  11
 新年祝賀の儀・新年一般参賀      0    0   0
 天皇誕生日祝賀・一般参賀       0    0   0
 首相・最高裁長官の親任式       0    1   0
 大臣ほか認証官の任命式        1    1   0
 大綬章などの親授式          0    0   0
 新任外国大使の信任状捧呈式      2    0   3
 外国元首とのご会見・そのほかのご引見 4    3   4
 国内功労者などの拝謁・お茶・ご会釈 36   33  33
 海外賓客の午餐・晩餐         1    1   1
 春秋2回の園遊会           1    1   1
 宮中祭祀               3    3   3
 その他(稲作など)          2    3   0
 ご結婚50年祝賀関連         0    0   0
 両陛下のご誕生日祝賀行事       1    1   1
  宮中のご公務小計         64   57  57

[2]行幸啓など
 全国戦没者追悼式など都内式典ご臨席  1    1   2
 植樹祭などご臨席の地方行幸啓     0    2   1
 その他の都内お出まし         1    2   4
 その他の地方行幸啓          2    6   4
 地方ご静養              1    1   0
  行幸啓小計             5   12  11

 この表で見ると、興味深いことに、宮中のご公務も行幸も、内容的に件数は増えていないことが分かります。宮中のご公務では信任状捧呈式が増えているのが目立ちますが、小計で見ると前年と同じ数字です。行幸も都内のお出ましが増えていますが、小計は前年比ではわずかながら減っています。


▽前月9月と比較すれば

 ところがです。前月9月と比較すると、宮内庁がもっとも気にかけていた「拝謁」が増えています。

 宮中のご公務について、次の表を見れば明らかです。

                   21年9月 10月
宮中のご公務など
 ご執務など              9    11
 新年祝賀の儀・新年一般参賀      0     0
 天皇誕生日祝賀・一般参賀       0     0
 首相・最高裁長官の親任式       1     0
 大臣ほか認証官の任命式        2     0
 大綬章などの親授式          0     0
 新任外国大使の信任状捧呈式      0     3
 外国元首とのご会見・そのほかのご引見 3     4
 国内功労者などの拝謁・お茶・ご会釈 25    33
 海外賓客の午餐・晩餐         1     1
 春秋2回の園遊会           0     1
 宮中祭祀               1     3
 その他(稲作など)          3     0
 ご結婚50年祝賀関連         0     0
 両陛下のお誕生日祝賀行事       0     1
  宮中のご公務小計         45    57

 なかでも勤労奉仕団へのご会釈が9月の3件から10月は10件に増えたのが目立ちます。各界の功労者への拝謁も増えています。

 要するに、ごくごく簡単にいえば、ご公務ご日程の件数は宮内庁の削減方針にもかかわらず、「減っていない」のです。


▽「続けたい」と語られた陛下

 先のご即位20年に際しての記者会見で、ご負担軽減についての質問がありました。

 陛下は「皆が私どもの健康を心配してくれていることに、まず感謝したいと思います。この負担の軽減ということは、今年1年、その方向で行われまして、やはり負担の軽減という意味はあったのではないかと思っています。しかし、この状況は、今の状況ならば、そのまま続けていきたいと思っております」と語られています。

「そのまま続けて」とおっしゃるのは、見せかけだけの削減策を認められたのでしょうか。そうではない、と私は思います。

 3点、指摘します。

 第一は、陛下のご公務は拡大する宿命を帯びていることです。

 古来、天皇による統治は、「しらす」政治だといわれます。民意を知って統合を図ることの意味です。今上陛下は、ご高齢にもかかわらず、療養中にもかかわらず、多くの人々の声を聞こうとされています。

 たとえば、地方から皇居勤労奉仕にやってくる人々に対して、陛下は1人1人に親しくお声をかけようとされます。それどころか、陛下のお気持ちとすれば、国民すべてに声をかけたいと思われるでしょう。国民すべての天皇だからです。

