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「愛子さま天皇」待望を煽る? 「週刊朝日」の御厨貴×岩井克己Zoom対談 [皇位継承]


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「愛子さま天皇」待望を煽る? 「週刊朝日」の御厨貴×岩井克己Zoom対談
(令和2年11月3日)
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▽1 正統右翼の政府・宮内庁批判

「正統右翼」といわれる不二歌道会(福永武代表)の政府・宮内庁批判が止まりません。

機関紙「道の友」10月号の巻頭言は、宮内庁が高さ2メートルの江戸城天守閣の模型を東御苑に設置したことを取り上げ、税金1億円を使ってなぜ作ったのかまったく不明、そんなムダ金があるなら大嘗宮をなぜ茅葺にしなかったか、宮内庁には国体観念の喪失が甚だしい、とけんもほろろです。

また機関誌「不二」は、中曽根元総理の内閣・自民党合同葬が神嘗祭当日に設定されたことをテーマとし、国民こぞって奉祝すべき日に弔旗の掲揚を求める無神経さに戦慄さえ覚える、元号問題・大嘗宮茅葺問題にも通じる国体観念の喪失がその根源にある、ときびしく批判しています。

さすがは正統的民族派の面目躍如というべきでしょう。堂々とした正論を臆せずに表明していることに敬意を表します。


▽2 立皇嗣の礼を前にあり得るのか

これに対して、アカデミズムとジャーナリズムの無様さを公にしているのが、御厨貴・東大名誉教授と岩井克己・朝日新聞元編集委員との「週刊朝日」のZoom対談です(11月6日号からの抜粋。構成は同誌の永井貴子記者。https://dot.asahi.com/wa/2020102900039.html?page=1)。

この対談で唯一面白いのは、皇位継承・「女性宮家」創設問題に関連して、御厨さんが『世論調査では、「愛子天皇」賛成の声が高い』と指摘したのに対して、岩井さんが『宮内庁の幹部と話をしても、「一刻も早く女性・女系天皇の容認を」「愛子さまを天皇に」という声は聞こえてこない』と応えていることです。

記事の最後は『宮内庁幹部の中には、「今は愛子さまを天皇に、という人は宮内庁にも官邸にもひとりもいない」と明言する人もいます』という岩井さんの発言で終わっています。そもそも記事のタイトル自体が『「愛子さまを天皇に」は宮内庁から聞こえてこない?朝日新聞元編集委員が明かす』です。

宮内庁内を取材した岩井さんも、記事をまとめた編集者も、庁内から「愛子さま天皇」待望論が聞こえてこないことが、意外であり、もしかしてご不満なのでしょうか。立皇嗣の礼を目前にして、次か、あるいはその次の天皇が「愛子さまであってほしい」という声が上がるものなのでしょうか。常識的に考えて、あり得ないとはお思いにならないのでしょうか。それとも待望論を煽っているのでしょうか。


▽3 科学者=「前衛」の時代錯誤

おりしもちまたでは、日本学術会議の新会員任用をめぐって、混乱が続いています。科学者は社会をリードする「前衛」だなどと叫び立てる政治家もおられるようですが、時代錯誤も甚だしいというべきです。いまや国民の半数が高等教育を受けるご時世です。サラリーマンがノーベル賞を受賞する時代なのです。

知識人、専門家の存在はむろん重要ですが、国民の知的レベルが以前とは違って格段に上がっている現代において、よほどの天才ならともかく、知性の相対的低下をアカデミズムもジャーナリズムもよく肝に銘ずるべきではありませんか。そうでないから、わけ知りげな雑誌記事が生まれ、学術会議狂想曲が展開されるのでしょう。


【関連記事】女系は「万世一系」を侵す──「神道思想家」葦津珍彦の女帝論〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1998-12-01
【関連記事】女系継承は天皇の制度といえるのか──皇室典範有識者会議を批判する〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2005-12-01
【関連記事】朝日新聞のマッチ・ポンプ──岩井克己記者の宮中祭祀観を批判する〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2010-11-07-1
【関連記事】基本を忘れた女系継承容認論──小嶋和司教授の女帝論を読む〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-31
【関連記事】ねじ曲げられた前侍従長の提案──岩井克己朝日新聞記者の「女性宮家」論を読む〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-01-02
【関連記事】風岡宮内庁長官はなぜ退任したのか ──新旧宮内庁長官会見を読む〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2016-10-02
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操られ、踊らされている? 女系継承容認派に秋波おくる参院調査論文 その2 [皇位継承]

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操られ、踊らされている? 女系継承容認派に秋波おくる参院調査論文 その2
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皇位継承は古来、なぜ男系主義なのか、日本国憲法を起点とする2.5代ご公務天皇論からは、その根拠は見出し得ません。かといって、皇祖神の神勅に基づき、皇祖神を祀り、稲を捧げて祈るのが天皇の祭祀だと思い込んでいる国学、神道学の立場からも男系継承主義の本義は説明できないでしょう。

少なくとも古代律令制の時代から、皇祖神のみならず天神地祇を祀り、米のみならず粟を神前に供し、あらゆる民のために、公正かつ無私の祈りを捧げることが天皇第一のお務めとされた一点にのみ、女性天皇は認められても、夫がいる、あるいは妊娠中、子育て中の女性天皇は歴史に存在しない皇位継承の最大の理由が隠されているのではないでしょうか。

つまり、葦津珍彦が指摘したように「公正かつ無私なる祭り主」の万世一系なる祈りの力で、国と民がひとつに統合され、未来永劫、平和が保障されるという古代からの天皇統治のあり方が最重要ポイントなのでしょうが、日本国憲法が最高法規とされ、いまや国民の85%が女帝容認に傾くご時世に、いまさらその歴史的価値が理解されるのかどうかが問われています。

 【関連記事】女系は「万世一系」を侵す──「神道思想家」葦津珍彦の女帝論(「論座」1998年12月号特集「女性天皇への道」から)https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1998-12-01

さて、それでは前々回に続いて、岩波祐子・参院調査室調査員のリポート『「安定的な皇位継承」をめぐる経緯―─我が国と外国王室の実例』を読み進めます。〈https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2019pdf/20190910143s.pdf

 【関連記事】男系主義の理由を論究せず。女系継承容認派に秋波おくる参院調査論文 その1https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-06-22


▽5 表層的な議論を追う

岩波さんは平成17年4月の衆参憲法調査会報告書における議論に続き、同年11月の小泉政権時代の『皇室典範に関する有識者会議報告書』について解説します。

有識者会議は座長には元東京大学総長の吉川弘之氏、座長代理に元最高裁判事の園部逸夫氏が座り、
ヒアリングが実施され、旧宮家の男系男子の子孫を皇室に迎える案なども提案されました。

しかし報告書は、結論として、皇位継承資格を皇族女子や女系の皇族に拡大し、皇位継承順位については、天皇の直系子孫を優先し、天皇の子である兄弟姉妹の間では、男女を区別せずに、年齢順に皇位継承順位を設定する長子優先の制度が適当であるとされた。これらを基本として、皇族の範囲についても、女性天皇及び女性の皇族の配偶者も皇族とすること、永世皇族制の維持、皇籍離脱制度の見直し等も言及されている、と岩波さんはまとめ、報告書の「結び」をそっくり引用しています。

けれどもその後、岩波さんが指摘するように、小泉総理は皇室典範の改正案をまとめて国会に提出する意向とされますが、文仁親王妃紀子殿下の懐妊発表で提出は見送られたままとなっています。

一点だけ補足すると、報告書には「女性宮家」という表現はないものの、その中身が盛り込まれています。平成8年に始まる政府・宮内庁の女性天皇容認はイコール「女性宮家」創設だったのですが、岩波さんのリポートにはまったく言及されていません。つまり、女系継承容認論が政府部内でどのように生まれ、成長してきたのか、岩波さんには見えていないのでしょうか。

 【関連記事】「2つの柱」は1つ──「女性宮家」創設の本当の提案理由 4https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2017-05-28
 【関連記事】〈第4期〉渡邉前侍従長の積極攻勢も実らず──4段階で進む「女性宮家」創設への道https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2017-09-27

次は、野田政権時代の『皇室制度に関する有識者ヒアリングを踏まえた論点整理』ですが、岩波さんの解説は少し変です。

岩波さんは、野田政権の下で、女性皇族の婚姻による皇族数の減少と皇室の御活動の維持という課題について、有識者ヒアリングが行われたと説明しています。現行の皇室典範の規定の下では女性皇族は婚姻により皇籍を離脱することから、皇室活動の安定的な維持と天皇皇后両陛下の御負担軽減が喫緊の課題だというわけです。

岩波さんが心を寄せているらしい女系容認派の園部さんは、なるほどヒアリングのときに繰り返し説明していました。

「天皇陛下の大変な数の御公務の御負担をとにかく減らさないと。それは大変な御負担の中なさっておられるわけでして、そうした天皇陛下の御公務に国民はありがたいという気持ちを抱いていると思いますが、国民として手伝えるのは天皇陛下の御公務の御負担を減らすことなんです。
そのためには、どうしてもどなたかが皇族の身分をそのまま維持して、その皇族の身分で皇室のいろいろな御公務を天皇陛下や皇太子殿下や秋篠宮殿下以外の方も御分担できるようにする。そして、減らしていくというのが最大の目的です」

 【関連記事】〈短期集中連載〉「女性宮家」創設賛否両論の不明 第1回──月刊「正論」12月号https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-12-02-1?1592135118

しかしこの説明自体に無理があったのでした。当初は、「天皇皇后両陛下の御負担をどう軽減していくかが緊急性の高い課題となっている」と説明していたのに、「論点整理」では、悠仁親王殿下が皇位を継承される将来の問題に飛んでしまいました。岩波さんの論考にはむろんその説明はありません。

 【関連記事】支離滅裂なり!! 「女性宮家」創設の「論点整理」──変質した制度改革の目的意識https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-10-14-1

その後、衆議院の解散、総選挙が行われ、政権が交代します。安倍総理は、女性宮家の創設について、きわめて慎重な対応が必要と表明しました。岩波さんの解説の通りです。

結局のところ、小泉総理の有識者会議といい、野田総理のヒアリングといい、男系主義の意味はなんら見出せませんでした。岩波さんは本質論を避け、表層的な議論を追いかけているだけのように見えます。


▽6 「生前退位」問題とは何だったのか

つぎに、論考は、先帝の退位をめぐる議論に進みます。

岩波さんの説明では、平成28年7月の「生前退位」報道に始まり、先帝の「おことば」、「有識者会議」などを経て、皇室典範特例法が成立していく過程で、女性宮家の創設、女性・女系天皇への拡大、旧宮家の皇族への復帰等について、早期に議論の場を設けるべきではないかなどとの意見が交わされました。

 【関連記事】「オモテ」「オク」のトップが仕掛け人だった!? ──窪田順正氏が解く「生前退位」の謎https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2016-08-31?1593330709
 【関連記事】結局、誰が「生前退位」と言い出したのか? ──「文藝春秋」今月号の編集部リポートを読んでhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2016-09-25
 【関連記事】「生前退位」3つの衝撃と6つの論点──問われているのは「退位」の認否ではない(「月刊住職」平成28年12月号)https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2016-12-01
 【関連記事】もっぱら「退位」を検討した「負担軽減」会議の矛盾──有識者会議の最終報告書を読んでhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2017-04-23
 【関連記事】有識者会議に協力しなかった宮内庁?──ご負担軽減の失敗を暴かれたくないからかhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2017-05-07-1
 【関連記事】安倍流保守陣営を批判するだけでは足りない──伊藤智永毎日新聞記者の有識者会議報告批判を読むhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2017-05-11-2


