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大石眞先生、男系の絶えない制度をなぜ考えないのですか?──5月10日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 2 [有識者会議]

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大石眞先生、男系の絶えない制度をなぜ考えないのですか?──5月10日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 2
(令和3年6月13日、日曜日)
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前回の続きです。

2番手は大石眞・京都大学名誉教授(憲法学)でした。大石氏は以前、取り上げたことがあります。そのときは改元がテーマでした。保守主義の立場に立つ、じつに見識ある改元論で、感銘を受けました。

その大石氏が今回のヒアリングで、女系継承容認を表明されたのには、正直、大きな衝撃を受けました。日本の保守派を代表する知識人が女系継承を容認するという現実に、現下の問題の難しさをあらためて痛感させられました。

それならなぜ、大石氏は女系継承容認に傾いたのか、資料を読んでみると、歴史的考察の欠落という保守主義者にとって致命的な欠陥が浮かび上がってきます。視点がまるで違うということです。

以下、レジュメに沿って、かいつまんで検証します。


▽2 大石眞氏──憲法論の箱庭を飛び出せないのか

聴取項目の1は、「天皇の役割や活動」です。大石氏は憲法学者らしく、あくまで憲法論を展開しています。これですべてが氷解されます。大石氏の天皇とは、仰せのように「憲法的な機関」であって、それ以上ではありません。

たしかに、日本国憲法に基づき、国事行為ほか御公務をなさる「象徴天皇」の継承問題を論じるのであれば、大石氏の議論は正しいかも知れません。けれども、日本の天皇は憲法上の国家機関という位置付けだけではすみません。だからこそ国民的議論を呼んでいるのです。

大石氏にとっての天皇は2.5代なのでしょう。しかし私たちが考えたいのは、126代続く天皇の皇位継承なのです。それが保守主義の立場ではないのでしょうか。

設問3は、「皇族数の減少」についてで、大石氏は、皇族数が減少すると、(1)皇室会議の議員を充足できなくなる、(2)午餐会・晩餐会、園遊会などで「歓迎」「交流」の実質を確保できなくなる、(3)とくに男子皇族の減少は皇位継承自体の危機をもたらす、と説明しています。

まったく正しい指摘ですが、肝心のポイントが抜けています。先帝時代に増え続けた御公務の見直しについてです。先帝の譲位も、御高齢で、しかも健康問題を抱えつつ、御公務を行うことの肉体的限界性が契機となりましたが、その後、見直し問題は忘れられています。御負担軽減のために、女性皇族に御公務を「分担」していただく、「女性宮家」創設も必要だという議論はどこへ行ったのでしょうか。

先帝の在位20年のあと、宮内庁は御負担軽減に着手しましたが、見事に失敗し、御公務は逆に増えました。その失敗の反省も検証もないままに、「男系『女子』への拡大と『女系』皇子孫への拡大」などと安易に論理を飛躍させるべきではありません。

設問4は「男系男子による皇位継承」についてですが、大石氏は、「皇族女子の皇籍離脱制度は、少なくとも皇室典範の立案・制定過程において、女帝否認以外に説明を見いだせない」「男系主義と女子の皇籍離脱との間に必然的な関係はない」として、「女性皇族の皇籍離脱制度は再考する必要があろう」と訴えています。

つまり、大石氏は、1点目として、126代続く天皇とは何だったのか、なぜ男系主義が採られてきたのか、について踏み込もうとしません。皇室の天皇観によれば、天皇は「公正かつ無私なる祭り主」であり、そのことと男系主義とは密接不可分のはずですが、ほとんどの知識人と同様、その本質を追究しようとはしません。だから、たやすく女系容認に走るのでしょう。

たとえばイギリス王室なら、王族同士の婚姻、父母の同等婚が大原則でした。しかし日本の皇室の場合は、小嶋和司・東北大教授(憲法学、故人)が指摘したように、父系の皇族性を厳格に要求してきました。その結果として「万世一系」が堅持されてきたのです。

2点目は、女性天皇が歴史的に存在するのに、明治以降、否定されたのには、以前、指摘したように、終身在位制との兼ね合いがあるからでしょう。大石氏の提案はこれを無視しています。

皇籍離脱の否定は、終身在位制を前提としたとき、何をもたらすのか、大石氏に分からないはずはないでしょう。それでも「女性天皇・女系天皇の実現可能性は、女性皇族の存在を前提としている」「女性皇族の皇籍離脱制度の改正が最優先に検討されるべきであろう」と仰せになるのなら、革命を煽ることと同じではありませんか。

設問5は「男系女子への皇位継承権拡大」、6は「女系への拡大」で、大石氏は、これまで説明してきたことから容易に想像されるように、「基本的な方向としては妥当」と仰せです。

ただ、「しかし、古来、皇位が男系のみで継承されてきた伝統は重い」「一挙に、皇位継承資格を内親王・女王に認め、女系にも拡大するという大転換が最善とも思えない」として、現実主義に基づく「段階」論を提示しています。「まずは、これまでの皇位継承法を維持することが可能な限り、それによるものとする」というわけです。

つまり、大石氏には、男系の絶えない制度を追求しようという意思がまったく感じられません。大石氏は保守主義を捨てたのですか。

設問7は「皇族女子が婚姻後も皇族身分を維持する」ことについてです。

大石氏は「当然ありうる」「生まれてくる子を皇族とすることは当然」「その配偶者についても皇族とすることが適当」と述べていますが、すでに述べたように、これは父系の皇族性を厳格に要求する「万世一系」の皇統を根本的に変更する革命的挑戦です。なぜそこまで飛躍するのか、説明が求められます。

設問9は、「養子縁組や旧宮家の皇籍復帰」についてですが、大石氏は、いずれも否定的で、とくに旧宮家の復帰については、憲法の平等原則に対する「例外」を設け、「皇族」という継続的な特例的地位を認めることになるから、「憲法上の疑念がある」と完全否定しています。

つまり、大石氏は11宮家が臣籍降下した、させられた歴史的事情への考慮がありません。占領という異常事態での、自発によらざる皇籍離脱の歴史的評価が抜けています。それでいいのかどうかです。

おそらく旧皇族の皇籍復帰となれば、70数年前、皇籍離脱を促した当事者であるアメリカは沈黙を破り、皇位継承問題は俄然、外交問題化する可能性を秘めています。それでも126代の男系継承を守るのか否か、問われているいま、私たちは憲法論の箱庭に収まるようなスケールの小さい議論を超えていかねばならないのではありませんか。


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岡部喜代子先生「女帝は認めるが女系は認めない」現実論の前提を疑う──5月10日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 1 [有識者会議]

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岡部喜代子先生「女帝は認めるが女系は認めない」現実論の前提を疑う──5月10日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 1
(令和3年6月6日、日曜日)
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5月10日に開かれた有識者ヒアリングの議事録が公開されましたので、レジュメと合わせ読んで、お一方ずつ、ご主張の内容を吟味していくこととします。今日は岡部喜代子・元最高裁判事です。『相続法への誘い』『親族法への誘い』などの著書があり、親族法、相続法の専門家です。


▽1 岡部喜代子氏──日本国憲法に基づく行動主義的天皇という視点

岡部氏は5ページのレジュメを用意しました。政府の聴取項目に沿って作られ、後半の2ページは関連資料です。

岡部氏の結論は、「男系女子の皇族に皇位継承資格を認めることが望ましい」「女性皇族が婚姻しても皇族の身分を保持し続け、配偶者と子は皇族とならないとすることが現実的かつ最も弊害の少ない方法ではないか」、つまり女帝は容認しつつも、現実論として女系継承は否認するということのようです。

吟味すべきポイントは以下の7点かと思われます。

1、皇位継承問題を考えるに際して、岡部氏は日本国憲法を基礎に置いているが、それで十分なのか?
2、女性皇族が婚姻後も皇族身分を失わないこととする根拠は何か? その場合の「皇族」「皇族性」とは何か? 議論すべき目的は何か?
3、男系女子に皇位継承権を認めるとする根拠は何か? 終身在位制との関係はどうなるのか?
4、「女系天皇」容認が憲法違反ではないとする根拠は何か? 「王朝の支配」との関係は?
5、元皇族が皇族の名で、皇族の行為をなすことは許されないとする根拠は何か? 婚姻後も皇族身分を失わないとすることと矛盾しないのか?
6、皇統に属する男系男子の皇籍復帰は「新たに皇族を創り出すこと」だとし、その場合の法的根拠を疑い、「皇族」とは何かと問いかけているが、逆に「皇統」とは何であるとお考えなのか?
7、皇族減少という「喫緊の課題」に対して、女性皇族が婚姻後も皇籍離脱せずに皇族であり続け、配偶者やその子孫は皇族としないことが「現実的かつもっとも弊害の少ない方法」と訴えているが、考え方として、方法論として妥当なのか?

テーマが多岐にわたりますので、以下の5点に絞って、批判を試みます。


◇岡部氏は雛祭りをしないのか

まず1点目は、憲法論的発想の是非です。

岡部氏の天皇観は、拍子抜けするほど常識的で、素っ気ないものです。

「天皇は、日本国憲法第1条の定めるとおり、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である。
天皇は様々な行為を行っているが、そこには国事行為ではなく、しかも純粋な私的行為ではない行為が存在する。
昭和天皇、先の天皇(上皇)、今上天皇は様々な行為を行われて天皇が国民とともにあることを示され、そのことによって、象徴という抽象的な概念を国民の目に見える形に、国民の感得できる具体性をもったものにされてきたと考えている」

つまり、立憲主義に基づく近現代の行動する天皇こそが岡部氏の天皇ですが、それで十分なのかどうか。

4月21日のヒアリングに登場した本郷恵子・東大史料編纂所長(日本中世史)と比較すると、本郷氏にとっては、天皇は古来、単なる政治権力者ではなく、文化的力を持つ歴史的存在であり、「文化的一貫性を体現している」のが天皇でした。であればこそ、結果として、天皇は憲法上、「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴」となるのでしょうが、岡部氏にとっては、あくまで日本国憲法が議論の出発点です。

つまり、岡部氏にとっての天皇は126代続く天皇ではありません。法律家なら最高法規たる日本国憲法を根拠に考えるのは当然かも知れません。しかし、いま私たちに求められているのは、天皇とは本来、何だったのか、そのおつとめとは何か、を総合的に再確認し、そのうえで将来の皇位継承のあるべき形を追求することではないのでしょうか。視点が違う、発想が違うということです。

日本人には古来、さまざまな天皇観・皇室観があります。たとえば大工さんたちにとって、法隆寺を建立された聖徳太子は職業的守護神です。書道家は嵯峨天皇を三筆の一人として崇敬します。女の子の健やかな成長をと幸せを願って、内裏雛を飾り、桃の節句を祝うことは、近世以来、全国各地で行われています。岡部氏のお宅では雛祭りは行われないのでしょうか。

限られた時間で何でもかんでも語るのは不可能ですが、憲法論的、法律論的天皇論で十分なのでしょうか。古来、日本という多元的文明の中心に位置してきたのが天皇であり、文明の根幹に関わる皇位継承問題を論ずるのなら、日本国憲法もまた再検討の対象となるべきで、憲法を大前提に議論することは矛盾していませんか。


◇「皇族」は御公務を補佐する身近な代打要員か

2点目は「皇族」「皇族性」についてです。

岡部氏のレジュメには、「問2 皇族の役割や活動」について、「皇族は、皇位継承資格を有する者として、天皇、皇族としての役割を果たすことができるよう準備をなさっている。また天皇の身近にあって天皇をたすける役割および藩屏としての役割も担っている」とあります。議事録も同様に、近代以降の行動する天皇を称賛しています。

しかし、行動主義的天皇論はさておくとして、「皇族」の定義・概念はそれで十分でしょうか。岡部氏は皇室典範に列挙された「皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、内親王、王、王妃及び女王」を「皇族」とお考えなのでしょうが、「皇族」の範囲には歴史的な変遷があります。

元来、「皇族」とは皇統に属し、皇位継承の資格を有する血族の集団を意味するはずですが、明治の皇室典範は臣籍出身の后妃をも「皇族」とし、皇位継承資格者としての「皇族」と待遇身分としての「皇族」とを混同させ、本質をぼやけさせてしまいました。

