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「竹島の日」制定と「慰安婦歴史観」開館 ──「日韓友情年」に不信と対立が増す皮肉 [慰安婦問題]

以下は斎藤吉久メールマガジン(2013年5月5日)からの転載です


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「竹島の日」制定と「慰安婦歴史観」開館
──「日韓友情年」に不信と対立が増す皮肉
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 報道によると、一昨日、日米関係をテーマとするシンポジウムがワシントンで開かれ、これに出席したシーファー前駐日大使は、安倍内閣の閣僚らが靖国神社を参拝したことについては、「国家に命をささげた人々に敬意を表したいという気持ちは分かる」と理解を示した一方で、従軍慰安婦問題に関しては「正当化できる理由はない」と述べたといわれます。

 けれども、前大使は何を事実と考えて、そのように判断したのでしょうか?

 というわけで、慰安婦問題について書いた、2本の拙文を転載します。

 1本は、平成17年4年に宗教専門紙に掲載された記事を一部、加筆修正したものです。この年は日韓国交正常化40年の記念すべき年でしたが、現実には今日と同様、両国関係は竹島と慰安婦で大揺れに揺れていました。

 それでは本文です。



 日韓両国政府は「国交正常化40年」の今年(平成17年)を「友情年」と位置づけ、多角的な交流を推進しています。ところが、3月下旬、島根県議会が「竹島の日」を制定したことから、韓国側は日本の国旗を焼くなど猛反発しました。これではもう「友情」どころではありません。

 火種はもっぱら日本かといえば、そうではありません。折しも第2次大戦「終戦60年」で、韓国ではおよそ友好的ではない「独立60年」記念事業が進行しています。

 たとえば、「独立運動が開始された日」の3月1日には、女性省がインターネット上に「日本軍慰安婦サイバー歴史館」(http://www.hermuseum.go.kr/ 韓国語。現在は英語のページもある)を開設しました。目的は「独立60年を機に、日本の悪行に対する韓国人の認識を促進するため」だそうで、これでは不振と対立が激化するのは当然です。


◇1「日本大使館に抗議を」とアニメで教える「子供教室」

「歴史館」のサイトを開くと、木立に囲まれた建物群が立体的に浮かび上がります。「掲示板」「資料室」「運動館」などと並んで、「慰安婦を簡単に学べる」と注釈のついた「子供歴史教室」まであります。「教室」をクリックすると新しいウインドウが開き、中央のスクリーンに元慰安婦のお婆さん(ハルモニ)と女の子がアニメーションで登場します。

 メニューから「慰安婦とは」を選ぶと、お腹の大きな女性たちや「身も心も捧ぐ大和撫子のサービス」と墨書された慰安所の正門などがスライドで次々に現れるかたわらで、ハルモニが女の子に「慰安婦というのはね、日本が引き起こした戦争で日本軍に従軍し、性の奴隷になった女性たちを指すのよ」などと、お婆ちゃん言葉で説明します。

 いわく、日本は朝鮮侵略では足りず、アジア全域から太平洋地域まで侵略した。慰安所は1930年代初めから陸軍、海軍、空軍全体に設置された。占領地域では強姦事件が多発し、反日感情が高まった。不祥事と性病の発生を防ぎ、あわせて軍人の士気昂揚のため慰安所が設けられた。ある軍医官は慰安婦を「天皇からの賜り物」と表現している。11歳の少女から30歳を超えた、あらゆる年代の女性が動員された。過酷な毎日だった。工場で働くとだまして連れて行かれた──。

 日本軍に「空軍」があったとは初耳ですが、それはともかくも、嘘であざむいて女性をさらい、自由のない慰安所に押し込め、慰みものにしたという残虐なイメージを、韓国政府は子供にまで植え付けようとしているかに見えます。

「子供教室」の「問題解決のために」のページでは、元慰安婦は、「歴史を真摯に学」び、「誤った歴史をただす」ことを主張しているだけでなく、関心の薄い国会に投書することや、元慰安婦たちが10年前から続けている毎週水曜日の日本大使館に対する抗議行動への参加を呼びかけ、さらには「豚の貯金箱に毎日100ウォンずつ入れれば、月3000ウォン貯まる」と博物館建設の募金活動への協力を訴えています。

「歴史館」は韓国政府による「反日」教育施設であるばかりでなく、「反日」活動の拠点といえます。

「歴史館」では、元慰安婦の顔写真や証言のほか、裁判記録や学術論文、関係図書、新聞資料、映像資料などが閲覧できます。

 けれども、なかには掲載意図が理解できないものもあります。

 たとえば、昭和12年に上海派遣軍野戦郵便長として従軍した佐々木元勝の『野戦郵便旗』は郵便局近くにあった「上海寮、皇軍将兵慰安所」に言及しているのですが、「ここは半島人(朝鮮人)が営業していた」とあります。

「日本の悪行に対する認識の促進」が目的のはずの「歴史館」が、図らずも「朝鮮人自身の悪行」を暴露しています。

 映像資料には、日本政府に謝罪と補償を要求する圧力団体の総本山といわれる挺身隊問題対策協議会が制作したドラマも含まれています。

 このほか、元慰安婦を原告とし、北朝鮮工作員とされる人物が検事役を務め、弁護人不在のまま、昭和天皇を「人道に対する罪」「強姦罪」などで「有罪」とした「2000年女性国際戦犯法廷」の判決資料なども提供されています。

 一見、豊富な資料を集める「資料室」ですが、慰安婦問題を客観的資料と証言で総合的に検証した第一級の研究書である、秦郁彦・日本大学教授の『慰安婦と戦場の性』などは見当たりません。

 表向きは「IT先進国」ならではの巧緻な「サイバー歴史館」ですが、その内容は一面的で公平性に欠けるといわざるを得ません。結果として、仮想空間内で相互不信が肥大化していくのは避けられません。


◇2 なぜ宮沢首相は「謝罪」したのか。誤った「政治判断」のツケ

 慰安婦問題の発端は、韓国ではなく日本だ、と指摘されています。

「真珠湾50周年」の平成3年暮れ、元慰安婦などが日本政府を相手どり、計7億円の損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こしました。「青春を返して」。名乗りを上げた元慰安婦第1号・金学順さんの涙の訴えは、多くの日本人の同情を誘いました。

 けれども、家庭の貧困から身売りされたのが転落の人生の始まりだった、という重大な事実は、このときは伏せられていました。訴訟の原告は日本人運動家らがわざわざ訪韓して捜し出し、裁判費用も日本側が提供していたといわれます。

「加害者」の日本人が、「被害者」の韓国人の痛みを代弁して訴える「ゆがんだ構図」と指摘されています。

 もともと勝訴の見込みはありませんでした。

 というのも、40年前、日韓両国は基本条約の締結と同時に、「日韓請求権並びに経済協力協定」を結びました。日本が無償協力3億ドル、円有償協力2億ドル、民間借款3億ドルという、当時の韓国の国家予算をはるかに上回る経済協力をする代わりに、韓国は国および国民の請求権を放棄し、「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認」したからです。

 韓国政府は経済協力金の一部を召集・徴用で命を失った国民に補償金として支払いました。誰に戦後補償を実施するかは政府の裁量権の範囲であり、元慰安婦が補償の対象とならなかったとしても、訴えるべき相手は韓国政府でなければなりません。

 このため日本政府は「解決済み」との姿勢でしたが、慰安婦に肩入れするマスコミは違っていました。翌4年1月、朝日新聞は、吉見義明・中央大学教授が防衛庁の図書館で「軍関与を示す資料」を「発見」した、という「特ダネ」を掲載し、事態は一転します。

「資料」は「日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監督、統制していたことを示す通達類や陣中日誌」ですが、じつは研究者の間では周知で、しかもその内容は官憲による「強制連行」を裏付けるのではなく、「慰安婦を募集する際、業者などがトラブルを起こして警察沙汰になるなどしたため……募集に当たっては、派遣軍が統制し、社会問題上遺漏なきよう配慮……するよう指示」したものでした。

 軍・警察は業者による「強制連行」をやめさせようとしていたのです。

 しかし「挺身隊の名で強制連行した」と用語解説し、「軍関与は明々白々。謝罪はもとより補償すべき」という吉見教授のコメントが載る1面トップの「スクープ」は、大反響を呼びます。

