信者数で見る世界の主要宗教 [宗教]
以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年5月9日水曜日)からの転載です
宗教関係の統計などを収集している adherents.com が「信者数で見る世界の主要宗教」を発表しました。
http://www.adherents.com/Religions_By_Adherents.html
これによると、第1位はキリスト教の21億人、2位がイスラムの13億人、3位が無宗教の11億人、4位がヒンドゥーの9億人、以下、5位、中国の伝統宗教、3億9400万人、6位、仏教、3億7600万人、7位、原始的土着宗教、3億人、8位、アフリカ伝統宗教、1億人、9位、シーク教、2300万人、10位、北朝鮮のチュチェ思想、1900万人と続いています。
日本の神道は15位で400万人、天理教が18位の200万人となっています。20位以内に日本の宗教が2つまでも含まれているのは注目されます。
この統計から分かるのは、まず第一に、世界三大宗教の1つとされてきた仏教の後退と無宗教の拡大です。ヒンドゥーや中国伝統宗教の信徒数が増えているのは爆発的な人口増の結果なのでしょう。
面白いのは、北朝鮮政府によって唯一公認されているイデオロギーのチュチェ思想が主要宗教に数えられ、10位にランクインしていることです。
世界の人々の半数は唯一神を信じているようですが、一神教であれ、多神教であれ、世界の宗教のほとんどがアジアから生まれていることに改めて気づかされます。
宗教関係の統計などを収集している adherents.com が「信者数で見る世界の主要宗教」を発表しました。
http://www.adherents.com/Religions_By_Adherents.html
これによると、第1位はキリスト教の21億人、2位がイスラムの13億人、3位が無宗教の11億人、4位がヒンドゥーの9億人、以下、5位、中国の伝統宗教、3億9400万人、6位、仏教、3億7600万人、7位、原始的土着宗教、3億人、8位、アフリカ伝統宗教、1億人、9位、シーク教、2300万人、10位、北朝鮮のチュチェ思想、1900万人と続いています。
日本の神道は15位で400万人、天理教が18位の200万人となっています。20位以内に日本の宗教が2つまでも含まれているのは注目されます。
この統計から分かるのは、まず第一に、世界三大宗教の1つとされてきた仏教の後退と無宗教の拡大です。ヒンドゥーや中国伝統宗教の信徒数が増えているのは爆発的な人口増の結果なのでしょう。
面白いのは、北朝鮮政府によって唯一公認されているイデオロギーのチュチェ思想が主要宗教に数えられ、10位にランクインしていることです。
世界の人々の半数は唯一神を信じているようですが、一神教であれ、多神教であれ、世界の宗教のほとんどがアジアから生まれていることに改めて気づかされます。
国民の6割が無宗教、神社本庁調査 [宗教]
以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年1月29日月曜日)からの転載です
全国約8万社の神社を包括する神社本庁が5年ごとに実施している「神社に関する意識調査」の調査結果(中間報告)を、神社の専門紙・神社新報が伝えています。調査は今回が3回目で、全国二十歳以上の男女2000人を対象に昨年秋、行われたとのことですが、これによると、国民のじつに6割近くが宗教を「信じていない」ことが明らかになりました。
「信仰している宗教」についての項目では、「信じていない」と答えた人が6割近くもいます。前々回(平成8年)および前回(13年)の調査と比較すると、数値の増加が明白で、これに対して「仏教を信じている」が大きく減少していることが分かります。
仏教信仰の衰退は、ほかの問いからも裏付けられます。たとえば、「日ごろ大切に思うこと」は何かという問いに対して、「祖先を敬うこと」と答えたのは6割近くいるものの、確実に減っています。「家庭の年中行事」でも「お盆・お彼岸」は7割を超えていますが、これも同様に減ってきています。「先祖の命日」をおこなう人は5割を切っています。