そして、混乱はいまも尾を引き、皇族性とは血統主義に基づいて皇位継承資格を有することのはずなのに、継承資格は二の次となり、いわば天皇の御公務を補佐する代打要員の確保を目的に、皇族性の意味がねじ曲げられています。

岡部氏の場合は、「皇族」は単なる近親者に過ぎません。なぜそう理解するのか、理解しなければならないのか。


◇御公務とは何かに答えていない

振り返れば、「女性宮家」創設論の目的は、天皇(先帝)が高齢で健康問題を抱えながらも、あまりにご多忙なので、ご公務を婚姻後の女性皇族にも分担していただく必要があるというものでした。宮内庁は御公務御負担軽減に着手したものの、見事に失敗しただけでなく、失敗の原因を検証することも、反省することも、責任を取ることもなく、「女性宮家」創設=女系継承容認へと論理を飛躍させ、暴走し始めたのでした。最近では「皇女」にご公務を担ってもらうという案さえ出ています。

先帝の譲位も、天皇の行動主義が原因でした。古来、公正かつ無私を大原則とする天皇にとって、行動主義に基づく近代的御公務は無限に拡大していく可能性を秘めています。A県を訪問して、B県は訪問しないということがあり得ないからです。岡部氏が仰せのように、先帝も今上も御公務に励まれていますが、高齢の天皇には肉体的に限界があります。憲法は「摂政」について規定していますが、先帝は「譲位」を求められました。そして特例法が作られ、皇位継承が行われました。

けれども、岡部氏の所論には御公務の本格的見直しという視点が欠落し、あまつさえ政府・宮内庁の御公務維持論に無批判に追従しています。

じつのところ、いっこうに減らない御公務とは、ほかならぬ宮内庁内人事異動者の内輪の「拝謁」であり、外務省関連の赴任大使の「拝謁」でした。御公務主義の最大のネックは官僚社会であり、端的にいえば、宮内庁と外務省です。もっとも中心的な御公務は「三大行幸啓」といわれる全国植樹祭、国民体育大会、全国豊かな海づくり大会であり、いずれも中央官庁のイベントです。

だとしたときに、憲法を起点とし、御公務主義に基づいて、皇位継承問題を考えることの意味は何でしょうか。憲法の国事行為のみを行うのが天皇なら、上御一人で十分ですが、毎週のように、あるいは週に何度も行われる御公務なら、「分担」は必要かもしれません。しかし、その前に御公務の見直しをすべきで、皇室の伝統的ルールを根本的に変えてまでして皇族を確保し、「分担」すべきなのか、疑問です。

岡部氏は、少なくともヒアリングでは、きわめて抽象的に、「皇族方の減少により、貴重な活動をなさる方が減少し、活動がなかなか思うに任せない事態は憂慮すべき事態で、早急に改善を図る必要がある」と述べているに過ぎません。天皇のあるべき御公務とは具体的に何か、岡部氏は答えていません。


◇憲法の「世襲」とはdynasticの意味である

しかしここまでは序論に過ぎません。次に岡部氏は本論である、女系継承の認否に話を進めます。

岡部氏は、「女性皇族に皇位継承資格を認めるか認めないかという議論とは別個に、婚姻しても原則として皇族の身分を失わないこととすることが望ましい」「男系女子の皇族に皇位継承資格を認めることが望ましい。その場合、第1順位を男系男子、第2順位を男系女子とする」と主張します。

けれども、皇位継承資格を女系に拡大することについては、「女系天皇を認めることが憲法違反であるとの説を採ることはできない」と断言しつつも、「ただ、現時点で女系に拡大するべきかについては別の検討が必要」で、「現在男系男子制を採り、男系男子の皇位継承者があり、かつ、女系に拡大することに強固な反対がある」ことを理由に、容認を避けています。現実主義です。

論理はたいへん面白いのですが、やはり前提が間違っていませんか。

つまり、第2順位の男系女子が皇位を継承する場合とはいかなる状況なのか、以前、申し上げたように、もし終身在位制が前提だとすれば、第1順位の男系男子が不在で、男系女子が継承せざるを得ないのなら、岡部氏がお得意の現実主義に立てば、女系継承を認めざるを得ないという結果になりませんか。

しかし岡部氏は女系継承を容認しません。逆に現実主義からですが、私には意味不明です。

岡部氏は、「女系天皇は憲法違反であるとの説を採ることができない」と断言します。理由は、平成17年の皇室典範有識者会議の報告書にあるように、「皇位の世襲の原則は、天皇の血統に属する者が皇位を継承することを定めたもので、男子や男系であることまでを求めるものではなく、女子や女系の皇族が皇位を継承することは憲法の上では可能」と考えるからです。そしてまた、立法者の意思もそのようであったと理解しているからです。憲法は女系を容認しているというのです。

しかし違うのです。小嶋和司・東北大教授(憲法学、故人)が明らかにしたように、憲法の「世襲」はdynasticの意味であり、立法者たちは「王朝の支配」と認識していました。「万世一系」を侵す女系継承は憲法が認めていないと理解すべきです。


◇血統主義とは「血の濃さ」なのか

4点目は血統主義についてです。

岡部氏は皇統が血統主義に基づくことを理解していますが、男系継承の歴史的実態を無視しています。つまり、血統主義と「血の濃さ」を混同しています。

「世襲を要求されているのであれば、血の濃いほうが皇位に近いと考えるのが自然である。血の濃い女性皇族と、非常に血の薄い男性皇族を比べたとき、血の濃い女性皇族に親愛の情を抱き、また尊敬の念を持つのが国民一般の気持ちであり、これが皇位の根拠であるとすれば、そのような人が天皇になるというのは、天皇制の支持の基盤ということが言えるのではないか」

本郷恵子氏の場合は、天皇の何たるか、天皇がなぜ続いてきたのか、歴史学では明確には分からないとしたうえで、男系による皇位継承原則を一変させ、女系継承に拡大させるという革命主義的主張でした。他方、岡部氏の場合は、皇統の男系主義の何たるかを深く吟味しないまま、「基本的に血の濃い者が皇位継承資格を有するというのが世襲原則からして自然ではないか」と一般民の常識的感覚で安易に女系容認を主張するのでした。

ただ、その一方で、岡部氏が「この段階で女系天皇を認めるべきかということまでは、現段階では、私としては躊躇する」と仰せなのは、「天皇制についての考え方と伝統に基づいた主張と理解している」と言いつつ、「それを続かせる現実的な背景や事情があった」のが理由です。つまり、日本の「基本的には男性の力が強い世の中である」「非常に過渡的な時期」だというわけです。

あくまで現実論であり、126代にわたり男系主義を採用してきた皇室の論理を追究するわけでも、歴史の事実に配慮するわけでもありません。


◇血統主義に基づく皇族性の有無

岡部氏は伊藤博文の『皇室典範義解』を取り上げ、明治および現代の家制度の採用について論じ、皇室典範と民法について専門家ならではの詳細の考察を進めたうえで、「今回は喫緊の問題として、女性皇族が婚姻しても皇族の身分を保持し続け、配偶者と子は皇族とならない、ということが現実的で、かつ、最も弊害の少ない方法ではないか」と結論づけています。

しかし、皇室は「家」ではありません。天皇には姓も名もありません。皇家とは「家」なき「家」なのです。また、伊藤博文の『義解』は、臣籍降嫁後も「内親王」と呼称されるのは、あくまで特旨によって授けられる尊称であって、身分ではないと強調しているのではありませんか。

最後に、岡部氏は、「皇統に属する男系の男子を新たに皇族とすること」について、つまり、旧宮家の皇籍復帰について、不賛成を表明しています。

旧宮家の復籍は「法律によって新たな皇族を創り出す」ことであり、「皇統に属する男系男子であれば、薄い血縁でも法律で認められれば皇族となり得るということになる」「これは、天皇との血縁が濃い一定範囲の者という皇位継承の在り方とは異なってくるのではないか。その点を心配している」「ひいては、国民と皇族との区別がどこにあるのか、という疑念も起こってこないとは限らない」というわけです。

しかし皇室のルールは「血の濃さ」ではなく、血統主義に基づく皇族性の有無です。それは126代の皇統史を振り返れば明らかなはずです。

たとえば116代後桃園天皇崩御のとき、欣子内親王のほかに子女はありませんでした。皇位を継承したのは閑院宮の光格天皇であり、欣子内親王はその中宮となりました。それが皇室の皇位継承のルールです。

岡部氏のご主張では、欣子内親王が即位することになりますが、それは皇家の家法を根本的に変更することを意味します。なぜ皇室のルールを曲げようとするのか、憲法が国民主権を謳っているからでしょうか。日本国憲法は天皇・皇室の歴史と伝統にそれほど不寛容なのでしょうか。

次回は、大石眞・京都大学名誉教授です。


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【関連記事】混迷する「女性宮家」創設論議の一因──古代律令制の規定を読み違えている?〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-03-18
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【関連記事】再考。誰が「女性宮家」を言い出したのか──所功教授の雑誌論考を手がかりに〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-02-26
【関連記事】基本を忘れた女系継承容認論──小嶋和司教授の女帝論を読む〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-31
【関連記事】白鳥と化して飛ぶ穀霊──京都・伏見稲荷大社の起源説話(「神社新報」平成8年6月10日)〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1996-06-10

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所功先生vs高森明勅先生「場外バトル」を解きほぐす補助線──4月21日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 番外編 [有識者会議]

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所功先生vs高森明勅先生「場外バトル」を解きほぐす補助線──4月21日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 番外編
(令和3年5月29日、土曜日)
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▽1 意味不明な所氏の「追加所見」

所功氏が4月21日のヒアリングのあと、補足説明の資料を提出されました。〈https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai4/sankou1.pdf

少し振り返ると、所氏はヒアリングでは、婚姻により皇族の身分を離れた元女性皇族が皇室の活動を支援することを是認し、その場合、称号は元皇族とか「元内親王」「元女王」とし、その位置付けは、内廷の職員とすることがふさわしいと述べていました。

これに対して私は、「どのような活動を想定してのことなのか不明」「天皇・皇族の公的な活動を、内廷の私的使用人の立場で分担するというのは無理がある」「公的立場の皇族と私的使用人の元皇族が皇室の活動を支え合うというのも、混乱は必至」と指摘しました。

その後、提出された「追加所見」では、黒田清子元内親王が神宮祭主をお務めであるという具体的な事例が示され、女性だから祭祀が務まらない、務めてはならないということはないと説明されています。さらに、歴史的にもたとえば後桜町天皇は宮中祭祀を厳修されたと解説されています。

しかし、どうもよく分かりません。政府の設問と「追加所見」がまるで噛み合っていないからです。

所氏は「問7・問8に関連して簡単に付言する」と断っています。つまり、「問7 内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持することについて」「問8 婚姻により皇族の身分を離れた元女性皇族が皇室の活動を支援することについて」に関連した補足意見ということですが、とすると仰りたいのは、皇籍離脱された元内親王・女王に宮中祭祀をお務めいただくという提言なのでしょうか。

しかしそれだと、天皇の、天皇による宮中祭祀という大原則が完全に崩れてしまいます。天皇の祭祀に誰よりも詳しいはずの所氏がそんな世迷言を仰せのはずはありません。

それとも単に、女性天皇否認論への反論ということなのでしょうか、だとすると「問7・問8に関連して」という断り書きが意味をなさなくなります。しかも内容的に不十分です。歴史上、否定されているのは、女性天皇の存在ではありません。夫があり、妊娠中もしくは子育て中の女性天皇が歴史に存在しないのです。そんなことは、所先生なら常識のはずです。

「追加所見」の目的はいったい何でしょうか。さっぱり分かりません。


▽2 高森明勅氏「一代女帝論は先延ばしに過ぎない」

所氏は「女性宮家」創設論のパイオニアであり、名にし負う女性天皇・女系継承容認派でした。

平成17年の皇室典範有識者会議が「皇位の安定的な継承を維持するためには、女性天皇・女系天皇への途を開くことが不可欠」(「結び」)との報告書をまとめると、所氏は待ってましたとばかりに「女性天皇、女系継承、女性宮家の創立なども可能とした報告書の大筋には賛成したい」と新聞コメントで応じています。

しかし今回のヒアリングでは女系継承容認論は鳴りを潜め、一代限りの女性天皇論に後退しています。この君子豹変については、変説の理由を示すべきだとすでに書きました。というより、何かウラがあるだろうというのが、生来疑い深い私の偽らざる感想です。

