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「全国民のための教会」で行われたパウエル元国務長官の葬儀ミサを報道しない全国紙の「触らぬ神に祟りなし」 [政教分離]

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「全国民のための教会」で行われたパウエル元国務長官の葬儀ミサを報道しない全国紙の「触らぬ神に祟りなし」
(令和3年11月10日、水曜日)
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先月、亡くなったアメリカのコリン・パウエル元国務長官の葬儀が今月5日、首都のワシントン・ナショナル・カテドラル(WNC)で営まれた。

WNCはイギリス国教会を母教会とするアメリカ聖公会の大聖堂で、「全国民のための教会」と位置づけられ、歴代大統領の就任ミサや葬儀が行われる。9.11同時テロ犠牲者の追悼ミサもここで行われた。

今回も、アメリカの宗教伝統に従って、きわめて宗教的に公葬が行われた。そのことはWNCのサイトやFacebook、YouTubeで、誰でも簡単に確認することができる。WNCのサイトには式次第のリーフレットが掲載され、歌われた讃美歌の楽譜までがご丁寧に載っている。〈https://cathedral.org/wp-content/uploads/2021/11/1152021-Colin_Powell_RI.pdf〉〈https://www.facebook.com/WNCathedral〉〈https://www.youtube.com/watch?v=hWMNgIsstYk


▽1 アメリカの政教分離の実態

ところが、である。日本の全国紙(電子版)はことごとく、この葬儀ミサについて報道していない。なんと不思議なことか。

通信社は葬儀の事実のみを報じている。共同通信の配信記事では、葬儀が「ワシントン大聖堂」で営まれ、共和、民主両党の歴代大統領や政権幹部がそろって参列し、党派を超えた人望の厚さを印象付けた。オルブライト元国務長官が弔辞を述べたなどと伝えられた。時事通信は、トランプ前大統領の欠席を伝えている。

全国紙には記事自体が見当たらない。朝日新聞や読売新聞はパウエル氏の死去については分厚く報道したものの、葬儀ミサについては報道していない。毎日は共同電を載せ、日経は時事電を掲載した。NHKも記事自体が見当たらない。産経だけは独自記事を載せているが、中身は通信社の記事と大して変わらない。

全国紙が報道しないのは、そこにニュースの価値を認めないからなのか、いやそうではなく、編集上の重大な理由があって素直な報道を避けているからではないか。つまり、特定の立場に立つ編集方針から、都合の悪い事実、すなわち政教分離のご本家であるアメリカ社会の意外な現実を直視できず、クサいものにフタをしているからではないかと疑われる。


▽2 日本の解釈・運用とは雲泥の差

以前、取材したことから類推すると、今回のミサはホワイト・ハウスが主催し、費用は実費を大統領府が負担しているものと思われる。参列した歴代大統領ほか政府要人は公人の資格で参列しているのだろう。これが政教分離の御本家の実態である。公的人物の死に対する、きわめて当たり前の作法である。

ただ、アメリカ合衆国憲法修正第1条は国教の樹立や宗教の自由を妨げる法律の制定を禁止している。とすると、WNCでのミサはこの厳格な政教分離原則に違反しないのだろうか。素朴な疑問に対して、WNCは、「憲法は祈りを禁じているわけではない。禁じられているのは、祈りを強制することだ」と即座に答えたものだ。

政府が公人の葬儀を主催し、公費を投入し、公人が公人の資格で参列したとしても、また宗教施設で、宗教家が主宰する宗教儀式として行われたとしても、「国家と教会の分離」原則には抵触しないというのである。つまり、首相の靖国参拝は「私人の私的行為」だから合憲と理解するような日本の政教分離とは、解釈・運用に雲泥の差がある。

もっといえば、日本が異様なのである。

共同通信は、オルブライト元国務長官が「意見の対立はあったが…」と弔辞で述べたと伝えたが、共和党政権の国務長官の死に対して、公的性格を民主党政権が認め、政治的意見の相違や対立を超えて、慰霊の誠を宗教的に捧げ、しかも法的に是認していることがむしろ重要である。

また、時事通信によると、トランプ前大統領の欠席は、元国務長官についての個人的な評価が理由とされているが、参列が強制されないという点で、むしろ注目される。

しかし、それにゆえにこそ、日本のメディアは葬儀ミサを、ありのままに報道することができないでいるのではないか。なぜなら、いわゆる靖国問題の対応や宮中祭祀の法的位置づけについて、根本的な法的再検討を迫ることになるからである。それは困るとなれば、報道しないことが唯一の賢い選択となる。触らぬ神に祟りなしである。


▽3 「公人か、私人か?」と取材してほしい

たとえば、宮中祭祀は一般には「天皇の私的行為」との憲法解釈で一致していることになっている。であればこそ、祭祀を担当する掌典職は、戦後は天皇の私的使用人の立場となり、関係予算は内廷費が充てられている。

渡邉允元侍従長などは「私的行為」論を、これに懐疑的立場の神社界なども含めて、地方公演などで繰り返し強調しているらしい。また、『皇室法概論』の著書があり、女性天皇容認論者とされる園部逸夫元最高裁判事などは、現役時代に宮中祭祀に参列した経験があるようだが、やはり「私的行為」論に固まっている。

天皇の祭祀が「私的行為」だとすれば、行為をなす天皇は「私人」なのか。古来、「天皇に私なし」とされた大原則を憲法は否定するのか。祭祀に参列した園部判事は「私人」なのか。公人であるからこそ、参列を許されたのではないのか。

朝日新聞は元国務長官の葬儀を報道しなかったが、靖国問題と同様に、「公人か、私人か?」と参列した歴代大統領に直撃取材し、記事にしてほしかった。そうすれば、日本での議論の不毛さがあらためて浮き彫りにされるだろう。法的解釈・運用が誤りなのか、それとも法自体が誤りなのか、である。けれどもそれは叶わぬ夢だろう。

特定の考えに基づいて、相反する事実を報道しないのは、ジャーナリズムの自滅を招く。そのことは編集部自身が誰よりも熟知しているはずだ。だから、記事にしないのだろう。しかしそれこそジャーナリズムの自壊というべきものではないか。

最後に蛇足だが、日本のキリスト教系宗教紙は今回の葬儀ミサをどのように伝えたのだろう。教会の存在をアピールする絶好のチャンスのはずだが、ググってみると、案の定というべきか、記事が見つからない。

靖国問題に熱心に取り組む教会指導者にとっては、ホワイトハウスの主催で行われる大聖堂での公人の葬儀ミサを報道することは、マスメディアと同様に、鬼門なのであろうか。靖国批判がますます偽善に見えてくる。キリストは偽善をこそもっとも戒めたはずだが。


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孔子廟「違憲」判決を批判する「反靖国」キリスト者の薄っぺら声明 [政教分離]

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孔子廟「違憲」判決を批判する「反靖国」キリスト者の薄っぺら声明
(令和3年4月2日、金曜日)
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すでに書いたように、2月24日、最高裁大法廷は、沖縄・那覇市が所有する公園内に立地する孔子廟(設置者は一般社団法人久米崇聖会)について、市が土地使用料を免除していたのは、憲法の政教分離原則に違反するなどとの重要な判断を示した。それから半月後、「信教の自由」「政教分離」にとりわけ敏感なキリスト者が厳格主義に立つ声明文を発表した。今日はそれをご紹介したい。

すなわち、先月11日に発表された、日本バプテスト連盟(バプ連)の靖国神社問題特別委員会による声明である。〈https://www.bapren.jp/?tokubetsu=20210311%e9%9d%96%e5%9b%bd%e7%a5%9e%e7%a4%be%e5%95%8f%e9%a1%8c%e7%89%b9%e5%88%a5%e5%a7%94%e5%93%a1%e4%bc%9a%e3%80%80%e5%ad%94%e5%ad%90%e5%bb%9f%e4%bd%bf%e7%94%a8%e6%96%99%e5%85%8d%e9%99%a4%e9%81%95

まずこの組織だが、同連盟のHPによると、19世紀末にアメリカ南部バプテスト連盟(SBC)から宣教師が派遣され、九州で伝道が開始されたことが、歴史の始まりである。連盟は敗戦直後、福岡・西南学院教会で設立された。1976年にSBCからの経済的独立を果たす一方で、反靖国、反天皇運動にのめり込んでいったものらしい。大嘗祭違憲訴訟や安保関連法案訴訟などに取り組んでいる。

理事長は加藤誠氏。西南学院大学神学部奨学金委員会、靖国神社問題特別委員会、日韓・在日連帯特別委員会、部落問題特別委員会、ホームレス支援特別委員会などの特別委員会が置かれ、「ヤスクニ通信」などの媒体が発行されている。全国283のバプテスト派教会などが加盟する。


▽1 政教分離厳格主義の自家撞着

さて、声明文であるが、分量はわずか2ページ。正確にいうと1ページ半。しかも驚いたことに、その半分は新聞社説のコピペである。これほど内容の薄い声明文を筆者は寡聞にして知らない。

つぎに中身だが、声明文はまず判決を、次の3点について評価している。

1、孔子廟が孔子の霊を迎えて送り返す「釋奠祭禮」を挙行する宗教施設であることを明確に認定した
2、目的効果基準という形式的基準に拘泥することなく、信教の自由の保障の確保という政教分離原則の制度の根本目的にさかのぼって違憲判断を行っている
3、自治体等が宗教施設について観光資源であること等を理由に、安易に財政支援を容認する風潮に警鐘を鳴らす効果を有する

以上は声明文をほぼそのまま引用したのだが、孔子廟を宗教施設と認めるべきかどうかについての議論にはまったく踏み込まず、あくまで厳格主義の立場を誇示している。

その一方で、声明は、次の点で判決を批判している。これも手を加えずに引用すると…

4、上記判断過程において、宗教的マイノリティーではなく、「一般人」、「社会通念」、日本の「社会的・文化的諸条件」等のマジョリティーを基準とする要素を用いている点で、信教の自由の本質を見誤っているものであって、この点は糾されるべきであると考える

つまり、声明は、憲法が謳う信教の自由というものは、宗教的マイノリティを基準とすべきであること、すなわち日本では、キリスト教のような少数派が判断の基準とされるべきだと主張したいものらしい。しかし、そうだとすると、憲法の大原則である法の下の平等との兼ね合いが問われなければならない。

声明は、あくまで沖縄・孔子廟に関するものだが、政教分離の厳格主義に立つなら、同様に違憲性が強く疑われるキリスト教関連の事象はいくらでもあるからだ。

たとえば、長崎の二十六聖人記念碑は世界的な巡礼地だが、もともと修道会が市有地に建て、市に寄贈したと聞くし、殉教者の遺骨を安置する記念館はやはり市有地にあるが税金は免除されているらしい。島原の乱で知られる原城跡には地元の自治体が建てた十字架があるし、旧水沢市にあるキリシタン領主・後藤寿庵の廟堂では毎年、ミサが行われ、市長が参列し、「ご祝儀」が支払われていた。

バプ連声明の論理に従えば、これらの事案は「宗教団体」「宗教施設」であることは明確で、政教分離上、完全に違憲と判断され、ただちに訴訟の対象とされるべきではないのか。それとも、日本のキリスト教はマイノリティだから、逆に保護されるべきだということなのか。だとすれば、厳格主義を隠れ蓑にした身勝手なオポチュニズムといわねばならない。

厳格主義を貫けば、公有地内にある小さなお地蔵様でさえ認められないことになる。しかし憲法は逆に、宗教の価値を認めている。国家に宗教的中立性を求めこそすれ、無色中立性を要求してはいない。宗教者が厳格主義を唱え、およそ宗教に不寛容な憲法だと主張するのは、自家撞着を招く。


▽2 キリストの教えを語る資格はあるのか

むしろ声明文は、憲法が保障する「信教の自由」の、大きな矛盾を孕んだあり方について、もっと踏み込むべきではないだろうか。そうでなければ、イエス・キリストがもっとも嫌った偽善者をキリスト者みずから演じることになる。

