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歴史の「お伽噺」を創作する中国共産党──日本の「軍国主義者」が「侵略戦争」を開始させた? [中国共産党]

以下は斎藤吉久メールマガジン(2013年4月24日)からの転載です


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 歴史の「お伽噺」を創作する中国共産党
 ──日本の「軍国主義者」が「侵略戦争」を開始させた?
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 昨日、東京・九段の靖国神社では春季例大祭の第二日祭が斎行され、日本の国会議員168人が同社を参拝しました。

 これについて中国外務省の副報道局長は、「どんな方式、どんな身分であれ、靖国神社を参拝したことは、本質的に軍国主義や侵略の歴史を否定しようとするものだ」と会見で非難したと伝えられます。

 しかし、靖国神社参拝は軍国主義の歴史、侵略の歴史を否定するものである、という中国共産党の主張は正しいでしょうか?

 日本の「ファシスト」が「侵略戦争」を開始させたという中国共産党流のドグマとはまったく異なる歴史が知られています。真珠湾攻撃以前に、ルーズベルトは蒋介石政権の政治工作に応じて、中立法に違反して、正規軍を中国に派遣し、対日戦争に踏み出していたのです。

 それがすなわち、フライング・タイガース(AVG)です。

 というわけで、「WiLL」平成18年1月号に掲載された拙文「フライング・タイガース──隠蔽された三つの真実」を転載します。一部に加筆修正があります。



「歴史はつねに勝者が叙述するものである。2つの文化が衝突したときには、敗者は忘れ去られ、勝者が歴史書を書くのだ。その史書では勝者の主義主張が賛美され、敗者は散々にけなされる。ナポレオンがいったように、『歴史とは何か。お伽噺なのだろう』。それから彼は笑っていった。『そもそも歴史などというものは、いつの時代でも一方的なお話なのだ』」(ダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』)。

 世界的なベストセラー『ダ・ヴィンチ・コード』が引用するフランスの英雄ナポレオンの箴言(しんげん)を地でいくかのように、「終戦60年」の2005年を「抗日戦争勝利と世界反ファシズム戦争勝利六十周年(V60)」と位置づける中国では政治キャンペーンが大々的に展開され、牽強付会(けんきょうふかい)の歴史改竄(かいざん)がまさに一方的に進行したかのように見えます。

 かの「反日」江沢民主席以来、この10年間、「歴史を鑑(かがみ)とし、未来に目を向ける」の常套句を繰り返し突きつけ、「侵略国」日本に謝罪と反省を求めてきた当の中国で、です。

 いいえ、『ダ・ヴィンチ・コード』流にいえば、「抗日戦争」に「勝利」した中国だからこそ、高らかに、誇らしげに歌い上げる凱歌としての「お伽噺」の創作なのでしょう。

 何しろ真珠湾攻撃後、破竹の勢いの日本軍に対して、連戦連敗、敗退を続ける連合国軍のなかで唯一、互角に渡り合ったアメリカ義勇航空隊(American Volunteer Group、以下AVG)「フライング・タイガース」が中国を支援する戦闘部隊ではなく、「輸送部隊」だと言い張るのですから、首をかしげざるを得ません。

 中国の「歴史」とは「お伽噺」にほかならないことの証左なのかもしれませんが、「お伽噺」の創作に走るのは中国共産党の拭いがたい政治的体質としても、もしかして中国は開けてはならないパンドラの筺を開けてしまったのではないでしょうか。


◇1 元隊員の滞在一カ月を逐一報道する中国メディア

 2005年夏、齢80を超えるAVGの元隊員らが大挙して訪中し、各地を親善訪問しました。日本を共通の敵として米中がともに戦ったAVGの歴史は、「抗日戦争勝利60年」を演出するとともに、21世紀の世界戦略として「米中友好」を盛り立てるための格好の題材と考えられたのでしょうか。

 人民日報や新華社通信など中国メディアは8月11日の北京到着から1カ月以上にわたり、その足取りを詳しく報道しています。しかも渡航・滞在に要する元隊員1人あたり2000ドルの経費は雲南省が支出したそうです(8月12日、人民日報)。人のいいアメリカ人のお年寄りを利用した、中国政府を挙げての政治宣伝ではありませんか。

 インターネット上で伝えられたところでは、元隊員ら一行100人は8月21日、雲南省昆明市の「駝峰航路」記念碑に献花しました。「駝峰航路」は第二次大戦中、中国と同盟軍にとって主な航空ルートで、航路は全長500マイル。3年1カ月におよぶ空中支援で約70万トンの物資を輸送しました。この間、中米両国は飛行機五百機以上を失い、犠牲になったパイロットは1500人を超えました(8月22日、人民日報)。

「フライング・タイガース」や「駝峰航路」飛行隊の元兵士・家族ら100人が31日、V60の一環で北京に集合し、中国関係者と一堂に会し、交流しました(9月1日、人民日報)。

「戦勝記念日」の9月3日には「抗日戦争勝利60周年」を高らかに歌い上げる記念式典での演説で、胡錦涛主席は「中国の軍隊と共に戦うだけでなく、危険をものともせず中国に戦略物資を輸送するためにヒマラヤを越えたアメリカのフライング・タイガース」とAVGの功績に言及しました(北京週報35号)。

