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男系継承派と女系容認派はカインとアベルに過ぎない。演繹法的かつ帰納法的な天皇観はなぜ失われたのか [皇位継承]

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男系継承派と女系容認派はカインとアベルに過ぎない。演繹法的かつ帰納法的な天皇観はなぜ失われたのか
《斎藤吉久のブログ 令和2年4月5日》
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秋篠宮文仁親王殿下の「立皇嗣の礼」が19日に行われます。むろん殿下は昨年4月末日の皇室典範特例法施行に伴い、すでに「皇嗣」の地位にあります。令和の次の天皇は殿下に決定済みなのであり、皇統は弟宮に移ることが法的に決しています。これを公式に「宣明」されるのがこの儀式です。

ところがこの期に及んでもなお、「陛下の次は愛子さまに」という期待の声があとを断ちません。皇室伝統の男系継承主義に反し、秋篠宮親王、悠仁親王を差し置いて、皇室のルールではなく民意を根拠として、愛子内親王の皇位継承を敢行しようとする気運の背景には何があるのでしょうか。20年前はたかだか5割弱の女帝容認でしたが、いまや8割にも及んでいます。男系派は押される一方です。

男系固守と女帝容認とは正反対のはずです。しかしじつのところ両者は親を同じくするカインとアベルではないのかと私は疑っています。それは論理構造が演繹法的で、共通しているからです。

演繹法は現代人には分かりやすいですが、古来の演繹法的かつ帰納法的な天皇意識とは論理的に異なることになります。女系派ならいざ知らず、男系派が演繹法のみに固執するかぎり、神が異なる一神教同士のように対立が先鋭化するだけでなく、皮肉なことに、対立する女帝派の演繹法的論理を後押しするオウンゴールを蹴り続ける矛盾を犯すことになります。女系派の圧勝はその結果でしょうか。

うまく説明できるかどうか不安ですが、今日はそのことを書きます。


▽1 男系派と女系派それぞれの論理

男系継承固守派は皇室の「歴史と伝統」を根拠としています。皇祖神の存在がまずあり、『古事記』『日本書紀』などの古典があり、天壌無窮の神勅ほか三大神勅による国体論が導かれ、初代神武天皇以来、男系で継承されてきた万世一系の皇統史が強調されます。

櫻井よしこさんや竹田恒泰さんのように天皇の祭祀に注目される方々もおられます。明治以前は御所に内侍所があり、東京奠都後は宮中三殿が置かれることとなりました。宇多天皇以後、歴代天皇は雨の日も風の日も、国と民のために祈る石灰壇御拝を欠かされず、近代以後は側近による毎朝御代拝に変わったものの、いまもその祈りは続いています。
(画像は京都御所・清涼殿の石灰壇)
京都御所・清涼殿の石灰壇

承久の変の前夜、順徳天皇が書かれた『禁秘抄』の冒頭には「およそ禁中の作法は神事を先にす」とあり、古来、天皇の公正かつ無私なる祈りが天皇第一のお務めとして、126代続く、男系によって切れ目なく継続してきた価値を男系派は重視しています。

つまり、皇祖神→天孫降臨神話→宮中祭祀→男系固守という論理の流れになります。江戸時代に興ったという国学の論理もおおむね同様で、国学、神道学を学んだ人たちの多くはこの論理で男系継承を強く支持することになります。

 【関連記事】櫻井よしこさん、守られるべき天皇の伝統とは何ですか。祭祀の本質とは何ですか?https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-03-28
 【関連記事】過去の遺物ではなく時代の最先端を行く天皇 ──竹田恒泰氏の天皇論を読む 番外編https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2016-05-22

一方、女系容認派が依拠する第一の論拠は日本国憲法です。天皇の地位は主権者である国民の総意に基づいています。天皇は憲法に基づいて、国事行為のみを行う「象徴」という位置づけになっています。

象徴天皇はまた行動する天皇であり、被災者に寄り添い、非命の犠牲者に祈りを捧げるなどの御公務によって国民の絶大な信頼と支持を得ています。国事行為や御公務をなさるのに男女の区別はあり得ません。新しい2.5代天皇論の考え方です。渡邉允元侍従長や河西秀哉准教授などはこの立場になります。

論理構造とすれば、憲法→象徴天皇論→国事行為・御公務→女帝容認という流れです。

 【関連記事】宮中祭祀を蹂躙する人々の『正体』──「ご負担軽減」の嘘八百。祭祀を簡略化した歴代宮内庁幹部の狙いは何かhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2009-09-01-2
 【関連記事】「女性宮家」創設の提案者は渡邉允前侍従長──ねじ曲げられた前侍従長の「私見」 1https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2017-05-11
 【関連記事】天皇の祭祀を完全無視する河西秀哉准教授の「愛子さま天皇」容認論https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-03-21


▽2 いずれも古来の天皇観とは異なる

論理はそれぞれ成り立ちます。いずれも大前提となる神の存在があり、神の言葉があり、経典と教えがありますが、出発点となる神は異なります。片や皇祖神、片や憲法典、これでは議論は噛み合いません。いずれも一神教のドグマに陥っているからです。「あなたには私のほかに神があってはならない」(モーセの十戒)という一神教の原理からすれば、他者の存在を肯定することは許されません。

しかも先帝は「大行天皇の御遺徳に深く思いをいたし……日本国憲法を守り」(「即位後朝見の儀」のおことば。平成元年1月9日)と明言され、今上も「上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し……憲法にのっとり」(同。令和元年5月1日)などと、皇室の伝統と憲法の原理の両方を尊重することを宣言しておられますから、話は複雑です。男系派も女系派もそれぞれが錦の御旗を手にしたつもりになり、議論はますます対立的になります。

けれども、私はどちらも間違っていると考えています。スメラギ、スメラミコトと称された古来の伝統的天皇観はもっと違うと思うからです。現行憲法を神とする女帝容認論が126代天皇の存在を前提としていないのは明らかですが、皇祖神を原点とする男系派の論理もまた、国と民をひとつに統合する機能を天皇第一の務めと考える古来の天皇観とは必ずしも一致しないと思うからです。

女帝どころか、歴史にない女系継承まで容認した平成17年の皇室典範有識者会議は、「伝統」の尊重を基本的視点の1つに置きましたが、それはあくまで日本国憲法を第一の神とする戦後60年の象徴天皇制度の「伝統」でした。「さまざまな天皇観があるから、さまざまな観点で検討した」(「はじめに」)といいつつ、神代にまで連なる皇室の天皇観は顧みられず、皇族方の意見に耳を傾けることもしませんでした。その結果が「女性天皇・女系天皇への途を開くことが不可欠」(「結び」)という結論でした。

 【関連記事】削減どころか増えている陛下のご公務──皇室典範有識者会議報告書を読み直す その2https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2009-04-07

もう一方の男系派はどうでしょう。皇祖神の存在を前提とし、皇室の古い伝承に基づいた論理からすれば、一見すると皇室の天皇観とぴったり合致しているように見えます。しかし違うのです。古来、民衆の側にさまざまな帰納法的天皇観があり、その多様性を容認しつつ、全体的に国と民をひとつに統合する天皇の機能が見落とされているからです。天皇統治は一神教ではなく、多神教原理に支えられてきたことが忘れられているのです。


▽2 土着的民衆の側の多様な天皇観との共存

皇室の伝統的天皇観とはいかなるものなのか、あらためて考えてみます。

古来、皇祖神の神勅に基づく演繹法的な天皇観が記録され、伝えられてきたことは誰でも知っています。同時にその一方で、土着的民衆の側の多様なる、帰納法的天皇観の存在が認められます。

この両者のダイナミックな併存こそ、皇室の、そして日本人のごく普通の精神的伝統なのだと思いますが、いまは見失われかけています。神棚に神宮大麻と氏神様の神札を納めて祈る信仰形式どころか、神棚自体を失っているのが現代の日本人です。代わりに近代主義を神と祀り、男系派も女系派も、キリスト教神学並みの演繹法的論理に走り、その結果、日本人の精神的伝統から逸脱していくのです。

たとえば私の郷里では古来、養蚕と機織が暮らしの中心でしたが、その技術は崇峻天皇の妃から直接、教えられたと伝えられ、妃を大神として祀る神社が地域に点在しています。滋賀県湖東地域の山中には木地師たちの根源地があり、横挽きの轆轤を発明したと伝えられる惟喬親王を租神として祀る壮麗な神社が集落ごとに建てられています。

 【関連記事】養蚕と機織りの里・福島「小手郷」物語──先端産業の発祥と隆盛の背後に皇室伝説ありhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1999-07-12
 【関連記事】杓文字を作る人々の祖神「惟喬親王」──没落した渡来氏族の悲しい歴史https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1995-05-15

皇祖天照大神の存在を原点とし、神勅を根拠とする天皇論あるいは国体論は江戸期の国学者たちが始めたもので、明治維新の精神ともなりましたが、その一方で皇祖神を出発点としない多様な天皇意識、信仰が各地の地縁共同体や職能集団に伝えられています。しかし、いまは忘れられています。