そんな折も折、かつては積極的女帝容認論の盟友だった高森明勅・日本文化総合研究所代表が公式ブログで、所氏の「一代女帝論」を批判しています。〈https://www.a-takamori.com/post/210521

高森氏は、会議のメンバーと所氏との質疑応答に注目しています。メンバーが「女系まで認めることが安定した皇位継承につながるのではないかという意見もある」と指摘したのに対して、所氏は、「必ず男子が得られることを前提にして、男子だけで継ぐという規定を続ける限り、万一の事態に対処し難くなる」としか答えませんでした。

これに対して高森氏は、「会議メンバーは、さらに『その先』を問うている」のであり、「男系女子」の即位は「継承の行き詰まりをわずか『1代だけ』先延ばしするに過ぎない」ときびしく批判しています。

高森氏によれば、所氏は「一代女帝論」が抜本的な安定化につながらないことを理解しているはずなのに質問に答えていない、答えられなかった、はぐらかしの回答をせざるを得なかったと推理しています。さすがの着眼と分析です。

しかし、私の疑いは、所氏の変説そのものにあります。所氏は本気で「一代女帝論」を主張しているのかどうかです。老練な先生の所論にはさらなるカラクリがあるのではないでしょうか。


▽3 「一代女帝」はそのとき女系容認に変質する

所氏の見かけ上の変説は、すでに書いたように、皇室問題を検討する神社新報の「時の流れ研究会」に参加したのがきっかけと思われます。男系派と女系派が呉越同舟する研究会は昨春、女性天皇や「女性宮家」創設を拒否する「見解」を発表しましたが、その直後、所氏は新聞インタビューで、(1)男系男子限定から男系男子優先に変える、(2)女子による相続の容認、(3)養子の容認を提示し、「見解」にすり寄っています。〈https://www.tokyo-np.co.jp/article/16673

しかし何十年ものあいだ皇室研究に取り組み、優れた業績を残す一方、いち早く女系継承容認、「女性宮家」創設を訴えてきた達人が、いまさら否定論に本気で変説するものでしょうか。

ナゾを解きほぐすために、1本の補助線を引いてみることにします。終身在位制という補助線です。そうすると、いままで見えなかったもうひとつの絵が浮かび上がってきませんか。

126代続く天皇史を振り返ると、8人10代の女性天皇がおられます。登極ののち皇太子を立て、時を待って譲位することが前提とされています。「摂位」に近いといわれるゆえんです。「摂位」たる女性天皇の即位は、譲位制度が前提となります。

けれども、近現代では「摂位」の女帝はあり得ません。明治以降、女性天皇が制度として否定されたからだけではありません。終身在位制が採用されたからです。終身在位制のもと、譲位が否認され、もし女帝を立てざるを得なくなったとき何が起きるか、少し考えれば分かることです。

戦後も終身在位制は続いています。だからこそ、先帝の譲位には特例法が必要でした。終身在位を前提として、所氏がいう「一代女帝」が即位するのは、男系男子がすでに不在となった、万策尽きた状況にほかなりません。高森氏が指摘する「その先」はどうなるのか、自明でしょう。

所氏はそのことを誰よりも熟知しているはずです。であればこそ、会議のメンバーの質問に答えられず、はぐらかすしかないのでしょう。そしていずれ「その先」が現実になったとき、所氏はふたたび君子豹変し、公然と女系継承容認を高らかに歌い上げるつもりなのではありませんか。女帝即位の瞬間、「一代女帝論」は女系継承容認論へと鮮やかなる変質を遂げるのです。そして、男系で紡がれてきた126代の皇統史は終焉し、「万世一系」は崩壊するのです。

所氏は変節漢ではなく、転向者でもありません。「一代女帝論」は世を忍ぶ仮の姿であり、所氏は高森氏の永遠なる同志なのだろうと私は確信的に想像しています。


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本郷恵子先生、これがいまの東大歴史学のレベルなのですか?──4月21日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 4 [有識者会議]

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本郷恵子先生、これがいまの東大歴史学のレベルなのですか?──4月21日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 4
(令和3年5月22日、土曜日)
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前回の続きです。


▽4 本郷恵子氏──日本人の知性の衰えを痛感する

4番手は本郷恵子・東京大学史料編纂所所長(日本中世史)でした。日本の最高学府の頂点に立つ東大の日本史研究の総本山のトップ、いわば真打中の真打の登場ですが、残念ながら落胆以外の感想を持ち得ませんでした。

本郷氏も政府の設問に沿ったかたちで、4ページのレジュメを用意していますので、これに従ってご主張の中身をきびしく検証します。〈https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai3/siryou5.pdf


◇天皇は単なる政治権力者ではない

まず問1の「天皇の役割や活動について」です。本郷氏はさすが歴史家らしく日本の歴史全体を俯瞰したうえで、「天皇の権力を理解するのはとても難しい」と率直に、謙虚に認めています。女系継承容認派の知識人の多くが戦後憲法を起点として性急に論じているのとは、決定的に異なります。

レジュメでは、次のように、前近代と近代以降の天皇統治の違いが説明され、一方で天皇の文化的力について説明されています。天皇は単なる政治権力者ではないという見方です。きわめて重要な指摘です。

「天皇は摂関時代以降、必ずしも政権の主役として活動してはいなかったが、一方で前近代を通じて維持された官位制度や儀礼・行事の体系を、営々と継承していくにあたっての根拠・淵源として機能した。
前者は近代以降も、一部の省庁名や叙位叙勲制度に受け継がれた。後者については、平成から令和へのお代替わりの際に、さまざまな先例が参照されたことからも明らかなように、いわば時空を超えた有効性を持つ」

その一方で、本郷氏は、「天皇の伝統」が一定不変ではなく、不断の検討を経てきた。その文化的一貫性を体現してきたのが天皇なのだと指摘しています。

「天皇をめぐる伝統は(伝統といわれるものの多くがそうであるように)必ずしも不変のものとして踏襲されているわけではないが、天皇の営為に関連して、言及され検討されることを通じて、くりかえし想起され、実践的な価値を持ち続けている。天皇は、このような文化的一貫性を体現していると考えられる」


◇歴史学の課題「なぜ天皇は存続し得たのか」

さらに「ただ一方で」と本郷氏はたたみかけ、「天皇の政権」が歴史的を危機を経ながらも存続し得てきた歴史学上の難題に言及したうえで、現下の皇位継承問題との関連性について説明しています。さすがだと思います。

「一方で、鎌倉幕府の成立以来、天皇および天皇を戴く公家政権は、権力という点では完全に武家政権に凌駕され、危機的な状況に陥ったことも少なくなかった。
天皇および天皇制が、なぜ存続し得たのかについて、歴史学の立場では明確な答えを出せていない。すなわち天皇・天皇制は、その存在意義を検証されないまま続いてきたといえる。皇位の安定的な継承が問題となる今回の事態をめぐって国民的な議論を展開することは、この問題を今日的な課題として考えることにもつながるであろう」

つまり、すでに述べてきたように、古来、天皇統治は「ことよさし」であり、「しらす」でした。「およそ禁中の作法は神事を先にす」とされ、「国中平らかに民安かれ」と祈るのが天皇第一のお役目でした。この皇室の天皇観とは別に、天皇・皇族を歌聖、能筆家と仰ぎ、内裏雛を飾り、職業的祖神と崇める民の側の信仰があり、これが本郷氏のいう文化のみならず、日本の産業を歴史的に支えてきたのです。

近代になって、「絶対主義的天皇制」などというイデオロギー的理解が広まったのでしょうが、皇位継承問題という文明的難問を目前にして、日本の歴史学がいまなお「天皇および天皇制が、なぜ存続し得たのかについて、歴史学の立場では明確な答えを出せていない」とは何たる怠慢でしょうか。

「戦後唯一の神道思想家」といわれる葦津珍彦は、もう60年も前に、日本人の国体意識、天皇意識の多面性、複雑性を次のように指摘しています。

「私の考えによれば、日本の国体というものは、すこぶる多面的であり、これを抽象的な理論で表現することは、至難だと思われる」
「(国民の国体)意識を道徳的とか宗教的とか政治的とかいって割り切れるものではない。そこには、多分さまざまの多彩なものが潜在する。とにかく絶大なる国民大衆の関心を引き付ける心理的な力である。これが国および国民統合の象徴としての天皇制を支えている」
「この根強い国体意識は、いかにして形成されたか。それは、ただ単に、日本の政治力が生んだものでもなく、宗教道徳が生んだものでもなく、文学芸術が生んだものでもない。それらすべての中に複雑な根を持っている」(「国民統合の象徴」=「思想の科学」昭和37年4月号)

以前、書いたことですが、一元的に、演繹的に発想する近代主義的な歴史学の手法に限界があるのではありませんか。たとえば雛祭りの風習は江戸期に始まったようですが、天皇が絶対権力者なら、どうして雅な習俗が生まれるでしょうか。


◇歴史ある史料編纂所長の素人論議

まことに失礼ながら、率直にいって、本郷氏の意見で拝聴すべきものは、以上の問1の回答以外にありません。ほかならぬ本郷氏ご自身が仰せのように、126代にわたって続いてきた天皇の何たるかが明確に分からないというのなら、天皇の将来について意見を述べること自体遠慮されるべきです。それが歴史学者としての良心のはずです。ご意見拝聴の価値はありません。

当然のごとく、本郷氏の問2以下の回答は混乱しています。以下、簡単に批判します。


問2 皇族の役割や活動について

「天皇位の血統継承を保障する親族集団であると同時に、天皇を支え、その公務の一部を分担する役割を担う」

本郷氏は「皇族」の範囲を具体的にどうお考えなのでしょう。前近代と近代では変わっているはずです。「皇族」概念の混乱をどのようにお考えでしょうか。そもそも天皇と皇族を同列に論ずるべきではないのではありませんか。

また本郷氏のいう「公務」とは具体的に何を指すのでしょうか。平成の時代には、本来、「みなし皇族」の立場であるはずの皇后お一人による外国大使の「ご引見」さえ行われています。憲法違反の疑いさえあるということですが、そのような「分担」があるべきだとお思いですか。


問3 皇族数の減少について

「血統継承を維持するためには、一定規模の親族集団が必要である」
「現行の原則を続ければ、皇族数は減少の一途をたどり、次々世代の継承には危惧をおぼえざるをえない」
「なんらかの方策を講じることが必要である」
「女性皇族の御結婚ということを考えると、そんなに時間的余裕もないかなと思うので、速やかに議論を尽くすということがとても大事だろう」

本郷氏自身、「皇族」概念が混乱していないでしょうか。皇統が男系で継承されてきたのが歴史の事実なら、歴史家は男子皇族の確保を一義的に主張すべきかと思います。


問4 男系男子のみが皇位継承資格を有し、女性皇族は婚姻で皇籍離脱する現行制度について

「皇族の規模としてはあまり増やしても困るというようなことがあるので、非常に明確に性別で分けて、男子は残るし、女子は離れるというふうに明確に分かれているのは、それによって皇室の規模が一定に抑えられるという、この効果はとても大きいと思う」
「ただし、今日の家族観や性別につい ての考え方からすれば、男女の別のみにもとづいて、このように身の振り方を分けるやり方には疑問を感じざるをえない」

本郷氏は皇統が男系継承で継承されてきた歴史を認めています。歴史家として当然です。ところが、天皇の何たるかが見えない本郷氏は、それゆえに女系継承を簡単に容認しています。皇族女子の婚姻による皇籍離脱は、皇室の規模の抑制ではなく、「王朝の交替」を否認する目的からでしょう。


問5 内親王・女王に皇位継承資格を認めることについて

「家の継承において男子が優先されるという通念は、皇室に限らず、社会全体で共有されてきた」
「近年の家族をめぐる状況や、女子の社会進出等を考えれば、皇位継承資格を男子のみに限ることには、違和感を禁じえない。内親王・女王にも皇位継承資格を認めるのは自然な流れと思われる」
「その場合の継承順位は、直系・長子を優先とすればよいのではないか」
「少数であれ、天皇位に就いた女性がいた。必ずしも女子を排除する存在ではないと考えられる。また、中世には内親王が、皇室領の継承者・天皇家の構成員の庇護者としてあらわれるなど、確固たる役割を担った事例がみられる。このような歴史的事実を踏まえれば、内親王・女王への皇位継承資格の拡大という措置は、驚くべき展開ではなく、一定の根拠をもつものと理解することができる」