 したがって、陛下が考えるご公務は、お気持ちを尊重すれば、無限に拡大していく可能性を持っています。

 第二は、争わない陛下の姿勢です。

 宮内庁が進めるご公務削減策は、まやかしとはいわないまでも、どう見てもかけ声倒れです。日程表を見れば私でも分かりますが、官僚たちは不思議に思わないのでしょうか。

 陛下は官僚たちが用意するご公務を粛々とこなされています。争わずに受け入れるのが天皇の帝王学ですが、それに甘んじていいのか、宮内庁はよくよく考えるべきでしょう。

 ご高齢で療養中の陛下のご負担を減らそうとするならば、官庁主催のイベントについてはご名代として皇太子殿下にお出まし願うなど、抜本的な対策が必要かと考えます。


▽昭和の悲劇の再来

 第三は、昭和の祭祀簡略化と同じ事態が起きているということです。

 宮内庁のご公務削減策は、歴代天皇が第一のお務めとしてきた狙い撃ちにするものです。過去3年間について、月ごとの祭祀件数をまとめたのが次の表ですが、ご公務が減っていない一方で、祭祀が激減していることが明らかです。

   19年 20年 21年
1月   8   7   4
2月   4   3   2
3月   2   4   1
4月   2   3   3
5月   4   1   1
6月   3   3   3
7月   3   2   3
8月   2   2   0
9月   2   3   1
10月  3   3   3
 計  36  34  21

 陛下は会見で、「感謝したい」「意味はあった」と述べられました。祭祀の簡略化を肯定されたということでしょうか。そんなことはあり得ないでしょう。

 皇位継承後、皇后陛下とともに宮中祭祀について学び直され、正常化に努められたのが陛下です。もし簡略化を認められたのだとすれば、歴代天皇の姿勢に反するだけでなく、みずからの方針を破ることになります。

 ふりかえれば、先帝昭和天皇は、側近中の側近である入江相政侍従長が進める祭祀簡略化に、精いっぱい抵抗されました。

 入江日記の昭和46年11月23日には、「今年から新嘗はさわりだけに願った……(夕の儀からの)お帰りのお車の中で『これなら何ともないから急にもいくまいが、暁(の儀)をやってもいい』との仰せ」とあります。

 入江は続けて、「ご満足でよかった」と書いていますが、「ご満足」のはずはないでしょう。争わずに受け入れる天皇の抵抗を、祭祀嫌いの俗物侍従長が鼻であしらっているように私には読めます。簡略化で負担が簡略化されたのは、むしろ入江自身でした。

 今上陛下もまた、至難の帝王学を実践しつつ、祭祀王のお務めを果たそうとされている。「続けたい」とはその意味でしょう。それならいま「昭和の先例」を根拠に進められる平成の祭祀簡略化について、官僚たちは入江のように「ご満足でよかった」とうそぶくか、それとも改めようとするのかどうか。

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いまだ削減されない陛下のご公務──宮内官僚たちの言行不一致 [ご公務ご負担軽減]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2009年10月27日)からの転載です


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 いまだ削減されない陛下のご公務──宮内官僚たちの言行不一致
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▽前月の1.5倍に増えたご日程件数

 はじめてお読みになる方もおられるでしょうから、簡単に説明すると、宮内庁の説明では陛下のご高齢とご健康に配慮して、今年からご公務ご日程を削減しています。

 ところが、このメルマガや雑誌「正論」10月号の拙文「宮中祭祀を蹂躙する人々の“正体”」に書きましたように、実際のところ、急務であるはずのご日程の件数削減は実現されていません。それどころか、逆に増えています。

 先月はどうでしょうか。宮内庁のホームページに公表されている「陛下のご日程」を見てみます。
http://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/01/gonittei01.html

 宮内庁がネット上に公表しているご日程の件数を、平成19年以降3年間について1~9月まで、月ごとに単純に足し算し、表にまとめると、次のようになります。

    19年  20年  21年
1月   41   49   55
2月   44   36   38
3月   53   53   59
4月   50   61   68
5月   39   51   52
6月   40   46   52
7月   43   43   26
8月   39   24   30
9月   39   50   45
小計  388  413  425