有識者会議の最終報告書は「おわりに」で、皇族数の減少への対策は一層先延ばしのできない課題となるとして、現在の皇室典範の皇族女子の婚姻による皇籍離脱、皇孫世代の皇族の状況に触れて、「皇族数の減少に対する対策について速やかに検討を行うことが必要」と指摘しました。

皇室典範特例法は衆議院本会議で多数で可決され、参議院本会議では全会一致で可決、成立しましたが、その際、「女性宮家の創設などは先延ばしできない」などとする附帯決議が付されることとなりました。

結局、議論は皇族の減少という現実論に集中し、歴史的な男系主義の意義の追究は行われませんでしたが、そのことの解説は岩波さんの論考には見当たりません。それどころか、いわゆる「生前退位」問題とは何だったのか、本質論は何も見えてきません。「生前退位」報道以後、どんどん曲がっていった女系継承容認論に操られ、踊らされているだけではないでしょうか。

岩波さんはなぜこのリポートを書くことになったのか、もしかすると、案外、深い闇があるのかもしれません。

 【関連記事】どうしても女性天皇でなければならないのか。男系を固守することは不正義なのか。なぜ男系の絶えない制度を考えようとしないのか?https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-02-09


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男系主義の理由を論究せず。女系継承容認派に秋波おくる参院調査論文 その1 [皇位継承]

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男系主義の理由を論究せず。女系継承容認派に秋波おくる参院調査論文 その1
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皇位継承が古来、男系主義を採用してきたのはなぜなのか、そしていまなぜ女性天皇の容認のみならず、歴史にない女系継承容認論に世論が席巻される事態となったのか。天皇が祭り主であり、皇祖神のみならず天神地祇を祀り、米と粟を捧げて祈るのが天皇の祭祀であるなら、その祭祀のあり方にこそ男系主義の本質が見えてくるはずです。そして、戦後の象徴天皇制が祭り主天皇の否定であるなら、男系主義否定に帰着するのもまた当然なのでしょう。しかしながら、そのような議論は寡聞にして知りません。

前々回まで、帝国学士院編纂の『帝室制度史』や国会図書館の山田敏之専門調査委員の論考を取り上げ、私なりに考えを進めてきましたが、今回から参議院内閣委員会調査室の調査員・岩波祐子さんによる、25ページに及ぶ浩瀚なリポート『「安定的な皇位継承」をめぐる経緯―我が国と外国王室の実例』を読みつつ、考察することにします。徒労とは十分に知りつつ、ということです。

 【関連記事】「皇統は男系に限る」と断言しつつ、根拠は神勅と歴史以外に見当たらない『帝室制度史』https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-05-10
 【関連記事】国会審議に無用の混乱を招く「国会図書館」調査員の皇位継承論https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-06-07

参議院調査室は、参院議員の活動全般を調査面で補佐するために置かれた組織で、常任委員会調査室、特別調査室及び企画調整室から構成されています。調査室が参院議員のために企画・編集、発行している調査情報誌『立法と調査』には調査・研究の報告・論文が掲載され、岩波さんのリポートは昨年9月発行の415号に掲載されています。〈https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/20190910.html

サイトの説明ではリポートはあくまで「個人的な見解」とされていますが、公機関の編集・発行する公的媒体掲載の論考が「個人的」であり得るはずはありません。政治的に難しいテーマならなおのこと、公正中立に徹することは至難であり、逆に偏りのある内容なら議員たちの審議に誤った方向性を与えてしまうのではないかと危惧されます。

そうした懸念が生じるのはそもそも、既述したように、そしてまさに岩波さんの論考がそうであるように、古来、なぜ男系主義が採用されてきたのかが十分に論究されていないからです。


▽1 単なる議論の紹介

岩波さんのリポートは4部構成になっています。(1)皇位継承をめぐるこれまでの議論、(2)皇位継承における原則と例外、(3)提案の状況、(4)外国王室の状況、の4つです。

その前に「はじめに」です。岩波さんは執筆の目的を次のように説明しています。

平成29年6月、皇室典範特例法の附帯決議で「安定的な皇位継承確保の諸課題」を検討するよう求められた政府は皇位継承儀式が一段落したあと、検討を開始すると報道されている。
憲法は皇位継承について世襲制のみを規定し、具体的制度設計は皇室典範に譲っている。現行皇室典範は「皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と定め、皇族女子は婚姻により皇籍を離脱すると規定されている。
現在、男系男子が不在となる懸念に関連し、小泉内閣時の有識者会議では男女の別なく直系・長子優先の継承を定める案が提言され、野田内閣では公務の担い手を増やす女性宮家の創設が提言されたが、いずれも実際の法改正等には至っていない。
本稿は、皇位継承に関する検討の経緯の概要について、皇位継承に関わる歴史上の原則等に触れつつ、皇位継承に関するこれまでの議論と、現在の提言の状況、加えて外国王室における参考となる事例等を紹介することを目的とする。

あとで詳しく検討することになると思いますが、憲法が定める「世襲」は単に血が繋がっていることを意味するわけではなく、「王朝の支配」を意味しますが、岩波さんのリポートではその指摘は見当たりません。また、外国王室との比較は有効なものなのかどうか、追って検証したいと思います。

それでは「皇位継承をめぐるこれまでの議論」です。

岩波さんは、(1)皇室典範制定時の議論、(2)昭和39年の憲法調査会報告書における議論、(3)平成17年4月の衆参憲法調査会報告書における議論、(4)同年11月の小泉政権『皇室典範に関する有識者会議報告書』、(5)同24年10月の野田政権『皇室制度に関する有識者ヒアリングを踏まえた論点整理』、 (6)天皇陛下御退位をめぐる議論における皇位継承策の検討、の6つのステージに分けて考察しています。

見出しから容易に想像できるように、岩波さんのリポートは単なる議論の紹介にとどまっています。その程度なら、リポートをまとめるまでもなく、議員たちはむしろオリジナルの報告書を読んだ方がいいように思いますが、どうでしょうか。

それはともかく、今日のところは、分量の関係上、(3)までを読めることにします。

まず、(1)皇室典範制定時の議論です。岩波さんは古代からの皇位継承の実態や明治の皇室典範制定には触れず、いきなり戦後の、つまり占領下という特殊状況下での議論に飛び、昭和21年7月設置の臨時法制調査会と同時期の第90回帝国議会での議論を紹介しています。


▽2 「女系派」園部逸夫氏に引きづられる

第一は臨時法制調査会における議論ですが、岩波さんは、女系継承容認派として毀誉褒貶半ばする元最高裁判事・園部逸夫さんの著書『皇室法概論-皇室制度の法理と運用-』を引用するのみです。なぜ調査会そのものの議論を取り上げないのか、不思議です。

『女系による皇位の継承及び女性天皇の是非については、認めるべきとする見解の論拠は明らかではないが、認めるべきでないとする見解は、歴史・伝統を論拠としていた。臨時法制調査会第3回総会における第一部会長代理の報告は、女系による皇位の継承は皇位世襲の観念に含まれないとしている。なお、背景として、当時は皇位継承資格のある男系男子が相当人数存在したこと、「日本には皇配(プリンス・コンソート)族とでも言い得るような特種の家柄が存在せず、存せしめることが不適当でもある」等、配偶者の在り方に難点があると考えられたことなども指摘されている』

以前、触れたように『帝室制度史』では男系主義の根拠として、「歴史・伝統」の前に「神勅」が挙げられていましたが、ここにはありません。女系が認められないのは「万世一系の皇統」を侵害するからですが、言及がありません。皇配の有無云々については、王族同士の婚姻を前提とするヨーロッパ王室との違いがあることが指摘されていません。

園部さん自身にこうした理解が不足しているということでしょうか。そんな園部さんの著書をなぜ引用しなければならないのか、理解に苦しみます。

第二に、帝国議会における議論です。

岩波さんは、帝国議会では憲法第2条で旧憲法の「皇男子孫」の文字を省略した理由に関連し、「此ノ第二条ニハ其ノ制限ガ除カレテ居リマスルガ故ニ、憲法ノ建前トシテハ、皇男子、即チ男女ノ区別ニ付キマシテノ問題ハ、法律問題トシテ自由ニ考ヘテ宜イト云フ立場ニ置カレル訳デアリマス」(金森国務大臣。衆議院憲法改正案委員、昭和21.7.8)などの答弁がされ、あたかも女系継承が容認されたかのように解説しています。

しかし、そうともいえません。7月17日の委員会では、芦田委員長が「将来、皇位が女系に移るがごときことは絶対にないという意味に了解するほかはない」と述べているからですが、岩波さんのリポートには言及がありません。女系派の園部さんに引きづられているからではありませんか。中立性に大きな疑念があります。

岩波さんは、「女性の皇位継承を可能としてはどうかとする制定時の議論」として、(1)歴史上も女性天皇の例がある、(2)文化国家、平和国家の象徴としてふさわしい、(3)新憲法の精神、男女平等原則に沿う、(4)近親の女性を優先する方が自然の感情に合致し正当である、(5)皇統の安泰を期すためには女性天皇を可能にする必要がある、という意見があったと指摘しています。

しかし、いつも申し上げるように、夫がいたり、妊娠中、子育て中の女性天皇は歴史に存在しないし、男女平等を掲げる憲法の第一章が天皇の規定であり、したがって男系継承主義は男女平等原則の例外と見るべきであって、実際、GHPは何ら異議を挟まなったのでした。

 【関連記事】基本を忘れた女系継承容認論──小嶋和司教授の女帝論を読むhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-31


▽3 「世襲」はdynasticの和訳だが…

次に昭和39年7月の憲法調査会報告書での議論です。

憲法調査会は昭和31年6月、内閣に設置され、39年7月3日に内閣と国会に報告書が提出されました。岩波さんは、女帝関連部分を抜粋しています。

それによると、皇位継承について、女帝および退位を認めるべきかどうかの問題がとりあげられ、見解の対立がみられたが、意見を述べた委員は、天皇と国民主権との関係、天皇の地位および権限等の問題に関して意見を述べた委員に比較すればきわめて少数だったというのです。

女帝容認派の論拠は、例によって、(1)日本の歴史に先例があり、外国の例に照らしても、女帝を認めるべきでないとする理由はない、(2)男子の皇位継承資格者が絶えるという稀有の場合も生じないとはいえない、(3)両性の平等の原則からいっても女帝を認めるべきである、(4)天皇の権限は形式的・儀礼的な行為に限られているから、女子は天皇の適格性を有しないとはいえず、また現に皇室典範は女子も摂政となりうることとしている、というものでした。

興味深いのは、女帝を認めるとすれば、皇位継承のもっとも重要な事項であるから、皇室典範ででは足らず、憲法上明確に規定すべきであるとされたことです。ひとつの見識といえます。しかし、岩波さんはこれも単なる抜粋・引用にとどまっています。

時代は平成に飛びます。岩波さんはまず平成17年4月の衆参憲法調査会報告書における議論を取り上げます。岩波さんが指摘するように、悠仁親王殿下の御懐妊前の議論でした。

衆議院では、岩波さんによると、女性による皇位継承を認めるべきであるとする意見が多く述べられました。その論拠は、(1)憲法が皇位継承権を男性に限定していない、(2)男性による継承に限定したままでは皇統が断絶する懸念がある、(3)女性の天皇を容認する国民世論の動向、(4)これを認めることが男女平等や男女共同参画社会の形成という現在の潮流にも適うものである、などでした。

