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天皇とは何だったのか。どこへ向かうのか。肝心なことを伝えないお誕生日会見報道 [皇室報道]

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天皇とは何だったのか。どこへ向かうのか。肝心なことを伝えないお誕生日会見報道
《斎藤吉久のブログ 令和2年3月1日》
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先月23日は今上天皇の60歳のお誕生日でした。皇位継承後はじめての天皇誕生日で、昭和天皇以来、恒例となっているお誕生日会見で何を語られるのか、注目が集まりました。

昭和、平成とは異なり、いまや完全なネット社会で、会見の模様は宮内庁ほか各メディアが全文を、動画も含めて、サイトに掲載するようになりました。〈https://www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/30

しかし、新聞・テレビの報道は字数の制限がありますから、当然、部分的な要約にならざるを得ません。会見の質疑応答はきわめて多岐にわたり、盛り沢山で、それだけに報道する側の問題関心のポイントが浮き彫りになります。

そしてやっぱり肝心なことが読者には伝わらないという結果を招いているようです。天皇とは何だったのか、皇室はどこへ向かおうとしているのか、です。


▽1 象徴天皇像の追求

朝日新聞(電子版。以下同じ)は、『天皇陛下「もうではなくまだ還暦」 即位後初の誕生日』(長谷文、中田絢子記者)、『天皇陛下、言葉ににじむ理想 これまでの会見を振り返る』(同)を載せています。

前者は『象徴天皇としての今後について「研鑽を積み、常に国民を思い、国民に寄り添いながら、象徴としての責務を果たすべくなお一層努めてまいりたい」と言及。「憲法を遵守し、象徴としての務めを誠実に果たしてまいりたい」とも語った』と、現行憲法下での象徴天皇像を追求されることを表明されたことになっています。

後者では、即位後のご感想、御代替わり儀礼についてのお考え、家族について、皇室の現状について、など各テーマを取り上げてご発言を要約し、さらに過去のご発言と比較するというきめ細かい報道に努めています。

そして、『国民と共にある皇室――。理想とする皇室像について問われるたび、陛下は同じ言葉を繰り返した』『この考えの原点となったのが、20代半ばに約2年間留学で滞在した英国だ』『皇太子として最後の会見(2019年2月)では「国民の中に入り、国民に少しでも寄り添う」ことを大切にしたいと決意を述べた』と結んでいます。

記事には事実として間違いはありません。けれども重大な一点が抜けています。朝日の記事では今上天皇が憲法を最高法規とする象徴天皇像を追求するご決意を述べられたかのように読めますが、事実は違います。

今上は会見の冒頭から、『上皇陛下のお近くで様々なことを学ばせていただき』『歴代の天皇のなさりようを心にとどめ』と仰せになり、『上皇上皇后両陛下』を何度も繰り返されました。憲法への言及は第2問への返答の最後に行われています。記事には「上皇」「歴代」はありません。悠久なる伝統の継承が無視されているのです。


▽2 単純な護憲派ではない

平成の時代にも同じような報道がありました。陛下や皇太子殿下(今上天皇)のご発言の一部を取り上げ、まるで護憲派政党のシンパでもあるかのように持ち上げ、改憲勢力を牽制する文字通り、錦の御旗に利用したのです。政治的、恣意的です。

 【関連記事】護憲派の「象徴」に祭り上げられる皇室──部分のみ報道するメディアhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2014-03-02

たとえば、太上天皇は平成21年11月、御即位20年の記者会見で、「長い天皇の歴史に思いを致し,国民の上を思い,象徴として望ましい天皇の在り方を求めつつ,今日まで過ごしてきました」とお答えになっています〈https://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h21-gosokui20.html〉。

今上天皇も、皇太子時代から機会あるごとに、皇室の伝統と憲法の規定の両方を追い求めることを表明してこられました。たとえば、平成26年、54歳のお誕生日には次のように語られました。

『公務についての考えにつきましては,以前にも申しましたけれども,過去の天皇が歩んでこられた道と,天皇は日本国,そして国民統合の象徴であるとの日本国憲法の規定に思いを致して,国民の幸せを願い,国民と苦楽を共にしながら,象徴とはどうあるべきか,その望ましい在り方を求め続けるということが大切であると思います』〈https://www.kunaicho.go.jp/okotoba/02/kaiken/kaiken-h26az.html

太上天皇も今上天皇も、単純な護憲派ではないのです。

朝日新聞の長谷、中田両記者には、皇室をどうしても護憲派に仕立て上げなければならない特別の事情がおありなのでしょうか。

といっても朝日の報道ばかりを責め立てられません。読売は『「象徴の道、始まったばかり」…天皇陛下60歳に』、毎日は『天皇陛下60歳誕生日「憲法順守し、象徴としての務めを誠実に果たす」』(高島博之記者)、日経も『「象徴の務め、誠実に」天皇陛下会見全文』と似たり寄ったりだからです。