 湖南省には記念館がオープンし(9月7日、新華社)、元隊員は昆明市から名誉市民号を与えられました(9月11日、新華社)。

 一行は南京の陸軍墓地を訪れました。ここには3000人の飛行士が眠っていますが、うち2000人はアメリカ人パイロットです(9月12日、新華社)。

 以上のように、中国メディアは報道しています。かつての戦友が旧交を温める光景は美しいのですが、中国メディアの報道では見苦しいほどに重大な事実が隠蔽されているようです。

 第1に、AVGは中国共産党ではなく、国民党・蒋介石政権の政治工作が功を奏した結果、結成されたのです。

 第2に、表向きは「義勇軍」ですが、AVGはアメリカ政府肝いりのれっきとした陸軍の正規部隊であり、そのことは今日、アメリカ政府が認めています。

 第3に、何よりも重要なことは、時の大統領ルーズベルトがAVG派遣を決めたのは日本が真珠湾攻撃を決意する前のことでした。

 AVGの功績を称えることは一見、「米中友好」を演出し、「日米離反」を画策するには都合がいいのですが、日本のファシストらが「侵略戦争」を開始させたと考える中国共産党の歴史観の主張とはまったく相容れません。

 AVGの歴史を明らかにすることは、日本の真珠湾攻撃をもって「太平洋戦争」が始まり、世界中が戦争の惨禍に招き入れられたとする、戦後、一般に流布してきた常識論的歴史像の見直しを迫らずにはおきません。

 真珠湾攻撃に関しては、宣戦布告のない「奇襲」「だまし討ち」だったかどうか、ルーズベルトが無線傍受によって「攻撃」を知っていたかどうか、という歴史論争はよく知られていますが、AVGの歴史はこの「奇襲」論争を一気に飛び越え、日本の真珠湾攻撃以前に、中国・蒋介石政権の工作によって、アメリカが対日戦争に踏み切っていたことを白日の下にさらします。

 ひいては、日本を「侵略国」「文明の敵」として断罪する、いわゆる「東京裁判史観」も否定されることになり、2005年春から各メディアを総動員して猛烈に展開された「A級戦犯」批判キャンペーンほか、中国のV60政治宣伝はすべて吹き飛んでしまいます。

 中国のAVG報道が素人だましの露骨な隠蔽を行っているのは、そのためでしょうか。

 たとえば、人民日報(ネット版)に7月12日付で載った「抗日戦争略史──1941年」では、「1941年8月1日にアメリカ空軍義勇部隊(フライング・タイガーズ)成立、陳納徳(シェンノート)が総指揮となる」とされていたのに、一週間後、7月19日の「対中援助に寄与した米国のフライング・タイガース」では「1942年4月創設」に変わっています。

 41(昭和16)年12月の日米開戦以前にAVGが成立していた、などとは、むろん書けるはずもありません。


◇2 「真珠湾」以前に対日参戦、アメリカの背後に蒋介石

 日本では無名に近いのですが、AVGの存在はアメリカでは知らない者がいないといわれます。1946年にハリウッドはジョン・ウェイン主演のその名も「フライング・タイガース」という戦意高揚映画を制作しています。第二次世界大戦中のビルマ・中国戦線での「活躍」は世界中に知れ渡り、いまなお出版物があとを絶ちません。ネット上には公式のウエブサイト(http://www.flyingtigersavg.com/)さえあります。

 日本でほとんど唯一の研究者、北星学院大学の吉田一彦教授が書いた『アメリカ義勇航空隊出撃』などによると、AVGの生みの親は、アメリカ陸軍航空隊の名パイロット、シェンノート准将です。

 盧溝橋で日中が全面衝突した1937(昭和12)年、蒋介石はシェンノートに中国空軍の訓練・養成に当たる軍事顧問就任を要請し、全面協力を得ることになりました。AVGの前史がここに始まります。

 そのころの中国は、日本軍の猛烈な進攻の前になす術がすりませんでした。上海、南京は次々に放棄され、首都は内陸の重慶に遷されました。蒋介石は世界に援助を求めましたが、応じたのはソ連だけでした。当時のソ連は日本の友好国のはずですが、中国に軍事物資を供給し、ソ連航空部隊は上海や南京で日本軍に対して軍事行動をとり、台北の日本軍基地を急襲しました。

 38年暮れには日本軍の重慶爆撃が始まり、ヨーロッパでは翌年9月、ドイツ軍がポーランドに侵攻したのをきっかけに世界大戦が勃発します。40年秋には最新鋭機「ゼロ戦」が重慶の空に姿を現しました。中国空軍は無力で、爆撃は熾烈さを増していきました。

 蒋介石は、アメリカの支援獲得に乗り出し、宋美齢夫人の長兄、クリスチャンでハーバード大卒の親米派・宋子文をワシントンに派遣しました。「夷をもって夷を制する」が蒋介石の戦略でしたが、そのころアメリカの不干渉主義の伝統は根強かったのです。

「いずれ日米は激突する」と信じるシェンノートは蒋介石から協力を求められてルーズベルト大統領を説得し、宋子文ら中国ロビーは「米国の支援がなければ中国は滅びる」とアメリカ政府に圧力をかけました。アメリカのマスコミは蒋介石を「勇敢な戦士」と賛美しました。