 今年の9月は12~16日に葉山ご滞在、25~27日に新潟県行幸啓(国体)がありました。行幸は1件と数えられます。

 ご覧のように、昨年の50件よりはさすがに減っていますが、一昨年9月の39件よりご日程の件数は増えています。千葉県行幸啓、長野県ご滞在があった前月の30件よりは1.5倍に増えました。

 1月からの累計数値も、宮内庁の公表データで見ると、ご日程件数は減っていないのです。急務のはずのご公務削減は相変わらず口先倒れです。


▽減らない「拝謁・お茶・ご会釈」

 何が増えているのか、中身を見てみます。「きめ細かく調整する」というのが宮内庁の方針だからです。

 19~21年8月期のご公務日程を、宮内庁の分類方法に準拠して、「宮中のご公務など」「行幸啓など」に分類し、まとめると、以下のような表になります。「国際親善」については省略しました。「宮中のご公務」「行幸啓」にすでに含まれているからです。

                   19年  20年  21年
[1]宮中のご公務など
 ご執務など              10   10   9
 新年祝賀の儀・新年一般参賀       0    0   0
 天皇誕生日祝賀・一般参賀        0    0   0
 首相・最高裁長官の親任式        1    1   1
 大臣ほか認証官の任命式         4    5   2
 大綬章などの親授式           0    0   0
 新任外国大使の信任状捧呈式       1    0   0
 外国元首とのご会見・そのほかのご引見  3    4   3
 国内功労者などの拝謁・お茶・ご会釈  19   33  25
 海外賓客の午餐・晩餐          1    1   1
 春秋2回の園遊会            0    0   0
 宮中祭祀                2    3   1
 その他(稲作など)           1    0   3
 ご結婚50年祝賀関連          0    0   0
  宮中のご公務小計          42   57  45

[2]行幸啓など
 全国戦没者追悼式など都内式典ご臨席   0    0   3
 植樹祭などご臨席の地方行幸啓      1    3   2
 その他の都内お出まし          1    2   3
 その他の地方行幸啓           6   16   5
 地方ご静養               1    1   0
  行幸啓小計              9   22  13

 これを見ると、宮内庁がもっとも気にしているはずの「拝謁・お茶・ご会釈」が、少なくとも件数の上で、依然として減っていないことが分かります。


▽狙い撃ちされたままの皇室第一のお務め

 昨年9月はとくに行幸先でのご昼食、お出ましが重なりました。今年はとくに何がということではないのですが、取り立てていえば、大使や官僚のご説明が増えています。

 行幸については、日本人間ドック学会創立50周年記念祝賀会など、都内での記念式典のお出ましが目立つ月でした。

 これに対して、宮中祭祀は文字通り激減させられたままです。次の表は、過去3年間について、月ごとの祭祀件数を表にまとめたものです。一目瞭然です

   19年 20年 21年
1月   8   7   4
2月   4   3   2
3月   2   4   1
4月   2   3   3
5月   4   1   1
6月   3   3   3
7月   3   2   3
8月   2   2   0
9月   2   3   1
 計  30  28  18

 ご公務ご負担軽減といいつつ、ご日程の件数は減らず、歴代天皇が皇室第一のお務めと認めてきた宮中祭祀が狙い撃ちされている実態に何ら変わりはありません。


▽岡田外相の「お言葉」発言

 さて、以上のことと関連して、最後に簡単にふれておきたいのは、岡田外相の「お言葉」発言です。そんなわけで、橋本さんの著書の批判は、小林よしのりさんの「WiLL」最新号掲載の批判記事とあわせて、来週にします。

 まず、岡田発言の経緯を簡単に振り返ってみます。

 報道によると、発言は臨時国会開会式を目前にした23日午前、閣議後の閣僚懇談会で行われました。国会の開会式での陛下のお言葉が毎回同じであることを取り上げ、「わざわざ来ていただいているのに、よく考えた方がいい。政治的な意味合いが入ってはいけないが、陛下の思いが少しは入ったお言葉をいただく工夫ができないか」と述べ、実態は官僚が用意した文書をそのまま読み上げるだけになっているお言葉のあり方を検討すべきだ、という考えを示したのでした。