▽3 皇室とメディアとの隔たり

産経だけは少し違い、「天皇誕生日 国民も心一つに歩みたい」と題する【主張】(社説)を掲げ、『広く国民のことを思い、寄り添われる姿は、……昭和天皇から上皇陛下へと引き継がれ、今上陛下が間近で学ばれてきた皇室の伝統である』『(天皇は)数多くの宮中祭祀で、日本と国民の安寧や豊穣を祈られている』と古来の伝統を継承する皇室の姿に言及しています。

しかし産経とて、太上天皇、今上天皇が以前から繰り返し、皇室の伝統と憲法の理念の両方を追求されると表明されていることを指摘しているわけではありません。

天皇とは何だったのか。いかにあるべきなのか。その認識には、皇室とメディアとの間には大きな隔たりがありそうです。

太上天皇、今上天皇にとっては、憲法が規定する国事行為だけを行うのが象徴天皇ではありません。各紙が言及する象徴天皇もまた、被災地で被災者を励まされるなど、国事行為以外の象徴行為を行う天皇なのですが、メディアにとってはあくまで憲法的あり方にとどまっています。しかし皇室にとっては、古来、国と民のために私なき祈りをひたすら捧げてこられた祭り主天皇の発展形なのでしょう。公正かつ無私なる祭り主であり続けることが天皇の天皇たる所以なのです。

各紙の優秀な記者の方々はどうかそこに気づいてほしいと思います。いまやネットの時代で、誰もが一次情報にアクセスできるようになりました。部分的で偏った報道は簡単に見破られてしまいます。


斎藤吉久から=当ブログ〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/〉はおかげさまで、so-netブログのニュース部門で、目下、ランキング10位。アメーバブログ「誤解だらけの天皇・皇室」〈https://ameblo.jp/otottsan/〉でもお読みいただけます。読了後は「いいね」を押していただき、フォロアー登録していただけるとありがたいです。また、まぐまぐ!のメルマガ「誤解だらけの天皇・皇室」〈https://www.mag2.com/m/0001690423.html〉にご登録いただくとメルマガを受信できるようになります。
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身震いするほど実感する皇室報道の難しさ by 麹町のアン───雑誌ジャーナリズムの最前線で [皇室報道]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


 天皇学の構築を目標とする当メルマガは、目下、私個人の媒体から、より開かれたメディアへの脱皮を図っています。「学問は1人でするものではない」と信じるからです。

 そのため葦津泰国さん、市村眞一先生、佐藤雉鳴さん、高井三郎先生など、私以外の方々のエッセイなどを掲載しています。今日、お届けするのは、雑誌編集記者として皇室報道にたずさわる、麹町のアン様による皇室報道論です。

 とかく批判の多い皇室報道ですが、当事者側からの反論ないし生の声というものを聞く機会はあまりないと思いますので、今回はたいへん貴重な機会かと考えます。

 ところで、先日、デンマーク人と話していたら、「王制はsillyだ(バカげている)」と強い調子で批判していたのには、驚きました。デンマーク国民の王制への信頼は揺るがない、と思い込んでいた私がステロタイプだったようです。

 このデンマーク人は「誰でも大統領になれる」という共和制の方が優れている、と信じて疑わず、議論の余地もないほどでした。

 日本にもそのように確信的に考える人がいますが、だとすれば、君主制、あるいは天皇の本質、存在意義というものを理論的に、かつ現代的に深める必要があるとあらためて考えています。感情論では議論は少しも進展しないからです。相手を説得することはできないからです。

 それでは、本文です。


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 身震いするほど実感する皇室報道の難しさ by 麹町のアン
 ───雑誌ジャーナリズムの最前線で
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 私はある月刊誌で毎月、皇室記事を執筆している。担当するようになって2年以上が経過するが、日に日に遅筆になり、考えがなかなかまとまらないのが現状である。なぜなら、皇室は非常に奥深く、一言でいうならば“日本史”をおさらいして、現在の皇室のトピックスと結びつけるという、いわば強引なやり方で執筆しなければならないからだ。

 たとえば、いま国民的な関心事になっている「愛子さまの不登校騒動」である。

 週刊誌などは「乱暴なA君」が誰なのか、どんな「乱暴」があったのかとか、雅子さまと愛子さまが何時間目に登校し、下校は何時ごろだったのか、給食は食べたのかどうなのかなどの表面的な事象を取り上げている。

