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櫻井よしこさん、守られるべき天皇の伝統とは何ですか。祭祀の本質とは何ですか? [女系継承容認]

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櫻井よしこさん、守られるべき天皇の伝統とは何ですか。祭祀の本質とは何ですか?
《斎藤吉久のブログ 令和2年3月28日》
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▽1 河西准教授の「2.5代」象徴天皇論

前々回、河西秀哉准教授の「愛子さま天皇」容認論には皇室伝統の祭祀への眼差しが欠けていると指摘しました。126代続いてきた男系継承主義は天皇が公正かつ無私なる祭りをなさることと不可分一体のはずです。だとするなら、皇室の歴史と伝統を無視したネオ天皇制に変革しようという革命思想ならいざ知らず、祭祀を一顧だにしない皇位継承論はナンセンスといわざるを得ません。

 【関連記事】天皇の祭祀を完全無視する河西秀哉准教授の「愛子さま天皇」容認論https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-03-21

といっても、判断材料として取り上げたのは文春オンラインのインタビュー記事〈https://bunshun.jp/articles/-/15522〉だけですから、サンプリングの誤謬という危険性はあり得ます。というわけで、本来ならすべてのご著書や文献を精査すべきですがそうもいかないので、河西さんの処女作『「象徴天皇」の戦後史』を紐解いてみることにしました。

すると、案の定でした。河西さんは、のっけから「日本国憲法第一条は次のように規定されている」(「はじめに」)と書き出し、現行憲法をスタート地点に置いて、大真面目に天皇論を進めています。

第一章は「昭和天皇退位論」、第二章は「天皇、『人間』となる」という具合で、明治以後の近代天皇と戦後の現代天皇との対比が河西さんの問題関心のすべてであって、126代の歴史的天皇にはまるで関心がないかのようです。

「神聖にして侵すべからず」から「象徴」に変わり、「神の子孫」が「人間」となったことを歴史学的に、近代史研究として考察はしても、古代から天皇統治の意義に基づいてスメラギ、スメラミコトと呼ばれたことには言及しない、というより、歴史家でありながら、天皇が長い歴史のなかでどういう存在だったのか、には関心がないのでしょうか。

 【関連記事】「人間宣言」とは何だったのか by 佐藤雉鳴 ──阪本是丸教授の講演資料を読む 前編https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2018-07-28
 【関連記事】〈前史〉敗戦から平成の御代替わりまで 1──4段階で進む「女性宮家」創設への道https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2017-09-18

ここでは詳しく内容を検討することはしませんが、2.5代、あるいはせいぜい4.5代の天皇研究しかなさらない研究者に、126代の天皇のあり方を問うこと自体、間違っているのではありませんか。河西さんを起用した編集者はどうお考えですか。


▽2 祈りと血統との関係について櫻井さんの説明がない

しかし河西さん本人や、河西さんを取り上げた編集者を問いただしたところで、大して意味はありません。保守派の知識人とてたいてい似たようなものだからです。たとえば櫻井よしこさんです。

河西さんのインタビューが文春オンラインに載ったその日、ジャーナリスト・櫻井よしこさんのインタビュー「悠仁さまを”差し置く”ことで起こる順位逆転の危険性」がほかならぬ同オンラインに掲載されました。

保守主義の立場から皇位継承問題に真正面から取り組んでおられるのは敬意を表さねばなりませんが、結局、天皇とは何だったのか、が河西さんと同様に、少なくとも私には見えてきません。皇位の本質論を抜きにして現象的な継承論を論じても仕方がありません。櫻井さんにとって、守られるべき皇位の本質とは何でしょうか。

櫻井さんの結論はむろん男系継承固守であり、旧宮家復帰です。

「私の立場は、女系天皇と女性宮家の創設には反対、何らかの形での旧宮家の皇籍復帰は賛成、というものです」と最初に明言しています。問題はその根拠です。

櫻井さんは河西さんとは異なり、126代祭り主天皇に言及しています。

「国民の幸せと、国家の安寧のために、さらに世界の平和のために祈り、言葉だけでなく行動でもお示しになってきたのが、歴代の天皇です。そのような価値観を、政治的権力とは無縁のお立場でずっと引き継いでこられた。そうした歴代天皇が同じお血筋で連綿とつながっています」

櫻井さんは、祈り、行動するのが天皇の原理であり、それがひとつの血統でつながってきたと指摘しています。

「国民と国家の安寧のために祈る純粋無垢な存在として、126代も男系男子で続いてきた万世一系の天皇の歴史を、無条件で私たちはありがたいと感じ、一度も断絶することなく受け継がれてきたお血筋だからこそ、皆が納得するのではないでしょうか」

ひとこと申し上げるなら、天皇は古来、祈る王であり続けていますが、行動は別でしょう。御所を離れ、行動する天皇となったのは近代です。それはともかくとして、天皇の祈りと男系主義とはいかなる関係にあるのか、ここでは説明されていません。


▽3 具体的で説得力がある旧皇族復籍論

櫻井さんのインタビューは、このあとテーマが「なぜ女系天皇ではいけないのか」に変わり、否認論を展開されます。

歴史に女性天皇の「前例」があることについて言及し、「たとえば推古天皇はなぜ天皇となられたのか」と発問して、「男系男子がいなかったからではなく、逆に多すぎてどなたを天皇にすべきか、争いが起きそうになって誰も反対できなかった皇后が即位した」と説明しているのは、興味深く読みました。

そのうえで「当時と現在は正反対です。男系男子が少ない現在、女性天皇を認めれば、あるいはそのままその方が天皇であり続け、お子さまも天皇になられるということになりかねません。すると、そこで女系天皇になり、天皇家が入れ替わることになります」と解説しています。「女性天皇は女系天皇につながる可能性がある」からで、仰せの通りです。

さらに櫻井さんは具体論として、いわゆる「愛子天皇」論へ話を進めます。「直系の悠仁さまを差し置いて」「順番が逆転してしまう危険性」や、女系容認が「秋篠宮殿下と悠仁親王殿下を廃嫡することになる」ことも指摘しています。いずれも正しい指摘で、「女系天皇論者は認識しているのか」と訴えることも忘れていません。まったくその通りです。

このあとインタビューは「女性宮家」創設論への反対意見が述べられ、「皇族の方々の数をふやし、悠仁さまをはじめ、現在の皇室を支えていく体勢作りが必要」だからと、「GHQによって無理やり臣籍降下させられた11宮家」の皇籍復帰を提示しています。

「元皇族の方々が皇籍に復帰するとしても、この世代の方々は決して天皇にはならない」
「皇族に復帰なさった旧宮家の方たちがお役に立つのは、悠仁さまに男のお子様が生まれない、ずっと先のことで、この方々はその間に皇族として国民に馴染んでいかれる」
「統計学的に見て、天皇家以外に4宮家があれば、男系男子でつないでいくことが可能」
「お子様がない宮家や断絶しそうな宮家の家族養子となって継ぐなど、いろいろな方法がある」
「絶対に男子を産まなければいけないというプレッシャーの中、悠仁さまに嫁ぐ女性が現れるのかという危惧もやわらぐ」

以上の指摘は具体的で、説得力があります。


▽4 男系派完敗の理由を謙虚に検証してほしい

最後に櫻井さんは安易な女系継承容認論に警鐘を乱打しています。

「深く考えたいものです。そして気づきたいものです。女系を主張すれば廃嫡を意味するということに。女性天皇を認めれば、女系も認めざるを得なくなるということに。それは、今の日本国の天皇の在り方とは本質的に異なる天皇が誕生することを意味し、これから何百年も皇室を存続させることは非常に難しくなると思います。
 間違った方向へいかないためには、中途半端はやめて、すなおに男系男子の天皇に限るほうがいいのです。日本の伝統を守るには、堂々と王道をいけばいいと思います」

まったくその通りで、目前の危機を煽り、古来、男系で継承されてきた大原則を一変させるような革命論は慎むべきなのです。皇室には皇室固有のルールがあるのであり、国民が勝手に変えるべきではありません。

であるならばなおのこと、なぜ皇位は男系なのか、126代祭り主天皇論の立場から、現代人が納得できるように説明されて然るべきです。平成10年ごろの世論調査では女帝容認は5割弱程度でしたが、いまや8割にまで激増しました。調査手法の問題はさておき、男系派の完敗です。敗北の理由を保守派は謙虚に検証しなければなりません。

 【関連記事】女系は「万世一系」を侵す──「神道思想家」葦津珍彦の女帝論https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1998-12-01

私は以前、平成24年の皇室制度有識者ヒアリングに出席された櫻井さんの発言を取り上げました。櫻井さんは宮中祭祀こそもっとも重要な天皇の御公務であり、国事行為と位置づけるべきだとの意見を述べておられました。

これに対して、天皇の祭祀をいかなるものとお考えか、と批判させていただきました。祭祀を御公務ではないと切り捨てた、女帝容認論者の園部逸夫内閣参与に猛然と反論された櫻井さんでしたが、櫻井さんの祭祀論は祭祀の内容、意義について言及しているわけではなく、本質論がまったく欠落していたからです。

残念なことに、8年前と同じことがいまも続いているのではありませんか。祭祀が重要なのはもちろんですが、観念論に陥り、天皇の祭祀とは何かを深く考察しないなら、祭祀を一顧だにしない女系継承容認派の河西さんと大して変わらない議論になってしまいます。それでは男系派の支持は得られても、河西さんら女系容認派を説得し、納得させ、男系派に変えていくことはできないでしょう。