 岡田外相はさらに夕方の会見で、「無難に対応しようという官僚的発想で(お言葉が)同じ表現になっている。わざわざ国会にまでお出かけいただいているのに、陛下に申し訳ない」「国事行為に準じるので、『あまり政治的にならないように』という配慮が行き過ぎた結果、(お言葉の内容が)繰り返しになっている。ある意味で内閣の責任で、もっと陛下の思いが伝わる工夫がされるべきではないか」と補足しています。

 閣僚懇談会は閣議とは異なり、閣僚が自由に意見を述べることが許されていますから、岡田外相が個人の思いを語るのは自由ですが、唐突さが否めません。懇談会でほかの閣僚の意見が述べられた形跡がなく、言いっぱなしになっているようで、天皇のお言葉という国家的な重要事が軽々に扱われているという印象を、かえって強く持ちます。


▽傍目八目を決め込む鳩山首相

「寝耳に水」の要求に当然、宮内庁は戸惑いを隠せません。羽毛田宮内庁長官は「国会でのお言葉は国事行為に準ずる行為であり、民間の行事などで陛下が(お気持ちを込めて)述べられているお言葉とは違うものではないか」「毎回違うお言葉になるような性格のものではない」と語っています。

 たしかにそうなのですが、現在のように官僚的、事務的でいいのか、というのが外相の問いかけなのでしょう。

 批判は同じ民主党内からも出ています。西岡武夫参院議院運営委員長は記者団に「陛下の政治的中立を考えれば、お言葉のスタイルについて軽々に言うべきではない。きわめて不適切」と苦言を呈しています。

 しかし、政治的中立性が求められることについて、岡田外相が忘れているわけではありません。

 面白いのは、鳩山首相の発言です。「天皇陛下のお気持ちを推し量ることはできない以上、コメントをあまりするべきことではなかったと思う」と、滞在先のタイで同行記者団に述べたというのです。

 天皇の「お言葉」というのは本来、天皇の個人的な気持ちを表現するものではありませんから、首相の発言は完全におかしいのですが、ともかく外相の問題提起に反対だというのなら、閣僚懇談会の場でそのようにいうべきです。

 皇室の事務を担当するのは外務省ではなく、内閣府の外局である宮内庁であり、お言葉は内閣府が作成しています。トップは岡田外相ではなく、首相自身なのに、鳩山首相は傍目八目(おかめはちもく)を決め込んでいます。


▽国家と文明の問題として全体的に見直しを

 もっとおかしいのは、自民党の大島幹事長です。翌日、地方での講演会で、「陛下のお言葉にまで触れるとは何事か。うぬぼれ以外の何ものでもない」と批判したと伝えられます。

 野党の立場からの政治的発言ですから、まともに批判しても仕方がないのですが、もし陛下のお言葉は、政治家であれ、なんであれ、「絶対にふれてはならない」というのが幹事長の考えであれば、内閣府が作成し、政府が承認するという現在の形式にもメスを入れるべきだということになるでしょうから、逆に岡田外相と同意見だということになります。

 また、ご公務ご負担の軽減と称して、宮内官僚たちが今年から、つまり自民党時代から、全国植樹祭などでの陛下のお言葉なし、と改めたことにも批判を向けるべきでしょう。

 結局のところ、国家の根幹に関わる皇室の諸問題について、官僚任せにしてきたことを猛省し、思いつきではなくて腰を落ち着けてじっくりと、国家と文明の問題として本質的に、「お言葉」問題のような各論ではなくて全体的に、見直すことが求められているのだと思います。もっとも重要な祭祀の法的位置づけすらあやふやなのですから。

 その場合の注意点として、2点、指摘したいと思います。1つは、岡田外相自身がお言葉に関して「政治的な意味合いが入ってはいけない」と語っているように、非常時は別として、天皇の非政治性を貫くことです。