 日米はもうすでに無条約状態で、もとよりルーズベルトは中国支援に賛成でした。交戦国のいずれかに味方することはアメリカの「中立法」で禁じられていましたが、大統領は「同法はドイツなど『戦争仕掛け人』に有利」だとして、この法律に反対でした。

 こうしてヒト、モノ、カネをアメリカが提供し、中国空軍の識別マークで戦う異例の航空部隊が創設されたのです。まともに事を運べば明確な「中立法」違反でしたから、シェンノートは身分を偽って「中国銀行員」を装い、軍事作戦は商行為の仮面をかぶりました。

 41年初頭から隊員の募集が始まりました。給料は月600ドルで、日本軍機一機を撃墜するごとに500ドルのボーナスが支給されるという破格の厚遇です。現役軍人から人員を募集する大統領特別令も出されました。ルーズベルトは500機からなる部隊を準備し、中国派遣を命じました。これが「義勇軍」AVGの実態でした。

 開戦回避のためのぎりぎりの日米交渉が始まるのは同年4月で、野村大使とハル国務長官は連日の会談で開戦回避の打開策を模索していたのですが、陸軍航空部隊長の8月のメモによれば、AVGの創設はすでに「大統領と陸軍省が承認していた」といいます。

 日本は日米交渉が成功して、アメリカ主導で中国との和平が実現し、泥沼化した日中戦争から抜け出すことを期待していました。ところが、逆に中国はむしろ泥沼化を望んでいました。

 交渉が進まず、それでも日本が「対米開戦を辞さない決意で、開戦準備を行う」「平行して米英との外交手段を尽くす」という内容の「帝国国策遂行要項」を決定するのは9月6日の御前会議であり、交渉が破綻し、ハル・ノートの提案を受けて、対米英戦争を最終的に決定したのは12月1日の御前会議でした。

 したがって、日本の期待とはお構いなしに、アメリカは日米交渉開始以前に、そしてもちろん日本が真珠湾攻撃を準備するはるか以前に、AVGの作戦を現実に開始し、対日戦争に着手していたことになります。じつに11月までに「日本本土爆撃」までが計画されていたといわれます。

 したがってアメリカに日本の真珠湾「奇襲」を一方的に批判する資格はまったくないというべきでしょう。いずれの国が好戦的、侵略的なのか。あるいは、権謀術数が渦巻く国際政治の世界で、そのような単純な発問が本来、有効なのかどうか。虚心坦懐に実証的に、開戦の歴史を洗い直す必要がります。


▽3 AVGを「正規軍」と認めたアメリカ政府

 臼井勝美『日中戦争』などによると、イギリスはビルマ・ルートを再開し、日本はドイツを通じて和平を申し入れ、ソ連は軍事援助を供与しました。その状況を、周恩来は「蒋介石はイギリス、日本、ソ連から引っ張りだこになって喜んでいる」と皮肉ったといいます。

 中国軍はかつてないほどに増強され、もはや日本軍を恐れてはいませんでした。蒋介石が警戒するのは、日米開戦によってソ連が漁夫の利を得ることでした。ソ連の発言力が増し、共産勢力が蔓延することを恐れていたのです。

 最初に日ソが戦って両者が傷つき、そのあと日米戦で日本が敗北、滅亡するという構図を、蒋介石はそのころ描いていたといいます。

 41年7月、AVGの隊員たちはサンフランシスコで落ち合い、農民や宣教師、機械工と称してオランダの貨物船に乗り込み、太平洋に繰り出しました。第一陣の隊長はルター派の牧師でした。

 アメリカだけでなく、イギリスにも航空義勇軍派遣の計画がありました。「日本軍の雲南侵攻作戦が成功すれば、ビルマ公道が遮断される」という蒋介石の警告にチャーチルは派遣の意向を固め、オーストラリア、ニュージーランドも同意したのですが、その矢先、日本が真珠湾を攻撃します。

 12月8日(ハワイでは12月7日)に真珠湾を攻撃されて、アメリカではルーズベルトが「汚辱の日を忘れるな」と演説しましたが、重慶では戦勝気分に酔うかのような歓声が沸き上がったといわれます。蒋介石の「夷をもって夷を制する」戦略の勝利の凱歌でしょうか。

 蒋介石にとっては、アメリカの対日参戦はとりもなおさず日本の敗北を意味したのです。

 AVGが初陣を果たしたのは10日あまりのちの12月20日。雲南省昆明で10機の日本軍爆撃機を迎撃し、6機を撃墜、自軍の損害はありませんでした。

 AVGは「フライング・タイガース」のニックネームで呼ばれ、機体には「空を飛ぶ虎」のロゴ・マークがペイントされていました。アニメ映画から飛び出したかのような絵は、今日、世界の誰もが「平和の使徒」と信じて疑わないウオルト・ディズニーのデザインです。当局の依頼を受けて、ディズニー・スタジオがロゴを制作したようです。

 ウオルトは反共主義者で、終生、FBIの特別情報員を務めたといわれます。41年当時、ハリウッドのディズニー・スタジオは労働争議が絶えず、ウオルトは共産主義者への復讐心に燃えていました(M・エリオット『闇の王子ディズニー』)。