仏教信仰は必ずしも祖先供養と同義ではありませんが、旧暦がほとんど駆逐されてしまった今日でも、お盆だけは全国的に、新暦の太陽暦ではなく、月遅れでおこなわれているほど、お盆行事が守られてきたことから考えると、祖先を敬う心の退潮、先祖を供養する行事の減少は注目されます。
それなら神社はどうかというと、前途は必ずしも明るいとはいえません。「伊勢神宮を知っているか」という問いに対して、ほぼ20人に1人が「知らない」と答えています。とくに若い世代では「知らない」が目立ちます。「家庭に神棚がある」のも、さすがに自然相手の仕事に従事している農林水産業では9割近くが「ある」ですが、全体では5割を割っています。
それにしても国民の6割近くが「無宗教」という調査結果は衝撃的です。
信仰心がないことと所属する宗教団体がないこととは同じではありませんが、この調査は日本人の宗教心の衰えを浮かび上がらせています。かつて小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)がえがいた、さまざまな神々とともに暮らしていた日本人とは、現在の日本人は明らかに違うと考えざるを得ません。
この調査結果を宗教者自身がどのように受け止めるのかにも興味が持たれるところです。
全国約8万社の神社を包括する神社本庁が5年ごとに実施している「神社に関する意識調査」の調査結果(中間報告)を、神社の専門紙・神社新報が伝えています。調査は今回が3回目で、全国二十歳以上の男女2000人を対象に昨年秋、行われたとのことですが、これによると、国民のじつに6割近くが宗教を「信じていない」ことが明らかになりました。
「信仰している宗教」についての項目では、「信じていない」と答えた人が6割近くもいます。前々回(平成8年)および前回(13年)の調査と比較すると、数値の増加が明白で、これに対して「仏教を信じている」が大きく減少していることが分かります。
仏教信仰の衰退は、ほかの問いからも裏付けられます。たとえば、「日ごろ大切に思うこと」は何かという問いに対して、「祖先を敬うこと」と答えたのは6割近くいるものの、確実に減っています。「家庭の年中行事」でも「お盆・お彼岸」は7割を超えていますが、これも同様に減ってきています。「先祖の命日」をおこなう人は5割を切っています。
仏教信仰は必ずしも祖先供養と同義ではありませんが、旧暦がほとんど駆逐されてしまった今日でも、お盆だけは全国的に、新暦の太陽暦ではなく、月遅れでおこなわれているほど、お盆行事が守られてきたことから考えると、祖先を敬う心の退潮、先祖を供養する行事の減少は注目されます。
それなら神社はどうかというと、前途は必ずしも明るいとはいえません。「伊勢神宮を知っているか」という問いに対して、ほぼ20人に1人が「知らない」と答えています。とくに若い世代では「知らない」が目立ちます。「家庭に神棚がある」のも、さすがに自然相手の仕事に従事している農林水産業では9割近くが「ある」ですが、全体では5割を割っています。
それにしても国民の6割近くが「無宗教」という調査結果は衝撃的です。
信仰心がないことと所属する宗教団体がないこととは同じではありませんが、この調査は日本人の宗教心の衰えを浮かび上がらせています。かつて小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)がえがいた、さまざまな神々とともに暮らしていた日本人とは、現在の日本人は明らかに違うと考えざるを得ません。
この調査結果を宗教者自身がどのように受け止めるのかにも興味が持たれるところです。
しっかりせよ、WCRP──多神教世界から生まれた存在意義を忘れるなかれ [宗教]
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
しっかりせよ、WCRP──多神教世界から生まれた存在意義を忘れるなかれ
(「神社新報」平成12年1月10日)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
昨年(平成11年)11月、世界宗教者平和会議(WCRP)は、世界3大宗教の起源地で、いまも血生臭い宗教紛争が絶えない中東のヨルダンで、第7回世界大会を開いた。
大会には世界100カ国から15の宗教、1200人が参加し、「アンマン宣言」が採択された。関係者は「大成功」と一様に自賛するが、果たしてそうなのか?