繰り返し申し上げますが、本郷氏は天皇の何たるかを論じません。そのうえで、一般社会の情勢変化を根拠に、男子優先の皇位継承原則の変更を簡単に主張することは軽率以外の何者でもないでしょう。

本郷氏は「少数であれ、天皇位に就いた女性がいたという事実」を指摘しますが、夫があり、妊娠中もしくは子育て中の女性天皇は歴史に存在しないという事実を、歴史家としてどう考えるのでしょう。

天皇の何たるか、天皇がなぜ続いてきたのか、明確に分からないなら、安易に継承原則を一変させるのではなく、男系継承の原則維持を謙虚に訴えるのが歴史家の姿勢ではないのですか。


問6 皇位継承資格を女系に拡大することについて

「女性皇族に皇位継承資格を認めるのであれば、男性皇族と同じ条件で処遇するのが論理的な筋道にかなったやり方である。皇位継承資格の女系への拡大は当然であろう」
「女系による皇位継承は先例のないことではあるが、長きにわたる天皇の歴史を十分に理解したうえで、新しい段階に歩を進める決断をすることは、伝統を更新し、その価値を再認識する意義を持つであろう」

本郷氏の意見は歴史家のそれではなく、一般の常識人のものとなっています。政府が主催する有識師ヒアリングで拝聴すべきレベルとは思えません。これが江戸時代以来の歴史ある東大史料編纂所長のご意見とは、私は正直なところ、耳を疑わざるを得ません。


問7 内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持することについて

「内親王・女王に皇位継承資格を認めるのであれば、婚姻後も皇族の身分を保持し、配偶者・生まれてくる子も皇族とするのが適当である。すなわち男性皇族と同様の条件での処遇である」

もはや聞くに値しません。理由はすでに書いたところです。


問8 婚姻により皇族の身分を離れた元女性皇族が皇室の活動を支援することについて

「婚姻により皇族の身分を離れた元女性皇族に、特別職の国家公務員として、皇室の活動を担ってもらうという案があるとの報道がされている。だが皇族とは職業ではなく運命であり、運命に従う生き方である。上記のような方策は皇族および皇室の活動にはなじまない。皇族としての活動が必要なら、皇族の地位にとどまっていただくのが適当だろう」

これは傾聴に値します。皇室の私的活動ならいざ知らず、公的活動を、皇籍離脱によって一般国民となった元皇族に担っていただくのは、法の下の平等に反すると思われます。先述したように、皇族の概念が揺らいでいるということです。


問9 皇統に属する男系の男子を皇族とすることについて

「旧宮家が皇籍を離脱して以来、すでに70年以上が経過しており、国民にとっては全く遠い存在となっている。皇統に属する男子というだけでは、皇位継承資格者として現在の女性皇族を上回る説得力を持つとは考えられないのではないだろうか」
「皇統に属する男系の男子のなかから、なんらかの選択を行うことになるだろうし、当事者の側の希望や事情なども勘案する必要があるだろう。これまで述べてきたことにも通じるが、厳密な血統継承には人智を超えた部分があり、(婚姻によって皇族となる場合は除き)選択や希望の結果として皇族になるというのは、そぐわないのではないだろうか」

皇位継承は血統原則に依拠します。本郷氏はその基本を認めつつ、「国民」感情を持ち出し、旧皇族の復籍を拒否します。矛盾です。


問10 安定的な皇位継承を確保するための方策や、皇族数の減少に係る対応方策としての提案

「男系男子優先の方針をあらため、男女を区別せず、直系・長子優先で継承順位を与え、また、女性皇族も婚姻後も、皇室に残るとする。女性皇族やその家族については、男性皇族と同じ条件で遇する。同時に、皇籍を離れるという選択肢についても男女問わず、柔軟に検討できるようにして、皇室の規模を一定に保つことが必要である」
「皇位継承において最優先とすべきは、わかりやすいことだと考える。男系男子にこだわって、傍系への継承が繰り返されるなどして、継承の流れが複雑化するのは避けなければいけない。わかりにくい継承は国民の疑問を惹起し、関係する皇室メンバーの資質や適格性などが取り沙汰される事態につながり、天皇という存在への信頼が失われかねない。次世代・次々世代への見通しを明快なものとし、粛々たる継承が行われるような状況を確保することが望まれる」
「天皇制は、明確な検証を経ないまま続いてきた。この機会に女性・女系への継承資格の拡大が実現すれば、国民たる私たちは、天皇制の存続について非常に重要な決定を行ったという、大きな自信を持つことができるのではないだろうか」

何度も申し上げますが、明確な歴史学の検証のないままに、皇統の根本的変革をもたらす歴史学者の提言は論理矛盾にほかなりません。本郷氏のヒアリングを読んで痛感するのは、日本人の知性の衰えです。有識者なるお人が素人論を得々と語るような時代に、文明の根幹に関わる皇位継承問題を国民的に議論することはきわめて危険です。いますぐに止めるべきでしょう。皇室のことは本来、皇室にお任せすべきではないのですか。


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古川隆久先生、男系維持のネックは国家神道史観ですか?──4月21日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 3 [有識者会議]


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古川隆久先生、男系維持のネックは国家神道史観ですか?──4月21日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 3
(令和3年5月18日、火曜日)
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前回の続きです。


▽3 古川隆久氏──皇室の伝統は憲法を超えられないのか

3番手は古川隆久・日本大学文理学部教授(日本近現代史)でした。古川氏は設問項目に沿った4ページのレジュメを用意しましたが、半分以上は注釈と資料で占められています。いかにも学究的なご性格がにじみ出ています。

古川氏は積極的な女性天皇・女系継承容認論者で、後述するように、女性天皇・女系継承反対論者への反論が名指しで、具体的に展開され、さらに「神話的国体論」「国家神道史観」にまで言及していることが注目されます。話が俄然、熱を帯びてきました。

それではさっそく、議事録に即して、項目を追って紹介し、検証することにしましょう。


◇日本国憲法を根拠に126代の皇統を否定

まず、問1の「天皇の役割や活動」ですが、古川氏は近現代史の専門家らしく、「日本国憲法の理念と規定」を持ち出します。要するに、126代続く天皇の歴史の否定です。これが最大のポイントです。

「祭主としての役割を本質とみるという見解を述べている方もいらっしゃるが、私は、それは日本国憲法が定められた経緯をちゃんと見ていないとか、あるいは憲法に定められた信教の自由を侵害するおそれがある考え方ではないかと思っている」
「天皇が権威だという、国家の権威としての役割をという御意見も中にはあるが、私は、やっぱり国民主権なので権威は国民にあると。その国民にある権威を形として表しているのが天皇なので、天皇がイコール権威と考えると、憲法の定めと少しずれてしまうんじゃないかというふうに考えている」

レジュメには「祭主としての役割を本質とみるのは、日本国憲法が定められた経緯を無視し、憲法に定められた信教の自由を侵害する恐れがある」と記されています。4月9日に行われた櫻井よしこ、新田均両氏へのポレミックな批判であり、「(現行憲法は)決して占領軍による押し付けではなく、日本側の戦争への真摯な反省が反映されて制定された。そのことは前文によくあらわれている」と注釈が加えられています。

古川氏による皇位継承論の最大のポイントはまさにここにあります。現行憲法に基づく、国事行為・御公務をなさる「2.5代」象徴天皇が天皇であるならば、当然、女帝も女系継承も認められるでしょう。国会の召集や法律の公布に男女差があるはずはないからです。

しかし126代続く天皇の皇位継承ならば、結論は変わり得ます。ところが残念なことに、男系派の櫻井氏も新田氏も天皇が祭り主であることの意味を十分に説明していません。過去だけでなく、現代的な意味と価値を提示していません。問題はそこです。天皇の祭祀についての学問的深まりが欠けているのです。「稲の祭り」「皇祖の祭り主」という説明が現代人を納得させられるはずはないのに、その程度にとどまり、問題意識も感じていないのです。

ただ、古川氏のように、現行憲法はあくまで「2.5代」の歴史と伝統を規定し、126代の歴史と伝統を否定していると考えていいのかどうか。それは後述する「世襲」の意味に関わりますが、古川氏の解釈は誤っていると私は思います。


◇側室がいたから男系継承が維持できたのか

古川氏は、男系男子継承について、「前近代から大日本帝国憲法下まで継続できた要因の一つは側室制度である」とし、しかし、日本国憲法が「性別による差別」を禁じている以上、側室制度は認められず、したがって、このままではいずれは行き詰まる。「男系男子継承は現行憲法下においては、前近代的な色彩が強い、過渡的な制度であったと考えざるを得ない」と断じています。

きわめて常識的、一般論的批判ですが、正しくありません。側室が制度化されていた時代でも、皇位継承は「綱渡り」だったからです。

たとえば、明治天皇には5人の側室があり、15人の子女がお生まれになりましたが、うち10人は死産もしくは夭折されたと聞きます。成人された男子は大正天皇だけでした。しかし逆に、大正天皇には側室はないものの、5人の皇男子に恵まれました。昭和天皇も側室はありませんでしたが、2男5女(1人は夭折)をもうけられました。側室の有無だけで決めつけることは間違いです。

また、側室は公認されないとして、現行憲法下において、一般社会では婚外子の権利が広く認められてきているといる状況をどのように考えればいいのでしょうか。皇室にのみ厳格な倫理を要求することはできません。切羽詰まった状況ならなおさらです。ちなみに子女に恵まれなかった昭憲皇太后は大正天皇を養子として処遇されました。

古川氏は、女性天皇・女系継承を「セット」で容認することを訴えています。レジュメには「セットの場合のみ賛成できる」と明記されています。ただ、その場合、「ルールの適用は皇室典範改正後に生まれる皇族からとすべきで、改正法成立時点で未婚の女性皇族については、ご本人の自発的同意があった場合にのみ適用すべき」としているのは注目されます。「人生設計の強制的変更は人道上問題」だが、「ちょっとそれでは間に合わないという場合」もあり得るというわけです。

そういう議論より、なぜ男系の絶えない制度を考えようとしないのでしょう。


◇男系派による「世襲」の説明が不十分

古川氏は、平成17年の皇室典範有識者会議報告書に全面的な賛意を示し、翻って、女性天皇・女系継承反対論について、「成り立たない」ときっぱりと批判しています。理由は2点です。

ひとつは、「女系天皇を憲法違反だとする見解」についてです。

古川氏によれば、平成24年の皇室制度有識者ヒアリングで、「女性宮家」創設反対派の百地章・日大教授は、「憲法第2条は『男系主義』を意味し、皇室典範への委任はこれを前提としたもの」とコメントしている。八木秀次・高崎経済大学教授は「女系天皇は憲法第2条に違反する」と述べている。しかし、憲法制定時の担当大臣金森徳次郎は帝国議会で「現在においては」と答弁しているのであり、「男系維持は未来永劫絶対に維持されなければならないとは述べていない」と古川氏は批判するのでした。

また意見交換では、「皇室典範制定時の政府側の見解で、新しい憲法の理念上は、女系を否定する積極的な理由はない、国民に理解されればそれはあり得るのではないかということを言っている」とも述べています。

けれども、そうではないのです。憲法が規定する「世襲」はそもそもdynasticの和訳で、「王朝の支配」の意味なのでした。単に血がつながっているということではないのです。たとえばイギリスでは、女王が即位したあとは王朝が交替します。だからこそ明治人は女統を否認したのです。「万世一系」を侵すことになるからです。戦後の新憲法制定時に、占領軍が男系継承を否定したとは聞きません。古川氏の批判は「王朝の支配」に言及していません。むしろ男系派の説明が十分でないからでしょうか。

もうひとつは、民間男性の皇室入りについてです。

古川氏は、ふたたび百地教授を例示し、「『女性宮家』の最大の問題点は、国民に全くなじみのない『民間人成年男子』が、結婚を介して、突然、皇室に入り込んでくること」と説明しているが、「この見解は、戦後、皇室の男性と民間の女性の結婚が認められてきたこととの論理的整合性がないので成り立たない」と批判しています。

