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『愛国心』をどう教えるのか [昭和の日]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」からの転載です。


 きょうは、「みどりの日」です。かつて昭和天皇の「天皇誕生日」だったこの日は、来年からは5月4日に移され、来年の今日は「昭和の日」に変わります。

 しかしテレビは朝から「ゴールデンウイークが始まった」と伝えるばかりです。一般全国紙で「みどりの日」を社説に取り上げたのは毎日新聞だけですが、そこには「昭和天皇が自然を愛された」ことにちなむ日であることへの言及はありません。なぜ「天皇」を避けるのでしょうか。

 祝日に「日の丸」を見ることも少なくなりました。逆に、マンションなどでベランダに国旗を掲げようものなら、お巡りさんから思想調査をされる、なんていう話を聞くほどです。

「国旗・国歌」というと、ともすると「戦前」の「軍国主義」「国家主義」と結びつけられてしまいます。「君が代」は「天皇の歌」だと、賛成派も反対派も思い込んでいます。

「知られざる『君が代』千年の歴史」に書きましたように、「長寿者への祝賀の歌」が近代になって、自然に「国歌」の地位を獲得していった、というところが「君が代」のすごいところだと私は思うのですが、そのような歴史はほとんど顧みられません。

「愛国心」という言葉についても、同じような思いこみが見られます。

 今朝の朝日新聞の社説は、論議が始まって6年、ようやく国会に提出された教育基本法の改正案を取り上げ、基本法改正が「歪んだ愛国心に拍車をかけないか」と指摘し、「国を愛する」を教えることの意味とその影響、いま基本法を改正することの必要性に疑問を投げかけています。

 朝日の社説が指摘しているように、「国を愛する心は人々の自然な気持ちであり、何ら否定すべきものではない」でしょう。トリノ・オリンピックで荒川選手が日の丸をまとってウイニング・ランし、WBCでイチロー選手が胸に手を当てて君が代を歌う姿には、私のような俗物でも胸が熱くなります。

 それでもなお、社説が提起するような疑問が、なぜ出てくるのでしょうか。

 朝日の社説は、「法律で定めれば、このように国を愛せ、と画一的に教えることにならないか」という疑問が少なからずあり、「すでに教育現場では、どう教えるのか、愛国心を成績として評価することになるのか、といったとまどいが広がっている」と訴えています。

 与党の協議では、教育の目的に「愛国心」をどう表現するかが焦点となり、公明党は「愛国心が戦前のような国家主義につながることを恐れ」、せめぎ合いが続きました。

「愛国心」という表現、あるいは「愛国心」教育に危惧を隠せない人たちに共通するのは、一つは、「戦前」は「軍国主義」「国家主義」という「暗黒の時代」だったという固定観念、二つは、「愛国心」教育が恐怖の時代をつくったという思いこみ、三つは、「日の丸・君が代」「愛国心」を教えることは「戦前」という「暗黒の時代」をよみがえらせるというじつに純朴な発想で、したがって、教えるべきではない、という結論が導かれています。

 昭和の時代に、日本が無謀な戦争で数百万の国民の命を失い、国土が焦土と化したのはまぎれもない事実です。しかしなぜそうなったのでしょうか。
 
「愛国心」教育が国を誤らせた、というのなら、ふたたび国を誤らせることがないよう、どのように「愛国心」を教えるか、が課題になるのではありませんか。

 アジア・太平洋地域で植林活動を展開しているボランティア団体の方から聞いたことですが、タイアップしている日本の労働組合のメンバーが東南アジアのある国の小学校を訪問しました。その学校で、子供たちといっしょに木を植えるために、わざわざやって来た日本人を、子供たちは両国の手製の国旗を振り、国歌を歌って歓迎しました。

 子供たちの心からの歓迎は、「国旗・国歌」反対を唱えていたはずの日本の労働組合員の心を打たずにはおきませんでした。その組合員が歓迎に応え、大きな日の丸をもって、子供たちの前で君が代を歌うようになったのはいうまでもありません。ここでは「国旗・国歌」は平和のシンボルなのでした。

「国旗・国歌」が戦争をするわけではありません。戦争を起こすのが人間なら、平和をつくるのも人間です。平和のための「愛国心」教育の具体的方法論が求められています。

「教育現場で、どう教えるか、とまどいがある」というのなら、教育者自身が率先して教育方法を研究すべきであり、具体的に提案すべきです。戦前の「愛国心」教育が誤りなら、戦後の「個人主義」教育にも誤りがあることは明らかなのですから、このままにしておくことはできないはずです。法律論から具体的な実践論に議論を進めるべきではないでしょうか。

 もう一つ付け加えると、「昭和」という時代を、むかしながらの特定のイデオロギーからではなく、そろそろ客観的、科学的に、検証してはどうでしょう。

 たとえば、文部省は戦前の「軍国主義」「国家主義」教育をみずから検証していないのではありませんか。以前、雑誌「正論」が書きましたが、文部省は東条内閣時代に実現できなかった合理主義的な漢字制限を、占領時代に推進しているほどです(「井上ひさし『東京セブンローズ』が書かない『美しき日本語』の歴史」)。

 マスコミも同様です。アーカイヴズに載せていますが、「朝日新聞と神道人、それぞれの戦争」に書きましたように、日本の大新聞はジャーナリズムよりもビジネスを優先させ、「戦争の時代」を演出したみずからの「過去」を、十分に自己批判していないのではありませんか。朝日の社説の「愛国心」批判は、まるで他人事で、じつに無責任です。

「日の丸・君が代」「愛国心」を批判するより、まずみずからを問うべきです。

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