これに対し、慎重論は、男系男子による継承が我が国の伝統であることが論拠でした。

憲法の「世襲」はdynasticの和訳ですから、王朝の交代を招く女系継承は憲法違反のはずですが、立法過程に遡った議論はなかったのでしょう。男系が絶えない制度を模索すべきだという意見はなかったものなのか、何より男系継承の意義が見出されていないことが最大のネックなのでしょう。


▽4 国学、神道学も同じ

女性による皇位継承を認めるべきであるとする意見には、日本国憲法は、大日本帝国憲法と異なり、皇位継承資格を皇族男子に限定していない、現行の皇室典範では、男子の皇族にしか皇位継承権を認めていないが、摂政については現在でも皇族女子の就任を認めている、王室を有する欧州各国では、女性による王位継承を認めている、などの意見がありました。

しかし、これらも立法過程の議論に考慮しているとはいえず、ヨーロッパ王室の王位継承を外面的に眺めているだけといえます。これに対して、慎重派も男系主義の積極的な意義を見出せずにいます。

次に参議院ですが、岩波さんが引用する報告書の抜粋では、象徴概念の純化を図るべきである、男子限定の皇室典範は改正すべき、女性天皇賛成が80%という世論調査もある、男子誕生のプレッシャーを天皇家に掛けるのは良くない、皇室典範の改正で女性天皇を認めることは可能であり、天皇を男子に限る合理的根拠はない、などとして、女性天皇容認について、おおむね共通の認識があったとされます。

一方、天皇・皇族の人権問題が議論され、人格は基本的に守られるべき、国民の一人として人権が尊重されるべきことは当然などの意見が出されたことは注目されます。

このあと岩波さんは参考人・公述人の発言を引用するのですが、女系派である園部さんの意見がやたら多いのが気になります。むろん園部さんの議論は125代歴史的天皇の継承ではなくて、日本国憲法に基づく1.5代象徴天皇の継承なのでした。祭り主天皇に関心のない園部さんに、男系主義が理解できる道理はありません。

意気軒昂な女系容認派に対し、「議論自体は国民の自由、議院活動の自由であるが、個人的には皇族が悩む状況をむしろつくってしまうのではないかと懸念する」と慎重論を述べた阪本是丸・國學院大学教授の存在は異色でした。

慎重論は大いに理解できるところですが、男系主義の真髄が提示されないのはなぜなのでしょう。近世以来の国学、神道学が男系主義の本義を解明できないでいるのは、やはり学問的限界なのでしょうか。

最後にひと言申し上げます。政府・宮内庁は平成8年以降、皇位継承に関する非公式・公式な調査研究を開始し、女帝容認に完全にシフトしたことが知られています。しかし、岩波さんの論考にはまったく言及がありません。(つづく)

 【関連記事】伝統主義者たちの女性天皇論──危機感と歴史のはざまで分かれる見解(「論座」平成16年10月号から)https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2004-10-01
 【関連記事】どうしても女性天皇でなければならないのか。男系を固守することは不正義なのか。なぜ男系の絶えない制度を考えようとしないのか?https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-02-09


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国会審議に無用の混乱を招く「国会図書館」調査員の皇位継承論 [皇位継承]

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国会審議に無用の混乱を招く「国会図書館」調査員の皇位継承論
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古来、皇位は男系男子によって継承されてきました。しかし平成8年以後、政府・宮内庁は女性天皇のみならず、過去の歴史にない女系継承容認に一気に舵を切りました。それから20余年、いまや女性天皇容認が国民の85%を占めるともいわれます。

古来、なぜ男系主義だったのか、なぜいま女系継承容認なのか。答えを得るため、前々回までは『帝室制度史 第3巻』(帝国学士院編纂。昭和14年)を読みましたが、神勅と歴史以外に根拠を持たない『制度史』には納得のいく説明が見出せませんでした。

 【関連記事】「皇統は男系に限る」と断言しつつ、根拠は神勅と歴史以外に見当たらない『帝室制度史』https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-05-10

今回は、国会図書館調査及び立法考査局の専門調査員・山田敏之さんの重厚なリポートを読むことにします。同図書館は国会議員の調査研究に奉仕することを目的のひとつとし、調査及び立法考査局は国会の活動を補佐することを職務の中核としていますから、同局の研究は二千数千年におよぶ皇室の命運を握る需要な立場にあります。

調査員の山田さんには、私が知るところ、皇室問題に関する次の4本の小論があります。

(1)現⾏制度の制定過程における退位の議論(「調査と情報」No. 958。2017. 4.18)
(2)欧州諸国の退位制度(「調査と情報」 No. 959。2017. 4.18)
(3)ヨーロッパ君主国における王位継承制度と王族の範囲―女系継承を認めてきた国の事例(「レファレンス」No.803。2017-12-20)
(4)旧皇室典範における男系男子による皇位継承制と永世皇族制の確立(「レファレンス」No. 808。2018-05-20)

いずれもタイムリーな山田さんの研究は国会審議に少なからぬ影響を与えたものと想像されますが、その中身はどのようなものなのか、ここでは男系継承主義に関する(4)のみを読んでみることにします。結論からいえば、山田さんの皇位継承史論には多くの学びがありましたが、逆にいくつかの重大な疑念が浮かんできました。この歴史研究によって影響を受けた国会審議がどこへ進んでいくのか、あるいは迷い込んでいくのか、きわめて気がかりです。

なお、原文は国立国会図書館のサイトから誰でもいつでもダウンロードすることが可能です。


▽1 明治以前は「男子」の要件はなかった?

山田さんの論考は三部構成がとられています。(1)男系男子による皇位継承制の確立、(2)永世皇族制の確立、(3)女性皇族の皇族以外の者との婚姻後の身分、の3つです。とくに重要なのは、いうまでもなく(1)の男系主義の確立に関する史的考察です。

論考ははじめに、「要旨」として、6点を掲げています。

(1)現行皇室典範において、皇位継承資格者の要件は、a皇統に属すること、b 男系であること、c嫡系嫡出であること、d男子であること、e皇族であること、である。このうち嫡系嫡出であることは、現行典範により新たに追加されたものである。

昭和22年制定の皇室典範は「第1章 皇位継承」に始まり、第1条には「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と定めています。また第六条には「嫡出の皇子及び嫡男系嫡出の皇孫は、男を親王、女を内親王とし、三世以下の嫡男系嫡出の子孫は、男を王、女を女王とする」、第十五条には「皇族以外の者及びその子孫は、女子が皇后となる場合及び皇族男子と婚姻する場合を除いては、皇族となることがない」と定めています。仰せの通りです。

(2)旧皇室典範制定前の制度では、d男子であることの要件はなく、女子にも皇位継承資格があり、古代に8代6人、近世に2人の女性天皇が在位した。古代の女性天皇の即位の事情については、古代史研究者によって様々な推論がなされている。近世の女性天皇はいずれも皇子に譲位することを前提にして践祚した。

問題はここです。あとでくわしく検討したいと思います。

(3)旧典範の制定過程では、男系男子が絶えた場合には女子に継承資格を認めるという案も出された。しかし、我が国の過去の女性天皇は中継ぎ君主であり欧州諸国の女王とは異なり、欧州諸国のように女子が継承し、その女系の子が位につくと姓が変わるという理由で女系・女子の継承資格を否認し、男系男子による皇位継承制度が確立した。

山田さんは男系男子主義が明治期に確立されたという見方です。ヨーロッパ王室との比較とあわせて、本格的検証を要するように思います。

このあと(4)皇親の制度、(5)永世皇族制の採用、(6)婚姻した女性皇族の身分について、言及していますが、ここでは省略します。


▽2 「女帝の子も亦同じ」と読むべきか

山田さんが指摘するように、旧皇室典範制定前には女子にも皇位継承資格があり、実際、古代には8代6人、江戸時代には2人の女性天皇が践祚しました。4人は皇后(大后)、1人は皇太子妃、4人は生涯独身で、在位中に配偶者がいた女性天皇はいません。1人のみ即位前に皇太子になっています。

古代の女性天皇即位の事情については、以下のようなさまざまの見方があると山田さんは指摘します。
(1)中継ぎとして即位した。
(2)危機打開のために女性のカリスマ性を発揮することを期待された。
(3)人格・資質と統治能力を考慮されて群臣により推戴された。
(4)「世代内継承」の原則に基づき、かつ、天皇たるにふさわしい資質と能力を有することが確認されて、即位した。
(5)諸皇子との継承争いに実力で勝利し即位した。

「中継ぎ」説だけではないというのが新鮮な指摘ですが、結局のところ、女性天皇は歴史に存在しても、女系継承はなかったし、山田さんが指摘するように、夫のいる女性天皇が存在しなかっただけでなく、妊娠中の女性天皇、子育て中の女性天皇は存在しないのです。それはなぜなのでしょうか。そこが最大のポイントのはずですが、山田さんの論考では解説されていません。

次に山田さんは、継嗣令について言及します。古代律令の条文に女性天皇に関する注記があるというわけですが、議論がかなり混乱しています。

山田さんによると、継嗣令には「凡そ皇兄弟・皇子は、皆親王と為す。女帝の子も亦同じ。以外は並に諸王と為す。親王より五世は王の名を得ると雖(いえど)も、皇親の限に在らず。」(皇兄弟条)という規定があり、その意味は「皇兄弟及び皇子を親王とし、皇孫、皇曾孫、皇玄孫を王とし、皇玄孫の子である五世王は王を称することはできるが皇親の範囲には入らない。」というものだとされています。

山田さんは、この規定は男子と女子を区別しておらず、親王には内親王、王には女王が含まれると説明しています。そこまではいいのです。問題は次です。

ポイントが小さくなっている「女帝の子も亦同じ」(女帝子亦同)は、令本文に付された本註で、中国の唐代の令にはない日本独自の規定ですが、「女帝の子」と読むことを誤りとし、「女(ひめみこ)も帝の子、また同じ」と読むべきだとする見方には、山田さんの言及がありません。

山田さんは、本註は、父が四世王までであれば女帝の子は親王とする意味だと解釈されている。さらに女帝の子の子孫(つまり孫王以下)も女帝を起点として数え、皇親とすると解釈されている。これに対し、女帝の兄弟については、他の条文の女帝への適用と同様に本則どおりで親王とされるため、あえて註記されていないと解釈されている、などと説明していますが、私にはまったく理解不能です。

近世の女性天皇の場合も同様ですが、「女帝の子」は歴史に存在しないのです。なぜそうなのか、が重要なのではありませんか。しかし、山田さんの論考には追究がありません。「女帝の子」と読んで、疑問を感じないからでしょう。

 【関連記事】〈短期集中連載〉「女性宮家」創設賛否両論の不明 第1回──月刊「正論」12月号https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-12-02-1
 【関連記事】田中卓先生の著作を読んで──「皇国史観」継承者が「女性皇太子」を主張する混乱https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2014-03-01


▽3 「万世一系の皇統」に抵触する

明治の旧皇室典範の制定過程ではどのような議論が行われたのか、山田さんは以下のように解説しています。

まず、元老院の日本国憲按です。山田さんがご指摘のように、国憲按(憲法草案)には、女子の皇位継承を認める規定などが盛り込まれましたが、「皇女とその配偶者から生まれる女系の子・孫は異姓であり、異姓の子が皇位継承した場合には万系一世の皇統とはいうことができない」として修正・削除が求められ、結局、右大臣岩倉具視や参議伊藤博文が反対し、不採用となりました。

女系継承容認は「万世一系の皇統」に抵触する、というのが反対の核心です。

以前、書いたように、一般には、皇位継承規定を柱とする「皇室典範」の立法が考えられるようになったのは明治14年の岩倉具視の「憲法綱領」以後といわれるようです。これに対して、戦後唯一の神道思想家といわれる葦津珍彦は『大日本帝国憲法制定史』(明治神宮編、1980年)で、「皇位継承」の条文作成の準備は元老院の「国憲按」に始まっていると指摘したのですが、山田さんも同じく「国憲按」からスタートしています。