面白いことに、新たな神も生まれています。「関東最古の大社」といわれる埼玉・久喜市の鷲宮神社は「アニメの聖地」とされ、アニメファンが多数、参拝するようになりました。お宮の祭神論、由緒からは「アニメ」はあり得ず、キリスト教的な発想なら「異端」のはずですが、日本人はそうは考えません。逆に積極的に受け入れられています。

東京・乃木坂の乃木神社も同様です。明治天皇に殉じた乃木希典将軍夫妻の御霊(みたま)が祀られるお宮ですが、いまやアイドルを目指すギャルたちの聖地です。拝殿横には「乃木坂46のオーディションに受かりますように」と書かれた祈願の絵馬を何枚も見ることができます。祭神とアイドルグループには直接のつながりはありませんが、素朴な祈りを拒むものはありません。

祀られた神の側の論理とは別に、祈る側の心理が、より高いレベルで統合され、総合的により大きな日本人の精神世界が形成されています。天皇という存在もまた同様ではなかったでしょうか。国と民の統合者という意味で、スメラギ、スメラミコトと呼ばれてきたのはそのためでしょう。


▽3 女帝容認派が8割を占める理由

皇室には皇室の物語があり、それらは記紀をはじめとする古典に記録されていますが、民の側には民の側の多様な天皇意識や信仰があり、それらを一段と高いレベルで、多神教的に、価値多元主義的に、多様なるままに統合する機能が天皇にはあります。

それが皇祖神のみならず天神地祇を祀り、米のみならず粟をも捧げて祈る天皇の祭祀なのだと思います。「およそ天皇、即位したまはむときはすべて天神地祇祭れ」(神祇令)とされてきたこと、「稲の祭り」ではないということが重要なのだと思いますが、なかなか理解されません。

 【関連記事】天皇はなぜ「米と粟」を捧げるのか? ──涙骨賞落選論文「天皇とは何だったのか」4https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2019-07-21

男系継承固守派は大雑把にいうと国学や神道学の流れを汲んでいますが、神道学者は天皇の祭祀の詳細に通じているとは限らないし、庶民の信仰を明らかにしてきたのは神道学ではなくて、民俗学です。男系派は天皇の祭祀を「稲の祭り」と信じ込み、「米と粟」に注目する知識人もその意味を追究し切れずにいます。一神教的理解に留まっているのです。

まして女帝容認派には古来の歴史、祖先の存在、地域の文化への眼差しが最初から欠けています。宮中祭祀廃止論を唱えた原武史教授が、故郷意識を喪失した親の代からの転勤族だったのは典型的です。彼らだけではありません。いまやほとんどの日本人が遊牧民化しています。「祖先」「伝統」「故郷」はもはや死語です。天皇を身近に感ずる、暮らしに密着した、土着の天皇意識が失われているのです。

 【関連記事】宮中祭祀を廃止せよ?/皇室とゆかりの深いお寺https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2008-04-15
 【関連記事】産土神(うぶすながみ)について考える──国際化とサラリーマン化と民族宗教https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1997-06-09?1586071179

世論調査で女帝容認が8割を占めるに至ったのはその結果でしょう。祖先を失い、故郷を失い、信仰を失い、歴史を失い、バラバラの個人に分裂し、世界を彷徨う現代人にとっての天皇とは、憲法に書かれた天皇であり、メディアに映る行動する天皇でしかありません。男系継承の歴史的意味などを理解できる前提を失っているのです。日本人は変わってしまったということでしょうか。

皇室にとっては天皇は126代の存在ですが、現代日本人には2.5代の天皇にしか見えません。そのなかで皇位を継承していく天皇の苦悩はいかばかりかと拝察されます。せめて男系派の奮闘を祈ります。


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男系主義の根拠が理解できない。園部逸夫vs御厨貴「週刊朝日」対談が示してくれた現代知識人のお寒いレベル [皇位継承]

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男系主義の根拠が理解できない。園部逸夫vs御厨貴「週刊朝日」対談が示してくれた現代知識人のお寒いレベル
《斎藤吉久のブログ 令和2年3月8日》
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「週刊朝日」(電子版。AERA dot.)3月2日号に、皇位継承問題に関する園部逸夫氏と御厨貴氏の対談が載っています。園部氏は小泉内閣時の皇室典範有識者会議の座長代理、元最高裁判事、法律家。御厨氏は公務負担軽減有識者会議(「生前退位」有識者会議)の座長代理、元東大教授、政治学者。現代日本を代表する、とくに皇室問題に詳しいと思われる知識人同士の対話です。

前編の『安倍政権が「愛子天皇論」を封印!? 皇位継承議論に「40年はやらない」の声』と後編の『天皇「男系派」の根拠はあいまい? 皇位継承問題は今後どうなる』を合わせて量的には分厚い内容ですが、ほとんど中身らしいものはなく、肩透かしを喰らったような印象を受け、ため息が出ます。

なぜそう思うのか、おふたりの発言を拾いながら、検討します。


▽1 議論のすり替え

対談は前編では、まず皇位継承論議に関する最新の動きについて、御厨氏が解説します。菅官房長官の「『立皇嗣の礼』のあとに具体的な論議を行う」との発言は「実は否定の意味」で、「40年はやらない」。「総裁任期は21年9月で終わる。皇室典範改正など新しいことに手をつける気はない」というわけです。

ここまでは腰の重い安倍政権への批判姿勢を鮮明にする、いわばプロローグで、このあと編集部が「上皇直系の内親王は3方」と仕向けて、ようやく本論が始まります。

園部:女性皇族は、結婚によって民間に出る以上、数の減少を止めるには、「女性宮家」創設の議論は避けられない。
御厨:どうも政権は、皇族の減少がギリギリに追い込まれるまで何もせず、最後に、「エイヤッ」とやってしまおうと思っている節がある。

ご両人は女系継承容認、「女性宮家」創設が好ましいと最初から思い込んでいるようですが、なぜでしょう。対談はこれまでの経緯を振り返ります。

園部:野田内閣は、12年秋に論点整理をまとめた。しかし、「女性宮家」に、皇室に「誰かわからない人」が入ってくる可能性があるということで反発が強く、結局お蔵入りしてしまった。あれだけエネルギーをかけて論議したにもかかわらず、非常にもったいない。

野田内閣時の有識者ヒアリングでは、女性皇族の婚姻後の身分問題を検討する目的は、(1)皇室の御活動の安定的維持と(2)天皇皇后両陛下の御負担の軽減にありました。野田内閣参与の園部氏もくどいように、そう説明していたはずですが、この対談では見事に皇位継承問題にすり替えられています。

というより、本当の目的が皇位継承問題であることを、野田政権も園田氏もずっと隠蔽し、誤魔化してきた。ついにいまになって隠しきれず、本音が出たのでしょうか。ご公務問題なら、ご公務の件数を思い切って軽減すれば済むことです。「女性宮家」は明らかに論理の飛躍です。憲法は天皇は国事行為のみを行うと定めているはずです。ご公務に明確な法的根拠はありませんから、なおのことです。

 【関連記事】〈短期集中連載〉「女性宮家」創設賛否両論の不明 第3回──月刊「正論」25年2月号掲載拙文の転載https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2013-02-03-1
 【関連記事】支離滅裂なり!! 「女性宮家」創設の「論点整理」──変質した制度改革の目的意識https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-10-14-1


▽2 皇室のルールを完全無視

対談は「女性宮家」創設反対論批判に展開し、眞子さま問題に言及します。

御厨:「旦那さんは誰?」という警戒は、「女性宮家」でも「女性天皇」でも起こる。「男系派」は、男性が皇室に入ることを非常に嫌う。
園部:眞子さまの交際問題では、一番まずいのは、国民の皇室への尊敬と敬愛の念を失ってしまうということだ。皇族の人数を保つ策として「女性宮家」をつくろうと言っていたのに、「どうぞ、早くご結婚なさって」という声につながりかねない。

両氏とも婚姻相手の個性が問題の原因と捉えていますが、矮小化です。女性宮家創設を認め、女系継承に道を開くことは、古代から続く皇統の変更をもたらす。それは許されないというのが反対論の最大の理由です。

最高裁判事や東大教授を務めた日本を代表する知識人にそれが分からないはずはないでしょうに。あまつさえ、皇統の変更など別段構わないとお考えなのか、男系継承を完全に拒否しています。というより、はじめから皇室のルールなど眼中にないのでしょう。

「女性天皇・女系天皇への途を開くことが不可欠」と結論づけた皇室典範有識者会議報告書が、「はじめに」で、さまざまな天皇観があるから、さまざまな観点で検討したと説明しつつ、それでいて、もっとも肝心な、皇室自身の天皇観、皇室にとっての継承制度という視点、すなわち天皇は古来、公正かつ無私なる祭り主であるという観点を完全に無視していたことを思い出させます。

