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ノーベル賞作家の言霊信仰 [教育基本法改正]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成18年12月21日木曜日)からの転載です


 おとといの朝日新聞の朝刊に、ノーベル賞作家・大江健三郎さんのエッセイが載っています。教育基本法が改正されたことが大江さんにはいたくご不満のようで、前の教育基本法の小冊子を作って、胸のポケットに入れ、記憶するよう提案しています。大江さんのその発想に強い違和感を覚えながらも、面白いと感じて、相変わらず変わった日本語だな、と思いつつ、つっかえつっかえ読みました。

 エッセイはまず高校時代のつらいいじめの思い出から書き起こしています。大江少年の正義の行動が、逆に無法な連中から暴力的制裁を受け、教師たちからも追い討ちをかけられ、心身ともに傷ついた思い出です。

 エッセイはそのあと、教育基本法改正案に対する日弁連の批判を取りあげ、共感を表明し、改正法のいう「教育の目標」「徳目」が国などによって一義的に決まられることへの危惧があると指摘しています。それは、大江さんに言わせれば、戦時中、国や地方公共団体、隣組の目が家庭教育に圧迫を加えたという苦い過去があるからです。

 個性的な家庭教育にこそ希望があると考える大江さんは、そのために「作品」とも呼ぶべき文体をそなえた教育基本法の小冊子を胸に入れ、その「気風」を忘れずにいよう、と提案しているのです。

 大江さんのエッセイを読んで、3つの問題点を感じました。1つは個人的体験と歴史との混同、2つめは教育基本法成立史理解の妥当性、もう1つは言霊信仰の自己矛盾です。

 まず1点目です。大江さんがいじめの体験からエッセイを書き起こしているのは、戦前・戦中史批判、戦争批判、さらには教育基本法を改正する国会の単独採決などへ批判の気持ちが背景にあるのでしょう。

 大江さんが体験したいじめは、事実とすれば、けっして許されることではありません。理不尽な暴力が正当化されるはずもありませんが、個人の体験はけっして歴史ではありません。私小説は歴史小説にはなり得ません。戦争批判や歴史批判に単純に結びつけるべきではありません。第一、1935年生まれの大江さんがいじめを体験した高校時代は、大江さんが礼賛する教育基本法の成立過程もしくは成立直後のことなのではありませんか。

 大江さんの世代から少し上の方々のなかには、ときとして個人の体験と国民の歴史とを混同しています。エッセイでは「国歌、日の丸」の「強制」問題が取りあげられていますが、たとえば、国旗・国歌問題を一貫して批判し続けた東京都立大学の山住正己元総長がなぜあそこまで反対へと駆り立てられたのか。残された著書などによると、「紀元節」の歌を歌わされた昭和10年代の小学校時代の暗い記憶のようでした。
http://homepage.mac.com/saito_sy/tennou/H1201SRkimigayohantai.html

 国際法が愚かにも公認する戦争はいつの時代も苛酷でしょうが、銃後にいたはずのこの世代の体験をもって、戦争一般を批判することはもっと慎重であるべきでしょう。戦争の歴史から教育一般を論ずるべきでもありません。大江さんのエッセイが掲載された大新聞などは、戦争政策に協力することによって、高度経済成長時代を上回る割合で部数を拡大させ、「経理面の黄金時代」を築いてさえいます。大江さんにとって苦難の時代が、他者にとっては至福の時である場合もあります。
http://homepage.mac.com/saito_sy/war/JSH180724asahishinbun.html

 第2は、教育基本法の成立史の問題です。大江さんは、教育基本法という「作品」には戦争の犠牲、貧困を共有し、見通しのむずかしい窮境にありながらも、未来への期待を子供たちに語りかける声が聞こえる、と述べます。

 つまり、暗黒の戦前の否定の上に平和の時代の教育基本法がある、という考えですが、必ずしも実証的理解とはいえないでしょう。戦後の憲法改正、教育基本法制定の過程で、政府は国会で、戦前の教育のシンボルとされる教育勅語について、「教育勅語が今後も倫理教育の根本原理として維持せられなければならない」(田中耕太郎文相)、「教育基本法の法案は教育勅語のよき精神が引き継がれております」(高橋誠一郎文相)と答弁しているからです。