▽カトリックの下請けを演じる
イスラム圏初の大会は、参加者が過去最大規模に膨れ上がった。とくに日本からは約200人が繰り込んだ。
西アフリカ・シエラレオネなど、紛争地域での宗教協力の成果も発表された。
しかし、「行動(アクション)」路線をとる現在のベンドレイ事務総長体制下で、たとえばアジアでは、北朝鮮問題や中国の人権問題など、ほとんど進展がないし、途上国の飢えと貧困は解決の兆しさえうかがえない。
大会前、参加を表明していた北朝鮮は結局、姿を見せなかった。
全体テーマの「共生のための地球的行動──新たな千年期における宗教の役割」は、そもそもWCRPという諸宗教の運動に相応しいものだったろうか?
大会前の会見でWCRP側は、
「草案では『第3の千年紀』となっていたが、キリスト教色が強いので改めた。マスコミが使う『千年紀』もキリスト教的なので『千年期』に変えた」
と説明した。
しかしキリスト教色を払拭する努力の強調は、それ自体、いまのWCRPが結果的にカトリック戦略の下請的役割を果たしていることを浮き彫りにした。
第一、カトリックは「紀」ではなく「期」を用いているし、今大会の宣言文には「第3の千年期」とある。
会見で、記者は白柳誠一・日本委員会理事長(カトリック枢機卿)に、なぜ「共生」なのか、なぜ「千年期」なのか、カトリック的ではない、WCRP独自の見解を問いただしたが、白柳理事長からはカトリック流の回答しか返ってこなかった。
理事長はローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の「使徒的書簡」を引用し、「新しい千年期」の敷居をまたぐために過去を反省し、悔い改めることの必要を説いたが、とりわけ過去1000年の歴史を謙虚に反省すべきなのはカトリック自身ではないか?
▽「共生」から遠い日本のカトリック
教皇は「大聖年」を迎えるために、「2つの世界大戦、強制収容所や身の毛のよだつ虐殺の傷跡」を「悔い改める必要がある」と述べている。
教皇は悔い改めの材料として、アウシュビッツと南京虐殺を同列に考えているようだが、それならキリスト教がヨーロッパ大陸に浸透する過程で、あるいは大航海時代以後、異教世界を侵略し、異教徒を殺戮し、異教文化を破壊してきた歴史や植民地支配そのものを生んだ歴史へ理反省も悔い改めも「書簡」に見られないのは、なぜか?
「共生」が時代のキーワードであることは言を俟たないが、今回の大会を1面トップで報道した「カトリック新聞」の記事がほとんどカトリックの自己宣伝に終始しているのは、日本のカトリックの姿勢がいかに「共生」からほど遠いか、を如実に示していないか?
WCRPの創設者で、昨年(平成11年)、亡くなった庭野日敬師は自伝『この道』に、第2バチカン公会議に招待され、教皇パウロ6世に謁見したときの感動から、キリスト教、ヒンドゥー教、仏教、イスラム教など、世界のすべての宗教・宗派を網羅して全宗教者が平和のテーブルにつく世界会議の開催を願うようになった──と説明している。
庭野師のWCRP創設は、カトリックの宗教運動に刺激を受けたとしても、また現在、その本部がニューヨークに置かれているにしても、アジアの多神教的世界、とりわけ、古来、宗教的共存を実現してきた日本で産声をあげた、という歴史の重要性を強調しすぎることはあるまい。
日本では450年前のキリスト教伝来まで、天皇を中心とした宗教的共生が実現されてきた。欧米キリスト教諸国の植民地とならず、独立を保ってきたのは日本がほとんど唯一といっていい。
その日本の宗教者が世界に果たすべき役割は、バチカンの一神教的世界戦略に付和雷同することではないはずだ。
WCRPは、日本そしてアジアの多神教世界から生まれた世界的宗教運動の意義を、ゆめゆめ忘れるべきではない。
しっかりせよ、WCRP──多神教世界から生まれた存在意義を忘れるなかれ
(「神社新報」平成12年1月10日)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
昨年(平成11年)11月、世界宗教者平和会議(WCRP)は、世界3大宗教の起源地で、いまも血生臭い宗教紛争が絶えない中東のヨルダンで、第7回世界大会を開いた。
大会には世界100カ国から15の宗教、1200人が参加し、「アンマン宣言」が採択された。関係者は「大成功」と一様に自賛するが、果たしてそうなのか?