 【関連記事】混迷する「女性宮家」創設論議の一因──古代律令制の規定を読み違えている?https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-03-18?1583650057

御厨:この流れになると、「旧皇族の復帰」という声も出てくる。適齢期の男性がいるならば、「女性天皇」や「女性宮家」のお相手に、という話だ。
園部:今は完全な民間人として暮らす方たちが皇室に戻るとなると、ご本人たちがそんな生活を望むのかという問題もある。加えて、ひとりでも復帰の前例ができれば、「血がつながっている」ことを論拠にして、どの範囲まで手が挙がるかわからない。
御厨:もうひとつ、いま議論が進まない背景には、アクションを起こせば、強い抵抗を受けるという現状がある。

歴史を振り返れば、26代継体天皇は先代武烈天皇の姉妹を皇后とし、119代光格天皇は先代後桃園天皇の皇女を中宮とされたのであり、その逆ではありません。そんなことはご両人には釈迦に説法でしょうに、それでも過去の歴史にない「女性宮家」創設や女系継承に一心不乱に挑もうとするのはなぜですか。

皇室は日本の歴史そのものです。歴史を無視し、歴史を変えようとすれば、「強い抵抗」かを受けるのは当然ではないですか。


▽3 陳腐な男女平等論

ところが、お二人はそうは考えようとしません。後編の冒頭で園部氏が言い放ちます。

園部:有識者会議で議論はし尽くしているから、問題はやるかやらないか。政府であれ野党であれ、天皇問題に手を突っ込むと、散々攻撃されるから嫌がっているだけ。
 しかし、手をつけないと、刻一刻と皇統が衰退へと向かう。改革と議論を攻撃する人たちは、本当に皇室の未来を保とうとしているのか。

それほどの危機感があるなら、男系男子の絶えない制度をなぜ模索しようとしないのでしょう。危機を煽って、一気に女系継承に突き走るのは論理的とはいえません。

園部:男尊女卑の価値観が残るなかで、「女性宮家」や「女性・女系天皇」について話し合うのは、なかなか困難だろう。

男女平等問題ではないことはこれまで何度も何度も言及してきました。過去に女性天皇が存在しないのではありません。夫があり、妊娠中、子育て中の女性天皇が存在しないのです。女性ならば、民間出身であっても皇后となり、摂政ともなれます。これは男女差別でしょうか。

そして対談はいよいよ核心に迫ります。

御厨:男系男子でなければ「困る」の根拠がいまいち明確でない。「皇統は男系で続いてきたから男系であるべき」以上の根拠が出ない。
園部:例えば、日本の皇室が範としてきた英国王室に君臨するのは、エリザベス女王だ。英国は、日本では想像できないほど厳格な階級社会だ。だけど、階級の頂点に位置する王室のトップが女性であることを、英国民は受け入れている。
 これは王室を継ぐのは、「血筋の近さ」であって、男であるか女であるかは重要ではないことを証明している。

お二人は政府の有識者会議などに関わり、多くの資料に目を通しているはずですが、どうやら基本中の基本をご存知ないようです。座長代理を務めるような御仁にそんなことがあるんでしょうか。まったくの驚きです。

明治の時代には女帝容認は火急の案件でしたが、否定されました。なぜなのか、近代史を学んだことがないのでしょうか。ヨーロッパの王室なら王族同士が婚姻し、女王即位の後は王朝が交替します。だからこそ、明治人はヨーロッパ流の継承制度を学ばなかったのではないのですか。

 【関連記事】女系は「万世一系」を侵す──「神道思想家」葦津珍彦の女帝論https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1998-12-01
 【関連記事】基本を忘れた女系継承容認論──小嶋和司教授の女帝論を読むhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-31

このあと対談は、男系主義は政府が受け入れているだけで、国民の大半は女性天皇を容認している(園部氏)。時代は変わっているが、典範改正は安倍政権の次の政権でも無理だろう(御厨氏)、などという政局論が続いています。

結局、いみじくもタイトルに示されている「男系主義の根拠」こそが問われているのに、歴史論的に深めることもせず、あるいはできずに、陳腐な男女平等論で終わっています。政府の有識者会議の議論なるものはこの程度だったのでしょうか。背筋が寒くなる思いがします。

最後に蛇足ながら、こんなお寒い日本の知識人のレベルを白日のもとに晒してくれた「週刊朝日」編集部に心から感謝したいと思います。これではまともな議論が期待できるはずもないことがよくよく分かります。


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憲法の原則を笠に着る革命思想か。ジェンダー研究者の女性天皇論を読む [皇位継承]

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憲法の原則を笠に着る革命思想か。ジェンダー研究者の女性天皇論を読む
《斎藤吉久のブログ 令和2年2月23日》
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女性週刊誌が盛んに女帝容認論を煽っています。なぜ古来、男系主義が貫かれてきたのか、を識者も編集者も、追究しようとしないのは、なぜでしょう。

「女性自身」2月7日号には、牟田和恵・大阪大学大学院教授(ジェンダー研究者)による「皇室の女性差別」撤廃を要求する女性天皇論が載りました。

ご主張の要点は以下のようにまとめられます。

(1)天皇陛下の長子である愛子内親王が次の天皇になられるのは当然だ。現在の皇室典範は男女平等ではない。改正すべきだ
(2)憲法には法の下の平等が記されている。なのに、皇位継承は男系男子に限られている
(3)皇室典範の女性差別は日本社会の女性差別を反映している
(4)女性差別の根本には「家父長制」がある。個人より「家」を第一とする発想が根強く残っている証拠だ
(5)ヨーロッパの王室は第一子継承に変わっている。日本も皇室典範改正を急ぐべきだ
(6)愛子内親王は健やかに成長されている。立派に天皇の務めを果たされるだろう
(7)「女性だからできない」ことはなくしていくべきだ

ジェンダー研究者なのですから当然といえば当然かもしれませんが、法律論として、歴史論としておよそ不正確で、十分とはいえないでしょう。

▽1 「法の下の平等」の例外

まず法律論ですが、以前も申し上げましたように、憲法が法の下の平等を謳い上げていることは誰でも知っています。その憲法が第一章で、血統主義に基づく天皇という特別の地位を認めているのです。そもそも皇位の男系主義は法の下の平等の例外なのです。

 【関連記事】基本を忘れた女系継承容認論──小嶋和司教授の女帝論を読むhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-31
 【関連記事】どうしても女性天皇でなければならないのか。男系を固守することは不正義なのか。なぜ男系の絶えない制度を考えようとしないのか?https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-02-09

もし牟田さんが法の下の平等を社会全体に貫くべきだと主張されるのなら、女帝容認ではなく、天皇廃止を訴えなければなりません。牟田さんにとっての法の下の平等は性差別の否定だけなのですか。

次に歴史論ですが、男系主義の背景に何があるのか、もっと深く追求されるべきではないでしょうか。

牟田さんが仰せの「家父長制」には支配の論理という響きがありますが、日本の天皇は支配者とは一味も二味も異なる存在です。

たとえば「サバの行事」はご存知ですか。明治になって惜しくも絶えてしまいましたが、歴代天皇はわが統治する国に飢えたる民が一人いても申し訳ないとの思いから、毎食ごとに食膳から一箸ずつ料理を取り分けて、衆生に捧げ、そのあと召し上がったのです。

 【関連記事】皇祖と民とともに生きる天皇の精神 ──宮廷行事「さば」と戦後復興https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1998-06-08-2

昭和、平成、令和と三代の天皇は御所の水田で穀物を栽培しておられますが、みずから泥田に入られる君主は日本の天皇だけです。世界には農民といっても田畑に入らない支配層もいるのにです。

牟田さんは天皇を家の論理で説明していますが、間違っています。皇室は姓を持たない、家を否定した、家のない家だからです。海外のロイヤル・ファミリーとは違うのです。

▽2 女性差別ではない

以前も説明しましたが、歴史上、女性天皇は存在します。しかし夫があり、子育て中の女性天皇はおられません。過去の女性天皇はすべて寡婦もしくは独身を貫かれました。他方、たとえ民間から入内したとしても皇后は摂政となることも可能です。

これは女性差別なのでしょうか。逆に男子ならば、内親王、女王と婚姻しても皇族となることはありません。差別論で捉えることに無理があるのでしょう。

牟田さんはヨーロッパの王室に学ぶべきだとも仰せですが、これも間違いです。参考にしようがないからです。

たとえばイギリスは、父母の同等婚と女王継承後の王朝交替という二大原則がありましたが、原則はすでに崩壊しています。ヨーロッパに学び、女帝を認め、その子孫に継承するということはすなわち古代から続いてきた皇統の否定、革命をもたらすこととなるでしょう。

 【関連記事】参考にならないヨーロッパの「女帝論議」──女王・女系継承容認の前提が異なるhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2006-12-18

憲法は皇位は世襲すなわちdynasticだと王朝の支配を認めています。牟田さんの「女性差別」撤廃の発想は憲法の基本原則を掲げながら、その実、憲法に反し、天皇統治の終わりをもたらす革命思想ではありませんか。