これも百地氏の説明不足によるオウンゴールでしょうか。最大のポイントは、女系継承容認と一体不可分である「女性宮家」創設が、126代の一系なる皇位継承を破り、正統性の崩壊を招くことでしょう。問われるのは、日本国憲法なるものを根拠にして、そうすることが認められるかどうかです。

古川氏は有識者会議のメンバーとの意見交換で、「世襲」概念ついて、「とりあえず血筋のつながった人で継いでいく」とあらためて説明しています。「今、ヨーロッパの王室はほとんどもう長子優先」とも述べていますが、126代の歴史の重みとはそんなものなのでしょうか。


◇神武天皇を認めることは憲法を形骸化させる

古川氏は、皇統に属する男系の男子を、養子縁組もしくは皇籍復帰によって皇族とすることについて、「どちらも好ましくない」と否定しています。問題はその理由です。

古川氏が挙げた理由で、興味深いのは、「神武天皇の実在を確認することは困難」というのがあります。男系派の八木秀次氏が「天皇の正統性は初代・神武天皇の男系の血筋を純粋に継承すること」と説明していることに対して、神武天皇って実在するのか、と批判しているわけです。

しかし古川氏自身、「大王(のちの天皇)の世襲が確定するのが欽明天皇以降である」と説明していることからすれば、「天皇」は間違いなく「男系」であり、そこに「正統性」があります。それで十分です。それとも古川氏は、代々継承されてきた天皇に「初代」は存在しないとお考えなのでしょうか。

2点目として、古川氏は「江戸時代までは女系天皇は法令上許容されていた」と指摘しています。レジュメの注釈によると、その根拠は例の「継嗣令」で、女系派の高森明勅氏が平成17年の皇室典範有識者会議で言及していると説明しています。

しかしこれも間違いです。前回、申し上げたように、「女帝子亦同」は「ひめみこも帝の子、また同じ」と読み、天皇の兄弟・皇子を親王とするように、皇女も同様に内親王とせよと解釈すべきです。「女帝」なる公用語は当時はありません。

古川氏の女帝論の根拠は一にも二にも憲法です。「現在の天皇が天皇である根拠は日本国憲法」とし、返す刀で戦前を否定します。「主権在民、戦争の惨禍への反省からの普遍性への立脚をふまえて、国民の総意としての象徴天皇という規定が根拠なのである」「天皇は憲法を越えた存在ではあり得ない」ということになります。

つまり、126代続く男系継承という皇室独自のルールと日本国憲法に基づく象徴天皇の継承論の抜き差しならぬ対立であり、皇位が憲法に基づく以上、新たな継承が求められると主張しているのです。

その際、古川氏が、教育勅語を例示していることはじつにシンボリックです。敗戦後、教育勅語ほか詔勅が「排除」されましたが、それは「根本理念が主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すもととなる」「神武天皇の実在を認め、神話的国体観を認めることは現行憲法の基本理念否定、形骸化させかねない」。だから「旧皇族の復帰は採用できない」というわけです。

一言だけ反論すると、教育勅語煥発の目的は本来、神話的国体観を称揚するためではありませんでした。急速な欧米化の弊害を憂えた明治天皇の叡慮に基づき、非政治性、非宗教性、非哲学性が追求されました。しかし煥発直後、政府は教育勅語を宗教的拝礼の対象とし、叡慮は反故にされたというのが事実です。釈迦に説法ですが、図式的に戦前=悪と決めつけては歴史研究は成り立ちません。


◇問われているのは日本の「負の歴史」

戦争中、アメリカは、軍国主義・超国家主義の源流が「国家神道」にあり、靖国神社を中心施設とし、教育勅語がその聖典だとして敵視したことは知られています。しかし、占領後期になると敵視政策は急速に後退しています。

古川氏の女帝容認論は、幻の国家神道論をもって、126代の皇統を改変させる結果を招かないでしょうか。より慎重な、精緻な歴史論が求められるのではありませんか。

意見交換で、古川氏は、「伝統だから憲法を超えていいのか」と反論しています。しかし、日本が未曾有の戦争と敗戦を経験したのは事実として、何を具体的に反省すべきなのか、精査されるべきでしょう。日本国憲法は少なくとも天皇統治を否定していないし、「王朝の支配」を認めています。日本国憲法が未来永劫、不磨の大典であるはずもありません。

最後に古川氏は、安定的な皇位継承を確保するための方策や皇族数の減少に係る対応方策として、「皇室活動の自由度を上げること」などを説明し、いわゆる「開かれた皇室」論を展開しています。けれども、もうこれ以上の紹介と批判は不要でしょう。

古川氏のヒアリングを通じて浮かび上がってくるのは、皇位継承問題で問われているのはじつは日本の過去の「負の歴史」であり、端的にいえば、いわゆる「国家神道史観」であり、「国体論」であるということです。男系派はこれに対して、どこまで本格的に反論できるのか、男系派の本気度があらためて問われます。

次回は本郷恵子・東京大学史料編纂所所長です。


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【関連記事】園部内閣参与の質問を読む──皇室制度ヒアリング議事録から その1〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-08-19-1
【関連記事】基本を忘れた女系継承容認論──小嶋和司教授の女帝論を読む〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-31
【関連記事】血統主義と徳治主義の調和──西尾論文批判の続き〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2008-09-16
【関連記事】女系は「万世一系」を侵す──「神道思想家」葦津珍彦の女帝論(「論座」1998年12月号特集「女性天皇への道」から)〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1998-12-01

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所功先生、「女系容認」派からの華麗な転身はなぜ?──4月21日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 2 [有識者会議]


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所功先生、「女系容認」派からの華麗な転身はなぜ?──4月21日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 2
(令和3年5月17日、月曜日)
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前回の続きです。


▽2 所功氏──「女性宮家」創設論のパイオニアだったのに

2番手は所功・京都産業大学名誉教授(モラロジー研究所教授、法制史)でした。所氏は政府の設問に対する回答のほかに、いくつかの資料を含め、計12ページにおよぶレジュメを用意しました。〈https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai3/siryou3.pdf

所氏は自身で「私は平成17年、24年、28年の有識者会議で意見を述べさせていただいた」と仰せのように、ヒアリングには欠かせないご常連で、いかにも手慣れた感じがします。設問に答えるまえに、以下のように5点の結論を示しています。

1、安定的な皇位継承のために、現行では「皇統に属する男系の男子」に資格を限定しているのを改め、男系男子を優先したうえで、男系女子にまで容認する
2、皇族女子の在り方については、現行では一般男性との婚姻により皇籍を離れるとされているのを改め、男子不在の内廷と宮家の相続も可能とし、公務の分担を続ける
3、婚姻後の元皇族女子については、現行では一般国民の立場でも元皇族として品位を保つとされているのを改め、天皇・皇族の公務を内廷の職員として補佐できるようにする
4、元宮家の男系男子については、現行では一般国民として生まれ育ち自由に生きているのを改め、もし適任者があれば男子のない宮家の養子とすることも検討する
5、改善策の実現方法については、有識者会議の検討報告に基づいて、皇室典範の原則を残しながら特例法で補正措置をとれるようにする

所氏といえば、泣く子も黙る「女性宮家」創設論のパイオニアだったはずですが、すっかり鳴りを潜めてしまいました。「男子不在の内廷と宮家の相続も可能とし」とトーンダウンしています。いったいどういうことでしょうか。


◇君子は豹変する

以前、書きましたように、平成16年夏、内閣官房と宮内庁が皇室典範改正の公式検討に向けて準備し始めたころ、所氏はある雑誌に「『皇室の危機』打開のために─女性宮家の創立と帝王学─女帝、是か非かを問う前にすべき工夫や方策がある」を寄稿し、逸早く「女性宮家」創設を訴えました。

「管見を申せば、私もかねてより女帝容認論を唱えてきた。けれども、それは万やむを得ざる事態に備えての一策である。それよりも先に考えるべきことは、過去千数百年以上の伝統を持つ皇位継承の原則を可能なかぎり維持する方策であろう。それには、まず『皇室典範』第12条を改めて、女性宮家の創立を可能にする必要がある」

翌年6月の皇室典範有識者会議のヒアリングでは、「女性宮家」創設を明確に提案しています。

「現在極端に少ない皇族の総数を増やすためには、女子皇族も結婚により女性宮家を創立できるように改め、その子女を皇族とする必要があろう」

同年11月の有識者会議報告書は女性天皇・女系継承容認に踏み出し、「女性宮家」という表現は消えたものの、「女子が皇位継承資格を有することとした場合には、婚姻後も、皇位継承資格者として、皇族の身分にとどまり、その配偶者や子孫も皇族となることとする必要がある」とその中味が盛り込まれます。すると待ってましたとばかりに、所氏は「女性天皇、女系継承、女性宮家の創立なども可能とした報告書の大筋には賛成したい」と新聞に感想を寄せ、政府にエールを送りました。

ところが、君子は豹変するのです。

所氏は、昨年春、東京新聞のインタビュー・シリーズ「代替わり考」に登場し、(1)皇位継承資格を男系男子限定から男系男子優先に変える、(2)内廷も宮家も男子がいなければ、女子の一人が当家を相続できるようにする、(3)相続者不在となる宮家に、旧宮家から養子を迎え、男子が生まれたら皇位継承資格を認める、の3案を私案として提示したのでした。〈https://www.tokyo-np.co.jp/article/16673


◇変説の理由が説明されない

「女性宮家」創設のパイオニアで、女性天皇、女系継承にも大賛成だった所氏の論調はすっかり後退しています。じつは所氏の変節は今回だけではありません。以前にも書いたように、「改元」でも同じことが起きています。

平成の御代替わりでは「(新年号の)施行は翌年元旦から」と主張し、古来の踰年改元の考えを踏襲していたのに、令和の改元では「践祚日に新元号公表、1か月後施行」に一変されたように報道されています。かと思えば、神社界の専門紙には「践祚前日の皇位継承の儀、践祚当日の改元」を提起するエッセイを寄稿しています。支離滅裂とは言わないまでも、変幻自在です。

むろん主張の中身が変わることは否定されるべきではありませんが、変説の理由はきちんと明示されるべきです。所氏には説明責任が決定的に欠けています。言論は自由とはいえ、文明の根幹に関わる皇位継承問題について右往左往するのは見苦しいだけでなく、あまりに無責任です。皇室史研究の第一人者のすることとは思えません。

少々長くなりましたので、以下、何点か疑問点を指摘して、この項を閉じることにします。


◇いくつかの疑問点

1、「天皇の役割や活動」について、所氏は、日本国憲法の規定を根拠に、「国事行為を行うとともに、国民統合にふさわしいことを公的行為としてお務めになるのみならず、国家・国民のために祈られる祭祀行為など、多様な活動を誠実に実践されている」と説明していますが、歴史家ならば、なぜ126代続く皇統史から説き起こそうとしないのでしょうか。具体的に何を、天皇のお務め・ご活動と考えるのでしょうか。

2、皇族数の減少について、所氏は、一般国民の場合は、女子であっても養子に入っても、家職や家産を相続することができるのに、皇族の場合はそれができないと嘆いていますが、皇統問題は「家職や家産」と同じレベルで論ずるべきことでしょうか。

3、所氏は、男系男子に限定する明治の皇室典範と帝国憲法ができるまでを振り返り、「いわゆる男尊女卑の傾向が強い当時の日本では、男性の上に「女主」を推戴し難いとか、また男子を確保するには側室も否定し難い、というような主張が通り、成文化されるに至った」と説明しているのですが、最大の理由である女帝即位後の王朝交替の可能性についての説明がありません。男系女子の継承が認められ、内廷・宮家を女子が相続したとして、そのあとはどうするのか、最大の核心部分を避けていませんか。

4、内親王や女王に皇位継承の資格を認めることに関連して、所氏は、「大宝元年成立の継嗣令には、男帝を前提とする規定の本注に「女帝の子亦同じ」と定めている。つまり、男性天皇を優先しながら、女性天皇も公認していた」と解説していますが、資料の誤読ではないでしょうか。「ひめみこも帝の子、また同じ」と読み、天皇の兄弟・皇子が親王とされるのと同様、皇女は内親王とされると解すべきではないですか。当時、「女帝」なる公用語はないはずです。しかもです。所氏にとって継嗣令こそ女系継承容認の根拠でした。読みも解釈もほぼ同じなのに、女系容認を取り下げる理由が理解できません。