一方、自由民権運動の高まりの中で、いわゆる私擬憲法が多数発表されました。皇位継承規定が置かれ、女子の継承を認めるものもありました。明治10年代には政治結社嚶鳴社の「女帝ヲ立ルノ可否」と題する社員による公開討論会が行われ、『東京横浜毎日新聞』に連載されました。

討論会では島田三郎が以下のような、注目すべき反対論を展開しています。

(1)我が国の女帝は欧州各国の女帝とは性質を異にし、摂位に類するものである。また、女帝が配偶者なく独身でいたことは天理人情に反し、今日では行うことはできない。
(2)女帝が婚姻するとした場合、配偶者、皇婿となる適当な人がいない。欧州各国のように外国の王族を皇婿として迎えることができず、かといって臣民では至尊の尊厳を損する。
(3)我が国の現状では、皇婿を立てると、女帝の上に一つの尊位を占める人があるように思われ、女帝の威徳を損する。また、皇婿が暗々裏に女帝を動かして政事に間接に干渉する弊がある。

これに対して、賛成論者は、女帝は四親等以上の皇族と婚姻可能であり、国会が承認すれば外国王室との婚姻を妨げるものはない、皇婿の政事への干渉は憲法に干渉を許さない旨の条文を設ければよく、規定を設けても干渉がある場合は、もはや皇婿の問題ではなく、憲法の実効性の問題である、などと、逐一反論をし、さらに反対論者が再反論を行っていると山田さんは解説しています。

このほか、反対論者の沼間守一は「女帝を立てないがために皇統が絶えたらどうするのかという論者に対しては、直ちに二千五百年皇統が絶えることなく、今後もあるはずがないと答えるだろう」とする一方で、「女帝が配偶者を持たれて、皇太子がお生まれになったとしても、天下の人心は皇統一系・万邦無比の皇太子と見奉らないのではないか」と論じました。

これに対し、賛成論者の肥塚龍は「男統の皇族がすでに絶えて女統の皇族のみ遺ったときに女帝を立てない憲法であるがために皇統外に人を求めて天子とするのかと問えば、論者は恐らく答えることができないだろう」と論じていると山田さんの論考では説明されています。

 【関連記事】女系は「万世一系」を侵す──「神道思想家」葦津珍彦の女帝論(「論座」1998年12月号特集「女性天皇への道」から)https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1998-12-01


▽4 単に「姓」が変わるのではない

山田さんによれば、明治17(1884)年になり、ヨーロッパの憲法取調から帰国した参議伊藤博文の上奏に基づき、宮中に制度取調局が設置され、伊藤がその長官を兼任しました。同局の調査を基に、皇室制度法草案である「皇室制規」が起草されましたが、これまた女系継承を認める内容でした。

この草案に対し、井上毅(宮内省図書頭)は、嚶鳴社の討論会における島田三郎と沼間守一の弁論を引用した上で、以下のように批判しました。

(1)欧州各国の女帝の例によるならば、女帝には臣籍に降下した源の某という人を皇夫に迎えることになるだろうが、女帝とその皇夫との間に皇子があれば、皇太子として位を継ぐことになり、その皇太子は源姓になり姓を易(かえ)ることになる
(2)欧州にも女子が王位につくことを認めていない国がある
(3)起草者は将来「万一ニモ皇胤絶ユルコトアル時ノ為ニ」女系継承規定を掲載したのであろうが、「将来ノ皇胤ヲ繁栄ナラシムル」方法は女帝以外にも種々ある

こうして明治19(1886)年の「帝室典則」草案では、女系・女子の継承に関係する条文全てが削除され、男系男子のみによる継承規定となりました。しかもこの「帝室典則」は結局、廃案となり、明治20(1887)年以降、内閣総理大臣兼宮内大臣伊藤博文の命により柳原前光(賞勳局総裁)と井上毅による皇室典範案の起草作業が本格化し、枢密院の審査を経て明治22(1889)年に成立しました。

その過程のいずれの案にも女子・女系継承が規定されることはなく、女子・女系継承について議論されることもなかったと山田さんは説明しています。

山田さんは明治において女系継承が否認されたのは、「欧州諸国のように女子が継承し、その女系の子が位につくと姓が変わるという理由で女系・女子の継承資格を否認し、男系男子による皇位継承制度が確立した」というのですが、単に「姓が変わる」というより「王朝が変更される」すなわち「万世一系」の原則が崩れるということでしょう。皇室には「姓」はありません。たとえばイギリスのように、王族同士の婚姻を前提とし、女王即位の次の代は王朝が父方に変更されるというわけにはいかないのです。

 【関連記事】基本を忘れた女系継承容認論──小嶋和司教授の女帝論を読むhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-31
 【関連記事】参考にならないヨーロッパの「女帝論議」──女王・女系継承容認の前提が異なる(「神社新報」平成18年12月18日号から)https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2006-12-18

結局のところ、山田さんの論考では、なぜ男系継承が続いてきたのか、理解できません。男系主義の本質に迫らなければ、歴史の外面を撫でまわすことに終始することになります。それどころか、古代には女系継承が認められていて、男系男子主義は近代の創作であるかのような皇位継承論は、このきわめて重要な時期に、国会審議に計り知れない無用の混乱をもたらすものとなるでしょう。


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椎名さん、逆に人材不足でしょ。葦津珍彦のように後進を育成する人がいないのです [皇位継承]

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椎名さん、逆に人材不足でしょ。葦津珍彦のように後進を育成する人がいないのです
(令和2年5月31日)
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皇室問題を検討する民間の研究会「時の流れ研究会」(会長=高山享・神社新報社長)が4月19日、「皇位の安定的な継承を確保するための諸課題」と題する見解を発表しました。超難問に関して、保守主義の立場から共同して真摯に取り組み、社会に情報発信する姿勢は一応、評価されます。〈https://www.jinja.co.jp/ycBBS/Board.cgi/00_backnumber_db/db/ycDB_01news-pc-detail.html?mode:view=1&view:oid=107117&opt:htmlcache=1

しかし残念ながら、いわゆる国家神道に対する誤解と偏見が根強いからでしょうか、記事に取り上げたメディアを私は寡聞にして知りません。そのなかでデイリー新潮が5月10日、『「愛子天皇」「女性宮家」否定の民間研究会 皇室問題の重鎮参加で波紋』(椎谷哲夫、週刊新潮WEB取材班)と題し、好意的に取り上げているのは異色中の異色というべきです。〈https://www.dailyshincho.jp/article/2020/05100800/?all=1&page=1

椎名さんの記事は以前、このブログで取り上げました。前回は「まったく同感」でしたが、今回は違います。「内容もさることながら」「高い見識を有する」「重鎮」たちの「提言は、波紋を呼んでおり、今後の議論に大きな影響を与えることが予想される」との見方は褒めすぎというべきで、逆に保守陣営の人材不足を露呈しているように私には思われてなりません。

 【関連記事】まったく同感──「女性宮家」を主張する朝日新聞社説に噛みついた椎名哲夫元東京新聞記者https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-01-13


▽1 あり得ないことが起きた

同研究会は、椎名さんが書いているように、所功・京都産業大学名誉教授(モラロジー研究所客員教授)、百地章・日本大学名誉教授(国士舘大学特任教授)などが参画しています。所さんは女系容認、百地さんは男系派です。水と油のようにまったく異なる意見をどう取りまとめるか、まとめられるのか、事務方の苦労はふつうなら測り切れないはずです。

ところが、まとめられた「見解」は、『「女性天皇(愛子天皇)の可能性」や「女性宮家創設」について明確に否定する一方、「元皇族の男系の男子孫(男の子孫)による皇族身分の取得」と「現宮家の将来的な存続を可能にする皇族間の養子」を可能にする法整備を提言している』(椎名さんの記事)のですから、椎名さんならずとも「注目」せざるを得ません。あり得ないことが起きたのです。

ちなみに、「見解」の中身は以下のようなものです。

まず第1に「基本方針」です。皇室の伝統と憲法・皇室典範の世襲主義、男系主義を「基本原則」とし、現在、すでに定まっている秋篠宮皇太弟、悠仁親王、常陸宮殿下への継承順位は変えられないということを「基本前提」として確認しています。

2番目は「具体策の必要性」で、悠仁親王殿下以後の時代を見越して、「皇統の歴史的な正統性(皇統に属する血統)と、法的な正当性が保持されること」を指摘しています。

3番目は、女性天皇、女系継承の否定です。①愛子内親王の皇位継承は想定し得ない、②悠仁親王の結婚後、男子がおられない場合、内親王の即位はあり得る、③女系継承は基本原則の逸脱であり、認めがたい、④いわゆる「女性宮家」創設は皇統史に前例がないことなどから認めがたい、などがその中身です。世論の対立・分裂を招く議論は天皇の権威や正統性などを損ねるとも指摘しています。

4番目は「具体策の提言」で、①皇統に属する男系男子の皇位継承資格者を確保する。そのため、昭和22年に皇籍離脱された旧宮家の元皇族の皇籍取得を可能にする、②皇族間の養子を可能にする。そのため皇室典範特例法を制定することの2点を提案しています。

そして「見解」は、「おはりに」であらためて、①適正規模の皇位継承資格者を確保するため、元皇族の男系男子孫の適任者が皇族の身分を取得されることを可能にすること。②皇族間の養子を容認し、現宮家の将来的な存続を可能にすることの2点を提言し、皇室典範特例法などの制定を期待すると訴えています。


▽2 君子は豹変す

以上から容易に理解できるように、「見解」は、水と油を中和させるものではなくて、男系主義そのものです。となると、所さんの存在は研究会にとっていかなる意味を持つのか、逆に所さんにとって研究会参加の意義は何だったのでしょうか。

椎名さんが仰せのように『これまで「愛子天皇」や「女性宮家」を容認する立場だった』所さんは、女系容認派から男系派へと華麗な転身を図ったのでしょうか。マスメディアから「女性宮家」創設=女系継承容認の言い出しっぺと名指しされた方に、そんなイリュージョンが起きるのでしょうか。

 【関連記事】再考。誰が「女性宮家」を言い出したのか──所功教授の雑誌論考を手がかりにhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-02-26

しかし面白いことは起きるものです。

所さんは東京新聞のインタビュー・シリーズ「代替わり考」(聞き手・吉原康和記者)の第4回(5月24日)に登場し、①皇位継承資格を男系男子限定から男系男子優先に変える、②内廷も宮家も男子がいなければ、女子の一人が当家を相続できるようにする、③相続者不在となる宮家に、旧宮家から養子を迎え、男子が生まれたら皇位継承資格を認める、の3案を私案として提示しています。〈https://www.tokyo-np.co.jp/article/16673

平成17年の皇室典範有識者会議のヒアリングで「女性宮家」創設をはっきりと提唱し、秋に報告書が出されると「女性天皇、女系継承、女性宮家の創立なども可能とした報告書の大筋には賛成したい」と翌日の新聞に感想を寄せ、政府にエールを送った「女性宮家」創設のパイオニアの後光はウソのように下火になり、②以外は明らかに「見解」にすり寄っています。奇跡が起きたのでしょうか。

 【関連記事】〈短期集中連載〉「女性宮家」創設賛否両論の不明 第1回──月刊「正論」12月号https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-12-02-1

しかし疑り深い私は半信半疑です。同じようなことが前にもあったからです。それは改元です。

30年前、平成の御代替わりで、所さんは「(新年号の)施行は翌年元旦から」と主張し、古来の踰年改元の考えを踏襲していたのはさすがでした。ところが令和の改元では「践祚日に新元号公表、1か月後施行」に、考えが一変されたように報道されています。君子は豹変す、です。

