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土民倶楽部20年の歩み by 辰守弘(土民倶楽部代表) [神道人]

以下はインターネット新聞「お友達タイムズ」(2008年3月14日号)からの転載です


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土民倶楽部20年の歩み by 辰守弘(土民倶楽部代表)
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「土民倶楽部」の「土民」とは、言わずと知れた我ら日本人をさげすんだ言い方である。そんな言い方をした御仁は、誰あろう今日の駄目日本の礎を築いた占領軍の親分・マッカーサーである。巨大な権力を行使してのマッカーサーの施策は今日も功を奏して、日本人を呪縛拘束している。

 マッカーサーに土人・土民と酷評されし日本人ではあるが、我々には長い歴史を有している素晴らしいものがあるぞ、との気概を逆手に取って命名された本(『土民のことば』)がある。その本を著したのが、葦津珍彦先生である。

 先生は占領中から占領軍に反抗し続けた。こんにち、日本が占領されたことすら忘れさせられているような状況下にあり、占領の痕跡すら歴史の中に埋没しているように見受けられるが、そうしたことを思えば思うほど、先生の占領軍との抗戦は國史の上に大きな輝きを放っている。

 倶楽部の名前は、戦後史に燦然と輝く葦津先生の数ある著書の中の一冊(『土民のことば』)から頂いている。その本のはしがきには、「日本人の中での絶対多数を占める大衆は、日本人特有の気風、感情、思想、信仰を有ちつづけてゐる。土民は雄弁でなく、華々しい理論の展開に巧みでないかもしれない。しかし私は、日本の土民たることに誇りを感ずる」と結ばれている。

 そうした命名の由来を持つ土民倶楽部は、昭和60年に若き神道人の集まりとして産声を上げる。広く神社や皇室、日本のことなどを考えながら、お互いを切磋琢磨する会として立ち上げたのであった。その始まりの中心メンバーは、学生時代の士道会会員を中心に結成された。現在は、そのメンバーの縁、道縁によって、心優しき憂国の至情を持つ神道人によって構成されている。

 当時ワープロが浸透し始めた頃であったので、ワープロにて機関誌らしきものを発行し始める。そうこうしている内に、昭和天皇様の御容体が急変、御不例、崩御という大変な時期に遭遇する。悲しき中に、新帝の即位がなり、年号も昭和から平成に替わる。そして御代替わりに際して行わなければならない「大嘗祭」がどうなるかという切実なことが俄然クローズアップされることとなる。

 葦津珍彦先生の功績なかりせば、敗戦後の新皇室典範で未記載となった「大嘗祭」が、恙なく執行されたかどうか疑わしいことを考えれば、先生の功績は自ずと了解される。雑誌「小日本」で、五畿七道の祓い(大祓)の提唱をしたのはこの時期である。

 御大典が終わった翌年の春、我が倶楽部最初の宿泊研修が、葦津珍彦先生を講師に開催される。以来、毎年研修を開催し、平成20年の節目の年に、20回目を数えるに至る。

 御大典後に発刊された機関誌5号は活字本として発刊。大和文彦氏のユニークな大嘗祭論を載せる。機関誌の刊行は6号まで。平成20年の本年、7号の刊行を計画中。他に、通信を不定期に刊行している。
 
 我が倶楽部は、永遠の維新者・西郷さんに連なり、戦後史に燦然と輝く葦津珍彦先生を会として仰ぎ敬いながら歩んできている会である。神々を敬い、皇室を尊び、祖先を崇め、日本の國がより良くなるよう努めたい日本人よ、共に中今に生きる責任をはたし、共に憂い共に喜び、共に手を携えて歩んでいきましょう。

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