 【関連記事】祭祀を国事行為と定義する前に──「祈りの存在」の伝統とは何か? 3https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2017-06-06
 【関連記事】「祭祀は御公務にはなっておりません」 ──「祈りの存在」の伝統とは何か? 4https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2017-06-07
 【関連記事】神道学者も政府も大嘗祭=「稲作儀礼」 ──「祈りの存在」の伝統とは何か? 5https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2017-06-08


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天皇の祭祀を完全無視する河西秀哉准教授の「愛子さま天皇」容認論 [女系継承容認]

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天皇の祭祀を完全無視する河西秀哉准教授の「愛子さま天皇」容認論
《斎藤吉久のブログ 令和2年3月21日》
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愛子内親王殿下が18歳になられたのは昨年12月1日。翌日、文春オンラインに『【”愛子天皇”は是か非か】「強行すれば、愛子さまと悠仁さまの”人気投票”になりかねない」』と題する河西秀哉・名古屋大学大学院准教授(歴史学)のインタビュー記事が載った。〈https://bunshun.jp/articles/-/15522

河西さんといえば、『近代天皇制から象徴天皇制へ』などの著書で知られる新進気鋭の皇室研究者である。どんな皇位継承論を展開しているのか興味を持って読んでみたら、案の定、古来、皇室第一の務めとされてきた祭祀論が欠落していた。これではしょうがない。

以前から何度も指摘してきたように、小泉総理の私的諮問機関・皇室典範有識者会議の報告書(平成17年11月。https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/houkoku/houkoku.html)は、「はじめに」で、さまざま天皇観があるからさまざまな観点で検討した、世論の動向に配慮した、と謳い、他方で、肝心な、天皇=祭り主とする皇室古来の天皇観はまったく考慮しなかった。

 【関連記事】削減どころか増えている陛下のご公務──皇室典範有識者会議報告書を読み直す その2https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2009-04-07?1584693188
 【関連記事】混迷する「女性宮家」創設論議の一因  ──古代律令制の規定を読み違えている?https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-03-18

これが混乱した議論の原因であり、その結果が「皇位継承資格を女子や女系の皇族に拡大することが必要」(結び)とする結論であった。皇室伝統の祭り主天皇観は考慮せず、移ろぎやすい国民意識を優先すれば、何が起きるか、容易に分かりそうなものだが、同じ論理構造が皇室の歴史に詳しいはずの河西さんにもうかがえる。残念である。


▽1 明治時代こそ女帝論議が沸騰した

編集部の問題関心はずばり『最大の焦点は「女性天皇」「女系天皇」を認めるか否か』だが、これに対して河西さんは、過去の歴史にない女系継承容認のみならず、長子優先主義への転換を主張している。

『女性天皇に国民の8割が賛成している』というわけだが、ご主張の『最大の理由』は『現実』主義である。

『少子化の流れの中で、女性が何人も子供を産むことが難しい時代に、男子だけで家系を紡いでいくのは非現実的だからです』

しかし、はたしてそうなのか、一般社会の少子化の現実を皇室に当てはめるのは決して論理的ではない。しかも、女帝否認の根拠が『家父長制が社会に色濃く残り、天皇が軍隊の長であった明治時代の名残』と分析し、『戦後までなんとなく続いてきてしまった制度が破綻したのが現在の状況』と解釈するのは正しいとは思えないし、したがって、『現代の社会にあった、より「民主的」な形にすべき』との主張には賛成できない。

明治の時代を家父長制の時代と見るのは個人の自由だが、ほかならぬ明治の時代にこそ女帝論議が沸騰したのではないか。近代を否定して、『民主的』な現代の皇室のあり方を求めるのではなく、126代続いてきた皇室の歴史と伝統を検討しようとしないのはなぜだろうか。

 【関連記事】女系は「万世一系」を侵す──「神道思想家」葦津珍彦の女帝論https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1998-12-01
 【関連記事】基本を忘れた女系継承容認論──小嶋和司教授の女帝論を読むhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-31
 【関連記事】どうしても女性天皇でなければならないのか。男系を固守することは不正義なのか。なぜ男系の絶えない制度を考えようとしないのか?https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-02-09

つぎに河西さんは、『平成』以後の皇室の変化を見定めようとする。キーワードは『近しさ』と『道徳性』である。しかしこれも違う。


▽2 「近しい」「道徳性」への疑問

『昭和天皇まで「権威」というべき存在だったのが、平成の天皇からは国民に寄り添い、触れ合うことが期待されるようになった。先日の即位のパレードでも、観衆が躊躇することなく写真を撮ろうと両陛下にスマホを向けていましたが、いまや皇室と国民は、そんな「近しい」関係になった』

『天皇に「道徳性」が特に求められるようになった。平成の天皇と皇后は、ご高齢にもかかわらず被災地を訪問されるなど、一生懸命に活動しているお姿に高い支持があった。国民の象徴としての内実を変化させて、いまの皇室があるのです。こうした活動がなければ、いまの空前とも言えるような、人々からの尊敬や共感を集める皇室はなかった』

『天皇という存在は「近しく」「道徳性」のあるということが重要なのであって、天皇が必ずしも男性である、男性から血を継いでいなくてはならないという必要はないのではないか』

以前は、明治になって天皇は可視化されたという説がまことしやかに唱えられていたが、否定されている。平安時代、京の人々は御代替わりの御禊を見物していたし、江戸時代には即位礼拝観のチケットが配られていたことが分かっている。むしろ明治になって天皇は遠い存在となり、いまは元に戻ったともいえる。

また、天皇はご公務をなさる社会活動家ではないし、そうあってはならない。先帝は宮内庁が流行らせようとした「平成流」を否定している。

 【関連記事】「大嘗祭は第一級の無形文化財」と訴えた上山春平 ──第2回式典準備委員会資料を読む 13https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2018-07-16
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 【関連記事】「文藝春秋」が問題提起する「平成が終わる日」──なぜ「ご公務」に振り回されなければならないのかhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-10-1
 【関連記事】「平成皇室論」などあり得ない───ご即位20年記者会見を読むhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2009-12-01-1


▽3 なぜ祭り主天皇論を検討しないのか

被災者に寄り添い、犠牲者を悼む『道徳性』は平成以後の特徴ではない。古代から一貫して続く皇室の伝統である。そしてその背後にあるのが天皇の祭祀である。

河西さんの女帝論には、少なくともこのインタビューでは、祭祀論が抜けている。だから安易に男系主義を否定することになるのではないか。

順徳天皇「禁秘抄」の冒頭に「およそ禁中の作法は神事を先にし、他事を後にす」とあるように、歴代天皇は公正かつ無私なる祭祀を行うことを第一の務めとされた。だからこそ、王朝の変更をもたらす女系継承の容認はあり得ないのである。

 【関連記事】女系継承は天皇の制度といえるのか──皇室典範有識者会議を批判するhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2005-12-01
 【関連記事】宮中の祭儀──いつ、誰が、どこで、いかなる神を、どのようにまつるのかhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-04-01-2

河西さんはこのあと、長子継承の方がスムーズだとか、旧宮家の復帰は道徳性に疑問があるとか、過去の女性天皇は「中継ぎ」ではなく「人物本位」で選ばれたという議論を展開している。

皇室には皇位継承に関する皇室のルールがある。皇位はあくまで血統原理に基づくのであり、有徳者や有能者が継承するわけではない。なぜ河西さんは皇室に固有の天皇論について検討しないのだろう。宮中祭祀廃止論を唱えたのは原武史さんだが、河西さんの天皇論には最初から祭祀の存在がない。

河西さんがお勧めの「ざっくばらんな議論」はまだしも、非歴史的、非学問的議論はいかがなものか。

 【関連記事】宮中祭祀を廃止せよ?https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2008-04-15
 【関連記事】宮中祭祀の破壊は繰り返されるのかhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2008-05-29


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眞子内親王の皇籍離脱をけしかける登誠一郎元内閣外政審議室長の不遜。安倍総理の次は秋篠宮親王に直言。女性天皇・女系継承容認へまっしぐら [女系継承容認]

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眞子内親王の皇籍離脱をけしかける登誠一郎元内閣外政審議室長の不遜。安倍総理の次は秋篠宮親王に直言。女性天皇・女系継承容認へまっしぐら
《斎藤吉久のブログ 令和2年1月26日》
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今月16日、朝日新聞の言論サイト・論座に掲載された、登誠一郎元内閣外政審議室長のエッセイ「眞子さまのご結婚と皇位継承の問題。国民一般から祝福される結婚となるために」を読みました〈https://webronza.asahi.com/politics/articles/2020011400008.html〉。

眞子内親王殿下の御結婚問題に関して、2月に「何らかのことを発表」なさるとされる秋篠宮親王殿下に対して、「国民一般から祝福される結婚」となるためには、ご結婚前にまず皇籍離脱すべきだと大胆に迫っておられるのには、たいへん驚きました。

仰せの「幸せを願う一国民としての率直な感想」は、むしろ親切心を装う不遜な僭越というべきではありませんか。皇室のことは皇室にお任せし、そっと見守るというわけには行かないのでしょうか。身の振り方にまで口を挟む権利が、主権者とされる国民に元来、あるのですか。いやあるというのなら、その先にどんな悲劇が待ち受けているのか、想像していただきたいと思います。