5、所氏は、婚姻により皇族の身分を離れた元女性皇族が皇室の活動を支援することを是認し、その場合、称号は元皇族とか「元内親王」「元女王」とし、その位置付けは、内廷の職員とすることがふさわしいと述べています。どのような活動を想定してのことなのか不明ですが、天皇・皇族の公的な活動を内廷の私的使用人の立場で分担するというのは無理がありませんか。公的立場の皇族と私的使用人の元皇族が皇室の活動を支え合うというのも、混乱は必至でしょう。

6、「戦後一斉に皇籍離脱を余儀なくされた11宮家」の「男系男子孫の中に現皇室へ迎え入れられるにふさわしい適任者が現われるならば、関係者に十分な了解の得られる可能性があるかどうかは、内々に検討されたら良いと思われる」と所氏は述べていますが、その場合、誰が内廷もしくは宮家を相続するのが相応しいと考えるのでしょうか。女系継承は歴史になく、女子による宮家の相続も同様のはずです。

次回は古川隆久・日本大学文理学部教授です。


【関連記事】レジュメだけでは不十分だった──4月8日の有識者ヒアリング「レジュメ+議事録」を読む 4〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-05-01
【関連記事】やはり「男系継承」の本質が見えない──有識者ヒアリングのレジュメ+議事録を読む 3〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-04-25
【関連記事】「伝統」だけで女系派を納得させ得るのか──有識者ヒアリングのレジュメを読む 2〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-04-18
【関連記事】案の定、男系継承の核心が見えない!?──有識者ヒアリングのレジュメを読む 1〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-04-14
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【関連記事】だから「隔たり」が生じる。有識者会議が期待する「天皇の役割」と本来のお役割が違う〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-04-10
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【関連記事】何のための歴史論なのか──所功教授の「女性宮家」ヒアリング議事録を読む〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-07-23-1
【関連記事】現代史的追及が甘い「女性宮家」反対派の論理──政府が皇室の歴史と伝統を顧みないのはなぜか?〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-07-08-1
【関連記事】4段階で進む「女性宮家」創設への道──女帝容認と一体だった「女性宮家」創設論〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-06-09-1
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【関連記事】天皇陛下をご多忙にしているのは誰か─祭祀が減り、公務が増える。それは陛下の御意思なのか──「文藝春秋」昨年(2011)4月号掲載拙文の転載〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-03-04
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【関連記事】白鳥と化して飛ぶ穀霊──京都・伏見稲荷大社の起源説話(「神社新報」平成8年6月10日)〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1996-06-10

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今谷明先生、なぜ男系の絶えない制度を考えないのですか?──4月21日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 1 [有識者会議]

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今谷明先生、なぜ男系の絶えない制度を考えないのですか?──4月21日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 1
(令和3年5月16日、日曜日)
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4月21日の有識者会議の議事録がようやく公表されました。レジュメとあわせ読みながら、内容を吟味したいと思います。〈https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai3/gijiroku.pdf


▽1 今谷明氏──古代から続く「象徴」天皇。だから何なのか?

一番手は今谷明・国際日本文化研究センター名誉教授(帝京大学特任教授、歴史学)でした。今谷氏は政府の聴取項目に従って、2ページのレジュメを用意しています。〈https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai3/siryou2.pdf

今谷氏の結論は、天皇の正統性は天照大神の血筋を引き継ぐ男子ということであり、その伝統の重みは簡単には崩せない。悠仁親王に皇子がお生まれになれば、しばらく男系で行けるところまで行けるんじゃないか。ただ、議論としては、女系継承の認否について準備しておくことはあり得る。戦後70年、皇位継承問題を見過ごしてきた政治家の怠慢は許せない、というものです。

「皇室」ではなくて「天皇家」という表現を用いる今谷氏ですが、ご主張はまっとうです。

今谷氏の意見陳述は、まず「象徴天皇制」についての解説に始まります。戦後、GHQに押し付けられたというような一面もあるが、歴史的に長い伝統があるというのです。私もそう思います。

「天皇家が、権威と権力に、人格的に分裂して権威的存在になったのは、平安時代の前期である」
「ヨーロッパの王政とは基本的に違う」
「君臨すれども統治せずは、日本が世界の先輩だと言ってもいい」
「政治は関白、上皇、さらに征夷大将軍に任せるということになり、天皇は全く政治をなさらない。それで800年から1000年近く続いてきたのであり、日本の象徴天皇制は、諸外国に卓越した長さがあるということは言える」

今谷氏が仰せなのは、古典に記されている「ことよさし」「しらす」ということへの学問的な気づきなのでしょう。キリスト教世界の権力支配とは異なり、天皇統治は皇祖の委任に従い、皇祖の御心による私なき統治とされてきたのです。神道人などが昔から指摘してきたことです。だから何なのですか。


◇「天皇の役割や活動とは?」に答えていない

今谷氏は、いまさらながらにそのことに気づいたと、正直に告白しています。

「だから、鎌倉幕府とか、室町、江戸の幕府などでは、ほとんど天皇の地位には変化がない。実際これほど精緻な、天皇が政治をなされなくて、権威的存在でいるという精緻な制度は、平安前期の200年間に確立した。これは驚くべきことで、私も最近、気が付いた。
教科書では、だんだん天皇が衰えて、戦国から江戸にかけてくらいが象徴天皇の境目だと以前は考えていた。そうじゃない。実は平安時代の前半に、もうこういうことが制度的にきっちり固まって、政治は藤原氏あるいは源氏以下の征夷大将軍、天皇は一切政治をなさらないという体制になったわけである」

さらに今谷氏は、天皇の不在で大騒動になった平家の都落ちと南北朝の観応の擾乱を例に挙げ、三種の神器が源平の合戦のころから皇位の絶対要件ではなくなった、権力者は京都を占領すれば天皇を立てられることになったと説明しています。興味深い指摘です。

以上は、問1の「天皇の役割や活動」に対する回答なのですが、しかしこれでは答えになっていません。一般的に現行憲法下で始まったと考えられている「象徴天皇制」がそうではなくて、歴史的にきわめて古いものだと常識的な歴史観の見直しを求めているだけです。

当然、有識者会議のメンバーは今谷氏に質問を重ねます。ポイントは皇位継承と男系主義の関連性でした。しかし今谷氏は謙虚かつ慎重です。それこそが今谷氏の本領で好感が持たれますが、結局、核心に迫れないことになります。

「非常に難しい問題で、私もここに来る前から散々悩まされてきた。私ごとき知識の者ではとても簡単に結論を出せない難しい問題である」

そして冒頭の発言が続くのでした。今谷氏は男系継承の歴史的重みを強調しています。ただ、残念ながら、なぜ皇位は男系継承なのか明確な答えは聞かれませんでした。つまり、政府が用意した「天皇の役割や活動とは」という設問に答えていないことになります。

女系継承をも容認する政府・宮内庁の官僚たちにとっては、憲法に基づく国事行為・御公務をなさるのが「象徴天皇」であり、であるなら、歴史的な男系主義にこだわる必要はありません。これに対して、今谷氏の「象徴天皇」は現行憲法が根拠ではありません。歴史上の「象徴天皇」は男系継承であり、男系主義の否定は天皇の歴史を否定することになります。だとしたら、天皇のお役目とは何か、今谷氏は答えていません。


◇非論理的な「女性宮家」容認論

分からないのは、それだけ男系主義の重みを強調しながら、「女性宮家」の創設を容認していることです。なぜ今谷氏は男系の絶えない制度を模索せよと訴えないのでしょうか。持ち味の謙虚さと慎重さを失っています。

「皇位継承権は棚上げして」とのことですが、なぜ歴史にない「女性宮家」創設を容易に認めようとするのでしょう。「天皇のお役目」のみならず「皇族のお役目」が同様に見えていないからでしょうか。今谷氏にとっての皇族とは、「皇統の備え」のための「皇位継承資格を持つ血族の集団」ではなくて、「天皇の相談相手、親戚」なのでした。それは歴史的に見て、「皇族」といえますか。

親戚付き合いなら皇籍離脱後も可能だし、いわゆる御公務が必ずしも皇族性を要求していないことは、今谷氏が指摘するように、元内親王が神宮祭主(今谷氏の表現では伊勢斎王)をお勤めであることからも明らかです。

歴史家として、いったい何のために「とりあえず女性宮家の創設などは必要であろう」と仰せなのか、私には意味不明です。「天皇のお役目」「皇族のお役目」が不明確なら、そもそも皇位継承資格の拡大を論じる意味はないでしょう。性急さを避けるべきとの意見は傾聴に値しますが、文明の根幹に関わる皇位継承論議において、群◯象を論ずるがごときことがあってはなりません。少なくとも私には、非論理的としか見えません。

今谷氏は、「伏見宮家というのは、皇統に準じた宮家ということで明治の典範改正で皇族に入れられた。それが戦後、臣籍に降下された。それをまた戻すことについてどうなのか」と逡巡し、「側室制の代償として近代医学の技術を入れた皇位継承があるべきだ」とも述べています。「危機感を持ってやらないと駄目なんじゃないか」とも指摘していますが、それならなぜ、男系主義の目的と意義を明示し、男系の絶えない制度を積極的に提言しないのでしょうか。


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レジュメだけでは不十分だった──4月8日の有識者ヒアリング「レジュメ+議事録」を読む 4 [有識者会議]

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レジュメだけでは不十分だった──4月8日の有識者ヒアリング「レジュメ+議事録」を読む 4
(令和3年5月1日、土曜日)
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前回の続きです。

4月8日のヒアリングの中身について、ひと通り検証してきました。4番手の新田均氏までは資料はレジュメだけでしたが、その後、議事録が公開されましたので、5番手の八木秀次氏についてはレジュメと議事録の両方から点検することができました。

議事録を読んで、当然ながら、レジュメのみによる検証では不十分なことが分かりましたので、4方のヒアリングについて、あらためて中身を吟味することにします。〈https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai2/gijiroku.pdf


▽6 ふたたび岩井克己氏──なぜ男系の絶えない制度を考えないのか

岩井氏のレジュメではもっぱら戦後のみの「象徴」天皇論が展開されているように見えました。しかし一方で、歴史的立場から解き起こそうとする和辻哲郎の『国民統合の象徴』を引用しているところには論理的一貫性の無さが感じられることを前回は指摘しました。

あらためて議事録を読んで分かるのは、岩井氏の意外な謙虚かつ慎重な姿勢です。皇太子妃(皇后陛下)を長く苦しめるきっかけとなった「懐妊兆候」スクープで知られる岩井氏ですが、加齢によって円熟されたということでしょうか。

「皇室の長い歴史や様々な天皇の足跡を勉強すればするほど、現代の社会環境との間でどう国民的コンセンサスを取るのかは断定し難く、また、断定するのは非常に不遜であるという気持ちになる」などと述べ、「例外なくずっと続いてきた皇位の継承原則は非常に重いもので、できる限り、ぎりぎりまで大切に考えて対処しなければならない」と訴えています。

しかしそれなら、男系の絶えない制度を模索するのが筋ですが、岩井氏はそうはせずに、「万が一危機が決定的な縁(ふち)にまで来たというときに備え」た、「内親王家」なるものの創設を提唱します。「本当に危機が深まったときに、周りに誰も、内親王すらおられないということにならないようにしておくべきではないか」というわけです。

なぜそのように考えるのか、論拠は天皇とは何か、天皇の役割とは何か、ということになります。そして岩井氏は、古代律令でも「禁秘抄」でもなく、やはり戦後憲法を引き出します。

興味深いのは、その岩井氏が憲法の「世襲」が「hereditary」ではなく「dynastic」と英語表現されていることに注目していることです。そのことは私が小嶋和司憲法論を引用し、何度も言及してきたことで、「王朝の支配」の意味のはずですが、岩井氏は少し違います。

つまり、憲法学者の樋口陽一氏や佐藤功氏を引用したうえで、「敗戦の崖っぷちの中で、なぜ天皇は残ることができて、その後も象徴として定着していき、今も安定的に続いているか」というと、「権力関係とは一線を画したソフトな伝統的・文化的側面の、遠い過去からの歴史的な蓄積、厚み、そういうものではないのかな」と自問自答するのです。