 韓国マスコミは制度的にまったく異なる「挺身隊」と「慰安婦」を混同し、「小学生までが女子挺身隊に動員された」と報道して「反日」をあおり、韓国民の怒りに油を注いだのです。挺身隊の名目で慰安婦にされた事例は見つかっていないのに、です。

 感情むき出しの外圧に屈して、加藤紘一内閣官房長官は「関与は否定できない」と談話を発表し、宮沢喜一首相は、抗議デモが荒れ狂う韓国で、何度も「謝罪」しました。

 首相訪韓は以前から予定され、北朝鮮の核武装や南北統一問題を協議するはずでしたが、本題はすっかりかすんでしまいます。

 同年7月、加藤長官は「政府は関与したが、強制連行を裏付ける資料はなかった」と報告しました。

 他方、同じ時期に韓国政府がまとめた報告書は「黒人奴隷狩りのような手法で」と表現しました。根拠とされる吉田清治『私の戦争犯罪』には「済州島で軍の協力により、1週間で205人の女性を強制連行した」とありますが、地元紙や秦郁彦教授の現地調査によってでっち上げであることが証明されています。

 宮沢首相は真相究明も不十分なまま、簡単に「謝罪」してしまったことになります。

 翌5年の終戦記念日を前に、宮沢内閣はふたたび調査結果を公表し、河野洋平官房長官は「官憲による強制連行」を事実として認めてしまいます。

 けれども、これは石原信雄官房副長官が「根拠は元慰安婦の証言しかない。『強制連行がなかった』とすると韓国世論を抑えられない。賠償は要求しないから『あった』ということにしてほしい、と依頼され、政治的に認めた」と証言し、政治的産物であったことが知られています。

 この日、宮沢内閣は総辞職するのですが、誤った外交取引は今日まで禍根を残すことになりました。

「慰安婦」は事実認識の誤りが正されることなく、日韓の教科書に記述され、国際社会に浸透していきました。国連人権委員会のクマラスワミ報告書は十分な歴史検証を怠ったまま、「日本政府は法的責任を認めよ」と迫っています。

 戦争中、日本軍が慰安婦を連れていたことは歴史的事実で、否定する研究者はいないといいます。

 売春は「世界最古の職業」であり、軍隊用の慰安婦も歴史とともに古い。戦地の慰安所で働くからには「軍の関与」は当然です。戦前は売買春は合法で、大戦中の日本をことさら犯罪的と断じることはできないし、「性の奴隷」と一方的に断定することもできません。

 陸軍大将の2倍稼ぐ慰安婦もいるほどでしたから、数カ月で前借金を返済し、自由の身になる者もいました。それでも「商売」をやめなかった、といわれます。

 慰安婦と将兵との心情的交流や恋愛話はしばしば元慰安婦自身が伝えています。両者の間には連帯感さえあり、日本軍関係者は慰安婦を「戦友」と呼びます。

 先の大戦で朝鮮が日本と戦争した事実はなく、朝鮮および朝鮮人は大東亜戦争をともに戦う最大の協力者であり、慰安婦も同様です。慰安婦出身の女兵伝説すらあります。

 けれども反日色を強める当世の韓国では対日協力者=売国奴で、であればこそ、慰安婦たちは生き延びるために「被害者」を演じ続けざるを得ないということでしょうか。

「社会の公器」たるべき大新聞の責任も問われています。

 元慰安婦第一号の名乗りを「スクープ」した朝日新聞記者は個人補償請求裁判の原告側代表者と姻戚関係にあるといいます。「軍関与資料発見」の記事は宮沢訪韓にタイミングを合わせたものといわれます。

 2000年女性国際戦犯法廷は元朝日新聞記者が代表を務める女性団体などの主催で、のちに、政治家の介入の有無をめぐって朝日新聞とNHKが真っ向から対立した「NHK番組改変問題」の要因ともなりましたが、突然の記者会見で政治的圧力をかける、いつもの手法が繰り返されている、といえば、うがった見方になるでしょうか。


◇3「心からの謝罪と賠償を」と韓国大統領が「正常化」を否定

「慰安婦サイバー歴史館」が開館したのと同じ3月1日、韓国の盧武鉉大統領は「3・1独立運動」記念式典で演説し、「日本は過去の過ちに対して、心からの謝罪と賠償をしなければならない」と強く主張しました。

 高野紀元駐韓大使の「竹島は日本領」発言や島根県議会の「竹島の日」制定の動きなどを牽制しながら、「日帝」期の「強制徴用」に言及し、「これまで政府は解決の努力を欠いていた。国交正常化は不可欠だったが、被害者個人の賠償請求権を処理すべきではなかった」と朴正煕政権下での正常化を批判しました。

 朴政権下、日韓条約に基づく経済協力金は経済建設に投入され、「漢江の奇跡」とよばれる経済発展の基礎が築かれたほか、一部は国民への補償に充てられました。

「解決済み」の請求権問題を持ち出した盧大統領の「謝罪と賠償」要求は、前年夏の首脳会談で「任期中は歴史問題を提起しない」と述べた大統領自身の約束を反故にしたばかりか、主権国家同士が結んだ正常化の枠組みを公的立場で否定したことになります。

 日本政府はちょうど10年前、元慰安婦に対する国民的な「償い」に取り組むアジア女性基金を設立し、「償い事業」を実施しました。韓国側は当初は肯定的態度でしたが、やがて否定的評価に変わっていきました。

 女性基金に問題がないわけではありませんが、日本側の問題解決の努力を蔑ろにし、日本糾弾自体を目的としたかのような今回の歴史館開館および大統領演説は、「国交正常化40周年」の今年を「日韓友情年」と位置づけ、「未来志向」的に多角的交流を推進する両政府合意の趣旨に反していないでしょうか。

 大統領はさらに北朝鮮の拉致問題に言及し、「日帝時代に従軍慰安婦として強制徴用された韓国人被害者の苦しみを日本人も理解すべきだ」と述べましたが、韓国風に表現すれば、これこそ「歴史の歪曲」といえます。「慰安婦」が「強制徴用」されたという史実はないし、「慰安婦」問題と「拉致」問題を同次元で論ずるべきでもありません。

 大統領は演説の中で、国交回復40周年の今年、「二国間協力によって北東アジアの時代を切り開くために誠実を基礎とした親しい隣国として生まれ変わる必要性を強調した」と伝えられますが、「誠実」が求められるのは日本なのでしょうか。

 大統領は「過去の真実の究明」を主張しますが、誰がそうすべきかは「サイバー歴史館」の設立とその内容から明らかです。3月1日の大統領発言が過激なのは毎年のことで、あくまで「国内向け」との見方もありますが、それではすまされないでしょう。

 新たな事態も生まれています。

 日本では、野党議員らが国家の責任を明確にする法案を参議院に再提出しました。国際的な女性団体が夏に向けて、日本の謝罪と補償を求める100万人署名、慰安婦博物館建設運動を展開する動きも伝えられます。署名は国連に提出されるといいます。

 韓国では、日本の歴史教科書検定に対する反発もにわかに強まっています。

 韓国文化研究者の一人は、「儒教文化が根強い韓国社会では形式が尊重され、現実が軽視される。あらまほしき幻影の正当化に全精力が傾注され、人々は気分だけで突っ走る」と指摘し、「客観性や冷静さを期待できない社会に対抗するには、たとえば韓国・朝鮮人犯罪博物館などを建て、相手が尻尾を巻くほどの『気分論理』でギャフンといわせるしかない」と主張します。

 報復合戦は望ましくはありませんが、その場しのぎの「謝罪」では日本の国際的な地位が保てないのも確かで、政府の毅然たる態度こそ望まれます。ちょうど韓国側の反発にも揺るがず、「竹島の日」条例を賛成多数で可決した島根県議会のように。(参考資料=秦郁彦『慰安婦と戦場の性』、上杉千年『検証・従軍慰安婦』、西岡力『コリア・タブーを解く』など)
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慰安婦問題を解決する情熱と大志、ほか [慰安婦問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年12月15日土曜日)からの転載です


〈〈 本日の気になるニュース 〉〉


1、「中央日報」12月14日、「ヨーロッパ議会も『慰安婦決議』を採択」
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=93805&servcode=A00§code=A00