 【関連記事】女系は「万世一系」を侵す──「神道思想家」葦津珍彦の女帝論http://www004.upp.so-net.ne.jp/saitohsy/ashizu_joteiron.html

牟田さんは最後に愛子天皇待望論を訴えています。健やかに成長され、務めを果たすことができると太鼓判を押されているようですが、天皇は能力主義ではありません。血統主義なのです。

古来、天皇第一のお務めは私なき立場で天神地祇をまつる神祭りにあるとされています。古代人は夫があり、子育て中の女性に私なき祭祀をお勤めいただくのは忍びないと考えたのではないでしょか。8人10代の女性天皇がいずれも寡婦もしくは独身を通されたのはそのためでしょう。差別ではありません。むしろ逆でしょう。

牟田さんにお願いします。男系主義の外形だけを見て、女性差別と決めつけ、皇室の歴史と伝統を否定し、むりやり変質させるのではなく、皇位の本質を深く探り、祖先たちが大切に守ってきた歴史的価値を理解していただくことは無理でしょうか。女性週刊誌の編集者にもぜひお願いします。


斎藤吉久から=当ブログ〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/〉はアメーバブログ「誤解だらけの天皇・皇室」https://ameblo.jp/otottsan/〉でもお読みいただけます。読了後は「いいね」を押していただき、フォロアー登録していただけるとありがたいです。また、まぐまぐ!のメルマガ「誤解だらけの天皇・皇室」https://www.mag2.com/m/0001690423.html〉にご登録いただくとメルマガを受信できるようになります。

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どうしても女性天皇でなければならないのか。男系を固守することは不正義なのか。なぜ男系の絶えない制度を考えようとしないのか? [皇位継承]

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どうしても女性天皇でなければならないのか。男系を固守することは不正義なのか。なぜ男系の絶えない制度を考えようとしないのか?
《斎藤吉久のブログ 令和2年2月9日》
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女性天皇容認のみならず、「万世一系」とされる皇統に根本的変革を招く女系継承容認論が沸騰している。現在の皇位継承順位を一変させる「愛子さま天皇」待望論までが飛び出して、かまびすしい。
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古来の男系継承を堅持することがまるで不正義であるかのような口吻である。男系男子をもって皇位が継承され続けることは正義に反することなのだろうか。検討してみたい。


▽1 皇室のルールをなぜ変える

推進派の論拠は、法理論と歴史論、現実論の3つに大きくまとめられると思う。

①(法理論)人は法の下にあって平等である。男女は平等である。象徴天皇は女性でも務まる。
②(歴史論)8人10代の女性天皇が歴史に存在する。海外では男女を問わない王位継承に変わっている。
③(現実論)皇位継承資格者の数が減少している。男系継承主義の場合、入内する女性が受ける心理的圧力は計り知れない。国民の圧倒的多数が改革を支持している。

以下、Q&A式で考える。まずは法理論である。

Q1 男女は平等で、憲法も認めている。女性天皇の即位を認めるべきではないか?
A1 法の下の平等は憲法の大原則であるが、その一方、憲法は第一章で、血統主義に基づく天皇という特別の地位を認めている。天皇は平等主義の例外である。憲法の制定過程でも男系継承主義は問題にはならなかった。
 過去に女性天皇がいなかったのではない。夫があり、子育て中の女性天皇がおられないのである。民間から輿入れした女性は摂政ともなれる。これは男女差別だろうか。

 【関連記事】基本を忘れた女系継承容認論──小嶋和司教授の女帝論を読むhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-31

Q2 憲法は「皇位は世襲」と定めている。男系男子継承を定めているのは皇室典範であり、典範を改正すればいいではないか?
A2 憲法の「世襲」はdynasticの意味で、単に血が繋がっているという意味ではない。王朝の支配ということが本義であって、古来、連綿と続いてきた皇室のあり方を根本的に変えるような改革は憲法に違反する。なぜそこまでして、男系で継承されてきた皇室のルールを変更したいのか。

 【関連記事】眞子内親王の皇籍離脱をけしかける登誠一郎元内閣外政審議室長の不遜。安倍総理の次は秋篠宮親王に直言。女性天皇・女系継承容認へまっしぐらhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-01-26

Q3 象徴天皇の務めは憲法に書いてあるが、女性だから務まらないということはない。有能な女性なら、十分に務まるのではないか?
A3 古代において天皇はスメラギあるいはスメラミコトと呼ばれ、国と民を多様なるままに1つに統合することがお役目とされた。古代律令の定めのように、天神地祇をまつり、国と民のために祈ることが第一のお務めであり、歴代天皇は祭祀を継承されてきたが、国務法たる憲法には規定がない。
 皇位は世襲主義であり、能力主義ではない。有能か否かは皇位とは無関係である。むろん、人間的にいい方かどうか、徳の有無でもない。

 【関連記事】西尾幹二先生の御忠言を読む──どこが誤っているのかhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2008-07-22


▽2 古代律令は「女帝」を認めていない

次は歴史論です。

Q4 古代律令制は女子の継承を認めていたし、実際、8人10代の女性天皇がいる。女性天皇は皇室の伝統的あり方である。なぜ否定するのか?
A4 古代律令の、皇族の身分や継承法を定めた「継嗣令」には、「凡そ皇(こう)の兄弟、皇子をば、皆親王(しんのう)と為(せ)よ。〈女帝(にょたい)の子も亦(また)同じ〉。以外は並に諸王と為よ」(『律令』日本思想大系3)とあり、「女帝」が法制度上、認められていたという解釈がある。
 しかし、「女(ひめみこ)も帝の子、また同じ」と読むのが正しく、天皇の子女は親王・内親王とすると解釈されるべきだとの有力説がある。古代において「女帝」なる公式用語はない。
 過去に女性天皇は存在するが、寡婦もしくは独身を貫かれた。女系による継承は予定されていない。女性天皇がいないというのではなく、夫があり、子育て中の女性天皇が存在しないのである。
 それは天皇が公正かつ無私なる祭祀を行う祭り主だからだろう。ひたむきに夫を愛し、子育てに集中する女性の姿は美しいが、「天皇に私なし」とする皇位とは両立できるかどうか。女性の女性たる価値を認めるからこそ、女性天皇は独身を貫かざるを得なかったのではないか。

 【関連記事】田中卓先生の著作を読んで──「皇国史観」継承者が「女性皇太子」を主張する混乱by 佐藤雉鳴・斎藤吉久〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2014-03-01

Q5 女子による皇位継承を認めなくなったのは、明治の皇室典範であり、男尊女卑の悪弊ではないか?
A5 明治の皇室典範制定過程では「男女同権」を掲げる女帝容認が繰り返し浮上し、そして最終的に否定された。明治の女帝容認論は根強いものがあり、男尊女卑の時代と断定することは一面的すぎる。
 旧典範が女帝を否認したのは、皇婿を臣民から迎えることが至難であり、女帝継承後に王朝が変わるからである。

 【関連記事】女系は「万世一系」を侵す──「神道思想家」葦津珍彦の女帝論http://www004.upp.so-net.ne.jp/saitohsy/ashizu_joteiron.html

Q6 海外では男女平等主義に基づいて、女子の王位継承が認められるようになった。日本も見習うべきではないか?
A6 たとえばイギリス王室では、女王による王位継承が認められているが、もともと父母の同等婚が原則で、女子の王位継承後は父方の王朝に変わる。女王の継承は新たな父系の始まりとなる。
 しかし日本では皇族同士の婚姻という原則はなく、参考にしようがない。しかも今日では、イギリスは王族同士の婚姻という原則が崩れており、なおのこと参考にはできない。
 スペインでは男子優先から男女平等主義に移行中だが、同等婚原則がすでに崩れており、これまた参考にしようがない。それでも参考にせよというのは独自の歴史と伝統を無視せよと要求するのと同じである。
 また北欧では国民が王を選ぶ選挙君主制の伝統がある。国民の意思で女子の継承を認めることとなったのは、民主的改革ではなくて、伝統回帰といえる。

 【関連記事】参考にならないヨーロッパの「女帝論議」──女王・女系継承容認の前提が異なるhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2006-12-18


▽3 御負担増を強いる女系継承容認論

最後は現実論です。

Q7 皇位継承資格者は秋篠宮文仁親王、悠仁親王、常陸宮正仁親王のお三方しかおられない。対策を講じなければ、皇室は絶えてしまいかねないではないか?
A7 たしかにそうだが、明治の典憲制定過程ではもっと深刻で、明治天皇に皇男子はなく、皇族男子は遠系の4親王家にしかおられなかった。女帝容認は火急の案件だった。それでも明治人は女帝を否認したのである。優れた見識というべきではないか。
 いまのままでは皇統は絶える。だから女帝を容認すべきだ、という論理はもっともなようで、じつはそうではない。皇統とはすなわち男系なのだから、男系が絶えないよう制度を考えるのが物事の順序というものであり、歴史にない女系継承容認論は論理の飛躍だ。