要するに、岩井氏は126代続いてきた「祭り主」天皇の「象徴」性ではなく、近代以降の「立憲君主」天皇の変遷を論じているということでしょう。

岩井氏が亀井勝一郎を引用しているのも、皇室の長い歴史から「象徴」の地位を説き起こすのではなくて、「ある意味では象徴天皇の理論付けを一生懸命に行い、国体は崩れたけれども、象徴天皇という体制になったということを言う」と述べて、あたかも牽強付会の理屈であるかのように論じています。

結局のところ、岩井氏は悠久なる皇室自身の天皇観について吟味しようとしません。敗戦後、天皇は「象徴」として生き残ったのではなく、古来、「象徴」であったことに思い及びません。それが「祭り主」であることに気付かないのでしょう。男系男子によって紡がれてきた祈りの重みに思い至らないとすれば、男系の絶えない制度を模索しようとするはずはありません。できる道理がありません。

岩井氏が議論の慎重さを要求していることには大いに共感できますが、それならなぜ古来の男系継承の維持を訴えないのでしょうか。論理的に破綻してませんか。


▽7 ふたたび新田均氏──皇位の本質を見誤っている

2人目の笠原英彦氏、3人目の櫻井よしこ氏については、とくに付け加えるべきことはありません。補足しなければならないのは、4人目の新田均氏です。

新田氏はヒアリングのあと、「皇位継承が男性を基本としてきた理由」と題する「補足説明資料」を提出し、「祭祀の過酷さ」を指摘しています。〈https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai3/sankou.pdf

女性であっても皇統に属していれば皇祖を祀る資格があるが、とくに女性にとっては過酷である。大嘗祭は古来、厳寒の中で行われきた。明治天皇の大嘗祭において、皇后の御拝は風邪のため行われず、大正天皇の大嘗祭においては、妊娠中のため皇后の御拝はなかった。祭祀の厳修は女性には過酷な義務だからだと述べています。

指摘自体に間違いはありませんが、わざわざ「補足説明」すべきことなのかどうか、疑問です。小泉内閣時の皇室典範有識者会議では、「宮中祭祀の代行」について質疑があり、「今は昔より妊娠・出産の負担は軽い」との発言があったと伝えられましたが、まさに宮中祭祀「簡素化」を進めた張本人・入江相政のように宮中三殿にエアコンを取り付けたらどうかという反論がすぐにも飛び出してきそうです。

要するに、本質的でないのです。本質を見誤っているのです。

新田氏の「祭り主」天皇論は、天皇の役割=「皇祖の祭り主」「日本国家の祭り主」とするものでした。その根拠はヒアリングでは示されていませんが、いわゆる神勅であろうことは容易に想像がつきます。「天壌無窮の神勅」「宝鏡奉斎の神勅」「斎庭の稲穂の神勅」が三大神勅と呼ばれています。皇祖神の命に従い、皇祖を祀り、国と民のために祈るというのが新田氏の「祭り主」天皇観であり、その過酷さを強調しているのです。

さすが神道学者の面目躍如たるものがありますが、違うのです。すでに書いたように、天皇は皇祖の「祭り主」だけではありません。皇祖ほか天神地祇を祀り、公正かつ無私なる祭祀を厳修するところにこそ、「過酷さ」はあります。天皇の祭りは「氏」や「家」の私的な祭りではありません。

神勅が天皇の祭祀の根拠なら、天神地祇を祀る必要はありません。祭場は賢所で十分であり、神嘉殿も大嘗宮も不要です。神饌は伊勢神宮のように米だけでいいはずで、粟をあわせ供する必要性はありません。なぜ天皇は皇祖神ほか天神地祇を祀り、米と粟をささげて祈るのか、新田氏は深く追究していないのでしょう。

天皇の祭祀が神勅に基づく稲の祭りなら、畑作民は疎外感を感じ、天皇は国と民をまとめ上げることはできないでしょう。畑作民には畑作の神がいる。スメラミコトは米と粟を献じて、米の神、粟の神に祈るからこそ、スメラミコトなのです。神勅ばかりに注目し、民の側の信仰に目を向けないのは神道学の限界です。

歴史上、女性天皇は存在します。しかし愛する夫があり、妊娠中・子育て中の女性天皇は存在しません。それは女性差別ではなく、新田氏のいう「過酷さ」が理由でもなく、逆に夫や子供への熱い思いを肯定し、女性の特性と価値を十分に認めるがゆえのことではないでしょうか。

新田氏は「補足説明」するとするなら、そのことを指摘すべきだったと思います。まことに残念というほかはありません。


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八木秀次先生、やはり「男系継承」の本質が見えません──有識者ヒアリングのレジュメ+議事録を読む 3 [有識者会議]

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八木秀次先生、やはり「男系継承」の本質が見えません──有識者ヒアリングのレジュメ+議事録を読む 3
(令和3年4月25日、日曜日)
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前回の続きです。


▽5 八木秀次氏──意気込みは相当だが

4月8日のヒアリングで、5番目に現れたのは八木秀次・麗澤大学教授(憲法学)だった。櫻井よしこ氏や新田均氏と並ぶ男系固守派の代表格である。八木氏は17ページにわたるレジュメを用意した。レジュメは「第一部 議論の前提」「第二部 聴取項目」「終わりに」の3部構成で、さらに5ページにおよぶ手書きの「天皇系図」が付されている。相当の意気込みが感じられる。〈https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai2/siryou6.pdf

このブログでは前回まで、公表されたレジュメからヒアリングの中身を類推したが、先週になって「議事の記録」が官邸のサイトに掲載されるようになったので、今回はこの議事録に従って八木氏の訴えをなぞっていくことにする。

八木氏はレジュメに従い、聴取項目に答える前に、まず「議論の前提」として、以下の7点について説明している。

1 「安定的な皇位継承を確保するための諸課題」についての検討は皇位継承問題と一体不可分である
2 「安定的な皇位継承を確保する」ことは、どんな時代にも難しい問題であり続けている
3 明治以降、(a)増えすぎた皇位継承資格者を減少させ、一定数の皇位継承資格者にとどめる策と(b)少なすぎる皇位継承資格者を増加させ、一定数の皇位継承資格者を確保する策との間で激しい振幅があった
4 直系継承だけで男系継承を続けるのは極めて難しい──傍系継承の役割
5 皇位継承を支えた側室の役割
6 皇位継承の歴史を踏まえたおおよその結論
7 女性天皇や女系継承、女性宮家が適当でなく、男系継承が現行憲法で許される理由

ポイントを以下、拾い読みすることにする。


◇常識的な歴史理解

初代天皇以来、一貫して一度の例外なく男系で継承されている。女系は天皇・皇族としての正統性が問われる。女系継承を認めると、天皇・皇族と一般国民との間に質的な違いはなくなる。
皇位継承問題を一般国民の家の継承と混同してはならない。皇位継承は血統原理に基づいている。
過去に8人10代の女性天皇が存在しているが、女系継承を意味するものではない。
女系が皇位に就いた例はなく、皇族になった例もない。
男系継承は、少なくとも1,700年以上、例外なく続いている。歴史の積み重ねの重みは軽くない。
「安定的な皇位継承を確保する」ことは、どんな時代にも難しい問題であり続けている。
明治22年の皇室典範では臣籍降下の規定を設けない「永世皇族制」となっている。政府としては、皇族の増加が予想されることから臣籍降下の規定を設けたいが、明治天皇の皇位継承への不安から臣籍降下の規定は設けなかった、といわれている。
明治40年に臣籍降下を可能にする「皇室典範増補」が施行された背景には、皇位継承への不安が払拭されたということがあったようだ。しかし、臣籍降下は1人にとどまっている。
大正9年、「皇族ノ降下ニ関スル施行準則」を設け、世数による臣籍降下をすることにした。情願がなくても臣籍降下ができるようになり、先の大戦終結までに12人の皇族が臣籍降下した。
戦後の皇室典範では「永世皇族制」とし、臣籍降下の規定を設けなかった。その直後、傍系宮家、すなわち伏見宮系の宮家の強制的な臣籍降下が昭和22年に行われ、11宮家51方が皇族の身分を離れた。しかし、直宮だけの永世皇族制は、行き詰まろうとしている。
直系継承だけで男系継承を続けるのは極めて難しいので、歴史上、何度も傍系継承があった。傍系継承が、男系継承の安全装置となっている。
光格天皇が現在の皇室の直系の祖先で、以後、直系で継承されている。これだけ長い期間、直系で継承されたというのは、皇位継承の歴史の中では、極めて稀有な例である。
光格天皇が即位するに当たって、伏見宮の第19代貞敬親王も後継候補に名が挙がっていた。第102代後花園天皇が伏見宮の出身、第119代光格天皇が閑院宮の出身である。
伏見宮系の宮家は、明治天皇、大正天皇、昭和天皇を支え、天皇の内親王の結婚相手ともなっている。皇太子妃、後に皇后となった例として、香淳皇后の例がある。
かつては乳幼児期の死亡率が極めて高く、安定的な皇位継承策のために、複数の「妻」が子どもを産む必要があったが、今日では医療技術の進歩により解消されている。側室を考える必要はない。

以上の「前提」はきわめて常識的な理解であろう。なんの異存もない。


◇126代「祭り主」天皇への言及もない

八木氏はこれらの「前提」を踏まえて、「おおよその結論」として、皇位の男系継承は確立された譲り得ない原理であり、その安全装置としての傍系継承や傍系皇族の存在の意義を考えるべきである。具体的には、旧11宮家の男系男子孫を皇族に復帰させる方策を検討すべきである。皇族としての正統性はあると考えられる。現在の皇室との血縁が遠いとの指摘もあるが、初代天皇の男系の血統を純粋に継承していることが正統性の根拠であるなどと指摘している。

また、現行憲法、皇室典範制定当時、宮内省や法制局が、皇統を男系に限り、女性天皇・女系継承を認めないことが憲法違反にあたらないことについて、当時の資料を示していることは注目される。

要するに、八木氏の主張の根拠は歴史と伝統にある。皇位の継承は男系で貫かれてきた。まったくその通りである。それなら、なぜ男系継承なのか、男系で継承されるべき皇位の本質とは何か、である。現代人にとっても大きな価値あるものとして、説得力をもって説明されているのかどうかである。

それがなければ、何度も書いてきたことだが、現行憲法を最高法規とし、憲法に基づいて国事行為およびご公務をなさるのが天皇のお役割だと信じ、同時に国民主権主義によって皇位継承の原理を変革し得ると思い込んでいる現代人には伝わらないのではないか。

八木氏は、ヒアリング後半の「聴取項目」への回答で、「天皇の役割・活動については、国事行為、公的行為、その他の活動があり、また、伝統的に民の父母としての役割があると考えられる」と述べるにとどまっている。けっして十分とはいえまい。

八木氏には126代「祭り主」天皇への言及もない。女帝が否認されたのではなくて、夫があり、妊娠中・子育て中の女帝が否認されてきたことへの問題関心も、ヒアリングではうかがえなかった。

八木氏は「終わりに」で、「本質的な問題が突きつけられている」ことを指摘し、警鐘を乱打している。すなわち、憲法学者の奥平康弘氏ら天皇制廃絶論者が女系継承容認を煽っているという事実なのだが、だとすればなおのこと、男系派が現代にも通じる男系継承主義の本質的意義と価値を見出し、国民に提示することなくして、「本質的な問題」を克服していくことは不可能だと思う。


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新田均先生、「伝統」だけで女系派を納得させられますか──有識者ヒアリングのレジュメを読む 2 [有識者会議]

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新田均先生、「伝統」だけで女系派を納得させられますか──有識者ヒアリングのレジュメを読む 2
(令和3年4月18日、日曜日)
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前回の続きです。

▽4 新田均氏──祭祀研究をもっと深めてほしい

4番手は新田均・皇學館大学教授(神道学)である。9ページにおよぶレジュメを読んで、やっとまともな識者が現れたかとホッとした。同時に、限られた時間で豊富な内容が十分説明できたのか、会議のメンバーに伝わったのか心配した。〈https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai2/siryou5.pdf