 韓国の中央日報によると、戦時中、日本軍が慰安婦を「強制動員」したことについて、日本政府の公式な認定、謝罪、賠償を要求する決議案を採択しました。一週間前には、元慰安婦3人が聴聞会で日本の「蛮行」を告発し、採決を訴えました。

 共同通信が伝えるところによると、次のような決議が行われたようです。
http://www.chugoku-np.co.jp/NewsPack/CN2007121301000714_Detail.html

 ▽事実認定など

 一、第2次大戦終戦まで日本政府は軍に対する性的労働のため、慰安婦徴用に関与。

 一、20世紀最大の人身売買の1つ。

 一、数十件の訴訟が日本の法廷で棄却。

 一、1993年の河野洋平官房長官、94年の村山富市首相の談話を歓迎。

 一、日本の一部政治家が談話を希薄化、無効化する意見を表明。

 一、日本の一部学校教科書が慰安婦問題を矮小(わいしょう)化。

 ▽対日要求

 一、公式な被害認定、謝罪を行い、明確な形で歴史的、法的な責任を負うことを日本政府に要求。すべての元慰安婦、遺族らへの賠償を要求。

 一、慰安婦問題が存在しないとする主張に対する公式な否定を要求。

 一、日本の国会に賠償請求の障害を除去する立法措置を要求。

 一、日本国民と政府に、自国の歴史を十分に認識することを奨励し、将来にわたる教育を要求。

 この決議を受けて、韓国の元慰安婦およびその支援団体はソウルの日本大使館前で決議受け入れを求める記者会見を開いたようです。
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/071214/kor0712141241000-n1.htm

 今回の決議は、アメリカ、オランダ、カナダに続く決議ということになりますが、いずれにも共通しているのはどうやら欠席裁判的に審議が行われ、実証性に乏しい事実認定と対日要求が行われているらしいこと。同時に、日本の外交当局の関わりが見えないことです。それと、韓国人元慰安婦たちがほとんど完全に物取り的発想になっているらしいことです。

 今回の決議も、欧州議会は歴史の事実を客観的に見極めるために、どれほどの努力をしたのでしょうか。事実認定の第1点についていえば、軍の関与は明らかですが、中央日報が書いているような「強制動員」などはないだろうし、性的労働のための徴用に軍が関与したというより、逆に業者が慰安婦を「強制連行」するのを軍・警察がやめさせようとしていた事実を証明する資料さえ残されています。むろん当時は売買春は合法でした。

 朝鮮人が慰安所を経営していた事例もあります。ほかならぬ韓国政府が開設した「日本軍慰安婦サイバー歴史観」には、昭和12年に上海派遣軍野戦郵便長として従軍した佐々木元勝の『野戦郵便旗』が資料として掲載されていますが、この著書は、郵便局近くにあった「上海寮、皇軍将兵慰安所」に言及し、「ここは半島人(朝鮮人)が営業していた」と書いています。

 秦郁彦教授の研究によれば、同様の制度はドイツやイタリア、イギリス、ソ連などにもあったようですから、日本だけが標的にされなければならないいわれはないはずです。

 日本が謝罪や賠償を拒んでいるわけでもありません。

 日韓交渉では、日本側が韓国民個人に対して日本が直接補償する方法を繰り返し提案したのに対して、韓国政府は一括して受け取り、韓国民に仲介する方法を韓国側が主張しました。そして、結局、韓国政府は終戦後に死亡した者や被爆者、慰安婦などを補償対象としなかったのです。

 個人補償問題が今日まで尾を引く原因を作ったのは韓国政府です。そして案の定、韓国人元慰安婦などが日本政府に対して謝罪と賠償を要求する訴訟が何度も起きたのです。

 そのような事実関係を知った上で、欧州議会はなおも日本の裁判所の棄却判決を不当だと主張するのでしょうか。

 日本政府はそれでもなお、十数年前に、元慰安婦に対する国民的な「償い」に取り組むアジア女性基金を設立し、「償い事業」を実施しました。それがうまくいかなかった原因は、やはり韓国側にあります。当初は肯定的態度だったのに、やがて否定的評価に変わったのでした。

 だとすれば、なぜこのように何度も問題がぶり返されるのか。原因の1つは、韓国人が国際法の観念のみならず、国際マナーに欠け、歴史を問いかけるといいつつ、じつのところ実証的に考察する文化を持たないこと。そのうえに誰でも気づくことでしょうが、支援者と称する政治運動家が国際的ネットワークのなかで彼女たちをあおり、日本たたきのために利用し、元慰安婦たちが踊らされているということでしょうか。

 そのような政治的小細工に各国の議会が乗せられているのは何とも情けないことですが、同様にして、日本の外交当局もお粗末といわざるを得ないでしょう。

 日本の外務省のホームページには「慰安婦問題に対する日本政府の施策」が載っていますが、たとえば在カナダ大使館のホームページには慰安婦問題に関する記述が見当たりません。職業外交官たちは、決議案採択の前に、日本に対する誤解を解くためにどのような努力をしたのでしょう。

 葦津珍彦という神道思想家がいます。国交正常化から数カ月後、韓国を訪問し、大学教授や学生らと討論したときのことが伝えられています。独立後の韓国は李承晩政権以来の徹底した反日教育で「日本人ほど悪いヤツはいない」という国民意識に固まっていたのでした。

 知識は明らかに偏り、たとえば葦津がもっとも畏敬する金玉均については、日本に欺かれて反乱に失敗し、日本に亡命したが見捨てられ、上海で惨殺された、と日本人の配信と冷淡を語るのみで、終始、同乗と支援を惜しまなかった福沢諭吉や頭山満などの支援者の存在を知りませんでした。

 「諸君の歴史観では、よい日本人は一人もいなかったことにならないか」と葦津が問いかけると学生たちは黙ったままだったといいます。その学生たちに葦津は語りかけたのでした。

 ──諸君は、日本人を信用できないとする史料ばかりをたくさん知っていて、日本人に好意を感じ得るような知識はまったく持っていない、といっていいように見える。そして、一面的な知識を列挙して日本人を非難する。

 無責任で軽率な日本人は「過去は悪かった。反省する。これから仲良くする」などという。しかし、日本人が四、五百年もの長い間、悪いことばかりをし、好ましいことを何もしなかったのだとすれば、わずか10年か20年、「反省した」として、日本人を信頼できるのか。韓国人はそれほど甘い民族なのか。

 諸君の知識がさらに補強され、過去の日本人にも好ましい点、信頼すべき点があったことを発見してくれなくてはならない。そうでないかぎり、相互の国民的信頼感はけっして生まれないと思う。

 翌日、学生たちに見送られ、帰国の途についた葦津は、韓半島の山々を上空から眺めながら、父・耕次郎を思いました。まだ10代だった父は暴政に苦しんでいた朝鮮の民衆を思い、即席の韓国語を学んで渡鮮し、銃と太刀とを携え、2頭の馬をひいて、朝鮮半島鶏林八道の隅々まで旅したのでした。

 明治にはそんな青年はいくらでもいたのです。葦津は明治の青年たちの壮大な志と情熱を懐かしみながら、やがて将来、日本の青年が対日不信に固まった韓国の青年と交わり、その意識を心底から揺り動かし、深い信頼と友愛を築き上げることは容易ではない。それは偉大にして困難な、男子畢生(ひっせい)の大業というべきものである。才知や打算ではなく、山をも動かさねばならぬ、というほどの情熱と大志が要求される──と書き残しています。

 今まさにそのような青年たちが求められていませんか。


2、「AFPBB News」12月14日、「ダイアナ元妃死因究明審問、義父のフィリップ殿下との往復書簡が公開される」
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2325689/2455057

 記事は、ダイアナ元妃が義父のフィリップ殿下を「親愛なるパパ」と呼ぶなど、親しい関係をうかがわせる、と書いていますが、読売新聞はさらに、暗殺説の疑惑を打ち消す内容となりそうだ、と踏み込んでいます。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20071214i202.htm?from=navr

 ダイアナ元妃は離婚後、エジプト国籍でイスラム教徒の恋人と交際し、同乗していた車で交通事故に遭い、亡くなりました。恋人の父親は、異教徒との結婚を嫌う殿下が自己を仕組んだと主張しているといわれます。