▽行動するのは天皇ではなく国民である

 もう1点は、「行動する天皇」論の排除です。

 先週、75歳になられた皇后陛下は、記者会に対するお誕生日のご感想で、アメリカのオバマ大統領の核兵器廃絶演説を取り上げられました。メディアは「核兵器の恐ろしさを被爆国である日本が国際社会に理解を求めていくことが必要ではないか」と述べたと伝えています。

 言葉は発する側だけではなく、受け取る側によって変わります。天皇のお言葉と皇后のお言葉は異なりますが、受け手が政治的に解釈すれば、皇后陛下のお言葉が政治的に独り歩きすることもあり得ます。天皇こそ現実社会の政治的主体だという考えなら、なおのことです。

 たとえば、原武史教授の祭祀廃止論が皇太子殿下にネット難民救済の先頭に立つことを求め、橋本明さんの「廃太子」論が殿下に断固たる不戦の決意をせよと迫るのは、天皇の行動が時代を作るという「行動する天皇」論が、その背後にはっきりと見えます。

 しかし実社会で行動するのは天皇ではなく、私たち国民です。天皇のお務めは、高い次元に立って、国と民のために祈ることです。

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とうとうゼロになった宮中祭祀のおでまし [ご公務ご負担軽減]


以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2009年9月8日)からの転載です


 物書きというのは、などと一般化してしまうと、語弊があるかもしれませんが、とりわけ私は算術・計算が苦手です。一応、数!)まで勉強した学生時代ならいざ知らず、物書きになってからは、数字を扱うのはいうにおよばず、もうかる記事を書いて、原稿をカネに換えることなど、思いもよりません。

 そんなわけで、友人の新聞記者に「陛下のご公務を統計的に調査してみたら」と勧めたのは今年の早春でした。算数のできない私よりは適任だと思ったからです。

 ところが、意味が伝わらないのです。それでは仕方がない、計算間違いがないことを祈りつつ、押っ取り刀で始めたのが、このメルマガで毎月、統計的に追いかけているご公務削減問題です。

 おかげさまで、雑誌「正論」10月に記事が載るまでになりました。
http://www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0909/mokji.html

 友人の記者もその記事を読んで、私の言っている意味がようやく分かってくれたようです。

 ということで、今号は、宮内庁のデータも出そろいましたので、いつものように、先月のご公務ご日程について検証します。


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 1 とうとうゼロになった宮中祭祀のおでまし
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▽かけ声倒れのご公務削減
koukyo01.gif
 まず、宮内庁のホームページに発表されているご日程の件数を、過去3年間について、1~8月まで月ごとに単純に足し算し、表にまとめると、次のようになります。

    19年  20年  21年
1月  41   49   55
2月  44   36   38
3月  53   53   59
4月  50   61   68
5月  39   51   52
6月  40   46   52
7月  43   43   26
8月  39   24   30
小計 349  363  380

 8月について比較すると、19年はご日程件数が39件と、前月の43件から約1割減りました。25~27日までの地方行幸啓が影響したものと思われます。20年は8月24~30日まで1週間におよぶ長野県・群馬県ご滞在のためか、ご日程件数は24件。前年8月の3分の2以下に減りました。

 それなら、ご負担軽減が打ち出された今年の8月はどうでしょうか。7日には千葉県行幸啓、24~27日には長野県ご滞在がありましたから、件数が減ってもよさそうですが、実際のご日程件数は30件で、前年の24件より2割以上増えています。

 1~8月期の合計では、一昨年、去年、今年と、およそ4パーセントずつ増えています。

 少なくとも宮内庁発表の数字で見る限り、今年1月に打ち出されたご公務削減は、かけ声倒れに終わっています。


▽いっこうに減らない「拝謁」

 中身を見てみます。

 以下は宮内庁の分類法に準じ、19~21年8月期のご公務日程を、「宮中のご公務など」「行幸啓など」に分類し、表にまとめたものです。「国際親善」については省略しました。