 しかし、この騒動の本質は「皇室の在り方が根本的に変わる」というところにあると私は思っている。私を含めた皇室担当の記者たちは、まずこのことに呆然(ほうぜん)として、次に蜂の巣をつついたような騒ぎになった。


◇1 直接取材で確認できないもどかしさ

 2000年の長きに渡り、わが皇室は「私事よりも公」を優先し、国民のために祈ることを“家訓”にしてきたと思う。また、どんな立場の人にも公平にその慈愛を注いできた。だから、国民は皇室を敬ってきたのだと思っている。つまり、国民と皇室の関係は慈愛と敬愛を仲立ちに成り立ってきたのだと思っている。

 ところが、3月5日に野村一成東宮大夫(とうぐうだいぶ)から発せられたのは「愛子内親王が“乱暴な男児”に怯(おび)えて登校を躊躇(ちゅうちょ)されている」という衝撃的な内容だった。当然、皇太子ご夫妻のご意向を踏まえての発言だったと考えるのが自然で、結果的に“国家”の体現者がわずか8歳の子どもを“告発”したかたちになったのとニアリー・イコールだと思う。

 いまだに皇太子妃殿下は毎日車で“同伴登校”を続けられているし、授業も参観されている。愛子内親王のご不安がそこまで強いというのはお気の毒としかいいようがない。母親なら誰でもそんな我が子をなんとかしなければならないとパニック同然に陥るはずだ。

 しかし、皇太子妃殿下という「立場」を考えると、厳しいようだが首を傾げざるを得ない。一連の騒動ではっきりしたのは、皇太子妃殿下が「公よりも私事を優先」するご姿勢が強いと見られても仕方がないことである。

 しかし、このことをご本人をはじめ、皇族方に取材するすべはない。“確認”できないから、どうしても安易な枝葉末節な事象にスポットを当てざるを得ないのが現状だ。靴の上から足を掻(か)くようなもどかしさがある。


◇2 ブラックホールと隣り合わせのような緊張感

 未成年皇族と一般教育の問題点も表面化したといえる。

 皇太子同妃両殿下は学習院側に「普通の子どもと同じように扱ってください。特別扱いはしないで下さい」とご要望だったと聞いている。しかし、私が取材する限り、学習院側は愛子内親王のご入学にあわせ、さまざまな特別体制を整えていた。

 大人の世界では“特別扱い”を「特別なお立場の方なのだから当然のこと」と受け止められても、子どもの世界、特に低学年までの間にはそういう大人の論理は通用しない。愛子内親王といえども“揉まれる”のが避けて通れないのではないだろうか。

 妃殿下のご病気のことは承知しているつもりだが、今回のことは、どう考えても皇室の「私事より公を優先」という伝統からかけ離れすぎていると思えてならない。これまでも皇太子妃殿下が静養ばかりしているとか、三ツ星レストランに出かけたとか、ご実家とばかり交流しているなど、バッシング記事が頻繁に掲載された。しかし、ここまで「公よりも私事を優先」という強烈さはなかったように思う。

 皇室問題はじつに奥深く、まるで大きく口を開けたブラックホールと隣り合わせにいるような緊張感がある。

 たとえば宮中祭祀に関する記述をするとき「御代拝」を「ご代拝」と記せば、記者の能力が問われるし、記事全体がとたんにうそ臭くなる。政治問題とも密接に関わっている。つまり、あまりの広がりに呆然としてしまうことも多々あるのだ。

 枝葉末節の事象を面白おかしく書き連ねる雑誌の皇室報道にご批判があるのは十分承知している。しかし、10人集まれば10人それぞれに違った皇室観があること、勉強を重ねなければ枝葉末節の事象の本質を理解できないこと、皇室の歴史は日本史そのもの──などの特殊さもあり、皇室の報道は非常に難しいのも事実なのだ。

 毎回、記事を執筆するたびに身震いするほど実感している。


タグ:皇室報道
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公私の基準は何か──毎日記者の批判を批判する [皇室報道]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2008年10月28日)からの転載です


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 公私の基準は何か
 ──毎日記者の批判を批判する
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 やっと原稿がまとまりました。

 このメルマガは並木書房の社長との出会いをきっかけに、将来の出版を目標に始まりました。そしておかげさまで、先週ようやく350枚の書籍用の原稿が書き上がりました。

 書名は『失ってはならない天皇のまつり』(仮題)。出版社はもちろん並木書房。年内には完成の予定です。

 天皇・皇室について、文明論的に、比較文化的に、そして現代的に、私なりに表現したつもりです。どうぞ皆さま、お買い求めのうえ、ご一読ください。なお、出版の進行状況については随時ご報告するつもりです。