 離婚の原因は直接的にはチャールズ皇太子とカミラさんとの不倫にあるといわれ、イギリス国民のあいだには若くして逝った元妃への同情論が根強いのですが、感情論ではすまされない深刻な問題も指摘されます。

 元妃とイスラム教徒の恋人が結婚すれば、もしイスラムの教えに従うとすると、元妃はイスラムへの改宗が望ましい、とされています。元妃は皇太子妃の称号「プリンス・オブ・ウエールズ」をもったまま離婚していますから、「皇太子妃」がイスラム教徒となり、さらに将来の王位継承者すなわちイギリス国教会の首長の元妃や母親が異教徒というような、国教会が容認しがたい事態が発生することになります。

 事故死を装った謀殺と疑われる背景にはこうした事情があるようです。


3、「AFPBB News」12月13日、「イスラム教徒の父親がスカーフ着用を拒んだ娘を殺害。カナダ」
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2325262/2453672

 イスラム女性のシンボルであるヘジャブ(スカーフ)を着用しようとしない娘を、熱心なイスラム教徒の父親が暴力を振るい、殺害してしまったというのです。

 娘は16歳。ごく最近、嫌がるようになり、家を出るときはゆったりしたイスラム的な服装をし、学校では体の線が出るようなきかたをしていた。何度か家出もしていた。年頃の娘の難しさは万国共通ではあろうけれど……。

4、「朝日新聞」12月13日、「在日韓国人、5年後韓国参政権へ。連絡準備会設置しPR」
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200712130066.html

 ようやく選挙権が認められるようになったのに、記事によれば、在日韓国人には母国での参政権に対する関心が薄い。つまり、それだけ帰属意識が乏しいということなのでしょう。在日韓国人とは日本人なのか、韓国人なのか、その帰属意識が問われているのでしょうが、選挙権を行使することで、果たして変わるのかどうか。


5、「Daily NK」12月14日、「ソウル駅にならんだ遺影。金正日の犠牲になった300万人の追悼祭」
http://www.dailynk.com/japanese/read.php?cataId=nk03100&num=1632

 記事によると、北朝鮮人権国際連帯の主催で、100人あまりが参加し、犠牲者を慰霊したのだそうです。


6、「朝日新聞」12月15日、「社説。南京事件70年─数字の争いを超えたい」
http://www.asahi.com/paper/editorial.html

 「新しい記念館の壁などには『30万人』という犠牲者数が書き込まれている。中国での戦犯裁判で確定した数字、というのが中国側の公式見解だ」けれども、「私たちも30万人はいくらなんでも多すぎると思う」とあります。朝日の社説がこのように書いたことは注目されます。

 相互殺戮、相互破壊が戦争ですから、悲惨なことはいくらでも起こりえます。

 当時、中支那派遣軍司令官の松井石根大将は「昭和の聖将」ともいわれる人物だったと聞きます。孫文を敬愛し、中国文学に親しみ、「アジア人のアジア」を信条としたのでした。

 その松井が司令官の地位にあったのは何というめぐり合わせでしょうか。首都・南京入城後、松井は戦陣に散った日中双方の将兵の御霊(みたま)を慰めたいと、血潮に染まった激戦地の土を集めさせました。

 それを日本に持ち帰り、瀬戸焼にして、高さ一丈の観音像を建立したのが熱海・伊豆山の興亜観音で、松井は「縁起」にこう書いています。

 「支那事変は友隣相撃ちて莫大の生命を喪滅す。じつに千載の悲惨事なり……観音菩薩の像を建立し、この功徳をもって永く恨親平等に回向し、諸人とともにかの観音力を念じ、東亜の大光明を仰がんことを祈る」

 中国や韓国からも多くの寄進を受け、昭和14年の冬、興亜観音は落慶します。退役した松井は、文子夫人と二人、山麓に隠棲し、21年3月に巣鴨拘置所に収監されるまで、読経三昧の晩年を過ごしました。

 「後のことは頼むよ」という言葉を残して松井が去ったあと、組織的な支援が期待できないなか、3人の子供を育てながら、苦労して観音像を守ってきたのは伊丹忍礼夫妻で、いまは3人の娘さんが亡き両親の遺志を継いでいます。

 朝日の社説は「数字の争い」を超えた和解を訴えていますが、そのために何をするのか、あるいは何ができるのか。

 中国に対する思いを人一倍持ちながら、何の因果か、司令官となり、闘いのあとには日中双方の犠牲者のために慰霊の晩年を過ごした松井、そしてその祈りを継承してきた伊丹さんたちの生き方が1つの示唆を与えていないでしょうか。いくら針小棒大に犠牲者の数を水増しし、侵略者を糾弾したからといって、死者が慰められるはずもないのです。


 以上、本日の気になるニュースでした。
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河野談話から後退するな、ほか [慰安婦問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年11月30日金曜日)からの転載です


〈〈 本日の気になるニュース 〉〉


1、「朝日新聞」11月29日、「カナダ下院、慰安婦問題の謝罪求める決議採択」
http://www.asahi.com/international/update/1129/TKY200711290084.html

 記事によると、「旧日本軍は性的強制労働の目的で女性の徴用を命じた」とし、全被害者に「正式で誠意のある謝罪」を要求する決議案が中国系女性議員によって提出され、下院は全会一致で採択したのだそうです。

 その議員とはチョウ議員といい、議員のホームページによれば、議員はこの日の議会で、15歳の少女が無数の日本兵から何年も、拷問され、レイプされた。苦しむ女性は20万人以上いた。生存者のうちの4人が、今日、正式で誠実な謝罪を求めて議場にいます。カナダは慰安婦の味方でしょうか、と訴えたようです。
http://www.oliviachow.ca/page/283

 慰安婦の数は多く見積もって20万人といわれますが、すべてが奴隷状態にあったわけではありません。逆に、兵士とのあいだに連帯感があり、慰安婦出身の女兵伝説さえ聞かれます。チョウ議員の発言には誇張があります。

 しかし議員たちは何と全会一致で決議文を採択したのだそうです。その決議文は議会のホームページおよび決議案を提出した議員のホームページに載っています。
http://www2.parl.gc.ca/HousePublications/Publication.aspx?Language=E&Mode=1&Parl=39&Ses=2&DocId=3137034
http://www.oliviachow.ca/page/282

 決議文は5項目からなります。日本軍は公式にもっぱら性の奴隷とするために若い女性の調達を命じた。最近、日本当局者は河野談話を無効にする悲しむべき要求を表明した。カナダ政府は日本政府に河野談話からの後退を断念するよう勧める──などというのがその内容です。

 慰安婦の募集などに軍が関わっていたとする説は平成4年1月の朝日新聞の記事がきっかけとされます。大学教授が防衛庁の図書館で資料を「発見」したという「特ダネ」を掲載したのですが、その資料は研究者のあいだでは周知で、スクープではありません。しかもその内容は逆に、業者による「強制連行」をやめさせようとしていた事実を証明するものでした(秦郁彦『慰安婦と戦場の性』など)。

 また、「官憲による強制連行」を認めてしまった河野談話は、関係者の証言では、「あったことにしてほしい」という韓国側からの要求を呑んだ、政治的産物といわれます。

 日本が謝罪や賠償を拒否しているわけでもありません。逆に、終戦直前に対日参戦したソ連が朝鮮半島北部に進攻してきたあと、婦女子は見境なく暴行され、終戦後の混乱のなか、3万5000人を超える日本人が死亡したという悲惨な歴史もあります(森田芳夫『朝鮮終戦の記録』)。

 中国大陸でも同様の悲劇が起きているようです。終戦後、満州では民衆の即決裁判で3500人の日本人が犠牲になったといわれます(満蒙同胞援護会編『満蒙終戦史』)。

 チョウ議員はけっして奴隷状態ではない慰安婦の問題を「人類に対する罪」とさえ呼びますが、朝鮮や中国での悲劇は見逃されるべきものなのでしょうか。日本人犠牲者には謝罪を求める権利はないのでしょうか。

 「姓の奴隷」というような事実があれば「罪」ともなるでしょうが、ないのであれば「罪」ではありません。ないものがあるかのようにされて非難の対象となり、あったものが見過ごされるのは、歴史に対する冒涜となるでしょう。