新田氏の指摘は主に、以下の7点にまとめられるものと思う。疑問点もあるので、合わせて紹介したい。


1、議論の本質は、天皇の役割とは何か、皇位継承とは何を継承するのかの2点にある。天皇は皇祖の祭り主であり、日本国家の祭り主である。

歴史的に見て、天皇が「祭り主」であることは、仰せの通りだと思う。ただ、「皇祖の祭り主」と限定される意味が分からない。古代律令には「およそ天皇、即位したまはむときはすべて天神地祇祭れ」とあり、神嘉殿の新嘗祭、大嘗祭の大嘗宮の儀では、皇祖神ほか天神地祇が祀られるのは、神道学者の新田氏ならよくご存知のはずだ。祭祀の対象は皇祖天照大神だけではない。

もし「祭り主」の地位を継承することが皇位継承の本質だとすれば、「皇祖の祭り主」ではなくて、「皇祖神ほか天神地祇の祭り主」であることを起点にして議論を組み立て直すべきではなかろうか。「伊勢の五十鈴の川上に坐す天照大神、また天神地祇、諸の神」(順徳天皇大嘗祭の御告文)に公正かつ無私なる祈りを捧げることが男系主義の核心のはずである。

新田氏は後醍醐天皇を引き合いにしている。『太平記』巻第四にはたしかに、出家を拒否され、香染ではなく、袞竜の御衣を召したまま、毎朝、石灰壇で太神宮を拝礼されたと記されている。だが、『建武年中行事』は神今食、新嘗祭とも、天照大神を拝礼なさるとは書いていない。歴代天皇はけっして伊勢の神宮のみを拝しているわけではない。

「祭り主」天皇がなさる「祭り」の本質が問われているのである。ご専門の神道学の学問的深まりが求められているのではあるまいか。


2、皇位が男系(父系)継承される理由と意義は、女性蔑視・排除ではなく、皇統に属さない男性の排除にある。祭り主の地位は男系(父系)で継承されるというのが古代の観念であった。

新田氏は、皇位継承資格を男系の男子に限ることが女性蔑視だと見る主張は誤解であって、本当の意味は、逆に、皇統に属さない男性を排除することだと、女系容認派に対して反論を加えている。女性の場合は結婚によって皇族になり、天皇の母になれる。皇室から排除されているのは男性の方だと述べている。正しい指摘だと思う。

新田氏はまた、この「男性排除」の理由を知ることこそ、皇統の本質と、その守る意味を理解する最大のポイントだとし、理由は、祖先を祀る祭り主の地位は男系(父系)で継承される、男系でしか継承できない、というのが「古代の観念」だったからだと説明している。

その根拠として、新田氏は大田田根子の物語を引くのだが、すでに指摘したように、皇祖神を祀るのが天皇ではない。天皇の祭祀は祖先崇拝ではないのである。また、正確を期するなら、皇統史において、女系継承はともかく、女性天皇が否定されているのではない。夫があり、妊娠中・子育て中の女性天皇が否定されているのである。それはなぜなのか、学問的に探求してほしい。

もうひとつ、「古代の観念」はそれとして、それをもって現下の皇位継承を論じることは有効だろうか。


3、天皇は古代以来の日本国の継続性を保証している。

しかし、その点、新田氏はすでに答えを用意しているということかもしれない。というのは、新田氏によれば、天皇という存在が生まれて以来、一貫して男系で繋がれてきたという事実こそ、皇位が、古代以来日本の継続性を保証し、日本国の時間的統合を象徴できる根拠となっているからだ。つまり、古代性というより、古代から現代までの継続性が永遠性を意味することになる。

新田氏は、イギリスの保守思想家G・K・チェスタトンの言葉を借りて、伝統の意味を探ろうとする。

「伝統とは選挙権の時間的拡大と定義してよろしい。われらが祖先に投票権を与えることを意味する。死者の民主主義なのだ。単にたまたま今生きて動いているというだけで、今の人間が投票権を独占するなどということは、生者の傲慢な寡頭政治以外の何物でもない」(『正統とは何か』)。

まったくその通りである。だが、「伝統」というものへの感性を失っているのが現代人である。男系派も女系派も同様なのだ。その現代人に、とくに憲法の国民主権主義に凝り固まり、自由勝手に皇統を変更できると考える傲岸不遜ないまどきのインテリ、エリートたちにチェスタトンが通じるだろうか。

彼らを納得させるには伝統論はともかく、むしろ現代人が共鳴し得る、男系主義の新しい意義を積極的に見出すことが求められているのではないか。それは天皇の祭祀の本質にこそ見出せるのではないか。


4、男系(父系)継承が理解されにくいのは、祭祀の継承は「氏の論理」にあり、財産と職業を継承する「家の論理」と異なるからである。明治になり、「氏の論理」が失われ、「家の観念」に統一されたことが、女性宮「家」への支持の原因となっている。

新田氏は、藤森薫「皇位継承は『氏の論理』で行われてきた」(『日本を語る』所収)を引用し、皇位の継承は「氏の論理」に基づいてきたと説明している。皇室が「氏の論理」に立っているのに対して、一般国民は「家の論理」に立っているという。

「氏の論理」と「家の論理」は併存が可能で、明治維新までは併存していたが、氏と家の併存は近代になって終止符が打たれた。近代化・欧米化の一環だった。近世までの人々であれば、皇位の男系継承の意義は、難なく理解されたはずだが、「家の論理」への一元化という近代に「創られた伝統」の中で生きている現代人には即座に理解することが難しいと新田氏は述べている。

としたときに、女系派が大半を占める現代人を納得させ、男系派に転向させるためにはどうしたらいいのだろうか。女系派の無理解の原因を説明しただけでは、女系派を男系派に変えられないだろう。


5、天皇の地位は「世襲」であり、特権だが、それとは引き換えに、基本的人権の著しい制約があり、男女同権だけ優先し、変更する理由はない。

新田氏は、男女同権論に基づく、皇位の世襲制批判に反論している。ある公職をある血統に属するものだけが独占する世襲制は平等原則とは相入れないが、「男女」平等だけを取り出して批判するのは論理的でないと述べて、女系派の立場にある、『「萬世一系」の研究』の著者、憲法学者の奥平康弘氏を敢えて紹介している。

新田氏によると、奥平氏は「天皇制は民主主義とは両立しない」「民主主義は共和制と結びつくしかない」という立場で、その「天皇制」の正統性の根拠は「萬世一系」にあると述べている。「萬世一系」とは「男系・男子による血統の引き継ぎ」であり、ここから外れた制度を容認する施策は「いかなる『伝統的』根拠も持ちえない」と断言している(「『天皇の世継ぎ』問題がはらむもの─『萬世一系』と『女帝』を巡って」=『世界』2004年8月号)。

『「萬世一系」の研究』では、次のように論じられている。

「そもそも世襲制というものは、それ自体差別的・非合理的な制度である」

「ポピュリスティックなフェミニストのあいだには<女性だというだけで天皇になれないなんて差別的であり、違憲であって許せない>という言い方が流行している。しかし、この言説は、私からみれば、少なくともふたつの誤りをおかしている。
 第一、女だけではなくしてどんな男だって─「後胤」につながっていないかぎりは─女一般とおなじように天皇になれないのである。問題の根源は、女か男か、ではなくて、特権的差別集団を認めるか認めないかにある。(中略)
 第二、平等原則は、そこで問われている差別の対象としての権利義務、利益不利益がたまたま特定の人間あるいは集団にのみかかわっているようにみえても、そのことは本質上コミュニティを構成するすべての人々に潜在的に影響するばあい、あるいはコミュニティの存立にかかわってきた市民─「平等な配慮と尊厳」(D・ドゥーキン)に価する者たち─が共有する人間的な尊厳性が傷つけられたばあい、こうしたばあいにその適用が問われるのである。
 ところが、ここで議論されている差別は、皇位継承権という特権的な権能・地位の取得というきわだって特別な文脈において生じているのであって、これをめぐる法的帰趨は、この文脈から遠く隔たっている庶民一般の権利義務・利益不利益の関係にはなんの影響も効果も及ぼさない」

などと引用したあと、新田氏は、そもそも「世襲」という大きな例外、特別の地位を認めておきながら、それに伴う基本的人権の著しい制約(職業選択、居住、婚姻など)の中から男女同権だけを優先すべき理由はないと奥平氏の所論を要約している。

釈迦に説法だが、憲法の「世襲」はもともとdynasticの意味だった。「王朝の支配」が本義だった。だが、いまの女系派は単に血が繋がっていること程度にしか考えてはいない。新田氏が指摘するように、何が継承されるかが見えていないからである。


6、男系(父系)が否定されれば、皇祖を祀る資格が喪失され、信教の自由が承認される。一般国民との同一化が図られることになり、天皇は特別な存在としての意義の喪失し、天皇制度の廃止に向かう。

新田氏は、平等原則とは両立しない血統主義・世襲制の中に、無理やり「男女」平等だけを持ち込もうとすると、その結末はどうなるのかと問いかけている。

まず、男系継承が否定され、天皇は皇祖を祀る資格を失う。女性天皇が、皇統に属さない男性と結婚すると、その間に生まれた子は、その男性の先祖を祀る資格しか持てない。そうなると、次の代の天皇は皇祖を祀れない。よって、信教は自由でよいことになる。

次は、その他の人権も認めるべきだとの議論が起こり、行き着く先は、天皇・皇族と一般国民との違いが喪失される。そうなれば、どうして莫大な費用をかけて皇室を維持する必要があるのかという議論が巻き起こる。結局、「世襲」の否定、天皇制度の廃止へと繋がっていくと論理を展開させている。

新田氏は、ふたたび奥平氏の女帝論を紹介して、その本質は天皇制廃止にあるときびしく批判している。

「不合理な制度を作ったのは、憲法(とりわけ第一 条、第二条)なのであって、憲法自体を改めなければならないのである。個別の取り極めを違憲だと決めつけても片付くものではない。きつい言葉で言えば、それはお門違いである。」

本心では天皇制度の廃止を願っている人々が、女性天皇や女系天皇を支持するのは、実は男女平等を願ってのことではなく、天皇制度の根幹を断ち切るためだと新田氏は見抜いている。その通りだろう。

そのうえで新田氏は、日本国憲法第一条が、天皇の「地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」と規定しているのは、いま生きている国民の投票によって確認されたものではなく、受け継がれて来た伝統から推察される先祖たちの意思と、それに対する憲法制定当時の国民の暗黙の同意とが合体したものだったと考えられると指摘する。

選挙によって確認する空間的民主主義だけでは第一条は説明できない。先祖の意思を重んじる時間的民主主義が前提とされているのであって、それが天皇制度の前提をなす「伝統」なのだと奥平氏に反論し、チェスタトンを引用して、締めくくっている。

「単にたまたま今生きて動いているというだけで、今の人間が投票権を独占するなどということは、生者の傲慢な寡頭政治以外の何物でもない。伝統はこれに屈することを許さない」

新田氏の所論はいちいちもっともで、伝統派の賛同が多く得られるだろう。だが、繰り返しになるが、「伝統」を分析することが、女系派の翻意を促すことになるだろうか。政府・宮内庁が女系継承容認=「女性宮家」創設に舵を切ったのは、皇室の伝統には目もくれず、憲法を最高法規とし、国民主権主義の立場に立つからだ。形勢逆転には「伝統」というものの現代的価値が見出される必要があるのではないか。そのためには祭祀研究をもっと深めるべきだと思う。


7、皇位継承の選択肢を広げる意味で、養子縁組と旧宮家の復籍の両方とも認めるべきだ。皇位継承順位については、臣籍降下時点での順位に基づいて決めるべきだ。

最後に、それなら皇位の安定的継承のためにどうすればいいのか、である。

「皇族数の減少」を「危機的」ときびしく認識する新田氏は、現行の皇室典範では認められていない皇族の養子縁組を可能とし、皇統に属する旧宮家の男系男子の復籍を認める一方で、混乱を避けるために、旧宮家の男系男子以外の皇籍復帰については、今は考えるべきではないとクギを刺している。

異存はないが、ほかに男系が絶えないための方法はないものだろうか。男系を維持するための知恵はもっともっとあるのではないかと私は思う。

蛇足だが、本来、皇位継承のことは皇室の不文の法に委ねられるべきであって、国民一般が介入すべきではないはずだ。皇室典範は国会の議決で簡単に変更できるようなものであってはならない。新田氏にはそこを訴え、安易な干渉を避けるよう注意を促してほしかった。時間的な制限があることは重々承知したうえで。(つづく)


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