なぜキリスト者は偽善をおかして省みないのか、それは日本の近代史理解と密接に関わっているからだろう。そのことは声明文が「同意」し、延々と引用する、以下の新聞の社説を読めば明らかである。

「かつて国家神道を精神的支柱にして戦争への道を突き進んだ。政教分離の原則は、多大な犠牲をもたらした戦前の深い反省に立脚し、つくられた。」(沖縄タイムス2/25)

「憲法の政教分離の規定は、戦前に国家と神道が結びついて軍国主義に利用され、戦争に突き進んだ反省に基づいて設けられた」(毎日新聞2/25)

「政教分離が憲法に規定された背景には、戦前の日本が神道を事実上の国教として優遇・利用したことへの反省がある。信仰の強要や他宗教の弾圧が繰り返され、ついに敗戦に至った。こうした歴史から、神社や神道との関係が問われる事例が多かったが、他の宗教的活動にも同様のけじめが求められるのは言うまでもない。(中略)現職閣僚らによる靖国神社への参拝など、国家と宗教の関係に疑義を抱かせる行いは後を絶たない」(朝日新聞2/26)

バプ連声明および各紙社説は、孔子廟訴訟ほか政教分離裁判の焦点が、いわゆる「国家神道」、「軍国主義」、「靖国神社」にあることを前提としている。だからこそ、今回の声明文も靖国問題の特別委員会から発表されている。しかし、こうした見方はどこまで正しいのだろう。

日本の「国家神道」「軍国主義・超国家主義」を誰よりも敵視し、その中心施設は靖国神社だとして爆破解体を目論んでいた占領軍は昭和20年暮れにいわゆる神道指令を発令したが、結局、靖国神社は生き残ったし、吉田茂首相の靖国神社参拝は認められ、朝日新聞は「公けの資格で参拝」と伝えている。

憲法学者の小嶋和司が述べているように、神道指令はたしかに神社神道からの「分離」を要求しているが、憲法が要求しているのはすべての宗教団体からの分離である。そして国家から分離された靖国神社への首相参拝は容認されたのである。GHQの宗教政策は占領前期と後期とでは明らかに異なる。

蛇足だが、アメリカでは、首都ワシントンに「全国民のための教会」ワシントン・ナショナル・カテドラルがあり、歴代大統領の就任ミサが行われる。9.11同時テロ犠牲者の追悼ミサは大統領府主催で行われ、歴代大統領ほか政府高官が参列した。日本の靖国神社よりも国家との結びつきがはるかに強い。日本の政教分離主義の源流はこのアメリカにある。明らかに厳格主義ではない。

バプ連が単なる法律論ではなくて、信仰的立場から完全分離主義を貫きたいなら訴訟を起こすべきだ。そうしないなら「兄弟の目にある塵を見ながら、自分の目にある梁を認めない」ことになる。キリストの教えを語る資格はない。それはもはやキリストの敵というべきだろう。


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[空知太神社参拝記]法治主義に名を借りた革命工作が進行中!? ──義務教育で郷土の歴史や文化を教えるべきだ [政教分離]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2018年2月25日)からの転載です

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[空知太神社参拝記]
法治主義に名を借りた革命工作が進行中!?
──義務教育で郷土の歴史や文化を教えるべきだ
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 先般、北海道砂川市の空知太神社をお詣りした。地域の関係者のご協力と案内を得て、お宮を守る世話役の方々からの説明も受けることができ、たいへんありがたかった。
sorachibuto.jpg
 空知太神社については、私のメルマガの読者ならよくご存じのことだと思う。市有地内に神社が立地していることから、憲法の政教分離原則に抵触するかどうかが裁判で問われることとなり、マスメディアにも大きく取り上げられた。

 最高裁は「違憲」(多数意見)と判断した。市有地を無償で神社に提供しているのは、外形的にみれば、たしかに「公金は宗教上の組織に支出してはならない」に反している。しかし歴史的にみるとどうなのかという疑問が湧いてくる。

 前にも書いたように、裁判はやり直すべきだと思う。参拝してあらためてそう思った。〈 http://saitoyoshihisa.blog.so-net.ne.jp/2010-03-16-1


▽1 上川地方最古の神社

 空知太神社は砂川市発祥の地に鎮まる上川地方最古の神社らしい。

 明治25年ごろに住民らが五穀豊穣を願って祠を置いたのが始まりとされ、開拓者たちは必ずこの神社に参拝し、成功を祈願し、各地に散っていったという。

 明治維新後、本州以南の神社仏閣は上知令で境内地が国有化されたが、同社の場合は最初から公有地の神社であり、3千坪を超える広大な土地の貸下を受けていた。

 公的な存在であるとともに、上川地方開拓の歴史的原点がこの神社なのであった。

 にもかかわらず、戦後、宗教法人になれず、神職もいない、町内の神社であり続けた。全国の多くの神社は国有境内地の払い下げを受け、国家管理を離れたが、空知太神社は制度改革から漏れてしまった。

 それどころか、隣接する小学校の校地拡張に伴い、境内地を移転させられることになった。ある住民が私有地を提供してくれたのはありがたかったが、その後、固定資産税の負担の重さから町(当時)に境内地の寄付が願い出され、町議会の決定を経て、公有地内神社という状況が生まれたのだった。

 昭和45年に周辺に町内会館が新築されたとき、神社は改修されて会館内に遷され、奥の間に出窓のような形で鎮座することとなり、同時に鳥居が建てられたという。


▽2 追い出された神社

 神社のお世話をしている土地の方々によると、年2回、春と秋のお祭りのときは、会館内で余興などが行われ、近郷から集まってくる老若男女で大いに賑わった。寄付も集まり、神社を維持するための収入が確保できたという。

 けれども判決後、神社は会館からの移出を余儀なくされ、鳥居のそばに建てられた小さな建物に納まることとなった。

 神社も会館も市有地に立地していることはいまも変わらないが、会館の方は地代を免除され、一方、地方の歴史を背負っているはずの神社は賃料を支払わされている。

 裁判のあと、会館での行事もなくなり、社入が激減したため、神社の維持はごく少数の関係者個人に重くのしかかることにもなった、と故老たちは暗い表情で話された。

 しかし、そもそも地代を払えば済むのなら、大騒ぎするほどのことではない。不敬にも神様を町内会館から追い出す必要はなかったのではないか。

 というより、いまからでも遅くはない、3千坪あったという神社の境内地を、砂川市は無償で払い下げ、原状を回復させるべきではないだろうか。

 そのためにも裁判はやり直すべきではないか。会館の外壁に剥ぎ取られた「神社」の文字がうっすらと読み取れるのをみて、つくづく思った。

 神社がタダで市有地を利用していたのではない。市が広大な境内地を奪ったのである。裁判の争点はそこにある。じつに恥ずべき裁判だと思う。


▽3 宗教伝統の干渉・圧迫・変更が目的

 裁判の原告は地域に住むキリスト者だった。聞くところによると、神社の世話人たちとは古い友人でもあるという。それが革新政党の関係者から教唆され、素朴な正義感から原告に仕立て上げられた。ほんとうの原告はカゲに隠れて、姿を見せないらしい。

 などという話を聞くと、やっぱりなと思う。政教分離訴訟とは、日本国憲法をむしろ旗に掲げ、法治主義に名を借りた革命運動なのではないか。長崎の26聖人記念碑や記念館は戦後、修道会が市有地に建てたものらしいが、こちらは不問にされている。

 大航海時代、キリスト教徒たちは世界各地で、キリストの教えと教皇勅書に基づき、異教文化を根絶やしにし、あまつさえ異教徒たちを虐殺した。日本でもキリシタン領地では神社仏閣が放火・破壊され、領民は強制的に改宗させられた。挙げ句の果てには、日本は潜在的にポルトガル領とされたのだった。

 第2バチカン公会議以降、カトリックは異教世界の価値を明確に認めるようになったが、キリスト教世界の鬼っ子たちはそうではない。チベットやウイグルでの宗教弾圧の現実をみれば明らかであろう。

 日本ではさすがに公然たる社寺破壊は起きないが、憲法の政教分離原則を武器にして、伝統的宗教文化への干渉・圧迫・変更を目的とする革命工作が一貫しているのではないか。いま目前で進行する御代替わりのあり方をめぐる議論も例外ではないと思う。

 最後にもう1点、明治維新から150年、北海道でも地域の独自の歴史が忘れられつつあることが実感され、悲しく思った。空知太神社が上川地方において、もっとも由緒ある神社であり、その存在なくして地域の歴史は語れないということを、人々はどれほど理解しているだろうか。

 学校教育では日本史すらまともに教えなくなっている。受験科目にない教科は軽視されるのが現実だ。まして地域の歴史や文化などに目を向けられることはない。空知太神社訴訟が起きたのはその結果ではないか。次世代の子供たちに、先人たちの血と汗と涙の結晶である郷土史を、義務教育で教えるべきだと私は強く思う。

 【関連記事】市有地内神社訴訟で最高裁が憲法判断か?https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2009-09-17-1?1583044220

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O先生、政教関係は正されているのですか ──政教分離問題への素朴な疑問 [政教分離]

以下は斎藤吉久メールマガジン(2016.9.4)からの転載です


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O先生、政教関係は正されているのですか ──政教分離問題への素朴な疑問
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 ご無沙汰しています。

 先日は久しぶりに、先生が代表をお務めになる研究会に顔を出させていただきました。お元気そうなお姿を遠くから拝見しましたが、ろくに挨拶もできず、失礼しました。

 さて、折り入って先生に手紙を書こうと思い立ったのは、会の現状に素朴な疑問を感じざるを得なかったからです。


▽1 靖国訴訟の勝利を喜べるのか

 先般の研究会では、いつものようにまず、最近の靖国訴訟の事例報告がありました。報告にありましたように、反靖国派が仕掛ける裁判闘争それ自体はめっきり少なくなり、判決も軒並み合憲判断で、連戦連勝です。めでたいかぎりです。
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 しかし本当に喜んでいい状況なのでしょうか。私が報告のあと質問したのも、そこに大きな本質論的疑問を感じたからです。原告が敗訴したのは誰の目にも明らかですが、被告の国・靖国神社もまた裁判に勝っていないのではないか。

 葦津珍彦先生がご存命のころ、J本庁は靖国神社の国家護持運動を熱心に進めていました。靖国神社の歴代宮司には「いずれ神社を国にお返ししたい」と明言なさる方もおられました。その実現は近づいたのでしょうか。

 先日の研究会にはJ本庁や靖国神社の責任ある立場の方々も参加されていたようですが、勝訴が続いていることを手放しで喜んでおられるのかどうか、私は知りたいと思いました。現状が続けば国家護持の展望が開けると思うのかどうか。

 ところが、若い司会者は何を思ったか、「趣旨が違う。懇親会の場で聞け」と私の質問を遮りました。いったい何がどう「趣旨が違う」のでしょう。

 葦津先生が主導してスタートした先生の研究会は、日本の政教関係そのものを正すことが唯一最大の目的のはずです。政教訴訟を正すことが目的ではないし、まして単なる学会ではないでしょう。

 私としては、会にとってもっとも本質的な問いかけのつもりでしたが、残念なことに司会者には「酒飲み話」にしか聞こえなかったようです。私は苦笑するほかはありません。葦津先生を直接知っているのはたぶん私が最後の世代でしょうから、若い司会者には、私の問いかけなど理解できないのかも知れません。

 いやもしかしたら、司会者だけではないかも知れません。


▽2 本質的解決より現実的妥協

 その後、研究会は進み、被災地の復興に奮闘している神職による生々しい事例報告があり、さらにフロアの老名誉教授からの発言、これを受けて神職のコメントが続きました。それを聞いて、私はなるほどと合点しました。

 神職は2点、指摘しました。(1)現在の政教関係には正されるべき問題点があると重々承知していること、(2)しかし現実の世界では実利を得るために行政との妥協が求められていること、の2点です。