▽1 登さんにとって天皇とは何か

そもそも提言には、いくつか大きな基本的誤りがあるように思います。

登さんはまず、ご結婚は「一個人の幸せ」の問題であると同時に、「皇位継承に関係する重要問題でもある」と指摘しています。内親王殿下を「一個人」と言い切っていいものか、議論の余地が大いにありますが、皇位継承問題に関わるというご認識はまったく正しいでしょう。そして仰せのように、「ご結婚の有無とその時期」が問題となります。

それなら、どう問題となるのか、その次の登さんの分析は明らかな間違いでしょう。

登さんは、「現在の皇室典範に基づく皇位継承順位は、①秋篠宮さま、②悠仁さま、③常陸宮さまであるが、女性天皇・女系天皇の容認を提言した2005年の有識者会議の報告書に従うと、この順位は、①愛子さま、②秋篠宮さま、③眞子さま、④佳子さま、⑤悠仁さま、⑥常陸宮さまの順となる」と説明していますが、仰せの「ご結婚の有無とその時期」次第では、そのようにならないことは明白です。

登さんが推奨する女性天皇・女系天皇容認、女性宮家創設が今後、もし制度化されたとして、そののち内親王が独身を貫く場合、婚姻したとしてもお子様が誕生されなかった場合、逆にお子様が誕生された場合では、皇位継承順位は当然、変わります。愛子内親王殿下が婚姻によって皇籍を離脱したあとの制度改革なら、登さんが仰せの皇位継承順位にはなり得ません。

登さんは「愛子さまが天皇になられた後に、万が一お子様ができない場合には、次の天皇は眞子さまになる」と断定していますが、これも婚姻の「時期」次第ではそうはならないでしょう。皇位継承順位があたかも確定的であるかのような説明で、読者をミスリードしてはなりません。

登さんは「眞子さまの幸せ」と「国民の祝福」の妥協点として、皇室典範が定める皇室会議による皇籍離脱を提案していますが、新たな火種を生むことにならないでしょうか。登さんは、「皇室制度の民主的側面を象徴する」と自賛していますが、議員10人のうち皇族は2人、天皇も参加しない皇室会議の決議で皇族の減少を逆に促進する「民主」主義は禁じ手というべきです。現にイギリスで似たようなことが起きているではありませんか。

結局のところ、登さんの議論は、国民主権下の法制度によって、126代続いてきた天皇を引きずり下ろそうとしているかのように私には見えます。そのようにする登さんにとっての天皇とは何でしょうか。何のための皇位継承なのでしょうか。


▽2 王朝の支配を破るのは憲法違反

登さんは、昨年11月には「女性・女系天皇は不可避~実際の皇位継承順位は? 『安定的皇位継承』の議論先送りは許されない」という文章を同じ論座に載せています。〈https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019112600008.html

ここでは女性天皇・女系天皇容認のための国民的議論の開始を安倍総理に強く迫っていました。

登さんがくりかえし強調し、支持されるのは「象徴天皇制の安定的継承」です。126代続いてきた伝統的「天皇」ではありません。「国民の7割が支持」するという「象徴天皇」と開闢以来、わが祖先たちが築き上げてきた「天皇制」とは同じではありません。その違いを「7割」は理解していると登さんはお考えでしょうか。

登さんは古来の男系継承主義を近代的な男女平等主義の物差しによって批判しています。海外の王位継承が男女平等に改められたことを解説し、男女差別は中近東以外では日本だけだと指弾していますが、間違いでしょう。

過去の歴史に女性天皇がいないのではなく、夫があり、子育て中の女性天皇がおられないのであり、それは男女差別ではなく、王朝の支配という大原則にあります。現行憲法の定める「世襲」はdynasticの意味で、血がつながっていればいいというのではありません。

ヨーロッパでは王族同士の婚姻、つまり父母の同等婚によって王位継承が行われ、女王の子孫に継承される場合は王朝が変更されました。これとは異なり、日本では男子の皇族性が厳しく要求され、皇室という王朝の支配が一貫してきたのです。ヨーロッパでは近年、父母の同等婚という原則が崩壊しています。ヨーロッパの王室を参考するにわけにはいきません。

 【関連記事】参考にならないヨーロッパの「女帝論議」──女王・女系継承容認の前提が異なるhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2006-12-18
 【関連記事】大変革のときを迎えたイギリス王室──男女平等継承どころではないhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-10-15-1


明治の皇室典範が女帝を否認した最大の理由は、王朝の支配を堅持するためでした。王朝の支配を破る女系継承容認は現行憲法にも違反します。そこまでして歴史に前例のない制度改革に血道を上げるより、男系の絶えない制度をどうして考えようとしないのですか。


▽3 藩屏なき皇室、ここに極まれり

聖書は男のあばら骨から女が生まれたと説明していますが、日本の国生み神話は男女の共同作業で国が生まれたと物語っています。ヨーロッパ的な男女平等概念の根っこには、キリスト教の徹底した男女差別があるのではありませんか。

登さんは、皇位継承の男系主義は単なる男女差別にしか映らないのでしょうか。古来の天皇は私なき祭祀をなさる祭り主でした。天神地祇を祭り、ひたすら国と民のために祈る存在でした。天皇には姓がありません。異姓の臣下が皇籍に入ることなどあり得ません。逆に民間から入内した皇后は摂政ともなり得ます。これは男女差別でしょうか。

皇位はそもそも平等の概念とは別の次元に位置するものであって、皇位の継承に平等原理を持ち込むことに無理があるのではありませんか。

 【関連記事】基本を忘れた女系継承容認論──小嶋和司教授の女帝論を読むhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-31

登さんは論考のなかで、これまでの議論の経過を詳しく説明していますが、政府の有識者会議が皇室の天皇観を検討しなかったことについては言及しておられません。「皇位の安定的継承」のために126代続く皇室の歴史と伝統を無視するのは、矛盾以外の何ものでもありません。登さんが考える皇位とは、国事行為のみを行う特別公務員としての天皇でしかないのではありませんか。それならそうと、皇室の伝統とは違うと、正確に説明すべきです。

 【関連記事】混迷する「女性宮家」創設論議の一因──古代律令制の規定を読み違えている?https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-03-18

昨年の論考では、登さんは女性天皇・女系天皇容認の制度化によって皇位継承順位が途中で変更されることへの「感情的な抵抗」を避けるために、新たな皇位継承資格者は従来の資格者のあととすることを提案し、その案によると、① 秋篠宮さま、② 悠仁さま、③ 常陸宮さま、④ 愛子さま、⑤ 眞子さま、⑥ 佳子さまという順位になると説明していますが、こういう議論になってくると、もはや皇位を弄んでいるようにしか私には見えません。

かつては皇室自立主義ということがいわれました。皇室のことは皇室に委ねる。そういう制度に改められるべきではないでしょうか。そうでないと皇族になりたがる有象無象の男たちがあらゆる方法で内親王・女王に群れ集まってくることでしょう。126代の皇室の権威は雲散霧消します。すでに兆候はあります。もしや登さんはそれがお望みでしょうか。

それにしても、苦悩のただ中にある秋篠宮親王を名指しし、公の媒体で介入するとは、藩屏なき皇室、ここに極まれりの思いがします。


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天皇制をやめるんですか──伊藤智永・毎日新聞編集委員の皇室記事を読んで [女系継承容認]

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天皇制をやめるんですか──伊藤智永・毎日新聞編集委員の皇室記事を読んで
《斎藤吉久のブログ 令和2年1月5日》
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明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

さて、年明け早々、毎日新聞(電子版)にたいへん刺激的な記事が載りました。伊藤智永編集委員兼論説委員による「象徴天皇制を続けますか」という、きわめて挑発的なタイトルの記事で、安倍総理に女系継承容認を迫っています。
https://mainichi.jp/articles/20200104/ddm/005/070/012000c?yclid=YJAD.1578199679.Vy2ZXbedcq1M8vrxPPrYksSnCWxVveI2L1yG26FDJPXdS5RehCgvbmhpy9kfZIreWAqjvzjUC6wuk88-

簡単に要約すると、平成元年は祝賀ムードで過ぎたが、先帝が投げかけた「宿題」は手付かずのままだ。皇室が絶える日は近づいている。先帝は1つの象徴像を模索され、示された。実現した御代替わりは象徴天皇制の成熟と評価される。しかし天皇がいなくなれば、憲法体系は抜本的改変を迫られる。世論も自民党内も女性・女系容認論が大勢を占める。安倍政権が大胆に決断すれば歴史に名を刻む、というわけです。

問題の核心は、象徴天皇制とは何か、です。そして、先帝と伊藤さんとでは意味が違うように私は思います。とすれば、結論は同じにはなりません。もう1つは、皇統の危機は間違いないとして、女性天皇・女系継承容認以外に方法はないのか、ということです。以下、検討します。


▽1 先帝の「象徴」と伊藤さんの「象徴」

伊藤さんによれば、先帝は皇太子時代から、憲法に記された象徴天皇像を模索してこられました。弱者や被災者らに寄り添う「旅」は「象徴がなすことを創造し、国民の敬愛を重ねて一つの『型』を打ち立て」られたものでした。しかし違うのです。

伊藤さんの「象徴」はあくまで現行憲法を出発点としていますが、先帝は違います。先帝は皇位継承後、機会あるごとに、「伝統」と「憲法」との両方を追求すると述べられています。

伊藤さんの記事には皇室の「伝統」が抜けています。古来、スメラミコトとして国の中心にあり、国と民を統合してきた天皇の役割への眼差しが欠けています。天皇は現行憲法公布のはるか以前から「国民統合の象徴」だったことが見落とされています。

