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読者からいただいた本居宣長論 [本居宣長]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年6月26日火曜日)からの転載です

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読者からいただいた本居宣長論
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 私のつたない雑誌論攷などを以前から読んでくださっている読者からご著書をいただきました。書名は『本居宣長の古道論』。サブタイトルは「図書館で読み解く『直毘霊(なおびのみたま)』」となっています。

 日本の民族宗教を扱うなら国学者の宣長(1730-1801)は必読の書ですが、現代社会をテーマとしている筆者などは江戸時代の古文になかなか食指が動かないというのが正直なところです。しかし、この本を読んで、食わず嫌いのままでは済まされないことが分かってきました。

 著者の佐藤雉鳴さんは建設会社の経営者として活躍され、退職後は読書三昧の日々を送っておられるようです。ご自身の表現を借りれば、世間の常識とご自身とのズレを自覚されるようになり、本居宣長の読み直しを始められたのだそうです。

 そこで気づかされたのは、戦後の宣長論のひどさでした。

「この国は天照大神がお生まれになった国で、外国に比べて優れている理由はじつにこの点にある」

 で始まる宣長の『直毘霊』(『古事記伝』全44巻の巻1)を中心とする古道論については、とくにひどいものと映りました。

 保守主義思想が理解できなければ、そして保守主義者でなければ、宣長の古道論は理解できない、と佐藤さんは主張します。フランス革命神話に帰依し、その欺瞞性と矛盾にどっぷり浸かっている日本の知識人には宣長を語れない。宣長の文学を高く評価しながら、一方で、古道論を独善、狂信的な排外主義と口汚くののしる論者が多いのは、宣長の保守主義が理解できていないからだ、というのです。

 しかし、宣長の『直毘霊』を、「保守主義の父」と呼ばれるエドマンド・バーク(1729-97)など、同時代の英米の保守主義思想と比較検討するとき、新たな世界が見えてきます。すなわち宣長の文章には、英米保守思想との交換可能な共通点がそこかしこに見出されるのでした。

 たとえば、宣長は『秘本玉くしげ上』で、

「世の中のことは人の叡智のおよばないところがある。だから、軽々しく新しい法を定めるより、祖先の叡智に磨かれた古い法に従うのがよい」

 と書いていますが、これに対して、アレクシス・ド・トクヴゥル(1805-59)は『アメリカの民主政治』に、

「イギリス的法学者は、祖先たちの作品に何かを付け加える場合、祖先たちの思想を発展させ、その業績を完成させるべきだ、と確信している」

 と述べている、と佐藤さんは指摘します。

 つまり、佐藤さんによれば、宣長とバークは奇しくも同時代に相並ぶ、保守主義の偉大な発見者ということになります。そして宣長は、英米の保守主義者と同様に、権力の制限、君臣の文義、コモン・ロー、時効の論理といった保守主義の原則を見出していたというのです。

 佐藤さんの本を読み進んでいくと、宣長をあらためて読み直してみようかという気持ちになってきます。

 最後に、昨日のブログは、佐藤さんのご著書に刺激を受けて、書いたことを申し添えます。


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