 【関連記事】基本を忘れた女系継承容認論──小嶋和司教授の女帝論を読むhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-31
 【関連記事】女系は「万世一系」を侵す───「神道思想家」葦津珍彦の女帝論https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2013-04-18-1

Q8 皇室に嫁ぐ女性が男子を産まなければならない心理的圧迫は相当なものである。女子の継承を認めれば、圧力はやわらぐのではないか?
A8 皇太子妃、皇后となる女性の心理を思いやり、古来、男系で貫かれた皇位継承制度に根本的変革を加えるのは、角を矯めて牛を殺すということわざの通りであろう。
 昔から皇統の備えとしての宮家という制度がある。一定の皇族を確保する方策を考えるべきではないか。知恵を絞れば方法はいくつもある。
 女性天皇を認めれば、女帝は御公務をこなしつつ、出産、育児を行うことになるのだろうか。女系継承容認、女性宮家創設論は天皇の御公務御負担軽減が目的とされているが、いまでも多忙をきわめる天皇にさらなるご負担を強いることにならないか。
 さらにもうひとつ、皇婿となる男性には子供ができなければならないという心理的負担はないのだろうか。女性の負担ばかりを考慮するのは平等の精神に反する。

Q9 多くの世論調査は女性天皇・女系継承容認を支持している。なぜ世論に反する男系主義に固執しなければならないのか?
A9 現在の国民の支持を盾にして、なぜ千年余の皇室のルールを変えなければならないのだろうか。古来、男系主義が続いてきたのは国民の支持があったからではないのか。
 女性天皇・女系継承容認を打ち出した政府の有識者会議は終始一貫、皇室の歴史と伝統について検討していない。皇室のことは皇室に委ねるべきではないのか。有識者会議はやり直すべきではないか。

 【関連記事】宮中祭祀をめぐる今上陛下と政府・宮内庁とのズレ──天皇・皇室の宗教観 その4(「月刊住職」平成27年11月号)〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2016-01-17



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基本を忘れた女系継承容認論──小嶋和司教授の女帝論を読む [皇位継承]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2011年12月31日)からの転載です


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基本を忘れた女系継承容認論
──小嶋和司教授の女帝論を読む
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 今年最後のメルマガです。

 今日は小嶋和司東北大学教授(故人)の憲法論をご紹介します。以前、政教分離論について取りあげたことがありますが、今回は女帝論について、です。

 報道によると、羽毛田宮内庁長官が10月上旬、野田首相に「女性宮家」創設を「火急の件」として提案したのをきっかけに、政府は検討を開始し、年明けには個別に有識者のヒアリングを行うようです。まさに急ピッチの展開です。

「女性宮家」創設は、およそ過去に例のない女系天皇容認につながる、日本の文明の根本に関わる一大事です。

 女帝を認めるべきか否か、基本をあらためて学んでみることにします。


▽1 女系継承を認めなかった宮内庁

『小嶋和司憲法論集2 憲法と政治機構』(昭和63年)に、「『女帝』論議」と題する22ページの論考が載っています。私が知るかぎり、小嶋先生唯一の女帝論です。初出は『公法の基本問題』(田上穣治先生喜寿記念、昭和59年)です。

 小嶋先生がこの原稿を書いていたころ、国会では女性天皇に関する行われていました。先生はそのことを論考の冒頭に記録しています。

 昭和58年4月4日、参議院予算委員会で、寺田熊雄議員が皇室典範第1条「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」は「男女差別をうたった象徴的な規定」「男女差別撤廃条約に違反しないのか」と政府に迫ったのでした。

 寺田議員は裁判官出身の社会党議員でしたが、興味深いことに、当時の内閣法制局長官も宮内庁次長も、いまの宮内庁とは異なり、女系継承を認めない立場でした。

 角田禮次郎長官は、「男系の男子が皇位を継承するのがわが国の古来の伝統で、その伝統を守るということで現在の規定ができたと承知している。現在政府として皇室典範改正の考えはまったくない」「女系の方が天皇になられたことはいっさいない」「男女差別撤廃条約は批准していない」などと答弁しています。

 また、山本悟宮内庁次長も、「現在は皇太子殿下をはじめ、血統の近い男子の方がおられるわけで、直ちにこの問題について云々すべき必要性はないと考える」と述べました。

 小嶋先生の論考は、「質問者は納得しなかったごとく、ある新聞はこれを『すれ違い』論議と報道していた」と付け加えています。

 寺田議員が問題視したのは、皇室典範の男系男子継承主義と(1)男女平等原則、(2)国際条約との関連であり、政府側の答弁は、(1)女系継承はない、10代の女性天皇は臨時例外的だという歴史論、(2)男女差別撤廃条約は批准しておらず、皇室に男系男子が途絶える状況はないという現実論でした。


▽2 表面的知識で重大事を論じる浅薄

「女帝」論議の始まりは、もちろんこのときではありません。

 小嶋先生の論考によれば、先生個人が「女帝」問題に最初に接したのは、「法律時報」(昭和24年)に掲載された公法研究会の「憲法改正意見」でした。

 憲法第2条は「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」と規定していますが、「改正意見」は、女帝容認は規定と矛盾しない、民主主義の原則から女帝を認められるべきだ、憲法本文に明記する必要がないほど当然のことだ、と述べていたのでした。

 これについて、小嶋先生は2点、指摘しています。

 第1点は、女帝制が憲法第2条と矛盾しないと断定した点について、です。現行憲法の規定は「皇位ハ皇男子孫、之ヲ継承ス」(明治憲法第2条)とはなっていない、「なるほどと思った」と先生は率直に書いています。

 しかし、第2点目として、「民主主義の原則から女帝を認める」とする点については、先生は納得できなかった、と振り返ります。民主主義を democracy の字義通り、国家意思を民意で決定することと解するなら、女帝容認の根拠とはなり得ないし、男女平等原則のようなものまで含む広義の用法なら、およそ天皇制や皇位の世襲制は平等原則の例外で、平等原則を持ち出すのは合理的ではないからです。

 これは法曹界の議論ですが、政界でも「女帝」問題は取りあげられます。一例として、先生は昭和29年11月18日付の東京新聞が伝える自由党憲法調査会の「憲法改正要綱」をあげています。

「皇室典範を改正し、女子の天皇を認めるものとし、その場合その配偶者は一代限り皇族待遇とする。ただしその場合摂政となることを得ぬものとする」

 けれどもその当時、小嶋先生は「別段の問題を感じなかった」といいます。古代の日本にも、海外にも、女帝は存在するからです。

 しかしやがて先生の考えは変わります。それは明治の皇室典範、憲法の起草について学ぶようになったからです。現行制度が決められた趣旨はもちろん、世界的な制度の類型を知らずに、たまたま表面的な知識をもって、重大な問題を論じ、結論することの浅薄さを自省したと先生は書いています。

 そして、小嶋先生はそのあと、論考の大半を、明治の皇室典範・憲法の制定過程の説明に費やしています。


▽3 火急の件ながら否定された女統容認論

 小嶋先生の論考によれば、明治9(1876)年、憲法草案起草の勅語が元老院に下されますが、当時、女帝問題はそれこそ「火急の件」でした。

 というのも、明治天皇に皇男子はなく、皇族男子は遠系の4親王家にしかおられなかったからです。もっとも近縁である有栖川宮熾仁(たるひと)、威仁(たけひと)両親王は霊元天皇から出る五世の孫で、じつに10等親でした。徳川幕府は朝廷不繁栄政策をとり、皇位継承者以外の皇子は臣籍降下される一方、4親王家が温存された結果でした。

 しかも、古代の大宝令に「五世の孫、皇親の限りにあらず」とあるのを基準としたため、4親王家の存続も問われることになりました。

 もし4親王家の皇族性が否認されれば、女帝を認めるほかはありません。そこまでいかなくても、遠系男子と近系女子のいずれを選ぶのか、が問われる状況でした。

 元老院への勅語は「広く海外各国の成法を斟酌し、もって国憲を定めんとす」とあり、第一次草案では、ポルトガル憲法第50条にならって、尊系優先の立場に立ちつつ、女帝を容認する内容になっていました。

 しかし2年後の11年に成立した「日本国憲?」は、女帝を否認しました。ところが、13年の「国憲」では、「女統」すなわち女系天皇までをも認め、「若し止むことを得ざるときは女統入りて嗣ぐことを得」と明記します。

 その後、「国憲」案について意見を求められた東久世通禧ら4議官は、女統容認案の削除を要求しますが、女帝を否認したのではありません。

 女統否認の理由は、こうです。

 皇女が他人に配した場合、その子孫は当然、姓が異なる。たとえば将軍家茂に嫁した皇女和宮のような場合、子孫は徳川氏であって、皇族ではない。女統を認めれば、異姓の子に皇位を継承させることになり、万世一系の皇統に反する。万策尽きた場合のやむを得ない選択肢とはいえ、将来、多大な弊害を生むことだろう。