 【関連記事】「翌年元日」改元か、それとも「践祚の翌月」改元か ──30年で一変した所功先生「改元論」の不思議https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2018-10-07

それだけではありません。ほかならぬ神社新報(平成29年11月13日)には「践祚前日の皇位継承の儀、践祚当日の改元」を提起するエッセイを寄稿しています。〈https://www.jinja.co.jp/ycBBS/Board.cgi/00_backnumber_db/db/ycDB_01news-pc-detail.html?mode:view=1&view:oid=103304&opt:htmlcache=1

むろん主張が変わるのは否定されるべきことではありませんが、変説の理由はきちんと説明されなければなりません。椎名さんはこれが「高い見識」に見えますか。研究会の代表である高山社長は、文明の根幹に関わる重要な皇位継承問題を議論するのにふさわしい人選だとお考えでしょうか。


▽3 問われる研究者としての資質

要するに、学問的研究と政治的主張が乖離しているのです。所さんが優れた研究実績を残されていることは大いに認められるべきで、私も多くを学ばせていただきましたが、残念ながら、それ以上ではありません。

椎名さんが実名を挙げているもう1人の「重鎮」百地さんの場合は、所さんとは逆に、研究不足でしょう。

 【関連記事】〈短期集中連載〉「女性宮家」創設賛否両論の不明 第2回──月刊「正論」25年1月号https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-12-26-1

30年前の平成の御代替わりで、百地さんは、大嘗祭に国の予算をつけることができたといまも得意げに話します。宮中祭祀一般は皇室の私事だが、大嘗祭には公的性格があるから、公金を支出することが相当だとする法理論を立て、これが政府に受けいられたと自慢げです。

政教分離問題のエキスパートであることの自負が溢れんばかりですが、私はやはり半信半疑です。百地さんの主著『政教分離とは何か─争点の解明』を読んでも、政教分離とは何かがいっこうに見えてきません。本質論は見当たらないからです。あるのは訴訟論です。切った張ったの世界です。

同著には、大嘗祭の実際も意義も見えません。研究書ならいざ知らず、一般向け雑誌記事の引用で、真床追衾論と稲作儀礼の両論が併記されているだけです。むろん私が繰り返し訴えてきた「米と粟」などはどこにもありません。大嘗祭とは何かを知らずに憲法判断するのは、事実認定なしに裁判するようなものです。だから政教分離論ではなしに、訴訟論なのです。

 【関連記事】両論併記にとどまる百地先生の「大嘗祭」──百地章日大教授の拙文批判を読む その5〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2013-03-03-1
 【関連記事】神嘉殿新嘗祭の神饌は「米と粟」 ──涙骨賞落選論文「天皇とは何だったのか」3〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2019-07-14

もちろんそれでもいいのです。30年前はそれでも良かったのです。しかし30年経ったいまもなお、「私は宮中祭祀に詳しくない」などと公言して憚らないとしたら、話はまったく別です。研究者、知識人としての資質が根本的に問われるからです。

もし天皇問題の「重鎮」なら、憲法改正の第一のテーマは第1章に置くはずで、9条のテニヲハ改憲で満足するはずはないのです。天皇の祭祀=皇室の私事論は反天皇派を利するオウンゴール以外の何ものでもありません。気がつかないのでしょうか。

椎名さんはそれでも「重鎮」扱いされますか。高山社長にとって、「宮中祭祀一般は皇室の私事」と断言するような研究者を招聘する理由はどこにあるのですか。神社新報の研究会は主筆だった葦津珍彦先生の学問を継承するものでしょうが、葦津先生は宮中祭祀=皇室の私事説とまさに闘っておられたのではありませんか。敵味方は区別すべきで、それには見識が必要です。

「時の流れ研究会」は神社新報60周年事業の一環で始まったようです。若い研究者への支援も行われているようですが、それならもう一歩進めて、賞味期限切れの「重鎮」ではなくて、若い有為な研究者たちにテーマを与え、多角的、総合的な天皇研究を深めるべきではないでしょうか。次の御代替わりにきっと実力を発揮してくるはずです。神社の奉納品なら完成品が求められるでしょうが、そうではないのです。人斬りよりも人材育成が必要です。

以上、亡き上杉千郷常務が最晩年、病床で私の手を握り、「神道人を批判せよ」と命じられた言葉を胸にあえてきびしく批判させていただきました。

 【関連記事】ある神社人の遺言「神社人を批判せよ」https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2010-07-14-1


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皇兄弟による皇位継承は過去に24例。次の御代替わりは異例にあらず [皇位継承]

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皇兄弟による皇位継承は過去に24例。次の御代替わりは異例にあらず
(2020年5月24日)
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前々回、前回に続き、『帝室制度史 第3巻』(帝国学士院編纂、昭和14年)の第2章皇位継承、第1節皇位継承の本義を読みます。

今日は「第3款 皇位継承の順位」、これが最後になります。原典はむろん国会図書館デジタルコレクションです。〈https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1241583

 【関連記事】「皇統は男系に限る」と断言しつつ、根拠は神勅と歴史以外に見当たらない『帝室制度史』https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-05-10
 【関連記事】「皇統は一系にして分かつべからず」とは男系継承固持にほかならないhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-05-17


▽1 古来、一定の常典あり

『帝室制度史』は皇位継承順位について、古来、一定のルールがあったこと、しかしながら明治以前は成文法として定められることはなく、ときには異例が生じたことを解説しています。

「皇位継承の順位に関し、わが国古来おのづから一定の常典として見るべきものありたることは、史上にこれを窺ふことを得べし。
ただ、明治天皇の皇室典範制定に至るまでは、この点につき、成文の常規をもって、これを確定せるものなく、皇嗣は一定の常規に従ひ、当然に定まるにあらずして、あるいは勅命により、あるいは遺詔により、あるいは院旨により、あるいは権臣の推戴により、あるいはその他の事由により、臨時冊立せられたるものなるをもって、ときとしては、この常典によらず、時の事情に応じて、異例として見るべきものを生じたること尠しとせず」

しかしこれまで読んできたように、皇位の継承は皇胤に限られ、皇統は男系に限られます。皇位は一系で、直系の子孫へと継承されます。これが皇室のルールです。

「皇位は天皇直系の子孫に伝ふることを正則となす。
綏靖天皇の、神武天皇のあとを承けたまひしより明治天皇に至る121代の間、皇子の皇位を承けたまへるは60例、別に皇女の継承したまへる3例あり。
そのほか皇孫の皇祖父母のあとを継ぎたまへる2例をあはせて、直系の皇子孫の皇位を承けたまへるは65例に及べり」

65例ということは直系子孫以外の継承があるということです。ひとつは皇兄弟への継承です。17代履中天皇のあとの18代反正天皇が初例でした。

「皇兄弟の皇位を承けたまへるは、履中天皇の皇弟瑞歯別皇子(みずはわけのみこ。反正天皇)を立てて皇嗣となしたまひ、反正天皇崩ずるののち、皇弟雄朝津間稚子宿禰皇子(おあさづまわくごのすくねのみこ。允恭天皇)群臣に迎へられ、皇兄弟相次ぎて皇位に即きたまへるを最初の事例となす」

皇兄弟による継承は過去に24例ありました。したがって次の御代替わりは25例目ということになります。

皇兄弟間の継承のあり方もさまざまでした。

「爾来、皇兄弟の皇位を継承したまへるもの、合はせて24例に達せり。
そのなかには、皇子まさざるによりたまへるもあれど、皇子孫ますにかかはらず、なほ皇兄弟の継承したまへる例も尠からず。
皇兄弟の皇位を承けたまへるは、皇兄または皇姉のあとを承けて、皇弟の践祚したまへるをふつうとなせども、ときとしては、皇兄のかへって皇弟のあとを承けたまへるもあり。
このほか皇姉の継承したまへる3例あり。
皇兄弟の子孫の皇位を継ぎたまへるは、成務天皇のあとを承けて、皇兄日本武尊の御子仲哀天皇の即位したまひしを最初とし、合はせて8例あり」


▽2 さまざまな変則

次の御代替わりの場合はいうまでもなく、「皇子まさざる」が原因ということになります。もちろん過去に例がないことではありません。『帝室制度史』には後桜町天皇までの皇兄弟皇姉による継承、皇兄弟の子孫による継承が一覧表で載っています。

もっと珍しい例があることを『帝室制度史』は説明しています。

「さらに特殊の異例として見るべきものには、皇叔父、皇伯叔父の子孫、またはいっそう遠き皇親の皇位を継承したまへる例もあり。
武烈天皇崩じて嗣なく、継体天皇の群臣に迎へられて皇位に即きたまへるは、近き皇胤のまさざりしによる異例なり。
円融天皇ののち、後一条天皇に至るまで、冷泉天皇、円融天皇の御子孫かはるがはる即位したまひ、
亀山天皇ののち数代にわたり、後深草天皇、亀山天皇の両統迭立のことありしは、ともに特殊の事情に例として見るべく、
承久の変ののち、後堀河天皇の迎へられて皇位に即きたまひ、
南北御合体により、後小松天皇の後亀山天皇のあとを承けたまひしは、ともに国家一時の変運に基づく異例なり。
いづれも常典となすべきにあらざるは言を俟たず」

今日、「愛子さま天皇」の即位を熱望するあまり、秋篠宮親王殿下が皇太弟の地位にあることがさも異例であるかのように喧伝する人がおられるようですが、間違っています。

『帝室制度史』は庶出のケースについても言及しています。過去には非嫡出の皇子による皇位継承もありますが、その場合にもルールがありました。

「皇子孫の皇位を承けたまふは、古来嫡出をのちにするを正則とせり。
史上庶出の皇子の皇位を継承したまへる例も少なからざれども、その多くは、嫡后まさず、または嫡后に皇子の庶出なく、または嫡出の皇子の早世ありたる場合にして、しからずして、庶出の皇子の嫡出に先立ちて即位したまへるは、むしろ異例に属す。
ただ、中世以降、天皇の御正配もかならずしも皇后冊立のことなく、嫡出と庶出との区別、往々判明を闕くものなきにあらず」

皇位継承に長幼の序があることはいうまでもありませんが、ときにルールが守られないこともありました。

「皇子孫の皇位を承けたまふは、また同親等の間においては、長幼の序次により、長を先にし幼を後にするを正則とす。
時として、弟の兄を越えて皇位を承けたまへる例あれども、おほむね特殊の事情に基づく異例なり。
たとへば、綏靖天皇の皇兄神八井耳命(かんやいみみのみこと)を越えて即位したまひしは、弟皇子の功績に対し、兄皇子の辞譲したまひしにより、
円融天皇の皇兄為平(ためひら)親王を越えて皇位を承けたまひしは、御父村上天皇の叡慮により、かつ外戚の関係によるものありしがごとき是なり」


▽3 男系継承の理念は?