 アメリカ下院の決議もそうでしょうが、カナダ議会ではどこまで真実が語られたのでしょう。今回の決議文は日本とカナダとの同盟関係に言及していますが、実証的態度に乏しい非難決議は両国関係にとってけっしてプラスにはなりません。

 なぜこのような決議がなされたのか。北朝鮮による慰安婦批判が目の前の拉致問題をかわすことが目的なら、中国系の非難はどうやらダルフールの虐殺から世界の視線をそらすことを目的としているようにも見えます。攻撃は最大の防御なのでしょう。

 世界を舞台とする政治攻勢に対して日本政府の対応はなんともお粗末です。事実でないことを、愚かにも最初に事実と認めたのは、外国ではなく、日本自身ですから。愚行の主の責任は重いといわねばなりません。

 参考までにこちらを。
http://homepage.mac.com/saito_sy/korea/H170404JSianfu.html
http://homepage.mac.com/saito_sy/korea/H1805nicchou.html
http://homepage.mac.com/saito_sy/china/H1801flyingtigers.html


2、「朝日新聞」11月30日、「秋篠宮さま42歳。『天皇公務、負担減らす必要』」
http://www.asahi.com/national/update/1129/TKY200711290371.html

 秋篠宮さまは30日、42歳の誕生日をお迎えになりました。それに先立って、妃殿下とともに記者会見に臨まれ、「陛下のご公務の負担を必要がある」とお話しになりました。

 会見の内容は宮内庁のホームページに掲載されています。
http://www.kunaicho.go.jp/akishino/akishino-kaiken-h19.html

 斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンに「天皇皇室の一週間」のコーナーを設け、ご公務の一部を掲載していますが、実際、陛下の日程は過密スケジュールです。
http://www.melma.com/backnumber_170937/


3、「岩手日報」11月28日、「『女性よ、殴り返すべし』。シーア派権威が宗教見解」
http://www.iwate-np.co.jp/newspack/cgi-bin/newspack_s.cgi?s_lifestyle_l+CN2007112801000783_1

 シーア派の最高権威ファドララ師が27日、女性に対する家庭内暴力は罪だと明言し、正当防衛なら殴り返すことが許されるというファトワ(宗教見解)を出したのだそうです。

 AP通信のオリジナル記事はこちらです。
http://ap.google.com/article/ALeqM5hx3rgcB8Yjcz_W3bq51aiVdWQ-twD8T6EE1G1


4、「花岡信昭メールマガジン」11月30日、「民主党の支離滅裂」
http://www.melma.com/backnumber_142868_3917541/

 民主党が、北朝鮮をテロ支援国家指定から解除しようアメリカの動きに反対する国会決議案を了承したのですが、花岡さんは民主党にその資格があるか、と問いただしています。インド洋から海上自衛隊を撤退させておいて、俺たちのいうことは聞け、とアメリカに求めるのは支離滅裂だ、というのです。

 まったくその通りです。


5、「中国情報局」11月28日、「南京事件記念館リニューアル。生々しいブロンズ像」
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2007&d=1128&f=national_1128_001.shtml

 「南京虐殺70年」の12月13日にあわせて、リニューアルオープンする記念館に設置されるのだそうです。そういうものを製作し、展示するという発想が何とも残酷です。


6、「中央日報」11月29日、「中国先端駆逐艦、初の東京入港。日中新デタント時代」
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=93299&servcode=200§code=200

 中央日報は「新デタント時代」と精いっぱい持ち上げています。デタントという言葉をどうしても使いたいなら、デタントを演出している、と表現すべきなのではないでしょうか。


 以上、本日の気になるニュースでした。
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ああ、民主主義国家アメリカ [慰安婦問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年6月27日水曜日)からの転載です


 アメリカ下院外交委員会が慰安婦問題に関する対日非難決議案を、原案を一部修正した上で、圧倒的多数で採択しました。

 原案より穏やかな修正案を提出したのは、外交委員会のラントス委員長(民主党)とロスレイティアン筆頭理事(共和党)ですが、そのラントス委員長がコメントを発表しています。
http://foreignaffairs.house.gov/press_display.asp?id=379

 ラントス委員長は、対日批判決議案を提出したホンダ議員と同じカリフォルニア州の選出です。ハンガリーのブダペストの生まれで、ナチスによる支配下でレジスタンス運動に参加し、ホロコーストの唯一の生き残りといわれます。
http://lantos.house.gov/HoR/CA12/About+Tom/

 その経歴から委員長は当然、歴史問題に対する高い関心を持っているはずで、しかも穏やかな修正案の提出は優れたバランス感覚の証左でもあるのでしょう。しかし、それでもなお正しい歴史理解にまではなお隔たりがあることは、

「日本政府が公式の謝罪を拒否している」
「戦後のドイツは正しい選択をしたが、日本は積極的に歴史の記憶喪失を促進した」

 とつづる、委員長自身のコメントが明らかにしています。

 日本軍が慰安婦を連れていたことは歴史の事実でしょう。戦地で働くからには軍の関与も当然です。しかし、当時は売買春は合法でした。類似の制度はドイツやイタリア、アメリカ、イギリス、ソ連などにもあったことが知られており、日本をことさら犯罪的と断じることはできません。

 慰安婦と将兵との心情的交流や恋愛話はしばしば元慰安婦自身が伝えています。たとえば、以前、あるテレビ番組で、ミッちゃんと呼ばれていた元韓国人慰安婦が、こんな思い出話を語っていました。

 ミッちゃんには明良(あきら)という名前の相思相愛の戦闘機乗りがいました。けれども甘い日々は長くは続きません。とうとう別れの日がやってきました。

「ミッちゃん、行ってまいります」。

 直立して敬礼する青年はそれっきり帰ってきませんでした。ミッちゃんの右の二の腕で、その日本兵の名前が深いシワに埋もれています。

「わたし、靖国神社に行きたいよ」。

 ミッちゃんはしんみりとカメラに向かって語るのでした。

 兵士と慰安婦の間には連帯感さえあり、日本軍関係者は慰安婦を「戦友」と呼びます。朝鮮および朝鮮人は大東亜戦争をともに戦う最大の協力者であり、慰安婦も同様です。慰安婦出身の女兵伝説すらあるといいます。けっして「性の奴隷」ではありません。

 オランダが植民地支配していたインドネシアでは、日本軍が占領したあと、収容所にいたオランダ人女性が慰安婦としてむりやり狩り出されたという国際法違反事件がありましたが、責任者たちは日本の降伏のあと、戦犯として裁かれました(ジャン・ラフ=オハーン『オランダ人「慰安婦」ジャンの物語』の倉沢愛子教授による「解説」)。

 一方、朝鮮人慰安婦については本人の証言以外、「強制」を裏付ける証拠は聞きません。しかも、個人補償問題は国交正常化によって日韓間では解決済みです。日本が補償を拒んだ事実もありません。正常化交渉で日本は個人補償を繰り返し提案しましたが、韓国政府が同意しなかったのです(高崎宗司『検証・日韓会談』岩波新書)。

 日本が謝罪していないわけでもありません。宮沢首相も村山首相もお詫びを述べています。安倍首相も、「官憲による強制連行」を事実として認めた河野談話を踏襲し、今春の訪米の際に

「心から申し訳ない」と謝罪しました。

 ラントス委員長は

「歴史を歪めている」

 と日本を批判していますが、ほんとうに歴史を歪めているのは誰なのでしょう。

 アメリカは良くも悪しくも民主主義の国であり、アメリカでは錦の御旗は世論であって、ときに集団ヒステリー状態になり、衆愚政治におちいる危険がつねにあります。

 大量破壊兵器がある、という妄想にとらわれて、アメリカがフセインのイラクを攻撃したのは4年前でした。当時の世論調査によると、ブッシュ大統領の最後通告直後、アメリカ国民の66%が24時間以内にフセイン大統領が国外退去しない場合の開戦を支持し、開戦直後の段階では国民の4人に1人が対イラク攻撃に賛成していました。