 一点目についてはウンウンと大きくうなずいていた老教授が、二点目についてはまったく対照的に、頭を何度も左右に振っていたのが、私にはじつに印象的でした。

 そうなのです。本質的解決がいっこうに進まないために、現実の世界では厳格主義を脱せない行政との苦渋の妥協を模索せざるを得ないのです。これが今日の政教関係の最大の問題です。そして現実的妥協がまた本質的解決への道を阻むという悪循環です。妥協によって実利が得られるなら、無理を重ねて本質的解決を図る必要はないからです。

 その典型例が、1日も早い復興が要求されつつ、なかなか進まない被災地です。被災地での政教分離問題は、行政の厳格主義と妥協しつつ、支援を引き出すハウツー問題になっています。それこそが政教分離問題の解決が進んでいないことの何よりの証明で、現場では本質的解決より現実的妥協を選択しているのです。

 それでいいのですか、と私は問いかけているのです。


▽3 日航の代表者は私人なのか

 最大のネックはもちろん靖国訴訟です。

 合憲判決を得た国・靖国神社はけっして裁判に勝ったとはいえません。本質的解決が少しも図られず、現実的妥協に満足させられているだけです。靖国神社は「特定の神社」と位置づけられたままで、首相参拝も「私人の参拝」です。勝ったことにはなりません。

 勝者がいるとすれば、靖国神社国家護持を「悪企み」と思い込み、これを結果的に阻むことに成功している反靖国派でしょう。彼らは記者会見では「不当判決」と叫びつつ、それこそ懇親会の場では勝利の美酒に酔いしれているかも知れません。

 勝ったつもりの靖国派はじつは負けているのです。

 それにしても、なぜこんな無様な裁判が続いているのでしょうか。

 たとえば、マスコミを湧かせた中曽根首相の公式参拝は「終戦40年」昭和60年の終戦記念日で、その3日前、日航ジャンボ機墜落事故が起きました。

 今年も群馬県上野村で追悼慰霊祭が行われ、遺族のほか日航関係者も参列しましたが、首相の靖国神社参拝は「私人の参拝」と強弁する人たちは、日航関係者の参列もまた私的立場であるべきだと考えるでしょうか。遺族はそれで満足し、メディアはこれを容認するでしょうか。

 どう考えても、常識に反します。

 ネックは「国はいかなる宗教的活動もしてはならない」とする憲法ですが、靖国神社は戦死者に対する国家的祭祀を行う国家的祭場であり、国の代表者が公的資格で参拝し、あるいは例大祭に参列することは国として当然の責務であり、むろん憲法にも違反しないという法理論を立てることは可能なはずです。なぜそうしないのですか。


▽4 靖国参拝を認めたバチカン

 たとえば、明の時代に中国宣教を開始したカトリックのイエズス会は、一見、唯一神信仰に反する、皇帝による国家儀礼や孔子崇拝、祖先崇拝に参加することを認め、それによって中国宣教は大成功し、宣教師は高級官僚ともなりました。

 この適応政策はその後も引き継がれ、昭和11年にはバチカンは、靖国神社の儀礼は宗教儀礼ではなくて国民的儀礼であり、信徒が参加することは国民の義務だと判断し、許しています。戦後も同じです。

 今日、カトリック信徒の内掌典が陛下の祭りを奉仕していると聞きますが、これも信教の自由に反しないという宗教的確信があるからでしょう。たとえ異教儀礼に由来するとしても、国家的・国民的儀礼なら唯一神信仰に反しないという判断です。

 とするなら、首相の靖国参拝が国民の信教の自由を侵すことはあり得ません。

 ところが、現実妥協路線の裁判は、周辺諸国の批判も相まって、国家機関としての首相参拝を遠ざけています。その一挙手一投足が話題となる「極右」政治家は、首相就任後は、堂々と参拝するどころか、靖国神社を避け、千鳥ヶ淵墓苑や防衛省内のメモリアルゾーンを戦没者追悼の場に選んでいます。そして逆に、靖国神社は私的信仰の対象とされています。話はまるで逆なのです。

 私も遺族の1人ですが、国に一命を捧げた戦没者やその遺族はこれで満足すると先生はお考えですか。

 先生が代表をお務めになっている会の存在はたいへん貴重です。葦津先生の慧眼には敬服するばかりです。であればこそ、会がその目的を十分に果たしているのかどうか、あらためてお考えいただけないでしょうか。


▽5 シンクタンクの設立を

 政教分離が本質的に問われているのは、靖国問題だけではありません。にわかに国民的議題として浮上してきた皇室の御代替わりについても同様です。

 前回の御代替わりでは、政教分離がネックとなり、さまざまな不都合がおきました。いまのままでは同じことが繰り返されるでしょう。

 とくに心配されるのは大嘗祭です。少なくとも宮中祭祀は「皇室の私事」などという法理論が大手を振るうようなことがないようにと願っています。これも大嘗祭が国家的儀礼ではなくて、稲作社会の収穫儀礼という宗教的に解釈するところに誤りの原因があります。靖国問題と構造はまったく同じです。

 葦津先生がそんな理論に心底から満足していたとは思えません。

 それならどうすればいいのか、私は政教問題、靖国問題、あるいは皇室問題を総合的に研究し、発信する常設のシンクタンクを設立できないかと願っています。先生の会を発展させるのも1つの案となるでしょう。

 先生の会は残念ながら、いつの間にかJ本庁周辺の集まりになっているようにお見受けします。けれども、もともとの葦津先生の理想はもっと広範囲の英知を結集することにあったと思います。そしていまそれが必要なのではないでしょうか。

 葦津先生は「学問は1人でするものではない」と仰せだったと聞きます。心から求められるのは共同研究であり、そのため葦津先生に代わって、シンクタンクをアレンジしてくれるプロデューサーの存在です。

 そして皇室問題に世間の耳目が集まっているいまは、1つの大きなチャンスです。

 いかがでしょうか。ご一考いただければありがたいです。

 ご多忙のところ、最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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またしても宗教性排除か?──政府が大震災犠牲者追悼の国営施設を計画 [政教分離]

以下は斎藤吉久メールマガジン(2014年3月8日)からの転載です


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またしても宗教性排除か?
──政府が大震災犠牲者追悼の国営施設を計画
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 まもなく東日本大震災から3年になりますか、NHKが昨日、伝えたところによると、政府は、岩手、宮城、福島各県にそれぞれ1か所ずつ、慰霊碑など、国営の復興祈念施設を建設する計画を調整中なのだそうです。

 犠牲者への追悼と被災地の復興に向けた強い意志を国内外に示すため、という目的は理解できないわけではないのですが、心配なのは、死者を悼む日本人の宗教伝統を離れた無宗教的な施設、もしくは宗教性を排除した非宗教的な施設になりはしないか、ということです。

 現行憲法が定める「政教分離」主義なるものが、日本の宗教政策、あるいは宗教的空間をひどく歪めてきた前例がいくつもあるからです。

 たとえば、広島・長崎に建てられた原爆の犠牲者を悼む平和祈念館は、その典型でした。

 日本国憲法は宗教の価値を否定しているわけではありませんが、憲法の精神に反して、宗教性そのものの排除が追求されたのでした。

 そのことは、くすぶり続ける靖国神社に代わる国立の無宗教施設建設問題とも密接に結びついています。

 というわけで、雑誌「論座」2003年10月号に掲載された拙文「戦没者追悼『宗教性の排除』に異議あり──国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館に思う」を転載します。


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戦没者追悼「宗教性の排除」に異議あり
───国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館に思う
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 平成15年7月、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館が、長崎市平野町の原爆資料館に隣接してオープンしました。基本構想の検討から十余年、44億円の国費を投じて建設されたと伝えられます。「原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記し、恒久の平和を祈念するための施設」(長崎祈念館のホームページ)という位置づけで、前年8月1日には同じ趣旨の国立広島原爆死没者追悼平和祈念館が広島の平和記念公園に開館しています。

 長崎祈念館は、ホームページ(http://www.peace-nagasaki.go.jp/)などで紹介されているところによれば、鉄筋コンクリート造りで、地上1階、地下2階、敷地面積は約1万5400平方メートル、延べ面積は約3000平方メートルあります。

 地上には、原爆投下の日、被爆者たちが「水をください」と飲み水を求めながら焦土をさまよったことに由来する直径30メートルの水盤がおかれ、夜になると7万人の犠牲者を象徴する7万個の灯りが、光ファイバーにともされます。

 施設の中心は「原子爆弾の投下により亡くなられたすべての方々の冥福を祈るとともに、核兵器による惨禍を二度と繰り返さないことを祈念する」(長崎祈念館のパンフレット)ための「追悼空間」で、緑色に光るガラス製の12本の「光の柱」が林立しています。

 その奥には死没者の名簿を安置する高さ9メートルの同じくガラス製の名簿棚が直立し、棚の前には献花台があります。棚の方角には爆心地が位置しています。

「死没者追悼」を名に冠し、「冥福を祈る」(パンフレット)とうたう祈念館は、広い意味での宗教的な目的で建てられたかのように見えますが、国は逆に「宗教性」を排除したと主張します。

 祈念館によると、「来観者の妨げ」になるような既成の宗教儀式を追悼空間で行うことは認めていません。読経や讃美歌の合唱などは禁じられています。献花は認められますが、神式の玉串(たまぐし)拝礼は想定されておらず、焼香は「火気の使用」に当たるという理由で認められていません。

 つまり神道、仏教、キリスト教など、在来の宗教形式による慰霊・追悼の場としては想定されていないのです。

「たとえば、入館者が一日中ゆっくりと厳かな雰囲気のなかで、静かに死没者に思いをいたし、祈り、そして平和について深く思索することができるような空間」(「原爆死没者追悼平和祈念館設立準備検討会最終保報告」平成10年9月=http://www1.mhlw.go.jp/houdou/1009/h0928-2_11.html)として設置された祈念館は、既存の宗教形式によらない「無宗教」形式による「死没者追悼」の機会を来観者に与えているのですが、伝統宗教の立場からは不評です。


▽「弔意」「慰霊」が消え、「追悼」に一元化

 こうした祈念館がどのようにして建設されたのか、経緯を振り返ってみましょう。

「最終報告」によれば、平成2年に原爆死没者調査の結果が公表されたのを契機に、「国の原爆死没者に対する弔意の表し方」について、政府内で検討が始まったそうです。

 翌3年5月に厚生省(当時)に「原爆死没者を慰霊し、永遠の平和を祈念するための施設の基本理念、内容等」について検討する「原爆死没者慰霊等施設基本構想懇談会」が設けられ、「恒久的な慰霊・追悼の場」を設置すること、「慰霊の場」「資料・情報の継承の拠点」「国際的な貢献を行う拠点」の三機能を持たせることが適切とされ、続いて「原爆死没者慰霊等施設基本計画検討会」(5年7月設置)、「原爆死没者追悼平和祈念館開設準備検討会」(7年11月設置)が段階的に設けられ、具体的な開設準備が進められました。

 とくに「平和祈念・死没者追悼のあり方」については、「国立の施設である以上、特定の宗教色を排し、厳かな雰囲気のなかで、入館者がその思想、信条を超えて、原爆死没者に思いを致しながら、平和について深く思索することができるよう工夫することが必要である」(「最終報告」)と結論づけられました。

 けれども実際は、「特定の宗教色の排除」どころか、厚生省によれば、「宗教性の排除」が国の方針だったようです。つまり無宗教施設ではなく、非宗教施設の設置が追求されたということでしょう。

 その背景にはいうまでもなく、「政教分離」の考え方があります。「信教の自由は何人に対しても保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受けてはならない」「国およびその機関は、いかなる宗教的活動もしてはならない」と規定する憲法を、国は厳格に解釈し、政治と宗教の完全な分離を図ろうとしています。