先帝が問いかけられたのは、主権者たる「国民が皇室を存続させるつもりなら、今の皇位継承のしくみでは難しいですよ」というのではなくて、むしろ象徴天皇制の暗黙の前提とされているご公務主義、行動主義の評価ではないでしょうか。

現行憲法は、天皇は国事行為のみを行うと定めています。具体的にいえば、伊藤さんが例示する「首相と最高裁長官の任命、憲法改正や法律・政令・条約の公布、国会召集と衆議院解散、大臣や上級官吏の任免」がそれです。

伊藤さんが指摘するように、「天皇がいなくなったら、憲法体系の抜本改変は避けられない」ことになります。だから、と伊藤さんは論を進めるのですが、先帝が模索された象徴天皇像は、むろん国事行為のみを行う天皇ではありません。むしろ憲法には具体的定めのない、象徴的行為=御公務をなさる天皇です。そして、その御公務の背後にあるのは、ひたすら国と民のために捧げられた歴代天皇の祈りの蓄積です。

伊藤さんは、先帝が皇后とともに重ねられた「旅」によって象徴天皇像を「創造」し、国民はこれを敬愛して、1つの「型」が打ち立てられたと解説していますが、国民が敬愛するのは、憲法上の象徴ではなく、憲法の条文にはない、いわば非憲法的な天皇像なのです。

したがって、伊藤さんが指摘したように、天皇がいなくなれば憲法体系が破綻するというのではなく、すでに現行憲法が空文化しているのであって、法の不足分を補完してきたのが先帝の「旅」だったのではないでしょうか。憲法の象徴天皇像は日本の歴史と乖離しています。

126代続いてきた天皇は国民の知らないところで、国と民のために祈る祭り主でした。先帝が被災地で被災者に親しく声をかけられるのは、この祈りを行動に示された結果です。国民は先帝の行為の背後に見える、歴代の祈りの蓄積にこそ心を揺り動かされるのではありませんか。


▽2 皇室のルールを臣下が変えることの是非

皇室には皇室固有の皇位継承についてのルールがあります。男系継承はまさにそれでしょう。それは憲法上、主権者とされる国民が勝手に変えていいものでしょうか。これは憲法問題ではなく、文明上の問題です。

伊藤さんが仰せのように、天皇がいなくなったら憲法体系は崩壊するから、そうはならないように、国民主権の名のもとに、国民が、そしてその代表たる首相は決断すべきだと考えることは、その時点で、もはや天皇とはいえない、名ばかりの天皇を新たに作り上げることにならないでしょうか。

伊藤さんは、「象徴天皇が政治のモラルを担う安心感は、思いのほか大きい」「象徴天皇制は民主主義の欲望と傲慢さと愚かさを補う」と評価しますが、プラス面ばかりとは限りません。天皇が被災者たちを激励しなければならないのは、行政の無能、怠慢の裏返しではないのですか。

伊藤さんは、女系継承容認への決断を安倍政権に迫っています。改元の実現とあわせて、歴史に名を刻むだろうと誘っていますが、まったく逆ではありませんか。

今回の改元は、古来の代始め改元とはまったく異質の、いわば退位記念改元でした。女性天皇は過去に確かに存在しますが、夫があり、あるいは子育て中の女性天皇は歴史に存在しません。まして歴史にない女系継承を国民主権を名目に容認したとして、皇配選びや御公務のあり方についてどう考えるのでしょうか。

天皇の配偶者となれば、いろいろな条件が求められるでしょう。家柄も問われます。その子孫にも継承権が認められるには、皇配にも皇族性が求められるでしょう。しかしここで矛盾が生まれます。皇配は女性天皇より皇位継承順位の低い遠系の男子でなければなりませんが、それなら近系の女子を優先するより、遠系の男子が皇位を継承すべきだからです。

伊藤さんもよくご存知のように、史書によれば、25代武烈天皇が皇嗣なきまま崩御されたのち、皇位を継承された継体天皇は15代応神天皇の五世孫で、即位後、武烈天皇の姉手白香皇女を皇后とされました。200年前の119代光格天皇の皇后は先帝後桃園天皇の第一皇女です。これが皇室のルールです。勝手に変えるべきではありません。

伊藤さんが指摘するように、先帝は1つの象徴天皇像を示されました。近代主義的行動主義、御公務主義というべきものですが、それには2つの限界がありました。

1つは御公務の件数が無限に増えていく可能性です。毎日新聞の写真展にお出ましになって、他社の美術展にはお出ましにならないというわけにはいかないからです。2つ目は、健康と体力が絶対的要件だということです。老境に達せられた先帝が譲位を決断された理由こそまさにこれでした。

先帝が「宿題」とされたのは、伊藤さんが仰せの、皇位継承の仕組みではなく、126代続いてきた古来の天皇制とは異なる、現行憲法が定める象徴天皇制での多忙を極める御公務のあり方です。つまり、天皇とは何だったのか、天皇のお務めとは何か、です。

先帝の御在位20年を過ぎたころから、宮内庁は御公務御負担軽減策に取り組みました。しかし、見事に失敗しました。文字通り激減したのは宮中祭祀であり、御公務は逆に増えました。失敗の責任を問うこともせずに、女性天皇はまだしも、歴史にない女系継承容認に挑戦することは論理の飛躍であり、角を矯めて牛を殺すことになりませんか。いやむしろご主張の目的はそこにあるとみるのは穿ち過ぎでしょうか。

憲法は皇位の世襲を定めています。dynasticの和訳でした。王朝の支配がもともとの意味です。必然的に王朝の変更をもたらす女系継承容認は、憲法に違反します。伊藤さんは皇室の伝統にも憲法にも反しない、男系の絶えない仕組みを、なぜ模索しないのですか。

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田中卓先生の著作を読んで──「皇国史観」継承者が「女性皇太子」を主張する混乱 [女系継承容認]

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田中卓先生の著作を読んで
──「皇国史観」継承者が「女性皇太子」を主張する混乱
by 佐藤雉鳴・斎藤吉久(2014年3月1日)
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 いわゆる「女性宮家」創設をめぐる混乱が収まったかと思いきや、今度は「女性皇太子」論です。

 天皇制反対を唱える唯物史観論者ならまだしも、対極に位置する「皇国史観」の正統な後継者といわれ、伊勢神宮のお膝元にキャンパスを置く皇學館大学の学長などを歴任された、田中卓(たなか・たかし)先生の近著『愛子さまが将来の天皇陛下ではいけませんか』は、女系天皇で問題ない、「女性皇太子の誕生」こそが道理ではないか、次代の皇太子は愛子内親王殿下に、と読者をこれでもかと挑発されています。

 しかもそれが「恋闕(れんけつ)の精神」だと訴えられるのですから、穏やかではありません。

 指摘したいのは3点。①女系継承が歴史上認められていたという主張は妥当なのか、②女性天皇容認はまだしも、なぜいま「女性皇太子」なのか、③そもそも天皇のお務めとは何か──です。


1、「大宝令」が認めている?

 まず第一点です。

 田中先生は女性天皇のみならず、皇位の女系継承が古来、制度的に認められてきたというお考えのようです。

 推古天皇をはじめ、10代8人の女性天皇が歴史上、実在したという誰もが知る歴史に加えて、古代の「大宝律令(りつりょう)」にも「女帝」を認める規定があった、と主張され、継嗣令(けいしりょう)1条(皇兄弟条)を次のように引用なさいます。

「およそ皇(こう)の兄弟皇子を皆親王と為(せ)よ。女帝の子も亦同じ。以外は並びに諸王と為よ。親王より五世は、王の名を得たりと雖も、皇親の限りに在らず」(原、漢文)

 先生は、この規定によって「『女帝』の存在も、その『子』を『親王』と称することも認められている」と解説されます。「天皇の兄弟、皇子を親王と称する。同様に、女帝の子も、親王と称する」と解釈なさるわけです。

 さらに、「それもそのはずで」と続けて、大宝令選定時の文武(もんむ)天皇は、天武(てんむ)天皇と持統天皇の孫であり、同時に元明(げんめい)天皇(女帝)の皇子であって、当時、持統天皇は上皇であられたのだから、「女帝」が認められて当然だと、皇兄弟条が「女帝容認」規定であることは歴史が証明しているかのように主張されます。

 くわえて、「女帝」が古来、容認され、「女帝の子」も想定されている、すなわち女系継承が制度的に認められているのだから、現代において、愛子内親王殿下が皇位を継承し、さらにその子女が継承権を持つことも当然だ、と論理を飛躍なさいます。

 けれども、女系容認論の出発点である継嗣令1条の読解に誤りはないのか、律令全体からみた整合性、歴史との整合性があるのかどうか、かなり疑わしいのではないか、というのが私たちの問題提起です。


2、歴史を揺るがす一大事

 古代律令制は律令法による国家体制で、大宝律令は日本初の本格的な律令法です。「律」は刑法に該当し、「令」は行政法その他に該当します。

 先生は「大宝令でも『女帝』の存在を認めていて」と断定されますが、大宝律令は逸文が断片的に伝えられているだけです。

 つづく養老律令も現存しませんが、養老令については、平安期の解説書である『令義解(りょうのぎげ)』、私撰の注釈書である『令集解(りょうのしゅうげ)』に収録されていることから復元が可能で、翻って大宝律令の内容が推測されているに過ぎません。養老律令は大宝律令をほぼ継承していると想像されるからです。

 同じ継嗣令を根拠とされるにしても、厳密な学問を追究される先生が、養老令ではなくて、なぜ大宝令を引こうとされるのか、理由が分かりません。

 次に、継嗣令の中身です。

 先生の主張によれば、皇親の範囲や臣下の継嗣などを定めた「継嗣令」が「女帝」、さらに女系継承を制度として認めていたとのことですが、だとすれば、歴史を揺るがす一大事です。