 ニューヨーク・タイムズ紙の報道によると、ウオルトは同じころ、30万人に上る中国の戦災孤児を救う全国運動の代表にも就任しています。同じ反共主義者の蒋介石は、ウオルトには同志と映ったのでしょうか。

 米中双方の反共主義者たちが共演したAVGを、今日では逆に中国共産党が最大限、政治利用しています。お見事というほかはありません。

 AVGは大戦を通じて、296機の日本軍戦闘機、爆撃機を破壊し、みずからの犠牲は4人の操縦士だけだったといわれます。42年には中国派遣米国航空隊として現役化され、翌年にはアメリカ第14航空隊に再編成されました。

 AVGの犠牲が少ないことはそれだけ優秀なパイロットと高性能の軍用機が投入されたことの証明でしょうか。中国メディアがいま、2000人以上のアメリカ人パイロットが戦争の犠牲になった、と報道しているのは何の根拠があってのことなのでしょう。

 もし中国の報道が正しいなら、逆に日本軍の抗戦ぶりこそ称えられなければなりません。

 1962年、中華民国(台湾)はシェンノートらの顕彰碑を建てました。外国人の功績を称える台湾唯一の記念碑といわれます。AVGに対する国民党の評価の高さをうかがわせます。

 一方のアメリカですが、この30年後、91(平成3)年7月6日付ロサンゼルス・タイムズ紙の一面に、アメリカ国務省がAVGの生存者100人を退役軍人と認定した、と伝える記事が大きく載りました。

「日米開戦50年」のこの年、AVG結成から50年にして、アメリカ政府はAVGを「義勇軍」ではなくて「正規軍」であったことを認めたのです。すなわち、日本の真珠湾攻撃以前に「中立国」であったはずのアメリカが、自国の「中立法」を侵して日中戦争に介入し、宣戦布告なしに対日戦争を開始していたことを政府が公的に認めたことを意味します。

 歴史の見直しの始まりです。


◇4 国民党の歴史を共産党の歴史にすり替える

 アメリカの歴史教科書にはまだAVGは描かれていないようです。

 開戦の経緯について、1967年初版の古い教科書で、いまは使われていないらしいヘンリー・グラフの教科書(邦訳「世界の歴史教科書シリーズ」25)は、日本をイタリア、ドイツと同様、拡張主義をとる「侵略国」であり、「民主主義の敵」と位置づけ、アメリカは平和を望んだが、真珠湾への「奇襲」によって戦争に引きずり込まれた、と記述しています。

 真珠湾攻撃が戦端となったという従来通りの認識ですが、「日本が太平洋上のどこかの地域を攻撃する計画があることを、アメリカは暗号コードの解読で知っていたが、攻撃がアメリカの領土に直接、向けられると信じた政府高官はいなかった」と述べ、アメリカの暗号傍受・解読に言及しているのは注目されます。

 最近の教科書はさらに進んでいます。『アメリカの歴史教科書が教える日本の戦争』の著者、在米ジャーナリストの高濱賛氏によると、アメリカの教科書は「日本人が想像するほど、真珠湾について一方的ではない」そうです。かつては定番であった「奇襲」「だまし討ち」という表現は消えています。

 リベラル派の教科書といわれるカリフォルニア大学バークレー校・ゲリー・ナッシュ教授編著の“The American People”は、「日本は侵略者」「日本による奇襲」とする一方で、「アメリカ人は日本人を過小評価していた。人種的偏見からだ。まさかハワイを攻撃できる能力を持ち合わせていないと思っていた」と記述し、自己批判を怠りません。

 アメリカには中国流の国定教科書制度があるわけでもないし、日本のような全国共通の指導要領や教科書の検定制度もありません。学習指導の内容や教科書の採択は各州、各学区の教育委員会に委ねられているということですから、単純な比較は無理ですが、少なくともアメリカの教科書にはより深く史実を究明しようとする学問的意欲が伝わってきます。AVGの歴史が記述される日は近いかもしれません。

 けれども、中国国営メディアのV60キャンペーンにはそのような歴史的態度が微塵もうかがえません。「70万トンの支援物資を中国に輸送した」などと、まるでAVGが戦闘部隊ではなく、輸送部隊であったかのような書きぶりで、AVGが昆明などで日本軍機と実際に交戦したことへの言及もありません。

 それどころか、蒋介石の名前すらありません。蒋介石の老獪な政治工作でルーズベルトを対日戦争に引き入れた歴史が、中国共産党主体の歴史に巧みにすり替えられ、搭乗機を日本軍に撃墜された元隊員が八路軍に救われ、延安に連れて行かれて毛沢東や周恩来に会ったという「美談」までがまことしやかに報道されています(8月23日、人民日報)。

 日本に歴史問題を突きつけてきた中国が牽強付会に走るのは、中国の歴史主義がつねに政治的だからでしょうか。そもそも参加してもいない「東京裁判」を持ち上げ、猛烈な「A級戦犯」批判キャンペーンを2005年春から次々に繰り出した中国国営メディアが、「東京裁判史観」に疑問を投げかけるような史実など書けるはずもないということでしょうか。