もうひとつの特殊事例は重祚です。2度の例があり、いずれも女性天皇でした。

「皇位継承のひとつの異例として、なほ重祚のことあり。重祚とは天皇ひとたび譲位ありたるのち、時を経てふたたび皇祚を践みたまふをいう。
史上ただ、皇極天皇の重祚して斉明天皇となり、孝謙天皇の重祚して称徳天皇となりたまひし2例を存するのみ。いづれも女帝にして、当時ともに特殊の事情ありしによる」

最後に、『帝室制度史』は明治の皇室典範制定について触れ、成文法による規定の意義を強調しています。争いが起きないようにするためでした。

「皇室典範の制定せらるるに及び、祖宗の遺範にしたがひ、古来の常典とするところに則り、はじめて成文の常規をもって、皇位継承の順位を一定し、皇嗣は冊立によらず、法定の順位にしたがひ、おのづから定まるの制を確立したまひ、もって将来ながく継承の疑義を断ち、ふたたび紛争を生ずるの余地なからしめたり」

しかし戦後、皇室典範は改正され、一法律となり、皇位継承をめぐる論争の火種を作ることになったのは皮肉です。

以上、3回にわたり、『帝室制度史』が解説する「皇位継承の本儀」について読んできました。前回も述べたように、結局、『制度史』は皇位が男系継承によって一系で紡がれてきたことを説明するものの、なぜそうなのか、神勅と歴史以外には根拠が見出せていません。男系継承の歴史の背後にどのような理念が込められているのか、現代人を十分に納得させ得る説明ができずにいます。

『帝室制度史』は当時の錚々たる法学者や歴史学者、国文学者らが参画していましたが、それでも限界があったということでしょうか。当然、昨今の女系容認派への決定的反論を提示することもできません。

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「皇統は一系にして分かつべからず」とは男系継承固持にほかならない [皇位継承]

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「皇統は一系にして分かつべからず」とは男系継承固持にほかならない
(令和2年5月17日)
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先週に続いて、『帝室制度史 第3巻』(帝国学士院編纂、昭和14年)を読み進めます。

いまや女性天皇容認派はじつに85%にも及びます(今年4月、共同通信世論調査)。皇室の歴史と伝統をまったく無視した、きわめて歪な皇位継承論議を根本的に正していくためには、先入観や偏見をいっさい排して、もう一度、基本の基本にたち返ることが必要だと考えるからです。

今日は、第2章皇位継承、第1節皇位継承の本義、第2款皇位の一系、です。原典は国会図書館デジタルコレクションにあります。〈https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1241583


▽1 「古来の正法」に反する「愛子さま天皇」論

前回、お話ししたように、『帝室制度史』は「第1款 皇位継承の資格」で、皇位は皇祖神の神勅に基づき、皇胤子孫に継承されること、皇統は男系に限られることなどを解説していますが、ついで第2款では「皇位の一系」が説明されます。

「皇統は一系にして分かつべからず。天皇直系の子孫ますかぎりは、子孫皇位を承けたまふことを古来の正法とす。
懐風藻に、葛野王の持統天皇に進奏せる言を記して、『我国家為法也、神代以来、子孫相承、以襲天位、若兄弟相及、則乱従此興』とあるは、この義を示すものなり」

第1款とあわせ読めば、皇統は直系の男系子孫に継承されていくのが「古来の正法」ということになります。昨今、「愛子さま天皇」待望論が賑々しく聞かれますが、前回、申しましたように、史上、皇女即位の例はあるにしても、「配偶まさざるに限」られ、その子孫に継承されることはありません。「皇統一系」が「正法」だからです。

男女平等論をタテに、皇女の皇位継承を期待し、そのために、皇室の伝統と法規定を破り、すでに皇嗣としての法的地位を得られた皇太弟から継承資格を剥奪するがごとき言動は、『帝室制度史』が記するように「乱」を招くものです。むしろ「乱」を煽ろうとする人たちさえいるようです。なぜそこまでしないといけないのでしょうか。

最大の問題は今上には男子がおられないことです。しかしその場合は、傍系による継承が「正則」とされました。『帝室制度史』は次のように説明しています。

「直系の子孫まさざるときは、傍系より入りて大統を継ぎたまふといへども、すでに大統を継ぎたまへば、その直系の子孫はすなはち正系の皇胤なり。いづれにせよ、皇位を承けたまふべき皇胤は、直近の天皇の直系の子孫たるべきことを正則となす。
ただ史上、ときとしてこの例によらず、直系の子孫ますも、なお兄弟叔姪相承けたまへる事例あることは、次款に述ぶるがごとしといへども、けだし祖宗の恒典にあらず」

皇室典範特例法によって、秋篠宮親王が皇嗣となられました。したがって、古来の「正則」にしたがえば、皇位は殿下の子孫に、すなわち悠仁親王へとさらに継承されることがすでに決まっています。

にもかかわらず、古来のルールに反する皇位継承を声高に主張することは、謀叛以外の何ものでもないでしょう。「皇統の危機」を解消したいのなら、「戦後唯一の神道思想家」といわれた葦津珍彦が主張していたように男統の絶えない継承法を考えるべきです。

 【関連記事】女系は「万世一系」を侵す──「神道思想家」葦津珍彦の女帝論(「論座」1998年12月号特集「女性天皇への道」からhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1998-12-01


▽2 皇位の概念が揺らいでいる

当たり前のことですが、天皇はおひとりです。おひとりでなければ一系とはなり得ません。

「皇位にますは御一人に限ることは、古今に通ずる大法なり。聖徳太子の憲法17条のなかに『国非二君、民無両主』と見え、日本書紀孝徳天皇紀に『天無双日、国無二王』とあるは、この大義を言明するものなり」

ただし史実は違います。

「ただ天日もときに蝕することあり、国家ときに異常の変なきにあらず。
寿永の乱、平氏、安徳天皇を奉じて西海にくだり、帝都君なきのゆゑをもって、天皇なほ位にます間に、後鳥羽天皇すでに践祚したまひ、
元弘の乱以後、正当の天皇ますにかかはらず、数代にわたり、足利氏はべつに天皇を擁立したるがごとき、
一時国に両主あるがごとき外観をなすに至れりといへども、これ国家異常の変運にして、もとよりもって常規となすべきにあらず」

さすがに法が支配する現代では、南北朝時代のような「異常」はあり得ないでしょうが、「上御一人」の原則を揺るがす別の問題なら現実に起きています。私が以前から指摘している「一夫一婦」天皇制の弊害です。民間から入内した皇后はあくまで「見なし皇族」に過ぎませんが、平成の時代には国事行為の代理まで行われています。

天皇(先帝)はご多忙で、ご公務のご負担を軽減しなければならない。そのため女性皇族にご公務を分担していただく。だから「女性宮家」創設が必要だというのが園部逸夫元最高裁判事ら政府側の説明でしたが、実態としてはすでに、皇后おひとりによる国事行為の代行(外国離任大使のご引見)が行われていたのです。

宮内庁のホームページには今上陛下と皇后陛下がごいっしょの写真が掲げられていますが、イギリス王室ならトップに登場するのはHer Majesty The Queenおひとりです。フィリップ王配はあくまでPrinceです。皇位の概念が揺らいでいることが、皇位継承問題が混乱する最大の原因でしょう。

 【関連記事】「皇室制度改革」、大いに異議あり ──すり替えと虚言を弄する政府の「女性宮家」創設https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-10-21


▽3 あり得ないことばかりが起きている

皇位が一系であるためには、皇位継承に空白があってはなりません。これも当然の「理法」です。

「皇位は1日も曠(むな)しくすべからず。皇位の継承に間隙を許さざることは、古来つねに理法として認められたるところなり」

むろん歴史の事実は違います。

「ただ事実においては、天皇譲位の場合には、皇嗣禅を受けて直ちに践祚したまふを常例とすれども、天皇崩御の場合には、皇嗣ただちに践祚したまはず、崩御と践祚との間に、事実上若干の空位期間を存するをむしろ恒例となしたり。
その間ときとしては、歳月にわたれることもなきにあらず。
日本書紀仁徳天皇紀に『爰皇位空之、既経三載』といひ、允恭天皇紀には『大王辞而不即位、位空之、既経年月』とあるがごとき、その著しきものなり。
ただ皇嗣ひとたび践祚したまへば、その存在は、理論上先帝崩御の時に遡るものと見るべく、たとへば古事記に、応神天皇は胎中にまししときよりすでに国をしらせたまひしものとなし、日本書紀にも『胎中之帝』と記せるがごとき、その義を示すものなり。
皇室典範の制定にいたり、天皇崩ずるときは、皇嗣すなはち践祚すと規定し、皇位の1日も曠闕すべからざる大義を昭明したまへり」

近代以降、皇位継承のあり方は明文法で規定されることになり、明治22年の皇室典範は「天皇崩スルトキハ皇嗣即チ践祚シ」(第10条)と定めていましたが、明治天皇の崩御は明治45年7月29日午後10時43分。これでは皇位継承の儀礼は間に合いません。公式の崩御時刻は2時間後の翌日未明とされました。「胎中之帝」とは逆に、明治天皇は行政上、延命させられたのです。

 【関連記事】所功先生、いまさらの「政府批判」の真意 ──もしかして矛先は男系男子継承維持派に向けられているhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2018-09-24

今回の御代替わりは先帝譲位に基づくものでしたから、このような混乱はありませんでしたが、歴史にない「退位の礼」が創設され、「退位」と「即位(践祚)」の儀礼が日を違えて別々に行われることとなったのは前代未聞、痛恨の極みでした。

「皇位の一系」「皇位は1日も曠しくすべからず」を体現するのが三種の神器の存在で、明治の皇室典範が「天皇崩スルトキハ皇嗣卽チ踐祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク」と定めたとおりですが、昨年4月30日の退位の礼以後、翌日の剣璽等承継の儀(剣璽渡御の儀)まで、剣璽はどこに奉安されていたのでしょうか。

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いま新型コロナ感染拡大防止に配慮して延期されている「立皇嗣の礼」についても、同じことがいえます。皇嗣とともにあるべき壺切御剣が秋篠宮親王の元にないという情況はいつまで続くのでしょうか。それとも賢所への奉告も済んでない殿下のお手元にすでにあるのでしょうか。

二千数百年といわれる皇室の歴史にとって、あり得ないことばかりがおきているように思われてなりません。


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「皇統は男系に限る」と断言しつつ、根拠は神勅と歴史以外に見当たらない『帝室制度史』 [皇位継承]

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「皇統は男系に限る」と断言しつつ、根拠は神勅と歴史以外に見当たらない『帝室制度史』
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しばらく皇位継承のあり方について、考えてみたいと思います。今日は『帝室制度史 第3巻』(昭和14年)を読みます。

『帝室制度史』全6巻は戦前、帝国学士院(いまの日本学士院)が編纂しました。6巻すべてが「第1編 天皇」に当てられていて、第1・2冊は「第1章 国体」、第3・4冊は「第2章 皇位継承」、第5冊は「第3章 神器」、第6冊は「第4章 称号」という構成です。

「第2章 皇位継承」は「第1節 皇位継承の本義」「第2節 皇位継承の原因」(以上、第3冊)「第3節 皇位継承の儀礼」「第4節 皇嗣」(以上、第4冊)から成ります。

私の問題関心は、なぜ皇位は古来、男系継承なのか、なぜ女系は否認されるのか、であり、したがって今日、これから読もうとするのは、第2章の第1節「皇位継承の本義」ということになります。

まず「第1款 皇位継承の資格」です。読者の便宜に配慮し、多少の編集を加えることとします。原典は国会図書館デジタルコレクションにあります。〈https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1241583


▽1 皇祖神の神勅に基づく皇統連綿

「大日本国皇位は、皇祖、国を肇めたまひしより万世一系、皇胤子孫これを継承したまふことは、わが国家の大法にして、古今に通じ、永遠にわたりて変することなし」

当然のことながら、『帝室制度史』は開闢後の歴史から説き起こし、肇国以来の万世一系、皇統連綿を強調しています。永遠の大法だと指摘している点も見落とせません。

「はじめ天照大神、皇孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)をこの土に降臨せしめたまひてより、その御子彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、その御子鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)、相承けて統を継ぎたまひ、鸕鶿草葺不合尊の御子すなはち神武天皇にして、第一の天皇と仰ぎ奉る。これよりのち、皇統連綿、子孫相承けたまひ、宝祚の隆なること天壌とともに窮なし」