 明治憲法公布に合わせて、皇室の家法として制定された旧皇室典範が「大日本国皇位ハ祖宗(そそう)ノ皇統ニシテ男系ノ男子之ヲ継承ス」と定めていたことも、戦後、一般法として制定された現行皇室典範が「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と規定していることも、そして歴史の事実として皇位が男系男子によって継承されてきたことが、古代律令法に背いていることになります。

 それなら皇室本来の歴史にもどすため、一日も早く皇室典範を改正し、女性天皇のみならず、女系継承を制度化すべきことは当然だ、という結論に誰しも賛成せざるを得ません。

 けれども、それは早とちりというべきです。

 第一、律令法には皇位継承に関する条文が見当たらず、天皇に関する規定それ自体、神祇令(じんぎりょう)と喪葬令(そうそうりょう)以外にありませんから、女系継承容認の法的根拠など見出し得ないのです。

 また、皇統が男系男子によって継承されてきたことは紛れもない歴史の事実であって、皇位が「女帝の子」に継承された例はありません。実在する女性天皇はすべて独身を貫かれているからです。

 先生は議論の出発点である継嗣令の解釈と女系継承容認の結論とを、逆転させているのではないですか。

「はじめに結論ありき」でなぜ悪いのか、と先生は開き直っておいでですが、ほかならぬ皇室論は、慎重のうえにも慎重を重ねる学問的態度が望まれます。


3、「女帝」という公式用語はない

『令義解』や『令集解』はネットで写本を見ることができます。『令義解』では、令本文が大きな文字で記述され、解説が細字双行で示されています。

 日本思想大系(岩波書店)の『律令』に収録されているのは、これらからの復元の成果で、継嗣令は4条からなり、1条は、まず漢文で、

「凡皇兄弟皇子。皆為二親王一。女帝子亦同。以外並為二諸王一。自二親王一五世。雖レ得二王名一。不レ在二皇親之限一。」(漢文。返り点付き)

 とあり、「女帝子亦同」は小さな文字で示されています。原注、本注とされています。

 田中先生の引用と大きく異なるのは、先生の著書には「原注」への言及が見当たらないことです。

「女帝の子も亦同じ」とする「原注」の読解は、学問的に定まっているわけではないようですが、これについても、田中先生の著書には言及がありません。

 もっとも肝心な、女帝を規定するとお考えの条文に関する異論について、検討しないどころか、紹介すらないのはなぜですか。

 継嗣令1条の本注「女帝子亦同」は不思議な規定で、古来、さまざまな議論があるようです。

 まず、母法とされる唐令には該当する定めがないようです。それどころか、「女帝」の文言はこの註釈以外には見当たりません。つまり、「女帝の子」と読むことそれ自体が怪しげです。「女(ひめみこ)、(すなわち)帝の子、また同じ」と読むべきではないでしょうか。

「天皇の兄弟・皇子を親王と称し、同様に女子も(内)親王とする」と解釈した方が意味がスッキリしませんか。

 喪葬令8条(親王一品条)の註に「女亦准此(女(ひめみこ)もまた此に准へ」とあるのと同じ意味です。

「女帝」という言葉がいつからあるのか、分かりませんが、少なくとも養老令の時代には公式用語としては存在しなかったと推測されます。公文書の様式に関する規定である公式令(くしきりょう)に「女帝」が定められていないからです。

 公式用語にないなら、「女帝の子」と読むべきではありません。

 公式令には、「皇祖」「先帝」「天子」「天皇」などの文字が文章中に使用される場合は、行を改め、行頭に書くこと(平出)や、「大社」「陵号」「乗輿」「詔書」「勅旨」などの場合は、一字分を空けて敬意を示すこと(闕字[けつじ])が説明されています。

 けれども、いずれの場合も「女帝」は例示されていません。

 養老令は元正(げんしょう)天皇(女帝)の時代から撰定が始まったとされています。先帝は母・元明天皇です。養老令が施行されたのは孝謙天皇(女帝)の治世です。それでも公式令に「女帝」はありません。

 そればかりか、この時代を記述する『続日本紀(しょくにほんぎ)』ほか、「六国史(りっこくし)」に「女帝」は見当たりません。継嗣令一条の原注を「女帝の子」と読むことに無理があるのです。


4、中川八洋名誉教授の指摘

 田中先生は継嗣令1条の本注が女系継承をも容認しているかのように解説されますが、継嗣令四条(皇娶親王条)を読めば、明らかに誤読であることが理解されるでしょう。

「凡そ王(わう)、親王を娶(ま)き、臣(しん)、五世の王を娶くことを聴せ。唯し五世の王は、親王を娶くこと得じ」(『律令』日本古典文学大系)

 この規定によって、皇女は4世王以上が婚姻の対象となり、子孫はすべて男系として存続します。事実、推古天皇や持統天皇、元正天皇も、父系をたどれば間違いなく天皇に行き着きます。

 つまり、「女帝」はまだしも、女系継承はあり得ないのであって、継嗣令1条の原注を「女帝の子」と読まなければならない根拠はまったくありません。

 部分だけを取り上げ、「最初に結論ありき」の無理な解釈を試みるのは、学問研究の道をはずれています。

 歴史を振り返ると、「女帝の子」と読まない先賢もいました。

 江戸時代に『令義解』をほぼ全編にわたって註釈した、伊勢内宮の禰宜、薗田守良は、『新釈令義解』で、「女も帝の子は同じ」と読み、「皇女も天皇の子だから、同様に親王(内親王)とする」と解釈することを提起しています。

 薗田だけではありません。

 現代において、「女帝の子」と読むことに強く異議を唱えているのが、中川八洋筑波大学名誉教授です。

 中川名誉教授は、『皇統断絶』で「養老令は、〝女系天皇の排除〟を自明とした皇位継承法である」と指摘する一方、『女性天皇は皇統廃絶』では「『女帝』という和製漢語が、701年までにつくられていたと証明されない限り、継嗣令の『女帝子……』を、『女帝(じょてい)……』とは万が一にも読んではならない」と厳しく戒めています。

「女(ひめみこ)も帝(天皇、すめらみこと)の子(こ)また同じ(に親王とせよ)」(『女性天皇は皇統廃絶』)と解釈するのが中川名誉教授の立場です。

 歴史との整合性はどうでしょうか。

 たとえば、元明天皇の4代あとの淳仁(じゅんにん)天皇のとき、「舎人(とねり)親王に『崇道尽敬皇帝』」の尊称を賜り給ふの宣命」が発せられていて、ここに継嗣令一条との関連が認められます。

 当時、朝廷の実権を握っていたのは、聖武天皇の皇后で、先帝・孝謙天皇の母にあたる藤原不比等の娘・光明子(光明皇后)でした。

 聖武太上天皇は道祖王(ふなどおう)を皇太子とするよう遺詔されましたが、結局、道祖王は廃太子となり、代わって大炊王(おおいおう。天武天皇の皇子・舎人親王の七男)が皇太子となり、淳仁天皇として即位されました。

 即位から10カ月後、光明皇后(太皇太后)から重要事項が伝えられました。それがこの宣命に記録されています。要約すると、「あなたが皇太子となり、皇位を継承して、世の中も安定してきた。ついては父・舎人親王に追号を与え、母は大夫人とし、兄弟姉妹を親王とせよ」と語られたというのです。

 こうして淳仁天皇の兄弟は親王、姉妹は内親王と称されることになるのですが、それはとりもなおさず、継嗣令1条に則った措置でした。

 小泉内閣時代に皇位継承政道について検討した皇室典範有識者会議のメンバーには、田中先生の旧知である笹山晴生東大名誉教授もおられましたが、古代史の研究者である笹山名誉教授は、『続日本紀 3』(新日本古典文学大系)で、「舎人親王を天皇とするので、その子女(淳仁の兄弟姉妹)も親王・内親王と称させる」と解説しています。どう読んでも「女帝の子」ではありません。

 同様のことは、2代のち、光仁(こうにん)天皇の時代にもありました。原注を「女帝の子」と読むなら、天皇の「兄弟姉妹をことごとく親王と称する」とされた法的根拠は何でしょうか。当時の日本は律令法に基づく法治国家なのです。


5、なぜ「愛子皇太子」なのか

 皇位継承はいつの時代もつねに綱渡りですが、皇太子殿下の次の代の皇位継承者の候補がおられない、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と定める現行皇室典範からすると、継承者が絶えてしまいかねない、という論理で、女子にも継承権を認めるほかはない、という女帝容認論が台頭したのは平成十年ごろのことでした。

 当時は、皇位継承資格者は皇太子以下7人おられました。その後、高円宮殿下、さらに寛仁親王殿下が薨去(こうきょ)されましたが、一方、悠仁(ひさひと)親王殿下の御誕生で、「次世代は女子ばかり」という「危機」は去りました。

 したがって、どうあっても女性天皇・女系継承を容認する皇室典範改正に踏み切らなければならないという段階ではないはずです。

 ところが、田中先生は、皇太子殿下から秋篠宮殿下、悠仁親王殿下へと皇位が継承されるのは、直系から傍系に移行することであり、皇家の分裂・対立を招く危険があるから、危機を回避するために、「現皇家〝直系〟の愛子内親王」を次世代の「皇太子」に、と執念を燃やし続けておられます。