◇5 開けてはならなかったパンドラの筺

 5月9日付の人民日報は、「世界反ファシスト戦争勝利60周年」と題する社説で、「歴史を鑑として、はじめて未来に向かえる。ファシズムの侵略戦争は世界人民に深刻な災難をもたらし、侵略戦争を発動した国の人民にも大きな害を与えた。歴史を正しく認識し対処するには、侵略戦争への反省を行動に移し、被害国人民の感情を傷つけることを繰り返さないことだ」と主張しました。

 相も変わらぬ、「ファシスト」対「反ファシスト」、「加害者」対「被害者」、「侵略」対「被侵略」という階級闘争史観風の二項対立的歴史理解ですが、それだけに中国共産党とそのメディアがAVGの歴史に足を踏み入れたことは逆に注目されます。AVGは善悪二元論的な歴史理解の枠外にある、中国にとっては禁断の木の実のはずだからです。

 もともと中国共産党には「侵略戦争」を批判する資格があるでしょうか。

 毛沢東が「中華人民共和国」の建国を宣言したのは、東京裁判の被告「A級戦犯」のうち7人が絞首刑となった翌年、1949(昭和24)年10月です。戦争中、中国共産軍が八路軍と称して国府軍の指揮下にあったとはいえ、共産勢力は日本の「交戦国」とはいえないし、当然、新中国はポツダム宣言や東京裁判の審議・判決などに関わっていません。

 51年9月のサンフランシスコ講和会議にも参加していません。それどころか周恩来は単独講和の無効を声明したのではなかったでしょうか。ポツダム宣言の当事国で、降伏文書に調印し、東京裁判に参加した「中国」とは蒋介石の中華民国国民政府(台湾)です。

「侵略戦争」「東京裁判」「戦犯」と直接的関わりのない中国共産党ですが、にもかかわらず戦後、多年にわたって多数の日本人「戦犯」を国内で拘束し、きわめて政治的に取り扱ってきました。

 たとえば、大戦末期から終戦直後にソ連軍が「捕虜」として拘束した抑留者のうち969人が1950年にスターリンから毛沢東に移管され、「戦犯」の刻印を押され、撫順刑務所で思想教育を受けました。

 過酷なシベリア抑留とは天と地の「人間的」扱いのなかで日本人「戦犯」は「侵略」を「認罪」「反省」し、「寛大」な中国人民に赦されたことになっていますが、中国国内向けには「被害者」の人民を納得させ、同時に対日工作の道具として「戦犯」を利用する周恩来の深謀遠慮がありました。

 満州では民衆の即決裁判で3500人の日本人が犠牲になったといわれ(満蒙同胞援護会編『満蒙終戦史』)、中国の対「戦犯」政策が「人間的」だったなどとはけっしていえません。

「革命は銃口から生まれる」という毛沢東の言葉通り、中国は戦争を最大限、政治に利用しています。実際、昭和29年9月、「侵略戦争に荷担したが、罪を認め、赦免」された「戦犯」は帰国直後、「偉大的祖国」と口々に新中国を讃えた、と当時の新聞は伝えています。

 けれども時代は変わりつつあります。

 とくに江沢民政権以来、歴史カードは日本への牽制であると同時に国内の不満層への懐柔策として一石二鳥に機能しました。中国では政権批判はかならず「反日」の形をとります。政府が制御可能なうちはまだしもですが、サッカー・アジア杯「反日」暴動に示されるように、いまや「反日」は政権基盤を揺るがす諸刃の刃であり、重荷となっています。

 社会は断裂し、貧富の格差は「世界最大」といわれ、毛沢東以来の「大同(絶対平等主義)」の夢は完全に破れました。しかも改革・開放の過程で莫大な財をなした「新富人」が台頭し、中国を支配しつつあります。共産党は国家指導者としての役割を果たせなくなりました(清水美和『中国「新富人」支配』)。

 小泉首相の5度目の靖国神社参拝後、日本のマスコミは例によって内外の批判と抗議を大々的に報道しましたが、中国の反応を子細に検討すれば、中国政府は「反日」活動家を拘束し、抗議デモを封じ込めるなど、表向きとは違って思いのほか抑制的に対応しています。

「反日」の高まりを警戒しているのは日本ではなく、中国政府でしょう。

 経済的には日本を抜きにして国が成り立たない中国にとって、歴史問題を日本に突きつけ続けることが中国の国益にかなうはずはありません。けれども「抗日戦争勝利」が中国共産党の揺り籠である以上、捨てるに捨てられないのです。

 しかも今度は「米中友好」を演出したいばかりに、「日本の侵略」否定につながるAVGの歴史に手をつけてしまいました。

 パンドラの筺を開けた中国はもはや隠蔽とウソを重ね続けるしかありませんが、それはいつまで可能でしょうか。
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ポスト胡錦涛権力闘争に政治利用される皇室?───習近平国家副主席「特例天皇会見」の意味 [中国共産党]

 鳩山政権はじつに愚かなことをしたものです。
以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


 今上陛下は、きのう14日に来日した中国の習近平国家副主席と今日、ご会見になります。ご案内の通り、政府および民主党の政治的圧力を受け、「1か月ルール」をやぶり、急遽、ごり押し的に決定されたもので、「天皇の政治利用」との批判が強まっています。