 結局、女統容認の「国憲」案は伊藤博文らに握りつぶされます。その理由について、伊藤は右大臣岩倉具視宛の書簡に、「各国の憲法を取集焼き直し候までに、しかしてわが国体人情にはいささかも注意いたし候ものとは察せられず」と書いています。

 岩倉は11年3月、憲法調査制定のための特別機関の設置をみずから建議し、そのテーマのひとつに「女帝、男統、女統」を掲げました。建議は実現しませんでしたが、15年12月、伊地知正治宮内省一等出仕が「女帝、男統、女統」について意見を述べています。

 のちに伊藤博文に報告されたその意見には、「皇国帝系は男統一系なるゆえに万世無窮、皇統連綿たり。もし女統を立つ、皇統直ちに他系に移る。ここにこれを皇統を滅絶するという」とあります。

 このような議論の過程で、12年に皇子・嘉仁親王(のちの大正天皇)が誕生になり、このため女帝認否問題の緊急性は去りました。けれども、その後も皇男子はお一方にとどまり、議論の必要性が完全になくなったわけではありませんでした。

 小嶋先生の論考には当然、言及されていませんが、小泉内閣時代に皇室典範有識者会議が設置され、その後、悠仁親王殿下ご誕生で議論が下火になった状況とよく似ています。


▽4 井上毅に影響を与えた島田三郎の女帝否認論

 明治18(1885)年に宮内省が起草した「皇室制規」案も、女帝のみならず女系継承を容認するものでした。「皇位は男系をもって継承するものとす。もし皇族中男系絶ゆるときは皇族中女系をもって継承す」とされたのです。

 小嶋先生は、これについて、冒頭で説明したように、昭和58年に山本悟次長は「現在は皇太子殿下をはじめ、血統の近い男子の方がおられる」という理由から、女帝論議の必要性を否定したけれども、明治の時代はそうではなかった。それには理由がある、と批評しています。

 そして小嶋先生は島田三郎の女帝否認論に言及します。

 島田は民間の言論団体・嚶鳴社の人で、女帝否認論は『雄弁美辞軌範』に掲載されました。島田の論は女帝否認論に対する反対論を想定し、それに反論するという形式を採っています。小嶋先生の説明にあるように、その論は典憲制定に決定的役割を果たした井上毅に影響を与えました。

 女帝否認「反対」論の根拠は、2つです。すなわち、(1)歴史上、女帝は存在する。いまさら男統に限るのは慣習の破壊である。(2)男女同権の時代になった。女帝否認は歴史の後退である、というものです。

 これに対して島田は次のように論破します。

 女帝即位の実情は今日とはきわめて異なる。歴史上の女帝は推古天皇から後桜町天皇まで8人おられる。推古天皇は敏達天皇の皇后である。即位後直ちに厩戸皇子を皇太子とされた。時を待って御位を太子に伝えることを予定しており、摂位に近い。明正天皇だけが7歳で即位し、皇太子がなかった。海外の女帝とは歴史が異なる。

 小嶋先生は島田の論に接し、反省の必要を自覚したといいます。冒頭に説明した寺田議員の「むしろその方(女帝容認)が伝統だ」は誤りなのです。やがて島田の指摘は井上毅が採用するところとなります。

 女帝即位の古例は、当然の帰結を伴っていた、と小嶋先生は論を進めます。女帝は即位後、配偶をおかず、帝子誕生の可能性を持たなかったのです。

 女帝制の議論は、皇統維持の方策の1つとして、でしたから、皇子出生の否認とリンクする「古例」は模範とはなりません。井上はここに注目したと小嶋先生は説明しています。


▽5 ヨーロッパ王室の女系継承との混同

 島田の第2の反論は、外国の女帝の例、とくに配偶者問題に対するもので、ヨーロッパでは外国の皇親を迎えることができるが、日本ではそうはいかない、などと反駁したのですが、小嶋先生はこの論では現代人を納得させることはできないだろうと指摘したうえで、井上毅はそのような見解から女帝を否認したのではないと説明しています。

 島田が想定した女帝否認「反対」論では、古くは男統に限り王位を継承していた国がいまは男女同じく継承している、という一般論ですが、個別の検討が必要で、井上はこれを行っているのでした。比較法的に見て、男系に限る国もあれば、そうではない国もあるのでした。

 井上は、宮内省が立案した、女帝容認の「皇室制規」を批判して、「?具意見」を伊藤博文に提出します。ヨーロッパの女系相続とわが国の女帝即位とが往々にして混同され、同一の見解が下されている、と女帝を否認したのでした。

 井上は島田の論とこれを補う沼間守一の論を全文、引用していますが、無批判に採用したわけではなく、歴史上の女帝すべてについて血統、即位・退位の事情、史家の解説などを逐一検討したうえでのことでした。

 そして、井上はこう述べるのでした。

 今度の起草(宮内省の「皇室制規」)は、わが国の女帝即位がじつは摂位に類することに立脚せず、ヨーロッパの例に倣い、男系無きときに女系を血統とし、皇女から皇女の皇子に皇位を伝えることを明言している。これはイギリスと同じ結果をもたらす。

 つまり、プランタジネット朝からテューダー朝へという王朝の交替です。源某が皇夫となり、女帝との間に皇子があれば、正統の皇太子となり、即位することになれば、皇位は女系に移ることになる。もっとも恐るべきことと思われる。

 井上の女帝否認論は、小嶋先生が指摘するように、女帝制は必然的に女統をもたらすという論に基づいています。


▽6 採用されなかったロエスエルの女系継承容認論

 明治19(1886)年6月10日、伊藤博文宮内大臣は三条実美に「帝室典則」草案を提出します。内容は、「皇室制規」をほぼ踏襲しつつ、女帝・女系継承の可能性を否定するものでした。井上毅の意見が採用された結果です。

 同年末から井上は憲法および皇室典範の第一草案の起草を開始し、翌年1月21日、「国法上の相続は文武の大権を統授して、これを施行するために十分なる能力あるを要す」「女性並びに重篤の不能力者は国法上の相続権利より除外せらるること疑いも容れざるに似たり」と考えたうえで、ヘルマン・ロエスエルに意見を求めました。

 ロエスエルは「そもそも皇女は政務を執るの能力を有せざるものにあらず」として女系継承の容認をも勧めたのですが、井上がその意見を採用することはありませんでした。その一方で、皇族女子の摂政就任の可能性を草案に規定しました。

 21年、皇室典範草案は憲法草案に先立って、枢密院の審議に付されます。参考のため配布された、井上による説明文には「皇統は男系に限り、女系の所出に及ばざるは皇家の成法なり……本条皇位の継承をもって男系の男子に限り、しかしてまた第23条において皇后、皇女の摂政を掲ぐるものはけだし先王の遺意を紹述するものにして、いやしくも新例を創むるにあらざるなり」と記されていました。


▽7 世襲君主制が前提とする基本は「王朝」

 ここで小嶋先生は、昭和58年当時の国会の議論にもどり、内閣法制局長官や宮内庁次長の説明は大きく間違ってはいない。しかし説得的ではなかった。それはなぜか、と問い、女帝否認を説明する座標軸が正当でないからだと指摘します。

 先生によれば、日本では、君主制というと、「上御一人の支配」と考え、君主ひとりに注目してしまう。皇室に関する法律であるべき皇室典範が「皇位継承」を冒頭に規定するのはその現れである。けれども、これは世襲君主制が前提とする基本を忘れている、というのです。

 すなわち、王朝の概念です。

 明治15年12月23日、ロレンツ・フォン・シュタインは「帝室家憲意見」を日本政府に提出しました。そこでは君主制の基本について、「およそ立憲政体国憲法の第一主義は、国君たるべき者すべて位を継ぐの権利を有するがために、帝室の眷属に属附せざるべからずということなり。そのこれに次ぐ者は最初にいかなる約束によりて国君が帝室の一眷属たるべきやを確定せざるべからざることなり」と説明しています。

 この「帝室の眷属に属附」するというのは、先生によると、支配王朝の所属者、つまり「王族」であることを意味します。君主政体は、君主の支配政体である、というより、王朝の支配政体である、と考えるからこそ、このことが「第一主義」とされるのです。

 したがって、次に重要なことは、「王族」とされることの条件の確定となります。そしてシュタインは「帝室家憲」には「家族法および継位法」についてのものと「帝室の財産」についてのものとが必要だと教えたのです。

 ところが、明治典範は教示に従わず、皇位継承資格は「祖宗の皇統にして男系の男子」と述べるにとどまり、「皇族」身分の要求は皇位継承順位の規定に間接的に述べられただけでした。

 さらに、小嶋先生によれば、明治の典範は臣籍出身の后妃も「皇族」とし、皇位継承資格者としての「皇族」と待遇身分としての「皇族」とを混同させ、本質をぼやけさせてしまったのです。