▽1 またまた東宮批判か
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 さて、今日は10月21日付、毎日新聞の「記者の目」を取り上げます。東京社会部の真鍋光之記者による記事には「公務欠席し、運動会に行った雅子さま。『病気だから』で済ますな。批判招く宮内庁の説明不足」というタイトルがついています。
http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20081021ddm004070169000c.html

 またぞろ東宮妃批判か、と思わせるような大見出しですが、記事の中身は、少なくとも表面的には宮内庁批判です。

 記事のポイントは以下の6点になろうかと思います。

1、雅子さまが身障者スポーツ大会を欠席し、愛子さまの運動会を観戦した。東宮大夫は背景に「病気」があると述べたが、「公務軽視」との批判が一部から出ている。

2、皇族の公私の絡むことを「病気だから」という理由であっさり終わらせようとする宮内庁の姿勢は納得できない。「天皇、皇族に私(わたくし)なし」という言葉があり、天皇、皇后両陛下はじめ皇族方は公務優先の姿勢を示している。

3、野村東宮大夫は、皇族方の公務重視を根本から覆すともとらえられかねない雅子さまの行動をどう考えているのか、ていねいに言葉を尽くすべきだ。

4、「病気」という理由については説得力に欠けた。2泊3日の大分の公務は無理だったろうと想像するが、東宮大夫の会見では雅子さまの現状が具体的にまったく分からない。

5、そもそも宮内庁は「公」と「私」の観点でどこまで議論したのか。大会関係者に意を尽くして説明したのか。大雑把ないい方は大会関係者などに失礼であろう。

6、雅子さまへの批判、疑問が年々、強まっているように感じるが、原因を作っているのはくわしい説明をしない宮内庁である。誤解を補足するのが宮内庁なのに、雅子さまを孤立させている。


▽2 天皇教育は私事か

 宮内庁の説明不足は私も同感ですが、基本的な問題関心の浅さ、現場記者としての取材の甘さを感じました。

 見出しもよくありません。「説明不足は妃殿下の孤立を深める」ぐらいにすればいいものを、命令口調で、妃殿下を標的にしているように受け取られます。「運動会へ行った」「病気」と敬語敬称が略されているために、敬意も優しさも感じられません。

 基本的な問題関心が浅い、というのは、いうまでもなく、公私の問題です。真鍋記者はスポーツ大会に出席することが「公務」であり、学習院の運動会に「行った」ことを私事とあまりにも単純に考えています。

 先週号でもお話ししましたが、身障者大会は重要な行事とはいえ、要は役所のイベントです。行政関係の行事参加が皇室本来のご公務なのでしょうか。

 いまは下火になっていますが、根強い女帝・女系継承容認論があります。たとえば悠仁親王が誕生されたときでさえ、毎日新聞は「長期的展望を考えると、(皇位継承の危機の)懸念は払拭されていない。皇位継承を男系男子に限っていると、皇室の安定は偶然に左右されかねないからだ」という社説を掲げました。

 女帝容認論は愛子さまの皇位継承を望む声ともなりますが、だとすれば、雅子さまが子育てに熱心なのは将来の天皇を教育することに励まれているということになりますが、これは私事と言い切れるのでしょうか。真鍋記者は、将来の天皇を教育することより、役所のイベントの方が重要だとお考えなのでしょうか。


▽3 マスコミこそ「私」優先では

 要するに、前号で書きましたように、公私の基準は何か、ということです。憲法には天皇の国事行為について定めていますが、皇族の役割についての成文法的な定めはありません。

 ジャーナリズムの姿勢にも問題があります。以前にも書きましたが、皇族の会見でプライベート暴きのような質問を繰り返してきたのはほかなら宮内記者会ではありませんか。たとえば、先日の皇后陛下への質問もプライベートが先行しています。

 真鍋記者は「くわしい説明を」と宮内庁に迫っていますが、同じことは大新聞に対してもいえます。ある新聞社はかつて、妃殿下の御懐妊を「スクープ」しました。しかしそれは流産という悲しい結末に終わりました。その顛末について「説明」がなされたのでしょうか。新聞協会は逆に協会賞を与えたのではなかったでしょうか。ジャーナリズムの不見識を痛感します。

 先日、都内のデパートで開かれていた写真展「皇后さまと子どもたち」が閉幕しました。期間中、両陛下や東宮家の方々がたびたび会場を訪れたことがほほえましく伝えられましたが、毎日新聞が主催し、宮内庁が特別協力する企画でした。

 新聞社側から要請や打診があれば、皇族方はこうしたイベントにもお出ましになります。しかしこのメルマガの読者ならすでにご存じのように、本来的な皇室のお務めは別なところにあります。

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