                  19年  20年  21年
[1]宮中のご公務など
 ご執務など               7    5    3
 新年祝賀の儀・新年一般参賀       0    0    0
 天皇誕生日祝賀・一般参賀        0    0    0
 首相・最高裁長官の親任式        0    0    0
 大臣ほか認証官の任命式         0    2    1
 大綬章などの親授式           3    0    0
 新任外国大使の信任状捧呈式       2    2    1
 外国元首とのご会見・そのほかのご引見  3    1    6
 国内功労者などの拝謁・お茶・ご会釈  21    15    18
 海外賓客の午餐・晩餐          0    0    0
 春秋2回の園遊会            0    0    0
 宮中祭祀                2    2    0
 その他(稲作など)           0    0    0
 ご結婚50年祝賀関連          0    0    0
  宮中のご公務小計          38    27    29

[2]行幸啓など
 全国戦没者追悼式など都内式典ご臨席   2    1    1
 植樹祭などご臨席の地方行幸啓      0    0    1
 その他の都内お出まし          2    0    2
 その他の地方行幸啓           6    3    4
 地方ご静養               0    0    0
  行幸啓小計             10    4    8

 宮中のご公務について見ると、「ご執務」が一昨年、去年に比べ、今年は半減しています。一方で、減らないのが「ご会見・ご引見」、それと「国内功労者などの拝謁」です。

 一昨年8月は離任する外国大使の「ご引見」が2件でしたが、今年は5件ありました。各界功労者の「拝謁」は、とくにどれが増えているというわけではなさそうですが、減る気配が見えません。


▽祭祀こそ天皇第一のお務めのはずなのに

 これに対して、ご負担軽減の標的にされているのが宮中祭祀であることは、すでにご承知のとおりですが、先月はとうとうお出ましがゼロになりました。

 過去3年間について、月ごとの祭祀件数を表にまとめると次のようになります。

   19年 20年 21年
1月   8    7   4
2月   4   3   2
3月   2   4   1
4月   2    3   3
5月   4    1   1
6月   3   3   3
7月   3   2   3
8月   2    2   0
 計   28   25   17

 19年8月は1日の旬祭、堀河天皇900年式年祭の親拝があり、昨年は1日の旬祭、孝昭天皇2400年式年祭の親拝がありましたが、今年は毎月1日の旬祭の親拝が年2回に削減され、歴代天皇の式年祭もなかったことから、結果として祭祀の件数がゼロになったのでしょう。

 歴代天皇は祭祀こそ天皇第一のお務めと考え、今上陛下も同様のはずですが、ご健康への配慮を名目に進められるご負担の軽減で、いわゆるご公務はいっこうに減るどころか、増えるばかり、そしてその一方で、天皇の祭祀は側近らによって、ついに奪われてしまったのです。

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3 それでも減らない陛下のご公務 [ご公務ご負担軽減]

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 3 それでも減らない陛下のご公務
(2009年8月11日)
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koukyo01.gif
 陛下のご公務の件数がどうしても減りません。

 以下は過去3年間について、1~7月までのご公務ご日程の件数を、宮内庁発表の「天皇皇后両陛下のご日程」に基づいて、単純に足し算し、まとめたものです。
http://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/01/gonittei01.html

    19年  20年  21年
1月  41   49   55
2月  41   33   34
3月  53   55   61
4月  50   59   72
5月  39   51   52
6月  40   45   52
7月  44   43   26
小計  308  335  352

 先月はご日程の件数が前月比ではじめて減りました。これは3~17日まで、半月におよぶカナダ、ハワイ公式ご訪問を1件と数えたからです。

 しかしそれでも1~7月までのご日程件数小計は減るどころか増えています。1月末に宮内庁はご負担軽減の方針を打ち出しましたが、少なくとも件数においてご公務の軽減は実現されていません。


▽さすがに減った拝謁・お茶・ご会釈

 中身を見てみます。宮内庁によるご公務の分類に準拠して、7月期のご公務を、「宮中のご公務など」「行幸啓など」について比較すると、以下のようになります。「国際親善」は省きました。