 要は、男統の絶えない制度を模索するのではなく、「傍系」どころか、一気に女系継承へと飛躍されるのです。危機を叫んで、さらなる危機を呼び込んでいるわけです。

 少ない皇位継承資格者をますます少なくする提案は賢明とはいえません。

 矛盾はほかにもあります。

 皇位継承を支えてきた側室制度が現在では失われていることを強調されるのは、理解できないわけではありません。けれども一方で、今日、一般社会では婚外子の相続権が法的に認められるようになりましたから、男系が絶えないように皇室の庶子相続を公認すべきだという議論も、少なくとも理論的にはあってもよさそうですが、先生はあくまで皇室の歴史的変革を追求されるのです。

 さらに、です。

「傍系」の秋篠宮家に皇位が移行されるべきではないとする先生の主張は、現皇室典範が認める皇位継承順位を否定するだけでなく、秋篠宮殿下、悠仁親王殿下、常陸宮殿下、三笠宮殿下、桂宮殿下の継承権を簒奪することになります。

 もはや「臣下」の分限をはるかに超えているといえませんか。


6、祭祀を否定する天皇論

 最後に、天皇のお務めとは何か、について考えます。

 先生は著書の最終章に、前侍従長のある講演を取り上げておいでです。

 前侍従長は「女性の天皇は八人おられた」「女性の天皇ができないことはあり得ない」「男系で続いたのはそのときの社会情勢がそうしたのである」などと語ったうえで、最後に「意を決した様子」で、次のような「私見」を吐露したとされています。

「『血の一滴が繋がっている』ことが大切なのか、『皇族として陛下が毎日なさることをお近くで見てこられている』ことが大切なのかの問題である。天皇の背中を直接見ていないのに、ただ血の繋がりだけで天皇になっても、現在及び将来の皇室の役割は果たせないだろう」(講演会報告書)

 先生は前侍従長の発言が自身の主張と「同じ論旨」であると認め、「驚き」と「敬意」を表されるのですが、ここにこそ問題の核心部分があります。

 つまり、先生の女系継承容認論の問題点は、血統原理で継承されてきた皇統を否定し、「毎日なさること」=御公務優先主義に変更しようとする考え方にあります。

 古来、引き継がれてきた天皇のお役目を、いまや保守派の歴史学者や陛下の側近までが、完全に見失っていることに、強い衝撃を禁じ得ません。

 なるほど日本国憲法は「天皇は、この憲法が定める国事に関する行為のみを行ひ」と定めています。宮内庁のHPには、「皇室のご活動」「両陛下のご活動」などが掲載されています。まるで「ご活動」なさることが天皇の天皇たる所以であるかのようです。

 現行憲法を出発点として、天皇は国事行為を行う国家機関の一つである、という考えに立つなら、先生たちが主張されるように、女性天皇や女系継承が容認されるのは、論理的にあり得ます。

 しかし、天皇は少なくとも『続日本紀』以降、1300年以上の時を越える歴史的存在です。歴史的に天皇が天皇たる所以は、御公務ではなくて、祭祀をなさることにあります。

 歴史上、女性天皇はまだしも、女系継承が認められなかったのは、天皇が祭祀王だからでしょう。

 ところがきわめて遺憾なことに、戦後は側近ですら現行憲法第一主義に陥り、その結果、富田朝彦宮内庁長官の時代には毎朝御代拝など祭祀の改変が断行され、藤森昭一長官の時代には御代替わりの祭儀が変更され、羽毛田信吾長官以後、歴史にない女系継承や女性宮家創設が模索されています。

 これらは、皇室の基本原理の破壊にほかなりません。


7、天神地祇を祀る天皇

 古代の日本は、唐にならって、律令制を導入しましたが、模倣ではありません。

 古代中国の律令体制を支えた国家哲学は儒教であり、中心思想は「革命(天帝の命令を革[あらた]める)」の哲学です。けれども、日本では天照大神を皇祖神と仰ぐ天皇が統治することとされました。

 公式令1条(詔書式条)は、冒頭に「明神(あらみかみ)と御宇(あめのしたし)らす日本(ひのもと)の天皇(すべら)」という表現を載せ、神祇令10条(即位条)は「天皇、位に即きたまわば、天神地祇を祭れ」と定めています。

 哲学者の上山春平は、日本の律令的君主制の由来を説くことが、古事記・日本書紀の神代巻のテーマだと説明しています。中国の「史記」には神代巻に相当するものがありません。

 官僚制度も根本的に異なり、唐が「三省六部」なのに対して、日本は「二官八省」が採用され、祭祀をつかさどる神祇官と国政を執り行う太政官が置かれ、太政官のもとに中務省、式部省、治部省など八省が置かれました。

 中国では皇帝が全権力を掌握しましたが、日本では天皇から太政官に権力が委任されました。今日でいう権力の制限です。

 天皇は政治権力者ではなくて、権力政治を超越した最高の権威者として、この国に君臨してきました。天皇統治は「知らす」(民意を知って統合を図ること)であって、「うしはく」(権力支配)ではないといわれます。

 戦後唯一の神道思想家といわれる葦津珍彦は繰り返し強調しています。天皇は世界に類(たぐい)まれなる公正無私を第一義とする祭り主である。祭りこそが天皇第一のお務めであり、祭りをなさることが同時に国の統治者であることを意味している、と。

 順徳天皇は「禁秘抄」に「およそ禁中の作法は神事を先にし、他事を後にす」と書き残されました。明治の近代化に伴い、天皇は立憲君主となられましたが、歴代天皇は祭祀を大切に守られています。

 天皇の祭りは、天皇御自身によって、日々、宮中の奥深い神域で行われています。皇祖神ほか天神地祇を祀り、「国中平らかに、安らけく」と、ひたすら国と民のため祈られます。

 なぜ天神地祇なのか。

 歴史学者の三浦周行京都帝国大学教授は『即位礼と大嘗祭』で、大嘗祭に諸神が祭られる意味について、次のように説明しています。

「天神地祇には、もとより皇室のご祖先もあられるが、臣民の祖先の、国家に功労のあったかどで神社にまつられ、官幣・国幣を享けつつあるものも少なくない。これらは国民の共通的祖先の代表的なものと申して差し支えない。……皇室のご祖先をはじめ奉り、一般臣民の祖先を御崇敬遊ばされ、また現代においては一般臣民とともに楽しみたもう大御心を御表示遊ばされると申すが、すなわち御大典の根本の御精神であって……」

 皇祖神のみならず、国民共通の祖先神に崇敬の念を示すことが天皇の祭りの根本精神だ、と三浦教授は説明しています。

 キリスト教世界なら、ローマ教皇であれ、イギリス国王であれ、みずから信仰する絶対神以外に祈りを捧げることはありません。しかし日本の天皇は古来、万民のため、万民がそれぞれに信じるあらゆる神々に祈られます。天皇の祭りは国の安定と民の平安を願う、国民統合の祈りです。

 田中先生は、女系継承を容認する根拠として「天照大神は女神である」を挙げられますが、天皇の祭祀は、伊勢神宮の祭祀とは異なり、天照信仰にのみ基づくのではありません。

 皇室の祖先崇拝ならば大神を祀る賢所および皇霊殿での祭祀で足りるはずですが、そうはなっていません。


8、女系継承が認められない理由

 天皇は天神地祇を祀る祭祀王です。であればこそ、女系継承は認めがたいのではありませんか。

 先生は8人の女性天皇の実在を強調されますが、すべて独身であり、したがって皇婿はおられず、天皇というお立場で皇子女をお産みになった女性天皇もおられません。なぜでしょうか。

 公正かつ無私なる祭祀こそが天皇第一のお務めと考えられてきたからであり、先生がご指摘のように、天皇に〝氏姓〟がないのと同様、さまざまの氏族・血統から超越したお立場で、国と民をひとつに統合してこられたからではないでしょうか。

 女性が夫を愛することは大切です。命をかけてでも子供を愛する女性の姿は美しい。その価値を認めればこそ、「私」なき祭祀王は荷が重い、と古代人は考えたのかも知れません。仰せのように、女性の能力が低いというのではありません。男尊女卑でもありません。むしろ逆でしょう。

 さて、最後に、先生にぜひお願いしたいことがあります。

 先生の「恋闕」の精神は、先生が「正面から率直に対決」されている「男系男子固執派」にもあります。尊皇派同士で「憂国の論争」を感情むき出しで競うことは見苦しいばかりか、反天皇派を利するだけです。「悩める君の御心を休めまつる」どころか、結果は逆でしょう。晩節を汚すことにもなりかねません。

 先生が訴える「君子の論争」を成り立たせるために、その前提として、まずは総合的な天皇研究をこそ、多くの研究者と協力し、もっともっと深めていただけないでしょうか。

 ご専門の歴史研究だけではなく、日本文化研究、宗教学、祭祀学、民俗学など、多角的に進めていただきたいのです。天皇の存在は日本の文明の根幹に関わる、すぐれて総合的なものです。それだけに慎重さと謙虚さを要します。「私の学者生命を賭けて」と仰せの「憂国の論争」はそのあとでもけっして遅くはないはずです。

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皇統を揺るがす羽毛田長官の危険な〝願望〟 [女系継承容認]

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皇統を揺るがす羽毛田長官の危険な〝願望〟
(「正論」平成21年12月号から)
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「皇位継承の問題があることを(新内閣に)伝え、対処していただく必要がある、と申し上げたい」

 羽毛田信吾宮内庁長官は、新連立政権の発足を直前にひかえた(平成21年)九月十日、皇室典範の改正問題に取り組むよう鳩山新内閣に要請する意向を、記者会見で表明しました。共同通信がそのように伝えています。