『帝室制度史』は皇祖神から初代神武天皇までの歴史を簡単に振り返り、皇統が皇胤に限られる根拠は皇祖天照大神の神勅に基づくと指摘しています。皇祖神が天孫降臨に際して、瓊瓊杵尊に三種の神器を授け、「葦原千五百秋瑞穂の国は、是、吾が子孫の王たるべき地なり」などと、いわゆる天壌無窮の神勅を与えられた物語はよく知られています。

「皇位を承けたまふは皇胤に限る。これ皇祖の神勅において、すでに明示したまへるところにして、政権ときに推移あり、国運ときに盛衰なきにあらざれども、この大義に至りては、かつて微動だにせず」

『帝室制度史』は『日本書紀』などいくつかの資料を示し、皇統が皇胤に限られること、歴代天皇はこの神勅に基づいて皇位を継承してきたことを説明しています。皇胤ではないものによる皇位継承は永遠にあり得ないことになります。ただし、神話や神勅を否定するなら話は別です。あり得ないことがいま起きているとすれば、その背景には戦前までの歴史を否定する無神論的歴史観があるということでしょうか。

 【関連記事】天皇制をやめるんですか──伊藤智永・毎日新聞編集委員の皇室記事を読んでhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-01-05
 【関連記事】憲法の原則を笠に着る革命思想か。ジェンダー研究者の女性天皇論を読むhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-02-22


▽2 上古の成法の例外、賜姓皇族の例外

皇胤といっても、皇位継承資格が認められる範囲には古来、限りがありました。

「皇胤子孫、何世に至るまで皇位を受けたまひ得べきかについては、大宝令には、五世以下皇親のかぎりにあらずとなせり」

大宝律令では、天皇の五世以下は皇族とはされず、皇位継承資格はないとされました。「親王より五世は、王の名得たりといへども、皇親の限にあらず」(継嗣令)。しかし歴史上の例外がありました。

「されど継体天皇の、応神天皇五世の孫をもって皇祚を受けたまへるを見れば、これ必ずしも上古の成法にあらざるを知るべし」

武烈天皇のあと皇位を継承した継体天皇は、応神天皇の五世の孫でした。

中世になると賜姓が行われるようになります。賜姓皇族には皇位継承権はありません。しかしこれにも歴史の例外がありました。

「中世以後、親王、王、賜姓のこと起こりてより、皇子皇孫といへども、姓を賜はりたるうへは、皇親の身分を失ひ、皇位継承の資格なきを常例とせり。ただし光孝天皇の皇子定省(さだみ。宇多天皇)の賜姓後親王に列し、皇位に即きたまへるは、唯一の異例なり」

宇多天皇は、父光孝天皇によって臣籍降下されていましたが、父帝崩御ののち皇籍に復し、立太子ののち践祚しました。

明治になると明文法としての皇室典範(明治22年)が制定され、永世皇族制が定められました。しかし皇室典範増補(同40年)では臣籍降下が制度化され、降下した皇族の復籍は否定されました。

「皇室典範の制定に至り、皇男子孫は永世にわたり皇族の身分を有し、したがひてまた、皇位継承の資格を失はざるものと定めたまへるとともに、皇室典範増補により、王に家名を賜ひ華族に列せしむるの制を定め、また皇族の臣籍に入りたる者は、皇族に復することを得ずと定めたまへり」

敗戦後、皇籍を離脱した旧皇族の復帰がいま提案されていますが、復籍を否定する古来の考え方が大きく立ちはだかっています。

 【関連記事】女系は「万世一系」を侵す──「神道思想家」葦津珍彦の女帝論(「論座」1998年12月号特集「女性天皇への道」から)https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1998-12-01


▽3 皇女即位あるも配偶まさず

なぜ女系は認められないのか、『帝室制度史』は以下のように説明しています。

「皇統はもっぱら男系に限る。皇女、臣籍に婚嫁したまへば、その所出はもとより皇胤のかぎりにあらず。推古天皇以後、ときとして、皇女即位の例あること、つぎに述ぶるがごとくなれども、皇女の即位したまふは配偶まさざる場合に限れり。けだし夫に従ふの義と相容れざるによるなり。

皇統の男系主義は社会全般の男系継承主義を前提としているようにここでは読めます。皇女の即位もあくまで例外と考えられ、独身を貫くことが前提とされています。

「皇位を承けたまふは、男系の皇子孫に限るのみならず、また皇男子に限るを上古以来の常典とす。神武天皇より崇峻天皇に至るまで32代、かつて女帝の立ちたまへる例なかりき。ゆえに神功皇后は、大政を行はせらるること69年に及びたれども、即位のことなく、摂政をもって終りたまへり。清寧天皇の崩後、皇嗣辞譲して践祚したまはざるにより、飯豊青(いいとよあお)尊は、政を秉(と)りたまふこと約10か月、また皇位に即きたまはざりき」

飯豊青皇女は飯豊天皇とも称されますが、不即位天皇という扱いのようです。大きく変わるのは推古天皇以後です。しかし女性天皇はやはり例外扱いでした。

「推古天皇以来、皇女即位の例を生じたりといへども、けだし事情やむを得ざるに出づる異例なり。その多くは、皇嗣の成長を待ちたまふがためにして、
舒明天皇崩御のとき、妃腹の皇子中大兄(天智天皇)なお年少なりしをもって、皇后宝皇女(たからのひめみこ)立ちたまひて皇極天皇となりたまひしがごとき、
文武天皇崩じたまへるとき、皇子首(おびと。聖武天皇)なお幼少なりしにより、元明、元正両女帝相継いで立ちたまひしがごとき、
桃園天皇崩じたまへるとき、皇姉後桜町天皇たちたまひて、皇子英仁親王(後桃園天皇)の成長を待ちたまひしがごときみなこれなり」

女帝は「中継ぎ」といわれるゆえんです。それにしてもなぜ女帝は否認されるのか、男系主義の本質は何でしょうか。

 【関連記事】どうしても女性天皇でなければならないのか。男系を固守することは不正義なのか。なぜ男系の絶えない制度を考えようとしないのか?https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-02-09
 【関連記事】男系継承派と女系容認派はカインとアベルに過ぎない。演繹法的かつ帰納法的な天皇観はなぜ失われたのかhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-04-05


▽4 皇家の家法を確立した旧皇室典範の男系主義

ほかの要素も指摘されています。天皇の外戚の存在です。

「ときとしては、また外戚の権勢によると推測せらるるものなきにあらず。崇峻天皇の崩後、欽明天皇の皇女にして、敏達天皇の皇后たりし豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ。推古天皇)の皇位に即きたまひしがごとき、後水尾天皇譲位の際には、皇子あらざりしをもって、皇女興子(おきこ)内親王(明正天皇)を立てたまひしがごときこれなり」

「そのほか、天智天皇の皇女にして、天武天皇の皇后たりし持統天皇の、はじめ朝に臨みて制を称し、皇太子草壁皇子薨去ののち、皇位に即きたまひしは、天武天皇の諸皇子まししも、おのおの異腹の所出にして、紛争の眼前に迫りしによることは、史上にこれを徴すべく、
聖武天皇、皇太子夭したまひてのち、皇后安宿媛(あすかべひめ)の生むところの阿倍(あべ)皇女を皇太子に立てたまひ、皇太子のちに孝謙天皇となりたまひしは、とくに異例に属すれども、安宿媛が、臣下の女をもってはじめて皇后に立ちたまひしに合せ考ふれば、また外戚藤原氏の権勢によるところなしといふべからず」

こうして『帝室制度史』は女性天皇があくまで例外であることを強調し、明治の皇室典範が定める男系継承主義こそが皇家の家法を永遠に確立するものだと言い切っています。

「かくのごとく皇女の皇位を継承したまひしは、いづれも一時の権宜にして、祖宗の遺法にあらず。ゆえに皇室典範の制定に至り、『大日本国皇位は祖宗の皇統にして男系の男子、これを継承す』と規定して、皇祚を祚みたまふは、男系の皇男子に限ることを明らかにせり。けだし祖宗の遺意を紹述して、永遠の恒典を確立したまへるなり」

したがって女性天皇の制度化はむろん、まして女系継承容認はあり得ないということになりますが、その根拠は結局のところ、天壌無窮の神勅と皇統史の実態以外には見当たらないように見えます。既述したように、『帝室制度史』は全6巻のうち1、2巻が「国体」に当てられています。「国体」論の立場から女系継承否認論が展開されてもいいのではと思いますが、そうした解説はありません。

『帝室制度史』はこのあと、「ここに歴代天皇の略系を掲げ、もって皇位継承の史実を概観せんとす」と述べ、系図を載せていますが、ここでは引用を省略します。

 【関連記事】櫻井よしこさん、守られるべき天皇の伝統とは何ですか。祭祀の本質とは何ですか?https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-03-28
 【関連記事】八木秀次教授の「皇位継承論」は女系容認論にどこまで有効なのか?https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-05-04


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八木秀次教授の「皇位継承論」は女系容認論にどこまで有効なのか? [皇位継承]

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八木秀次教授の「皇位継承論」は女系容認論にどこまで有効なのか?
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4月27日の産経新聞「正論」欄に、八木秀次・麗澤大学教授のエッセイ「安定的な皇位継承確保のために」が載りました〈https://special.sankei.com/f/seiron/article/20200427/0001.html〉。おおむね同意するし、教えられるところが多々ありましたが、逆に、八木さんの皇位継承論がいまどこまで有効なのか、私は半信半疑です。今日はそのことを書きます。
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平成8年ごろから20数年来、政府・宮内庁が非公式に、あるいは公式に進めてきた皇位継承制度の改革、すなわち女系継承容認、「女性宮家」創設に関して、八木さんは3つの問題点を指摘しています。


▽1 合憲性、正統性、起点

1点目は憲法上の問題です。女系継承容認、「女性宮家」創設は合憲性に疑いがあるという指摘です。

憲法は「皇位は世襲」と定めていますが、「少なくとも女系ということは、皇位の世襲の観念の中に含まれていない」というのが現行皇室典範起草時の政府の憲法解釈(昭和21年7月25日、宮内省)だから、女系継承を織り込んだ女性天皇、女性宮家の実現には憲法改正を必要とすると八木さんは説明しています。仰せのとおりです。

憲法が定める「世襲」は単に血が繋がっているという意味ではありません。小嶋和司・東北大教授(憲法学。故人)が指摘したように、dynastic の和訳であり、「王朝の支配」の意味でした。王朝の変更をもたらす女系継承は憲法に反します。八木さんの指摘はまったく正しいと思います。

 【関連記事】基本を忘れた女系継承容認論──小嶋和司教授の女帝論を読むhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-31

八木さんが指摘する2点目は「正統性」です。

初代天皇以来、男系の血統に連なることが天皇・皇族の正統性の根拠であり、したがって、女系継承を認めれば、継承の資格者は拡大するが、従来は皇族となれない者が皇族となり、正統性が失われ、尊崇の念も薄れ、皇位の安定性は大きく揺らぐと訴えています。

八木さんは、「潜在的な有資格者が一気に増え、自分も天皇の女系の子孫であり、皇族の資格があると言い出す者も出てくる可能性もある」と危惧していますが、以前から指摘してきたように、「すべて国民はひとしく皇族になる権利を有する」のなら、もはや天皇・皇族とはいえません。

 【関連記事】「女性宮家」創設の提案者は渡邉允前侍従長──ねじ曲げられた前侍従長の「私見」 1https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2017-05-11