▽8 厳格に父系の皇族性が要求される

 ともあれ、女帝問題も、「多第一主義」に関わる「帝室の眷属」形成原理と関連して考察する必要があるとして、先生はきわめて重要なポイントを指摘します。

 女帝制を容認するゲルマン法系制度とこれを否認するわが制度では、子が「皇族」身分を取得する条件が異なるというのです。つまり、ゲルマン法系では(1)父および母が王族であること、(2)父母の正式婚姻の子であること、が要求されます。

 生まれてくる子が王位継承資格を否定されるような婚姻は皇太子には許されません。イギリス王エドワード8世がシンプソン夫人との恋を成就するために退位したのはそのためです。国王はイギリス本国および各自治領の立法議会に特別立法で婚姻を認めるよう要請しましたが、拒否されました。

 余談ですが、イギリスでは目下、王位継承を男子優先から長子優先に変更する改革が進められていますが、当メルマガが何度も伝えてきたように、王位継承順位第2位のウイリアム王子の一般女性との婚姻で、王位継承の大原則は現実において破られています。

 さて、日本の場合ですが、父母が王族であるゲルマン法系とは異なり、厳格に父系の皇族性を要求しています。ここに女帝認否問題の核心があります。

 小嶋先生はここでふたたび寺田議員の女帝容認論に話をもどします。寺田議員が言及した「男系」制をくつがえさない女帝制が不可能ではない、というのです。

 1つの方法は、古例のように配偶を認めないというものです。しかしこれは島田が批判したように、非人間的なだけでなく、現行憲法第2条の「世襲」原理との適合性が疑われると小嶋先生は指摘します。

 もうひとつの方法は、配偶を認めるものの、皇族身分は否認するというやり方ですが、これも第2条との適合性が疑われる点で同じです。

 子に皇族身分を認める女帝制は、皇配もまた皇族である場合に限られますが、それには(1)女帝より皇配の方が皇位継承順位が下位であること、(2)皇統に属する遠系の男子が多数いること、の2つが必要です。

 以上のように先生は指摘し、「こうまでして女帝の可能性は実現されなければならないのか」と問いかけ、「女帝制の問題には、わが天皇制の基本に関わる底深い問題がある」と述べています。


▽9 主権在民主義は皇位継承原理を変えられない

 小嶋先生は現行憲法を出発点とする、次のような批判を予想します。

「現行憲法典は主権在民を宣言し、民主主義原理に立つ過去との間の『正統性』の継続を切断した。天皇制のあり方についても、伝統的な王朝形成原理の尊重は必要でなく、『国会が議決した皇室典範』は、現天皇を出発点として、新しい皇位継承法を定めうる」

 この批判について、先生は3つの問題点を指摘します。

(1)批判論は、憲法体制の「正統性」の切断を根拠に、伝統的な皇族性形成原理を尊重する必要はないと説くけれども、憲法は世襲的天皇制を規定しており、伝統の価値を尊重している。それとも伝統とはまったく無縁に、政治制度的合理性を評価しているのか。伝統的価値を否定して、特定血統の世襲制に政治制度論的合理性を説くことは困難なように思われる。

(2)「正統性の切断」は論者の設定であり、根拠は「主権」在民の宣言である。けれども「主権」の観念は強力だが、多義的で、論議は慎重を要する。「主権」在民の宣言は特定の政治制度を要求してはいない。

(3)批判論には非論理性が内在している。新制度が新正統性に基づき、旧正統性による正統化を要しないと考えるのはかまわないが、旧制度の転覆をすべて是認するとか、すべての新制度も是認すべきものとなると考えるなら、主観的な変革志向を「正統性」切断の名で弁護しているに過ぎず、「正統性の切断」を根拠とする女帝容認論はこの例である。


▽10 憲法制定過程の議論は男帝制を支持している

 小嶋先生は、憲法に関わる制度を議論するとき、2つの類型があるといいます。(1)憲法は何を要求しているかという憲法問題、(2)憲法がある範囲で制度選択を立法に対して認めているとき、特定の制度が適当かどうかという立法論的議論、の2つです。

 先生は、女帝問題は(2)に属しているけれども、憲法制定過程の議論を振り返ると、男系制を支持していると考えられる、いくつかの史実を紹介しています。

(1)GHQの民政局は、占領直後から明治憲法体制の問題点を検討したが、男系制は批判の対象となっていない。

(2)アメリカの国務・陸軍・海軍三省はさらに積極的に日本の政治制度改革を企画し、その結論は21年1月11日に秘密指令としてマッカーサーに送られた。天皇制存否の決定を日本国民の選択に委ねさせ、維持する場合の条件も示されているが、皇位に就く者は男性名詞で表現され、性別は従来のとおりとされた。

(3)マッカーサーが憲法草案の起草を民政局に命じたとき、草案に盛るべき内容を示した「マッカーサー・ノート」には、「The Emperor は、国の元首の地位にある。His succession は dynastic である」とある。現王朝を前提とし、王朝に属する者が王朝にふさわしいルールで継承すべきことが要求されている。

(4)民政局による憲法草案起草において、男帝制への批判はなく、天皇は the Emperor と表現されている。草案起草者による「説明書」には過去の天皇制に対する批判を多面的に指示しているが、男帝制が前提で、そのことへの批判はない。

 ところが、です。王朝交替の歴史を持たず、現王朝所属者の継承を当然視する日本政府当局者は、dynastic を単に「世襲」と訳したのです。皇室典範も同様で、「王朝」観念がその後の憲法論に登場することはありませんでした。

 小嶋先生は、憲法制定史上の事実が憲法解釈の決定力にはならず、決定的な法源とはならないと指摘することを忘れてはいません。

 とはいえ、「比較法的および歴史的に十分な知識を思考座標として『世襲』制の要求をみるとき、それは単に世々襲位することではなく、継承資格者の範囲には外園があるとしなければならない。……憲法第2条は『王朝』形成原理を無言の前提として内包しているとなすか、それとも『国会の議決した皇室典範』はそれを否認しうるとなすかは、憲法上の問題とすべきである」と先生は述べています。

 そして、結論を急ぐ気持ちはないが、断ったうえで、結論如何では立法論として賢明とも思えぬ女帝制しか許さぬものとなること、問題提起しておく。「世襲」が憲法典による決定である以上、その解釈に当たって「主権」在民の宣言が国会に何らの決定権を与えないこと、を小嶋先生は指摘しています。


▽11 男女不平等撤廃条約は各国の政治制度を変革し得ない

 最後に、先生はもう一度、国会の議論にもどり、男女不平等撤廃条約との関わりについて、「気になること」を2点、付け加えています。

(1)世界には、女帝を認めない、いわゆるサリック法の伝統に従う国々もあるが、条約案はそれをも否認するのか。女帝の可否は、各国民が持つべき政治制度の問題である。伝統的な国際法思想は、各国民が持つべき政治制度についての自己組織権を各国民の「主権」の中核的内容としてきた。条約案は国家と国際社会の関係について革命的変革をもたらし、否認するものなのか。

(2)男女差別の撤廃は「人権」保障に関わる問題である。しかし皇位継承権はおよそ「人権」ではあり得ない。論者はこの基本を忘れていないか。


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官僚たちにとっての「望ましい」皇位継承──皇室典範有識者会議報告書を読み直す その2 [皇位継承]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2009年3月31日)からの転載です


 拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』を、名の知られた一般紙や雑誌、長い歴史を持つ宗教専門紙、さらには神社の社報まで、いろんなメディアが取り上げてくださっています。

 先週は老舗の歴史雑誌として知らない人のいない『歴史読本』5月号(新人物往来社。24日発売)が、読書欄の「歴史図書さんぽ」のトップで、簡にして要を得た紹介をしてくださいました。
http://www.jinbutsu.co.jp/

 じつにありがたいことです。同誌最新号は「日本の名城」の特集です。税込1,090円。できましたら、どうぞお買い求めください。


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 官僚たちにとっての「望ましい」皇位継承
 ──皇室典範有識者会議報告書を読み直す その2
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▽1 祭祀軽視の背景に何があるのか
koukyo01.gif
 さて、当メルマガは前号から皇室典範有識者会議の報告書(平成17年11月)を読み直す作業を始めました。

 前回は春季皇霊祭・神殿祭に皇太子殿下の拝礼・御代拝がなかったことを取り上げました。トルコからのご帰国を1日早めればいいものを、そのような日程を側近らが組まなかったのは、「神事を先にし、他事を後にす」という歴代天皇が祭祀を重んじてこられた歴史と伝統が理解できないのではなく、いわば確信犯なのだということを指摘しました。

 この宮内官僚たちの祭祀軽視の背後に何があるのか、を例の皇室典範有識者会議報告書を題材にして、しばらく考えてみようと思います。

 すでにご承知だと思いますが、報告書について簡単に説明すると、皇太子殿下の次の世代の皇位継承資格者がおられないという皇統に関する危機感を背景にして、小泉純一郎内閣総理大臣の諮問機関として「皇室典範に関する有識者会議」が設置されたのは平成16年末のことでした。
 会議では「男系男子」に限られてきたこれまでの皇位継承の制度を改め、女性天皇の即位のみならず、女系による皇位継承に道を開くことが検討され、翌17年11月、「皇位継承資格を女子や女系の皇族に拡大することが必要である」(「結び」)とする報告書がまとめられたのでした。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/index.html