「宗教性の排除」は、祈念館設置の過程での用語の変遷からもうかがえます。

 出発点は国としての「弔意の表し方」の検討であったし、当初の「基本構想懇談会」の段階では、「死没者を慰霊」「慰霊の場」という表現が使われていました。しかし、平成5年7月に設置された「基本計画検討会」では「慰霊」が消えます。

 翌6年12月には「被爆者援護法」が成立し、このとき衆院厚生委員会では同法案の採択に際して、「原爆死没者慰霊等施設のできるだけ早い設置」などを求める付帯決議を行っていますが、そこでは「死没者慰霊」と記しています。

 ところが、7年11月に設置された「開設準備検討会」になると、もっぱら「追悼」という表現が用いられます。「弔意」「慰霊」には宗教的な意味があり、政教分離が建前の国の施設には相応しくない、非宗教的な「追悼」こそ相応しい、と国は考えたようです。

 その結果、建てられたのが広島・長崎の両祈念館です。


▽「追悼」に「宗教色」はないのか

 これに対して、最初から最後まで「追悼」を貫いたのが内閣官房長官の諮問機関「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」(追悼懇)です。

 平成13年8月に小泉首相が靖国神社を参拝したのに対して、韓国・中国などからきびしい批判がわき上がったのをきっかけに、同年末に設置され、翌年の暮れ、「国を挙げて追悼・平和祈念を行うための国立の無宗教の恒久的施設が必要であると考える」とする報告書をまとめました。

 この報告書は「追悼」の意味について、「この施設における追悼は、『死没者を悼み、死没者に思いを巡らせる』という性格のものであって、宗教施設のように対象者を『祀る』『慰霊する』または『鎮魂する』という性格のものではない」と明記しています。

「追悼」と「慰霊」を区別し、「無宗教」の国の施設としては、「慰霊」ではなく「追悼」を選択するというのですが、「無宗教」と「非宗教」とを混同しているだけでなく、不謹慎な言葉遊びのようにも聞こえてきます。

 国がそのように規定したからといって、来館する公人・私人の心の内は区別のしようがないし、第一、祈念館自体が混乱しています。たとえば、先述したように、長崎祈念館のパンフレットは「冥福を祈る」といかにも宗教的だし、広島祈念館のホームページ(http://www.hiro-tsuitokinenkan.go.jp/index.php)は英語版で「追悼する」を「mourn」と表現しています。「mourn」には「死を悼み、悲しむ」以外に「服喪」という意味があります。「喪に服する」ことは宗教的行為にほかならないでしょう。

 追悼懇は「追悼」には「宗教色」がないかのように主張していますが、本音は「慰霊」を認めてしまえば、「日本には明治以来、靖国神社という国家の危機に殉じた国民を『慰霊』する公的施設がある。それで十分であり、屋上屋を架するような新たな国立施設の建設は不要である」という結論になる。そこで、「慰霊の排除」を主張する、ということではないのでしょうか。

 百歩譲って、「追悼」に「宗教色」はないと認めたとして、「死没者追悼」と「不可分一体」(追悼懇報告書)である「平和祈念」はどうでしょうか。これも「宗教色」がないというのでしょうか。「祈り」こそ宗教的行為そのものではないでしょうか。

 もっといえば、神社や寺院、教会を建てることと同様、「祈り」の場を設けること自体、宗教的行為なのではありませんか。もはやこの世にいない死者と向き合うことそれ自体、広い意味での宗教的行為にほかなりません。「追悼」と「慰霊」の区別は無意味でしょう。

「宗教性の排除」は生者の論理です。日本政府は、戦争という非常時にあって、交戦国の原爆投下がもたらした「犠牲と苦痛を重く受け止め、心から追悼の誠を捧げる」(長崎祈念館銘文)のですが、かけがえのない命を失った死者に悲しみを慰め、丁重に弔うことより、「まず憲法」「まず政教分離」という生者の都合を無慈悲にも優先させていませんか。もしそうなら、「慰霊」はいうにおよばず、「追悼」の名にさえ値しないでしょう。政府は、不慮の死者に対して、とりわけ国に殉じた国民に対して、国家がまず第一に果たすべき祈りの責務を軽視していませんか。


▽アメリカ政府が捧げる祈り

 ここで海外に目を転じてみましょう。

 日本の政教分離政策の源流であるとともに、「国家と教会の分離」原則を厳格に採用していると一般には考えられているアメリカには、案外、知られていないことですが、この国の宗教伝統に基づいて、国家が祈りを捧げる「全国民の教会」、ワシントン・ナショナル・カテドラルが百年も前から存在します。

 この聖堂では、2001年の「9・11」同時多発テロの3日後、ホワイトハウスの依頼によって、「テロ犠牲者を追悼し、祈りを捧げる儀式」が厳かに斎行され、ブッシュ大統領夫妻をはじめ歴代大統領夫妻、政府高官、ユダヤ教やイスラム教の代表者ら数1000人が参列しました。

 式は、軍楽隊の演奏とイギリス国教会ワシントン司教の先導で始まり、讃美歌合唱、聖書朗読に続いて、テレビ伝道師として高名なバプテスト派のビリー・グラハム師が「神への信頼こそがすべての根源」と説教し、そのあと大統領が「世界中からテロを撲滅する」と宣言し、神の御加護を求めて祈りました。

 2003年6月には、スペースシャトル「コロンビア号」の爆発事故で亡くなった宇宙飛行士たちの追悼式が、やはりこの聖堂で、キリスト教典礼に基づいて行われています。

 首都ワシントンの市街地を見下ろす丘の上に建つこの聖堂は、イギリス女王・エリザベス2世を首長とするイギリス国教会の傘下にあり、「祈り、感謝、葬儀などの国家的目的に使用される教会」として建てられました。

 1907年の定礎式で建設を宣言したのは、第26代大統領セオドア・ルーズベルトです。それから65年後の聖堂外陣の完成式典には、エリザベス2世やカンタベリー大司教がはるばる渡米し、参列しています。

 国家的性格を持つ宗教的儀式を斎行する大聖堂の存在や、そうした儀式の開催を政府機関がしばしば依頼し、大統領ら政府関係者が参列することは、アメリカ憲法が定める「国家と教会の分離」原則に抵触しないのか、と疑う人も多いでしょう。

 1791年に追加された合衆国憲法修正第1条は「連邦議会は、国教を樹立し、あるいは信教上の自由な行為を禁止する法律を制定してはならない」と規定しています。それなのにアメリカ政府は、現実にはこの一宗教法人に対して、宗教的儀式の開催を依頼し、直接的な形を避けつつも、儀式に必要な費用を負担しています。

 アメリカの法理ではこれは違憲ではありません。

 カテドラル関係者は、儀式の「宗教性」については、「当然、宗教的です。『追悼』は必ずしも宗教や祈りなどに基づく必要はないが、『祈り』は宗教的行為以外の何ものでもありません」と明言した上で、「『国家と教会の分離』には抵触しない。憲法修正第1条は『祈り』を禁じているわけではない。禁じられているのは、国家が国民に祈りを強制することだ」と語ります。

 祈りは二の次で、できもしない政治と宗教の完全分離、「宗教性の排除」に固執する日本との違いは明らかではありませんか。


▽宗教的伝統に従うアメリカ

 追悼懇は第7回の会合(平成14年11月18日)で、「諸外国の主要な戦没者追悼施設について」という事務局作成の資料を配付しています。

 16カ国の事例の冒頭はアメリカで、アーリントン国立墓地の「無名戦士の墓」「硫黄島記念像」など5つの例が挙げられ、すべて「宗教性なし」と記されていますが、カテドラルについては取り上げていません。

 アメリカは建国の伝統に従い、キリスト教会というまぎれもない宗教的空間で、宗教者も、政治家も、官僚も、国を挙げて、国難に殉じた死者たちのために心からなる祈りを捧げています。そうしたカテドラルの存在を無視したのか、あるいは単に知らないだけなのか、軒並み「宗教性なし」と断定した追悼懇の資料の根拠はどこにあるのでしょうか。

 まさかとは思いますが、追悼懇が「必要だ」と結論づけた新たな国立の追悼施設を「宗教性なし」としたいがための詭弁でしょうか。

 国が関わった戦争で悲運にもたった1つしかない命を失った国民に対して、アメリカは自国の宗教的伝統に従って慰霊の誠を尽くし、その上で、憲法との整合性を図っています。ところが日本政府は、戦後輸入された「政教分離」を金科玉条とし、伝統的な祈りの形としての「宗教性」を排除しようとしています。その姿勢は卑屈にも見えます。

 追悼懇のある委員は、「国のために亡くなった人をどう慰霊するのか。その国の文化と宗教的伝統に従って行われるのが人間文明の当然の選択である。文化・伝統と無関係の『無宗教施設で慰霊を行う』という考え自体、まったく非人間的な革命国家の発想である」と主張した、と記録されています。

 アメリカより古い歴史をもつ日本には、死者に対する作法について、はるかに豊かな固有の文化があります。けれども、日本政府は祖先が築いてきた祈りの歴史と伝統に反する「無宗教」革命を推し進めているかのようです。まるで狂信的無神論者のように、ことさらに「宗教」を否定し、「無宗教」に固執する。逆に、「無宗教」にこだわるあまり、あたかも「無宗教」という宗教の伝道師を演じるという自家撞着に陥っています。あまつさえ「無宗教」の教会まで建設し、「無宗教」を国民に押しつけているのではありませんか。


▽反映されなかった宗教者の意見

 日本政府は「宗教性」と同時に、「宗教者」をも排除しました。

「祈念館を後代にわたった国民の共感と支持が得られる施設とするためには、広く国民の意見を聴くことが重要である」(前掲の「最終報告」)と認識されながら、祈念館設置の検討過程で、宗教関係者に意見を求めることはありませんでした。

 こうした状況に対して、被爆者の慰霊を真剣に考えようとする長崎の宗教関係者は、「たとえば平和公園なら、各宗教がある程度、自由に慰霊のための宗教儀礼が行える。そのように諸宗教に平等に開かれた儀礼ができるようにしてほしい」という主旨の「意見書」を四に提出したが、思いは通じず、関係者は「厚生省の原案で押し切られた」とほぞをかみます。

 一方、長崎祈念館は「特定宗教に便宜が図られている」という見方もあります。「祈念館が採用する黙祷形式、献花方式は許もとキリスト教に由来する。聖書朗読や讃美歌は認められないが、花を捧げ、静かに祈り、十字を切れば、キリスト教儀礼として通用する。祈念館は神道や仏教には違和感のある非宗教空間だが、キリスト者にはなじみやすいといえる」と政教関係に詳しい研究者は指摘します。

 それどころか、追悼空間の「光の柱」こそは、長崎祈念館のキリスト教色そのものを反映している、との指摘もあります。

 旧約聖書では、天地創造に際して、創造主が最初に語った言葉が「光あれ」です。キリスト教の教えでは、「光」は神であり、神の言葉であり、真理です。キリストも福音もキリスト者も「光」です。

 とすると、日本政府は「宗教性の排除」に執着するのみならず、キリスト教ににじり寄っているということになるでしょうか。

 政府のエリート官僚であれ、諮問会議に参加する学識経験者であれ、あるいは名もなき国民であれ、日本人の宗教イメージはどうしても日本的、伝統的にならざるを得ません。したがって「宗教性」の排除は伝統的「宗教」イメージの排除、伝統宗教の排斥につながり、いきおい非伝統的な異国の神にすり寄ることになるのでしょう。長崎祈念館がキリスト教的な新興宗教の臭いがするのは同様の結果でしょうか。

 長崎祈念館は流れ落ちる水、むき出しのコンクリート、ガラス、アルミ材で表現された斬新な現代建築ですが、設計者は地方紙のインタビューで「来観者が、押しつけではなく自然に、祈り、平和を考える雰囲気になるように」「静寂さと緊張感を保てるよう、装飾を極力排除した」と語っています。