 たとえば読売新聞の社説(13日付け)は、「天皇が時の政権に利用されたと疑念が持たれることは、厳に慎むべきなのだ。その基本を現政権はわかっていないのではないか」ときびしく批判しています。

 ここで問題にされているのは官邸サイドのルール破りで、「1カ月ルールを外しての会見設定が天皇の政治利用につながるのではないかとの印象を与えかねない」と社説は解説しています。

 ぶら下がり会見で首相が記者たちと交わした質疑応答も、まったくこのルールをめぐることで、首相は「杓子定規では国際親善は進まない。国際関係を好転させるためだから、政治利用には当たらない」と懸念を否定しています。

 つまり、もっぱら国内において天皇と政府との関係が問題にされ、国際親善という錦の御旗によって正当化されています。首相もメディアも天皇の国内的な政治的中立性の確保に関心が向けられているのですが、問題はその程度のことではないだろうと私は思います。

 深刻なのは、天皇の政治的中立性を確保しようとする側に、政治的な総合的判断能力が決定的に不足しているということです。その結果が今回のごり押し会見設定なのだと思います。


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 1 ポスト胡錦涛権力闘争に政治利用される皇室?
   ───習近平国家副主席「特例天皇会見」の意味
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▽なぜ中国側の作業が遅れたのか

 別項に資料として、マスメディアが伝えているご会見決定までの経緯をまとめてみましたので、ご覧いただきたいのですが、今回の特例会見設定で考えなければならないのは、次の3点かと思います。

(1)習近平国家副主席とは何者なのか? なぜ陛下との会見が設定されなければならないか?

(2)中国側は年初から「国家指導者」来日を打診してきたが、それが習近平国家副主席であるとの説明があったのは10月になってからだった。陛下との会見も希望されたので、日本の外務省は具体的日程の連絡を中国側に再三求めたが、遅れた。この中国側の遅れがなければゴリ押しも不要だったはずだが、なぜこのように作業が遅れたのか?

(3)首相官邸は12月7日、日中関係の政治的重要性、中国側の強い希望を強調して宮内庁に対応を試みたが、宮内庁は拒否した。2日後、小沢大訪中団の離日の前日に崔天凱中国大使が小沢幹事長に直接、要求し、小沢・胡錦涛会談の当日、会見が決まった。この背景に何があるのか?

 つまり、ご会見の政治利用について、日本の国内問題としてだけでなく、中国の国内問題、国際的問題として理解する必要があり、そのように考えると、首相のいう「国際関係を好転させる」ためとはほど遠い、じつに恐るべきことが浮かび上がってくると私は考えます。


▽中国による皇室の政治利用

 まず、習近平国家副主席について、です。

 日本の一般メディアは、ポスト胡錦涛の最右翼、と繰り返し報じています。しかし権力闘争が日常的に休まることがない中国共産党内部で、後継者が簡単に定まることなどあり得ません。

 昨年春、国家副主席となった習近平は、胡錦涛国家主席ら「団派」(共産主義青年団)と対立関係にある「上海派(江沢民派)」「太子党」であり、ポスト胡錦涛をめぐっては団派で胡錦涛直系の李克強との暗闘が繰り返されていると聞きます。

 事実、今年9月、中国共産党第17期中央委員会第4回総会(4中総会)で習近平は軍事委員会副主席入りが確実といわれたものの、予想に反して実現しませんでした。

 今年の初めからすでに「国家指導者」の来日が予告されながら、名前が伏せられ、10月になってようやく習近平の名前が告げられ、陛下との会見が希望されたのは、この期間の中国国内の権力闘争の激しさを想像させるのに十分です。

 また、陛下との会見を希望する理由として、平成10(1998)年に当時、国家副主席だった胡錦涛が会見していることがあげられているのは、胡錦涛と同じ扱いを望み、天皇会見を利用して共産党内で巻き返しを図り、権力掌握に弾みを付けたいという思惑が感じられます。

 だとすれば、これは中国による皇室の政治利用そのものです。

 つまり、鳩山政権は、単に憲法に「国政上の権能を有しない」と定められているということではなくて、古来、日本の最高権威であり、それゆえ現実の権力政治から超然たる地位にあるべき天皇が、国内的に政治利用されるのではなくて、外国の政治闘争の道具として利用されることを、愚かにも許したということになります。


▽繰り返される政治利用

 中国による皇室の政治利用はこれまで何度も繰り返されています。そもそも政治性のない中国人など聞いたことがありません。

 たとえば平成4年の今上天皇の訪中は、3年前の血なまぐさい天安門事件以来、西側諸国がとるきびしい対中制裁を打破するのに大きく貢献した、と中国政府側は理解しています。

 このおぞましい血の弾圧のあと、国際的な汚名をそそぐのに積極的役割を果たしたのが日本政府でした。西側首脳たちが「弾圧のシンボル」である人民英雄記念碑に献花を避けるなか、先進国首脳としてまっ先に花輪を捧げたのが海部首相だったのです。海部訪中は翌年の陛下の訪中の露払いでしたが、さすがに陛下は記念碑を表敬することはありませんでした。

 天皇が日本の最高権威であることを、中国の権力者たちは、日本の政治家以上に熟知しているのでしょう。だからこそ、政治利用しようとするのです。それに対して、日本側はあまりに無防備で、完全に足元を見透かされています。