 悠仁親王殿下ご誕生で沈静化していた、男系男子に限定している現行の皇室典範を改正し、女性天皇のみならず、女系継承をも認める法改正を、このチャンスに推進しようというわけです。民主党は宮内官僚と同様、女帝容認推進派であり、皇室の将来にいまだかつてない暗雲が立ちこめています。


▢1 新政権に典範改正を迫る

 自民党時代には紆余曲折がありましたが、宮内官僚たちや民主党は、女性天皇・女系継承容認で一貫しています。

 過去の経過を簡単に振り返ると、

「皇太子殿下の次の世代の皇位継承資格者がおられない」

 という「皇統の危機」を背景にして、とくに十六年暮れ、小泉純一郎首相(当時。以下同じ)の諮問機関として「皇室典範に関する有識者会議」が発足しました。そして翌年、

「皇位継承資格を女子や女系の皇族に拡大することが必要である」

 とする最終報告書がまとめられています。

 しかし数カ月後、秋篠宮妃殿下のご懐妊が明らかになり、悠仁親王殿下が十八年にご誕生になって、「危機」がひとまず解消されたことから、女性天皇・女系天皇を容認する皇室典範改正案の国会提出は見送られました。

 小泉首相は

「将来は女系天皇を認めないと皇位継承が難しくなる」

 と女系継承容認をあらためて表明しましたが、次期自民党総裁となる安倍晋三内閣官房長官は

「冷静に慎重にしっかりと落ち着いた議論を進めなければ」

 と慎重姿勢を強調しました。政界には

「急ぐべきではない」

 との意見が広がり、典範改正は封印されました。

 ところが、当時の野党である民主党は、このときすでに、党をあげて典範改正を推進していました。

 十六年夏の参院選では、

「『日本国の象徴』にふさわしい開かれた皇室の実現へ、皇室典範を改正し、女性の皇位継承を可能とする」

 との方針がマニフェストに掲げられました。

 翌年、有識者会議の報告書が提出されると、鳩山由紀夫幹事長は

「開かれた皇室への思いを大事にすべきで、典範の改正も視野に入れて、国民の側に立った、国民が期待する、国民の象徴としての天皇、天皇家のあり方を議論していただきたい」

 と発言しました。報告書を

「傾聴に値する」

 と評価し、女性天皇誕生の方向性を尊重する姿勢を確認したのです。

 その民主党が、政権につこうとするまさにそのとき、封印を解く要請を意思表示した羽毛田長官の魂胆はあまりに明け透けです。そこには焦りのようなものさえ感じられます。

 というのも、来夏には参院選が控えています。衆参ともに民主党が絶対的優位に立ついまのうちに改正に着手したい、という本音が見え見えです。

 加えて、羽毛田長官自身の個人的事情があります。厚生事務次官を経て、十三年四月に宮内庁次長となり、十七年四月に第七代宮内庁長官となった羽毛田氏は、来年四月で在任五年を迎えます。潮時なのです。

 藤森昭一第四代長官が十年弱ものあいだ、君臨したあとは、鎌倉節氏、湯浅誠氏と、五年任期の長官が二代にわたって続きました。

 その五年任期を目前にした羽毛田長官が、典範改正に最後の執念を燃やしているだろうことは十分に想像されます。

 何しろ、皇位の男系継承維持を希望する三笠宮寛仁親王殿下のご発言に対して

「皇室の方々は発言を控えていただくのが妥当」

 と一喝し、悠仁親王殿下のご誕生に際して

「皇位継承の安定は図れない」

 などと水を差したばかりでありません。沈静化していたはずの議論にまっ先に火をつけたのは、慎重居士のはずの羽毛田長官その人だからです。

 その執念がひときわ光ったのは、昨年(平成20年)暮れの陛下のご不例でした。


▢2 長官を駆り立てるお役人の論理

 今年(平成21年)は今上陛下ご即位二十年、ご結婚五十年の佳節です。陛下はお元気のご様子ですが、昨年(平成20年)暮れには七十五歳になられ、推古天皇以後、歴代第七位のご長命となりました。七十歳を超える天皇は十二人ですが、天皇のお務めを果たされているのは、古代の推古天皇、光仁天皇のほか、昭和天皇と今上天皇の四方だけです。しかも今上陛下は療養中ですから、ご公務ご負担の軽減は急務です。

 当然ながら宮内庁は昨春(平成20年春)、ご負担軽減策を発表しました。二月には風岡典之次長が、

①ご日程のパターンを見直す、

②昭和天皇の先例に従う、

③「平成が二十年を超える来年(二十一年)から」という陛下の気持ちを尊重して実施される、

 と説明しています。続く三月には、宮中祭祀のあり方について調整を進めることが、発表されました。

 しかし「来年から」というお気持ちの尊重はその後、破られ、軽減策は前倒しされました。昨年(平成20年)暮れににわかにご体調を崩されたからですが、強調されなければならないのは、拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』などに書きましたように、このときの宮内庁の異様な対応です。

 内視鏡検査の結果が発表されたのは十二月九日でした。名川良三東大教授は、

「AGML(急性胃粘膜病変)があったのではないかと推測される」

 と説明しました。

 原因は身心のストレスで、急激に発症するものの、適切な処置がなされれば、比較的短期間で回復する。ストレスから発症までは、短ければ時間単位、長ければ一、二カ月になる、というのが教授の診断です。

 ストレスの原因は何か。ご公務はどうなるのか。金沢医務主管が

「ご心痛や具体的なご負担軽減策は長官から所見が述べられる」

 と予告したため、二日後の長官会見が注目されたのですが、じつに奇妙な内容でした。

 羽毛田長官は

「内外の厳しい状況を深くご案じになっているのに加え、ここ何年かにわたり、つねにお心を離れることのない将来にわたる皇統の問題をはじめ、皇室関連の問題をご憂慮のご様子」

 などと軽く解説したあと、ほとんど東宮に関する問題、いわゆる雅子妃問題の説明に終始したのでした。

 そして最後に、

「私は陛下が七十五歳になり、平成が二十年を超える機会にご負担軽減を進めさせていただきたいと考えてきた。ここ一か月程度はご日程を可能なかぎり軽いものにしたい」

 と結んだのです。

 まるで、皇位継承問題と東宮問題こそが陛下のストレスであり、そのためにご負担を軽減するのだといわんばかりです。

 おかしいのは、医師の見立ては

「急性」

 なのに、長官は

「ここ何年か」

 です。医師は

「ご公務が忙しいから、こんなことになると単純に考えないで欲しい」

 と釘を刺しているのに、長官はご日程に単純にメスを入れようとしています。昨年(平成20年)の公式発表では

「平成二十一年から」

 というのは陛下のお気持ちだったのに、長官は自分の考えだと説明しています。

 あに図らんや、報道も混乱しています。

「皇位継承問題とともに、皇室の現状にも気にかけている点があるとの見方を示した」(共同)

 と単純化されました。陛下が女性天皇・女系継承容認の典範改正を望んでいるかのような解説を署名入りで書いた記者もいました。

 悠仁親王殿下ご誕生の翌日、一般紙が奉祝の社説を掲げつつ、

「皇太子の次の世代に男子が一人だけでは、将来にわたり皇室を維持して行くには依然として不安」(朝日)

 などと、女帝容認を促していたことを、思い出させます。

 これらに対して、宮内庁が抗議したとは聞きません。長官「所見」の目的は、陛下のご不例をこれ幸いと利用し、マスコミを味方につけて虚報を誘導し、女帝・女系継承容認推進ののろしを上げたのではないか、との疑いがぬぐえません。

 なぜならマスコミの利用には前例があるからです。拙著などに書きましたが、例の皇太子殿下への「苦言」騒動がそうでした。宮内庁のトップなら直接、殿下に申し入れすればすむことです。新政権に秋波を送る冒頭の会見も同様でしょう。

 話をもどすと、つづく今年(平成21年)一月にはご公務と宮中祭祀のご負担軽減策が発表されました。しかし、実際にはご公務は削減されるどころか、増えています。激減したのは祭祀です。

 なぜそうなるのか、といえば、宮内官僚もマスメディアも、天皇の本質を完全に見誤っているからです。宮中祭祀簡略化問題と皇位継承問題とはつながっています。


▢3 結論が決まっていた報告書

 天皇史にまったく前例のない女系継承容認の動きが、羽毛田長官をはじめとする宮内官僚によって急を告げているのは、無理もありません。彼らこそは過去十年以上にもわたって、女帝・女系容認への既成事実を積み上げてきた張本人だからです。

 公式に新方針を打ち出した皇室典範有識者会議の報告書は、

「(小泉)内閣総理大臣から、検討を行うよう要請を受け……」

 などと、発足の経緯を説明していますが、誤りです。そのはるか以前から、官僚たちが非公式に検討を進めてきたことは明らかです。「要請」は、官僚のお膳立ての上に乗っているに過ぎません。

 たとえば、「産経新聞」十八年二月十七日付の一面トップに

「女性・女系天皇、『容認』二年前に方針、政府極秘文書で判明」

 という特ダネ記事が載っています。内閣官房と内閣法制局、宮内庁などで構成する政府の非公式会議が十六年に女性・女系天皇容認を打ち出していたことが、同紙が入手した極秘文書で明らかになった、というのです。