                  19年 20年 21年 21年の2
[1]宮中のご公務など       44  41  27  65
1─1ご執務など          7   7   6   6
1─2新年祝賀の儀・新年一般参賀  0   0   0   0
1─3天皇誕生日祝賀・一般参賀   0   0   0   0
1─4首相・最高裁長官の親任式   0   0   0   0
1─5大臣ほか認証官の任命式    2   2   1   1
1─6大綬賞などの親授式      0   1   0   0
1─7新任外国大使の信任状捧呈式  1   1   0   0
1─8元首ご会見・その他ご引見   7   6   0   13
1─9国内功労者の拝謁お茶ご会釈  22  21  16  24
1─10海外賓客の午餐・晩餐    0   1   0   17
1─11春秋2回の園遊会      0   0   0   0
1─12宮中祭祀          3   2   3   3
1─13その他(稲作など)     0   0   1   1

[2]行幸啓など
2─1都内の式典ご臨席       1   0   0   0
2─2式典ご臨席の地方行幸啓    0   0   0   0
2─3その他の都内お出まし     1   2   2   2
2─4その他の地方行幸啓      0   0   0   17
2─5地方ご静養          0   0   1   1

 6月まで増加傾向にあった「国内功労者の拝謁・お茶・ご会釈」もさすがに先月は増えていません。


▽外国ご訪問の中身を計上すれば

 ところが結論はまだ早いのです。

「1件」と数えたカナダ、ハワイ公式ご訪問の中身を、それぞれ計上してみると、一気に件数は激増します。

 いわずもがなですが、今上陛下が皇后陛下とともに、海外で国家元首とご会見になっても、それは「宮中のご公務」とはなりません。晩餐会のご出席や大学へのお出ましも同様ですが、これをあえて宮中のご公務、あるいは地方行幸と見立てて、数え上げたのが上の表の「21年の2」です。

 ご覧になってお分かりのように、ご会見・ご引見は0件から13件に、拝謁・お茶・ご会釈は16件から24件に、というように、数字はとたんに跳ね上がります。

 当局者がご無理のないような日程を組んでいるのだとは思いますが、2週間の海外ご旅行のご負担はいかばかりかと拝察されます。午餐・晩餐はほとんど毎日、行われています。

 一方、両陛下の私的な活動と位置づけられ、「ご公務」とは逆に、無残にも簡略化されている宮中祭祀ですが、あらためて過去3年間について、1~7月期の祭祀件数をまとめると次のようになります。

    19年 20年 21年
1月  8   7   4
2月  4   3   2
3月  2   4   1
4月  2   3   3
5月  4   1   1
6月  3   3   3
7月  3   2   3
計   26  23  17

 前月比で見ると6月同様、7月は件数が減っていないように見ますが、これは外国ご訪問の前後にお参りがあったからです。


▽祭祀ばかりが狙い撃ち

 具体的に見ると、昨年は、以下の2件でしたが、

平成20年7月1日(火) 天皇陛下 旬祭(宮中三殿)
平成20年7月30日(水) 天皇皇后両陛下 明治天皇例祭の儀(皇霊殿)

 今年は、以下の3件。

平成21年7月1日(水) 天皇陛下 賢所皇霊殿神殿に謁するの儀(外国ご訪問につき)(宮中三殿)
平成21年7月21日(火) 天皇陛下 賢所皇霊殿神殿に謁するの儀(外国ご訪問からご帰国につき)(宮中三殿)
平成21年7月30日(木) 天皇陛下 明治天皇例祭の儀(皇霊殿)

 つまり、1日の旬祭(しゅんさい)はご代拝となり、歴代天皇が天皇第一のお務めと考えてきた祭祀は簡略化されたままです。

 ついでにいうと、明治天皇例祭には昨年と異なり、皇后陛下の拝礼はなかったようです。ご代拝もなかったでしょう。側近による皇后のご代拝の制度が、宮内官僚によって昭和50年に一方的に廃止されたことは、このメルマガの読者ならすでにご存じのはずです。

 結論をいえば、陛下のご高齢・ご健康に配慮して、御公務および宮中祭祀に関して調整・見直しを図る、とした宮内庁の軽減方針は依然として、まったく守られていません。そして祭祀ばかりが狙い撃ちにされています。これは祭祀王としての天皇の否定です。祭祀の正常化が求められています。

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