 しかし結局、大量破壊兵器は見つかりませんでした。独裁政権は倒れましたが、平和回復の兆しは遠く、アメリカの若者の犠牲は増えるばかりです。

 事実は何か、を突き詰めず、一方的な情報に踊らされ、耳に心地よい正義を振り回すのはアメリカ民主主義の危うさです。対日批判決議は本会議でも可決される見通しと伝えられますが、こうしたアメリカとどううまく同盟関係を維持していくのか、日本はよく考える必要があるでしょう。

 歴史を振り返れば、二十世紀の日米戦争前夜、両国の経済関係は緊密でした。

 当時のアメリカは人口が本国1億3000万、属領1900万人。「世界一の持てる国」で、綿花、小麦、トウモロコシ、牛豚、牛乳、バター、石油、石炭、鉄、銅、亜鉛、鉛の生産は世界一を誇っていました。第一次大戦後、英国をしのいで世界経済の中心地となり、世界の金の80%を保有し、GNPは日本のじつに8倍。

 対日貿易は輸入が6億4000万円、輸出が10億円(昭和14年)で、日本はイギリス、カナダに次ぐ第三の貿易相手国でした(昭和17年「朝日年鑑」など)。

 アメリカ人の対日観もけっして悪いものではありません。サイデンステッカー・コロンビア大学名誉教授によれば、大正末期の排日法もカリフォルニア・ロビーの議会工作がなければ成立しなかったといいます。日本に関心を示していたのは西海岸に限られていたのでした(「アメリカ人は日本をどう見てきたか」=『日米の昭和』アステイオン、ディダラス国際共同編集、TBSブリタニカ、1990年)。

 ラントス委員長は

「日本は明らかに、アジアでもっとも偉大な友人であり、世界でもっとも親密なパートナーの一国である」

 と述べていますが、ひとたび歯車がかみ合わなくなったとき、両国にとって悲惨な悪夢が再来しないとは限りません。かつてもそうだったように、日米の離反を望み、謀略を練る国もあるのですから。
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告白の文化と禊祓の文化 [慰安婦問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年5月7日月曜日)からの転載です

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告白の文化と禊祓の文化
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 私小説作家でもエッセイストでもないので、個人的なことや、主観的なことは書くまいと心に決めているのですが、今回のタイトルにあやかって少しだけ「告白」しますと、家人が思わぬ事故に遭い、緊急入院、手術という慌ただしい日々が続き、このブログ(メルマガ)もすっかり間が空いてしまいました。幸い軽傷で済みましたが、私も家族も仕事と生活のリズムが取り戻せないままでいます。

 そんなこんなで古い話になってしまいましたが、とても気になることなので、あえて取り上げることにします。それは産経新聞の古森義久論説委員が先月、日経BPネットに書いた「国が謝るとき」と題するエッセイです。
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/i/47/

 エッセイのテーマは、アメリカ下院で審議されている日本に謝罪を求める慰安婦決議案で、主権国家が対外的に謝罪するという行為は基本的にどのような意味を持つのか、と問いかけています。

 古森さんによると、国家が謝罪を表明するというのは意外と珍しいのですが、ハーバード大学のマーサ・ミノー教授によれば、1980年代から90年代にかけて、かなり変わってきたといいます。レーガン大統領も先代のブッシュ大統領も日系アメリカ人の戦時中の集団収容に謝罪しました。クリントン大統領はアメリカのハワイ武力制圧を謝りました。この背景には、民主主義の深化と拡大、マスコミュニケーションの発達があるといいます。

 しかしそれでもなお現代の主権国家はそう簡単には謝りません。対外的な謝罪となるとなおさらで、それはウェスリアン大学のアシュラフ・ラシュディ教授によると

「対外的な謝罪は無意味に終わる場合が多いからだ」

 と指摘しています。

「謝罪は相手の許しを前提とするため、その謝罪のそもそもの原因となった行為の真の責任を曖昧にするマイナスの効果もある」

『第二次大戦への日本の謝罪』を書いた日本研究者ジェーン・ヤマザキは、日本が1965年の日韓国交正常化以来、国家レベルで表明してきた各種の謝罪の内容をすべてすくい上げ、紹介し、

「主権国家が過去の自国の間違いや悪事をこれほどに認め、対外的に謝ることは国際的にみて、きわめて珍しい」

 と指摘したうえで、日本の謝罪努力は「失敗」と断じているそうです。

「謝罪が成功するには、謝罪の受け手がそれを受け入れる用意があることが不可欠なのに、中国や韓国の側にはそもそも日本の謝罪を受け入れる意思がなく、歴史問題で日本と和解する意図もないといえる」

 だとすれば、中国系の反日団体の後押しを受けているといわれるホンダ議員の謝罪要求は何を目的としているのか、日本の安易な謝罪が何をもたらすことになるのか、改めて考える必要があります。その場合、見落としてはならないのは、やはり「謝罪」が意味する文化の違いなのでしょう。

 キリスト教文化圏では、どんな罪でも「告白」し、悔い改めれば、赦される、と信じられています。いわゆる「赦しの秘跡」です。

 前ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世などは、西暦2000年春に「赦しを願うミサ」を行い、過去二千年にわたる教会の過ちを認め、神に赦しを求めています。この教皇の懺悔(ざんげ)をマスコミは「史上初めて」と伝えましたが、文化史家・竹下節子さんの『ローマ法王』によると、教皇は

「公式の文章で何と94回もカトリック教会の非を認めている」

 といいます。バチカンはふつうの国家とは違って物質的な賠償問題から自由で、そのため教皇は

「いとも簡単に謝罪してしまう」。

 そして「侮られないどころか、尊敬される」と、竹下さんは指摘しています。

 何度お詫びをしても、受け入れられず、「謝罪していない」と批判される日本とは何という違いでしょうか。いったい何が違うのか。まずは著名なキリスト者の声に耳を傾けてみます。

 戦時中のキリスト教徒の受難と闘いの代表例として矢内原忠雄・東京帝国大学教授があげられます。雑誌論文などが「反戦的」と攻撃されて、大学を追われました。命の危険まではなかったようですが、個人通信はしばしば発禁処分を受けました。

 その矢内原が戦後の第一声で「日本精神への反省」を講演しています(『矢内原忠雄全集19』)。

 講演の大半は本居宣長批判で、日本人には絶対神、人格神の概念がない。日本精神を反省し、立派なものに仕上げるにはキリスト教を受け入れよ、と訴えたのでしたが、注目されるのはとくに惟神(かんながら)の道の特色として清浄の観念を取り上げ、大祓(おおはらい)について説明し、批判していることです。

 ──罪穢れを6月と12月の年2回、定期的に祓い清めるのが大祓で、その罪穢れは神々によって海に運ばれ、飲み込まれ、根の国底の国に気吹(いぶ)き放たれ、さすらい捨てられる。罪という罪が水に流されるのだ。穢れを忌んで清浄を愛するのは長所であるが、罪の処分を簡単に無造作にしてしまうのは短所で、解決が浅い。

 日本の神道的罪穢れ観とキリスト教的視点から比較し批判していることでは興味深いのですが、日本人は罪の観念が浅い、と断定する矢内原教授の理解の浅さにむしろ驚かされます。論理的に考えれば、逆に

「告白すれば神に赦される」

 と考えるキリスト教の鼻持ちならない傲慢さを指摘することも可能だからです。どちらが優れているということではなく、その違いを理解することが必要です。それなら神道では罪穢れをどう考えるのか。

 葦津珍彦という人物がいます。戦後唯一の神道思想家といわれますが、矢内原教授が大学を追われたころ、東条内閣の思想言論統制に抵抗し、矢内原とは違って、しばしば命までも脅かされたといわれます。
http://homepage.mac.com/saito_sy/war/H1002asahi.html

 その葦津は、人間は誰でも神聖なるもの、高貴なるものを求めている、といいます。それは人間が罪と穢れから離れがたい存在だということを知っているからだ。人間は罪穢れを祓い、神聖に近付きたいと願っている、というのです。

 しかし祓っても祓っても、罪穢れ、過ちを犯してしまうのが人間です。よかれと思ってした行為が、願わざる結果に終わることもあります。だからこそ、さらにまた禊ぎ祓うのです。