 一つの見識には違いありませんが、古来の日本人の祈りの形式にしたがったものとはいえないでしょう。


▽日本人は変わったのか

 日本人の祈りの形式といえば、明治神宮の創建が思い起こされます。

 東京都心に広大な緑のオアシスを提供している明治神宮は、京都の伏見桃山御陵に鎮まる明治天皇の聖徳を追慕する国民の熱い思いが政府を動かし、創建されました。

 東京帝国大学教授で、明治神宮造営局参与の立場で建設の指揮を執った、日本近代建築の巨人・伊東忠太によれば、当時、建築様式に関してはさまざまな意見があったそうです。

 なかにはモダンな大賞の御代に相応しい斬新な様式を創出すべきだ、という革新的な意見もあったといいます。「神社建築の様式は時とともに変遷している。大正の御代において大正の新様式を創り出すのは当然だろう。一切万事現代式に執り行うことが現代の天皇を奉祀するに相応しい道理である」と主張です。

 しかし最終的には「流れ造を適当」とする伊東の意見が採択されました。

 伊東はこう主張しました。「建築様式の変遷は一般論としては正しき事実だが、それは世の中の事情、世人の観念・要求が変わるにより、やむを得ず変ずるのである。世人の神社に対する観念は、古来何ほど変化し来たったか。祭祀の様式を一変せしむるほど、神社に対する新要求をもっているか。余輩の見るところそうではない。わが国民の神に対する観念は古来変わらぬ、といいたい。祭祀の式典も古今大なる相違はないと思う。しからばいかにして神社建築の様式が変わりえようぞ」(『伊東忠太建築文献』第二巻)

 伊東の論理に従えば、日本人の死者に対する観念、慰霊の様式は変わってしまったのでしょうか。民族の歴史とともに培われてきた人の死を悲しみ、悼み、慰霊する独自の伝統を排除して、新たな施設と新たな追悼の形式を作らなければならないほど、日本人は変わってしまったのでしょうか。

 国が原爆死没者に対して、あるいは戦没者に対して、心から「弔意」を表し、「慰霊」「追悼」の誠を捧げることは当然です。そして、日本人が日本人である限り、そこには古来の日本人の「慰霊」「追悼」の心が素直に反映されなければならないでしょう。伝統的日本人の宗教性を軒並み排除し、あまつさえ異国の神にすり寄るかのようにして、長崎祈念館を設置した政府の姿勢は、この国に宗教革命をもたらすものと危惧せざるを得ません。国はさらに「国立の無宗教の恒久的施設」の建設を予定しています。心ある国民はこれを容認するでしょうか。(筆者注。一部に加筆修正があります)
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昭和7年「靖國神社参拝拒否事件」の真相──「政教分離」カトリック教会の論理破綻 [政教分離]

以下は斎藤吉久メールマガジン(2013年11月3日)からの転載です


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 昭和7年「靖國神社参拝拒否事件」の真相
 ──「政教分離」カトリック教会の論理破綻
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 報道によると、今月1日、天皇陛下は皇后陛下とともに、上智大学創立100周年記念式典にお出ましになりました(http://www.47news.jp/CN/201311/CN2013110101002293.html)。

 同大学はカトリック修道会のイエズス会によって設立されました。

 近代以降、日本の皇室はキリスト教の社会事業に深い理解を示され、物心両面で支援してこられ、側近にもカトリックおよびプロテスタントの信仰者がいました。

 けれども、戦後、日本のキリスト教指導者は一転して、強烈な皇室批判や靖国批判を展開するようになりました。

 以下の記事は、戦前の教会が「迫害」を受けていたという主張に対する反批判を試みたものです。昭和7年の「上智大学生靖国神社参拝拒否事件」をきっかけに「迫害」を受け、危機に陥ったというのですが、まったく事実に反しています。

 なお、記事は掲載された宗教専門紙の編集方針に従い、歴史的仮名遣いで書かれています。若干の加筆補正があります。



 昨年(平成17年)十一月に来日したブッシュ米大統領夫妻は、京都での日米首脳会談に先立って、小泉首相とともに、臨済宗・北山鹿苑寺(金閣寺、有馬頼底住職)に参詣した。夫妻は首相に出迎へられたあと、住職の案内で境内を首相と一緒に散策し、金閣の本尊の前で首相から拝礼の作法を伝授され、合掌した、と伝へられる。

 大統領が日本の代表的な社寺を参詣するのは、今回が初めてではない。

 平成十四年の来日では明治神宮を表敬参拝した。ところがこのときは当初、首相も一緒に参拝する案が検討されたものの、一部の反発を恐れて見送られ、外国の元首が日本の伝統的宗教文化の一端に触れる折角の機会にもかかはらず、首相は流鏑馬観覧にのみ同行するといふ失態を演じ、逆に「祭神に対して不敬」「国際儀礼上失礼」との批判を受けた。

▽憲法を盾に神道攻撃

 明治神宮表敬参拝に強硬に反対したのは、キリスト者である。

 たとへばカトリックは、小泉首相に対して、「カトリック正義と平和協議会長・松浦悟郎司教」の名前で「参拝中止」を文書で申し入れた。「憲法が定める信教の自由・政教分離原則に違反する」「宗教を外交の、外交を宗教の手段として利用することは許されない」といふのだが、批判の矛先は、直接は関係のないはずの首相の靖國神社参拝にまで向けられてゐる。

 同じ論理に立つなら、寺院参詣も「憲法違反」になるはずで、キリスト者は「中止」を要求すべきだが、今回の金閣寺参詣には何らの抗議行動も起こされてゐない。キリスト者の論理は首尾一貫してゐない。

 なぜなのか。

 それは反対活動が護憲の政治的信念に発してゐるからではなく、異教を攻撃的に排撃する一神教的の発想から憲法を神道攻撃の道具に利用してゐるからではないのか。

 日本のカトリックはいかなる理由から、いかなる論理で神道を排撃しようといふのか、教会の公文書をひもといてみる。

 たとへば昨年の「戦後六十年」に際して、日本のカトリックは今年元旦まで「平和キャンペーン・今こそいかそう平和の宝」を展開したが、このために日本司教団が発表した「平和メッセージ・非暴力による平和への道」には、「この春(平成十七年春)、とくに中国、韓国では反日運動がこれまでになく激しかった。その背景の一つには日本の歴史認識、首相の靖國神社参拝、憲法改正論議などの問題が挙げられる」などと神道批判、靖國神社批判が繰り広げられてゐる。「憲法の政教分離は天皇を中心とする国家体制が宗教を利用して戦争に邁進したといふ歴史の反省から生まれた」とも述べてゐる。

 メッセージを解説する日本カトリック司教協議会・社会司教協議会編の小冊子によると、カトリックが靖國神社問題などに拘るのは、戦前の「過ち」を忘れられないかららしい。昭和七年の上智大学学生「靖國神社参拝拒否事件」の記憶である。

 言ひ分によれば、日本のカトリックはこの事件をきっかけに軍部と世論による迫害、教会の存亡に関はる危機に陥った、これを回避するために神社参拝は教育上の理由でおこなはれ、敬礼を愛国心と忠誠の表現と公的に理解し、靖國神社の本質的な宗教性に触れず、宗教的参拝を儀礼として容認するといふ過ちを犯した、これをきっかけに教会は参拝を奨励することになり、戦争協力の道を歩んだ──とされる。

▽「迫害」とはほど遠い

 しかしながらこの歴史理解はどこまで正しいのだらうか。

 少なくとも事件の当事者とは認識に大きな隔たりがある。渦中の人であった上智大学の丹羽孝三幹事(学長補佐)の回想によると、事件はおよそ「迫害」とはほど遠いものであった。

 ──第一次大戦後、軍縮の時代が到来し、軍は将校の失業対策として学校の軍事教練のために配属した。上智大学の配属将校は、課外授業は学長の許可を要するといふ規則を破って学生の靖國神社に参拝させた。カトリック信者の学生が非キリスト教形式の拝礼を拒否し、将校が憤激したのを、翌日の新聞は「参拝拒否」「軍部激怒」と書き立てた。しかし文部省は軍に批判的だったし、丹羽幹事と陸相との面談で事態は収拾した。

 ところが数カ月後、事件がぶり返され、「邪教」「売国奴」「スパイ」といふ批判が教会に対して浴びせられる。しかしじつは軍部による政党打倒運動に事件が利用されたのであった。そもそも濡れ衣だったから、支援者は少なくなかった。不穏な動きがあれば、在校生の父兄でカトリック信者の麹町警察署長から情報が伝へられたし、國學院大學や仏教関係の大学の学長が見舞ひにやってきた。軍内部の同情者からも関係する極秘資料が届けられた。そして宮様師団長のお耳に達するところとなり、事件は急速に解決する(『上智大学創立六十周年──未来に向かって』昭和四十八年)。

 苦難の中にある当事者の心中は察するに余りあるが、これは宗教的な「迫害」とはいへまい。

 しかし今日、カトリックは「迫害」を言ひ募って殉教者を装ひ、返す刀で日本の神道を攻撃してゐる。「政教分離」に関する日本のカトリックの論理は破綻してゐる。

 当然、教会の「平和メッセージ」に対して、根本的な疑問を投げかける一般信徒もゐる。

「宗教者の目から見て、一国の指導者が戦歿者に敬意を表し、平和を祈念するのは正義に合致してゐないのか」

「厳格な政教分離解釈を指示すれば、教会は無宗教、無信仰の立場に与することにならないか」

 この真摯な問ひかけに、日本のカトリック教会はどう答へるのか、答へられるのか。

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宗教的な米国の「国家と教会の分離」──日本の「政教分離」は宗教を否定 [政教分離]

以下は斎藤吉久メールマガジン(2013年4月21日)からの転載です


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宗教的な米国の「国家と教会の分離」
──日本の「政教分離」は宗教を否定
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 15日にアメリカのボストンで起きた連続爆弾テロ事件から3日後の18日、事件現場に近い聖十字架大聖堂(ローマ・カトリック)で犠牲者を追悼するミサが行われ、出席したオバマ大統領が「あなた方は再び走るはずだ」と市民らを激励するメッセージを送ったと伝えられます。
https://www.youtube.com/watch?v=9rpHxn00Zr4

 その前日には、イギリス・ロンドンのセントポール大聖堂(イギリス国教会)で、サッチャー元首相の葬儀が営まれ、エリザベス女王をはじめ政府高官、諸外国の代表者が参列しました。
https://www.youtube.com/watch?v=drJoWMn0nlE

 それぞれの国ではそれぞれの宗教伝統に従って、国家的な宗教行事が行われています。

 ところが、日本はそうではありません。

 というわけで、宗教専門紙に平成17年2月に掲載された拙文を転載します。一部に加筆修正があります。本文は同紙の編集方針に従って、歴史的仮名遣いで書かれています。



 なぜこれほどに行政の姿勢が対照的なのか。

 日本政府が採用する厳格な「政教分離」主義は米国の「国家と教会の分離」を源流とする、と一般には考へられてゐる。ところがその米国では「政教分離」主義の厳守どころか、大統領の就任式に宗教家が参列し、牧師が祈りを捧げる。

 一方、日本の公的慰霊式は宗教家も宗教儀礼も排除される。

 米国では自国の宗教伝統を肯定した上で宗教政策が推進されてゐるのに対し、日本ではまるで無神論者のやうに宗教の否定が追求され続けてゐる。


◇ 震災十年で教会音楽を演奏
◇ 非伝統化する公的追悼式


▽「♪ 愛しい御身は」

 阪神淡路大震災から十年。兵庫県はじめ官民合同による追悼式典(主催=同式典委員会)が先日、神戸の県公館などで開かれた。政府関係者や遺族、被災者の参列はもちろんだが、とりわけ天皇皇后両陛下が御参列になり、お言葉や献花を賜ったことは犠牲者の御霊をどれほど慰めたことだらう。