 いや、日本の政治家もまた、天皇を政治利用しています。

 ギリギリの段階での天皇会見の設定は、陳情窓口を一本化し、政治判断を一元化した民主党の小沢幹事長によって決まったようです。日米同盟が普天間基地移設問題で混乱し、危機に瀕するというとき、小沢幹事長および民主党のあからさまな中国重視の姿勢が中国による皇室の政治利用を許したのです。

 600人を超える小沢大訪中団の1人1人と胡錦涛国家主席がにこやかに、無邪気に握手を交わし、いやが上にも小沢幹事長の政治的存在感が増すなか、天皇の政治利用は決められたのです。胡錦涛派と上海派との日中外交をめぐる主導権争いに、天皇会見が利用されたのではないかという疑いが、いよいよ濃厚です。

 これに対して陛下を守るべき宮内庁が抗しきれなかったのは返す返すも残念ですが、宮内庁が内閣府の一外局に過ぎないことによる限界なのでしょう。羽毛田長官も記者に弁明する程度で、職を賭して天皇の政治利用を阻止するほどの気概はなかったのでしょう。

 ご即位20年の記者会見で陛下は「我が国の安寧を願い,国民の健康と幸せを祈ります」と述べられています。昨年のご不例は、「皇室に関わるもろもろの問題をご憂慮」(羽毛田長官所見)になったというのではなく、百年に一度ともいわれる深刻な経済危機で国民の苦しみを思われてのことでしょう。この年末、不況にあえぐ多くの国民に陛下はどれほど心を痛めておられることか。

 はるかに高い次元で国と民を思う天皇となまぐさい政治に明け暮れる権力者たちとは違います。だからこそ、天皇の政治的中立性が必要なのです。


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 2 資料 習近平中国国家副主席来日会見までの経緯
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 伝えられている今上陛下のご会見決定までの経緯は次の通り。

平成7年7月 大腸ポリープの摘出手術。このころから外国要人との会見は1カ月前までに外務省から文書で正式申請する「1か月ルール」が慣例となった

15年1月 前立腺癌の摘出手術

16年以降 「1か月ルール」を政府内で徹底化

21年初め 中国側が日本外務省に、日中間のハイレベル交流のため「国家指導者」来日を打診

10月頃 中国側が、来日する「国家指導者」が習近平国家副主席であると説明。天皇陛下との会見を希望する旨表明。その後、日本外務省が中国政府に日程を早急に連絡するよう繰り返し申し入れたが、具体的な作業が遅れた

11月26日(木曜) 日本外務省が宮内庁に会見を打診

11月27日(金曜) 宮内庁が「応じかねる」と外務省に返答

12月7日(月曜) 平野官房長官から羽毛田長官に「首相の指示。日中関係の重要性にかんがみてぜひ」と強い要請。このとき官房長官は(1)日中関係は政治的に重要、(2)中国政府側が実現を強く望んでいる、の2点を強調した

12月9日(水曜) 小沢幹事長が崔天凱中国大使と国会内で会談、崔大使が習近平国家副主席と天皇陛下の会見実現に協力を求めたのに対し、小沢幹事長が「趣旨はよくわかった。努力する」と答えた。この間、中国政府の要請を受けた民主党は、山岡国対委員長が鳩山首相や宮内庁などに会見実現を働きかけたが、難航したため小沢・崔両氏の会談が持たれた

12月10日(木曜)夕 ふたたび官邸から宮内庁に要請。この間、小沢幹事長が鳩山首相に会見の実現を働きかけ、首相が平野官房長官に会見実現の検討を指示した。中国外交部報道官は定例会見で「習副主席の訪日を通して日中両国の政治的相互信頼の強化や互恵協力の拡大、両国国民の友好的な感情の増進、戦略的互恵関係の持続的な発展が推進されることを期待している」と述べた。この日、小沢大訪中団が胡錦濤国家主席と会見した

12月11日(金曜) 岡田外相が記者会見で、習近平国家副主席が15日午前に天皇陛下と会見することを明らかにした

12月11日午後 羽毛田宮内庁長官が急遽、報道陣に経緯を説明。強い懸念を表明「まことに心苦しい。二度とあってほしくない。(天皇の政治利用につながりかねない懸念があるということか、との記者の質問に)大きく言えばそういうことだろう」

12月11日夕 鳩山首相が記者団に特別扱いを認める。「ルールはわかっていたが、陛下の体調に差し障りのない範囲で会ってほしいと官房長官に指示した」「政治利用という言葉は当たらないと考えている」「幹事長から話があったわけではない」

12月11日深夜 中国外務省が習近平国家副主席と天皇陛下との会見が決まったことについて感謝の談話を発表「日本政府の招きによる習副主席の訪日は、両国間の戦略的互恵関係の推進に重要な意義がある」

12月12日(土曜)朝 TBS番組で公明党の高木幹事長代理が「ルールは守るべきだった。小沢幹事長が中国に行って胡錦濤主席と会った。お返しなのかな」と述べる

12月12日 習近平国家副主席が北京の人民大会堂で日韓メディアと会見し、「4カ国と善隣友好協力関係をいっそう発展させたい」と日中関係の重要性を強調した

12月14日(月曜) 習近平国家副主席が来日

12月15日(火曜) 天皇陛下が習近平国家副主席とご会見(予定)