 それは現人神(あらひとがみ)ともいわれる天皇でさえ、いやむしろ天皇であればなおのこと、国家第一の祭り主として、「国平らかに、民安かれ」と祈る絶対無私のお務めを深く認識されるがゆえに、罪や過ちのないことを期して厳重に潔斎し、日々の祭りをお務めになるのでしょう。

 禊祓いを単なる形式と見るような矢内原の批判はまったくの的外れです。

 告白の文化であれ、禊祓の文化であれ、その文化を共有していない者同士の場合、それぞれの謝罪は相手に通じません。それぞれの主権国家が国益を主張し合う国際社会ならなおのことで、事実、「悔悛の世界化」が進む現代、アルメニア人を虐殺したオスマン・トルコと日本だけが「悔悛」を拒否している、と批判する政治学者もいるほどです。まして、前近代的な中華思想の発想から日本に謝罪を迫る国の存在はじつに厄介です。

 それなら日本はどうすればいいのか、葦津珍彦は、戦後日本の「謝罪外交」を批判し、こう主張しています。

 ──戦争に敗れた日本人が卑屈な低姿勢で「陳謝」するのは、相手の軽蔑を招くだけである。日本は過去を陳謝するより弁明すべきだ。過去の日本に非がなかった、と強弁するつもりはないし、重苦しい過去の重圧を十分、感じているが、それは二倍にも三倍にも増幅されて、全世界の前で糾弾、断罪されてきた。これ以上、追認するのは無意味であり、愚かだ(『アジアに架ける橋』)。
http://homepage.mac.com/saito_sy/korea/H1104ashizu.html

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今度はアメリカ政府を追及するマイク・ホンダ議員 [慰安婦問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年5月6日日曜日)からの転載です


 AP通信によると、慰安婦問題の

「責任を認めよ」
「謝罪せよ」

 と日本に迫るアメリカのマイク・ホンダ下院議員が、今度はというべきか、今ごろというべきか、アメリカが日本占領中にアメリカ兵のために設置した売春宿について調査するよう議会調査局に要求しているようです。
http://www.iht.com/articles/ap/2007/05/04/america/NA-GEN-US-Japan-Comfort-Women.php

 記事によると、ホンダ議員は、日本による慰安婦とアメリカによる売春宿との比較を拒否し、日本の慰安婦は政府と軍が準備し、女性たちを強制連行したのであり、アメリカとは異なると主張するのですが、AP通信の調べでは、女性たちに対する強制の内部報告があったにもかかわらず、アメリカ当局が営業許可を与えていたことを明らかにする文書もあるようです。

 秦郁彦教授の『慰安婦と戦場の性』によると、アメリカ軍の進駐を前にして、日本政府は「良家の子女」を守るため、「性の防波堤」として「特殊慰安施設協会」をつくり、女性たちを募集しています。

 読売新聞のデータベースで調べてみると、昭和20年9月3日づけ二面に、「急告 特別女子従業員募集 衣食住および高級支給 前借りにも応ず 地方よりの応募者には旅費支給す 特殊慰安施設協会」という広告が載っています。

 秦教授の著書によると、ピーク時には7万人、半年後の閉鎖時には55,000人の慰安婦がいて、一人が一日で15〜60人のアメリカ兵の相手をさせられたといいます。それでも、1000万人餓死説が出るほどの時代でしたから、食うや食わずの戦争未亡人や素人女性がどっと押し寄せたといわれます。

 AP通信によると、ホンダ議員の支持者たちは今度はアメリカ政府に謝罪を要求しているそうです。ちょうど戦争中、日系人を収容所送りしたことをレーガン大統領が謝罪したようにです。議員はいったい何をしたいのでしょう。日米間の課題はもっとほかにあるでしょうに。

 ついでながら、読売新聞の戦前の記事を検索すると、慰安婦に関する記事が2本見つかりました。

 一つは、昭和7年1月18日夕刊7面の

「娘子軍大挙して錦城入城、まず150名、なお続々と。戦乱のあとに時ならぬ春風」

 という電通電で、一番輸送を待ってましたとばかりに内鮮人の女性がどっと乗り込んできたので、憲兵隊が城内外での開業を許可した、と書かれています。

 もう一本は、15年1月5日づけ朝刊二面に載っている読者の投稿です。

「職工という呼び方は侮蔑的だから、工員と言い換えたらどうか、という意見があるが、大事なのは人間としての中身だ」

 という主張のなかで、「雑誌で読んだ話」として、かなりいい条件で慰安婦を募集する新聞の求人広告につられて、応募した娘さんが働き先の北支に着いたあと、どんな仕事をするのか、と思っていたら、何と売春だと知って驚いた、という話が載っています。

 つらい体験だとすれば心からの同情を禁じ得ませんが、いずれの記事もホンダ議員の正義感あふれる「謝罪要求」とはずいぶん次元が異なる印象が否めません。それでも謝罪を要求しないといけないなら、ホンダ議員はあらゆる国に対して要求を突き付けなければならなくなりそうです。同様の制度はドイツやイタリア、イギリス、ソ連などにもあったことが知られているようですから。
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韓国は恥ずかしくないのか [慰安婦問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年2月18日日曜日)からの転載です


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韓国は恥ずかしくないのか
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chousen_jingu04.gif
 アメリカ下院外交委員会の日本軍慰安婦聴聞会に、韓国人とオランダ人の元慰安婦の女性が出席し、証言したことを、韓国の新聞が社説に取り上げています。

 中央日報

「日本は恥ずかしくないのか」

 という刺激的なタイトルで、

「反人倫的戦争犯罪には時効がないことを全人類に刻印しなければならない」

 などと大仰に日本を批判し、朝鮮日報

「被害者の前で堂々としているのは加害者である日本の政治家だけだ」

 とこれまた日本の非を訴えています。

 戦争中、日本軍が慰安婦を連れていたことは事実でしょうが、「官憲による強制連行」の事実は、元慰安婦の証言以外、確認されていません。韓国は

性の奴隷とされた」

 と一方的に主張しますが、当時は売買春は合法でした。

 先の大戦で日本と朝鮮が戦争した歴史はありません。それどころか朝鮮および朝鮮人は先の戦争でもっとも協力的な戦友でした。慰安婦も同様で、慰安婦出身の女兵伝説さえあるといいます。けっして被害者ではありません。

 個人補償問題については、国交正常化によって日韓間ではすでに解決済みのはずです。

「請求権ならびに経済協力協定」によって、日本は、無償協力3億ドルなど計8億ドルにのぼる経済協力を実施し、一方、韓国は、国および国民の請求権を放棄し、両国ならびに両国民の財産・請求権については「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認」するとともに、以後は

「いかなる主張もすることができない」

 とされています。問題はすでに解決済みなのです。もとより植民地支配の「被害」を補償した歴史など、世界のどこにもありません。

 日本が個人補償を拒んだという事実もありません。実態はむしろ逆です。

 高崎宗司『検証・日韓会談』などによると、正常化交渉で日本は、韓国民個人に対して日本が直接補償することを、繰り返し提案しましたが、これに対して、韓国政府は、一括して受け取り、韓国民に仲介する方法を主張しました。そして韓国政府は、日本に徴用され死亡した8500人の遺族に対して補償を行ったものの、被爆者や慰安婦などについては補償対象にしなかったのです。

 補償が不十分だというのなら、それは韓国政府の問題でしょう。

 中央日報の社説は

「日本は95年に『アジア平和基金』を設立し、民間募金形式 で資金を集め、被害者をなだめようとした」

 と批判的ですが、国家としてはすでに解決済みの問題について、それでも真摯に取り組もうとする日本の努力を、最初は肯定的だったのに、やがて否定的態度に変わり、受け入れなかったのは韓国の方です。

 日本が謝罪していないわけでもありません。社説は

「日本は決議案が促すように、首相の公式謝罪など諸般措置を履行しなければならない」

「真実の謝罪がない」

 と批判していますが、宮沢首相も、村山首相もお詫びの言葉を述べています。

 韓国がそれほどに慰安婦問題について、個人補償の要求にこだわるなら、日本も同じ論理で、サンフランシスコ条約で放棄したわけではない個人の請求権を要求すべきでしょうか。

 GHQの調査によれば総額53億ドルといわれる日本の在韓財産は、終戦直後の混乱で遺棄を余儀なくされました。日本に代わって支配者となった米軍政庁はこれらを没収し、韓国が独立すると韓国政府に委譲されています。私有財産の没収は戦時国際法違反です。