3番目の指摘は、皇位継承資格の「起点」です。

八木さんは、多くの女系容認論では、男系女系を問わず、上皇陛下の子孫を皇族とする考えのようだが、現在の皇族は大正天皇の男系子孫であり、三笠宮、高円宮の女王殿下方が仮に独身であれば、皇族であり続ける。その存在を否定できないと指摘しています。

そうなのです。女子に継承資格を認めるとして、具体的に誰に認められるべきなのか、大問題です。

このあと八木さんは、「皇族の範囲は初代天皇の男系子孫であることを前提としてその時々の事情に応じて調整してきた」として、平安以後の歴史を振り返り、臣籍降下の事例とは逆に、第59代宇多天皇や第60代醍醐天皇のように臣籍から天皇になった例もある、世襲親王家から天皇を輩出した例もある、と解説しています。

さらに、明治政府が財政事情の理由から増えすぎた皇族を減らすために皇室典範に臣籍降下を規定しようとしたが、明治天皇の反対にあったこと、明治末期になって皇位継承の心配が遠のき、王の臣籍降下を規定した「皇室典範増補」が制定されたこと、などを説明しています。

そして、皇位継承の「起点」はあくまで初代天皇に置かれるべきだと訴え、伏見宮系の今に続く男系子孫を現在の宮家の養子とするなど皇籍取得を実現することが伝統にも沿い、「安定的な皇位継承確保」に最も適うと指摘しています。


▽2 議論が噛み合わない理由

ご主張は理解できるし、おおむね仰せのとおりかと思いますが、八木さんの皇位継承論は、政府・宮内庁がとうの昔に、舵を切った女系継承容認=「女性宮家」創設に対して、どこまで有効なのでしょうか。私は少なからず疑問を感じています。必ずしも八木さんの責任ではないにしてもです。

問題点は2つあります。

1点は、皇位継承論を考える歴史のスパンが異なるということです。

八木さんの「正統性」「起点」はむろん初代天皇以来の126代の歴史を根拠としています。ところが、政府・宮内庁ほかの女帝容認論はそうではなく、日本国憲法を「起点」とする戦後の2.5代象徴天皇以外に関心を持とうとしないようです。

天皇は国事行為しかなさらない、その天皇が不在なら国会も開けない、国会を召集するのに男女の別はありえない、それなら「女性天皇・女系天皇への途を開くことが不可欠」(皇室典範有識者会議報告書「結び」。平成17年11月)という結論は当然であり、八木さんの継承論とは議論が噛み合うはずはないのです。

つまり、八木さんが熱く訴える皇位継承論ではなくて、より本質的な皇位論、天皇観が問われているのではありませんか。2点目はそれです。

126代続いてきた天皇は、けっして国事行為しかなさらない天皇ではありません。天皇とは何だったのか、当たり前過ぎて見失われがちな、天皇の存在理由を深く自覚することなくして、女性天皇容認はおろか、歴史にない女系継承容認=「女性宮家」創設論に理論的に対抗し、凌駕していくことは難しいのではありませんか。

女系継承容認とは畢竟、天皇を御公務をなさる特別公務員であり、名目上の国家機関に押し込めるネオ天皇制創設の革命思想なのだろうと私は考えています。政教分離原則を盾に天皇の祭祀大権を奪っただけでなく、今度は憲法を根拠に、憲法が定める天皇のあり方を抜本的に変更する、そのことを可能にする憲法の体制にむしろ誤りがあると私は考えますが、八木さんはいかがですか。

 【関連記事】女系継承は天皇の制度といえるのか──皇室典範有識者会議を批判する(「正論」平成17年12月号から)https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2005-12-01
 【関連記事】支離滅裂なり!! 「女性宮家」創設の「論点整理」──変質した制度改革の目的意識https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-10-14-1?1588571909
 【関連記事】「皇室制度改革」、大いに異議あり ──すり替えと虚言を弄する政府の「女性宮家」創設https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-10-21?1588572521
 【関連記事】「2つの柱」は1つ ──「女性宮家」創設の本当の提案理由 4https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2017-05-28?1588575104
 【関連記事】天皇制をやめるんですか──伊藤智永・毎日新聞編集委員の皇室記事を読んでhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-01-05
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「愛子さま天皇」か旧皇族復帰か、皇位継承問題を単純化する現代人の3つの病理 [皇位継承]


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「愛子さま天皇」か旧皇族復帰か、皇位継承問題を単純化する現代人の3つの病理
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さて、今日は三題噺を書きます。無機質論的な議論への違和感、性急に解決法を求める悪癖、議論の主体の不在の3つ。ひとまとめにするなら、現代人の病理というようなものでしょうか。


▽1 Y染色体の維持が目的ではあり得ない

皇位継承問題に関する最近の議論を眺めていて、唐突ながら、思い出したことがあります。韓国宮廷料理研究の第一人者で、韓国の人間国宝・黄慧性(ファン・ヘソン。故人)さんの鋭い指摘です。

 【関連記事】相次いで亡くなった日韓の架け橋https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2006-12-26?1587866321

以前、韓国文化専門家の友人の案内でソウルを旅したとき、かつて朝鮮神宮が鎮まっていた南山の頂上にある韓国宮廷料理専門店で、夜の宴がありました。主賓は友人が「母」と慕う黄さんでした。黄さんの存在なくして韓国宮廷料理研究はなく、このお店の存在も同様でした。

このとき優雅なチマチョゴリを召した黄さんが教えてくれた、もっとも心に残っているお話は、「最近の研究者は栄養学的な視点ばかりで宮廷料理を研究したがる」というじつに興味深い指摘でした。

宮廷料理は朝鮮半島全域から食材が集められ、調理されます。国王1人では食べ切れるはずもない数々の料理がテーブルに並ぶのですが、それは国王の食事が実際に食べるというより、国王が全国土を支配するという、儒教的な精神と不可分一体の儀礼だからなのでした。

ところが、最近の研究者たちは、精神的側面には見向きもせず、やれタンパク質がどうだ、ビタミンがどうだという議論に終始し、満足している。それでは宮廷料理を理解することにはならないだろうというのが黄さんの嘆きでした。三大栄養素などを摂取することが国王の食事ではないからです。無機質的レベルに還元して、儒教精神に立脚する韓国王制を理解することはできないからです。

最近の皇位継承論議にも似たようなところがあります。たとえば男系固持派の八木秀次さんが言い出したY染色体論です。多くの男系派の心を捉えていますが、皇位が男系男子で継承されてきたのなら、男子の性染色体が受け継がれるのは理の当然とはいえ、男系による皇位の継承はY染色体の維持が目的ではあり得ません。

要は生物学的に理解が早いということであって、あくまで結果に過ぎません。逆にY染色体の維持が目的なら、遺伝子操作でもいいのか、という極論も成り立ちます。天皇は遺伝子の塊ではないのです。

以前、雑誌「正論」に書きましたが、大和言葉の「ち」(地、血など)にはAとBとをつなぎ、どこまでも続いていくという意味があります。また、「ち」は「し」(霊)と同義であり、血統=霊統なのだといわれます。霊統たる皇統はY染色体で説明できるでしょうか。

 【関連記事】伝統主義者たちの女性天皇論──危機感と歴史のはざまで分かれる見解(「論座」平成16年10月号から)https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2004-10-01
 【関連記事】女系継承は天皇の制度といえるのか──皇室典範有識者会議を批判する(「正論」平成17年12月号から)https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2005-12-01
 【関連記事】もっと聞きたい、園部参与との丁々発止──八木秀次教授の「女性宮家」ヒアリングを読むhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-08-05-1

男系継承にどのような深い基本的理念が込められているのか、天皇統治の歴史的あり方そのものが深く探求されないのなら、韓国宮廷料理研究が栄養学的分析に留まっているのと大して変わらないことになりませんか。逆に、男女平等の普遍的原則を掲げる女系継承容認派の方が、はるかに理念的であるのはなんと皮肉なことでしょう。男系派こそ理念的であるべきなのに。

 【関連記事】憲法の原則を笠に着る革命思想か。ジェンダー研究者の女性天皇論を読むhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-02-22


▽2 当事者たる皇室が蚊帳の外に置かれる論外

じゃあ、どうするのか、反論がすぐさま聞こえてきそうです。

そうなのです。現代人は自分では考えずに、まるで水道の蛇口をひねるかのように、スマホの画面をタップするかのように、すぐに、簡単に、しかもタダで、他人から答えを引き出そうとします。2つ目の問題はそれです。

必要なのは結論だけで、思考の過程は問われませんから、即答を渋ると、動きの悪いPCのように、途端に嫌われます。Twitterのように、短文で、右が左かという単純な議論がウケることになります。自分の好みに合わないなら、即座に捨てられます。

案の定、皇位継承問題は「愛子さま天皇」を認めるか、旧皇族の復帰かという二者択一の議論となってきました。選択肢はほかにないのでしょうか。

3つ目の問題として、なんとも恐ろしいことに、議論の主体となるべき皇室の姿がどこにも見当たりません。皇室問題なのに当事者たる皇室が排除されています。まったくあり得ません。

今回の議論は平成8年ごろ、宮内庁内で非公式の検討が開始されたというのが起点でした。やがて公式研究に代わり、有識者会議なども開かれましたが、皇族方の意見は一切排除されました。羽毛田長官が異論を述べる寛仁親王の口封じをしたことは記憶に新しいところです。論外です。

 【関連記事】〈第1期〉「皇統の危機」を背景に非公式研究開始 ──4段階で進む「女性宮家」創設への道https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2017-09-23
 【関連記事】皇統を揺るがす羽毛田長官の危険な〝願望〟(「正論」平成21年12月号から)https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2009-12-01-2

つまり、政府・宮内庁が20数年、研究と議論の対象としてきたのは、126代の皇位継承ではなく、2.5代の皇位継承なのです。国事行為のみ行うのが天皇なら、男女の別は当然、問われません。「世襲」なら男でも女でもいいという結論になります。

憲法の国民主権主義に立脚する象徴天皇の法的地位は、あくまで国民の総意に基づくのであって、したがって皇族方が議論に参加することは許されません。天皇は国政に関する権能を有しないというのが憲法の規定であり、憲法こそ最高法規です。

そして、案の定、保守派と革新派、女帝容認派と否認派が入り乱れて、甲論乙駁の論争が展開されています。議論の中心であるべき皇室はむろん徹頭徹尾、蚊帳の外です。

皇室の伝統が大切だと訴える男系派なら、判断は皇室にお任せすべきだと主張してもいいはずなのに、どうもそうはなりません。国民主権の考え方や憲法第一主義に誤りがあると指摘する憲法学者がいてもいいはずなのに、改憲論といえば9条のテニヲハを変えるぐらいの議論しか聞こえてきません。国家百年の計、千年の計に立つ議論ができないのです。

 【関連記事】百年の計に耐えうる運動を ──依命通牒の「廃棄」をご存じない? 7https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2017-08-20

国民主権論に立ち、国民的議論を煽る女系容認派に、同じ土俵に引き込まれ、引きずられて、ピエロのごとく踊らされっ放しなのが、いまの男系派の悲しき実態です。

言論は自由ですから、議論は大いにあっていいでしょうが、より本質的で、客観的で、建設的で、慎重な、そしてけっして感情的にならない、「君子の論争」が心から望まれます。そして最後の結論は、国民が出すのではなく、皇室のご判断を仰ぐべきであって、そのための国民的論争であるべきだろうと私は考えますが、いかがでしょうか。

 【関連記事】女系は「万世一系」を侵す───「神道思想家」葦津珍彦の女帝論(「論座」1998年12月号特集「女性天皇への道」から) https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1998-12-01
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