 けれどもその一方で、公的慰霊追悼式典の無宗教化、非伝統化が浮き彫りになった。

 式典ではまづ「献奏曲」と称し、オーケストラによる「G線上のアリア」の演奏が流れた。名曲中の名曲だが、なぜバッハなのか。

 続いて「追悼の灯り」。慰霊・感謝・未来への期待を込めた被災十七市町の灯りを持ち寄り、復興をともに担ってきた五百六十万県民の思ひをこめた灯りとして、両陛下の御臨席のもと、一つに集められたあと、式典会場に運ばれ、遺族代表の手で会場正面の祭壇中央にともされた。

 慰霊と感謝、希望をつなぐ火がともされた祭壇は、兵庫の山並みをイメージしてゐる。杉の葉で成形された山並みの頂上には震源地・淡路島の白いカーネーション二千本が植ゑられてゐる。県土に浮かび上がる希望を意味してゐるといふ。

 けれども犠牲者の御霊が憑りまして、祭祀の対象となる神籬、木牌はない。

 その代はり、犠牲者の名簿が祭壇に安置されてゐる。

 両陛下の御入場後、式典が始まり、国歌斉唱ののち、全員が黙祷し、県知事の式辞、陛下のお言葉、政府代表、遺族の言葉と続いたが、黙祷し、追悼の言葉を述べる目標物は名簿とされる。

 そのあと「一・一七宣言」を挟んで二曲の献唱曲が捧げられた。二曲目はモーツアルトの「アベ・ベルム・コルプス」。誰もが知る名曲だが、「♪いつも愛しい真の御身は処女マリア様からお生まれになりました」と「聖体における神の現存」を簡潔に表現した教会音楽を捧げることは、「政教分離」に牴触しないのか。

 追悼式典の職員によると、「宗教色をいっさい排除」し、「仏教儀式などは採用しなかった」。「アベ・ベルム・コルプスは本来は教会音楽かも知れないが、宗教的な音楽とは考へてゐない」。


▽戦前も宗教性排除

 大正十二年の関東大震災では、「四十九日」に当たる十月十九日に東京府市合同の大追悼式が本所・被服廠跡で行はれてゐる。

 一般常識的には「戦前は宗教と政治が一体化してゐた」との理解が流布してゐるだけに、いはゆる「国家神道」的な慰霊祭が斎行されたと考へる人も少なくなささうだが、事実は逆である。

『東京震災録』(大正十五年、東京市役所発行)などによれば、宗教者の関与も、宗教的な儀礼も排除されてゐた。追悼式は振鈴とともに始まり、軍楽隊の奏楽に続いて、府知事、市長、首相などの追悼文が続き、一同が礼拝するといふきはめて簡素、非宗教的な式典であった。仏教連合会主催の追悼会や全国神道連合会の五十日祭は、これとは別に開かれた。

「宗教儀礼抜き」「国家は宗教に干渉せず」が政府の基本姿勢であったからだが、それでも府市合同の追悼式は、「黒白だんだら」の鯨幕や木牌など伝統的葬送の手法が用ゐられ、府知事の追悼辞には宗教用語が多用されてゐた。

 戦後、独立恢復直後の昭和二十七年に始まった政府主催の全国戦歿者追悼式では当初、祭壇中央に「全国戦歿者之標」と書かれた高さ二間半の檜柱が設けられてゐた。「戦後三十年」の同五十年に白木の標柱の文字は「全国戦歿者之霊」に変はる。政府は「無宗教」儀式と称してゐたが、黙祷し、花を捧げて、戦歿者を拝する霊位の趣旨を明らかにしたのだ。

 しかし平成十四、十五年に広島、長崎に相次いで開館した国立原爆死没者追悼祈念館はまったく異なる。

 死歿者を追悼し、平和について考へるために設けられた広島祈念館の「追悼空間」は円形の空間で、中心にあるのは水盤のモニュメント。祭壇も神籬もない。

 緑色に光る「光の柱」が林立する長崎祈念館の「追悼空間」には献花台があるが、正面には死歿者の名簿を収めた棚が直立する。来館者は名簿棚に向かって手を合はせ、黙祷する。「来館者の妨げ」になるやうな読経、「火気の使用」に当たる焼香は認められてゐない。玉串拝礼は想定されてゐない。「光の柱」をキリスト教的と指摘する声もある。


▽新宗教儀式を創作

 そして今度の大震災十周年追悼式典である。

 県では、県民をあげて犠牲者の御霊に哀悼の誠を捧げることなどを目的に、昨年夏、官民合同の式典委員会(委員長=県知事)を設立した。県や県議会、市長会など立法行政機関のほか、市民団体や商工会議所、労組や婦人会などが名を連ねてゐるが、宗教者は見あたらない。委員会が「政教分離」問題を議論したことはとくにないといふ。

 日本の公的追悼式は、厳格な「政教分離」主義の立場から、当たり前のやうに宗教者の参加を排除し、日本の伝統的な宗教の手法を採用しない姿勢を強めてゐる。その意味では「無宗教」だが、戦前の政府がいづれの既成宗教にも偏しない方針だったのに対して、近年の公的追悼施設や追悼式典はキリスト教文化に傾斜する傾向が見える。

 本来、死歿者を慰霊する行為には広義の宗教性があり、追悼式典が「無宗教」儀式であり得るはずはないが、浅薄にもそれを認めようとしない行政は、日本の宗教伝統を逸脱した新宗教儀式を創作し、あまつさへ異国の神ににじり寄ってゐる。


◇ 「自由の宣教師」ブッシュ
◇ 米大統領二期目の就任式


▽「大統領に聖霊を」

 再選されたブッシュ米大統領の就任式が一月二十日、雪で真っ白に染まった首都ワシントンの連邦議会前特設会場で行はれた。「九・一一」同時テロ後、初の就任式とあって、一万数千人の軍・警察を投入する空前の警備体制が敷かれた半面、米国らしい宗教的雰囲気の中での式典であった。

 就任式に先立って午前九時半、大統領はローラ夫人と双子の娘をともなひ、ホワイトハウスから北に三百メートルのところにある英国国教会の聖ヨハネ教会の礼拝に参列した。百九十年の歴史を持つ同教会は「大統領の教会」として知られる。

 参列は就任式の日の最初の公式行事で、父ブッシュ元大統領や政府高官、支持者らも出席した。説教台に立ったレオン牧師は「選挙で大統領を支持した州か否かにかかはらず、国民を導いてほしい」と訴へた。同牧師はキューバ移民で、大統領の指名で説教を行った。

 正午、いよいよ就任式。歴代大統領や政府高官、家族、十万人の観衆が待ち構へる中、軍楽隊の演奏に先導され、副大統領、大統領の順に威儀を正して会場に入場すると、万雷の拍手がわき起こる。一様に頭を垂れる参列者の前で、前出のレオン師が祈る。「神が大統領らに聖霊のシャワーを与へたまはむことを」。

 やがて法衣をまとったレンキスト連邦最高裁長官が入場する。副大統領に続き、参列者が起立する中、長官の立ち会ひで、ブッシュ大統領は夫人が持つ聖書に左手をおき、右手をあげ、誓ひの言葉を述べた。

「私は合衆国大統領の職務を忠実に遂行し、全力を尽して合衆国憲法を維持、保護、擁護することを厳粛に誓ふ。神よ、我を守り給へ」

 誓ひの言葉は合衆国憲法に定められてゐる。末尾の「神よ、我を守り給へ」は条文にはないが、歴代の大統領が用ゐてきたといふ。誓ひのあと大統領は家族と抱擁を交はす。拍手がわき起こり、二十一発の祝砲が会場に響き渡った。

 続く就任演説で大統領は、建国の理念である「自由」の重要性を何度も繰り返し訴へた。

「わが国の自由の存続は、諸外国での自由の成功にますます依存するやうになった。世界平和を実現する最良の方法は、世界中に自由を拡大することである」との呼びかけは「自由の宣教師」の面目躍如たるものがあるが、大統領は自国と友人を守るためには武力も辞さないとも強調した。

「圧政と絶望の中に生きるすべての人々は知ってゐる。米国は抑圧を黙殺しないし、抑圧者を許しはしないことを。諸君が自由のために立ち上がるなら、我々もともに立ち上がる」。

「自由の戦士」たる大統領の信念はもちろんキリスト教信仰に基づく。「自由が最後に勝利することを確信して、我々は前進する。歴史を動かすのは神であり、歴史は神の意思による選択だ。米国は新世紀の初めにあたり、世界中に、世界中の人々に自由を宣言する」と演説は結ばれてゐる。


▽信仰に基づく信念

 就任式後、伝統ある議事堂内での昼食会は上下両院専属の牧師による祈りに始まり、祈りで終はった。続いて、高校生の鼓笛隊や西部劇スタイルのバンドなどが参加する記念パレードが夕刻までにぎやかに行はれた。夜は舞踏会。同時に十カ所の会場で、夜半過ぎまで開かれた。

 翌二十一日午前には、「全国民の教会」ワシントン・ナショナル・カテドラルで礼拝が行はれ、正副大統領ほか政府関係者らが参列した。

 大統領が心の師と仰ぐ福音派のビリー・グラハム牧師が「我々は神がその本分において二期目の政権を与へたまうたと信ずる。混乱のただ中にあっては清らかで温かな心を、落胆のときには勇気を与へ、そしてつねに神の存在を大統領にお示しください」と祈ったほか、ユダヤ教やキリスト教各派など諸宗教諸宗派による祝福が与へられ、祈りが捧げられた。

「国家と教会の分離」政策が厳守されてゐると一般には考へられてゐる米国だが、自国の宗教伝統に従って国家元首の就任式が行はれてゐる。


◇ ウクライナ新大統領
◇ 聖書に手を置き宣誓

 宗教伝統に基づく国家元首の就任式は、かつて無神論に席捲され、宗教否定の政策が展開されてきた旧東欧・共産圏でも復活してゐる。

 新ロシア派首相との一騎打ちで、やり直し選挙まで行はれるほど激しい大統領選挙に勝利したウクライナの親欧米派ユーシェンコ新大統領の就任式が一月二十三日、同国国会で行はれ、大統領は古い聖書と憲法典に腕をおき、宣誓した。

 聖書はウクライナが独立を保ってゐた一五五〇年代のもので、議場には一六五〇年代にロシアの征服に抵抗した指導者の戦旗も掲げられた。式にはパウエル米国務長官や旧共産圏の七人の大統領などが参列した。

 同国の主な宗教は、東方正教(キリスト教)の一派であるウクライナ正教とウクライナ・カトリック。ウクライナ正教の大部分はモスクワ主教に属するが、一九九一年の独立後、キエフ主教が分離独立した。国民の大半は正教徒を自認するといはれる。
  
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憲法は政府に宗教的無色性を要求していない──小嶋和司教授の政教分離論を読む [政教分離]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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 憲法は政府に宗教的無色性を要求していない
 ──小嶋和司教授の政教分離論を読む
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 私が注目する憲法学者に小嶋和司・東北大学教授がいます。大正13(1924)年に山口県に生まれ、昭和22(1947)年に東大法学部を卒業し、東京都立大学教授を経て、東北大学教授となり、30数冊の著書・共著を残し、62年にこの世を去りました。

 亡くなった翌年から『小嶋和司憲法論集』全3巻が出版されました。3巻目は『憲法解釈の諸問題』で、「いわゆる『政教分離』について──靖国公式参拝問題にふれて」(初出は「ジュリスト」昭和60年11月。小嶋先生が最後に書いた雑誌記事らしい)というエッセイが収録されています。けっして読みやすい文章ではありません。今日はその内容を一部だけ、私なりにかみ砕いてご紹介します。

 先月から数回にわたり、当メルマガは平成の御代替わりを、公的記録に基づいて検証しました。その結果、徹頭徹尾、政教分離がテーマだったことがお分かりいただけたと思います。であればこそ、小嶋先生の文章を読んでみたいと考えます。