 サンフランシスコ条約で日本が放棄したのは、朝鮮に対する国としての請求権であり、日本人個人の財産については請求権があります。そのことは日韓交渉で繰り返し主張されました。

 また、終戦の混乱時、朝鮮半島で日本人婦女子が見境なく暴行され、軍人を含めて3万5000人を超える日本人が死亡したともいわれます(森田芳夫『朝鮮終戦の記録』)。日本人は被害者なのです。

 社説は日本の「反人倫的戦争犯罪」を追及しますが、戦後、韓国に「慰安婦」がいたという歴史はないのでしょうか。

 韓国映画「美しい季節」(脚本・監督李光模)は朝鮮戦争当時のアメリカ軍基地近くにある村の日常を叙情豊かに描いた、実話に基づく佳作ですが、アメリカ軍兵士が村の女たちを連れ込む水車小屋が登場します。村の貧しい女たちを性に飢えたアメリカ人兵士に紹介していたのが、主人公の父親でした。

 この女衒(ぜげん)行為が韓国の公機関が関わる組織的なものだったか否かは映画だけでは分かりませんが、「日帝」時代の悲しい物語と不思議に一致するのも事実です。

 もし朝鮮戦争当時、アメリカ軍や韓国政府が関与する慰安婦事業が展開されていたのだとしたら、それでも韓国メディアは「人倫」を盾に、日本を断罪し続けるのですか。

 さて、葦津珍彦という人物をご存じでしょうか。戦後の神社本庁設立、紀元節復活、靖国神社国家護持運動などに中心的役割を果たした「戦後唯一の神道思想家」ですが、朝鮮半島とは代々、浅からぬ因縁がありました。

 大伯父の大三輪長兵衛は韓国国王・高宗の信頼を得て、貨幣制度改革などに尽くし、父・葦津耕次郎は日韓併合に猛反対したことで知られています。珍彦本人は戦争末期には朝鮮独立運動家・呂運亨と交わり、東条内閣の厳しい軍政下にあって独立運動を助けたという知られざる歴史もあります。

 その葦津が国交正常化の直後、ソウルを訪ね、大学教授や学生たちと長い討論を交えました。反日教育の結果、韓国人は

「日本人ほど悪い奴はいない」

 という考えに固まっていました。しかし明らかにその知識は偏っていました。

「諸君の歴史観では、よい日本人は1人もいなかった、ということにならないか」

 と葦津が問いかけると、学生たちは黙ったままでした。そして、葦津はこう語ったといいます。

「諸君は、日本人は信用できない、とする史料ばかりをたくさん知っていて、日本人に好意を感じ得るような知識はまったく持っていないように見える。そして、一面的な知識で日本人を非難する。無責任で軽率な日本人は『過去は悪かった。反省する。これから仲良くする』などという。
 しかし、日本人が四、五百年もの長い間、悪いことばかりをし、好ましいことを何もしなかったのだとすれば、わずか10年か20年、『反省した』として、日本人を信頼できるのか。韓国人はそれほど甘い民族なのか」

「諸君の知識がさらに補強され、過去の日本人にも好ましい点、信頼すべき点があったことを発見してくれなくてはならない。そうでないかぎり、相互の国民的信頼感はけっして生まれないと思う」

「諸君は外国権力の責任を追及するが、外国が非道だから国が滅びざるを得ないというのではそもそも独立を保てない。むしろ諸君は、朝鮮内部の亡国理由を鋭く直視すべきではないか」

 神ならぬ生身の人間が織りなす現実を「加害者」「被害者」の歴史に単純化し、「加害者の悪行」を一方的に断罪し、正義を押しつけることによって、国民的信頼が生まれるはずはありません。すでに解決済みの歴史問題を何度もぶり返し、「加害者」の最大の協力者が「被害者」を装い、世界にピーアールしているのは偽善的ですらあります。

 中央日報の社説の言葉を借りれば、韓国は恥ずかしくないのでしょうか。
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「慰安婦談話見直し」北の批判の的外れ [慰安婦問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成18年11月7日火曜日)からの転載です


 韓国の有力紙「中央日報」がきのう、伝えたところによると、北朝鮮の労働党機関紙「労働新聞」は、「日本が日本軍慰安婦問題に関する責任を免れるのは、日本特有の残忍性と非人間性、破廉恥性を表すだけだ」と強い調子で日本を批判する記名論評を掲載したようです。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=81480&servcode=500§code=500

 日本政府は、いわゆる慰安婦問題について、1993年(平成5年)、当時の河野官房長官が談話で「謝罪と反省」を表明しました。下村博文長官は先月末、「歴史的事実関係をよく研究してみる必要がある」と見直しを提起しましたが、「労働新聞」の批判はこの「見直し」を牽制したもので、同紙はさらに、「強制連行した朝鮮の青年たちに人体実験した」とする「日本特有の残忍性と非人間の実例」を持ち出し、「日本が我が国に対する過去の清算を絶対に回避することができないし、それを延ばす罪はもっと大きくなる」と主張した、と伝えられています。

 日本が北朝鮮に対し、残忍で非人間的な行為を国家的に行ったのが事実なら、厳しく断罪されなければなりませんが、歴史の事実はそうではないでしょう。事実でないことをさも事実であるかのように主張し、他国を誹謗中傷するのは悪意ある政治宣伝というほかはありません。

 北朝鮮は、国連総会や外交交渉の場で、「朝鮮人の強制連行840万人、従軍慰安婦が20万人いた」と主張し、補償を求めていますが、客観的根拠がありません。1942年当時の朝鮮半島在住の朝鮮人の数は2500万人です。3人に1人を「強制連行」するなど物理的に不可能です。当時は無一文で内地にやってくる朝鮮人があとを絶たないため、日本政府は逆に移住阻止の対策を立てざるを得なかったというのが歴史の事実です。朝鮮人女性を日本の官憲が強制徴用し、性的な奴隷としたというような事実も確認されていません。

 慰安婦の「官憲による強制連行」を「事実」として認めた平成5年の河野談話は政治的産物でした。当時の官僚が「根拠は元慰安婦の証言しかない。『強制連行がなかった』とすると韓国世論を抑えられない。賠償は要求しないから、『あった』ということにしてほしい、と依頼され、政治的に認めた」と証言していることが知られています。河野談話の「見直し」は当然でしょう。

 戦争中、日本軍が慰安婦を連れていたことは歴史の事実で、否定する研究者はいないようです。しかし戦前は売買春は合法で、大戦中の日本および日本人をことさら残虐、非人間的と断定することはできません。逆に、日本軍関係者は慰安婦を「戦友」と呼びます。朝鮮および朝鮮人は過酷な時代をともに戦う最大の協力者であり、慰安婦も同様でした。慰安婦出身の女兵士伝説すらあると聞きます。

 北朝鮮は日本の残虐性を誇大に喧伝しますが、歴史を振り返れば、1945年の夏、怒濤のごとく進攻してきたソ連軍は、当時世界第2位の出力をほこった水豊ダムをはじめとして、日本の財産を残らず接収しました。女性は見境なく暴行され、混乱の中で死亡した日本人は軍人を含めて3万5000人を超えるといわれます。北朝鮮はそれでも日本の残虐、非人間性を主張するのでしょうか。

 北朝鮮がいう「日本が我が国に対する過去の清算」も誤りです。植民地支配の「被害」を補償した歴史は世界のどこにもないし、日本が北朝鮮と戦争した歴史もありません。日本は国際的なルールに従い、講和条約と賠償によって、戦争の時代を清算し、以来、平和国家を築き、世界平和のために貢献してきました。いま現在、飢寒に苦しむ数百万の国民を見殺しにし、あまつさえ他国民を拉致し、核開発に狂奔する国に、ありもしない日本の「残虐性、非人間性」を批判する資格はないでしょう。

 「労働新聞」の日本批判はまったく妥当性がありません。そのことは朝鮮労働党も知悉しているのでしょう。だからこそ、文責が記者個人に限られる記名批判なのではありませんか。ヒステリックともいえる日本批判の高まりは、経済制裁その他の締め付けがボディーブロウとなって効果を上げていることの証左なのでしょう。
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