▽カトリックの下請けを演じる
イスラム圏初の大会は、参加者が過去最大規模に膨れ上がった。とくに日本からは約200人が繰り込んだ。
西アフリカ・シエラレオネなど、紛争地域での宗教協力の成果も発表された。
しかし、「行動(アクション)」路線をとる現在のベンドレイ事務総長体制下で、たとえばアジアでは、北朝鮮問題や中国の人権問題など、ほとんど進展がないし、途上国の飢えと貧困は解決の兆しさえうかがえない。
大会前、参加を表明していた北朝鮮は結局、姿を見せなかった。
全体テーマの「共生のための地球的行動──新たな千年期における宗教の役割」は、そもそもWCRPという諸宗教の運動に相応しいものだったろうか?
大会前の会見でWCRP側は、
「草案では『第3の千年紀』となっていたが、キリスト教色が強いので改めた。マスコミが使う『千年紀』もキリスト教的なので『千年期』に変えた」
と説明した。
しかしキリスト教色を払拭する努力の強調は、それ自体、いまのWCRPが結果的にカトリック戦略の下請的役割を果たしていることを浮き彫りにした。
第一、カトリックは「紀」ではなく「期」を用いているし、今大会の宣言文には「第3の千年期」とある。
会見で、記者は白柳誠一・日本委員会理事長(カトリック枢機卿)に、なぜ「共生」なのか、なぜ「千年期」なのか、カトリック的ではない、WCRP独自の見解を問いただしたが、白柳理事長からはカトリック流の回答しか返ってこなかった。
理事長はローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の「使徒的書簡」を引用し、「新しい千年期」の敷居をまたぐために過去を反省し、悔い改めることの必要を説いたが、とりわけ過去1000年の歴史を謙虚に反省すべきなのはカトリック自身ではないか?
▽「共生」から遠い日本のカトリック
教皇は「大聖年」を迎えるために、「2つの世界大戦、強制収容所や身の毛のよだつ虐殺の傷跡」を「悔い改める必要がある」と述べている。
教皇は悔い改めの材料として、アウシュビッツと南京虐殺を同列に考えているようだが、それならキリスト教がヨーロッパ大陸に浸透する過程で、あるいは大航海時代以後、異教世界を侵略し、異教徒を殺戮し、異教文化を破壊してきた歴史や植民地支配そのものを生んだ歴史へ理反省も悔い改めも「書簡」に見られないのは、なぜか?
「共生」が時代のキーワードであることは言を俟たないが、今回の大会を1面トップで報道した「カトリック新聞」の記事がほとんどカトリックの自己宣伝に終始しているのは、日本のカトリックの姿勢がいかに「共生」からほど遠いか、を如実に示していないか?
WCRPの創設者で、昨年(平成11年)、亡くなった庭野日敬師は自伝『この道』に、第2バチカン公会議に招待され、教皇パウロ6世に謁見したときの感動から、キリスト教、ヒンドゥー教、仏教、イスラム教など、世界のすべての宗教・宗派を網羅して全宗教者が平和のテーブルにつく世界会議の開催を願うようになった──と説明している。
庭野師のWCRP創設は、カトリックの宗教運動に刺激を受けたとしても、また現在、その本部がニューヨークに置かれているにしても、アジアの多神教的世界、とりわけ、古来、宗教的共存を実現してきた日本で産声をあげた、という歴史の重要性を強調しすぎることはあるまい。
日本では450年前のキリスト教伝来まで、天皇を中心とした宗教的共生が実現されてきた。欧米キリスト教諸国の植民地とならず、独立を保ってきたのは日本がほとんど唯一といっていい。
その日本の宗教者が世界に果たすべき役割は、バチカンの一神教的世界戦略に付和雷同することではないはずだ。
WCRPは、日本そしてアジアの多神教世界から生まれた世界的宗教運動の意義を、ゆめゆめ忘れるべきではない。