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ゆとり教育の終焉 [教育]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年1月19日金曜日)からの転載です

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『アメリカの教育改革』(アメリカ教育省ほか著、西村和雄・戸瀬信之編訳、京都大学学術出版会)という本によると、学力が高いはずの東大や京大、理工学部や医学部の学生が、たとえば

 2÷0.25=?

 というような、小学校レベルの四則計算が満足にできないというのですから驚きです。「ゆとり教育」という美名のもとで、日本の教育は世界に例を見ない水準にまで下がってしまいました。

 経済的視点から社会の現状を悲観的に語る人は多い。若い有能な人材がたくさんいる社会なら、それでも前途に希望があるが、若者の学力低下は未来への道をふさいでいる──。

 訳者の西村和雄京大教授と戸瀬信之慶大教授はそのように語り、「ゆとり教育」を批判してきました。

 日本の初等・中等教育に「ゆとり」が政策として登場したのは20年前のことです。指導要領の改訂でカリキュラムは削減され続け、その結果、子供たちの学力は坂を下るやうに低下していきました。

 たいへん興味深いことに、そのころアメリカではまったく逆の現象が起きていました。

 戦後の公民権運動の高まりから、アメリカの教育の最重要課題は「平等」でした。自由に選べる選択科目がたくさん設けられたかわりに、通常の教科はなおざりにされました。古い権威を否定し、自由を求める文化がわざわいして、麻薬、酒、校内暴力が社会問題化し、公教育は衰退します。

 見直しに踏み切ったのはレーガン大統領でした。大統領は、経済の回復には教育の改善が必要だと考え、教育省長官の諮問機関「卓越した教育に関する全国委員会」を招集し、報告書の提出を求めたのでした。

 この本のPart1に訳出された諮問機関の報告書「危機に立つ国家」は、低下する学生の学力、少ない学習時間、低い教師の質を指摘しています。報告書はベストセラーとなり、これをきっかけに、アメリカの中学校では数学・理科教育の強化、小学校では少人数クラスの推進が進みました。

 西村・戸瀬両氏によれば、教育においては日本は完全に30年遅れていることになります。なぜそんな馬鹿げたことが起きたのでしょうか。

「ゆとり教育」推進の中心にいた文部官僚は昨年、履修漏れ事件の騒ぎに隠れるかのようにして、口をふさいだまま教育行政の表舞台を去っていきました。政府の教育再生会議はいまようやく「ゆとり」見直しの第一次報告をまとめようとしています。

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[話題]中学生にカトリックの知識を教えるイタリアの宗教教育 [教育]


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[話題]中学生にカトリックの知識を教えるイタリアの宗教教育
(「神社新報」平成17年10月10日)
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米・CNNなどの報道によると、イタリア北部の小都市ファノの公立校で、14年間、宗教の授業を担当していた女性教師が、カトリック教会から解雇されたことが話題になっている。

「自分が魅力的で、セクシーな格好をしていたため、解雇された」とは女性の言い分だが、教会側は「女性の離婚歴が、宗教教師として相応しくないため」と反論している。女性は5年前に離婚したが、離婚そのものを教義的に認めていない教会は、「離婚した教師が宗教を教えるべきではない」として解雇したと伝えられる。

両者の対立が今後、どう展開するかは不明だが、事件は日本と同様に第2次大戦の敗戦国で、「国家の世俗性」が憲法の基本原則のひとつと考えられているイタリアで、日本とは異なり、公立学校で宗教教育が行われている実態を浮かび上がらせた。

カトリックの総本山バチカンのお膝元で、6000万人の国民の97%がカトリック教徒、かつてはカトリックが国教と位置づけられていたイタリアの公教育で行われている宗教教育とはどのようなものなのか。


▽教会が教員を派遣

イタリアの宗教教育事情に詳しい、カトリックの聖ザベリオ会司祭アウディシオ・マリオ氏によると、イタリアでは、宗教心は人生にとって大切で、学校での宗教教育は当たり前だと考えられ、中学校のカリキュラムに公立・私立を問わず、週1回、1時間の「宗教の時間」が設けられている。

一年生は世界の宗教について、二年生はカトリック教会について、三年生は宗教道徳について学ぶ。ただ授業は布教が目的ではなく、あくまで一般的な宗教知識教育の範囲にとどまる。

国民の数パーセントとはいえ、プロテスタントやユダヤ教、イスラムの生徒もいるので、これらの生徒に対してはあらかじめ保護者の要望を受けて、カトリック以外の授業が用意される。10年前までは生徒全員を対象としてカトリックの授業が行われていたが、最近は他宗教への配慮がなされるようになったという。

宗教の時間を担当する教員は国が与える教員資格のほかに、カトリック教会の免許を必要とする。教員の人事はカトリック教会の教区が握っており、学校が所在する担当教区から派遣される。

今回の事件では、教員個人の宗教的資質が人事に影響することが明らかになった。


▽世俗国家を謳う憲法

第2次大戦で日本と同じ枢軸国だったイタリアは、敗戦後、国民投票で王政が廃止され、共和制が発足した。

1948年に施行されたイタリア共和国憲法は「自由主義とマルクス主義とカトリシズムとの不安定な混合」と評され、国家とカトリックとの関係について「その固有の秩序において独立であり、かつ最高である」(7条1項)と定め、同時に8条ではカトリック以外の宗派の信仰の自由が保障されている。

1984年にはローマ教皇との政教条約改正で、カトリックの国教化が否定された。1989年の憲法裁判所の判決では、「国家の世俗性という最高原理は憲法の定める国家形態の諸側面のひとつである」と表明している。

それでもイタリアの公教育機関では、宗教に関する知識教育が実施されている。

一方、日本国憲法は20条3項で「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と定め、教育基本法は9条1項では「宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない」としながらも、2項では「国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない」と公教育での宗教教育禁止を定めている。

法制度上はイタリアで行われているような宗教知識教育や宗教情操教育までもが禁止されているわけではないと指摘されるが、実際の教育の現場では戦後一貫して、事実上、宗教教育全般が禁止された状況にある。


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