 というのも、このエッセイのテーマがずばり、「日本の憲法学では、憲法の『政教分離』は政府活動の宗教的『無色中立』を要求すると説かれることが多い。が、そこに根拠があるのか」という真正面からの問いかけだからです。

 結論的にいえば、憲法は政府の無色中立性を要求していない、と先生は指摘しています。


▽1 憲法は「宗教性」を排除していない

 日本国憲法に関して、「政教分離」が語られるとき、2つの用法がある、と小嶋先生は説明します。1つは憲法20条、89条に記される規定の「総称」として、もう1つは憲法の規定の前提たる法源として、用いられているというのです。

「総称」としての「政教分離」には、政府活動の宗教的「無色」性は見いだせません。

 政府活動に関する規定には次の2つがあります。

「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」(20条3項)

「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」(89条)

 しかし現実には、国立大学で宗教研究・教育が禁止されておらず、(旧)教育基本法(昭和22年)の第9条第1項には「宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない」と定められています。

 つまり、「いかなる宗教的活動もしてはならない」との規定は、「特定の宗教のための宗教的活動をしてはならない」という意味だと解釈すべきだということになります。

 また、89条についても、「いっさい禁止」の意味ではありません。実際、文化財保護法によって、特定の神社・仏閣を国費で修復することは許されています。

 ここで先生のエッセイを離れて、平成の御代替わりを振り返ると、すでにご紹介したように、たとえば昭和天皇の御大喪では、皇室行事の斂葬の儀と国の行事としての大喪の礼が二分されて実施され、大喪の礼では鳥居や大真榊が撤去されました。

 石原信雄内閣官房副長官の著書によれば、分離方式が取られたのは、葬場殿の儀に「宗教色がある」からで、鳥居や大真榊の撤去は、「当時の味村治法制局長官以下、法制局が、『どう考えても鳥居は宗教のシンボルだから、鳥居を置いたまま国事行為を行うわけにはいかない、絶対ダメだ』と主張していたことが原因」でした。

 しかし「政教分離」を「宗教性」の排除の意味とする考え方は、小嶋先生が述べているように、現行憲法の規定からは見いだせません。宮中祭祀が特定の宗教であるはずもありません。当時の政府関係者は別の用法から「政教分離」をとらえていたことになります。


▽2 「政教分離」は憲法の法源ではない

 小嶋先生は、憲法論上、用いられる「政教分離」にはもうひとつの使い方があると指摘します。つまり、現行憲法の規定の前提としての「政教分離」です。現行憲法の規定はその結果に過ぎないと見るのです。

 この立場こそ、憲法は政府活動の宗教的「無色」性をも要求していると見方にほかならず、政教「分離」は絶対的であり、政府活動は「無色中立」であるべきだと説くのです。

 平成の御代替わりにおいて、とくに内閣法制局が凝り固まっていたのがこの立場だと理解されます。

 けれども、と小嶋先生は論を進めます。

 日本国憲法の規定の前提と説明される「政教分離」原則が、じつのところ、憲法の規定を理解する便宜のために、憲法学者たちがあとから登場させたに過ぎないと先生は指摘します。

 最初に主張したのは田上穣治の『憲法学概論』(昭和22年)であり、戦後の憲法学にもっとも大きな影響を与えたとされる宮沢俊義の『憲法』にその論が登場したのは昭和27年版以降である。本来は学問上の概念であって、日本国憲法の法源ではない、と先生は述べています。

 しかも宮沢教授の論理自体、首尾一貫性がないと小嶋先生は指摘します。


▽3 占領政策と同一視すべき理由はない

 小嶋先生は、「政教分離」を「無色中立」的分離の要求と見るための根拠を示す、3つの憲法論があると指摘し、それぞれについて検証しています。

 1つは、憲法の「政教分離」規定を、昭和20年暮れのいわゆる神道指令の「国家と宗教の分離」と同じ意味だとする見方です。制憲議会の政府説明はこの立場でした。

 神道指令は東京駅の門松、注連縄をも撤去させるほど、厳格だったことから、この立場では、政府の宗教的「無色」性を要求します。

 しかし、この解釈は適当でない、と小嶋先生は批判します。

 理由の1つは、神道指令は神社神道からの「分離」の要求であり、他方、憲法はすべての宗教団体に対する「分離」を要求しているからです。

 もうひとつは、憲法解釈を占領政策と同一視しなければならない理由はないし、占領後期になると、占領軍の政策自体が緩和され、貞明皇后の御大喪や参議院議長の公葬が神道形式で行われているからです。


▽4 無信仰、無神論を優遇する宮沢俊義説

 宗教的「無色」性の要求と考える第2の根拠は、宮沢俊義教授の憲法論です。宮沢教授は『日本国憲法』(芦部補訂版)に次のように書いています。

「国家がある特定の宗教をとくに優遇することは、それ以外の宗教を抑える結果になるが、国家がすべての宗教を等しく優遇することも、国家がそれによって無宗教の自由を抑える結果になる点で、やはり宗教の自由に反すると考えられる」

 これに対して小嶋先生は、優遇がたとえ不平等であったとしても、他の自由を抑えることになるのか、と疑問を投げかけます。宮沢説は「宗教を信じない人々を、信じる人々の上に prefer するもの」であり、「信教の自由」を保障する憲法解釈に持ち込むべき立場ではないというのです。

 この宮沢説こそ、平成の御代替わりに大きく影響を与え、国の行事から宗教性を取り除くという言説を振りまくことによって、無宗教・非宗教主義を援助、助長、促進し、宗教を圧迫し、干渉したのではないでしょうか。

 無神論者を自認する富田朝彦長官の時代に、職員の宮中祭祀離れが起きたことがあらためて想起されます。


▽5 徹底した政教分離は国民生活を脅かす

 第3の根拠は、「中立」性のみの要求よりも、「無色中立」の要求とする方が抜本的な解決になる、という立場です。

 しかし、小嶋先生は、虫歯の治療・予防に抜歯するようなもの、と批判します。実生活に不当を強いることになるというのです。

 責任をもって法律を解釈するためには教条を排し、具体的に考える必要がある、と先生は説き、刑法などの条文を例示します。

 すなわち、刑法は、神社・仏閣、墓所などに不敬を働いたものに対して、懲役刑を科すことを定め、国税徴収法・強制執行法は仏像や位牌などの差し押さえを禁止しています。

 憲法は「信教の自由」を保障し、宗教を悪とはしていない、と述べて、先生は、殉職した警察官の慰霊は「宗教だから」と行うべきではないのか、地方公共団体が火葬場や霊園を運営するのは違憲なのか、地蔵や庚申塚が公有地の片隅に置かれるのを容認しないほど憲法は宗教に不寛容なのか、それならキリシタン顕彰碑の設置も違憲ではないか、神社仏閣の祭礼のために交通規制することも問題ではないのか、と畳みかけます。

 そして先生は、純粋で徹底的な「政教分離」要求が国民の適切な社会生活を確保するとは考えがたいと強調します。

 平成の御代替わりで最大の論点となったのは大嘗祭で、政府の準備委員会は、「趣旨・形式などからして、宗教上の儀式としての性格を有すると見られることは否定することができず、また、その態様においても、国がその内容に立ち入ることは馴染まない性格の儀式であるから、大嘗祭を国事行為として行うことは困難である」として、皇室の行事として位置づけたのでした。

 けれども、大嘗祭を国の行事として行ったからといって、実際問題として、他の宗教を具体的に圧迫・干渉することにはならないでしょう。宮中祭祀は国民的共存、国民統合の儀礼であり、むしろ政府の宗教性忌避策は、信教の自由を認める憲法に完全に反して、国家の無宗教化、非宗教化を進めることになったのではないかと恐れます。

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宗教性を否定することが憲法の精神か──「白山比め神社訴訟」最高裁判決を批判する [政教分離]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2010年8月20日)からの転載です


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宗教性を否定することが憲法の精神か
──「白山比め神社訴訟」最高裁判決を批判する
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 先月下旬、最高裁は政教関係に関する、きわめて注目すべき、重要な判決を示しました。市長が神社の式年大祭の奉賛会に出席し、祝辞を述べたことが憲法の政教分離原則に反するかどうか、が争われた白山比め(口偏に羊、しらやまひめ)神社訴訟についての逆転合憲判決でした。

 合憲とした判断は当然だと思いますが、あたかも宗教性を否定するかのようなその論理にはかえって問題があるように思います。憲法はけっして宗教を否定してはいないからです。日本の宗教伝統に対する十分な理解を欠き、非宗教を推進するかのような判事たちの判断は弊害を生みかねないと私は考えます。


◇1 完全分離主義に立つ高裁判決

 問題とされた白山比め神社は、石川県の南部、白山市(旧鶴来町)に鎮座(ちんざ)します。加賀一ノ宮で、同時に、全国に3000社あまりあるといわれる白山神社の総本社ですから、知らない人はいません。霊峰白山を神体山とし、「石川県に世界遺産を」という世界遺産登録運動の中心の1つです。

 一昨年は御鎮座2100年というお祝いの年で、秋には50年に一度という大祭が予定されていました。そのため奉賛会が組織され、役員となった市長は5年前、市内ホールで開かれた奉賛会発会式に出席し、祝辞を述べたのです。

 これが政治と宗教(教会)の分離を定めた憲法の政教分離原則に反するとして住民が訴え、支出された1万6000円弱の公費の返還を求めたのが、そもそもの発端です。

 一審は原告の請求を棄却。しかし、これを不服とする住民が控訴、二審の名古屋高裁金沢支部は「市長の行為は、神社の大祭を奉賛・賛助する意義・目的を有し、特定の宗教団体に対して援助・助長・促進する効果を有するものといえる」と一審判決をくつがえす違憲判決を示しました。

 市長側は、「全国的に有名な神社の大祭は市の観光イベントでもあり、市長の参加は儀礼的行為」と主張しましたが、認められなかったと伝えられます。

 これまで指摘してきたように、二審判決はじつに怪しげです。それは次のような点からです。

(1)市長の祝辞の中身には触れず、市長の外形的行為についてのみ法的判断を下したこと。

(2)表向きはいわゆる目的・効果論に立ち、ゆるやかな分離主義を採用しているはずなのに、実際には宗教との関わりをいっさい認めない絶対分離主義の立場をとっていること。これでは市長は神社であれ、お寺であれ、およそ宗教団体と名のつくところとは交際ができなくなり、無宗教を掲げつつ、非宗教を援助・助長・促進することになること。

(3)神社の年祭は宗教活動で、これに伴う奉賛会活動に行政機関が参加することが憲法違反だとするならば、神社以外の記念行事などに行政が関わっていることも違憲となるが、そのような議論は聞いたことがなく、神社については厳格主義が採られ、他の宗教には限定主義が採られるというダブルスタンダードが促進されること。

 それなら、最高裁判決はどうだったのか。


◇2 市長の言い分を大きく認めた最高裁

 最高裁判決が注目されるのは、二審判決が認めなかった市長側の言い分を大きく認め、その結果、政治の宗教の分離による信教の自由の確保ではなく、かえって政治による非宗教の援助、助長、促進に走っていることです。

 つまり、二審では、事実関係として、宗教法人である神社の所在する白山周辺地域については、観光資源の保護開発、観光施設の整備を目的とする財団法人が設けられていることまでは認めたものの、市長が奉賛会発会式に出席し、祝辞を述べたことは、社会的儀礼化しているとは考えられないし、神社の大祭が観光イベントだとする市長側の主張は当たらないと退け、違憲判決を下しました。

 けれども最高裁は逆に、市長の行為が宗教との関わりがあることは否定しがたい、としながらも、同神社は観光資源としての側面があり、神社の大祭は観光上重要な行事であったというべきだとして、市長側の言い分を認めたのです。

 言い換えると、最高裁判決は、神社にとっては宗教的行事であっても、行政にとっては観光行事だと認められる。そのことにおいて、政治と宗教の分離が達成されている、という論理を展開したのです。市長は観光業者のトップセールスマンであり、神社のイベントは市長には観光業促進の商材に過ぎないから違憲ではない、というわけです。