▽2 不正確な会議発足の経緯説明

 報告書はA4サイズで84枚。このうち、会議の発足、審議の経緯を説明する「はじめに」、会議の問題関心を示した「問題の所在」、3つのポイントを示した「基本的な視点」、4つの側面から方向性を模索した「安定的で望ましい皇位継承のための方策」、女性天皇、女系継承容認の結論を示した「結び」までが20ページで、残り60ページあまりの大半が「参考資料」、さらに会議の趣旨や構成メンバーなどに関する「皇室典範に関する有識者会議について」と続いています。

 まず「はじめに」を読んでみます。

 なぜ会議が発足したのか、報告書は「内閣総理大臣から、将来にわたり皇位継承を安定的に維持するための皇位継承制度とこれに関連する制度のあり方について検討を行うよう要請を受け、本年(平成17年)1月以来、17回の会合を開くとともに、随時、非公式会合を行い、議論を重ねた」と経緯を説明しています。

 しかしこれは不正確です。小泉総理の「要請」以前から官僚たちが非公式に検討を進めてきたことが明らかになっているからです。したがって総理の「要請」は、官僚のお膳立ての上に乗っているに過ぎないことになります。


▽3 先行する官僚たちの非公式検討

 たとえば、「産経新聞」平成18年2月17日付の1面トップに「女性・女系天皇、『容認』2年前に方針、政府極秘文書で判明」という特ダネ記事が載りました。内閣官房と内閣法制局、宮内庁などで構成する政府の非公式会議が平成16年5月に女性・女系天皇容認を打ち出していたことが、同紙が入手した極秘文書で明らかになった、というのです。

 阿比留記者の解説記事に示されているように、じつのところ官僚たちは、橋本内閣時代の平成8年に、鎌倉節長官のもとで、基礎資料の作成を開始していたのでした。

 産経新聞が入手した極秘資料には皇室典範改正に向けた手順が示されています。第1段階は政府部内関係者による非公式検討の着手と16年3月末までのとりまとめ、第2段階は有識者会議の立ち上げと正式検討の開始、さらに中間報告書のとりまとめ、公表、そしてさらに成案とりまとめに向けた検討──と続いています。

 阿比留記者は、有識者会議発足後の推移が極秘文書の手順と符合していると指摘しています。

 つまり、有識者会議の報告書が「はじめに」で説明しているように、総理の要請を受けて有識者会議の検討が始まったのではなく、先行する官僚たちの非公式検討を追認するのが会議の役目であり、内容を踏襲するのが報告書だったのでした。


▽4 皇族の意見を求めない官僚たち

 むろん官僚たちの問題意識や論理が妥当なものならば、目くじらを立てるべきものとは限りません。逆に、問題意識の高さ、見識を賞賛すべきかもしれません。

 けれども、そうではないところに問題の核心があります。

 産経の記事が明らかにしているところによると、官僚たちによる非公式検討が始まった当時、首相の地位にあった橋本龍太郎元首相は、同紙のインタビューに答え、橋本首相が皇族の意見を聴くように求めたのに対して、官僚たちが拒否したのでした。

 つまり官僚たちは、天皇・皇族にとっての皇位継承とは別の次元で、官僚たちにとっての「安定的で望ましい皇位継承」を追求したのです。その結果が女帝・女系継承容認だったのだと私は考えます。

 ならば、官僚たちにとって「望ましい」とはどういうことなのか、次回、さらに掘り下げます。


▽5 気がかりな皇后陛下のお怪我

 最後にちょっと気になるのが皇后陛下のお怪我です。6週間も前のお怪我が今ごろになって明るみに出ました。そして、お楽しみにされていたであろう陛下とご一緒の御料牧場でのご静養もできなくなりました。
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/kohyo-h210324.html

 思い出されるのは、昭和52年夏の香淳皇后のお怪我です。側近たちの健康管理の甘さもさることながら、拙著に書きましたように、その6年後、側近たちによる祭祀簡略化が表沙汰になったとき、入江侍従長は、香淳皇后が那須でご静養中に骨折されたことを盛んに持ち出し、祭祀の正常化阻止に躍起になったといわれます。

「昭和の先例」を盾に、祭祀の形骸化を進めているのがいまの側近たちですが、皇后陛下が1日も早く、健康を回復されることとともに、この一件がさらなる祭祀軽視・破壊の根拠とされないことを願わずにはいられません。

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女性天皇が認められない理由 [皇位継承]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年10月30日火曜日)からの転載です


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斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」vol.3
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第3回「女性天皇が認められない理由」−男系が維持してきた無私なる祈りの連鎖−

皇居二重橋.jpeg
▼福田首相は皇室典範改正に積極的だが…

 平成19年9月の自民党総裁選のさなか、福田首相(当時は総裁候補)は新聞インタビューに応え、天皇の皇位継承について定める「皇室典範(こうしつてんぱん)」が継承資格を男系男子に限定されていることについて、「今のままではすまない」と、改正に積極的な、従来からの姿勢をあらためて示しました。

 福田氏が官房長官を務めた小泉内閣時代、首相の諮問(しもん)機関として設けられた皇室典範有識者会議は「女性天皇・女系天皇への途を開くことが不可欠」とする報告書を平成17年11月に提出しています。

 歴史的に見ると、有史以来、皇室の不文の法に依拠していた皇位継承を成文化したのは明治22年の皇室典範で、「皇位は祖宗の皇統にして男系の男子これを継承す」と定めており、戦後の新しい皇室典範もこの男系主義を踏襲しています。

 明治の典範が制定される過程では、ヨーロッパ王室の継承制度が参考にされ、女性天皇および女系継承を容認する動きがありましたが、結局、採用されませんでした。


▼女帝が継承すれば王朝が代わる

 たとえば明治憲法制定の中枢にいた井上毅(いのうえ・こわし)は、政敵であるはずの民間の言論団体・嚶鳴社(おうめいしゃ)の島田三郎が何年も前に書いた「女統女帝を否とするの説」を引用し、全面的に同意する意見書を書いています。

 島田は男系主義に反対する女帝容認論を想定したうえで、これをおおむね次のように批判していました。

「歴史上の女性天皇は推古(すいこ)天皇から後桜町(ごさくらまち)天皇まで8人10代おられるが、このうち独身のまま皇位を継承されたのは4人だけで、ほかはいったん結婚している。しかも皇位に就いたあと、時期を見て譲位(じょうい)するピンチヒッターに近い。
 また、日本と外国では事情が異なる。ヨーロッパの女王なら外国からお婿さんを迎えることができるが、日本ではできないし、国内にお婿さんを求めれば、天皇の臣下であって、なおかつ天皇の夫となることになり、天皇の尊厳を害する」

 また、井上毅の意見書は、さらに同じ嚶鳴社の沼間守一(ぬま・もりかず)の論を引用し、「イギリスでは女帝が継承すれば王朝が代わる。ヨーロッパの女系継承説を採用すれば『姓』が変わることを承認しなければならない。もっとも恐るべきことであり、まねるべきではない」などと女系継承否認論を展開しています。


▼天皇の祭祀の重みと厳しさ

 なぜ女性天皇、女系継承は認められないのか。それは皇位の本質と関わります。

 日本の天皇は万世一系の祭り主といわれます。神代にまで連なる歴代天皇は、国家と国民のために絶対無私の祈りを捧げてこられました。天皇の私なき祈りの連鎖こそ皇位の本質といえます。

 しかし愛する夫や子供があり、あるいは身重の女性が宮中祭祀(さいし)を務めるのは困難です。もっとも重要な新嘗(にいなめ)の祭りは、11月下旬の津々と冷える深夜に行なわれます。

 厳重なる潔斎(けっさい)の上、暖房などあるはずもない皇居・賢所(かしこどころ)の薄明かりのなかで、神々と対峙され、絶対無私の祭りを務めることを、たとえば次の天皇をお腹に宿した妊娠中の女性天皇に要求できるでしょうか。

 有識者会議では「宮中祭祀の代行」について質疑があり、「今は昔より妊娠・出産の負担は軽い」という発言もあったと伝えられますが、天皇の祭祀の重みと厳しさを深く理解せずに、形骸化を促す愚論といえます。

 しかも祭祀を重視して、女性天皇が独身を貫かれるなら、女系継承はあり得ません。

 あえて女系継承を認めれば、神代にまで連なる、男系によって維持されてきた私なき祈りの連鎖がとぎれ、皇位の本質が失われるのです。


 参考文献=「皇室典範に関する有識者会議報告書」平成17年11月24日、『大日本帝国憲法制定史』(大日本帝国憲法制定史研究会、明治神宮編、サンケイ新聞社、1980年)、小嶋和司「『女帝』論議」(『小嶋和司憲法論集2 憲法と政治機構』木鐸社、1988年)など
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