 阿比留瑠偉記者の解説記事に示されているように、じつのところ官僚たちは、橋本内閣時代の八年に、鎌倉節長官のもとで、基礎資料の作成を開始していたようです。

 産経新聞が入手した極秘資料には、政府部内関係者による非公式検討の着手から、有識者会議の報告書まで、皇室典範改正に向けた手順が示されています。阿比留記者は、会議発足後の推移が極秘文書の手順と符合していると指摘しています。

 非公式の検討会では、

①憲法が定める「世襲」による象徴天皇制度を前提とすること、

②憲法改正を必要とせず、皇室典範の改正によること、

③皇位継承制度に関する「国民意識」と「歴史・伝統」を尊重すること、

 を制度改正の基本的考え方とし、

「皇位継承資格を女性にも拡大する」

「男女にかかわらず直系を傍系に優先させる」

 が制度改正の二本柱とされたようです。

 こうした基本認識は受け継がれ、有識者会議では、現行憲法の象徴天皇制度を前提とし、

「将来にわたって安定的な皇位の継承を可能にするための制度を早急に構築すること」

 が重要課題とされました。基本的な視点は、

①国民の理解と支持が得られること、

②伝統を踏まえたものであること、

③制度として安定したものであること、

 の三つとされました。

 つまり、総理の要請を受けて有識者会議の検討が始まり、女性天皇・女系継承容認に道が開かれたのではありません。男系男子による皇位継承にメスを入れたのは、ほかでもない歴代宮内官僚たちです。

 この先行する官僚たちの非公式検討を追認するのが有識者会議の役目であり、官僚たちによる皇室の伝統破壊を踏襲するのが報告書だったということになります。結論は決まっていたのです。

 そして、いまも続くはかりごとの先頭に立つのが、羽毛田長官その人なのです。


▢4 天皇の本質論が欠落

 産経の記事によると、官僚たちの非公式検討が始まったころ、橋本龍太郎首相が皇族の意見を聴くように求めたのに対して、官僚たちが拒否したといわれます。

 官僚たちは、皇室の伝統的皇位継承とは別次元で、官僚たち自身にとっての「安定的で望ましい皇位継承」を追求したのです。その結果がネオ象徴天皇制というべき、女帝・女系継承容認推進だったのだと私は考えます。

 それなら女系継承を認めるという官僚たちの発想の背後にあるものは何か。ヒントとなるのは有識者会議の報告書です。

 橋本元首相の証言と同様、報告書には皇室自身の視点が欠落し、皇室軽視が明確に表明されているからです。

「天皇の制度は、古代以来の長い歴史を有するものであり、その見方も個人の歴史観や国家観により一様ではない。我々は、与えられた課題の重みを深く受け止め、真摯に問題を分析し、様々な観点から論点を整理するとともに、それらを国民の前に明らかにし、世論の動向を見ながら、慎重に検討を進めるよう努めた」(「はじめに」)

 なるほど多角的な検討は重要だし、国民の考えを参考にするのも大切です。しかし明らかに、皇室自身の天皇観、皇室にとっての継承制度という視点が抜けています。

 そもそも皇位の継承というのは古来、もっぱら皇室に属することであって、余人が介入すべきことではありません。ところが官僚たちは、まことに不遜なことに、皇族の意見を求めることすらしませんでした。

 多様な天皇観があるというのなら、まず皇室自身の天皇観を掘り下げるべきでしょう。すなわち順徳天皇の『禁秘抄』に

「およそ禁中の作法は神事を先にし、他事を後にす」

 と明記されているように、歴代天皇が重視されたのは祭祀王としての天皇観ですが、この皇室伝統の天皇論に有識者会議が注目したという気配は感じられません。

 報告書にある

「様々な観点」

 という表現は、逆に皇室自身の天皇論に耳をふさぐ耳栓のように聞こえます。官僚たちが目指す

「皇統の安定」(報告書)

 は、皇室の歴史と伝統に基づく「皇統」の維持ではないと疑われます。

 さらに報告書は祭祀無視すなわち皇室の伝統無視の本性をあらわにしています。さながら敗戦直後の占領政策への先祖返りです。

「具体的には、現行憲法を前提として検討することとし、まず、現行の皇位継承に関する制度の趣旨やその背景となっている歴史上の事実について、十分に認識を深めることに力を注いだ」

 官僚たちは開闢以来の祭祀王としての天皇の歴史を振り返るのではなく、公布から百年にも満たない憲法を出発点におき、過去の天皇史とは無縁の、無神論的な天皇の制度をまったく新たに模索しているかのようです。

 有識者会議の報告書は文字の上では間違いなく「伝統の踏襲」をうたっていますが、この「伝統」とはあくまで戦後六十余年の象徴天皇制度の伝統と見るべきです。つまり国と国民統合の象徴として国事行為を行う、名目上の国家機関としての天皇のあり方です。

 天皇という機関を失えば、憲法上、国の最高機関の国会さえ開けなくなる。それでは法治国家として立ちゆけない。「伝統踏襲」といいつつ、報告書が

「古来続いてきた皇位の男系継承を安定的に維持することはきわめて困難」

 と断定し、女性・女系天皇容認に踏み切ったのは、現行憲法が定める国家体制の危機を、その一員としておそれるからでしょう。

 彼らが忠誠を誓っているのは、天皇ではなく、戦勝国が作った成文法に対してです。

 天皇の本質論が欠落した、硬直した法解釈・運用こそが、ネオ象徴天皇制への傾斜を推進するエンジンなのです。


▢5 祭祀こそ多神教文明の核心

 官僚たちは、天皇が祭祀王であるという本質論を見失っています。別ないい方をすれば、祭祀の持つ、高い文明的価値を理解できずにいます。だからこそ、祭祀の簡略化も起きたし、有識者会議の報告書も作られたのです。

 いまや彼らは、宮中祭祀を「陛下の私事」とする解釈で固まり、あちこちで講演して回っている元側近さえいるようです。しかし、戦後、「私事」説で一貫してきた歴史はありません。彼らは天皇の本質のみならず、戦後史を偽っています。

 なるほど敗戦直後の占領前期においては、過酷な神道指令によって、天皇の祭祀はすべて「皇室の私事」とされましたが、政府は皇室制度の正常化に努め、占領後期になるとGHQの政教分離政策も限定分離主義へと変更されました。平和条約が発効すると神道指令自体が失効します。

 そしてちょうど五十年前の昭和三十四年、賢所大前で行われた皇太子殿下(今上陛下)のご結婚の義は「国事」と閣議決定されました。現行憲法下では祭祀は「陛下の私事」と位置づけられる、などと、どうして軽々に決めつけられるでしょうか。

 ところが四十年代になり、入江相政氏が侍従長に昇格し、祭祀破壊が開始されます。さらに富田朝彦長官の登場で伝統破壊は本格化しました。

 その後、十年以上も経って、昭和の祭祀簡略化はにわかに表面化します。当時の宮内官僚たちは、いまと同様、「陛下の私事」説を吹聴していたのです。

 これに対して、尊皇意識においては人後に落ちない神社関係者が抗議の質問書を提出します。祭祀の法的位置づけが変わったのか、と迫ったのです。そして宮内庁は

「ことによっては国事、ことによって公事」

 であることを公式に認めています。

 以来二十五年、官僚たちがふたたび「陛下の私事」説を断定的に語っているのは、法的位置づけが変わったのでしょうか。もし変わったのだとしたら、いつ、どのように変わったのか、公式に説明されるべきです。

 女性天皇・女系継承を認めるべきか否かの議論はそのあとに行われるべきです。天皇の祭祀こそ、古来、日本の多神教的、多宗教的文明の核心だからです。

 陛下は十一月二十三日の夜、宮中の奥深い聖域・宮中三殿で、

「国中平らかに安らけく」

 という公正無私なる祈りを捧げられます。この宮中第一の重儀である新嘗祭は、陛下みずから米と粟の新穀を神前に捧げ、ご自身も召し上がる、という、神と天皇と国民が命を共有し、国と民の命を再生させる食儀礼です。

 米と粟を捧げるのは、稲作民の稲の儀礼と畑作民の粟の儀礼とを同時に行うことで、稲作民と畑作民といった多様なる国民を多様なるままに統合する国家的機能を持つものと理解されます。祭祀の力で、歴代天皇は国と民をひとつにまとめ上げてきたのです。

 国家と国民を統合する祭祀を第一のお務めとして継承することこそが、天皇の天皇たるゆえんです。

 だとすれば、皇位継承は男系男子一系によって行われるべきです。天皇の祈りがそれだけ高い次元で、可能なかぎり純化されたものでなければならないからです。

 たしかに歴史上は八人十代の女性天皇が実在します。しかし、すべて未亡人もしくは未婚で、独身を貫かれています。女性天皇が実在しないのではなく、夫をもつ女性、あるいは妊娠中や子育て中の女性が即位した歴史がないのです。なぜなのか。そこをエリート官僚たちは追究すべきでした。

 女性が夫を愛することは大切です。命をかけてでも子供に愛情を注ぐ女性は美しい。その価値を認めるならば、公正無私なる祭祀王にはふさわしくありません。女性に祭祀が務まらないというのではありません。女性差別でもありません。

 連綿たる天皇の祈りの継承によって、国の平和と民の平安を築き、社会を安定させてきたわが文明のかたちを深く理解するならば、女性天皇容認、女系継承容認の法改正には異議を唱えざるを得ません。宮内官僚らが進める皇室典範「改正」が、民主党政権下で実現すれば、日本の歴史と伝統を破壊し、天皇を完全に名目上の国家機関化する「ネオ象徴天皇国家」となることは間違いないでしょう。

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