 実際、最高裁が注目したのは、問題の奉賛会発会式が、(1)神社以外の一般施設で開かれた、(2)式次第に宗教的要素は認められない、(3)市長あいさつの内容は儀礼的で、宗教性はなかった、という事実でした。

 そのうえで、最高裁判決は、地元の観光振興に尽力すべき立場の市長が、宗教性のない儀礼的目的で出席し、祝辞を述べたのであって、特定の宗教を援助、助長、促進するような効果を持たない。だから憲法に違反しない、と結論づけたのです。

 市長あいさつの中身すら検討しなかった二審判決の怪しげさを克服した点では評価されます。実際、この判決を社会的常識にかなった妥当な判決だと評価する人もいるのですが、私は違うと考えています。

 その理由は、くり返しになりますが、(1)行政にとっての神社を観光資源だときわめて限定的に考えていること、(2)宗教性を否定することによって、政教分離原則を実現しようとすることは逆に、宗教の価値を認め、信教の自由を保障するという憲法の大原則に反すること、です。


◇3 観光資源と割り切れない

 第1に、白山比め神社が「宗教法人」であると認めている点では二審判決も最高裁判決も変わりません。

 当たり前のことで、たしかに宗教法人法上の宗教法人であることは間違いないのですが、同神社が2000年を超えて、この地にあるということは、「宗教法人」であることより、もっと広い意味があります。

 それがまさに日本の宗教伝統であるはずなのに、判決は、あるいは市長たちは、行政にとっての同社をもっぱら観光資源と割り切っている。そのことは祖先が築いてきた日本の宗教伝統の歴史に反することになると思います。

 白山比め神社は日本三大名山の一つとされる白山を女性神と仰いでいます。4県にまたがる火山はこの一帯の最高峰で、自然の宝庫です。2000年どころか、縄文時代以前にまでさかのぼるような地域の素朴な自然信仰が、やがて神社として発展していったことを十分にうかがわせます。

 戦後は一帯が国立公園になりましたが、同社の奥宮はむかしもいまも白山の頂上に鎮座しています。美しい景観、豊かな自然資源、人々の命の源であり、心の豊かさと尊い命を育んでくれる白山であればこそ、さまざまな信仰として発展を遂げたことは明らかです。現在の宗教法人としての神社はその結果です。

 そのような地域の歴史と文化に敬意を表して、地域住民の代表として、奉賛会設立に参加するというのなら理解できますが、観光業のセールスのため、端的にいえば、お金になるから参画するというのは、地域の歴史と文化をあまりに軽視している姿勢だといえませんか? 行政は白山の世界遺産登録運動を推進していますが、これまた地元観光業促進のためだというなら、了見が狭すぎて、見識を疑わざるを得ません。


◇4 法の番人が行う違憲行為

 第2に、最高裁は、奉賛会発会式の開催場所や式次第、市長あいさつの中身が非宗教的であり、儀礼の範囲にとどまることをもって、合憲だと認めていますが、逆にいえば、会場が境内の神社会館で、神社の祭祀にのっとっていたなら、違憲だと判断したのでしょうか?

 もしそうだとしたら、二審判決と同レベルになります。東京都慰霊堂での戦没者等の慰霊法要や旧水沢市のキリシタン領主祈願祭など、とくに仏教やキリスト教の宗教形式で行われている記念行事に公共団体の首長が参加しているケースは多々ありますから、影響は少なくありません。

 逆に、それらを不問に付して、神社の行事についてのみ問題視すれば、法の下の平等に反することになります。たとえば、全国の神社にはしばしば会館があり、主要な行事が行われますが、市長などの参加を求めるような行事は、会館を使用できない。神社の祭りの形式はとれない、というようなことになると、混乱は免れません。

 いずれにせよ、憲法は宗教の価値を認めているはずなのに、法の番人は宗教性というものを、とりわけ日本の宗教伝統である神道の宗教性について、まるで腫れ物に触るかのように避けている。私にはそのように見えて仕方がありません。

 そもそも日本の宗教伝統とはなにか、を歴史学的に深く解明し直さないかぎり、以上のような無用の混乱は続くのでしょう。そして、憲法が認めているはずもない行政による非宗教政策を、司法当局が援助、助長、促進することになります。つまり、司法自身が憲法に反する行為を行うことになります。


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絶対分離主義は誤っている、ほか [政教分離]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年12月26日水曜日)からの転載です


〈〈 本日の気になるニュース 〉〉


1、「ニュース、イザ!」12月25日、「首相の伊勢神宮参拝、どうして?」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/112029/

福田首相が1月4日に恒例のお伊勢参りをするようです。

今村記者の記事は歴史をふり返り、その意義を見出そうとしていますが、紙幅上の理由からか、戦前の歴史にまでは踏み込んでいません。私もくわしいことは調べていないので、正確なところは分かりませんが、昭和20年9月の東久邇首相で途絶え、30年1月に復活というからには、戦前は恒例の参宮となっていたのでしょう。

もっと歴史をさかのぼるなら、2000年前のご鎮座の歴史にまでふり返らないといけませんが、記事にある官邸の説明のように「太陽の神様」云々という説明では、異論が聞こえてきそうです。『日本書紀』には大神が「天下(あめのした)の主者(きみたるもの)」として誕生されたと記述されており、皇祖神以外の何ものでもない、という議論があるからです。

難しい神学的な話はおくとして、神宮といえば私幣禁断(しへいきんだん)の社といわれ、もともとは一般国民のお詣りを認めないところだったようです。それでも江戸時代後半になると、じつに年間数十万の人々が全国からやってきました。百人に1人という計算でしょうか。

伊勢参宮を名目にすれば関所手形の申請を役所は拒否できなかったので、庶民は、産経と称して、もとい、参詣と称して諸国を物見遊山したのだといわれます。

▼政教分離問題は占領後期に解決済み

今村記者の記事では、戦後、昭和30年になって首相の年頭参宮が復活したとなっており、あたかも独立後まで復活できなかったようにも読めますが、そうではないでしょう。

終戦の年の暮れ、神道指令が出され、「宗教の国家からの分離」が図られました。被占領国の宗教に干渉することは明らかな戦時国際法違反でしたが、あえて国際法に違反してまで干渉しようとした背景には、「国家神道」を「軍国主義・超国家主義」の源泉と見る誤解があったようです。

そのGHQも誤解が解かれたからなのか、占領後期になると、「宗教と教会の分離」ではなく、「宗教教団と国家との分離」(教会と国家の分離)に解釈をあらため、昭和24年には松平参議院議長の参議院葬が神式で行われ、26年には吉田首相の靖国神社参拝も認められています。

その意味では、30年の首相の年頭参宮復活は遅きに失したといえるかも知れませんし、政教分離問題はすでに解決されているというべきです。

しかし今村記者が触れているように、きわめてわずかながら、首相の参宮を「憲法が厳格に定める政教分離の原則から見て、問題なしとしない。政府による特定宗教の特別視につながる懸念がある」という指摘があります。たとえば共産党の赤旗は昨年そのような記事を掲載しています。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-01-04/2006010402_04_1.html
 
赤旗の記事は、「伊勢神宮は、天皇家の祖先神・天照大神を祭る宗教団体で、戦前、国家神道の頂点として、国民に対する思想統制の中核的役割を担い、靖国神社とともに侵略戦争遂行の精神的支柱となった歴史を持つ。憲法が定める信教の自由や政教分離原則は、国家神道が国民の思想統制の柱とされたことへの反省に基礎を置くもので、首相の伊勢参拝を、一般市民の“初もうで”のように「慣例行事」としてすますわけにはいかない」と主張しています。

これにはいくつか誤解があるようです。

▼明らかな論理矛盾

まず神宮は「天皇家の祖先神」をまつっている、つまりある私的な家系の祖先崇拝の神社だというのではありません。国家的歴史的性格が見逃されています。また、神宮はもともと私幣禁断の社であって、首相の参宮は公人としての表敬であり、信仰の表明とはいえません。だからこそクリスチャンの太平首相も参宮したのだろうと思います。

第2に、神宮が靖国神社とともに侵略戦争の精神的支柱だとすれば、これは断じて許し難いことです。GHQも心底そのように理解していたようで、靖国神社の焼却処分まで議論されたのでしたが、やがて誤解は解けたからこそ、首相参拝も認められているのではないでしょうか。

第3に、憲法が厳格な政教分離主義、言い換えれば絶対分離主義に立っているというのは誤りでしょう。GHQで宗教政策を担当したウッダードは、厳格な分離主義の本家本元と考えられているアメリカの政策を引き合いにして、「アメリカの世論は非宗教主義に終わる可能性のある政策を支持しないだろう。アメリカでは明らかに宗教と国家とのあいだに密接な関連がある」と述べています。

人間は宗教的存在であり、憲法は宗教を悪とは考えていないはずです。共産党自身、たとえば、16年1月、党大会で開会挨拶に立った不破議長は前大会以降の党員物故者追悼の黙祷を参加者に求めたと伝えられます。中国では「抗日戦争勝利・反ファシズム戦争勝利60年」の2005年、盧溝橋の抗日戦争記念館改装オープンの記念式典で、共産党・政府関係者らは戦争犠牲者に黙祷を捧げたといわれます。無神論者といわれる人たちも宗教的心理を持っています。

もしそれでも、国家は宗教的に無色中立であるべきだと信じ、絶対的分離主義を絶対的に主張されるのなら、靖国神社や伊勢の神宮だけでなく、小泉首相とブッシュ大統領による金閣寺参詣も問題にされなければならないでしょう。長崎県による教会群の世界遺産登録運動も取りやめなければなりません。

そうではなしに、特定の宗教のみ「分離」されなければならない、と主張することは、逆に、特定の宗教を特別視することになり、明らかな矛盾です。


2、「長崎新聞」12月25日、「宗教超え座禅組み、神父の詩編拝聴。厳かにクラシック演奏も」
http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20071225/07.shtml

 南島原市口之津はその昔、長崎と並ぶキリスト教伝道の拠点といわれ、海岸の砂丘からキリシタン墓碑が発見されています。
http://www.city.minamishimabara.lg.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1142061166976&SiteID=0&ParentGenre=1000000000046

 記事に出てくる玉峰寺は永平寺を大本山とする曹洞宗のお寺のようですが、キリシタン時代には教会があったところともいわれます。

 そのような土地柄だからなのか、お寺の付属幼稚園はスペイン・アンダルシア地方を思わせるデザインの園舎で、正面にはステンドグラスもあります。12月にはクリスマス会も行われるようです。

 記事によると、この日、お寺の本堂では座禅とピアノ演奏、カトリック神父の詩編朗読が行われ、市内外から詰めかけた市民は厳かな雰囲気に浸ったのでした。

 一言いえば、記事は「宗教を超え」と書いていますが、これこそ宗教であり、古来、多宗教的、多神教的文明を築いてきた日本なればこそのニュースといえます。


2、「救う会全国協議会ニュース」12月26日、「福田政権で日朝国交正常化? 自民党朝鮮半島問題小委員会発足」

 救う会事務局長の平田さんが、「政府の対北朝鮮外交をバックアップする」という小委員会が自民党外交部会内に設置されたことを取り上げ、なぜいま正常化を議論するのか理解できない、と述べています。

 報道では、北とのパイプを持つ山崎拓前副総裁の主導で設置されたといわれ、山崎氏は18日の初会合で、「党側にもバックアップして欲しい、という首相の意向がある。正常化交渉を福田政権のあいだに達成したい」と挨拶したようです。
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/ntok0001/list/200712/CK2007122302074499.html


3、「Reuters」12月25日、「イスラム聖職者団体、異例のクリスマス・メッセージ」
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-29509920071225

 キリスト教世界に対話を呼びかけているイスラム教各派の聖職者が、呼びかけに応じてくれたことへの謝辞を述べているようです。


 以上、本日の気になるニュースでした。
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