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歴史を鑑としない中国共産党 [中国共産党]

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 歴史を鑑としない中国共産党
(2009年7月15日)
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 最近、とんと音沙汰のないのが、「反日」の権化だった江沢民前国家主席です。かの江沢民をいま非常に懐かしく思うのは、その専売特許である「歴史を鑑として未来に向かう」が、日本にお灸を据える決まり文句ではなく、いまや中国自身にこそ突きつけられているように思うからです。

 江沢民が国家主席としてはじめて来日したのは、もう10年あまりも前、1998年11月のことです。当時の両国関係は良好で、平和友好条約締結20周年の来日は当初、「過去を終結させ、未来を切り開く」はずでした。

 ところが、来日した江沢民は「日本の侵略」はあるものの、「謝罪」に言及しない共同宣言の内容に激怒します。小渕首相との首脳会談で「日本は中国にもっとも重い被害を与えた」とかみついたうえに、宮中晩餐会で無遠慮に日本を批判し、さらに行く先々で「正しい歴史認識」を強調しました。

 他国を侵略する行為が非正義だというのなら、中国自身はどうなのか。何のことない、いまのこの時代に、紛れもない侵略行為を平然と犯し、なおかつ自己正当化しているのが、ほかならぬ中国共産党です。

 宮崎正弘さんの先日のメルマガによると、「東トルキスタン」という独立国だったいまの新疆(しんきょう)ウイグル自治区に、第二次大戦後、中国が侵略し、政治的、宗教的指導者たちを抹殺し、ウイグル人の文化を破壊しただけでなく、大量の漢族を移住させ、地下資源を奪い、植民地化したのでした。核の実験場としたことも忘れてはなりません。

 同じことはチベットでも起きています。

 中華人民共和国成立後、中国共産党は、チベットは中国の一部、と主張して「チベット解放」を宣言し、武力侵入しました。人民解放軍の大軍が進駐し、寺院や自然の破壊と略奪が始まり、女たちは乱暴され、インフレが起こり、飢餓が生じました。東南チベットのカム州の大部分が四川省に組み込まれるなど、国土は分断され、それどころか、80年代までに戦闘や飢餓のため、120万人の命が失われたといいます。
http://homepage.mac.com/saito_sy/religion/H120214JStibet.html

 中国共産党こそまごう事なき、現代の侵略者です。

 これに対して、日本はどうか、といえば、1917年にロシアで共産革命が起きたとき、大挙して国外に避難することになったイスラム教徒たちに救いの手をさしのべたのが、日本です。明治神宮にほど近い住宅街に建つモスク「東京ジャーミー」は、友好の歴史をいまに伝える生き証人です。
http://homepage.mac.com/saito_sy/war/JSH180417toyama.html

 日本の過去の歴史がすべてよかった、などと主張するつもりはありませんが、中国共産党に他国の歴史を批判する資格は明らかにないといえます。

 歴史を鑑とすべきなのは、日本ではなく、中国です。

 しかし中国の侵略はやみそうにありません。日本人とは違って、自省の精神が見えないだけでなく、江沢民の日本批判が胡錦涛派との権力闘争が背景にあったように、ウイグルでの血の弾圧には、どうやら共産党内部の権力闘争の側面がうかがえるからです。

 中国共産党の歴史に終止符が打たれない限り、チベットの独立もウイグルの独立も夢のまた夢ということでしょうか。

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中国共産党大会が開幕 [中国共産党]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年10月16日火曜日)からの転載です


〈〈 本日の気になるニュース 〉〉


1、「中国情報局」10月15日、「中国共産党第17回全国代表大会、北京市で開幕」
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2007&d=1015&f=politics_1015_002.shtml

 新華社電を引用するサーチナの記事は、壇上に並んだ幹部の顔ぶれのなかに、胡錦涛に続いて、2番目に、呉邦国でも、温家宝でもなく、江沢民をあげています。

 党大会を目前に繰り広げられた熾烈な権力闘争の結果が見えるのと同時に、胡錦涛政権の今後のありようが透けて見えます。

 中国問題にくわしい宮崎正弘さんは、今朝のメルマガで「世界が失望した中国共産党大会の初日。化石世代、分けても江沢民が現れては失望の末の深い沈黙」と題し、ニューヨークタイムズの分析を紹介しています。
http://www.melma.com/backnumber_45206_3863049/


2、「読売新聞」10月15日、「中国、ポスト陳時代にらみ、台湾に対話をよびかけ」
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20071015i413.htm?from=navr

 党大会の政治報告で胡錦涛総書記が対話を呼びかけたというのです。「武力行使」が消えたというのですが、記事を読む限り、まだまだ強圧的な脅しのように読めます。

 当然というべきか、台湾は拒否しています。
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20071015AT2M1502N15102007.html


3、「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」10月15日、「きょうから第十七回中国共産党大会。2217名の党大会代表はマスコミ、友人から隔離されている」
http://www.melma.com/backnumber_45206_3861834/

 ロサンゼルス紙を引用して、すさまじい情報統制、言論統制ぶりを伝えています。
 こちらもどうぞ
http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-party14oct14,1,2602259.story


 以上、本日の気になるニュースでした。

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