 教育基本法の制定後、GHQの命令によって、衆議院の教育勅語排除決議、参議院の失効確認決議が行われ、教育勅語は歴史的に抹殺され、「教育勅語体制から教育基本法体制への転換がなされた」という解釈が広がったのですが、事実とかけ離れた歴史解釈に大江さんもしばられていませんか。

 第3は、教育基本法の小冊子を作って、という発想は、大江さんが否定する暴力の時代の発想を引きずっていませんか。

 それこそ戦前の教育では教育勅語や歴代天皇の名前を丸暗記させられたと聞きます。教育勅語を暗記してすらすらとそらんじることと、勅語に示された徳目を学ぶこととは違います。孝行、友愛、夫婦の和合などの徳目を教える教育方法として、丸暗記がふさわしいかどうかは熟考を要します。同様に天皇の名前を覚えることと、皇室を敬愛することとは同義ではありません。

 大江さんが教育基本法を「作品」と賞賛することは自由ですが、小冊子を胸に入れ、記憶し、頼りにするという方法は、大江さんが嫌悪する戦前の手法とどこが違うのですか。教育基本法の文体の美しさに酔うことが個性的な家庭教育を進めることにもならないでしょう。美しい言葉が美しい世界を作る、というのは一面の真理ですが、大江さんにとっては自己矛盾のはずです。
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教育改革反対の論拠「上智大学生事件」の真相 [教育基本法改正]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成18年11月13日月曜日)からの転載です


 教育基本法改正が国会でいよいよ最後のヤマ場を迎えるのを前にして、先週8日、浄土真宗本願寺派(西本願寺)は見直し案を「拙速」とする「見解」を総長名で発表しました。

 仏教界では全日本仏教会が3年前、「宗教教育重視」を法律に盛り込むよう要請していますが、仏教界内部からは反発もあります。たとえば浄土真宗大谷派(東本願寺)は一昨年、改正反対の宗議会決議を行っています。

 大谷派の決議は、「断固反対」の根拠として、「アジア太平洋戦争」の参加への深い反省から現行憲法を獲得した、現行教育基本法は憲法の理想の具体化を図るため制定された、という歴史理解を示しています。

 本願寺派の「見解」にも「過去の一時期における不幸な歴史」という表現があり、歴史を踏まえたうえで、「慎重な審議」を要望していることが分かります。

 凡人は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ、という言葉があるように、歴史を学ぶことは重要ですが、学びには謙虚さと正確さが必要です。

 管見によれば、現行の教育基本法の制定は昭和22年3月です。GHQは占領目的に即した教育改革を断行していました。帝国議会では憲法改正が審議され、それと併行して構想されたのが教育基本法の制定でした。真宗大谷派の反対決議の論拠とされる歴史理解には疑念があります。

 キリスト教界は、カトリック、プロテスタントとも政府の改定案に強く反対しています。カトリック教会は、今年5月には正義と平和協議会(正平協)が、今月2日には司教協議会、社会司教委員会が、「反対」「懸念」をそれぞれ表明しています。

 正平協の「反対」文書は、「改定案」にある「伝統」の文言は思想・良心・信教の自由まで侵害される危険もある、と指摘し、その根拠として、戦前、神社参拝が強要された歴史をあげています。司教協議会の「懸念」は、昭和7年の上智大学生靖国神社参拝拒否事件を契機に国家による教育への不当介入があった、とし、歴史を論拠のひとつとしています。

 上智大学生事件は、カトリック教会の忌まわしい戦前の記憶であり、教会が、首相の靖国神社参拝、国旗・国歌法制定などに対する反対表明の根拠として、つねに例示されてきました。

 しかしこの事件が、信教の自由の侵害でも、国家による教育への不当介入でもないことは、当時の教会関係者が証言しています。

 事件の渦中にあった丹羽孝三幹事(学長補佐)は『上智大学創立六十周年──未来に向かって』(昭和48年、非売品)に、当時の回想を寄せ、事件がおよそ「迫害」などとはほど遠いものであったことを記録しています。軍部による政党打倒運動に事件が利用されたのが真相だというのです。

 正平協や司教協議会の歴史理解はこれとは真っ向から異なりますが、関係者の証言をくつがえすに足る確たる証拠がおありなのでしょうか。もしそうではないのなら、いやしくも真実に忠実であるべき宗教指導者が、都合のいい歴史解釈を振り回していることになりませんか。
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